「あっ!! ちょっと待てよ!!」
事務所に戻ろうと歩きはじめた俺達を、そいつはそれまでに聞いたことがないほどの声を上げて呼び止めてきた。俺が反射的に立ち止まって振り返ると、他の連中も足を止める。
「……なんだ」
相手にしなければよかったかもしれないと後悔しながら、振り返ってしまった時点でそれは無理だろうと心中で独りごちる。
そいつは俺の苦虫を噛み潰したような顔を見て笑うと、突然突拍子もないことを言い出した。
「なあ。俺のこと、あんたの組に入れてくれよ。鉄砲玉でも番犬でもなんでもやるからさ」
「……なに?」
「あんたの側にいれば、毎日退屈しなくて済みそうだから。な、いいだろ?」
唇の端に笑みを浮かべたまま軽く言ったそいつは、一瞬だけ真剣な表情を見せる。だが、その真意は読み取れなかった。
「……そういう冗談は言わないほうがいい」
なるべくならば面倒事は避けて通りたい。腕っ節は立ちそうだが問題が多そうなそいつを組に入れるのは危ないと判断した俺は、そいつの申し出をまともには請け負わずにかわした。どうせこいつもからかい半分で言っているに違いない。
そしてその考えは正解だったようだ。
「ちぇ。いいアイデアだと思ったんだけどな」
ついさっきまでの殺気が嘘のように払拭された表情でおどけて言うと、すぐさま話題を変えてしまう。
「じゃあさ。名前教えてよ、あんたの名前。偶然とはいえ二回も会えたんだから、もしかしたらまた会えるかもしれないし」
「あんたってなんだ、おらぁ!!」
そいつの発言に激高した若いのが今度こそ本気で飛びかろうとしたのを片手で制し、俺は素直に答えてやる。名前を教えたくらいでは、別に面倒なことになどならないだろう。
「島谷だ。島谷誠司。この辺を仕切ってる高橋組の若頭をさせてもらってる」
「しまたにせいじ? ふーん、なんかカッコいい名前だな。さすがやくざって感じ? 年は?」
「……二十九だ」
「えっ、マジで? もっといってるかと思った」
「…………そうか」
周りからも良く言われるが、ここまで不躾な言葉をぶつけられたことはない(……だからといって気にはしないが)。
だが、思ったことをそのまま口にしているだけの発言は大して不快にも思えず、俺は話の流れ的に
「お前の名前は?」
と自分から聞いていた。
まさか自分も名前を聞かれるとは思っていなかったのだろう。そいつは驚いたように目を見開き、次いで──なぜか表情を崩した。
「俺? 俺は川神市郎。川の神って書いて『かわかみ』。名前は平凡だけど名字はなかなかだろ」
「────そうだな」
「……なんだよ、今の間は。どうでもいいとか思ってんだろ」
「そんなことはないさ」
「けっ、これだからやくざは……」
俺の反応が気に入らなかったのか、『川神市郎』と名乗ったその男はふてくされたようにそっぽを向いた。その姿はそれまでの飄々とした態度からは想像もつかなかったもので、俺は沸き上がってくる笑いを堪えるのが大変だった。
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