ノルウェー2017

出発日(8月11日)
1日目(8月12日)
1.オスロへの長い道のり
報告は前日の8月11日から。
オスロに向かうべく、まずは成田空港17時25分出発のバンコク行に乗り込んだのだが、機材がA380-800(約500人乗りの二階建て機)だったので、
ジャンボジェット時代を彷彿とさせるボーディングの大行列に、ちょっと戸惑う(というか苦笑い)。
機は出発定刻にドアクローズをしたが、離陸は18時。 映画設定はセンスが合わず、辛うじてゴーストインザシェルとアメリカンスナイパーで間をつなぐ。
定期的に通っているスワンナプームには定刻20分前に着陸したが、エプロン空き待ちで5分ほど待機。
今回は入国せずトランジット通路に回ったが、やはり水は回収される。セキュリティーは出国時と同レベル。 ベトナムなどは甘いのだが。。。
改めて水を購入し、バンコク時刻24:55(日本時刻3:00am近く)発のオスロ行を待つべくスタバでラテ。 タイバーツを持ち歩いていて良かった。
スワンナプーム空港で日付をまたいで8月12日。
我がTG954は、やはり定刻の0:55に飛び立ち、ヒマラヤ南部からカスピ海北部を超えオスロを目指す。
バンコク経由なので、日本からだと地球の直径分の移動距離となる。
出発時から予報されていた通り、定刻30分前の6:55着にオスロに到着し、ヨーロッパ人以外が対象のイミグレに並ぶことになるが、
最初は順調に進んでいたのに、列の目の前の中国人やタイ人の審査が長くなり、異様に長く待たされる。
一応、見た目は旅行者だが、不法入国を警戒対象? 彼らはまったく英語が話せないようで、審査官も困り果てている雰囲気。
気が付けば、少し後ろの人は別の窓口に案内されていたようで、いつの間にか私の周りが最後尾集団になっていた。
日本人の審査は、ひとことフタコト、「観光?」「何日の滞在?」程度。
入国してしまえば、預け荷物もないので、あとはスムース。

空港一階で通常線の特急乗車券を93クローネでゲット。
成田エクスプレスのような空港専用線は180クローネだが、途中に一駅があって、余計に3分かかるだけで半額。
自発の出発時間も見ずに指定の4番線のエスカレーターを下り、車両の写真を撮っていたら、8:13に置いて行かれてしまい、8:43を待つことになる。
間抜けなことをしてしまったが、再度空港エリアに戻り、明日、北に飛ぶ時のドメスティックエリアや、空港全体の様子をチェックできたので良しとしよう。
30分後の次の列車も土曜日のためか混雑していない。
空港からオスロセントラルまでは23分。

2.オスロ
9:06にオスロセントラル駅に到着。
駅前ではなぜか、虎がにらみを利かせていた。とりあえずは今夜のホテルに向かう。

ホテルに荷物を預かってもらって、9:30から街歩き。まずは、お約束のカール・ヨハン通りを王宮まで往復。
土曜日の朝の為か人も少なく、気分の良いオスロの第一歩を楽しむことができる。

街の様子や距離感を一通りチェックしてから駅前のRuter(観光案内所のような施設)に戻り、11:00スタートでオスロパス24Hを購入。
395ノルウェークローネ。(以後NOKと記し、2017年夏時点で、1NOK≒14円) 高いのに紙切れで、リスボンカードの様な土産的価値はない。
Ruter内部には写真のように、どの路線のバス(または市電)が何分後に、どの乗り場から出発するのかが表示されていて便利。
さっそく2分後の30番バスに乗り込み、まずはBygdoy地区のFolkemuseum(民族博物館)を目指す。
バス車内にも到着時刻案内の電光板があり、観光客も安心して乗車できる。

3.Norsk Folkemuseum ~ノルウェー民族博物館~
オスロ中心部から約30分で民俗博物館。
オスロパスを提示すると、入場料125NOKが無料となり、さっそく、5600円近い一日券を購入した効果を存分に発揮する。

民族博物館は、ノルウェー全国の文化を紹介しているが、ラップランド地方のサーメの紹介などが興味深い。
一度だけ会ったことがある、サーメに関心を寄せていた大学の先輩がいたが、彼はココに来たのかな?
ちなみに「ラップランド」は、日本では一般的な地域呼称だが、当地では、どちらかと言うと(ドイナカ的な)蔑称にあたるらしい。
民族博物館には少し以前の地方の街並みや家の内部
(時々キャストがいて生活状況を演じている)、
商店やガススタンドが配置されている。

セーターはサーメ人の伝統的なデザインらしいが、
まぁ、東京でも普通に着こなすことが出来そうである。
日本人的感覚では、1960年代くらいの生活レベルの
印象だったが、どうなのだろう?
ここでは一定時間ごとに民族舞踊の公演も行われているのだが、それは後日の報告としよう。
博物館の敷地は広く、丘の上に教会がある。
800年くらい前に建造されたという木造の教会で、
19世紀終盤に北部の村からオスロに移転されたらしい。

