香港越年2017-2018

出発日(12月28日)
1日目(12月29日)
出発前夜
直近の3大連休は、ユーラシア大陸最西端・雲南省深南部・欧州最北端とディープなところを攻略したので、この年末年始は穏やかな休暇を、
ということで15年ぶりの香港を越年地に選ぶ。
秋風が身に沁みだした頃にフライト費用を確認してみたのだが、広州往復は約8万円、香港往復に至っては12万円を超えるとPCが訴えてきた。
世のサラリーマン諸氏が休暇に入る12月29日に飛び、連休明けを迎える1月4日に帰国する作戦なので、「さもありなん」と了解できる価格設定である。

ところが同日程で、広州イン・香港アウトの検索をかけたところ、朝出発/深夜ではない夜に帰国と言う魅力的な条件の航空券が、
(税抜き)5万円で手に入ることを発見。「どうして、こんな価格設定になるのだろう?」などと余計なことは考えない。
好条件の航空券は発見し、発券した者の勝ちなのである。
5月の雲南省深南部からの戻りに広州で二泊した際も、日帰り香港をやろうと考えたことがあるくらいなので、願ったりかなったりである。

と、言うわけで、出発前夜は会社からいったん帰宅し、年始にすぐに出勤できる準備を整えてから蒲田のホテルに移動。
当日朝の出発でも十分に間に合うのだが、年末は鉄道に勝負を挑む方が発生する確率が少し上がるので、つい安全策を取ってしまう。
車内の電光掲示板を見ると人身事故はないものの「八高線が鹿と衝突して運転見合せ」と出ていた(笑)。 我が路線はさほど混んでいない。

1.広州白雲空港へ
出発日の朝は、寒さに凍えながら京急蒲田駅に向かう。 と言うのも、今回は広州/香港に向かうことから、防寒着を持ってきていないのだ。
すれ違う方も私の薄着を見て、さぞや異様に思われたことだろう。
出国ラッシュ日ともあって、羽田空港7時過ぎのメインの検査場は混雑。
以前は早朝は閉じていた左側の検査場に回ると、今日は開いていたし空いていたのでスムースに管理エリアに入れて朝食を摂りながらゆったり。

我がNH923は、途中、雪の八ヶ岳を見下ろしながら30分ほど早く広州白雲空港に到着。
ここで大学の後輩のK氏と合流する計画だったが、中国駐在中で国内線で広州に来る彼の便は遅れているようである。
しかもエプロンに接岸せず、バス移動になったとのことで予定から30分遅れぐらいで合流。

2.広州
K氏とは地鉄の乗り場で待ち合わせをしていたのだが、そこはなんだか未来都市から通じていそうなトンネルになっていた。
合流して羊城通カードをゲット。
こんなスグに広州を再訪するつもりはなかったので、5月まで使っていた羊城通カードは会社の中国駐在員に譲ってしまったのだ。
世界で最も速い地下鉄である広州地鉄3号線で広州東駅に乗り込み、16時ちょうどに8か月ぶりの全季酒店に投宿。
相変わらず英語が通じない上に、なんだか作業がスムースではない男性スタッフに軽い苛立ちを覚えていると、
チャッキっとした女性スタッフが登場し、ナチュラルな英語でサクッとチェックインが完了。
中国の接客業のスタッフは、駅の切符売りにせよホテルのフロントにせよ、求め得ることが可能であれば女性の対応を受けるに限る。

二日後に私は香港に向かうことから、部屋に荷物を置いた後はまず、国鉄広州東駅に行って12月31日の高鉄切符を求める。
各窓口に各々10人ぐらいの客が並んでいたが、さほど待たされることなくスムースに予定通りのチケットをゲット。

