スイス2018

出発日(4月28日)
1日目(4月29日)
1.北京
ヨーロッパ最西端を攻略したポルトガル襲撃に引き続き、スターアライアンスのマイルでスイス往復チケットをゲット。
ゴールデンウィークをフルに活用して、羽田からチューリッヒに入り、ジュネーブから羽田に戻るという理想的な内容である。

当初は往復とも北京で2~3時間で乗継ぐという合理的な行程だったのに、後に往復とも北京-スイス間の時刻が変更されてしまい、
往路は北京での一泊が余儀なくされ、復路もジュネーブ発が夜から昼に早まったので、エアチャイナに思うところはあったが、ともあれ無料でスイスなのだ。
(各種税金で3万円ほどは徴収されたが、)不満を垂れていてはバチがあたるというものだろう。

ということで、4月28日深夜の北京首都空港に降り立ち、中国人に混ざって30分ほどタクシーを待ってホテルに移動し、
翌朝は近くのコンビニの日本風なおにぎりで朝食を済ませ、北京から10時間で夕刻のチューリッヒに乗り込んだ。

2.チューリッヒ到着
13年前に私を窮地に陥れたエアチャイナらしくなく、飛行機は定刻にチューリッヒに到達。
空港混雑の為に旋回をして、着陸が20分ほど遅れたのはエアチャイナの責任ではないだろう。
人生初のスイスはイイ感じに黄昏れており、イミグレもスムースに通過。

空港ビルの隣のビルがスイス国鉄SBBの空港駅。
日本でスイストラベルパスを入手していたが、本日は使わないので、自販機で中央駅までの切符をゲット。二等席で6.8スイスフラン。
英語モードに切り替え損ねたまま操作を開始したが、中央駅までの切符を買うだけなので、なんとかなった(笑)
使い勝手としてはノルウェーの自販機と大差はないかもしれない。

階下のホームに行くと、ほどなく中央駅行が到着。
昨今はアジアでも不自由はないが、やはりヨーロッパはスムースに事が運ぶ。
発車のベルはないものの、扉が閉まりかけても次から次へとやってくる乗客を迎え入れ、
ナカナカ出発できない電車にアジアンなにおいを感じたが、走り始めたら後はスムースで、10分くらいで列車は中央駅の地下ホームに到着。
駅は地上階もプラットホームになっていたが、こちらは中央駅始発(終着)の列車が使用するようだ。
アジアに比べて駅に落ち着きがあるのは民度もあるだろうが、やはり人が過剰に多くないからなのだろうな。
中国の駅はどこでもそうだが、新宿駅だって十分に疲れる。

なにはともあれ飛行機が着陸してから一時間で、列車と徒歩のみで宿泊ホテルにチェックインができるというのは気分的に良い。
昨夜がそうだったが深夜到着便だったり、そもそも空港に鉄道が乗り入れていない場合に、タクシー乗り場で長蛇の列を見ると気が滅入る。
ホテルの部屋に荷物を投げ込んで20時に街に繰り出したが、十分に風景写真を撮影することが出来る。
日曜日の夜ではあったが、現地の晩餐もこれからのように見えた。
中央駅の周辺だけにレストランも多いし、空気も軽くて治安上の不安も全く感じずに街歩きができる。
2日目(4月30日) 1.チューリッヒの朝
夜半に激しい雨の音がしたので気をもんだが、今朝のチューリッヒは抜群の青空。
ホテルは中央駅から徒歩3分でリマト通り沿いにあるという抜群のロケーションにもかかわらずスイスとしては破格の安さだったので、
部屋自体は多くの妥協が必要かと思っていたのだが、バスタブがないことと少し狭いくらいで快適だった。
まずはリマト通りを南下してチューリッヒ湖へ。
朝飯はどこかでテキトーに済ませようと考えていたが、
駅を離れると店が少なく、結局はエキナカのカフェ。
月曜の朝だったので出勤前らしい人が多く、
テーブルがないのでホームの片隅でサンドイッチに食らいつく。
リマト通り沿いも、聖ベータ教会や聖母聖堂、大聖堂などが点在していて、お手軽にヨーロッパな散策が楽しめる。
チューリッヒ湖の向こう側には雪を頂いた白い山並みが見える。スイスだ。
ハイジが暮らしていたのは、あのあたりだろうか?

