ATTENTION:ネタバレ内容が含まれていますので、未見の方はご注意ください。
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欲望の翼


原題「阿飛正傅」 1990年 香港作品
監督:王家衛(ウォン・カーウァイ)
 


定価:4,935円(税込)
時間:97分
音声:広東語
字幕:日本語
特典:予告編コレクション(恋する惑星、天使の涙、ブエノスアイレス)
監督インタビュー、フォトギャラリー、ポストカード3種


 
レビュー
(非常に長いです)

脚のない鳥がいるらしい。
脚のない鳥は飛び続け、疲れたら風の中で眠り、
そして生涯で唯一度地上に降りる。
・・・・それが最後の時。


テネシー・ウィリアムズの「地獄のオルフェウス」から引用されたこのセリフは
「欲望の翼」という映画を語る時、必ずと言っていいほど登場する。
6人の若者たちの青春群像劇と銘打たれた本作は、
今やアジアを代表する大スターたちの若い未成熟な魅力を独特の世界観で描き出し、
監督・王家衛(ウォン・カーウァイ)の名を世に知らしめた名作として、
また、香港映画の新しい切り口としても注目を集め、今もなお多くの人たちを魅了し続けている。
“脚のない鳥”とはマレー半島付近に生息する極楽鳥のことで、誤った情報がヨーロッパに伝わったため
そのように言われるようになったそうだ。
“脚のない鳥”と聞いて、私はまず宮沢賢治の『よだかの星』という短編を思い出した。
 

よだかの足はとても弱く歩くこともままならない。その姿は醜く、他の鳥たちからも疎まれるほど。
美しいかわせみや蜂すずめの仲間だというのに自分だけが醜く、鷹でもないのに“よだか(夜鷹)”と呼ばれ、
醜い自分もお腹は空き、そんな自分に食べられて死んでいくしかない虫たち。
よだかは嘆く。この世に自分が生きる意味は何なのか。
せめて星になりたいと願っても、星たちからも拒まれ、最後の力が尽きるまで飛び続けた。
見上げた空には青い星となり夜空に輝く“よだか”がいた。
 

いかにも賢治らしいこの作品を読んだ時、授業中にも関わらず私は涙が止まらなかった。
短い物語の中に、生きること、決して避けることはできない性、それゆえの嘆きと苦しみ、
それでも生きることは意味があるんだっていうこと、やさしい言葉で語られ痛烈に心に響いてきた。
よだかは生きている世界で、自分の居場所を見つけられなかった。
生まれた意味を見出せず、なぜ生きているのだろうかと苦しんだ。
愛されたことがない自分、誰からも望まれぬ自分、行き場のない自分。
ただ死ぬまで飛び続けることしかできない。
空に輝く星はよだかの思いの結晶。
青く美しい光。
それはよだかが絶望の底にあっても、最後まで飛び続けた証だと私は思っている。

−−−

ヨディ(レスリー・チャン)も似ていると思った。
「人から拒絶されないためには、自分から拒絶すればいい」
これは『楽園の瑕』での西毒の言葉。ヨディはまさにこれを実行している。
拒絶されるのを恐れて先に相手を自分から遠ざける。そして、自分も拒絶される立場になる。
拒まれて初めて知るのだった。自由という名の孤独、飛び続けるしかない鳥の苦しみ。

「いつか必ず俺を嫌いになる時が来る」
今はヨディを忘れられないリーチェンも、いつかきっと自分を忘れてしまう時がくる。
もしかしたら自分自身も忘れてしまう日がくるかもしれない。彼はそれが恐いのだ。
だから一分にこだわる。
だから忘れられないくせに「忘れた」と言ってみる。
いつ、どこで、自分は誰といたのか。忘れたくないのは自分。
束縛されることを嫌いながら、時間にこだわるヨディ。
自分で自分を縛り付ける。束縛はその時確かに自分が生きていたという証なのだ。
そしてまた飛び立つために吐きだす言葉。
その言葉は真実なのか偽りなのか。
忘却を恐れる彼は、言葉で相手の記憶を拘束する。
そして自分が生きていることを確認せずにはいられない。
彼が求めるものは地上で眠るための“脚”ではなく、悠々と飛び続けるための“翼”なのだ。