5月は、どのレストラン(そこそこのレベルの店)も大行列ができていて食に困った経験から、体育西路のデパート内の良さげな店で早めの夕食を摂る。
四川料理とのことで辛いのを覚悟したが広東らしく十分に旨かった。 が、2人ともアルコール無しで514元は、ちょっと食いすぎかもしれない。
そこから珠江の夜景を見に行くためにメトロに乗ろうとしたところ、乗客集中による入場制限とやらで駅に入ることができず、
南側に一駅の珠江新城駅まで歩く。 距離は1km少々だし、広州の夜は暖かいので食後の運動にちょうど良かったくらいか。
広州塔駅から運河沿いの夜景を楽しみ、21時にはホテル帰還。このホテルは、お茶セットがサーブされているのでありがたい。
2日目(12月30日) 1.進化する朝飯
ホテルは朝食を付けずに予約をしていたので、07時45分に朝食を求めて出発。 目的地は5月にお気に入り登録した雲南料理店である。
ホテルから徒歩3分のその店はメトロ広州東駅の真上ぐらいに変わらず鎮座し、早朝から食事を提供していた。
が、カウンターでオーダーしたところ、給仕のオバサンに「スマホで支払ってから取りに来い」といった意味の言葉で怒鳴られる。
この店のテーブルにある二次元バーコードで店のHPにアクセスし、微信による注文と支払いを確認してから調理を始めるシステムになっていたらしい。
取り急ぎ、駐在員K氏が会社支給スマホでテーブル上のバーコードを読み込むが、彼は微信に現金をプールしていないために支払えず、
本日のこの店での朝食は諦める。
すぐ近くの点心の店は現金を受け付ける仕組みを残しており、朝飯にありつくことはできたが、いやはや中国社会は恐ろしいことになりつつあるようだ。

2.陳家祠
幸運にも点心で飢えをしのげた我々は、地鉄一号線に乗って、まずは陳家祠。
陳氏書院とも呼ばれ、屋根の彫像と所蔵の工芸品がナカナカ見事な見どころである。

3.越秀公園と西漢南越王墓博物館
陳家祠から越秀公園に回り、広州のシンボル的存在でもあり、今回も活用している羊城通カードの意匠にもなっている越秀公園の羊に会いに行く。
丘の上に立つそれは、絵面から想像するよりも巨大な存在である。
そこから徒歩で西漢南越王墓博物館。 ここは公園の西南門を出たらすぐである。 あまりにすぐ過ぎるので、昼食を食うタイミングを逃してしまう。

広州のシンボルが羊になったのは、その昔、5人の仙人が5頭の羊に乗って空から舞い降り、黄金の穂を広州にもたらしたという故事に因んでいるが、
それは紀元前300年頃、すなわち秦の支配を受ける前と言うことになっており、それから概ね100年後、
秦の始皇帝の死後に建国された南越国の二代目の王の陵墓が、この西漢南越王墓博物館のベースになっている。
その頃の日本は弥生時代で、文字記録のない先史時代と言うことが出来るかもしれない。(この時代は、世界史的には文字のある歴史時代とされる。)

そこを出たころには腹の虫が賑やかに騒ぎ立てるので、通りの向かいの東北餃子で遅めの昼食を摂る。
中国内でならどこででも見かける店だし清潔でもないが、そこそこに美味しくいただく。 この店は現金オンリーの様相で、なんだかホッとする。
隣の隣は、これまた中国のどこででも見かける蘭州ラーメン店。 最近まで知らなかったのだが、この蘭州ラーメンというのはハラール食らしい。

4.中山記念塔と中山記念館
東北餃子で腹を満たした次は中山記念館を目指すが、途中から地図を見間違えて中山記念塔に行ってしまう。
到着前から気づいてはいたのだが、それまでに結構な階段を登っていたので「ついでに行くか」となった次第である。
延々と登ってきた階段を下って、道を渡って中山記念館

中国で「中山」と言うと、辛亥革命を率いた孫文を指すことが多いが、ここも例外ではなく孫文を記念している。
が、我々が到着した30日午後は会議中ということで入場券の販売が停止しており、観光客は入れなかった。
にもかかわらず広場には入場券売りのオバサンが居たのだが、彼女からチケットを買っていたら中に入れたのだろうか?
孫文は日本に亡命したこともあり、中国人妻がありながら日本人女性と重婚した上に日本人女性の愛人も連れ歩いたという大らかな時代の闘争家でもあった。

