「よーし行くぞ、最初はグ−!」
「じゃんけんぽんっ! ……うわ−!」
「よっしゃ!! 俺の勝ちな!」
「なんだよー、また俺の負け!?」
「悪いね、今日も頼むわ」
「ちくしょー、なんでこういうときだけ勝てないんだぁ!?」
ぶつぶつわめきつつ、ママチャリのサドルに跨がる大和。
俺は笑いながら、そのママチャリの後ろに座った。
「よし! 行け! 大和!」
「く〜、ちくしょ〜!!」
文句を垂れつつ、先に言い出したのは自分だと諦めがついてるのか、たいして抵抗もせずにチャリは走り出した。
俺は大和の制服の裾をつまみ、その広い背中にそっと頭をもたせかけた。
大和にはおかしな癖がある。
癖といっていいのかわからないけど、じゃんけんをすると必ず最初にグ−を出すんだ。
前に何度かそのことを指摘してやったのに相変わらずグ−ばっかり出すから、逆にこれは使えるって思っちゃったんだよな、俺。
──そう。例えば今、とか。
俺たちは同じ高校のバスケ部に入ってるから、いつも帰りが一緒で。ちなみに家も近いから朝も一緒だったりするんだけど、だいたい大和のチャリに2ケツして登下校してるんだ。
んで、いつも前と後ろを決めるためにじゃんけんするんだけど──大和がグ−しか出さないってわかってる俺は、いつも必ずパーを出している。だから大和は高校に入学してから1年半、ほぼ毎日のように俺を乗せてチャリを漕いでるんだ。
(いいかげん、自分で気づいてもおかしくないだろ……俺もいっつもパー出してるんだから)
そうは思っても、昔のようにそれを言ってやらない俺。
こうして大和の漕ぐチャリの後ろは……俺にとっては特別な場所だから。
いつからとか、どうしてとか、そんなことは自分でももうよくわからない。
ただ、気がついたら大和のことが好きになってた。友達以上に大事な存在として。
いつも一緒にいて、それが当たり前になっていて──助けあったり励ましあったりして築いてきた関係が崩れてしまいかねない感情に、今も本気で悩んでる。
打ち明けるつもりは全然ない。だけど、諦めることもできそうにない。
少しでも長く大和と一緒にいたくて、こんなずるいことをしてでもそばにいるんだ。
……もちろんずるいことってのは、じゃんけんのこと。
いつか大和にバレて、『卑怯』とか『汚い奴』って言われてもいい。だって、こうして一緒に帰れなくなったときに後悔したくないから。
大和に彼女ができて、この場所が彼女のものになるときが──きっと、いつかくるから。
そのときは快くこの場所をその娘に渡したいから……だから、俺だけのものである今だけは、1回でも多くここに座って、大和の背中を見てたいんだ。
大和の体温を、感じていたいんだ。
不思議と帰り道は、俺も大和も無口になる。朝はぎゃあぎゃあ騒ぎながら行くのに。
だけどこの沈黙は重苦しいものじゃない。むしろ、張り詰めていたものがふっと緩むような気さえする。
見慣れた町並みを大和のチャリは走っていく。衝撃を抑えるために、マンホールやデコボコした道を慣れた様子で避けながら。
俺は口に出して言えない想いを、大和の背中に向けて吐息と一緒に吐き出す。
ほぼ毎日の習慣となりつつあるそれに、陰気くさいぞ自分、と頭を切り替えようとする。でもそれは今日もうまくいきそうになかった。
大和の運転してくれるチャリに揺られると、なんだかすごく感傷的になってしまうのは……なぜなんだろう。
「なあ、武志」
ふいに、大和が口を開いた。俺は大和の背中にもたせかけてた頭を慌てて起こす。
「ん?」
「コンビニ寄ってかねぇ? 腹減っちまった」
「え? あ、ああ、いいよ」
「じゃあ、じゃんけんで負けたほうが肉まんおごる。どうだ?」
「肉まんだけ? カレーまんとジュースもつけるってのは?」
「うっ! ……いいぜ」
自分が負けたときのことを考えたのか、一瞬言葉に詰まった大和。だけど引き下がることはしないで、潔く俺の提案を受け入れた。