道標を探すと「Stavkirke」とある。
ノルウェー語もドイツ語と同じで、複合語は長くなるようだ。
20mほど先から小道が登りになっているので、まちがいは無さそうだ。
ノルウェーの世界遺産にフィヨルド地方ウルネスの木造教会があるのだが、これはその弟分といったところか。
オスロから手軽に行けるので、あなたがノーベル平和賞をもらうことになったら、ついでに行くと良いと思う。

4.コンチキ号
コンチキ号という船の名前は、御存じだろうか?
この船は、ポリネシア文明の起源を実証するために、ノルウェーの人類学者ヘイエルダールが第二次世界大戦直後に建造した、冒険船である。
船というよりは、イカダといった分類に入りそうだが、ともあれ近くに展示されているので行ってみた。
気候も良かったので民族博物館から歩いて行ったが、そこそこの距離があり、バスに乗る方が正解である。

コンチキ(コンティキ)号は、ネット上でも解説や写真があふれていてご存じの方も多いと思うが、ヘイエルダールの探検の第二弾として、
アフリカ大陸から南米に向けて大西洋を横断したラー二世号も展示されている。

コンチキ号博物館の入館料100NOKもオスロパスで無料。
内部には、ポリネシアから持ち帰った文物やモアイ象の模型なども突っ立っていて怪しい。
そう言えば、入口のところのバス乗り場にも、何やら巨大なモアイが立っていた。
その隣が、極地観測船のフラム号がゴロっと収納されているフラム号博物館である。
ここの100NOKもオスロパスで免除。これでだいたい、投資額は回収した。
フラム号はまずは北極海の探検に用いられたが、後にアムンゼンに譲られて、人類初の南極点到達に貢献することになる。
あまり知られていないかもしれないが、日本の白瀬隊長率いる南極観測船の開南丸が、南極大陸から逃げるように出立したのは、
このフラム号の慌ただしい出発に触発されたためとも言われている。

しかし、、、開南丸と名付けたのは、かの東郷平八郎だそうなのだが、「海難」と音が同じなのに、、、よくぞ名付けたものである。
それを言えば、今の日本も元号は「平成」だが、音が同じ「弊政」は、「政治が悪く民衆が苦労をする」という意味なので、
みんな名づけには無頓着で、よもやその因果ではなかろうが、名前通りの運命を受けているのかもしれない。

5.オスロ シティーセンター
ここからシティーセンター行のフェリーが出ているようなので、時刻をチェックすると、さほど待つ必要がなさそうである。
実はオスロは湾の対岸なので、バスで再び陸地をグルっと回るよりは距離も遥かに近い。
料金は、乗り場で買えば40NOKで、船内で買うと60NOKだそうだが、乗り場の切符売り場は開いていなかった。
もっとも、例のオスロパスならこういった交通機関は無料になるので、私としては、どうでも良かったが。。。

船内でパスのチェックを受けながらサクっとシティーセンターに戻り、ノーベル平和賞にちなんだ平和センターや、オスロ市庁舎をチェックしつつ、
いったん駅前に戻る。駅前から、バスで国立美術館。
ノルウェーの著名人にムンクがいるが、ここには有名な「叫び」が展示されているが、私にはムンクは理解が難しい。
ここに展示されている有名な作品でも、モネやゴーギャンはもちろんとして、まだピカソの方が理解ができる。

ここも無料で観覧し、バスで駅前に戻りって、ようやくホテルにチェックイン。
宿泊したシティーボックス・オスロはまったくの全自動仕様で、チェックインは自動機に予約番号などを打ち込むとルームキーが提供され、
そのカードでホテルの管理エリアにも入ることが出来る仕組みだった。
簡単な英語さえ読めれば大丈夫なので楽なのだが、このシステムのために、今朝方に荷物を預ける際は、
他の宿泊客が出入りするタイミングを狙ってホテルに不法侵入し、スタッフにアクセスすることになった。
いったんホテルに戻って、体内時計微調整用に仮眠してから夕食に出かける。 レストランのチーズバーガーとペプシで232NOK。
欧州のハンバーガーは、日本でのそれよりは夕食っぽいが、それにしても3000円以上というのは、北欧ならではの物価である。

食後にコンビニでドリンクとヨーグルトを3点だけ買ったが71NOK。 ちょうど1000円くらいか。
牛乳かと思って買ったのだがチョコレート系ドリンク。ヨーグルトは、なかなか品質が高かった。

ノルウェー含む北欧の平均年収は日本の2倍近くだが、所得税率も40%以上だし、消費税率もレシートの表示を見る限りでは
25%(持ち帰り食材は15%?)なので、生活は楽なのだろうかと危ぶんでしまう物価の高さである。
2日目(8月13日) 1.オスロの朝
昨日のうちに体内時計のアジャストを済ませておいたので、いつもの5時55分に自然に目覚め、7時過ぎに海辺を朝散歩。

