ATTENTION:ネタバレ内容が含まれていますので、未見の方はご注意ください。
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【花の影】


原題「風月」 1996年 香港作品
監督:チェン・カイコー
 


時間:128分
音声:北京語、日本語
字幕:日本語
映像特典:オリジナル劇場予告、フィルモグラフィー
チェン・カイコー、レスリー・チャン、コン・リー、クリストファー・ドイル インタビュー
 
レビュー
(愛をこめて)

退廃的な空気に包まれた魔都、上海。水の都、蘇州。
この物語は二つの地が舞台となっていて、主人公である忠良と如意を象徴しているようでもある。

少年時代、嫁いだ姉を頼ってパン家にやってきた忠良。
アヘンに溺れた大人たちに囲まれ、彼の信頼は唯一人の肉親である姉にのみ向けられた。
だが愛する姉にまでその信頼と愛情を裏切られたことにより、忠良は心に深い傷を負う。
逃れるようにパン家を出た忠良はマフィアに見込まれ上海に連れて行かれる。
「心が壊れてしまったために人を愛することができない」ジゴロ。
自らを商品とし女たちを騙し手玉に取りながら、その心の闇を晴らすことができずにいる。
過去の自分から逃げたいと願いながらもますますその過去にとらわれ続けている。
ボスからの命令で、少年時代の辛い思い出しか残っていないパン家へ行くことになった忠良。
そこで出逢ったのは美しく成長した如意だった。
命令に従いジゴロとして彼女に近づいた忠良だが、しだいに如意に惹かれていく。

一方、小さな囲まれた世界しか知らない如意にとって、知らない世界の空気をもたらした忠良に好意を持った。
二人は強く惹かれあいながらも、互いに傷つけあうことしか出来ないのだ。

−−−

レスリー・チャン演じる忠良は複雑で自虐的とも言える、まさにこの人にしか表現できないと思わせる素晴らしさです。
彼は人を愛することができないのではなく、自分が人を愛したことを認めることが怖いのではないでしょうか。
同時に人から愛されることも恐れている。だから「私を愛してる?」の問いに答えられない。
彼は愛とは何かを知っていると思う。「ウォ アイ ニィ」を簡単に口に出来ないのはそのためではないのでしょうか。
だからこそ本当に愛されるということにふさわしくない立場であるジゴロに自らを貶めることによって心の安定を保っていたんだと思う。
すべては少年時代の心を砕かれた経験に繋がっていて、それがいつまでも彼を苦しめているのです。
如意と端午の関係を知ったときの彼の表情がまさしくそれを物語っています。彼のやるせなさが溢れています。
義理ではあっても二人は姉と弟。
まさに自分の少年時代を思い出させる事実だったわけで、
如意を愛し始めていた忠良にとっては当然耐えられるものではなかったでしょう。
悲しくてやりきれなくて、いっそう愛することへの怯えが強まったに違いありません。
如意への愛情を自分の中で認めながらも上海に戻った彼の気持ちが痛いほどに伝わってきます。
印象に残っているシーンはとにかく多くて、一つ一つ挙げ出すとキリがないのですが
クラブで如意と踊るシーンは特に胸に迫りました。
「私に愛を?」
この言葉に答えたくても答えられない彼の心の重荷が手に取るようにわかるのです。
ずっと苦しんできた核心の部分。
「ウォ アイ ニィ」。彼がようやく口に出来たとき、如意は彼を拒絶します。
なんと冷たく残忍なシーン。見ている私の心さえ引き裂かれそうなシーンでした。


如意を演じるのはコン・リー
彼女のしたたかさとか中国人らしい図太さといった個性がまさに生きた役だと思います。(注:褒め言葉です)
世間を知らず、豪家の令嬢として育ったゆえの傲慢さ。
彼女は気づかずに忠良を傷つけてるんですよ。そして端午も。
その無邪気という残忍さが如意なんだと思います。
初めて恋をした相手は、昔自分の家の召使いだった男。
彼女は忠良に素直に愛情を向け、忠良はそのストレートに飛び込んでくる相手に戸惑うわけです。
如意からしてみれば、何故忠良が愛を口にできないのか理解できなかっただろうし
それをくみ取れるほどに成熟はしていなかった。
だから上海のクラブまで彼を追いかけて行ったわけで、そして彼からはやっぱり答えを得ることができなくて。
あの瞬間、彼の本心がわからなかったってことはないんじゃないかな。
たぶん自分を愛してくれているということはわかっていた。
だけどそれを言えない忠良に歩み寄ることをやめて自分から線を引いてしまったのでしょう。
だから忠良が彼女を求めたとき、「心が死んでいて愛することができない」なんて言い方、
彼の心の傷の原因がわからなくても、それが一番彼を傷つけると知った上で言ったように思うんです。
「あなたがどんな人でも好きよ」
と言ったわりに、あっさり結婚を決めちゃうところがちょっと納得いかないんだけど。
彼女にとって愛することはまさにその瞬間の思いであり、絶たれてしまった愛をもう一度復活させることは出来なかった
・・・・・・のかな。
如意が「もう遅いのよ」って言ったのは忠良に向かってのようにも聞こえ、彼女自身に言い聞かせているようにも思える。
本心では愛しているのに、もうそれを認めることはできない。
忠良を愛していたから傷ついたのだし、だから富豪との結婚を決めたのだと私は解釈していて
それならば、もうちょっと彼女の気持ちを描いてほしかったかなぁと。
二人の男(忠良と端午)に対して、女(如意)の描き方がぼんやりしているっていうか。
この役は二人の男を翻弄しているように見えて、実は彼らに縛られた役なんじゃないかな。
だとしたら、この人の心は最後まで解き放たれることなく、ただ囲まれた小さな世界の中で終えるという可哀想な人だと思う。