建物の壁からは何気に、その店の商売を示す壁飾りが突き出している。
歩きながら写真を写していると、どんどんと枚数が増えていく。これだからヨーロッパの街歩きは困る。
フィルムカメラの時代だったら、どうなってしまっていたのだろうか?

リマト川いちばん下流のケー橋を渡り、国際会議場まで歩いたあたりで再び北上。
ノルウェー人も国旗好きだったが、スイス人もナカナカのようだ。 地域によっては地方の伝統旗(領主の旗?)を掲げている通りもある。
グルリと一回りして駅の付近まで戻ってきたら、短路線のケーブルカーがトコトコと登って行った。
中央駅の北側にはスイス国立博物館が鎮座しており、重厚な建物そのものからして気になる存在なのだが、月曜は休館日。
残念でもあるが、本日はインターラーケンまで歩を進める予定なので、これで良かったのかもしれない。

昨日のうちにチェックをしておいたベルン行き列車は地下ホームから出発。
空港方向からやってきて西進するヤツなので想定通り。
エスカレータを下っていると、私を追い抜くように小さな女の子が駆け下りていった。
その少女は母親と妹の3人旅の様子で、私が先に予約が入っていない空席に座っていると、後からやってきて向かいの座席に。
出発を待ちつつドイツ語会話帳を眺めていたら、地元人らしき男性が向かいの席を指して、「ここ空いていますか?」という風なことを尋ねる。
まさにその文を見ていたので「Ja bitte」とスムースに答えられたが発音はどうだったかな?

2.街ごと世界遺産のベルン旧市街
スイスは小さな国なのに鉄道が発達しているので、移動には時間を要しない。(九州7県を旅行しているような感覚で良いと思う。)
首都であり古都でもあるベルンまで、高速鉄道で一時間もかからなかった。
ここでは街ごと世界遺産になっている旧市街をパトロール。 背中の荷物を駅に預けることも考えたが、起伏も少なそうなのでそのままに。
駅の付近こそ近代的ではあったが、ほどなく中世からタイムスリップしてきたような街並みが広がっている。
教会の尖塔や泉を眺めつつ西へと歩を進めると約1kmでアーレ川のニーデック橋に行き当たる。
水の色が独特だ。
近代的な大きなニーデック橋と並ぶように、中世仕様のウンタートーア橋も架かっている。
対岸に渡ると、アーレ川が見事に湾曲しているのが良く判る。
このような地形だと外敵の襲撃にも対処しやすく、街の彼方此方にも泉があることからも、
飲料水も得やすくて、中世ヨーロッパでは奇跡のような街だったろうな。
ここベルンは、スイス特許局に勤めるアインシュタインが、ミレヴァと結婚して新居を構えた街でもある。
このミレヴァと言う女性は、ハンガリー帝国の上流階級の家に生まれたハンガリー人だが、数学や物理学の才に長け、
アインシュタインとはすぐに親友になったという才媛だったらしい。
この時の住居が、今もアインシュタインハウスとして公開されている。

アインシュタインはベルンでは7年程度しか暮らしていないが、世界を変えたといっても過言ではない、特殊相対性理論をはじめとする
物理学上の数々の発想は、この地で産声を上げている。

アインシュタインハウスには、1905年の研究ノートも公開されていた。
開かれた頁には私が高校時代に夢中で読んだ特殊相対性理論の、速度と時間短縮の関係式が示されている。
自分を物理学専攻に導いた方程式に、この旅で出会えるとは…、この意外性ゆえに旅は止められない。
連邦議事堂の近くの公園では、オジサンたちがチェスに興じていた。

駅に戻る途中のスイーツショップにはハリモグラのチョコレート菓子。日本に連れて帰りたいところだったが、旅は未だ序盤戦なので断念する。

3.インターラーケン
本日の目的地はインターラーケン。
名前の通り、湖に挟まれた街である。

ユングフラウなど、アルプスの名峰のゲートウェイでもあるインターラーケンには、首都ベルンから乗り換えなしで行ける。
国土の面積は、国民の人生の充足度に比例しないかもしれない。
ともあれ、やはり一時間もかけず、風光明媚なトゥーン湖を左手に眺めながらインターラーケンost駅に到着。
駅前のcoopで怪しいドリンクばかり3点をゲットする。
明日ユングフラウヨッホを往復するチケットも忘れず購入。
スイスパスの特典を活かしても137SFr。
今宵のホテルは見るからにヨーロピアン。(少し高かった。。。)
空を眺めるとパラグライダーが舞い、街を眺めると馬車なんぞが闊歩している。
3日目(5月 1日) 1.インターラーケンの雨
昨日のチューリッヒは、夜には雨が降ったものの朝には晴れていたが、インターラーケンは雨の朝。
昨夜、ホテルの兄ちゃんに「明日は雨? それとも晴れる?」と聞いてみたのだが、、、
「ユングフラウヨッホに行くの? 雪かな?」といった反応だった。 だいたい合っているのだろう。

