誘い受け・聖なる夜に……*1*



『ごめんなさい、橘さん……』
 沈みきった声で宮森から電話がかかってきたのは、今日の夕方のことだった。
『仕事でちょっとヘマしちゃって、これから出張になっちゃったんです……』
『そうか、それは大変だな。頑張ってこいよ』
『それであの、ですね……』
『あ? どうした?』
 いつになく歯切れの悪い口調に内心イライラしながら、しかし仕事中で周りに同僚がいる場で怒鳴り声を上げるわけにもいかず、押し殺した声で聞いてみる。なぜこの俺がこいつに対して気を遣わなければならないんだ。
 だが俺のムカつきに気づいてないのか、宮森はおどろおどろしい声でようやく本題を切り出した。
『トラブルが解決するまで帰れそうにないんですけど、いつ帰れるか未定なんです。最悪数日かかっちゃうかもしれなくて……』
『ああ、そうか。大変だな』
(なんだ。この世の終わりのような声で何を言うかと思えばそんなことか)
 ったく、俺だって年内に終わらせなければならない仕事が残っていて大変なんだ。その程度のことで電話なんかしてきて時間を取らせるなよ。
 どうでもいい内容に通話を切ろうかと思ったが、話の途中で切ってもこいつのことだ、絶対かけなおしてくるに違いない。
 仕方なく携帯を耳に当てたまま手に持っていた資料に目を通し始めると、電話の向こうから情けない声がした。
『そうかって……それだけですかぁ?』
『──あ?』
『明日から連休ですよ? しかもクリスマス!』
『あ? ……ああ、そんなことか』
 悲壮な声を上げてるから何事かと思えば……こいつの悩みは本当にろくでもないな。
『クリスマスはどこででも楽しめるだろう。出張先で楽しめば──』
 理由がわかれば長々と話し続けるのも馬鹿らしくなり、早々に話を終わらせようとした。が、イベント好きな馬鹿男は俺の言葉を最後まで聞かず、食ってかかるようにがなりたててきた。
『そんなこと!? そんなことってどーいうことですか!! クリスマスに恋人に会えないなんて大事でしょう!?』
『ああ、そうだなー』
『今年はおあつらえむきに連休だっていうのに──なんでせっかくのイベントを潰されなきゃならないんだっ!!』
『なんでって、お前がヘマやらかしたせいだろ』
『それはそうなんですけど〜〜!! でも、こんなときに呼び出してくるなんて酷すぎますよ! 絶対向こうの担当者は恋人がいないんだっっ!!』
『そう言うなよ。お前だっていないだろう?』
『えっ!?』
 適度に聞き流しつつ返事をしていたが、宮森が突然驚いたように声を上げてから絶句する。不自然すぎる沈黙にどうしたと声をかけようとしたが、それより先に劈くような悲鳴が聞こえてきた。
『酷いですよ橘さん!! あんまりじゃないですか!! 僕たちもう付き合って1年以上になるんですよ!? それなのに──』
『ばっ……!』
 あまりのデカい声に思わず携帯を耳から離すと戯言がフロアに洩れ聞こえてしまったらしく、近くにいた連中が不思議そうな顔で俺を見る。それに愛想笑いを送りながら再び携帯を耳に押し当て、怒鳴りたいのを必死に我慢しつつ電話の向こうでまだ暴言を吐き続けている男に言った。
『それは初耳だな。だがおもしろい意見だ』
『えっ!? 初耳って!? た、橘さんっっ!?』
『その話は帰ってからゆっくり聞こう。今は仕事のことだけ考えていたほうがいいんじゃないか?』
『え、ちょ──っ』
『じゃあな、頑張ってこいよ』
 誰に聞かれてもいいように当たり障りのない会話をして電話を切る。そのままの勢いで携帯の電源を落として上着の胸ポケットにしまい、再び資料に目を通し始めた。
(ったく、いつまでたってもあいつの頭ん中は理解できねえな)
 脳みその中まで花が咲いてる奴の思考を理解できるわけがないのだが、それでもなんだかんだとつるんでもう2年近く経つんだ。アホな性格の片鱗くらいは掴んでるつもりだったんだがな。
(言うに事欠いて付き合ってるだと? いつそんな話になったんだ)
 俺たちの関係は最初から変わってない。俺に欲情したあいつに迫られてヤッちまったあの日からずっと、ただのセックス相手ってだけだ。──あいつはどうか知らないが、少なくとも俺はそう思っている。
 確かにあいつはことあるごとに俺のことが好きだなんだと喚き立てるが、それも恋愛感情というよりただの憧憬に近いものなのだろう。でなければ、俺のようないい年をした男にまとわりついてくる理由が浮かばない。
 いつまでもイベント事に付き合ってやっていたのが良くなかったんだろう。たまには別の奴と過ごせば目が覚めるんじゃないか。
「今年は静かに過ごせそうだ」
 短く本音を呟いてから、たった今まで話していた相手のことはすっかり忘れ仕事に戻った。


 どこかのアホ男とは違い通常通り仕事を終えた俺は、翌日から三連休に入った。
 普段から休日に外出することは少なかったが、日本中(いや、世界中か?)が浮かれるイベントが重なっていると思うだけでますます外に出る気分にはならず、連休初日から家の中で怠惰に過ごすことにした。
 事前に必要な物は買い込んであったし、見たいと思い録画しておいたテレビ番組も山ほどあったため、初日は充実した休日を過ごすことができた。
 ……翌日は寝覚めの悪い思いをすることになったが。