入り江の対岸はオペラハウス。やはり朝散歩中の人がいる。
海と言うのが正しいのか、川と言えば良いのか、とにかく水辺には一定間隔で、救命投げ輪が設置されていた。
日本の街角のAEDよりも多く見かけたが、そんなに頻繁に、救助すべき事案が発生するのだろうか??
オスロセントラルから初のメトロでヴィーゲラン公園へ。日曜日の朝の為か車内はガラガラ。 目的地はメトロが地上線になっている。

2.ヴィラーゲン公園
ここヴィラーゲン公園は、気持ちの良い風が吹き抜ける快適な空間ではあるが、病的なくらいに人物像が乱立する。全部で650体以上だそうだ。。。
曇天だとメランコリーになったかもしれないが、青空の下での人物像は健康的な気分で楽しめた。
が、小一時間も散策しているうちに、中国人の大集団がやってきたので公園から撤退。

ここにはメトロ駅から徒歩で来たのだが、実は公園の入口正面に市電12番線の乗り場がある。
12番は本数が多く無いようだが、待たずに来てくれた。
リスボンの市電と同様に、この市電も街中を駆け抜け、市の中心部とも言える市庁舎前を通りかかったので下車。

3.オスロ市庁舎とノーベル平和センター
ノーベル賞はスウェーデンのストックホルムで授与されるものだが、平和賞のみ、ここオスロ市庁舎で授与される。
授賞式が行われるホールは観光客も自由に出入りできるので、物見遊山で見物。

二階のムンクの部屋は看板で閉鎖されていた。日本語もあったが、それに優先して中国語表記。
オスロ市庁舎の斜め向かいにノーベル平和センター。
歴代ノーベル平和賞受賞者に関するアレコレが展示されている。
100NOKの入場料に見合うほどの展示はなかったがオスロパスなら無料なので観覧。ここの平和賞メダルのチョコは土産物の価値あり。

ホテルのリミット時刻が迫ってきたので、いったん戻ってチェックアウト。
チェックアウトも機械で行うので、便利と言うか味気ないと言うか、、、アニメの「キノの旅」にこんなホテルが登場したような気がする。

さほど重たくもない全財産を担いでカール・ヨハン通りをふらついたが、めぼしいレストランを発見せず、結局はオスロ駅の構内でランチ。
安めのバーガーキングが無茶混みだったので、二階のDPUSとやらでバーガーにラテで210NOK。
追加で買ったFANTAは40NOKと、何の変哲もないジュース瓶一本が560円相当。 空港内ならまだしも、相当にクレージーな物価である。
バーガーキングに長蛇の列を作っていたのも、欧米&中国からの観光客っぽかった。

この日はちょっと失敗をして180NOKの列車チケットを購入してしまう。 もう一度オスロから空港行く予定なので、次回は気を付けよう。
180NOK号にも、一度くらい乗っておいても損はない。 通常エリアと静粛エリアに分かれているのだが、静粛エリアは本当に静かだった。

4.ノルウェー最北の街へ
1705に空港を飛び立ったSK4424は、チケットも安くはなかったのだがドリンクが有料。
飛行は順調で、定刻より15分早くトロムソに到着し、二階の乗降共通フロアに出る。
トロムソは北極圏最大の街だと地球の歩き方には書かれているが、これは誤情報っぽい。
ともあれ私が北極圏に降り立つのはバロー以来の23年ぶりなので、少しばかり嬉しい。

本日は二時間強の乗継時間があるのだが、戻る時は35分で乗り継がないといけないので、空港を探索し、構造を把握しておくことにする。
次の便は20番GATEで一階が待合室。きっと地面を小型機まで歩いて、タラップで乗り込むのだろう。

2105発のWF978はプロペラ機で、予想通りタラップから乗機。もちろん自由席である。
プロペラ機は音こそうるさいが、滑走距離の短さは喝采ものだ。機体が軽いからだろうが、あっと言う間に宙に浮く。
8月13日だと、北極圏のトロムソにも一応の夜は来るが、雲の上に出ると22時でも十分に明るい。

5.ホニングスボーグ空港は濃霧で閉鎖!?
WF978は途中で4か所の空港に立ち寄り、3番目の寄港地でノールカップへのゲートウェイとなるホニングスボーグ空港には22時55分に到着する予定だった。
が、一つ手前のハンメルフェスト空港で、予定の乗客が降機した後に機長がキャビンに表れ、「ホニングスボーグは霧で着陸できない」と衝撃発言。
やはり有視界飛行なのか。。。
ホニングスボーグを目指す15人くらいの乗客は、ここで下ろされ、SASが準備したバスでマーゲロイ島のホニングスボーグを目指すことになる。
バスの出発は22時55分。 奇しくもホニングスボーグ空港への到着予定時刻だ。。。
空港で250NOKの金券が配られ、空港からバスで2分のガソリンスタンドで食料の買い出し。

トラベルはトラブルと言うが、少なくとも私にとっては大ラッキーとも言える事態かもしれない。
先にも書いたようにホニングスボーグ(やノールカップ)は、大陸ではなくマーゲロイ島に位置するのだが、この島は1999年に本土とは、
道路としては世界最長の6.8kmの海底トンネルで結ばれたのだ。
私は、ホニングスボーグへは空路でなく、このトンネルを使ってアプローチしたかったのだが、それだと時間が掛かるので断念したという経緯がある。
それが思わぬ形で叶えられることになったわけだ。
懸念と言えば、「24時くらいに到着する」と伝えておいた安ホテルが施錠されてしまうことか。