閑話休題
記念館の建物の中に入れないのでは仕方がないので広場を歩いてから六榕寺を目指すこととするが、このあたりは見どころが近接していて楽である。

5.六榕寺のち広州塔
六榕寺は一度は火事で焼失したが千年くらい前に再建され、文化大革命でも破壊されていない歴史的建造物(のハズ)。9層の花塔も立派。
「榕」という文字はガジュマルの樹を指し、その昔、境内に六本のガジュマルが茂っていたことに由来しているらしい。
ちなみにガジュマルというのは日本語であり、特徴である「絡まる」が訛ったという説がある。英名はMalayan Banyanなので語源ではない。
適度な時間になってきたので、塔つながりで地鉄に乗って広州塔へ。
写真を並べると新旧歴然とするこの広州塔は、たどり着いた時は、水蒸気か大気汚染化かは判らないがボンヤリしていて絵にならなかった。
私は何度も広州塔に登っているがK氏は初めてなので、お約束の最上階へ。
以前に私が見落としていたのかチケットの区分が変わったのか、前回と同じような価格帯のチケットを求めたにもかかわらず、
私としても初めての屋上(露天)に出られることに。
風が強く空気も淀んでいるので長時間の滞在は辛いものがあるが、この高さで露天に出られる場所は少ないかもしれない。
屋上の縁を周回する摩天輪に乗るには、さらに70元ほどの奉納が要求される。

6.広州のシーフード
そうこうしているうちに、晩飯の時間帯。
昼食が遅かったので、さほどの空腹は感じなかったが、食い物を目の前にしたら食べたくなるくらいには動き回っただろうということで、
昨日とは異なるデパートのレストラン街を目指す。

実は昨日は、ちょうど食事時くらいの時間帯に店を出たものの、大混雑していたようには見えなかったので、5月の私の災厄を軽んじた。
ところが今日は5月ほどではないものの、どの店にも行列ができている。 2~3つのデパートを渡り歩いたが、似たような状況である。
やはり過去の教訓は活かすべきであった。
価格設定が高めの為かシーフードの店にテーブルの空きがあったので、なんとか夕食を確保。
中国で海産物をバカ食いするのに心配な点がないわけではなかったが、広州のデパートなら大丈夫だろうということで、プレートも頼んだ。
(結果的にも問題はなかったので、明日も特別な報告はない)
この店は手袋をして手で食べるのがスタイルの様だったが「食いにくい」と店員に訴えたら、屋台のタコ焼きの船のような紙皿をくれた。
その後に隣に座った中国人グループも我々のそれを見て、同じ紙皿を店員に要求していたので、どうやら中国人的にも食いにくいらしい。
3日目(12月31日) 1.リベンジした朝飯
技術進化のおかげで昨日はありつくことが出来なかった雲南的朝飯を、本日は食することができた。
その陰にはK氏の果敢な試行錯誤と、彼が駐在する中国会社の現地社員の多大な協力の物語がある。
その労を讃え、朝飯には少々そぐわない、過橋米線を紹介した。
この料理にまつわる故事は雲南省集中攻撃にリンクを貼っているので、今回は説明を割愛するが、雲南省で最も有名な料理の一つである。
煮立った容器に自分で麺と具を入れて料理を完成する仕組みだが、具は火が通りやすいように薄切りされ、スープを冷まさないように麺は温められている。

2.広東省博物館
K氏は12時頃までに白雲空港に戻る必要があるので、広州で残された時間はわずかである。
と言うことで、観光の時間調整がしやすい広東省博物館へ。

ここはいつも、こういったタイミングで行くので、じっくりと見られたためしがない。
いづれは、がっちりと時間を確保して見学したいものである。
現地滞在時間は、予定60分のところを7分ほどオーバーステイしてホテルに駆け戻り、まずはK氏に駅に向かってもらうべくロビーで別れる。

このホテルのチェックアウトはスムースなので、私もほどなく出発できるが、私は広州東駅を一時間後に出る高鐵を確保しているので、
時間に追われることもなく、かと言って暇を持て余すほどでもなくちょうど良い。 とりあえず、ドリンクを買ってからスタバで時間調整。

3.高速鉄道で、まずは深センへ
広州東から深センまでは、一等座でほぼ100元で、列車にもよるが凡そ1時間15分程度の旅程である。
切符は2日前に求めておいたが、本日の切符売り場もさほどの列ではなく、本日の購入でも問題はなかったものと思われる。
広深線への乗車も中国方式で、出発15分くらい前に列車ごとに改札が開くのだが、通路のピカピカ具合は何なのだ?
我が車両は最後尾で、私にあてがわれた座席は最後列。
2日前に切符を買ったのだが、一等座の乗客として一番乗りだったのだろうか?
この路線には仕事で、途中の東莞までは中国駐在中に乗ったことがある。
そこから先は未体験だったが不安はない。 普通に列車が走って、普通に目的地に到着するだけである。
次の駅で隣に別の乗客が来たことから、窓側から電源線を延ばしていた携帯電話の充電を中断した以外は、すべてが想定通りに進んでいる。
一等座だったからかキャビンは静寂で、気分の良い移動時間。

