ザ・オヤジ受4



「父さ……ん」
 息子の眼差しが、抱き合っていた私たちの上に注がれる。
 湿った肌に鋭く突き刺さる視線。だが、見てしまったものを認識しきれていないのか、まだその瞳の中に嫌悪の色は映し出されていなかった。
「ひろ、と……」
 私の口からその人物の名が洩れると、私の背を抱いていた彼の手に一瞬力が加わった……気がした。
「あ…………」
「──────」
「………………」
 ────長い、長い沈黙。
 上がった私の息の整っていく音だけが部屋の空気を震わせる。彼の腕の中に収まったまま、視線だけを乱入者へ向けることしかできない自分が……滑稽で。
 やがて、私を抱き締めていた彼が小さく身じろぎし、その拍子に私たちの繋がった部分が湿った音を立てた。その小さな刺激に、私の唇からも吐息が洩れてしまう。
 その音が響いた途端、私たちを見下ろしていた人物がようやく動く。
「…………っ」
 薄く開いた唇が、何事かを発しようとして──声にならないまま閉じられる。
 そして次の瞬間、目にした現実を振り切るように顔を背け、止める間もなく部屋から飛び出して行った。
「まっ……待て、寛人っ!!」
 寛人が動いたことで我に返り、慌てて後を追おうとして浮かした腰が、最奥まで穿たれたままだった楔に阻まれる。
「えっ……、んっ」
 じんっと腰に走った感覚と、力強く掴まれた腕を振り払うことはできず、私の動きは彼を振り返るに留まった。
「ど……どうしたんだい?」
 こんな状況で言う台詞ではないのはわかっていたが、咄嗟に口をついて出た言葉はそんなもので。
 彼は立ち上がろうとした私の身体を離さないまま、形のいい唇を動かした。
「追うな」
 ほんの少しだけ息の上がった声が囁き、彼の眼光が私を鋭く射抜く。
「追うな」
「あ……」
 短い言葉を連ねられて、言葉の刃に射竦められたように硬直したまま動けなくなる。
(──そうだ……)
 今この格好で追ったとしても、あいつに何を言えるというのか。いい年をした男が男と裸で抱き合っていた理由など、そうは思い当たらないだろう。
「そう、だな」
 彼の言葉に頷く振りをして、私は寛人を追いかけるのをやめた。
「……すまない。水を、差してしまったな」
 深刻にならないよう繕って言ったものの、引き攣った表情をすぐに崩すことはできなくて。
 私をじっと見つめてくる彼の視線が痛すぎて、顔を背けることしかできなかった。
(こんなことになるなんて……)
 こんな形で彼と寛人を会わせることになってしまうとは思いもよらなかった。──いずれ寛人を家に呼んで、きちんと彼を紹介するつもりだったのに。