それでも早くユングフラウヨッホに登ろうと、開始の7時かっきりに朝食会場に。
実に素晴らしかった。スイスらしく、自分で切り分けるチーズと様々なタイプのハム。
パンもうまかったが、野菜類は充実しているとは言えない。
給仕の女性はハイジ風の服装で、ドイツ語ではなく聞き取りやすい英語で話しかけてくれる。
しかし黒人。
私はまったく人種差別的な考えを持たない主義なので、スイスで黒人が働いていてもそれは構わないのだが、
正直なところハイジの服装は、黒人には少し似合わないかもしれないと思う。
チェックアウトもスムースで、無理だと思っていた 7:35発のグリンデルワルト行きにも間に合った。

2.グリンデルワルトを経てユングフラウヨッホへ
昨日ゲットしておいたチケットをポケットに、まずはグリンデルワルト行きに乗車。
グリンデルワルトまではスイスパスの権利で乗っているのだったっけ??
 ハイキング基地でもあり夏は特に人気のあるグリンデルワルトには中国人が大量発生。
ここで電車を乗り換え、次は登山電車でクライネシャイデックを目指す。

登山電車はタイムマシン。 春から冬へと季節を逆行し、クライネシャイデックは雪の中。
ここで再び電車を乗り換えて、いよいよユングフラウヨッホを目指すことになる。
ユングフラウは山の名前(ドイツ語で「少女」)だが、ヨッホは「肩」の意味である。
日本の登山用語でも「肩」は普通に使うが、山頂に続く稜線がなだらかになる地形を指す。

3.ユングフラウヨッホ
日本に幕藩体勢の残り香が漂っている頃、スイス人は電車で標高4,000m超のユングフラウ峰の山頂まで行くことを考えていた。
クドイようだが列車ではなく電車でである。 紆余曲折があって山頂から700mほど低い肩(ヨッホ)までの線路敷設となったが、
それでも1912年には実現してしまった。 
クライネシャイデック駅を出た登山電車はほどなくアイガー峰の胎内に突入し、メンヒ峰の岩盤を突き抜けてユングフラウヨッホの地中駅に到達する。
途中下車すればメンヒの岩壁から外を眺めることもできる。
地中駅から稜線上のスフィンクステラスへは、今は高速エレベータで行くことが出来るが、鉄道開通当時はどうだったのかな?
テラス以外にもプラトーで外に出ることが可能。タイ人が大きな国旗を掲げて記念撮影中。

スフィンクステラスとプラトーを行き来し、テラス近くの売店でラテなどを味わいながら、
ガスが晴れるのを少しばかり待ったものの、我的観天望気で見込みがなさそうなので断念し、
クライネシャイデックから、下りはラウターブルンネン経由でインターラーケンに戻る。
購入したチケットでは逆ルートでも大丈夫だし、同じ路線の往復も許されるはずだ。

クライネシャイデックに下る途中ですれ違ったユングフラウヨッホ行きは満席。
インターラーケンを10時頃に出発したら、ローシーズンの今でも、あんな目に遭うのか?
下る登山電車は冬から春を迎え、窓外の緑が増していく。
ラウターブルンネンの岩壁は見応えがあったが、往路ではガスの中だったアイガー北壁もきっと素晴らしい光景だったに違いない。
 インターラーケンでは待たされることなくベルン方面行に乗り継ぐことができ、昨日は通過したSpiezで乗り換える。
次はツェルマットのゲートウェイであるVispを目指すのだが、乗った列車はユーロシティのミラノ行きでほぼ満席。
私が下りるVispから先では予約されている席に落ち着くことが出来たが、立っている人もチラホラ。25分でVisp。

4.マッターホルンの懐 ツェルマット
Vispまで来ると、さらに山国らしくなる。
やってきた電車の内装は、やはりオシャレ。
サンクト・ニクラウスを過ぎると左右の山が迫り、峡谷鉄道の様相を呈してくる。