そこでバスの運転手に、「ホテルに電話をして『到着が遅れる』と伝えてくれ。」と依頼した。
その時に聞いたらホニングスボーグまでは3時間ほど掛かるとか。
『そんなに掛かるの??』と思ったが、海沿いの道は結構な霧でバスも速度が出せない。
バスの中に表示される外気温は、出発時の10度からドンドン下がっていくが、やはり真っ暗にはならない。
霧も晴れてきて、海底トンネルの入り口は肉眼で目視できたし、内部が岩肌のままのノンネル壁であることなどが確認でき大満足する。
経度的には23時40分前後に太陽が最も深く沈む計算になるが暗くなりきらず、それを過ぎると少し明るくなってきた気がする。
外気温も4度を底に9度まで上がってきた。 今日は半月だが、地表近くでまっすぐに立っているのは太陽が浅い証拠でもある。

予告より少し早く、25時10分頃にホニングスボーグの村の入り口付近でバスが一旦停止し、乗客全員の予約ホテルを確認して、
最初に我がArctic_HOTELに回ってくれる。わずか2分で到着。
ホテルの鍵は空いていたがフロントには誰もおらず呼んでも出てこない。電話をしたら5分くらいで出てきて無事チェックイン。
23時半の到着目論みが2時間遅れたが、26時くらいには眠りにつけた。 夜が明けたら欧州最北端だ!
3日目(8月14日) 1.ホニングスボーグの朝
昨夜のトラブルで短い睡眠時間となったが、朝はさわやかに起床。いつも通り5時55分に目覚め、昨夜はさぼったシャワーと洗濯をサクッとすませる。
8時にホテルを出て周辺を探訪してみたが、特に収穫無し。

インフォメーションセンターにもヒト気がまったくなく、ココが出発点になるはずのノールカップ行きのバス時刻も掲示をしていない。
それっぽいバス停はあったがバスの絵が描かれているだけ。
近くのスカンディックホテルでは団体客が大型観光バスに乗り込んでいた。

2.北へ、北へ、北へ
地球の歩き方ではノールカップ行のバスの始発は7:45となっていたが、バス運行会社のHPでは9時となっている。
そこで、いったんホテルにもどって準備をしてから9時ちょっと前にインフォメーションセンターを再訪。
9時キッカリに女性がチャリで来た。 が、同時にバスも来た。
そこでバスの運転手に「いつ出発するの」と訊ねたら、「すぐに出発するよ」と微笑む。

バスの中でも切符を買うことができ、ノールカップホールの入場料込み往復で446NOKと事前情報より安い。
他に乗客が来ないままに私一人が、大型バスの貸し切り状態で出発。運転席右後ろの特等席をゲットである。
夏至前後のメインシーズンはわからないが、個人でノールカップを目指す旅人は少ないのかもしれない。

このバスは途中で二回ほど主経路から外れて、点在する乗り場に回るが、やはり誰も乗ってこない。
その代わりと言っては何だが、野生のトナカイなんぞが姿を見せる。
原野の中をバスは北へ北へとひた走り、道はよく整備されてはいるが最果感は半端ない。
やがて荒野の果てにノールカップホールの丸いアンテナドームが見えてきて、バスは0945に目的地に到達。

3.欧州最北端 ノールカップ
運転手はバスを所定の位置に停車し、私の方を振り返って「到着したよ」とニッコリ。 運転中も簡単な観光案内をしてくれたし、フレンドリーな運ちゃんだ。
私がバスを降りる際に、戻りのバス時刻を教えてくれようとする。
フロントガラスの右下に、外に向けて時刻表が貼っていることに私は気づいていたので、「これでしょ?」と指さすと、
「そうそう」と、バスを一緒に降りて説明してくれる。 「このバスは1015に折り返して次は1345。 その次は1710。。。」 本当に丁寧な人だ。
ホールに入らなくても最北端には行けるが、とりあえずは表玄関から入場。
ノルウェーの妖怪トロルはココにもいた。カフェや土産物屋もある。
日本語の絵本なんぞも発見。

有名な地球儀型モニュメントのあるノールカップ岬の最北端は、
まさに地の果ての様相で、さほど寒くは無いが風が強い。

他の観光客も、風に飛ばされそうになりながら写真を撮っていた。
西の岬から眺めてみたら、
モニュメントが断崖絶壁の上に設置されていることが良くわかる。

東南に離れたところに、世界中の子供たちからデザインを募集したという碑が
並んでいたが、左から三番目は日本代表で「あゆみ」と書かれている。
実は、ここは本当の最北端ではなく、ここノールカップ岬の西側にクニブシェロデン岬というのがあって、グーグルマップで見る限りでは、
さらに1kmほど北極点に近い。
赤道から北極点までの90度は10,000kmなので(元々は、これを基準にメートル法が定められている)、
1kmというのは32.4秒(=1度の1/60である1分の半分強)だから、拘らなければ妥協の範囲内である。
丸半日を費やせば徒歩で往復できないでもない距離だが、今日はミゾレも降ってきたので本当の最北端に行くのは止めて、周辺を探索することに方針変更。