いつも負けてるのに、じゃんけんでの勝負を挑んでくる大和がかわいくて。
俺は今日もわざと負けてやろうと心に決めた。
「ありがとうございましたー」
ほくほく顔でコンビニから出る大和。その後ろを、おもしろくないって感じの表情を作って歩く俺。
「悪かったな! ホントに全部おごってもらっちゃって!」
「遠慮しろよ、ったく」
口ではそう言いつつも、内心はニヤけてる。
こんな笑顔が見れるなら、肉まんくらいいくつだっておごってやってもいい。なんて思ってしまう俺は、かなり重症なのかもしれない。
「公園寄ってこーぜ」
「ああ」
チャリを引いて、コンビニの近くにあった公園へと歩いていく。そのまま自然と無言になる。
日も暮れて公園はすっかり人気がなくなっていた。街頭も小さいのしかついてないから、夜は1人だと危ないかもしれない。
ベンチに並んで腰かけて、しばらくはお互い黙ったまま肉まんを頬張る。
チャリに乗っているときの沈黙とは少し違う空気が、俺と大和を包んだ。
(……なんだろう)
さっきまで陽気に話してた大和が黙り込んでしまったから? それとも……俺が意識しすぎてるだけなんだろうか。──鼓動が早い。
そのとき突然、大和が呟くように話し始めた。
「おまえさ、気づいてた?」
「……何に?」
「じゃんけんする前に、じーっと目ぇ見るの」
「──誰が?」
「だから、おまえ」
「俺?」
「そ、おまえ。いつも俺の目をじーっと見てから何出すか決めてるみたいだぜ」
「…………そうか?」
全然気づいてなかった、そんなこと。大和と目が合ってることさえわからなかった。……たぶんそれが、無意識の行為だったからだろう。
大和が自分の癖にまだ気づいてないよなって、確認するために見てたのかもしれない。
「大和が何出すか目ぇ見て読んでるんだろ、きっと」
最後の肉まんを口に押し込んで、2、3回噛んで飲み込もうとして喉に詰まってむせてしまった。そんな俺の背中を、大和は「何やってんだよ」と苦笑しながらたたいてくれた。
「ご、ごめんっ」
今のは思いっきりあやしかったか!? って、後悔しても遅いけどっ!!
だけど俺の様子なんかどうでもいいらしい大和は、さらに俺を追い詰めるようなことを言ったんだ。
「それと──おまえ、俺に隠してることあるだろ」
「な、なんだよ急に」
「そんな気がする。違うか?」
『違う』と即答しようとして──なぜか、口が動かなかった。本当に隠してることがあるから? だとしても、本当のことなんて言えない。
じゃんけんでずるしてることも、大和が好きなことも。
「なに隠してるんだよ」
「別に、大したことじゃないよ」
「じゃあ、じゃんけんで言おうぜ」
「えっ?」
「俺もおまえに言ってない秘密話すからさ」
「そんな──」
思いがけない大和の申し出に、俺はうろたえて視線を宙にさまよわせた。
(だって大和……自分がじゃんけん弱いってわかってるくせに)
弱いとかの問題じゃなく、必ず最初にグーを出してしまうからなんだけど……そのことに自分では気づいてないはずなのに。
それでも大和は、負けることなんか気にしてない様子で右手をぐっと握って前に突き出した。
「じゃんけんで、負けたほうが言うのな」
「ちょっ……待てよ!」
「いくぞー、最初はグ−!」
(勝てばいいのか……負けたほうがいいのか!?)
頭の中で計算する。大和はグ−を出してくるから──
(パーで勝つ!)
焦りながらも答えを出す。こんなところで簡単に話せるような秘密じゃないんだ!!
「じゃんけんぽん!」
大和のかけ声と共に、俺は一瞬のシミュレーションで決めたパーを出した。
「────え?」
大和が出したのは──グ−じゃなかった。
「……俺の勝ちだな」
呆然と、チョキを出している大和の手を見つめる俺に、「話せよ、隠してること」と大和は促した。
だれど俺は何も言えず、大和の手から動かした視線で今度は自分の手を見つめたまま固まっていた。
(どうして……グ−じゃなかったんだ?)
