誘い受け・聖なる夜に……*2*



 宮森に吐いた嘘が現実になるわけもなく、その夜も俺は自分のマンションで1人ゆったりとした時間を過ごしていた。
 クリスマスだからというわけじゃないが料理するのが面倒で寿司を取り、お歳暮として実家から送られてきた缶ビールを飲みながら大して面白くもないテレビを見ていた。
 どのチャンネルに回しても話題はクリスマスのことばかりで、嫌でも今朝電話してきたやつのことを思い出してしまう。そのたびテーブルの上に置いてある携帯に目を移すが、それが鳴る気配は一向になかった。
 朝の電話以降奴から連絡は来ていない。夕方には帰ってくると言っていたからすでにこっちに戻ってきているだろうが……俺の話を信じて今日ここに来るのは諦めたんだろうか。
「あいつがそんなに物分りのいいタマか?」
 思わず呟き、うるさい男のことを考えている自分に絶句する。どうして俺があいつのことを気にしなければならないんだ。
 持っていた缶ビールを一気に煽り、続けざまにもう一本飲もうとテーブルに手を伸ばしたものの、そこに置かれていた缶はすべて空いていた。いつの間にこんなに飲んだんだ?
「くそっ」
 小さく舌打ちして台所へ向かい、冷蔵庫を開けてビールを取り出す。中には缶ビールが1本と、甘いカクテルが5本も入っていた。
 このところビールを買ってくるのはあいつの役割で(別に頼んだわけじゃない。あいつが定期的に買ってくるから、そんな感じになっているだけだ)、どうやらそのときに自分の分もちゃっかり買ってきていたらしい。
 それに冷蔵庫の中には、俺は絶対食べないようなチョコ系の菓子やらデザートが常にスペースを確保している。食料品など大して入ってないからどうでもいいが、自分が食べられないものが冷蔵庫を占拠しているのが無性に腹立たしくなるときがある。
 ビール片手にリビングに戻り、無造作に置いておいた携帯を取り上げる。そして履歴を確認すると、そこに残っていた番号に手早く電話をかけた。
 耳に携帯を当てたまま缶に口をつけ一気に煽っていると、電話は数回鳴ったあとに繋がった。ったく、出るの遅すぎだろ。
『もしもし……?』
 聞こえてきたのはくぐもったような声。いつものテンションはどこへ置き忘れてきたのか、まるで俺の様子をうかがうようなその態度にイラッとくる。
「なんだ宮森、取り込み中か?」
『い、いえっ、全然! ヒマヒマしてました!』
「ヒマヒマってなんだ」
『あっ、そのっ……暇でした、はいっ』
 冷静に突っ込んでやるとようやく落ち着いたのか、電話の向こうの声に乾いた笑いが混じる。その情けない声に口元が歪んでいく。
「今どこだ」
『──え?』
「ビールが終わった。どこかで買ってきてくれ」
『え……』
 簡潔に用件を言って反応をうかがうと、俺が言ったことをちゃんと理解できたのか怪しい返事が返ってくる。そのアホ丸出しの様子に、仕方なく現在の状況を軽く説明してやった。
「今家で飲んでるんだが、ビールが終わったんだよ。暇してるなら、ビールと他につまみも買って俺の家に来い」
『い、いいんですか?』
「あ? 何が」
『その……女性が一緒だったら、おジャマじゃないですか……?』
(────なんだ、そんなことを気にしてたのか)
 普段なら誘えば二つ返事で駆けつけてくるのに、何を躊躇っているのかと思えば……今朝俺が言ったことを真に受けていたとはな。
「来て確認すればいいだろう? とにかく、早く買って来い」
『はっ、はいぃっ!』
 電話越しにわざわざ説明してやるのは面倒で、多少語気を強めて言うとどもった声が返ってくる。それを聞き届けてから電話を切り、見るとはなしにつけっ放しにしておいたテレビを眺めた。
 どうやって来るかはわからないが、あいつの家からここまでは最短でも50分はかかる。それまでこうして時間を潰すのは退屈極まりないが仕方ないか……そんなことを考えながら最後のビールに手を伸ばそうとしたとき、玄関のほうから来客を告げるチャイムが聞こえてきた。
(なんだ、こんな時間に)
 時計を見ると、表示されている時間は九時を少し回ったところだった。……そういえば夕飯食ってなかったな。寿司もラップがかかったままだ。
 たった今電話で話した相手以外来客の予定はないし、何かのセールスだろうと居留守を決め込むことにする。
 しかしチャイムは二度、三度と続き、あまりのしつこさに仕方なく立ち上がった。宅配便の夜間配達か? それにしてもしつこすぎるだろ。
「仕方ねぇな」
 勢いづけて立ち上がり、インターホンではなく玄関へ向かう。直接相手をするのは面倒だが、少しでも苛立ちをぶつけられるならちょうどいいかもしれない、そんなことを思ってな。
「──はい?」
 乱暴な動作で鍵を外し、ドアの前に立っているのだろう人物に当たってもかまわないと勢いよくドアを開け──が、残念ながら鉄製のドアに衝撃が走ることはなかった(無意識に舌打ちしていたが知ったことか)。
