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花に


今年の4月、私がレスリー・チャンのファンとなって初めて迎えた彼の命日だったわけですけれども、その時に書いた日記は2番目に書いたもの。本当は一番最初に浮かんだ歌はこれでした。

深草の野辺の桜し心あらばことしばかりは墨染めに咲け(ふかくさの のべのさくらし こころあらば ことしばかりは すみぞめにさけ))…古今集より ――大切な人が亡くなった後も、(墓地である)深草の桜はいつもと同じように咲き、より悲しみを誘う。桜の花よ、おまえに心があるのなら今年だけは私の気持ちを察して墨染め色に咲いてくれ。

この歌は上野岑雄(かみつけのみねを)が藤原基経(ふじわらもとつね)の死を悼んで詠んだ歌です。ただこれはあまりにも哀しすぎて、とても書けなかった。何とか心が前に向くような歌はないかなとあの歌をご紹介しました。2ヶ月経って桜の季節も過ぎたので、その時に書きたかったことをここに残しておこうと思います。
墨染めというのは喪服のこと。古今集の中にある歌ですけれど「源氏物語」にも引用され大変有名な歌です。源氏が藤壺を偲んで二条院の桜を見ながらつぶやきます。
レスリーが亡くなって2年。色んな思いをそれぞれが抱えて迎えるこの4月1日に、私は何を思うだろうか。
もし本当に墨染めの桜が咲いたら、私はきっとそっちの方が悲しくなってしまう。だから空に溶けてしまうくらい澄んだ桜色の花を咲かせてほしい。私なら。

昨日、コメントを頂いた中に桜を詠んだ和歌を書いてくださった方がいて、同じように感じておられる方がいたんだなぁと思いました。
花が咲く、風が香る、そういう何気ない瞬間に誰かを思い出し歌に詠んでいる。短い歌の中に、書かれていない読み人の心が見える。私もそうなれたらいいなぁといつも思います。
日本語力が低下している現代人ではありますが、余韻や空白を楽しむゆとりをなくしたくないですね。


風に散る花橘を袖に受けて 君が御跡に偲ひつるかも(かぜにちる はなたちばなを そでにうけて きみがみあとに したいつるかも)――風に散りゆく橘の花びらを袖にうけるとき、去っていったあの人の名残と思いお慕いしています

花の香りに思い出す慕わしい人を詠んでいます。素晴らしい感性だなと羨ましいです。橘の香りで思い出す人ってきっと爽やかで清清しい人だったんだろうなぁ。


(2005.6.8)