この路線は距離は長くないが低速なので、一時間強でツェルマット村。
マッターホルンが見えることで有名なここは、村と言うよりは観光街だ。温泉は湧かない。
駅の対面にゴルナーグラート線のガラスの駅。
ツェルマットは妙高高原と姉妹都市らしい。

妙高市との姉妹都市ではなく、妙高高原と?
 っと、疑問をもって帰国後に調べてみたら、
妙高市がまだ「妙高高原町」だった時代に
姉妹都市になったので、こうなったらしい。
行かなかったが「妙高」という鉄板焼料理店が、ジャポンな雰囲気を醸し出していた。
街の各所で、登山電車やリフトの運行状況が確認できるようになっている。

夜はお約束のチーズフォンデュ。
麻布十番のスイスシャレーが、まだ新宿野村ビルにあった頃に何度か食したが、この店では特殊な味付けをしたチーズが売り。
とりあえず、トリュフ味のチーズフォンデュを頼んでみた。 バーンホフ通りのWalliserkanne。
ここではパンだけではなくフルーツもフォンデュ用らしき姿で提供されたし、ゆでたジャガイモも添えられた。

このジャガイモに溶けたチーズを絡めて食べたら、ラクレットも楽しめるという作戦のようだ。
もちろん、そのようにもして美味しくいただいた。
角切りフルーツは、チーズを絡めても、そのままでも味わえたが、オプションでチョコレートフォンデュはできたのかな?
19時が近づくと混雑してくるようなので、この店は早めに行った方が正解。
4日目(5月 2日) 1.ツェルマットの朝
天気が良い日はツェルマットの街からマッターホルンが見える。
今朝も何となく、それらしい山が見えているが、山頂部はかすか。

今日から天気が悪くなりそうな予報なので当初の予定を変更し、朝からゴルナーグラートに登ることにする。
さすがに7時の始発は見送ったが、朝食前に駅で往復切符を買う。11日間有効で98SFr. ハイキング客に配慮した良心的な設定だ。

ホテルの朝食は昨日よりショボイ。場所も狭苦しいし、チーズやハムの選択肢が少ないようだ。

2.ゴルナーグラート
スイスの鉄道は欧州諸国と同様に改札はなく抜き打ちの車内検札でキセルに対応する仕組みだが、ゴルナーグラート鉄道は全線で電子改札方式のようだ。
高額だからという理由ではなく、ハイキング客が何度も途中下車・乗車を繰り返すことに対応しやすくしているのだろう。
スイカに似ているが、左側の大きなパネル(どこでも良い)にタッチをして、回転バーを回して入場する仕組みだった。

登山電車はツェルマットの村を眼下に見下ろしながら高度を上げ、進行方向の見通しも良いので、本当に電車で山に登っているのだとわかる。
約40分でゴルナーグラート駅。
さすがにこの季節では、途中下車するハイキング客はいなかった。(ゴルナーグラートで下りたパラグライダー客はいたが。。。)

3.ゴルナーグラート展望台と3100クルムホテル
標高3089m。この鉄道も19世紀のうちに開通している。まったくスイス人と言うのは、奇跡のような民族である。
途中から十分に期待を持たせてくれていたが、駅前からマッターホルンの雄姿が真正面に望める。
反対側の坂の上には、今宵の宿の3100クルムホテル。ホテルに荷物を預け、展望台に登った後で昼食。
自分が食べたいものを取ってレジで精算する方式。 これで3,300円相当とは、やはり山料金??
展望台では、360度のパノラマも撮ったが、全体的にコントラストが低い(ホワイトアウト)。
写真には写り難かったようだが、肉眼では
モンテローザからヴァイスホルン方面までバッチリだった。
今度はハイシーズンに、青空を背にした彼らを撮ってあげることにしよう。

この3100KulmHOTELは名前の通り標高3100mに位置する、雲上の高級ホテルである。
バスタブがあるのはジュニアスイートのみらしいが、
この標高でシャワーを浴びられるだけでも凄い事である。
ほどなく展望台はガスに包まれ、何も見えなくなってしまったので、ホテルのビュッフェに避難してチェックイン時間を待つ。
一般の部屋は、マッターホルン側と反対側で料金設定が違うのだが、数千円程度の料金差なので、話のタネにマッターホルンビューを予約。
予約当初は反対側しか取れず、後日に空室が出たので変更したという経緯なのだが、今日はどちらもノービュールームになってしまった。
ユーティリティーは、今までのスイスのホテルの中で最高だったが、それでも歯磨きセットなどは置かれていない。