転落防止用の柵の外側に、どこかで見たような旗が風になびいている。
近寄って確認すると、やはりタルチョ(=チベット旗)だ。 よもや、こんなところで再会できるとは思っていなかった。
次にノールカップ岬の東側を探索すると、いい感じの風景の中をカップルが、彼方に向かって歩いている。
(しかしこの二人は、ついぞ戻って来なかったので、今でも密かに心配している。。。)
再びモニュメントに戻り、無人の写真を撮ろうと待ったが、他の人に撮影を頼んでいるカップルが動かない。
と思っていたら男性がエンゲージリングを取り出してプロポーズ。 これには撮影を頼まれた人もビックリ。

ホッコリとした気分になってホールのカフェで、ラテをダブルで一杯。 このホールは極地にあるというのに、地下構造もなかなかのもので、一見の価値がある。

4.帰還
クニブシェロデン岬に行くのであれば、戻りは17時10分のバスになるかなと思っていたが、ノールカップで満足したので13時45分のバスに乗車。
今度のバスは、ナゼかガイド着き(後に理由が判明)、風光明媚な景色を解説してくれる。
観光用か、ガチか、サーメがトナカイを連れてテント横に佇んでいる。

このバスは寄り道しない直行便で、14時30分に、ホニングボーグに帰還。

5.フッティルーテン
ノルウェーのフィヨルドを最大限に満喫する観光手段の一つとして、フッティルーテン(HURTIGRUTEN)という選択肢がある。
創業100年を超える船会社が提供する、ノルウェー西部のベルゲンから、ロシア国境に近い北部のキルケネスを6泊で結ぶ沿岸急行船による船旅も、
その一つであるが、その船は、ここホニングスボーグにも寄港し3時間半ほど停泊する。
その間にエクスカーションツアーとして、ノールカップに行くことも出来るとは聞いていたが、先ほど乗ったバスの、私以外の乗客は皆が、
そのツアー客だった様子だ。(それでガイドも同行していた。)

ホニングズボーグに到着した際、「今日は特別サービス♪」とか言って、終点のインフォーメーションセンターを通り過ぎて、
フッティルーテンの乗船場までバスが回り込んだので、他の客にとってはサービスかもしれないが、
帰りにインフォメーションセンターに寄ろうと思っていた私にはありがたくないお世話でもあった。
が、小心者の日本人は、そんなことは表情にも出せず(>_<)
そのおかげで間近に見たその船は、ナカナカに豪勢な雰囲気を醸し出している。

6.ホニングスボーグ
本日の旅費446NOKは、バスの中でもカード払いができるはずだったのだが、日本発行のクレジットカードだったためか、
カード会社との通信がうまく行かず、現金で支払った。
ノルウェーは極端なカード社会で、ジュースの自販機や公衆便所のチップさえも、現金はダメでカード払いになるところもあるくらいなので、
現金がなくても問題はないのだが、今日のバス代のような事態もないとは限らないので、インフォメーションセンターに行って日本円との換金を試みた。

今朝のチャリ出勤姿を目撃したセンターのお姉さんに「ここで換金できる?」と尋ねたら、「隣の土産物屋でできるよ」と教えられる。
インフォメーションセンターではなく、土産物屋での換金なんだ。。。
で、隣の店で10,000JPYを換金したら600NOKが戻ってきた。なんだ、成田空港よりレートが悪いじゃないか。。。

そのまま近くの店で食事。 ノルウェー料理の店が見当たらず、イタリアンが売りの店でケバブを注文。
ナカナカ美味しかった。

ホテルへの帰り道のコンビニでジュースをゲット。ペット2本で70NOK(≒1000円)。
もう、物価に驚かないぞ。
ホテルの部屋に戻ったが、シーツもバスタオルもそのまま。 週に一度の交換以外は追加料金らしい。
4日目(8月15日) 1.ホニングスボーグの朝
歩き方によるとホニングスボーグは、「ノールカップ博物館と教会のほかに見どころはない」とバッサリである。
とりあえず、その教会とやらまで朝散歩。 小さな町なので徒歩で十分だし、道に迷う要素もない。

丘の中腹の教会は、特に何の変哲もないものであったが、こんな北限の地まで、布教をした宣教師には敬意を表する。
いつの時代から建っているのかは少し調べてみたがわからなかったが、先の大戦でドイツ軍がホニングスボーグを焼け野原にした際に、
唯一残されたということなので、それなりの年月を過ごしているのだろう。
見晴らしの良い場所に立つ、こじんまりとした可愛らしい教会である。

