真夏のおでんもオツなもの・その後

冬もやっぱりおでんが美味い!


「ナツ、今日から外行かねえか?」
 これから仕込みをしようってときになって、俺は思い切ってそう切り出した。
「……外に?」
 ナツはつくねの材料をこねていた手を止め、じっと俺の目を見つめてくる。
「あ、ああ。ほら、そろそろ寒くなってきただろ? 駅前あたりでやれば、会社帰りのサラリーマンとか来るんじゃねえかな」
 何かを訴えるような目をしたナツに負けないよう、俺はこんにゃくを切っていた手元に目を戻しつつ、ちらちらとナツの顔色をうかがいながら続けた。
「おやじも賛成してくれたし、頃合としては今が一番いいと思うんだ。いいだろ?」
「…………」
 ナツは俺の言葉など聞こえないような顔で、ぐちゃぐちゃとつくねの具をこねくりまわす。
(つまりこれって……行きたくないってことなのか?)
 俺がどんなに明るく話してもまるっきり興味も示さずむっつりと黙り込んでいる。『乗り気じゃない=行きたくない』って態度がかなり露骨だ。
 こんな態度に出られるとは思っていなくて、 俺は焦ってさらに言葉を続ける。
「ほら、前に話した屋台のこと! あれもタダで手に入ったし、修理もいらないっていうからすぐにでも使えるんだぜ? それにその屋台やってた場所なら地上げ屋も来ないって話だし……」
「…………」
「寒いなー、あったかいもんが食べたいなーって思ってる奴がきっと大量に来るって! 絶対失敗しないから、やろうぜ?」
「…………」
「ナ、ナツ?」
「…………」
 俺の話に、うんともすんとも答えず黙り込んでしまうナツ。俺はさらに必死になって、ナツを説得しようと試みた。だけどナツは、明らかに行きたくないという意味の言葉を返してきたんだ。
「店も混んできたし……父さん一人きりじゃ大変だろうし」
「そ、そりゃそうかもしれねえけど……っ、だけどおやじだってこの店何十年もやってきてんだぜ? 多少忙しいくらいだったら一人で大丈夫だって!」
「……それって、ここには俺がいなくても大丈夫ってこと?」
「そ……そんなことは言ってないけどさぁ〜〜」
「父さんに無理はさせられない」
「あんだけ丈夫なおやじだぜ? 心配するだけ野暮だっておやじも言うぞ?」
「自分の父親を心配するのがそんなにいけないの?」
「だから、そんなことは言ってないけどさぁ…」
 ナツは俺に絡むだけ絡んだ発言をし、挙げ句の果てには、
「……寒いの、やだ」
 そんなことをぼそっと呟き出す始末で。
「ナツぅ〜〜〜〜」
 駄々をこねるナツっていうのは超絶カワイイんだけど、これは俺の夢でもあるし……絶対諦められない。ってのは、ナツも十分知ってるはずなのに、どうしてこんなに嫌がるのか、俺にはその最たる理由がわからなかった。
 それからもなんとかナツを説得しようとあらゆることを言ってみたが、ナツは頑として俺の言うことを受け入れようとはしなかった。おやじに似たのかなんなのか、ホントに頑固なんだよな。
「……わかったよ」
 三十分以上不毛な会話を続けているうちに俺も諦めがついてきて、こうなったら俺一人で行くしかないかと決心した。本当はナツと一緒に行きたいけど……でも、嫌がってるナツを無理やり連れてくなんて俺にはできない(これって、惚れた弱みってやつなのか?)。
「それじゃ、ナツはおやじと店やっててくれよ」
「──え?」
「俺一人で行ってくるわ、外に。どんな感じになるかわかんねーし、まぁ練習もかねてってことでさ」
 そう言って、裏にしまってある屋台の台車を確認しに行こうとすると、
「だめ!」
 勢いよく顔を上げたナツが突然小さく叫んだ。
「へ?」
 その声がナツにしてはデカい声だったため、俺は驚いてナツの顔をまじまじと見る。
 ナツは心なしか頬を赤くして、俺の目を見ないように言葉を続けた。
「太一が行くなら……俺も行く」
「え? だって……」
(あんなに嫌がってたのに?)
「嫌だったんじゃ……」
「行くって言ったら、行く!」
「そりゃ…俺はかまわないけど」
 なんだって言うんだ? さっきまでは死ぬほど嫌がってたっていうのに……
「じゃあ、おやじに言ってこいや。今日は俺ら店出ないって」
「うん」
 ナツは俺の顔を見ないまま、珍しく小走りで家の中へと入っていった。
「どうしたんだ、ナツのやつ……」
 ナツの態度の変わりように、俺はただただ首をひねっていた。