宿泊料金は帝国ホテル級の設定だが、デフォルトで2食付きである。今日のメニューは「ホットポット」らしい。それにサラダバーとドリンク一杯とライスが付く。
ホットポットは、麻布十番のスイスシャレーで食べて美味しかったオイルフォンデュの一種のようだ。
チーズフォンデュと同じような鍋の中で、オイルがグツグツと煮えている。
大テーブルにブロック状の肉(牛・豚・鳥)や魚介、キノコ他、意外な食材が並んでおり、ビュッフェと同じような要領で好きなように取って、
自分のテーブルで調理して食べるというシステムだ。
こんなシステムだと、客の3割を占める中国人のテーブルは食べ残しで満載ではなかろうかと何気に眺めてみると、
意外なことに白人客よりもマナー良く食べていた。さすが、このクラスのホテルに泊まる中国人は国際化が進んでいる様子。
美味しいデザートも付いて大満足感に浸りながら部屋に戻るが、窓の外はやはりガスの海。
5日目(5月 3日) 1.標高3100mの朝
標高3100mの夜が明けたが、外は雪が降り続いている。
駅はクッキリ見えるので100mくらいの展望は効く様だが、その先は少ししか見えない。

ふと気が付くと始発電車が到着している。どうやらラッセル車が牽引してきたようだ。
バイキングビュッフェに行ってみたが、まだ開いていない。
ニューヨーク/スイス/東京時間の時計が設置されているが、東京時間に合わせた時計は遠くないうちに一時間遅らされて、
北京時間になるのではないだろうかと懸念する。

部屋に戻ってしばらくしたら、二番列車が来ていた。今度はラッセル車なしで登ってきたようだ。駅からホテルまでの道も除雪されている。
昨日の午後以降に到着した人は展望が楽しめていないので少し気の毒。
昨日はツェルマットを一回りし、リフトで登れる最高点などに行ってから登って来る計画だったのだが、作戦を変更して本当に正解だった。
ホテルマンと握手し、11時半の電車でツェルマット。

2.ツェルマット
昨日のホテルは13時チェックインを受け入れてくれた。
部屋に荷物を投げ込んでから、ガイドブックに載っている、ネズミ返しの穀物倉庫に。
床柱の途中に大きな石が組み込まれて?おり、ネズミが上がれないようになっている。
最も賑やかなバーンホフ通りには、スイスらしくチョコレート菓子店がたくさんある。

なぜカカオの産地でもない(わけがない)スイスの名産がチョコレートなのかと言うと、こういうことらしい。
・昔からチョコレートとミルクを融合させると美味しいことは想像されていた
・普通の製法では粘土のようなボソボソした食感になり、うまくいかなかった
・チョコとミルクを親和させる良い製法をスイス人のダニエルさんが発明した
・チョコを滑らかにするコンチング方法をスイス人のルドルフさんが改善した

と、言うわけで、美味しいミルクチョコはスイスとなり、それらから100年後の今も、スイスと言えばチョコレートと言う方程式が成り立っているらしい。

3.マッターホルン博物館とコルドン・ブルー
古くからマッターホルンは登山家のあこがれだったので、想像に難くなく、激しい初登攀争いが繰り広げられた。
競争を制し初登攀の栄誉を勝ち取ったのはイギリス人のウィンパーだったことは有名だが、同じくらい、下山中の彼らを襲った悲劇も広く知られている。
下山中にザイルが切れ、登攀した7名中の4名が遭難。
しかもザイルが切れた責任を問われて、裁判に相当する査問委員会まで開かれたのだ。無罪になったものの、初登攀の栄誉も有耶無耶になった。
マッターホルン博物館には、そのザイルが展示されている。

ご存知の方も多いと思うがアルプスの登山史では日本人も多く活躍している。
そのおかげかマッターホルン博物館の説明書きの多くは、「英語・ドイツ語・フランス語・日本語」で書かれている。
スイスの主要言語はドイツ語、フランス語、イタリア語(他にロマンシュ語)なのだが、その一つを差し置いて、日本語が採用されているのだ。
(中国語は「歓迎」くらいで韓国語は見当たらない。)
マッターホルン博物館は18世紀頃のツェルマットの生活も再現されており、さほど広くはないが見応えはある。
入場料は10SFrだが、スイスパス保有者は無料。
私はフレキシータイプのパスを持っていて「今日は使用設定日ではない」と言ったが、「それで有効だよ」と入場料が免除された。