4.陸路越境
広州東駅を定刻の12時に出発した列車C7113は、定刻の13時16分に深セン駅に到着する。
駅から外に出たら、標識に従って、ひたすら南を目指すだけ。
多くの人が香港を目指すか、もしくは香港からやってくるので迷う要素は何一つない。
グーグルマップのストリートビューならぬ、百度地図の同機能で予習した青看板をくぐり、まずは中国から出境する。
(出国ではないが手続きは同じで、入国時に手元に残った出国票を提出する。)

人の少ない列を選んで並んだのに時間がかかるなどの不本意もあったが、まずは順調。
中国と香港のどちらにも属さない身で境の川を歩いて通過し、今度は香港側の入域手続き。
列の途中で入境票を入手して、パスポートを下敷き代わりに慌ただしく必要事項を記入する。
さほど待たされるでもなく入境手続きを受けていると、PCを操作していた審査官の手がハタと止まり、広東語で私に何かを言ったかと思うと別の係員を呼ぶ。
その係員は私に着いてくるよう促し、早口の英語で、「コンピュータによる選別で、あなたの面接を行う。ランダムチェックだ。」と一言。

『見るからに一般ツーリストの日本人くらい弾けよ。』などと思いながら別室に通される。
そこには見るからに怪しくない善人男女30人くらいがウンザリ顔で待機中。
『面接とやらには何分くらい待たされるのだろう? 20分か、30分か?』と、思っていたら、
10分も待たないうちに「ジャパニーズ」と呼ばれ、面接無しで通される。
どうやら係員もPCに対して私と同じことを思ったようで、見るからに一般ツーリストの日本人を人為的に例外扱いしたようだ。
15年ぶりの香港入域を果たせたので、 速攻でオクトパスを求め、ついでに1万円を645HKDに換えてから東鉄線14時31分の列車に乗る。
深セン駅からここまでで1時間15分。スムースならちょうど1時間と言ったところか?

5.香港中心部に進軍
一等座と迷ったものの40HKDの追加が惜しくて乗った二等車は混んでいたが、三駅目から空いてくる。
九龍糖駅でメトロに乗り換え、旺角駅に15時半に到着したので境界駅からJUST一時間。

駅近くのホテルに荷物を投げ込み、16時からネイザンロードを南下。
街は良い感じに黄昏れているが、このメインロードの歩道は人が多く、思うように歩けない。
普通なら30分くらいで行けそうな距離を、50分かけてペニンシュラホテルに到達。
映画スターの手形などが展示されている星光花園などを眺めつつ夜を待つ。

6.夜景
香港と言えば夜景・夜景と言えば香港と、さながら連想ゲームのように思い浮かべる方も多いと思うが、
その中でも人気度の高い、大陸側から香港島を眺めるスポットに行ってみる。
まだ暗くなりきっていないためか大混雑ではなかったが、このあたりから年越花火が見られるらしく、警察官も沢山控えている。
その高名な夜景は、暗さを増すほどに明かりも増えて綺麗になっていったが、モヤのせいかボンヤリとしている。
後方から中国語で「明日の方が良いな」などと言っているのが聞こえてきた。
香港は元々は広東語圏であったが、今は普通話(北京語)が席巻している。

ホテルに戻る道もキラキラしている。それは今日が大みそかだからではなく、普段からそうなのだろう。
香港は大陸部よりは西洋化されているが、大切にされるのは春節(旧正月)であり、
新暦正月はさほどのイベントではない。
イルミネーションも、新年を迎えるものと言うよりは、クリスマスの残滓といった感じだ。
年を越してもクリスマスの雰囲気が残るのは西洋諸国も同様で、クリスマスが終わったとたんに町が全力で新年モードに突入する日本の方が
特異なのかもしれない。