「それじゃおやじ、行ってきま〜す!」
「おう! 変な奴にからまれねえように気をつけろよ!」
「うっす!」
 俺とナツは赤ちょうちんの取りつけられた台車を引いて、駅前の一角で開店準備をはじめた。
 一煮込みさせてから持ってきたおでんはすぐに周囲に匂いを立ち上らせる。帰宅帰りらしい学生やOL、サラリーマンたちがちらちらとこちらを見ながら通り過ぎていく。──うん、興味は持ってるみたいだな。
「よっし。そろそろあったまったな。ナツ、その看板出していいぞ」
「うん」
 椅子を出したりちょうちんに火をつけたりしていたナツに指示すると、こっくりと頷いたナツは俺のお手製の看板を表に出した。そこに書かれているのは『おでんお持ち帰りできます』って言葉。
 最近コンビニで流行ってるおでん。たぶんあれは自宅で気軽におでんが食えるってのがいいんだろう。自分で家で作って食べるってのはけっこう面倒だし、俺だったらおでん屋がこういうサービスしてたら絶対利用するって思ったんだ。
 持ち帰り用の容器大量購入してきたし、あとは客が来るのを待つばかり。
 最初は本当に客が来てくれるのかと心配だったけど、それもただの杞憂に終わった。湯気にのっておでんの匂いが駅の方角にちょうど流れていき、空腹を刺激されたらしいOLやサラリーマンがわんさと駆け寄ってきたんだ。
「一個だけっていうのもいいのかい?」
「いいっすよ! もしすぐ食べるようなら串に差しますけど?」
「あ、じゃあお願いするよ」
「俺もそれで頼む! 大根とがんも!」
「はーい、ただいま!」
 いちおう席を用意してきたけど、ゆっくり座って食べるより持ち帰りにしてくれという人が断然多かった。それはもしかしたら若い客が多かったせいかもしれない。店をやってるのが俺たちみたいに若い奴らだったから、若い連中も寄りつきやすかったんだろうか。
「ありがとうございましたー!」
 ひとしきり客が流れたあと、ちょうどいい具合に客足が途切れた。俺は表で客の対応をしていたナツに声をかけ、着ていた上着を脱いでナツに差し出した。実はずっと気になってたんだ、ナツが寒さにやられてるんじゃないかって。
「それじゃ寒いだろ。これ着てろよ」
「え……でも、それじゃ太一が……」
「俺は寒いの大丈夫だから気にすんなよ。それに鍋の前にいると暑いくらいだしな」
 笑いながらナツの肩に上着をかけてやると、それをすんなりと受け入れたナツは
「ありがとう……」
 小さく笑って、恥ずかしそうに俯いた。俺はその姿に満足して、次の客のためにおでんの具を追加した。
「あの、すいません。おでん、持ち帰りでお願いしたいんですけど……」
「はい、いらっしゃい! 何と何にしますか?」
「えっと、大根とこんにゃくとたまごと……ごぼう巻とつくねで」
「はい、ありがとうございます!」
「おでんいいですかー?」
「はい、あの……ちょっとお待ち下さい。──太一…っ」
「はいよ、ちょっと待っててねー学生さん。じゃ、こちらのお客様はこれ」
「うん。……えっと、全部で580円になります」
 俺がおでんを容器に詰めて、ナツがそれを精算をする。店での役割とほぼ同じだったから、大きな問題も慌てることもなく順調に営業を続けることができた。
 そのあとも客足は途絶えることなく、日付けが変わるくらいの時間には持っていったおでんはほとんど完売となったのだった。