時は無情にそして確実に過ぎていく。
流れ行く時の中で人は出逢いと別れを繰り返す。
あんなにも会いたいと思い続けていた実母から拒絶されたヨディには、
忘れえぬ“記憶の時”だけが唯一帰ることの出来る場所だった。
盗まれてしまった記憶を刻んだ腕時計。
“翼”さえもがれてしまった鳥の行く先は、もう“死”しかないのだという暗示なのか。
「俺が死ぬ今日もいい天気で終わるのかな?」
帰る場所を失った鳥は、見上げた空を最後の記憶に留める。
ヨディは脚のない鳥だったのか。翼を失くした鳥だったのか。
彼は飛び方を知らない鳥だったのじゃないか。
「肝心なことは忘れない」
そう。忘れられないヨディの言葉は裏も表も同じ。「忘れたくない」ただ一つの心の表れ。
ヨディを拘束する時間。時は彼の“脚”であった。ならば鳥が飛び続けるための“翼”は記憶だ。
飛び方がわかったときにはもう、その命は消えるしかなかったのだ。
「鳥は最初から死んでたんだ」



ヨディの1分間の友達。スー・リーチェン(マギー・チャン)
サッカー場で働くごく普通の女の子だったリーチェン。が、実に強い女性だと思う。
ヨディが束縛されることを嫌うと知っていて結婚という脚を望み、やはり拒まれ、それでも彼を忘れられなくて苦しむ。
だが次第にそれにも慣れて、何とも思わなくなったように自分を押さえ込んでいく。
忘れることなんて出来ないはずだ。
何故なら、ヨディは始まりの1分から別れの時まで実はリーチェンが一番望む段階を踏んでいるから。
「彼を忘れるには、あの最初の1分から全て忘れないと」
だが忘れなくても彼女は生きていける強さを持っている。
リーチェンには飛び続ける翼を持たない代わりに地上で休める脚がある。
傷ついたら羽をたたんで眠り、傷を癒し、また飛び立てるのだ。
そして時々その傷を見て思い出すことがあるかもしれない。
ヨディはたぶんそれを知っていた。
もっと言えば、ヨディはリーチェンとの結婚を心底嫌がっていたようには思えないのだ。
もしかすると、自分とは正反対のリーチェンに「養子だと知らなければ幸せだった」という自分を重ねてみたのかもしれない。
とさえ思えてくる。自分にはない強さにある種の憧れを見ていたのかもしれない。
すると、ヨディが最後の時に話すリーチェンとの時間が確かに「肝心なこと」となる。
4月16日、3時1分前。確かに二人でいた事実。



リーチェンとは対照的にミミ(カリーナ・ラウ)はとても行動的で、正直な人だ。
「あたしは一体あんたの何よ!」
そう言いながら、実はヨディには何も求めていない。でもただ楽しければいいという関係でもない。
一見わがままで強引な女性に見えるが、実は繊細で優しい気遣いのできる健気な人であると思う。
ミミもまた忘れられることを恐れているのだと思う。
だけどヨディと違うのは、拒まれても向かっていく、傷つくことを恐れない強さがある。
いや、傷つくことではなく後悔することを恐れているのかもしれない。
突然自分の前から姿を消したヨディを必死になって探すのはヨディをあきらめられない思いと、未来のため。
彼女は気持ちの区切りをつけられないまま新しい場所へ飛び立つことは出来ない人なのだと思う。
だから自分を奮い立たせ、後悔しないために飛び続ける。
泣くことも、傷つくことも知っていて、それでも飛ぶことをやめない。彼女も脚のない鳥なのではないだろうか。
リーチェンの時とは違って、ミミには決定的な別れの場面はない。
だからミミはヨディとのことを思い出にすることが出来ない。つまり彼女もまたヨディを忘れることは出来ないのである。
ヨディはミミを愛していなかったのか。たぶん違う。ヨディはミミのことも愛していたと思う。
ヨディを理解してくれる人が義理の母以外にいるのなら、それはミミなんじゃないか。
この作品の中で唯一、心にウソをつかない人間。それがミミだ。ヨディはそういうミミの強さを愛していたと思う。