「座っても、いいかい?」
 恥部で半分ほど繋がっているにも関わらずそんなことを聞くのはあまりに間抜けな気がしたが、彼の返事を伺わなければ動くことができなかった。
 ここで彼に拒絶されたら、彼の背に回しているこの手も外さなければならないのだから……。
 ──だが彼は、私を退けることはなかった。
「いいぜ。来いよ」
 私の腰に手を回し、早く座れと促すように強く引かれて、私は躊躇うことなく彼の上に乗った。
『きじゅ、っ』
「……っふ、んっ」
 浮かしかけた身体を再び下ろすと、湿っていた結合部が音を洩らす。彼の分身はほんの少しだけ体積を抑えていたが、私の内側を押し広げる程度には大きさを保っていた。
 寄り添うように彼の肩に頭をもたせかけると、大きな掌が私の背を強く引き寄せてくれる。
 1人でいるのが当たり前となっていた身体を抱き締めてくれる腕の存在が、こんなときでも愛しくてたまらない…………。
 先程とは違う心地よい沈黙が流れる中、ふいに彼が口を開いた。
「……今の、誰だよ」
「え?」
「今入って来た奴……誰だよ?」
「あ…………」
 彼の当然の疑問に、私は自分がなんの説明もしていなかったのに気づく。彼の腕の中に収まることができたのが嬉しくて、一番大事な弁明を忘れていたのだ。
 そうは言っても、真実を打ち明けるのはさすがに気が引けて──だが言わないまま隠し続けることなど自分にはできないだろうと早々にわかったので、思い切って話すことにした。
「あれは、私の、……息子だ」
 声が、震えてしまう。
 息子がいることを……彼には話していなかったかもしれない。私たちのあいだには、お互いの家族のことを話し合う時間はただの少しもなかったのだから。──それは故意にそうしていたせいもあるだろうが。
「……息子? あんたの?」
「…………ああ。亡くなった妻との間にできた一人息子なんだ」
「……年は?」
「今年で、29になるよ。あっ、確か……私のところに来てくれている編集者の片桐君と、同じ歳だったんだ」
「へー……」
「もう結婚していて、3歳になる子供もいるんだ。私ももう、お──」
『おじいちゃんなんだよ』と続けようとしたが、それを言うのは躊躇われた。
 孫までいるような年寄りと自分が関係を持っているんだとわかって、彼が嫌悪しないとは限らないのだから。……いや、嫌悪しない人間の方が珍しいだろうが。
「……それは気づかなかったな」
 私の告白に、彼は静かな口調で答えてくれた。だが、その真意は語調からは読み取れない。
 本当のことを話していなかったことに、彼は腹を立ててしまうだろうか?
 ここまで長い付き合いになる前に関係を終わらせればよかったと、思ってしまうだろうか?
 彼の肩に顔を寄せ、どんな言葉が返ってくるのかと不安にかられながら待っていると、予想していたものとは大きく異なる声が頭上から降ってきて。
「あんたには全然似てなかったな。体格もけっこうがっちりしてたし」
「え? あ、ああ……あいつは昔から…………妻に、似ていたから」
「ふうん。……頭良さそうなとこはあんたに似てたけどさ」
「そんなこと、ないよ」
「なんだよ。照れるなって」
 彼の身体にしがみついていた私をゆっくりと引き剥がすと、からかうように額を小さく小突いてきた。それからじっと目を見つめられて────
「い……言わないでいて、ごめん」
 彼のまっすぐすぎる視線が痛くて、私の口からは勝手に謝罪の言葉が洩れていた。
 だがそれを、彼は軽く笑って受け流した。
「別にいいさ。俺も聞かなかったしな」
「そ、そうだけど……」
「あんたくらいの歳なら、別に孫がいてもおかしくないだろ」
「え……」
 彼の言葉に一瞬胸が痛む。彼が言っているのは『世間一般ではそうだろう』ということだとわかるけれど────結婚適齢期をこれから迎える彼との年の差をまざまざと突きつけられたような気分だ。
 そんな私のショックを、彼は瞬時に悟ったらしい。
 私の顔を見てふっと笑うと、
「そんなこと気にするなって」
 といつになく優しい笑顔で言うと、早急に唇を近づけてきて。
『ちゅっ……』
「ん………………」
『ちゅっ・っくちゅ・ちゅ・きちゅ』
「ん、んんっ、んぬぅ……っ、はぁっ」
 熱い口づけは角度を変えて、どんどん深くなっていく。
 私の不安をすべて吸い上げてくれるような強い求めに身を委ねると、私たちを襲った突然の出来事を忘れてしまいそうになる。
 これからどうしたらいいのか。どうなるべきなのか。
 考えようとしても、何も浮かんではこない。
 ……まるで現実から逃げ出すかのように、脳の内側から溶かされていくようだ。
「ん……ぁ、ふ・ぁあっ」
 私の肌の上をゆっくりと移動した彼の唇に胸の突起を摘まみ上げられて、身震いと共にじんっと軽い痺れが全身に走る。
『きちゅっ・くっちゅっ・じゅっっ』
「あ…あ、ぁ……う、ん……」
 無意識のうちに、私は両腕に強く抱え込んだ彼の頭を骨張った喉元に擦りつけていた。ずりずりと毛の触れるむず痒い感触が私に新たなる快感を与えてくれる。
 彼は私の背を支えたまま身体を倒し、湿ったシーツの上に私の身体を横たえた。そしていつものように、私の弱い部分を次々に撫で上げていく。
「あっ! っぅ、ん、あはぁ……っっ」
 左右に身を捩り、与えられる快感をやり過ごそうと必死で息をする。彼の熱い掌が這い回ったそこかしこが疼き始めて、気づけば抗うこともなく彼にされるがままとなっていた。
 さっきまで充分に愛してもらっていた場所までも、すでに猛りを取り戻している。みっともなく欲望を垂れ流しながら、さらに強い刺激を求めて戦慄いている。