大きな不安が胸に広がっていく。
まさか……まさか、大和────
目の前が真っ暗になりはじめたとき、静かな声が放心状態の俺を揺さぶった。
「グ−じゃなくて驚いた?」
「────」
「俺がいつもグ−しか出さないから──おまえ、そのときによって出すの変えてただろ」
「…そ、れは──」
「チャリんときはいっつもパー出すくせに、なんかおごるとかもらうとか、そういうときは絶対チョキ出すよな」
ジュースを飲みながら、何気ないふうに言う大和。
俺は固まったまま、大和の顔から目が放せなかった。
(大和は知ってた? 俺がわざとそうしてるって)
「……いつ、気づいた?」
聞く声が震えてる。みっともない。これで全身が震えだしたら、さすがにおかしいと思われるだろう。
「わりと最近。いつも俺がチャリ運転してんじゃん? さすがに1回くらい勝ってもいいんじゃないかって思ってさ。そのときから自分が何出して負けてるのか気にしてみたんだ。
そしたら俺、いっつもグ−しか出してなかったんだよなー」
「……」
『気づくのおせーよ』って、いつもだったら笑いながら言ってるだろう。だけどそのときの俺にそんな余裕はなくて。
頭に浮かんだ言葉を、ボロがでないように組み立て直して言うことしかできなかった。
「だ…だってさ、いつかおまえに彼女ができて…彼女と一緒に学校行ったりするようになれば、楽できなくなるだろ? だからおまえがフリーのうちに使ってやろうって思ったんだよ。ほら、俺のチャリボロいから」
じっとこっちを見つめてくる大和の目が見ていられなくなって、俺はベンチから立ち上がり大和に背中を向けた。
こんなことで知られたくない。自分の本当の気持ちなんて。
ものすごい勢いで胸に迫ってくる恐怖心を打ち消すように、両手をぎゅっと握りしめた。
俺の気持ちを知ってか知らずか、大和はさらに言い募ってくる。
「じゃあなんで、おごるとかもらうとかってときは必ずチョキなんだよ。パーでいいだろ?」
「それはっ! ……それは、俺ばっかり勝ってたら、さすがに大和に気づかれると思ったんだよ!」
言えない。大和の喜ぶ顔が見たくて負けてたなんて。そんなことを言ったら、気づかれてしまう。──大和を好きな自分の気持ちを。
「──そっか」
そう言ったきり黙り込む大和。……何も言えない、俺。
そのまま数分間沈黙が続き、それに耐え切れなくなった俺は重たい口を開いた。
「……なんで、気づいたときに言わなかったんだよ」
「あ?」
「…じゃんけん。俺が、そのときに合わせて出すの変えてたってわかったときに……」
振り返る勇気はなかったけど、自分のずるい行為を大和がいつから黙認していたのかは気になって、恐る恐る聞いてみる。だけど何を言われるのか──返事が怖かった。
大和は俺の問いにどう答えるか考えていたのか、しばらく黙ったきりで。
それでも、俺の心臓が壊れてしまう前に口を開いてくれた。
「……ホントは俺、おまえを後ろに乗せて走るの嫌いじゃないんだ」
「……えっ?」
「だけど、いつもおまえにおごってもらったり物ゆずってもらったりするのは嫌なんだよ」
「──────」
「おまえが必ずチョキ出すから……俺のがいつもいい思いしてただろ? おまえなんにも言わないから気づけなくてよ」
大和の思わぬ言葉に、俺はパニックに陥った。
「そんなのっ……じゃあ、大和がパー出せばよかっただろ!? 俺が必ずチョキ出すってわかった時点で!!」
(そうすれば、俺も大和も──うまくやっていけたのに!)