先人の活躍に感銘を受けて腹が減ったので、今日も明るい時間帯からスイスグルメ。 やはりバーンホフ通りで目立っているDerbyに突撃。
名前だけ聞いたことがある「コルドン・ブルー」を注文してみた。
ウィキに「肉を薄く叩き、ハムまたはプロシュートとスイスチーズ等のチーズを包み、油で揚げるか焼いた肉のカツレツ」と書かれている
まんまの物体が出てきたが、これが抜群にうまい。
サラダを付けないと栄養バランスに欠けるのは他のヨーロッパ諸国と同じだが、このたびのスイスでは満腹のまま到着した初日を除き、
アジアなみに食に恵まれた食べ歩きを楽しめている。
6日目(5月 4日) 1.ツェルマット脱出
今朝は、ホテルの最上階から、マッターホルン山頂が見える。 天候が少し回復するのかな?
ツェルマットを出る前に改めての朝散歩。
ネズミ返しの小屋の小道から小学生が駆け下りてきた。
村の中心の教会の前には墓地。多くの墓石に故人の写真が描かれているが、退色しないのかな?

2.ドイツ語圏のツェルマットからフランス語圏へ
まずはツェルマットからVispに出る。
駅には、来週くらいからの運行と思っていたグレッシャーエクスプレス(氷河急行)。
これが走り始めると山岳地観光も本格的にハイシーズンに入るが、まだ限定運航だろう。
電車の中からも山が良く見える。槍沢から眺めた槍ヶ岳のような奴がいた。

Vispで表示に従ってジュネーブ行きに乗ったら、一本前のBrig行きだった。
入線してきた時点で反対から来たのは分かっていたが、折り返すと思っていた。
美人車掌に、「Brigに着いたら10分後にジュネーブ行きのインターシティーが来るから、それに乗って」と言われたが、
この列車の優先言語はフランス語のようだ。
(昨日までの電車は、だいたいはドイツ語が優先言語で、3日前のミラノ行はイタリア語)
Brigで乗った電車は予定の電車よりも早く、怪我の功名だったかもしれない。

3.ローザンヌ
Brigで無事にジュネーブ(空港)行に乗れ、スイス南西部・フランス国境の山々を眺めながらレマン湖に到達。
時間に余裕があるので一つ手前のローザンヌで途中下車することに。
電車を乗り間違えても、気まぐれで途中下車するにも、スイストラベルパスは自由自在だ。

ローザンヌはレマン湖北部の古都。 なかなか見応えのある大聖堂があうが、小さそうな町なので、一時間ほどで見て回れるだろう。
駅でコインロッカーに荷物を預けようと思ったが高い(8SFrだった?)ので担いで観光。(食堂車のミネラルウォータが5.4SFrだったのでケチ臭くなっていた。)
駅を出たらイキナリの急坂。いったん下って再び登ってローザンヌ大聖堂。メトロやタクシーもあるが、やはり古都は自分の足で歩くのが楽しい。
だから私は世界探訪を定年退職後の楽しみとせず、身体が自由な現役時代に仕事との折り合いをつけて旅をしている。
「坂道が凶器になる街歩き」「すぐお腹一杯になってしまう食べ歩き」というのは自分として望まない。
大聖堂の裏は現市庁舎なのにひと気のないサン・メール城。

4.レマン湖畔の町ジュネーブ
かっきり一時間でローザンヌ駅に戻り、そこから30分で最終目的地のジュネーブ。
言わずと知れた、レマン湖畔の国際観光都市であり、国連欧州本部等も有している。
街の中心でもあるジュネーブCFF駅から徒歩3分で今宵の宿。
ジュネーブのホテルはどこでも宿泊客にジュネーブのバスやトラムに自由に乗降できるトランスポートカードをくれる。
一泊客でも16SFrくらいの恩恵。
さすが観光立国スイスの玄関口だ。

ジュネーブは明日の午前も見回る時間が取れるので、今日は目的を決めず、旧市街方向を幅広く歩くことに。
旧市街はローザンヌと同様に石畳の坂道が多いので、老人には厳しい街かもしれない。

人間不平等起源論で有名な哲学者ルソーはジュネーブ生まれ。ローヌ川の中には「ルソー島」というのがあった。
旧市街の中心部のサン・ピエール大聖堂が観光客を集めていたが、尖塔と四角い塔がセットになっているあたりはローザンヌ大聖堂と共通するかもしれない。
大聖堂にも掲げられていたが、路地もスイス国旗と異なる旗のコラボ。この地域の盟主の旗か地方旗なのかな?
日本も観光地に限らず駅前などに、江戸時代当たりの藩の紋章など掲げたら面白いのではないだろうか??