『ピリリリリッ・ピリリリリッ』
「うーん……」
 目覚ましとは違う電子音に無理やり意識を覚醒させられ、重い瞼を半分ほど開きのろのろと起き上がって音の発信源に近づく。
 今では聞き慣れたその音は携帯の着信を知らせるもので、実はすでに鳴っては切れてを数回繰り返していた。
「ったく、休みの日になんだってんだ」
 仕事の都合で休日出勤している奴もときどきいるが、さすがにこの週末に仕事をしている奴などいないだろう。特に今日はクリスマスイブだ、こんな日に出勤して空しさに浸ってる自虐的な奴がいるなら見てみたいものだ。
 だが、だとすれば誰がこんな時間に電話なんてしてくるんだ?
「はい、橘ですが」
 不機嫌丸出しで応えてやればすぐに話を切り上げるだろうと、思いっきり低い声で電話に出てやる。
 ──だが耳に入ってきた声は、こっちが通話を切りたくなるようなものだった。
『あっ、橘さんっ!? 俺です、宮森です!! おはようございまーすっ!』
「…………なんだ、お前か……」
 高すぎるテンションで元気いっぱいに挨拶され、わざわざ布団から出た自分を恨めしく思った。こいつからの電話だとわかっていれば、どんなにうるさくても絶対出たりしなかったのに……。
『まだ寝てたんですか〜? あ、そっか。橘さんは今日もお休みですもんねっ』
「すぐにわかりそうなことを確認する前に電話してくるな。切るぞ」
『えっ、ちょっと待ってくださいよ〜っ! 切らないで! 切らないでっっ!!』
 冷酷に言い放ちさっさと切ろうとすると、わーわーわめく声が部屋に響く。もしこいつが今すぐこの部屋に来れるなら、百万発殴ってやりたいところだ。
「……なんの用だ」
 子供が駄々を捏ねるようにうっとおしく叫び続けるアホに、これっぽっちも相手をしてやりたくはなかったが仕方なく携帯を持ち直す。この様子じゃ、今切っても絶対何度もかけ直してくるだろうからな。
 俺が話を聞く姿勢を見せたことでようやく興奮が収まったのか、それまでバカ高いテンションからは一転して(電話の向こうで深呼吸する音が聞こえた)、普通というにはまだ上擦った声で話し始めた。
『あの、俺まだ出張先なんですけど、多分今日の昼ごろにはなんとかカタがつきそうなんです!』
「……それで?」
『仕事が終わったら急いでそっちに帰りますんで、今夜は一緒に過ごせますよ!』
「──なんだと?」
『神様が頑張った俺にご褒美をくれたんですよ! 【クリスマスくらい恋人とゆっくりしなさい】って! 粋なことしますよね、恋愛の神様も!』
「…………」
 こいつの脳ミソにはうじ虫が湧いてるに違いない。半分以上停止したままの思考で、俺は本気でそう思った。
(何がご褒美だ。自分のミスが招いた余計な仕事をしてきただけだろ。『恋愛の神様』って、お前は女子中高生か)
 口に出して言えば暑苦しいテンションで「そんな〜酷いですよ橘さ〜ん!」とか言われるだけだとわかっていたからあえて何も言わなかったが、眉間に皺が寄っていくのだけはどうしようもなく。
 いつもいつもこいつのペースに巻き込まれている自分に腹が立ってきて、咄嗟にこんなことを言っていた。
「悪いが、今夜は予定がある」
『────え?』
「知人に誘われてクリスマスパーティとやらに行くことになってるんだ」
『え、じゃあ帰ってきたら連絡くれれば、それから橘さんの家に行きま──』
「何時になるかわからん。……それに、今夜中に帰れるかわからないしな」
『────』
 俺の言葉に、電話の向こうが静まり返る。苦し紛れで言ってしまったことだが、それなりに衝撃を与えることはできたらしい。だがこいつのことだ、どんな返事が返ってくるかわからない。
(『酷いですよ橘さん! 俺以外の人とクリスマスを過ごすなんてっ!』とか言うんだろうな……)
 容易に予想のつく反応を想像し、どうやって黙らせるか考える。しかし、いつものように騒ぐと考えた俺の予想は外れ、返ってきたのは冷静な声だった。
『知人って……女の人?』
「ああ、そうだ」
『橘さんに好意を持ってる人、ですか?』
「さあな。だが、そうかもしれん」
『………………そうですか』
 宮森はそうですかともう一度呟くと一瞬黙り込み、それから『わかりました』と言った。──聞き間違えたんじゃないかと思うような聞き分けのいい言葉を。
『じゃあ、また連絡しますね。朝早くにすみませんでした』
「……ああ」
『良いクリスマスを』
 最後に笑み交じりで言うと、すんなりと電話は切れた。こっちが呆気にとられるほど普通に。
「なんだ……納得したのか?」
 携帯をテーブルの上に戻しながら時間を確認すると、八時を少し回ったところだった。仕事前に連絡してきたってことだろうが、相変わらずマメな男だ。
(それにしても、今のあいつは今までにないほど物分りがよかったな……)
 黙り込んだりするからショックでも受けたのかもしれないが、それにしても素直すぎるだろう。──そう考えちまう程度には、俺の中の宮森っていう男は太い神経の奴だと認定されていた。
 とりあえず納得してくれたなら静かな週末が過ごせそうだ。だが、恐ろしいほど簡単に引き下がったあいつに、帰って来たら何かされるんじゃないかとビクビクすることになった。

 ……しかし、夜になっても宮森から連絡はなかった。


宮森はどうする??


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