「かんぱ〜い!」
 品切れ続出のため予定よりも数時間早く店へと戻ってきた俺たちは、普通に営業をしていた店の手伝いをして店が閉店してから祝杯を上げていた。おやじは俺たちの屋台が大成功したと知って営業時間中からがばがばと酒を呑み、すでにがーがーいびきをかいて眠ってしまっていた。
「なにはともあれ、成功してよかったな、ナツ」
「……うん」
 普段はほとんど酒を呑まないナツが、今日は断ることなく俺の酒に付き合ってくれている。たぶん、ナツも屋台が成功して嬉しかったんだろう。
「明日もまた出るか。でも、二日に一日って感じにしたほうがいいかな……」
 店のほうも心配だし……と俺がぶつぶつ言ってると、突然肩にことんと重みがのった。何かと思って見てみると、そこには茶色くてふさふさしたものがあって。
「……ナツ?」
 柔らかい毛に手を伸ばし、撫でるように手を動かすと、小さな声が聞こえてきた。
「ごめん。最初……あんなに反対して」
「え?」
「行きたくないって言って、ごめん」
「ああ、あれか。いいさ別に。結局一緒に行ってくれたんだから」
 ほぼ半日くらい前にここで繰り広げたナツ説得大作戦のことを思い出し、俺はからからと笑った。
「だけどお前、なんであんなに行くの嫌だったんだ? 確かに寒いのは苦手なんだろうけどさ」
 俺が最初にこの話を持ち出したのはけっこう前のことだが、そのときは「いいね」と言っていたんだ。それが今日になって「行きたくない」って言い出して……俺がとまどうのも無理ないだろ?
 ナツは持っていたグラスを手の中で揺らしながら、ぼそりぼそりと話し出した。──俺が目玉をひんむいてしまうようなことを。
「だって……太一はかっこいいから、お客さんが太一のこと好きになっちゃうかもしれないって思ったんだもん」
「……へ?」
「店の前と違って駅前なんて女の人もたくさん通るし……男だって、太一みたいな人のことは好きだろうし……」
「ちょっ、ナツ?」
「だから…太一が外に行くの、嫌だった」
 俺はナツの突然の告白に、目を白黒させることしかできなかった。
(な、何を言ってるんだ、ナツは!?)
 こんなに口数の多いナツなんて初めてだ。しかもこんなに歯切れよく話してるナツってのも。
 これは完全に酔っているなと、俺はすぐさま思いついた。酒に弱いとは言ってたけど……コップ一杯でこうなるとは、さしもの俺も予想していなかった。
 つまり、今のナツの言葉を要約すると……『俺が他の奴に取られるのが嫌だった』って、こと?
 驚くべき事実が明らかになり、俺の全身の血は沸騰した。ナツにそんなふうに言ってもらえる日がくるなんて……(涙)。
「太一……俺のこと、嫌いになった?」
 俺の洋服の腕の部分をきゅっと握ったまま、ゆっくり顔を上げて俺を見上げてくるナツ。ほんの少しだけ赤く染まった頬は、なんともいえないくらい色っぽく見えて。
「そ、そんなわけないだろっ。ナツが焼きもちやいてくれたなんてさ、嬉しくて飛び上がっちまうぜ!」
 慌てて視線を遠くに泳がせて言うと、ナツは、
「……よかった」
 心底安堵したって感じでそう言った。その声を聞いた瞬間、俺の脳ミソはどっかんと噴火した。
「ナツっっ!」
 細くて頼りない肩をぐっと抱き寄せ、酒のせいか無抵抗な様子に我慢できなくなって、その形のいい唇を奪っていた。
 普通の人より少しだけ体温の低いナツの唇。それを夢中で味わいながらも、俺の欲望はメラメラと音を立てて燃え盛りはじめていた。
「ん……」
 目を閉じたまま、俺の唇を受け入れるナツ。俺は何度か唇を離してから、ナツの口の中にゆっくりと舌を侵入させた。──それでも嫌がらないってことは、このまま続けてもいいってことだ(と勝手に解釈した)。
 俺がナツの背中に手を回すと、ナツもゆっくりと俺の背中に手を回し、きゅっと抱きついてきた。その感触に、俺は思わず泣きそうになる。
(ナツが俺に抱きついてくるなんて──!!)
 明日は槍が降るかもしれない。──つまり、初めてだったのだ! ナツがこうして俺を求めてくるのは!!
 俺はさらに舞い上がり、調子に乗って次なる行為へと期待を持った。今まではなんとなく切り出すこともできずにいたけど……今だったら、いけるかもしれない。
「ナツ。俺のこと……好きだよな?」
「うん…好き」
「じゃあ──しても、いいか?」
 あまりにダイレクトすぎる問いかけかとも思ったが、もう遅い。ナツは俺を見上げたまま、どう返事をしようか迷うような顔をしていた。
 そのままじっと目を見つめられて、自分の邪すぎる考えにナツが泣き出したらどうしようかと思っていると──
 なんとか決心がついたのか、ナツは俺の胸に顔を押しつけて
「……いい、よ」
 と小さく頷いたのだ!(それはもう、たまらない色っぽさで!)
「ナツ……っ!!」
 俺はナツの細い体を力いっぱい抱きしめ、唇を顔中に走らせた。それからゆっくりと耳や首筋へと移動させる。貪るような勢いになりそうなのを、ナツは初めてなんだからと諌めつつ。
 だがナツは、俺の舌の動きにもときどきぴくっと体を震わせるだけで、大して反応を見せなかった。
(もしかして……俺が下手クソってこと……?)
 そんなことってあるのか!? 今まで付き合ってきた女はどいつも「太一ってうまいよね」って言ってくれてたのに!?
(まさか、しばらくそういうことから遠ざかってたから腕が落ちた……?)
 信じられない事実に俺は恐る恐るナツの顔を覗き込み……それから、大きく脱力した。
 なんとナツは俺のテクニックに感じることもなく、すぴすぴと眠っていたのだ! 無邪気な顔をさらしたまま!!
「……こういうオチ?」
 腕の中でぐっすり眠りについているナツを見下ろし、ぽかんと放心状態のまま俺はしばらく動けなかったのだった。

 ちなみに、翌日ナツに「昨日のこと覚えてるか?」と聞いたら、
「……なんのこと?」
 と目をぱちくりとされてしまった。結局俺たちが深い仲になるにはまだまだ長い道のりが待ちかまえているようだ。とほほ……。


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