タイド(アンディ・ラウ)も飛び方を知らない鳥だといえるかもしれない。
ヨディの家の近所を警らしている警官で、ヨディを忘れられずにいるリーチェンの話し相手をしつつ密かに彼女に惹かれていた。
このタイドという男がなかなかのクセ者だなと思ったりなんかする。
リーチェンと似たタイプとも言えるが、非常にありふれた人間なのだ。
仕事に満足するでもなく、夢を追って船乗りになったわりに達成感も感じない。
リーチェンへの思いも中途半端に自分で答えを出して納得したフリをしている。
このフリがクセモノだ。返せばリーチェンに未練があるわけで、その大元はリーチェンからの電話を待つのを辞めたからだ。
リーチェンは、ヨディに気持ちをぶつけて拒まれて、苦しんで区切りをつけた。
タイドは苦しむことから逃げたに過ぎない。何もしなかったのに納得なんかできるわけがない。

「愛してるのか?」
「そんなんじゃない。友達さ」
「彼女に会ったら、全部忘れてたって言え。お前と彼女のためだ」
「もう会えないかもしれない。会ってもきっと忘れてるさ」


オイオイオイ。何も望まない。何も望まれない。
ヨディに向かって「自分が脚のない鳥だと言いたいのか」とか何とか言っているが、タイドこそ飛ぶ前に死んでいる鳥だ。
それは諦めとも言えるし、拒絶される前に拒絶したヨディと同じとも言える。



拒絶さえも出来ないのはサブ(ジャッキー・チュン)
「俺なんかまるで君に不釣合いだ」
最初から諦めているというか、彼の場合気持ちを伝えるが(クギを刺されてしまっている)深追いはしない。
それが優しさだと思っているかのように。とは言ってもサブが悩まなかったわけではないだろう。
雨の中、「フィリピンへ行きたい」と泣くミミを見て自分が代われるものじゃないと思い知った。辛いに決まってる。
さりげなくミミを気遣う優しさを見せながら心は泣いている。ミミにだってそのくらいのことはわかっている。
だけどミミはヨディを好きなのだ。その気持ちを抱えたままサブの所に行けるような女じゃない。
サブにもそのことはわかっている。思う人に思われない。求めても手に入れられない。サブも同じだ。
だから「フィリピンに行けよ」と背中を押せるのだ。
ミミが戻ってきても自分とは会わないだろうと、彼は感じているに違いない。
「会えなかったら・・・俺のところへ」
疲れた鳥の休まる場所になろうとしたのだろうか。



ヨディが空を見上げた日、ミミはフィリピンに降り立ち、リーチェンは電話ボックスに電話をかけた。
そこにあるものを見ようとせず、求めたものも手にできず、満たされぬ思いを抱いたまま彼らはその時を刻んだ。
その時、ある場所では謎の男・スマーク(トニー・レオン)が身支度を整えていた。

[眠れない鳥たち]
ヨディ(張國榮/レスリー・チャン) ミミ(劉嘉玲/カリーナ・ラウ)
養子であることを知ってから、
自分が何者であるのか、刻む時の中にその意味を求めた。
“あたしの”って言えばあんたもその女の物?
忘れないために飛び続けることしかできない。
スー・リーチェン(張曼玉/マギー・チャン) タイド(劉徳華/アンディ・ラウ)
ある日出逢った1分間の友達。
短くて長い1分は、彼女に翼を与えた。
警官から船乗りへ。だが友達は友達のまま。
もう会うことはないと記憶の中に留まらせた。
サブ(張學友/ジャッキー・チュン) スマーク(梁朝偉/トニー・レオン)
束縛されることもなく、自由に飛び回ることもない。
「もう一度」は二度とないと知っているからか。
謎すぎて物議を醸し出している。
この作品に余韻を与える大きな存在でもある。