スペイン2018
「ピレネーを越えたらアフリカ」とナポレオンが言ったことになっているが、それは彼のオリジナルというわけではない。
ナポレオン以前から、スペインはそのように言われていた。
それは気候区分を指すだけの言葉ではなく、フランス以東のヨーロッパ人は文化的にも、スペイン(ポルトガルを含む)を異質な存在とみなしていた。
半ばフランス人目線による蔑視を含んだ表現でもあるのだが、日本で織田信長がブイブイ言わせている頃、イベリア半島は大航海時代の震源にいた。
今も中米から南米の大半の国の公用語がスペイン語であることが、その勢いのすさまじさを人類のあり方そのものに残している。
スペイン経済が衰えた現代でも、世界各地の個人旅行者にスペイン人が目立つのは、冒険者魂が遺伝子に刻み込まれているのかもしれない。
スイスに引き続き連続で欧州を襲撃するのも安直すぎる気もしたが、覗き見するには手ごろなターゲットでもあるので、上海経由で飛んでみることに。
出発日(8月11日)
1日目(8月12日)
1.上海を経由してスペインへ
8月11日に自宅を出発し、上海には定刻より一時間も早い21:10に着陸。
到着ホールでは何だか良く判らないトランスファー案内騒ぎが発生していたが、それを無視して一旦入国し、
出国とセキュリティをやり直してゲートへ。(どうやらこれが正解だったらしい)

上海で日付変わって08月12日。
定刻の0:40に無事に飛び立ったが、0040発のCA839のフライトは、色々と怪しいことに巻き込まれる。
離陸してから、まっすぐ北上したものの、ディスプレイを見ていると天津上空で謎の大旋回。
北京空域の混雑回避で時間合わせが必要になったのか?
夜が明けてスロバキアだかオーストリアだかの上空では、立て続けにミサイルみたいな戦闘機の飛行機雲。
まぁこれは、中国南部空域でも目撃したことがあるが。。。

2.バルセロナから高速鉄道でマドリッド
定刻の8時にバルセロナ空港に到着し、前の方の席だったので、極めてスムースに機外。
やる気のないイミグレもスルーパスで、着陸30分後には地下鉄のチケットを4.6ユーロでゲットし、メトロ9Sラインでサンツ駅へ。
Collblanc駅で5号線に乗り換えたのだが、乗ってきた9Sラインは、とても深いところを走っている。
バルセロナサンツ駅でマドリッド行き当日券を購入したが、2等車で113.6ユーロ。(約14,600円)
頑張ってスペイン語で買ったが、なかなか難しい。。。

10時の列車にも余裕で乗れたが、マドリッドに13時に着いてしまうとホテルチェックイン前に時間調整が必要になるので11時の切符を買い求め、
3日後に戻ってきて二泊するバルセロナでのホテル(サンツ駅から近い!)をチェックしてから、昼食を買ってセキュリティチェック。

9年前にフランス行きの国際列車に乗った時は、切符の座席番号と、列車の座席の並びが不一致で混乱したが、今回はまとも。
マドリッド行きのAVEはスペイン国内列車として最メイン路線の位置づけだが、2等車でも4列で日本の新幹線のグリーン車と同じ程度の広さ。
肘置きなどに高級感はない。 車窓は荒れた大地が多く、割と揺れる。
マドリッド駅前のホテルに荷物を投げ込んだら早速、コンデジだけで街歩き。
マドリッドメトロは2日券を買うほど乗る計画もなかったので、10回券を14,4ユーロでゲット。

まずは中心部のSOLまで乗り込み、マヨール広場などを経由して迷いながらホテルに帰還。
マドリッドの中心部は意外なほど太くまっすぐな道が少なく、初めて歩く際に勘を働かせにくい。
いったんホテルに戻ったのは16時過ぎだったが、マドリッドは西経3.7度。
夏時間の今は日本から7時間遅れだが、実際のところは9時間15分遅れで良いくらいなので、今は最も暑い時間帯なのだ。
部屋で小一時間ほど休んでから再度の街歩き。
再びのマヨール広場で地図をもらい、カテドラルと王宮、サンイシドロを襲撃してから地下鉄でホテルに戻る。
晩飯はホテル裏の露店のレストランでパエリア。
2日目(8月13日) 1.マドリッドの朝
上海からの夜行便では熟睡できなかったことから、昨夜は21時過ぎに不本意な寝落ちをしてしまったが、深夜に電気を消して寝直し、
今朝は午前6時に普通に目覚めることが出来た。
とは言え先述のように夏時間のスペインは太陽の位置と時刻が2時間15分、、、東京の感覚だと2時間半ほど早いので、
午前6時だと午前3時半に目覚めたようなもので、窓の外はまだ暗い。