『ぴちっ・ぴちゅっ・くち・きちっ』
 彼が舌を動かすたびに甲高い音が響き、それに伴うように私の中枢が熱を高めていく。
 焦らすような動きに、とうとう私は観念した。
「も…もう、いい、から……っ」
 先程まで執拗に拡げられていた秘部は、彼の分身を求めて激しく収縮している。私は彼の背中に回していた手を動かし、自らの秘部へと伸ばした。そして、
「早く……、ここ、へ──」
 彼の汗で濡れた人指し指を秘部の入り口に押し当て、その淵をゆっくりとなぞった。
「はや……、……あっ」
 滑る指の感触だけでも身体が震えてしまう。もう、待ち切れない……
 私の様子を楽しげに見ていた彼は、私の限界が近づいているのに気づいたのかようやっとその気になってくれたらしく、私の全身に走らせていた手の動きを止めてくれた。
「挿れるぜ……」
 私の好きな少し掠れた低い声がそう宣言し、ゆっくりとした動きで両腿を担ぎ上げられる。
 高い位置で足を広げられると、股の間に風が吹き抜けて一瞬背が竦む。
「あぁ…………っ」
 溢れた声は、目前まで迫っている快感を待ち受けて小さく掠れ、私自身の耳にもしっかり聞こえてきた。
 そして────
『ぐぶぷっ!!』
「んんっっ!!」
 彼の熱い分身が侵入してきたのを感じたとき、ものすごい衝撃が私の内を駆け抜けた。
『ずぐぐっ・ずじゅっ』
「はぁああっ……!!」
 一気に奥まで貫いてくる欲望が私の肉襞をびりびりと擦り上げてくる。中枢まで到達したそれを私の内部が無意識に締め上げたとき、鬱屈したものが吹き飛んだような気がした。
『ぎじゅ、ぎじっ・ずじゅっ・ずぼっ』
 熱い滾りは収まることなく私の内部を掻き回し、卑猥な音を上げて私の中を攻め続ける。
 これまで経験した彼との行為の中でも、一番激しい求めかもしれない。
 このままでは私の身体が壊れてしまう!!
「ひぃ・あぁっっ!! や、だっっ、やぁっっっ!!!!」
 激しすぎる突き上げに筋力の衰えきった肉体ががくんがくんと揺すられて、強い恐怖心から引きつった声が口をついて出てしまう。──そういう反応を見せると、彼の動きがさらに激しくなるとわかっているのに。
『ひぢじゅっっ!!』
「あひぃいんんん!!!!」
 目の前が赤く染まり、絶叫に近い声が口から迸る。それでも彼の攻撃は終わらない。
『ぐっぴずっぼ!』
「やめっ、ろっっ・あっ、あぁっっ、ぐぅっっ!!」
 力強い攻めに呼応して悲鳴が部屋にこだまする。そのまま洩れ続けると思われた声は、彼の大きな掌によって塞がれた。
「ぐうっ!? ・っ、・・っ!! ・ぅぅっっ!!」
 口全体を塞がれてしまい、声を洩らすどころか息をすることもできない。それでも彼の動きは激しさを増す一方で、私は生命の危機を感じてしまった(……本気で)。
「っ、っっ、…………っ」
 意識が遠のいていく。窒息死とは、こんな感じで絶命するのか。
(このまま死んでしまったら……それはそれで幸せなのかもしれない……)
 彼に抱かれながら、幸福の絶頂で逝けるならば──
 耳鳴りがしはじめて、全身から力が抜けていく感覚に身を委ねようとしたそのとき、私の身体を揺さぶっていた彼の突き上げが突然止んで、ふいに私を現実に引き戻す声がした。
「寛史……」
 私の好きな低い声。その声が、何か言っている……?
(え……?)
 ぼやけていた意識がゆっくりと覚醒していく。気づけば彼は私の身体を痛いほど強く抱き締めていた。
 深く埋め込まれたままの彼の分身は大きく脈打ち、私の内側をずぐんずぐんと叩く。
 その感覚が……そして心地よい声が、私を完全に目覚めさせた。
「寛史…………っ」
 肩口に押さえつけられていたせいで、はっきりとした口調ではなかった。
 だが、彼の言った言葉を私が聞き間違えることはない。
 間違いなく──彼は私の名前を呼んだのだ。
「っ…………!」
 名前を呼ばれたのだと自覚した途端、体温が一気に何度か上がった気がした。
 口に当てられていた手が離されひとしきり酸素を貪った私を確認すると、彼はゆっくりと唇を重ねてきて……。
「あぁ…………」
 耳朶を緩く噛まれ、次いで熱く湿った舌が耳の淵から入り口までを撫で上げていく。背中を走る怖気にも似た感覚に肌が粟立ち、私は逞しい彼の肉体に再びしがみついた。
 初めて名前を呼んでくれた。それはつまり、私のことを……嫌ってはいないということではないか?
 いや、『嫌っていない』というだけではなく──もしかしたら、彼は、私を…………?
 彼は私の顔中に愛撫を施してくれながら、動きを止めていた腰を揺らし始めて……体内の熱が再び昇まっていくのを感じながら、私も思い切って口にした。
「こっへ、こぉへ……ぃ!!」
 心の中で唱えたこともなかった名前が、下からの攻めに促されるようにすんなりと口から飛び出す。
 ようやく呼べた名前。ずっと呼びたくて、けれど彼の不快感を煽るだけではないかと危惧して呼ぶことができなかった名前。
 こんなにも私の胸を満たす言葉があったなんて、知らなかった。
「弘平、もっと・もっと──っ!」
「ひろ、しっ」
「弘平────っ!!」
 愛しい名前を叫びながら、獣のように快楽だけを求める自分は……まるで獣のようだ。
 だが、彼とだったら獣にだってなってもいい。今ならば────息子に見られてしまっても、欲望を止めることは出来ないだろう。
『じぎじゅっ!』
「くあっ・ああ・あああああっっ!!」
 頭の先まで突き破られるような激しい動きに揺さぶられながら、私の欲望は果てた。

