智龍上人(ちりゅうしょうにん) |
長久寺中興の祖と仰がれた智龍上人は、天保十二年十一月二十一日出羽の国(山形県)遠藤家にお生まれになられ、十六才の時、湯殿山注蓮寺の門をくぐってから諸国行脚の苦行を重ね、明治二年、初瀬寺(長谷寺)で仏教の奥義を修められました。 そして明治七年、荒廃していた当長久寺の住職に就き寳山智龍と改名され、同時期に寺域に開設された毛原小学校で教べんをとりながら寺の復旧につとめられました。 明治十三年病の床にあった或る夜、夢枕に金色輝く弘法大師の御影現れ、「本境内ノ裏山ヲ開キ仏法ノ興隆ニ一身ヲ捧ゲヨ」との、お告げをうけ、感激の余り病を忘れてひたすら自力で山を開き自然を生かしつつ多数の石仏を安置し、明治十五年霊場「大師山」を創建されました。 さらにその後も寝食を忘れて托鉢行脚を続け、その浄財で寺域の拡張をはかり、前記の諸施設を整えながら全山一帯に花木を植え、名実ともに長久寺は近郷無比の霊域となりました。 このように上人の生涯は一切の名利に迷わされず、粗衣粗食ひたすら心清き一信徒として、また時代の先覚者として社会社会教化活動や地場産業の振興に至るまで情熱をかたむけ、それら不朽の業績は、世の人々がひとしく敬仰するところです。 |
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上人顕彰碑 |
顕彰碑々文(昭和五十七年十月建立) |
智龍上人 自筆 |
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