いったんホテルに帰還した後、もう一度付近を出歩いてみるが、異様な人出にゲンナリして部屋に戻る。
香港街中の夜景も撮っておきたかったが、それは明日で良いだろう。
4日目( 1月 1日) 1.香港的元旦
元日の香港は当然ながら暖かく、雲一つないとまでは言えないが、マズマズの天候。ホテルを8時過ぎに出発して、朝飯ついでの朝散歩。
テキトーに今年最初の食事を摂った後も、あちこち周りながら南下し、昨日の展望台にも行ったが、やはりモヤっている。
モヤとは無関係だが香港は歩きタバコが中国よりも多い。民度が逆転しているのではないかと思うほどである。
11時過ぎにホテルに戻ってチェックアウト。
香港には4泊するのだが、予約の都合で年越だけ旺角泊となったのだ。
ここは北欧並みに高い部屋でバスタブも朝食もなかった。

今宵から3泊するホテルまでは歩けない距離ではないが、荷物もあったので、油麻地駅までメトロで移動。
11時半には今夜のホテルに到着し、さすがに部屋には入れなかったもののザックを預けて街歩きを再開する。

2.香港ホンコン
香港はトイレが少ない。
独立ビルディングのホテルに入ればロビーの一角にあるだろうから神経質になる必要はないが、
見かけたら行っておくくらいの心がけで、ちょうど良いくらいかもしれない。

油麻地は観光客とは関係のない一般庶民の居住地域でもあるので、街には生活感がある。
産地直送の果物屋がズラリと並ぶ果物市場や、昔ながらのスタイルの肉屋。
年間を通して気温が高いのに、生肉の鮮度が保てるのだろうかと心配になったりもするが、
このスタイルで何十年もやっているので、たぶん良いのだろう。
一介の通りすがりが、どうこう言う問題ではない。

しかし、肉屋の店頭にぶら下げられた肉塊に、ハエがほとんど集っていないのは気になる。
この地域からはハエが撲滅されているのか、それとも特殊な工夫をしているのか?
果物屋には、日本産を謳ったイチゴやリンゴも多く見かけたが、日本果実は人気でもある。
油麻地のヒスイ市場も有名ではある。
17個の言語で来客を歓迎しているが、ココでの顧客の主な出身地ということだろうか?
ヒスイは硬玉、軟玉、碧玉等に区分されるが、中国に硬玉の産地はないので、
たぶん硬玉はミャンマー産が中心だろう。軟玉は新疆ウイグル自治区の和田産かな?
午後からは香港島にも足を延ばしてみるが、たぶん15年前と大きくは変わっていない。

脱出日の移動経路確認を兼ねて、中環駅から香港駅までも歩いてみるが、どこに行っても人が多い。
たぶん住民だけではなく、観光客もかなりのパーセンテージを占めている。ピークトラム駅の様子も見てみたが、大混雑で大変な行列。
今の時間からこれだと、夜景を見るためにはトンデモない忍耐が強いられることであろう。
明日の始発電車なら並ばずに乗れるだろうと作戦を立てて、再び大陸側に戻る。
ホテルにチェックインしたところ、一泊一万円程度の部屋だというのにバスタブも付いているし、ネイザンロードが見下ろせる15階で、昨日よりも遥かに良い。

3.再びのネイザンロード
新たな部屋に荷物を運びこみ、一安心してネイザンロードを再攻撃。
この道は20世紀初めの総督、マシュー・ネイザンにちなんで名付けられたらしいが、建設当時は無意味なほど幅が広いと酷評だったそうな。
それが今では、二階建ての路線バス三台が所狭しと信号待ちで並んでおり、時代の変遷は誰にも予想しがたいものだと痛感する限りである。