有名な大噴水は今日は見かけない。今日は中止なのか、時間が限定されているのか不明だが、明日に期待しよう。
この季節のレマン湖畔は、暑くも寒くもなく、風も穏やかで気持ちが良い。
いろんな意味で高級そうな雰囲気の通りは、人通りは多くはない。
レマン湖に突き出たボート乗り場の埠頭まで歩くが、こんなところでも、車いす対応。さすがヨーロッパである。

スイス最後の晩餐はオイルフォンデュ。今日のはしゃぶしゃぶの様に薄切りの肉。
右端の写真が一人分のセットで、調理用の串が二本付く。 煮えたオイルの中に肉を入れて、一本が調理されている間に、もう一本の串を食べる。
タレは6種類がつけられていて、私的には4勝1敗1分け。
食事代はチップまで含め一人10,000円相当と、今回最高値を記録したが満足度の高い晩餐。
ランニング後のようなラフな服装でフラッと一人で入ってきた女性客がいたが、旅行者なのかジモティーなのか謎。
再びジュネーブを訪れることがあったら、また来たいレストランだ。 20時くらいまで明るいので、もうひと散策しながらホテルに帰還し、スイス最後の夜。
7日目(5月 5日) 1.ジュネーブの朝
レマン湖は意外と波があるのだが、今朝は穏やかな様子。
穏やかな朝もやの中、西南岸のイギリス公園あたりを歩いていると今日はマラソン大会があるらしく準備が進められていた。
東の方に向かって出発していったが、ほどなくフランスに入るし、スイス側を走るのなら旧市街の丘に登ることになるし、どんなコースなのだろう??

2.再びのジュネーブ旧市街とレマン湖の大噴水
ヨーロッパの朝市は、アジアのそれと雰囲気が違う。
何となくアジアの朝市と比べて清潔感があり、活気には欠けるような気がする。
起きたばかりといった服装の客がいないし肉や魚介は冷蔵ケースに入っているからか? 野菜なんかの切り屑も落ちていないし。。。
東側の住宅街からサン・ピエール教会に回り込んでみたが、住宅街の中に、ちょっと独特な雰囲気の教会。
最初はイスラム教かと思ったが、てっぺんには十字架が並んでいたので、キリスト教の宗派なのだろう。看板はフランス語のみ。

サン・ピエール教会で一人旅の女の子(と言っていいくらいの年齢)に頼まれ写真を撮ってあげる。インドから来たらしい。
その他は、あまり旅行者に会わず。 昨夕はたくさんいたが、みんな夜遊びに疲れて朝散歩はしないのだろうか?

マドレーヌ大聖堂付近を歩いていると湖の方に水柱。昨日は見れなかった大噴水が始まったらしい。
昨日は見つけられなかったのか不明だったが、これに気が付かない訳はないので、やはり休止していた様だ。
時刻は9時過ぎ。
毎正時に時間限定で揚がるのか、始まったら夕方まで上がっているのか知らないので、取り急ぎ湖畔に戻る。
それでも噴水は高々と揚がっている。近くまで行ってみたが迫力がある。ウィキによると140mまで揚がるらしい。

3.ジュネーブ国際空港
10時半にチェックアウトし空港へ。 電車には、ホテルでもらったジュネーブカードで乗れるのでありがたい。
電車は空港まで10分もかからず、+10分でターミナルビル。
少し早く着きすぎたかなと思っていたが、落ち着きのあるジュネーブ空港の中でエアチャイナのカウンター前だけ異様な喧騒。
多くが中国人だ。白人客もチラホラ。彼らからは私も一緒くたに見えていることだろう。 なんにせよ、早めに来て正解だった。
ノルウェーの時と同じく、シャンゲン外に出国するカウンターに行ったが、結構並ばされた。
それは良いのだが、これまたノルウェーと同じく、出国後はマトモな土産店がない。
なぜここで現金を使い果たさせようと頑張らないのだろうか?
時計と酒・タバコと香水は普通に有ったが、そんなのは興味がないか、買うとしてもクレジットカードだろう。
街中スーパーと同じようなチョコレートは並んでいた。
一か所に購買意欲がそそられる見た目も綺麗なチョコレートがあったが、冷蔵ケースに入った生チョコ。北京で半日あるのでキツイかな。