シャワーを浴び直したりして部屋でグダグダし、駅で朝食を摂って、9時少し前の高速鉄道で古都トレド。
トレドまでの高速鉄道は、バルセロナからのAVEに対してAVANTと名付けられており、座席は少し簡素だが全席指定席である。
切符を買う際に「往復で買ったら少し安くなるよ」と勧められたが、まっすぐ帰ってくるつもりはなかったので片道のみにしておいた。
12.9ユーロ。

2.古都トレド
トレドの駅前にはタクシー運転手がたむろ。
先頭の車の持ち主らしき運転手が、私に微笑みかける。

「英語は話せる?」
「話せるよ。」
「んじゃまず、Mirador del Valleの展望台に行って10分間休憩、 それからSan Martin(橋)まで行ってくれる?」
「いいよ。」
「いくら?」
「メーターで。」
展望台から撮ったのが左の写真であるが、
トレドの代表的な風景写真そのまんま。
そこからSan Martinまでは下り道。
橋に着いた時のメーターはちょうど9ユーロだったので、
10ユーロ札を渡して下車。
橋を渡って、トレドの旧市街に突入である。
時刻はおよそ午前10時だったが、早朝感が街を覆い、
歩いている人も多くはない。
目の前でグレコ美術館が開館したが、
入ろうかと迷っていると韓国人団体がやってきたのでパス。

3.トレド大聖堂
グレコには魅かれなかったが、ビューポイントからも目立っていたトレド大聖堂には突入。
尖塔にも昇りたかったのだが、そこを開くのはもっと後のようなことを言うので断念。
現在の街の規模と考え合わせると、立派な教会。
近くの菓子屋の前の修道尼の置物が可愛かったが、「狼と香辛料」のメルタさんに似ているかもしれない。

4.コンスエグラ
午後はコンスエグラを襲うべく、太陽の門から街を出て、トレドの中距離バスターミナルを目指す。
中心部は高台になっているので、街の縁に立つと眺めが良いが、あまり緑に恵まれていない地方であることが良く判る。
バスターミナルは古都にはそぐわない現代建築物。
目の前でコンスエグラ行12時15分のバスを逃してしまったので、次の14時30分発まで、ここで待つことに。
外は相当に暑くなってきていたので、身体を休めるにはちょうどいい。
何社かのバスチケット窓口以外には小さな土産物屋が一軒と売店が一つだけ。店舗スペースが貸し出されていたが、テナントが付かないのかな?
人の出入りは多いので、パン屋やカフェぐらいなら商売が成り立ちそうだが、たぶんそれらが入っては撤退した結果として空きスペースになっているのだろう。

売店の飲み物がキンキンに冷えていて美味しい。
14時を回ったので地下でバスを探すが、コンスエグラ終着のバスでなかったので良く分からず、ギリギリまで聞いて回ることになる。
バスは観光客を満載するのかと思いきや、まったくの地元の足だった。
トレドは自動車道で脱出したが、すぐにローカル道に外れ、村のバス停を回っては自動車道に戻ることの繰り返しでラ・マンチャ地方を南下する。
イベリア半島の内陸部は大体こんな感じなのだろうが、やせた大地である。 今回は行かないことにしたアンダルシアは、もっとひどいのかな?
バスは1時間強で、風車群が丘の上に立つコンスエグラのターミナルに到着。
バスターミナルからスペイン広場を抜け、教会の脇から丘へと続く階段を登る。
最初に、土産物屋が入る風車に行きついたが、
隣にはインフォメーションセンターのある風車が立っている。