教会の近くのバス停に子どもが描いたっぽいイラストの壁画。「魚の模様が特徴的」「捕鯨国らしくクジラがいる」
「トナカイもいる」「山の上部に雪が積もっていて富士山のような感じ」等々と気づくことは有るが、
なんと言っても太陽が黄色い。(月ではない)
太陽が赤いのは世界広しと言えど、ほぼ日本くらいだそうで、世界の主流は黄色らしい。 金色に塗る子供もいる。

海辺に出てみると海鳥が多い。 食い物が豊富なのかな??
時折降っていた小雨が止んで、陽が差したと思ったら虹。
右のは虹の根元が隠れているので、少し移動して撮り直したが、すぐに薄くなってしまって絵にならなかった。

2.ホニングスボーグ空港
表題の通り、本日はノルウェー国内を大移動。 いったんオスロを経由して西のベルゲンまで飛ぶ。 乗り継ぎは二回で各々に30分程度の余裕しかない。
昨日からタクシースタンドを通りかかるたびにチェックしていたが、車が待機していないタイミングもあったので少し早めにスタンドへ。車は有り、すぐに出発できるが、わずか4km(所要5分)で148NOK。

一昨日は着陸できなかった空港はとても小さく何も無い。
X線を受けた後も、クレカ自販機だけで日本カードでは買えず。狭い待合室にはTVが一台だけで、フライト案内すらも無い。
「TVに表示すれば良いのに」と思っていたら本当に表示された。1143到着予定が1158に変更。
直前の情報なので、きっと精度は高いだろう。

3.ホニングスボーグからトロムソ、オスロを経由してベルゲンに移動
やはり滑走距離が短く元気なプロペラ機はホニングスボークを1218に出発し、一昨日のハンメルフェスト空港を経由して、約10分遅れで1330トロムソ。
25分の乗継時間で、すでにボーディングの列ができていた1355発のSK4417に乗り継ぎ、フィヨルドを見下ろしながら1545に我が懐かしきオスロ。
そこでもトイレに行く余裕くらいしかなく、1615発のSK273は出発時の10分遅れを引きずりながらベルゲン空港には1715に到着。

初見参のベルゲン空港では途中ドリンクだけ仕入れて、人の流れに任せて止まることなくバス乗り場方面に行くと、タイムロスなく1730に乗れる。
車内でのカード決済で120NOK。
終点まで行っても良かったのだが、約20分くらいの長距離バスターミナルで下車し、徒歩10分で18時ちょうどにCity_BOXベルゲン着。
ここもオスロ店と同じく、宿泊手続きはすべて自動機械。

4.世界遺産ブリッゲン
部屋に荷物を投げ込み、滞留10分以内に再出発して、徒歩10分のブリッゲン。
ここについては、明日、詳しくレポートしよう。

空港アプローチも含めると8時間半を要した本日の移動で、食事のチャンスがなかったことから、朝からロクなものを食っていない。
ブリッゲンの近くの良さげなレストランで、「シェフチョイス」とやらにオレンジジュースとカフェラテを付けて400NOR。
とても美味しくはあったのだが、、、スープはトムヤムクンで、サイドは春巻で、メインの肉と蟹の味付けはテリヤキソース。。。
メニューのどこかに、「アジアンテイスト」くらいの表示をしてほしかった。
店から出たら猛烈な雨。
徒歩10分くらいだし傘も持っていたのでホテルに帰るが、下半身を中心にずぶ濡れ。
バスタオルにズボンを挟んでベッドでゴロゴロした後、翌朝まで干しておいたら乾く。

世界に名だたるベルゲン急行の発着駅のベルゲン駅もチェック。やはりヨーロッパの建造物はどこも絵になるなぁ。。。
ホテルの道路向かいにスーパーマーケット。オスロでも見たような気がするチェーン店だ。

コンビニより品ぞろえが豊富で、2割は安いか?ドリンクや朝食は、ここで調達することにしよう。
5日目(8月16日) 1.ブリッゲン
ベルゲンでは一日しか滞在しないので、どう過ごすかを迷っていた。
ブリッゲンをはじめとして見どころが多く、一日を費やすだけの価値のある街だが、一方、ここを拠点に一日を割いてフィヨルド観光を楽しむこともできる。

しかし、昨夜の雨を引きずったのか今朝も少しばかりパラついていたことが決め手になって、フィヨルド観光は次の機会にすることに決定。
船旅は相棒がいる時の方が楽しそうだし、冬の方が綺麗そうだし、足が萎えた後でも可能だ。
インフォメーションセンター近くに観光船のチケット売場があるので、今日の行動のままでも7時30発の船に乗れていたっぽいから出たとこ勝負で問題ない。
センターの裏手の公衆トイレに入ったら、クレジットカードのみ可の未来的チップトイレ。

テキトーに歩いていたら腹が減ってきたので魚市場で朝食。
店頭で持帰りとイートインの二重価格の総菜パンをゲットし、ファンタを付けて160NOR。2,240円相当ということだ(@_@。
ここは食事だけではなく、土産購入やウインドーショッピングの観光名所になっている。
ベルゲンをノルウエー第二の都市に引き上げた干タラなども往年の姿で販売されているし、その他の海産物も観光客の目を楽しませてくれる。
引き続き、ベルゲンカードをスタートさせたい時間までインフォメーションセンターや
ブリッゲンの近傍を探訪。
ブリッゲンは「埠頭」程度の意味らしいが、ここではドイツのハンザ同盟の在外拠点として
14世紀半ばに置かれた事務所兼倉庫の細長い建造物を指し、世界遺産とされている。

