感謝の気持ちをたっぷり込めて。



 須賀さんと付き合い始めて1月ほどで、俺は誕生日を迎えて25歳になった。そのときに彼はサプライズで俺の誕生日を祝ってくれて。初めて2人で飲みに行ったときから行きつけになっている居酒屋で、いつものように酒を飲んでたらマスターの手作りケーキが出てきて本当に驚いた。
『気に入るかわからないけど、よかったら使って』
 ちょっと照れたような顔で、リボンのかかった長方形の箱を渡されて。その場で開ける許可をもらって恐る恐る箱を開けると、中から出てきたのは紺色のネクタイだった。正確には、白やグレー、藍色の太さが不均等なストライプが紺地に斜めに走っている、自分じゃ絶対に買わないようなセンスのいいもので。
『こんなオシャレなネクタイ、俺には似合わないですよ』
 内心すごく嬉しかったのに思わずそんなネガティブなことを言ってしまった俺に、それでも須賀さんは気分を害した様子もなくニコニコ笑って、
『そんなことないよ。久保井君は体格がいいんだから、これくらい派手なのしてても全然おかしくないって』
 だから会社に行くときにも使って欲しいな。楽しそうにそう言われて、俺は思わず泣きそうになってしまった。
 彼が俺のことを考えて、俺のためにこれを選んでくれたことが嬉しくて。いつまで経っても後ろ向きな性格の俺のことを理解して、俺がすんなり受け入れられる言葉をくれるその優しさに、俺はいつも救われていた。
 実際身に着けてみても華やかなネクタイは違和感が強くて最初は落ち着かなかったけど、会社の同僚たちに「お、そのネクタイいいじゃん」と何度か言われてやっと自分に似合っているのかもと思えるようになった。今では自分の手持ちの中でも一番の気に入りになっていて、だから自然と出番も増えて行きつけの食堂で須賀さんとばったり会ったときにもこれを身に着けていたんだけど……彼がこのネクタイを見てふにゃっと笑ってくれたときは胸の中がじんわりどころじゃなく熱くなってしまって大変だった(その後彼から送られてきた『ネクタイ使ってくれてありがとう』のメールに軽く泣いたのは内緒だ)。
 そんな最高の誕生日から約半年、今度は彼の誕生日がやってきた。俺にとっては待ちに待った日であり、そしてほんの少し不安も感じる日。
 俺を喜ばせてくれたように彼のことも喜ばせてあげたい。それは当然の気持ちだったけど、俺はもともとそんなに気が利くタイプの人間じゃないし、彼がしてくれたようにサプライズを考える脳もない。だから何をしてあげれば彼が喜ぶのかわからなくて、気ばかり焦ってなんの計画も立てられないままじりじりと日々を過ごしてしまった。
 須賀さんは本当にいい人だから、俺が何をしてもきっと喜んでくれるとは思う。だけど俺が思いつく方法じゃ、彼に俺が感じている気持ちを伝えるには足りていない気がして──彼と出会えて俺がどれだけ幸せになれたか、どれだけ彼に感謝しているか、それをどうやって伝えたらいいのか、最近の俺はずっとそんなことばかりを考えていた。
 ああでもないこうでもないといろいろ考えて。そして、とうとう彼の誕生日を迎えてしまった。

 週末が休日の俺たちは、金曜日の仕事上がりに合流してそのまま週末を一緒に過ごすパターンが多い。もちろんどちらかに予定があればその限りじゃないけど、予定が入ることのほうが少ないからほぼ毎週のように会っているようなものだ。
 今日はその金曜日、そして運良く須賀さんの誕生日当日だ。
 俺の誕生日は平日で、須賀さんは零時きっかりにメールを送ってきてくれた。それだって本当に嬉しかったのに、サプライズはその週の金曜に仕掛けられていた。でも同じことを自分ができるとは思わなかったから、初めての彼の誕生日が会う予定のある日で本当によかったと思う。
 定時に仕事が終わったことにほっとしつつ彼にメールを送ると、彼も今日は残業がなかったようですぐに返事がきた。『どこかに飲みに行く?』と書かれたメールに一瞬どきりとしつつ、『とりあえず駅で合流しましょう』とだけ打って足早に駅に向かう。
 彼が『どこかに』と言うときは特に行きたい場所があるわけじゃなく、『どこでもいいから一杯引っ掛けたいからその辺の店にしよう』ってときが多い。俺は彼と一緒ならどんな店でもいいからいつもその意見に賛成するけれど、今日はそういうわけにはいかないんだ。
(気づかれていませんように!)
 俺の浅はかな作戦に、聡い彼が気づいていたら恥ずかしい。だから必死に気づかれている可能性を否定しながら駅までの道を歩いた。
「あ、久保井くーん」
 俺が駅に着くと、須賀さんはすでに改札前で待っていた。俺の会社より須賀さんの会社のほうが駅に近いとはいえ、今日の主役を待たせてしまったことに内心焦ってしまう。
「すみません、遅くなりましたっ」
「ぜーんぜん待ってないよ。で、どうしよっか?」
 腕時計を確認しながら次の行動を決めようとする彼に、このままいつものように行き先を提案されてしまうんじゃないかとさらに焦る。そのせいで俺は、彼にサプライズを勘付かせないようにするなんて配慮も忘れて口を開いてしまった。
「あの! 今日は、俺の家に来ませんかっ?」
「へ?」
「ちょっと、須賀さんに見てもらいたいものがあって……っ」
「見てもらいたいもの? なに?」
「あの、それは──実際見てもらったほうが早いというか、え、と……」
 軽く目を見開いて俺を見る須賀さん。訝しむ感じではなく、純粋になんで? と思っている顔だ。だけどこれ以上は言えない。言ったらサプライズにならないし……!
 額に浮かんできた汗を拭いながらうまい言葉を考えていると、
「久保井君がいいならいいよ。誘ってくれるなんて嬉しいし、見せたいものっていうのも気になるし」
 須賀さんはいつものようにカラッとした笑顔で言って、それじゃ行こうかと早速改札を潜ろうとした。俺は慌ててそれに続き、(サプライズ……バレてない、よな?)と不安になっていたのだった。