 だが、ドアの外に立っていたのは愛想笑いを浮かべたセールスマンでも、荷物を抱えた運送屋でもなかった。
「こ、こんばんはっ!」
「…………宮森?」
 一瞬目を疑ったが、多少くたびれた感のあるコートを着てもじもじしているのは紛れもなく宮森だった。頬と言わず、耳や手先まで真っ赤になっている。まるで長時間寒いところにいたようだ。
「なんだ、その赤い顔は」
「や、今日寒いですよねっ。もっと厚いコート着て来ればよかったですよ、はははっ」
「……早かったな。走ってきたとか言うなよ」
「や、そんなことはないですけど……あはっ、あははっ」
 不自然に笑っているのは寒さのせいか。唇がわなわな震えている様は、見ているほうが寒くなりそうだ。
 カサカサという音に視線を落とすと、宮森の手にはコンビニではなく近所のスーパーの袋が握られていた。さっき見た時計の時間が間違っていなければ、そのスーパーは1時間ほど前に閉まっているはずだ。
「…………」
「橘、さん……?」
 スーパーの袋に早すぎる到着。そして尋常じゃない震え方。……今さらだが、こいつは本物のアホだったんだな。
「──入れよ」
「はいっ! お、おじゃましまっす!」
 上擦った声で言い、ロボットのようにカクカク動いて家の中に入ってきた宮森の腕を掴む。
「えっ? あのっ、橘さんっ?」
「冷えまくってんだろ。風呂に入れ」
「えっ、ちょっ、靴が……っ」
「どんくせぇな。早く脱げよ」
「すいませ──わっ、わぁっ!」
 急かせば急かすほど動きがぎこちなくなっていくのが可笑しくて、スーパーの袋を奪ってその場に置き、さらに腕を引いて風呂場へと連れて行く。
「ほら、服も脱いじまえって」
「は、はいっ! って、ここでですかっ!?」
「あとで拾い集めりゃいいだろ。風呂は湧いてるからすぐ入れるし安心しろ。なんなら俺も一緒に入るか」
「ホ、ホントですかぁっ!? じゃ、じゃあ脱ぎますっ、脱ぎますっ!!」
 何気なく言った俺の言葉に異常反応を示した変態は、加速装置が発動でもしたのかそれまでのノロノロした動きからチャキチャキと動き出した。指先が寒さでかじかんでいるのか、脱衣場に着いて脱ぎ始めたワイシャツのボタンが上手いこと外せず四苦八苦していたが。
「仕方ねぇな。やってやるからしっかり立ってろよ」
「は、はぃ、すいません──っくしゅ!」
「てめぇ鼻水飛ばすんじゃねぇぞ」
「ず、ずびばぜん〜っ」
「──で、いつからいたんだ?」
「へっ?」
「どうせマンションの前でずっと待ってたんだろ。いつからいたんだよ」
 仕方なく服を脱ぐのを手伝ってやりつつ、何気ないフリで気になっていたことを聞いてみる。──横目で宮森の顔色を見ながら。
 宮森は俺の問いにもじもじしていたが、冷たい視線に気づいたのかやっと口を開いた。
「えっと、その……に、2時間前、から……ですかね」
「2時間?」
「…………さ、3時間近かったかもしれないです、はい」
 照れているのかはにかむように言ったがまるで可愛くない。いや、大の男のこんな姿はむしろ気持ち悪いだけだ。
 この寒空の下、約3時間もぼけーっとしてただと? しかも、来るかどうかもわからない俺からの連絡を待って?
(……いくらなんでもそこまでするか?)
 どうしてこいつはここまで俺に執着しているのか。自分で言うのもなんだが俺はこいつに優しくしたことはないし、今回だってイベントが好きなこいつが騒ぎ立てるのを知っていてあんな態度を取ったっていうのに──なぜ愛想を尽かさず俺に付きまとうんだ。
「橘さん……あの、どうかしましたか……?」
「おめでたい奴だよ、お前は」
「え?」
「いんや。……暖めて欲しいなら俺の服も脱がせたらどうだ?」
 思わず洩れた悪態は宮森の耳に届かなかったらしい。聞き逃された言葉に興味を持たれたら面倒だと、話を逸らすために多少甘めのセリフを吐く。
「はい……っ!」
 自分で言っておいて鳥肌が立ちそうだったが、続いて聞こえてきた語尾にハートマークがたっぷりついていそうな甘えたそいつの声に別の鳥肌が立った。……どっちにしろ気色悪いってのに変わりはないんだが。
 しかし気色悪いと思いつつ『風呂の中でだけは可愛がってやってもいいか』と思っているあたり、なんだかんだ言って俺もこいつを受け入れちまってるってことなのかもしれない。
 内心、宮森がこの家に来ない日の時間の使い方が下手になっている自分に辟易したものを感じていたんが──とりあえず気づかないフリをしておこう。


「橘さーん? 早く入りましょうよ〜」
 たった今までガタガタ震えていたとは思えないほど回復した宮森は、一足先に風呂場に入り妙に甘ったるい声で俺を呼ぶ。
 その声に反応したわけじゃないがその気になり始めていた身体を諌めながら、どんなプレイで変態を楽しませてやろうかと考えながら俺も風呂場に入ったのだった。


いつもとちょっぴり雰囲気の違う2人でした。


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