ネイザンロードでは法輪功のデモにも何度も出くわす。
2014年の雨傘革命は中国で暮らす私としても気をもんでいたが、法輪功に対する弾圧は、全体像が良く見えない。

4.香港ナイト
夜はテキトーな店で早目の夕食。
タイ式パイナップルライスに、サイドで蜜味叉焼を頼んだらセットメニューになるらしく、「飯・河・米(線)・麺から好きなのを選べ」と言われる。
「炒飯を頼んだから要らない」と断っても「同じ価格だ」としつこいので麺を選んだが、大して旨くも無い。 炒飯と叉焼は美味しく、全部で79HKD。
食後は再び夜景を撮りに街に繰り出したが、昨夜と同様、場所により大混雑。
5日目( 1月 2日) 1.ピークトラム
今日は始発のピークトラムに乗車すべく、午前6時にシャワを浴びて6時半にホテルを出発。
5分後に油麻地を出発するメトロに飛び乗り、中環駅を経て7時8分前にはピークトラム駅に到着した。なんとも効率が良いものだ。
作戦通り始発のピークトラムは混雑しておらず、しかしそれでもトラムの前方は早起き観光客が占拠していた。
山頂駅には8分で到着するが、ここはまだ客を受け入れる準備が整っていない。 トラムを降りた客は停止したエスカレータを歩き、駅舎の外に出た。
トラムの到着前にはせめて、エスカレータくらいは起動しておこうよ。
山頂駅を出たところにあった簡単な地図を参考に、100万ドルの夜景のビューポイントでも、もっとも有名な大平山獅子亭に行く。
そこには随分と前から場所取りしてるっぽい女性が、一眼レフを三脚にセットしていたが、車で来たのかな?
時期的なものか、昨日今日が恵まれていないのか、
PM2.5が香港をも飲み込んでいるのかは不明だが、
ここからの景観も、やはりモヤで霞んでいる。
約一時間後のトラムで下山。

2.上環
再びの中環駅から初の上環に移動し、ジモティー御用達の店で朝食。
マカロニスープに叉焼が浮かんでいて、それにバターブレッドと目玉焼きとコーヒーがセットで28HKD。
珈琲は今一つだったが、料理やパンの質は悪くない。
そこから階段を登って文武廟。
知恵と学業の文昌帝と、公正と忠義の関羽を奉るというが、
天井からぶら下がる、グルグル巻きの線香がユニーク。

入り口のところで線香を売っていたが、
後から入ってきた日本人男性二人組が大量に買って参っていた。
信心深いのかな? それとも香港旅行の記念?
少し階段を下ったところに、仏教的小物を売る店が数店舗。一軒は「写真を撮るな!」と貼っていた。 分別ごみ箱がカラフル。
駅に戻る途中の林奇苑茶行で少々高めの炭焙煎鉄観音茶を仕入れる。帰国後に毎日飲んでいるのだが、結構おいしい。

3.コーズウェイベイと湾仔(ワンチャイはカタカナで打とうとしたら勝手に正しく変換された)
今日は香港島を回っておこうと、次はコーズウェイベイのビクトリア公園へ。
なんだか大規模な展示会をやっていたが、人の少ない北の海峡側に。

こちらからは九龍側の高層ビルが、ヨットハーバー越しに眺望できる。
やはり香格里拉の存在感が強い。
ファッションウォークは渋谷を歩いているような気分になるので、トイレを利用させてもらっただけで通り抜ける。

次は一駅戻って、湾仔のリートンアベニューでも眺めてみるか。 と、いう訳で湾仔に移動したが、露店が歩きにくかっただけで、特段の特色はなかった。
特報すべきは、湾仔公園入り口付近にあった公衆便所だろうか?
なんと、この公衆便所は、それだけのために階段を登らせて、三階に鎮座するのである。
女子トイレは反対側の階段を登るのだが、おそらくは同じような構造なのだろう。
身体が不自由な人には厳しいトイレだなと思ったが、帰国後に写真を拡大して見たら、一階に車椅子マークの入り口があった。
それ以外は、建物の表示を見ると中国語で「ゴミ収集所」の様なことが書いてあるが、入り口は公園内に面している反対側なのかな?

4.スターフェリー
湾仔から中環に戻り、スターフェリーでチムシャツォイへ。
実際のところ、九龍と香港島の行き来は、これが一番楽かもしれない。

九龍側の景色が大きくなってきたのでカメラを構えたら、おもむろに香港女子が乱入してきた。
周囲を気にしないあたり、やはり漢民族の血がなすものなのか、それとも大陸からの観光客?