密集して建造された木造建造物なので、火事で何度か焼失しているらしいが、
建物の間を通り抜けて裏手に回れば、焼失を免れた古い建造物が残されていて味がある。
もっとも古そうな漆喰の建物の一部は修復工事が行われていた。 ちなみにこの建物は今でもレストランや工房、売店として使われている。

裏側には巨大な干タラも鎮座。
ベルゲン繁栄の立役者に対する畏敬を忘れていない。が、日中は自撮スポットになっていて人があふれる。
教会付近の街並みも味があって良かったが、教会は大規模な修復工事中。
ふと足元を見ると、御当地マンホール蓋。世界中どこでも同じようなことをやってるなぁ。。。

2.ベルゲンのインフォメーションセンター
ベルゲンもオスロのオスロパスに負けず、ベルゲンカードなる街歩き優待カードが存在する。
24時間有効タイプで240NOKだが、スタート時刻は自分で決められる。
やはり各種入場料などが無料・割引になる特典があるのだが、ベルゲンだと移動料金上の特典のお得感は小さい。
何はともあれ、印象的なインフォメーションセンターの建物に突撃。
ここの二階がセンターで、一階は魚介類販売場になっている。イートインコーナーもあったが、落ち着きは悪そうかも。
上述の、クレジットカードのみ使用可のチップトイレも、この一階にある。

エスカレーターを上ると、開いて間もないハズなのに客がいっぱいいて焦ったが、多くの人はツアーの申し込みらしく、
窓口が別になっていたベルゲンカードは、さほど待つこともなく無事にゲットできる。
紙切れのオスロパスよりはカードらしく、
裏側に開始日時を書くようになっていた。
さっそくフロイエン山に登るケーブルカーに突撃。

地下通路を通って乗り込むと、
観光客を満載したケーブルカーはトンネルなどを抜けて一気に展望台へ。
眺望が素晴らしい。

3.ローセンクランツの塔とホーコン王の館
フロイエン山から下ってケーブルカー乗り場の建物を出ると長蛇の列。 カードをゲットして、まず山に登ったのは正解だったようだ。
ケーブルカーから湾の入口方向に5分ほど行くと中世から残されている塔と館がある。ベルゲンカードで入館でき、日本語の説明冊子も貰えた。
建物は古いだけだが塔からの展望はナカナカ良かった。

4.BERGEN’S UNESCO and MARITIME HERITIME(共通パンフレットの表記)
再びブリッゲンの場所に戻って、ハンザ博物館(HANSEATIC MUSEUM)。
ここでチケットを買ったら(と言ってもベルゲンカードを提示しただけだが)、ココとSCHΦTSTUENE(集会所)とFISHERIES MUSEUM(漁場博物館)の
三つの施設と、それらを結ぶシャトルバスの共通パスをくれた。
HANSEATIC MUSEUM(英語名)は名前の通り、ハンザ同盟時代を今に偲ぶ博物館で、往年の商人たちの暮らしなどが紹介されている。
一階入り口付近の干タラは、年に一度くらいは交換されているのかな?
なかなかの芳香を放っていたが。。。往年の部屋は、ベッド型の寝室が非常に小さいのが印象的。

そこからブリッゲンの裏側の道を通ってSCHΦTSTUENE。
このSCHΦTSTUENEというのは、「ハンザ同盟の集会所」といった和訳で良いとは思うのだが、最初にもらったノルウエー語/英語 対訳型パンフレットでは
何故か、この単語だけはノルウエー語のままだった。文中では[Assembly room of the Hanseatic League]と説明されている。

雰囲気としては、全寮制の学校のような感じか。
宿泊設備は見れなかったが、商館とは異なるのだろうか?
そこから予想外に距離を歩いてFISHERIES MUSEUM。これは漁場博物館程度の意味で良いと思う。
手持の地図(日本で買ったベルゲンの地図)では範囲から外れていたのでテキトーに歩いたのだが、ブリッゲンを起点にすると2kmくらい歩かされたと思う。
だからシャトルバスも料金に含まれているのだろうが、出発時間が合わなかったし、歩いている際も抜かされなかったので、歩いたのが正解だったのだろう。

展示内容は往復で40分近くも歩く価値があったかというと微妙だが、そこそこに小奇麗であったかもしれない。
ハンザ博物館と同じように往年の写真と干タラがあった。
戻りもバスの時間と合わずに徒歩でセンターに戻り、さらに行き過ぎてベルゲン博物館。自然史館は工事中だったので文化歴史館のみ覗いたが、
ベルゲンやノルウエーのみならず、世界中の文物が展示されていた。
エジプトのミイラもあったし、ヒエログリフとノルウエーアルファベットの対訳や、なぜだか日本の鎧・兜なども。。。