さらに3基くらいの風車を過ぎるとコンスエグラ城。
そのあたりから眺めたのが、左の写真である。
ドン・キホーテが、サンチョ・パンサを従え、巨人征伐のつもりで戦った相手が、この風車なのかは不明。
土産物屋の親父は陽気で、変な日本語も使っていた。インフォメーションセンターの女性は親切で帰りのバスの相談にも乗ってくれ、
風車の上部にも登らせてくれた。

ここからマドリッドへの帰還は苦戦した。
事前に調べておいたバスは日・祝のみの運行(今日は月曜日)であり、そもそもマドリッドへの直行便は、ほとんどない。
風車のインフォメーションセンターの女性は、「いったんトレドに戻った方が早いよ」と助言してくれる。
コンスエグラの街中は、ほとんど人がおらず、バスターミナル併設のインフォメーションセンターは来た時から閉じられたまま。
結局18時過ぎのバスでトレドに行き、30分後のマドリッド行きに乗り継げたが、バスは満員で、あと10人分ほど遅れていたら乗れなくなるところだった。
全員が着席できるように人数制限されているのも乗り逸れる人が出る一因ではある。

バスはマドリッドの知らないバスターミナルに着いたが、地下鉄駅に直結しているので、ここからは苦労しない。
午後10時にホテルに生還し、昨夜の店の正面の店でパエリア。 今日のはツユダク仕様である。
3日目(8月14日) 1.アランフェスへ
本日もアトーチャ駅の店で朝食を。
イベリコ豚の乾燥肉しか挟まれていないサンドに、トマトを磨り潰したのとオリーブオイルを掛て完成?
ポテチっぽいのとジュースをつけて12ユーロ。

今日はアランフェスへ。
トレドと違い近郊路線なので、プエルタ・デ・アトーチャ駅と隣接するアトーチャ・セルカニアス駅から。
日本では「アランフェス協奏曲」で有名なアランフェスに向かおうとしたのだが、おそらくは大半の日本人が発音するであろう「アランフェス」と、
切符売場で言ったら通じず、「どこっ?」という顔をされる。後ろのオジサンが理解してフォローしてくれたのだが、それは当方が「どこっ?」と思う発音だった。
電車はガラガラ。

2.アランフェス宮殿
ガイドブックにも書いてあったが、この辺りには珍しく、アランフェスは肥えた大地だ。
電車で近づいているときにも多く緑を目にしたし、アランフェス駅から宮殿に向かう道も、気分の良い未舗装の歩道が続いていた。

10分弱で宮殿に到着。
5分ほど周囲を歩いていたら、ちょうど10時の開場時間になったので、9ユーロを奉納して入場。入ってすぐのところは工事をしていた。
アランフェス宮殿の建物内部は撮影禁止。磁器の間だろうか、装飾が見事な部屋もあった。
アランフェス宮殿は周りの庭園も素晴らしいが、自然歩道も遠くまで延びているようだった。
怪しいキティー擬きTシャツを見ながらマドリッドに帰還。

3.マドリッド レティーロ公園とプラド美術館
最も暑い時間帯にマドリッドに戻ってきたのだが、空気が乾燥しているためか耐えられる程度なので、ホテルに戻らず、駅近くのレティーロ公園へ。
堕天使の像、ガラスの宮殿、ベラスケス宮殿。
西側の門の近くにあった木は、
日立の気になる木よりも気になる木だった。

ほぼ斜め正面が世界三大美術館に
数えられているらしいプラド美術館。
(三大に入らない場合もある)
「こんな時間帯はどうせ混んでいるのだろうな」と北側の入場券売り場を通りかかったのだが、なんだか売り場はガラガラ。
とりあえず持っていたペット水を飲み干し、行ってみたらスムースにチケットが買える。
入り口もX線検査の為の列が少しある程度で、並ばされたというほどではない。
ここはゴヤの作品が充実しているが、私は個人的にはゴヤ50歳前後の作は好きなものの、若いころは人物の口の表現が好きになれず、
晩年のゴヤは暗くて嫌いだ。
ここの所蔵として有名な、ルーベンスの三美神の3女性の裸体は、どう見ても中年太り初期でブヨブヨ。
キリスト教系の宗教画が多いのは当然だが、女性(たまには男性も)の裸体画がとても目につく。仏教系の宗教画だと、裸体なんて無いよなぁ。。。

4.ドン・キホーテ
いったん部屋に戻ってからメトロに乗って中心部に再出撃。

スペイン広場には、セルバンテスに見守られる
ドン・キホーテとサンチョ・パンサの像があるが、
サンチョが乗るのはやはりロバ?

