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張國榮×王家衛


王家衛(ウォン・カーウァイ)にとって、張國榮(レスリー・チャン)は
梁朝偉(トニー・レオン)とはまた違った意味で必要不可欠な俳優だったと思う。

相手を自分に惹きつけ振り回し突き放す。何気ないセリフやしぐさにドラマを描き出し、人はその身勝手さに心惹かれる。
それは美しい花には棘があるを体現したような、或いは他の人物とは一線引いて、まるで別の時間を生きているような、危険で魅惑的な香りを放っている。
彼は観客を意のままに操れる俳優だ。
カーウァイが描くレスリーの顔は、冷たく美しく哀しい。孤独で見るものを拒んでいるかのような寂しさを漂わせている。
行く先を見つけられず、帰る場所も失い、過ぎた日々に嘆くこともなく、未来へ希望を抱くこともなく、ただ流れ行く時を傍観している。安らげる場所を求めても彼の心の闇は晴れることはない。
時間は刻々と過ぎていくのにレスリーは常にそこに留まって、その闇を抱えたままなのだ。

カーウァイがレスリーに求めたものは、虚の中の実だったのではないか。
一見からっぽに思えた時間が実はとても密な時だったりする。
レスリーの役はいつも何かを求めても得られず、どこか救いのないところがある。だがそれに溺れているわけではない。
自虐的なヨディも、冷酷非道な西毒も、無鉄砲なウィンも、みんな負の人間なのにどこか愛しさが漂っている。放っておけない何かを持っているのだ。
そんな人間を演じる人は、繊細で的確な表現力の持ち主でなくてはならない。
移ろいゆく時に人の心の変化を描きながら、その中に佇むレスリーはいつもこちらを見つめ、変わらない何かを私たちに伝えているような気がするのだ。
レスリーはまさに、時間の描き方にこだわりを見せるカーウァイが好む俳優であり、トニーと同じくカーウァイの顔と言える俳優だったと思う。

(2004.10.14.)