 俺たちの家の最寄り駅である目黒駅に着き、彼の家とは反対方向にある俺の家に向かって歩く。
「何か買っていかなくていいの?」
 途中で須賀さんにそう聞かれたけれど、「とりあえず家に着いてからってことで……」と意味のわからない返事をして。小さく首を傾げたきり特に追究されなかったのをいいことに、俺は自分の家に向かってずんずんと歩を進めた。
 最初の頃は俺が須賀さんの家に行って泊まらせてもらうばかりだったけど、俺が思い切って誘ってからは彼が俺の家に来ることもある。といっても、まだ五回だけだけど。俺の家より須賀さんの家のほうが広いし過ごしやすいから、やっぱり誘い辛いんだ。
 でも今日だけはどうしても俺の家に来てもらわなければいけなかった。俺が必死に考えて、そしてなんとか用意することができたサプライズは、俺の家でしか準備できなかったから。
「あの、いつものように散らかってますけど……どうぞ」
「いつも散らかってないから平気だって。お邪魔しまーす──ん?」
 玄関の鍵を開けてドアを開き、口癖になっている言葉と共に彼を家の中に招く。彼もいつもと同じように言葉を返してきながら家の中に足を踏み入れて、何かに気づいたように一度だけきょろりと顔を左右に巡らせた。
「なんか……いい匂いがする? なんだろこれ、料理?」
「あ、あの──まぁ、上がってください」
 限界だ。もうバラしてしまいたい。玄関で立ち止まったままいつもとの違和感を探ろうとする彼に、これ以上隠すのは難しいと判断した俺は急き立てるように彼の背中を押した。言い当てられてから打ち明けるなんて、そんなの恥ずかしすぎる。それならいっそもう渡してしまえばいいんじゃないか。俺の精一杯の、俺なりの彼への感謝の気持ちを。
 俺の家はワンルームタイプのアパートで、玄関から入ってすぐに風呂とトイレ、そしてキッチンスペースがある。一度部屋に入ってから改めて言うよりその場で見せてしまったほうが早いと、俺はキッチンスペースに向かい冷蔵庫からタッパーを取り出して震える口を開いた。
「あの、須賀さん」
「ん?」
「お誕生日、おめでとうございます。……あの、俺のときとは全然違って申し訳ないんですけど……よかったら、これ……」
 密封タイプのタッパーをテーブルに置き、うまく動かない指を無理やり動かして蓋を開けて中に入っていたそれを彼に見せる。
「これ、──大学いも?」
「あの……マスターに教えてもらって、作ったんです。あの味とはちょっと、というか全然、違うかもしれないんですけど……」
「…………」
「あ、のっ、これだけじゃなくて、その、一応一通り──シチューと、肉じゃがと、シーザーサラダと、五目ご飯も作ったんですけど、…………統一性のないメニューであの、本当に申し訳ないんですけど……っ」
 シチューと肉じゃがは鍋の中、シーザーサラダは冷蔵庫、五目ご飯は炊飯器の中でスタンバっている。どれもこれも昨日から作ったものだ。彼の誕生日が暑い季節じゃなくて本当によかったと思う。
「ケーキだけは、……俺ホントに才能ないみたいで、うまく作れなくて……買ってきたものなんですけど……」
「……久保井君」
「はっ、はいっ?」
 俺の声を遮るように落とされた沈んだ声。それを耳にした途端、なんとか動かしていた口が言葉を失くす。やっぱり気に入らなかっただろうか。年に一度の誕生日なんだし、ちゃんとしたお店で美味しいご飯を食べたかったんだろうか。俺は──余計なことをしてしまった、んだろうか?
「〜〜もう、もうっ!! なんで君はそんなに可愛いのかなぁ!?」
「ふぁっ!?」
 突然身体に走った衝撃に、テーブルに落としていた視線を上げれば背後から須賀さんが抱きついていて。俺より小柄な彼がぎゅうぎゅうと両腕で俺の胴を締めつけてくるのがちょっと苦しくて何事かと身を竦めていると、彼は俺の背中に頭をぐりぐりと押しつけながらテンションの上がったときの口調で言い募ってきた。
「今日は俺の誕生日だし、もしかしたら久保井君も何か用意してくれてるのかなって期待してたけど! おうちにお呼ばれされたときにはかんっぜんに期待してたけど! でもこれは予想外だった! 予想外すぎて心臓止まるかと思った! 大学いもの作り方をマスターに教わったって!? なにそれそんなのいつ聞いたの!? それにシチューに肉じゃがにシーザーサラダに五目ご飯て、それ全部俺の好物じゃん! 俺別に話してないよね!? 今までの俺の行動で全部気づいてくれてたっていうの!? そんでわざわざ全部作ってくれたの!? あ〜〜ヤバい! 久保井君が可愛すぎてヤバい!!」
「えっ、ちょ……須賀さんっ?」
「マジで嬉しい。嬉しすぎて幸せすぎて俺マジ泣きしちゃいそう。ありがとう久保井君、最高の誕生日になったよ。俺、君の事好きになって本当によかった。本当に本当によかった!」
「!」
 それは俺のセリフだ。俺の誕生日のときに、俺が須賀さんに伝えたかった言葉だ。まさかその言葉を彼から言ってもらえるなんて。
「……俺も、俺も須賀さんと知り合えて、好きになって、好きになってもらえて、本当に嬉しくて、だ、だから、せっかくの誕生日だから、須賀さんに喜んでもらいたくて──こ、こんなことしかできなかったですけど、でもこれが、俺の、俺の精一杯の、気持ち、です」
 泣くつもりなんてなかったのに、湧き上がる感情が抑えられずに溢れ出す。嬉しくて泣いたことは今までにもあったけど、こんなに幸せな気持ちで涙を流したことなんてなかった。幸せな涙ってなんて熱いんだろう。熱すぎて頬が赤くなってきている気がする。絶対気のせいじゃない、耳の先まで赤くなってるのがわかる。
「須賀さん、俺のことを好きになってくれて、本当にありがとうございました。これからも、一緒に過ごせたら嬉しい、です」
「過ごせるよ。次の久保井君の誕生日も、一年後の俺の誕生日も、その次もその次もずっとずーっと一緒だよ」
「……はひっ」
「あははっ、すごい顔してるよ久保井君。鼻水垂れちゃいそうだよ」
 俺の身体から離れた須賀さんが俺の顔を覗き込んできて笑ったけど、彼の目も珍しく潤んでいるのに気づいて非難する気にはなれなかった。ああ、なんて幸せなんだろう。こんな恥ずかしい顔を見られてもいいと思える相手がいる今が本当に幸せで、幸せすぎて──どうにかなってしまいそうだ。
「須賀さん、あの……」
「ん? どうした?」
「キスしたいって言ったら、あの……ダメ、ですか……?」
「〜〜〜〜ダメなわけないじゃんかあああ!」
 唐突にそんな気分になってしまい恥ずかしさを押し殺してお願いしてみたら、須賀さんはすぐに濃厚なキスをしてくれて。
「料理はあとでゆっくり堪能するから、先に一番のご馳走を食べさせて」
 なんて言われて狭い風呂に連れ込まれ、そのまま熱い時間を過ごすことになってしまったのだった。