スペイン広場から遠くない丘の上にはエジプト神殿。
解放されず警備されていたが、いつもなのかテロ警戒?
今日の晩飯はイカ墨パエリア。
イカ墨パスタは日本でも食ったことがあるが、パエリアは初めて。
見た目はグロイが、まぁ、そこそこに美味しい。
マドリッドに来てからの晩飯は、ずっとパエリア。
ガスパチョ(スープ)も飲みたいと思っているのだが、なぜかメニューに見当たらない。

近くのスーパーで色々買ってホテルに帰還。スペインは、北欧よりは相当に物価が安い。
4日目(8月15日)  1.マドリッドの朝
朝の8時に長距離切符売り場に行ったのだが、本日11時30分発バルセロナ行AVEのTURISTAクラス(二等車)は売り切れ。

いったんは80数ユーロと、随分と安い金額を口にするものだから期待したのに。。。
結局は、その列車のTURISTA_Plusという食事サービス無しで一等車の座席を使う切符をゲット。
136.4ユーロで、来た時より3000円ほど高い。

切符を入手したのでそのまま地下鉄に乗って朝散歩。8時から9時にかけてでも、やはり早朝の感覚なのか人がいない。
マドリッドは4日とも晴天で堪能することが出来た。

2.バルセロナへ
王宮付近から徒歩でプエルタ・デル・ソルに戻り、地下鉄でホテルに帰ってチェックアウト。
テキトーにブランチを済ませ、少し早めに改札に行くが、例によってプラットホームが表示されない。
しばらく待ったら表示されたが、その瞬間に長蛇の列。 下の写真の列は、奥の方のホーム入り口から延々と続いているのだ。
にもかかわらず、我が3号車に入ったら誰もいない。 一等車は一車両3列シートで、広さとしてはグランクラス並。

3.バルセロナ帰還
乗った列車は、マドリッドに来た時とは異なり、途中で4駅くらいに途中停車したし、2時間45分で走破した往路とは経路も異なる様で、
およそ3時間10分をかけて14時40分にバルセロナサンツ駅に到着。

今日のホテルは15時チェックイン開始なので、これでちょうど良い。3日前に視察しておいた通り、駅の南側に出て徒歩三分でホテル。
一泊当たりの料金はマドリッドのそれより少し高い。
バルセロナでは48時間券を買って、まずはサグラダファミリアに挨拶。少し戻ってカサミラからカサパトリョ。
最後に最寄駅からグエル公園に立ち寄ったが、人が多く入場制限されていたので断念。

冷たいドリンクで気を取り直し、ゴシック地区に戻って9年前にも来たCAELUMで土産のまとめ買い。
この店はカタルーニャ地方の伝統菓子などを売っているのだが、価格は比較的良心的。

ホテルに戻る途中で、ようやくガスパチョにありつく。
ただパエリアは欠品が多く、マドリッドで初日に食したのと同じ様なヤツになってしまった。
5日目(8月16日) 1.聖地モンセラット
今日も朝から天気が良さそうなので、バルセロナ郊外の聖地モンセラットに足を延ばしてみることにする。
ここはバルセロナ中心から2時間程度で行くことが出来る奇岩の山で、高いところでは標高1000mを少し超える。
12世紀に洞窟から黒いマリア像が発見されたので聖地になったそうなのだが、これは今でいうところのヤラセっぽいと勘ぐるのは私だけ?
まずはサンツ駅にも乗り入れている地下鉄3号線でスペイン広場まで南下。
そこで、近郊鉄道と登山鉄道のセットチケットを購入。22ユーロ。
教えられたプラットホームに行くと、すでに多くの先客が、電車の到着を待っていた。
このラインは地域住民の足も兼ねているので、必ずしも観光客観光客している風ではなく、途中駅から増々混みだしてきた。
およそ一時間でロープウェイの乗換駅に着き、次が登山電車の乗換駅のM.Montserrat。
登山電車への乗り換えは簡単で、ホーム前方の車両に乗り移るだけ。

