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レスリーの半生を描いたミュージカルに思う

随分前にこの記事を書いていたのですけど、時期を逃してしまい放ったらかしになっていました。少し気にはなっていたのですが、今回ちょっとしたきっかけがありましたので今ごろになってしまいましたがアップしておこうと思います。
もし、私が以前書いたことで気分を害されたファンの方がおられましたら、ここにお詫び申し上げます。真意は別のところにあったのですけど、中途半端にしていたためにきっといい気持ちではなかっただろうなぁと反省しています。
今から1年近く前のことなんですね。本当に遅くなってしまいました。


『永恒的張国栄』の動画が見られるということで見てみました。これはショーなの?一体どんな内容なんだろう。さっぱりわかんないのだけど、でも関連する記事を読んでいてふと思うことがありましたので書いておこうと思います。

初っ端“我”が流れ、次に“深情相擁”“紅”(動画ではあと2曲聴けます)。これが陳志朋さんの歌声なのかな。
更に以前の記事では、レスリーの話し方や歩き方を訓練したと書いてありました。“我”は声の伸ばし方とか声が枯れる感じとかレスリーを真似てるのかなぁと思ったけど、別に真似しなくったっていいんじゃないのかなぁ。陳氏がレスリーを演じる先に彼が思う何かを表現すればいいんじゃないのかしら、と私は思います。
それにしても先日の記事にあった「陳志朋の歌や演技がどうであろうと、あまり関係ない。大切なのは、レスリー・チャンの人生を振り返ること」ってのは一体。。。
だって、その舞台の幕を開けるために出演者やスタッフや色んな人が時間と愛情をかけて創り上げてるんだよ?それを思うだけで胸が熱くなるし、それを創ろうと集まった人たちの熱意に敬服します。なのに“歌や演技がどうであろうと、あまり関係ない”って…。もちろんそういう意見ばかりなわけではないでしょうけど。
大切なのは振り返ることじゃなくて未来へ繋げていくことだと思うんだけどなぁ。
レスリーだってそうやって自分の世界を作り出してきたわけで、だから彼の残した作品が、彼の死後ファンになった人間にも訴える力を失わないんだと思う。
結局私は彼が亡くなった後にファンになった人間なので、そうでない人たちの気持ちを理解することはできないんだけど。

ただレスリーの人生を振り返るだけなら、何も舞台化する必要はないような気がする。このミュージカルは一体何のために作られたんだろう。
もし私なら、レスリーの残した作品から何か別の表現をできないかなぁって考える。
彼の残したものをそのまま伝えることは残された映像などでしかできないことで、別の人間の手を加えるとするならば、そこから新しい方向へ目を向けることだと思うんだよね。まさに彼に代われる人なんていないんだから。
とするなら今回のミュージカルだってそういう存在でなくちゃ。ただの真似で終わってしまったらもったいないもの。(できないくせ偉そうに言う自分も情けない)
表現することをお仕事とされている人たちに対して、その人自身の個性、その人の仕事に対する評価をきちんとしてほしいって思います。
色々と探してみたけれど、彼がいかにレスリーを彷彿とさせるために努力したのかとか、どれだけ似ているかとか、そういう記事ばかりが目について、正直私はうんざりしてしまいました。誰も、陳氏がレスリーという人間をどのように捉えていかに表現したか、語ってくれないのです。もし、私がこの舞台を見ることができたなら、そのことを一番に書きとめたいと思うのに…。私の中国語理解力がなさすぎて、そのような記事を探せないだけなのかもしれません。
だけど、今回のことでハッキリしました。私が求めているのはレスリーを思い出させてくれる誰かではなく、レスリー・チャンという人が存在したことで、そこから何か別の新しい世界が広がっていくことなのです。

***2005.1.16.***