港を出たらチムシャツォイのブランド物エリア?
軽く九龍公園を視察してからホテルに戻り、それから出直しての夕食は福建炒飯と餃子で83HKD。
飲茶系ではないが、中華三昧である。

天后廟の内外で複数の中国人・黒人が職務質問を受けている。
その近くには占いのテントが林立。

香港人は歩くのが遅く、人込みは速やかには歩けない。エスカレーターは右が立つ人で左が歩く人に徹底されている
6日目( 1月 3日) 1.香港な朝
今日も香港は適度の気温で気持ちの良い朝を迎えさせてくれた。

ティムシャツォイの良さげな点心の店で朝飯にバッチリの粥に餃子を付け、
テーブルチャージのようなお茶代を含む59HKDで満足。

今日も香港島のビル街は、少しモヤっている感じだが、朝っぽくて良い。

2.錦田吉慶園
この旅では、いったんは日帰りマカオも考えたが、なんとなく旅のための旅っぽく感じ、バカらしくなって香港に的を絞ることとする。
そこで、今まで行ったことがない西鐵沿線を攻めてみることに。
ガイドブックによると終点の少し手前に、福建省の福建土楼のイメージを彷彿とさせる、壁で囲まれた錦田吉慶園という場所があるというので、
尖東駅9時半の西鐵線に乗車。わずか15分で錦上路駅に到着。
案内板にあったB出口からテキトーに北の方を目指すと、なんと10分弱で呆気なく到着。

いや、来るほどでもなかったかも(^-^;
道向かいの、なんだかわからない赤い看板?の方が見に来た価値があったかもしれない。
チョッと物足らなかったので、西鐵線終点の屯門にある青松観という道教寺院に足を延ばすことに。

3.青松観
錦上路駅から屯門はスグ。 駅から徒歩で青松観。
ここがナカナカに素晴らしい。
私は日本庭園も好きだが、中華庭園にも心落ち着かさせられるものがある。

どちらも各々に、内在している世界観のようなものを凝縮している感じが良い。
小一時間ほど、ここの空気を堪能した後、この地域の軽鉄の停留所から兆康駅に。
そこから西鐵線で美浮という駅に移動してメトロに乗り換え、昼過ぎには油麻地。
ホテルの近くで昼食を摂って部屋の掃除が終わる時間まで待ち、ホテルで一服。
連日20km以上を歩いているので、ちょっとクタびれたかもしれない。

4.香港歴史博物館
少し休んだ後は、今回の滞在中に行こうと思っていた香港歴史博物館を目指す。佐敦までの一駅にメトロを使ってしまったが、そこからも少しは歩く。
香港歴史博物館では何ともタイミングが良く、西域展をやってくれている。日本人もシルクロード好きだが、中国人も西域に浪漫を感じている。

追加料金10HKDで、久しぶりに中国西域の空気感を味わうことが出来て大満足。何と言おうか、人類の歴史は本当に神秘に満ちている。
私に宗教的な信心は皆無だが、それでも神のような存在、、、人類の生存と発展を見守り育んできた、超越的な力を感じずにはいられない。

ここは常設展示もガッチリ見応えが有る。(常設展示だけなら無料で入れる)
日本が香港を占領した時代のコーナーもあるが、南京や韓国のような根拠不確実なものを誇張していることはなく、日本人としてしっかり向き合う
価値のある歴史が語られている。

その後、隣の科学博物館にも入ったが、階段で足を取られて転んでしまった。
床は柔らかなクッション材なので(だから足を取られたのだが)問題ないが、ベンチに座っていたオジサンにしっかり見られてしまう。
この旅での歩行距離は優に100kmを超えている感じか。ホテルに戻り、20時には泥のように眠る。
7日目( 1月 4日) 1.最後の朝
香港島を眺めるプロムナードの散策を楽しんだ後は、ティムシャツォイの、昨日朝食を食べた点心の店が良かったので再訪。
今日は餃子を違う種類に変えてみたが、こちらも良かった。色々と入った粥は相変わらず最高。

食後は速やかに油麻地に戻り、少し余裕をもってチェックアウトをしたのは良いが、
すべてがスムース過ぎて、ホテルから一時間弱でチェクラップコク空港に到着してしまう。
腹も減っていないし、どうしよう?

2.チェクラップコク空港
非管理域を一時間ほど見てから出国し、管理エリアに入ったが魅力的なレストランも土産物屋もない。
1000円だけとか100元だけを換金する気にもならなかったので、オクトパスに残っていた残額と、わずかな現金残で、少し不本意な昼食。
土産っぽいものはクレジットカードで、お茶の大量買い。包装を解けばバラマキ系になる。
それ以外はディズニー関連か、ブランドショップか酒とタバコと香水か、もしくはベタ甘いだけの中国菓子。
出発が順番待ちで遅れ、定刻15分遅れの19時半に羽田空港に到着して、今回のミッション完了。
明日は一日だけ会社に出て、翌日からは三連休。

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