 ──ちなみに俺の用意した誕生日プレゼントは料理だけじゃなくもう一つあった。芸がなくて本当に申し訳ないけど、彼がくれたネクタイが本当に嬉しかったから俺も彼にネクタイをプレゼントしたくなって、あちこち探し回って彼にぴったりだと思った一枚を贈ってみたんだ。
 濃緑の地に白い水玉が散ったもの……に遠目からは見えるけど、近づいて見ると白い水玉は実は薄ピンク色のハート型で。これこそ着る人を選ぶ一枚かもしれないと思いつつ、彼なら絶対に似合うと思ったし、実際身に着けて見せてくれた彼にすごくよく似合っていた。
 彼はネクタイのプレゼントにもすごく喜んでくれて、だけど少しだけ意地の悪い笑顔でこんなことを言った。
「久保井君も俺に『首ったけ』ってことだね? 俺めちゃくちゃ愛されてるって思っていいんだね?」
 そのとき須賀さんに聞いて初めて知ったけど、ネクタイには『あなたに首ったけ』なんて意味を込めて贈る場合があるらしくて。
「俺はもちろんその意味を込めて贈ったからね? 俺は久保井君にぞっこんだから」
 なんてことをごくごく普通に言われて、俺が言葉に窮したのは言うまでもない。
 ……俺だって須賀さんにぞっこんだから、別にその意味で受け取ってもらったっていいんだけどさ。


久保井君が可愛すぎて辛い。

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