桜淫


「きみには才能がない」
恩師にそう断言され慧は絶望の底にいた。
幼い頃からピアニストを目指していた。両親の愛には恵まれず、友だちもいない。ただ、ピアノだけを弾き続けてきた人生だったのに。
初めての挫折に激しく苛まれながら、慧は恩師に勧められるまま御神月(みかづき)家へと向かう。
御神月家。それは千年以上も前から続いているといわれる旧家だ。
JRとバスを乗り継ぎ、ようやくたどり着いたその山間の村の住人は、すべてが御神月家の使用人若しくはその家族であり、あたり一帯の山林は御神月家の持ち物だという。
そこから更に山肌を上った先の人里離れた場所に、御神月家の館はあった。ネオゴシック様式の洋館は、春になると満開の桜に包まれることから別名『桜館』とも呼ばれている。
慧が、この館に来たのは、この御神月家の先代の当主の娘・小夜の専属のピアノ教師となるためだ。
小夜は相次ぐ事故で両親と弟を失っていた。現在は、先々代の妾腹の子であり、小夜の叔父にあたる秋梧が実質上の当主として御神月家を取り仕切っている。
秋梧は、有能で、人当たりもよく、そつのない人物ではあったけれど、どこか馴染み難いものを慧は感じていた。
それに、桜。
慧は桜が嫌いだった。嫌いというより、桜が怖い。
なぜ、自分がそう感じるのか自分でもわからない。
もうすぐ、桜館を覆い尽くすだろう桜の花のことを思うと、不安と憂いが募る。
そんなある日、慧は、先々代の当主であった小夜の祖父、先代の当主であった父、母、弟が、相次いで無残な死を迎えていたことを知る。
それは、御神月家の血塗られた歴史のせいなのか。御神月家を今も重苦しく包み込む『呪い』が原因なのか? やがて、次第に咲き始めた桜が新たな恐怖を呼び寄せる。
満開の桜の下には鬼がいる。
その鬼とは……。

と書くと、なんだか、ほんとうに鬼が出てきそうですね。
でも、すみません。ファンタジーじゃないです。人外は出てきません。
サスペンス・スリラーというか、ゴシックロマンというか、そんな感じでしょうか。
人の心に潜む狂気=鬼と解釈いただければ……。最後は人間捨てちゃってます(小夜ちゃんがかわいそう過ぎると姫野も思います……)。
凌辱から始まって、ひたすら凌辱続きなので、そういうのが苦手な方はご注意ください。
人の心に潜む狂気を、ラヴェルの『スカルボ』の調べに乗せてお送りしておりますです。『スカルボ』はそんなに有名な曲ではないと思いますが、聞きながら読んでいただけるとちょっとは気分が盛り上がるかも。
余談ですが、御神月家みたいな旧家なんて、この平成の世にはもうないと思われるかもしれませんが、実は、まだあるのですよ。
そのお家では、今でも、ご当主が何代目××として先代と同じ名前を引き継がれています。
先代だか先々代だかのご当主が車から降りようとした際には、それを見かけた某総理大臣が走ってきてその方のためにドアを開けたとかいう噂も聞こえてきたり……(つまり、一国の総理大臣となった方でも、そちらの家のご当主さまには頭が上がらなかったということですね)。
もちろん、ただの噂で、どこまでがほんとうかわかりませんが、さもありなんと思わせるものがあるのは確かです。
ちなみに、そこのお家には御神月家みたいな恐ろしい伝説はありません(お屋敷も洋館じゃないし)。テレビで拝見する限り、とても『お始末』で堅実なお家で、財を成すお家というのはこういうものかと大変感心したのを覚えています。