≪ メ モ ≫
長苗代駅方面から馬淵川に架る大橋を渡り、すぐ左折して数十メートルほど行くと土手に大きな
木が数本ある。
「矢止めの清水」はここからは見えないが、一本、川岸の道に入ると、土手にある木の傍から水
が湧き出ている場所が見つかる。
この湧水は伝説によると、平泉を逃れて高舘に住んだ義経が、家来弁慶にどこまで遠く矢を放つ
ことができるか命じたところ、馬淵川を越えて3キロ先の土手に刺さり、この矢を抜いたところ
水が湧き出したことから「矢止めの清水」と呼ばれている。
義経は奥州平泉の藤原秀衡の元へ逃れ、その後享年31歳で自害したとされている。
しかし、義経が自害した年より1年も前に、彼は妻子や郎従を伴い平泉を発ち、三陸を経て八戸、
青森、十三湊、そして三厩から北海道へと渡り、最後は樺太、モンゴルへと移って成吉思汗(チ
ンギス・ハーン)になったと言う「義経北行伝説」が伝わっている。
ここ八戸にはこの清水の他に、11もの義経に纏わる伝説の場所が残されている。
三厩にある「義経寺の金龍水」もその伝説ゆかりの水である。
清水は現在、水量が少なく渇水状態(私が訪れたのは冬だった)にあり、また飲料には適さない旨
の表示があるが、周辺は現在、河川敷公園としての整備が行われていることから、歴史的史実をロ
マンとして楽しみながら訪れて欲しい。 |
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