彼女に関わるもう一人の男、端午(リン・チェンホア)
如意との関係もすごく微妙で彼は如意に好意を持っていて、如意はそれに気づいていなかったわけじゃないと思うんです。
最初は本当に気づいていなかったかもしれないけど。
その端午の気持ちを利用して如意は忠良に近づいていくわけです。
ここはやっぱり女主人という立場がそうさせるのでしょうか。有無を言わせず端午を自分の意のままに動かす。
端午は如意を慕う気持ちを抑えていたのに、如意と共に上海へ行ったことで、二人の立場は少しずつ変わってきます。
上海に生きる男女は食うか食われるか、どちらが上に立つのか闘っている。
如意と同じく狭い世界しか知らなかった端午だけに、普段から感情を抑えていた分その反動は大きかった。
後半は如意に対して次第に強引に主導権を握っていきます。
以後、目の強さが俄然増して大胆な存在感を見せつけます。


このほか、忠良の姉な愛情、マフィアのボスの忠良への愛情と冷酷さ。
天香里の女の女であるがゆえの愛の遂げ方。
この作品に登場する人々はみな自分のことばかりを考えていて、身勝手な愛情を押し付けている。
だから誰一人として幸せになれていない。
それから最初と最後に登場する踊り子。
たぶん自分の意思ではなくクラブへ売られてきたのではないかと。
忠良が赤い薔薇を一輪彼女に差し出し受け取った少女は涙を一筋流す。
かつて自分が望まぬまま大人にならざるを得なかった忠良とこの少女の姿が重なり、
忠良はなんとも言えない哀を帯びた表情になる。
そして傷つき上海のクラブに戻ってきた忠良のもとへあの時の少女が見違える姿で再び登場する。
あどけなさを残してはいるものの、そこにいるのはすっかり上海の女になった踊り子である。
このシーンでの二人は、最初の出会いとは立場が逆である。
かつての自分と今の踊り子の姿が重なり、考えまいとばかりに踊り続ける。
そして彼の向かった方向は、後戻りのできない破滅への道だった。
逃れようとしても逃れることができない自分の心の闇に立ち向かったとき、またもその愛を失った。
自らの手で、かつて義理の兄にやったのと同じ方法で、今度は愛した女に手をかける。
葛藤の末、女の元に戻ったが既に遅かった。
悔やんでも涙しても、もはや忠良に戻ることも小謝に戻ることもできない。
彼はとうとう過去の呪縛から解かれることはなかったのだ。
そして廃人となった如意も同じく、自ら背を向けた愛によって二度とその呪縛から解かれることはない。

忠良と如意、まったく違う二人の気質。だが形は異なっても、二人の身の置き方は似ている。
自ら望まない道へと進むことで二人とも心を封印しようとしている。
惹かれあってはいたけれど、決して結ばれることはない二人。
二人はすれ違ったように感じますが、実はもともとこの二人は平行線で
交差することがなかったのではないだろうか。そう思うとひどく心が重くなります。
人は失ってしまったものに心惹かれるところがあり、この作品はあでやかな文化の中心地・上海と
古い中国が残る蘇州を舞台に、滅び行くもの美学を感じさせる作品だと思いました。
 
【主な人物】
(マウスオンプリーズ)
忠良−チョンリァン
(レスリー・チャン)
如意−ルーイー
(コン・リー)
上海で小謝(シャオ・シエ)と呼ばれるジゴロ
少年時代に負った心の傷を抱え、
自虐的な日々を送っている。
豪家の令嬢
若くして当主となる。
端午−トァンウォー
(リン・チェンホア)
秀儀−シゥイー
(ホー・サイフェイ)
如意の遠い親戚
パン家の養子となり、如意の義理の弟となる。
忠良の姉
天香里の女
 
踊り子
(ジョウ・シュン)
ジゴロである小謝が姉の面影を求めた女性。 物語の最初と最後に登場する少女。
大きな意味を持つ役ではないが、
気になったので。