20分で山頂駅(山頂ではないのだが)。。。
初めから一括で買っておけば3ユーロほど安かったロープウェイに乗り込んでさらに上へ。
路が延びていたので、高い方を目指してどんどん歩く。 天気は良く眺望もそこそこなのだが、ピレネー山脈や地中海は目視できない。
(ガイドブックには見えるように書いている)

テキトーなところで引き返しても良いと思っていたのだが、バルセロナに戻っても暑いだけなので、ここを楽しむのも悪くない。
岩質は南アルプスの鳳凰三山や、北アルプスの燕岳周辺と似ているかもしれない。
鳳凰三山で例えると、オベリスクの天辺に行くような道が封鎖されていた。
たまたま居合わせた、彼女を見捨ててドンドン進むフランス人男は、
ここも突破してドンドン進もうとしていたが、
ふと見ると左側に稜線に続く道が続いている。

そこを登ると、到達可能な最高所らしきところに到達。
もっと高い場所もあったが、そこに登るには登攀道具が必要だろう。
帰路は順調にはいかなかった。
テキトーに登山電車に乗ったのだが、この電車は20分に一本で、バルセロナ行に乗り継げるのは1時間に一本。
つまり、3本に2本は途中で待たされるのだ。しかも乗り換え駅の一つ手前で止まってしまう。
そこでファンタレモンなど飲みながら40分待ち、登山電車でもう一駅を下って近郊鉄道に乗り継ぐ。

この近郊鉄道は当然ながら住民の足で、バルセロナが近づくにつれ、結構混んでくる。

2.サグラダファミリア教会
夕方を待って予約していたサグラダファミリアへ。

左の写真は午後八時近いのだが、
それでも夕方と言うよりは白昼の空である。
サグラダファミリアには何度か来たことがあるが、
中に入るのは初めて。
トレドの大聖堂よりもシンプルな感じで何もない。
イスタンブールのアヤソフィアと
どっこいどっこいかもしれないな。
地下鉄駅で首に手を回してくるチンピラを撃退しながらホテルに戻って、今回のスペイン最後の晩餐。
ここまで毎日パエリアだったので違うものを頼んだがイタリアン(笑)。
楽しみにしていたメロンのスープは「ない」と言われた。
ヨーロッパはどこでも、店内より外で食事をする人の方が多い。
アジアは国とシーズンに寄るが、朝飯は露天の席というイメージ。
6日目(8月17日)
帰国日(8月16日) 
  
1.バルセロナ脱出
午前便なので、ホテルをチェックアウトしたら、サンツ駅から地下鉄で、まっすぐ空港へ。
来た時と同じくCollblanc駅で乗り換えるが、やはり空港線は地下深い。
チャイナエアのチェックインカウンターは、ジュネーブ脱出の時と同じく中国人の大群。今回は日本人率や白人率が高かった。
自分が着いて間もなく手続きが開始される。やはり30分くらいかかってチェックイン完了。

2.上海を経由して帰国
バルセロナでは概ね定刻にボーディングしたが、離陸までずいぶんと時間がかかる。
世界中、どの空港も混雑気味のようだ。
座席のフライトマップが故障しているようで正しくは分からないが、時刻から推測して北京上空くらいで光の滝。

上海に到着した後も、迎えのバスがなかなか来ずに滑走路脇で随分と待たされ、やっと空港ビルに入れたと思ったら、恐ろしく効率の悪い仕組みでのトランジットを強要される。
どこからどう考えても、もっとマシな方法があるだろうと言うか、トランジット客に対する嫌がらせではないかと思う。
他の人の話によると、以前から改善されていないらしい。
中国には何十回と来ているが、外に出ずにトランジットをするのは初めて。外に出ようとしたら職員に拒否された。
この旅の往路で、集団からはぐれていったん外に出たのは、幸運だったようだ。

上海では鉄観音を仕入れて成田に帰還。

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