4.レマン湖畔の町ジュネーブ
エアチャイナはやはり定刻出発で、離陸後はレマン湖北岸を眼下に見ながら上空へ。
このままベルンやチューリッヒの上空を通過してドイツに抜けるので、今回、一週間をかけた旅を20分程度で飛び越える感じになる。
乗客の半数強は中国人。
だいたいは静かにしていたが、数か所からは場違いな大声の中国語が聞こえてくる。
1970年代頃の日本もそうだったのだろうが、品性と収入は必ずしも比例しないので、こんな感じになるのだろう。
離陸後8時間くらいで第2夕食(最初は中国時間の夕食で、次はスイス時間の夕食?)
10時間くらいのフライトだと、二回の食事のうちの一つは、軽食に毛が生えた程度のことが多いが、今回は気合が入っている。
欧州線には力を入れているのかな?
8日目(5月 6日) 1.北京の朝
エアチャイナはまたも定刻に北京到着。
明け方の北京空港にタラップで降り立つチャイニーズも心なしか気だるげである。
せっかく早く着いたが、北京空港のイミグレは例によって大混雑。
外国人の指紋採取と顔の撮影が本格的に稼働し始めたのでなおさらなのだろう。
約一時間をかけて外に出られる。
北京では空港に荷物を預けて街に出ることにしたが、荷物預かりは8時開始と言う。

2.サクッと天壇公園
本日一番客で30元で荷物を預けて、メトロ空港線で北京に出撃。
5年前の同じ季節に来たことがあるが、当時は中国語も話せず中国にも不慣れだったので、おっかなびっくりだったのが懐かしい。

気を抜くとトラブルが発生するのが中国なので、今回は5年前の北京の中でも再訪したいと思った天壇公園のみを見て空港に戻ることに。
メトロ空港線から2号線、5号線と乗り換えて天壇東門駅に行くのだが、相変わらず中国メトロの乗り換えは、駅間を結構歩く。
5年前は駅を出たところに案内がおらず、地図を見て北天門に向かってしまったことから随分と壁の外を歩く羽目になった。
今回は駅の地上に出たところに案内係がいて、「天壇公園はそっち」と、叫びまくっていた。 中国の観光インフラも進化しているのかな?

スムースに到着した東門では、まずは15元で公園入場券を購入。
こんなに安かったっけ?といぶかりながらも、見覚えのある屋根付き通路を経て祈年殿を目指す。
と、ここで再びチケット売り場が登場して、3か所の参観券を20元で買うことになる。
そうだった。

まずは目の前の祈殿殿から。 5年前よりも空気の状態が良く、フワフワした浮遊物が少ない。
人も多いが建物がデカイので圧迫感がない。 奈良の大仏だって集団で合宿が出来る広さだろう。
それから南へと下って圜丘壇。
ここでは豊作祈願や雨乞いを行なっていたらしいが、どんな祭礼だったのか興味深い。
最後に皇穹宇。
「圜丘での祭事に使う歴代皇帝の位牌を安置しておく所」とWikにあるが、見た目は祈年殿の上段に似ている。
宗教駅な意味合いとしては、構造物としては最も地味な圜丘壇が、3つの中で一番重要らしい。

まだ時間があるので天安門あたりにも回れたが、無理をすることなく空港に戻って荷物を回収。
GW最終日は日本人がイミグレで列をなしているかもしれないので安全第一。

3.羽田に帰還
今回の旅でエアチャイナは、最後まで裏切ることなく、羽田行きも、ほぼ定刻出発定刻到着。
遊び半分でCAとの会話は、すべて中国語で済ますことにした。
それでもイントネーションでバレバレだろうと思っていたのだが、、、
日本到着前にCAは、私に(たぶん英語版の)税関申告書と、入国カード(日本人には不要)を渡そうとする。
「自分は日本人だから日本語版の税関申告書だけください」と、逆にあわててしまったが、いったい何人に思えたのだろう?

スイスとは違い、東京は19時にはどっぷりと日が暮れている。前方の座席を確保していた功も相し、着陸20分後の京急線に乗って帰宅。
今回は往復とも中国乗り継ぎながら、順調すぎる旅のままでミッション終了。

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