「はっ、はぁっ・はぁっ、っ、ふっ、ふぅっ……っ」
 極限まで乱れた呼吸を肩で息をしながら整える。心臓がどっどっどっと打ちつける音が全身まで響くのが心地いいような、無気味なような不思議な気分を味わう。
 行為の最中から生理的に流れ出した涙は止まらない。だが、その感触すら気持ちよく感じてしまう。
 熱すぎるほどの熱気と独特な匂いが私たちの身体を包む。その匂いを胸いっぱいに吸い込み、彼と一つになれたのだと実感するのも私は好きだ。
 私はようやく落ち着いてきた息を大きく吸い込むと、先程までの勢いを失ってしまう前にと意気込んで口を開いた。
「弘平……」
「……ん?」
「……私の息子と…………会ってくれないか?」
「……………」
「私の大事な人なんだと、紹介させてくれ。────君のことを」
 溢れ出したもので視界が閉ざされ、彼の表情はよく見えない。
 だがそのおかげで、きっといつもの私ならば言えなかっただろう言葉をようやく口にすることができた。
「……………………」
「弘、平……?」
 私のすぐ近くにいる彼は、どんな表情をしているのだろう? 見えなくてよかったと思うような顔をしていたら……どうしよう…………。
「会って、くれないか?」
 念を押すようにもう一度聞く。瞬きした瞬間に零れた雫を、彼の指が拭ってくれる。霞んでいた世界がぼんやりと彼の顔を捕らえ、その表情を見て私の心は安堵した。
 穏やかな表情。最近彼が見せてくれるようになった柔らかい笑みが、そこにはあって。
「ああ、わかった。──会うよ」
 すんなり承諾してくれた彼は、笑みを浮かべたまま顔を近づけてきて。
「ん……」
『ちゅっ……ちゅっ、くちゅっ』
「寛司…」
「弘平、っ、んっ……弘、へ……」
 もはやどちらのものかわからない液体を喉を鳴らして飲み干して、酒に酔ったときのように浮かされた思考を巡らせる。
 きっと何もかもうまくいく。私たちは今まで通りの関係を続けていける。息子にも……きっと理解してもらえるはずだ。

「弘平、もう一度…………」
 厚い肩に両腕を縋らせ、身体の芯で燻っている炎を煽ってくれと懇願する。
 この熱が冷めてしまえば、知られてしまった現実を息子に打ち明けなければならないのだ。
 そのときに平静でいられるかどうかは自分でもわからない。
 だが、体内に彼の熱が残っていれば……気後れしそうな気持ちもどこかに吹き飛び、私がどれだけ彼を必要としているのかをうまく話せるような気がするのだ(ただの気のせいかもしれないが)。
 だから今のうちに、充分に味わっておかなければ────。

「あ・ぁ……弘平…………」
 唇から零れた音の響きに、身体の芯から熱くなっていく。
 再び押し入ってきた弘平の熱さに導かれて、私は突きつけられた現実を思考の最奥へと追いやった。


ようやく名前を……(ホロリ)

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