もはや俺の思考はめちゃくちゃだった。大和がそうしていても、うまくやっていけたかどうかなんてわからないのに。
俺とは対称的に落ち着き払った大和は、勢い余って体の向きを戻していた俺をじっと見つめた。
「そんなことできるかよ。俺が常にグ−出すってわかってたから、おまえはそのときによって出すもの変えてたんだろ?」
平然と、こともなげにそんなことを言われて、俺は一瞬耳を疑った。
「……どういうことだよ? 俺が……大和の癖を利用してたの気づいてて……なんでグ−出してたんだよ?」
大和はベンチに座ったまま、俺の目を捕らえて──「俺が先に言うのかよ」と呟いてから、静かに……話しだした。
「……さっき言ったの、ウソだよ。おまえを乗せて走るの──『嫌いじゃない』じゃなくて、『好き』なんだ」
「へ……?」
「おまえが俺の背中に頭乗っけるの……最初はムカついてしょうがなかったけど、いつのまにかそれがあると安心って感じになっててさ。冬は特に、あっためてもらってるみたいな感じだったし」
「……なんだよ、それ」
「いや、マジで。おまえがそばにいるとあったかくて…楽しいんだよな、いつも」
「────」
「一緒にいるのが当たり前だったろ? だけどおまえも言ってたように、いつおまえに彼女ができて一緒に帰れなくなるかわからねぇじゃん。だから気づいてても言えなかった。できれば卒業するまで、おまえを後ろに乗せていたかったからさ」
大和はそこまでを一息に言うと、射るような視線を俺にぶつけてきて。
「ほら、言えよ。お前が隠してること」
俺も言っただろ、と呟く声に、俺は再び大和に背中を向けていた。
体中の血液がものすごい早さで流れてる。心臓がばくばくうるさくて、何も考えられない。
「──武志」
名前を呼ばれ、ざっと砂を蹴る音がして、次の瞬間にはぐっと腕を握られていた。
大和のほうを振り返れない。だけど…もう、言わなければ。ここでシラを切り通せるほど、俺はウソがうまくないんだ。
「…………す、きなんだ…俺。大和のことが……好きなんだ。友達としてじゃなくて……そういう意味で、さ」
こんな形で言うことになるなんて、思ってもみなかった。あまりの恥ずかしさに、俺は地面を睨んだまま顔をあげることができなくなる。握られている手が、熱い。
「大和のチャリの後ろに乗りたくて……おまえがグーしか出さないってわかってて、じゃんけんに勝ってた」
声が震えて、気が弛んだら泣いてしまいそうだった。とうとう言ってしまった。俺の、ずっと隠し通したかった本音を。
「……気持ち悪いって、軽蔑していいぜ。もう友達じゃないって言われても……仕方ないし」
振り払わなければと思いつつ、それでも自分からは振りほどけない手をそのままにして言った俺に、大和は「バーカ」と冗談っぽく言った。
「なんでだよ。別に気持ち悪くなんかねぇし、それに」
ぐっと手を引かれ、大和と目が合う。俺の予想に反して、大和は真剣な表情をしていた。
「それに俺も──お前と同じ気持ちなんだからよ」
「ウ、ソ…………」
「ウソじゃない。おまえが俺を好きになったんだから、俺もおまえと同じ意味でおまえのことを好きになったっておかしくないだろ?」
そんなの理屈にならない。わかってるのに、そうかもしれないって信じようとしてるのは……やっぱり好きだからなのか?
「さっきも言っただろ? 俺はおまえを乗っけてチャリで走るのが好きなんだって。卒業するまで──卒業してからも、2ケツしたいんだよ、おまえと。
……好きなんだよ、武志が」
「──大和…………」
頬を染めた大和が一歩俺に近づき、両手を広げて俺を胸に埋めた。
背中に回された大和の腕が、俺の身体をぐっと抱きしめてくる。
「これからは、じゃんけんなんかしなくてもおまえを俺のチャリの後ろに乗っけてく。──いいだろ?」
大和の言葉が耳に響いて、俺はただ頷くことしかできなかった。声を出したら大声で泣いてしまいそうだったから。
「だからじゃんけんは、普通にやろうな」
大和の腕の中は、想像してたよりずっと……暖かかった。
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