5.ベルゲン美術館 ~KODE~
ベルゲン美術館は気合が入っているのか、4つの建物に分かれていて、KODEと呼ばれている。
各々に、KODE1・KODE2・・・KODE4といった感じだが、本日はKODE2は閉館。
KODE1前の噴水の子供が、四方から噴水攻撃に遭って、泣きそうになっていた。

KODE1は造形物系だったかも。 KODE4は入り口が判りづらい。
ピカソなども展示していたが、ムンクはKODE3だったかも。

前には池があって、市民や観光客がポケランとしている。
ホテルはKODE群の至近だったので、一度部屋に戻ってから食事に繰り出す。

少し時間が早いので、ベルゲン駅を覗いたり、街の怪しい龍と遭遇したり。
夕食はオープンエアなレストラン。サーモンは日本と同じ塩味だったが、付け合わせが違う。。。
6日目(8月17日) 1.ベルゲン空港
早朝にシャワーを浴び、向かいのKIWIスーパーでパン2個とハムとジュースとヨーグルトを購入67NOK。
これでも1000円相当だが、普通に朝食を食べる場合の半額。
安く済ませられたというよりはジモティー感覚が嬉しい。それをブリッゲン正面で食べるのだから格別。個人旅行ならではの醍醐味?
街中をアチコチ散策してから11時半にはチェックアウトをして、ブリッゲンの前から12時28分の空港バスに乗る。
往路は120NOKだったのに、復路はなぜか125NOK。

いくつかの停留所で客を拾って回ったが、バスターミナルを出たらすぐに高速道路。街中で時間を費やしたために空港まで約50分。
出発ロビーに入ったらまず、チェックインカウンターがまったく無いことに戸惑う。
ここでは全乗客が機械チェックイン。
オスロ行が飛ぶDターミナルエリアは本日がグランドオープンらしく、昨日からメールが届いていたので期待していたのだが、
新エリアは店の開店も間に合っておらずドリンクも買えない。
X線チェック付近の旧エリアまで戻ることになり、そこでフランスパンのサンドイッチとオレンジジュースをゲット。
きちんとした昼食を食おうと思っていたのだが。。。
ボーディングゲートはD26だったが、そのゲートだけはボーディングの20分前まで入れない。乗客数が多いから、あえて閉鎖していたのだろうか??

ボーディング待ち中に外を見ると結構な雨。
昨日も朝は降ったが、どちらかと言うと天気に恵まれていた方かも知れない。

2.オスロ
SK272は定刻の15時50分にオスロ到着。
座席が最後尾付近になり、日本人の老人も多かったので、機外に出るのに待たされるかと諦めていたら、後方からもタラップで降りることができて、
16時03分の電車に乗れる。
もちろん93NOKの方である。 着陸から一時間も経たない16時35分にCity_BOXにチェックイン。
ノルウェーの時間も残り少なくなってきたので、部屋に荷物を投げ込んだら速攻で街に繰り出す。

国会議事堂の前の公園は、相変わらずの人だかりだが、オスロジャズフェスティバルは終わっている模様。
ファーンリー美術館がある埠頭の先まで足を延ばす。途中は人が多いが、先端まで来ると少し静か。

海に入っている親子もいた。
寒いだろうに。。。
先端のモニュメントは「OSLO」を模っているのでもなさそうだ。
アーケシュフースも湾の対岸で威容を誇っているので、明日には攻め込んでやる必要がありそうだ。
フラム号博物館の三角屋根も、わりと近い位置に見えている。

北欧と言えばトナカイだが、機械化されたトナカイが捕獲されていた。こいつは電脳化されているのだろうか?
金属製の枝のある角などは、強力な武器になりそうだ。

3.オスロオスロ
市庁舎前にカラコルムハイウェイを疾走していそうなデコトラ。
明日からの「mela」なる音楽フェスの関係者か?
ふと見ると、路線バスが大変なことになっている。(写真のページの下、左から二枚目) 普通に運行中の様だったが、いったい何が??
7日目(8月18日) 1.オスロの朝
夜明け前に一雨あった様で街が濡れている。一階のレストランで簡素な朝食119NOK。
駅前に出るとRuterが開いていたので、0930スタートで再びのオスロパス購入。

2.アーケシュフース城
早速13番のバスに乗ってアーケシュフース城。
掲示によると庭園は朝の6時から開いていたらしい。確かに朝散歩には良さそうな環境だ。
城自体は10時から開かれ、オスロパスを持っていたら100NOKがタダになる。
入り口のところには衛兵が立っているが、こういった場所に配置されるのは公務員? それとも軍所属の隊員だろうか?
どちらにせよイケメン系が選抜されるのだろうが、あまり嬉しくない役目だと思う。
まさか立候補制??

中庭には戦車が配置され、シティーセンターを狙っているのだが良いのだろうか? ここからもフラム号博物館の三角屋根は目立っている。

3.オスロの著名人
オスロと言うとムンクと言う印象が強いので、メトロに乗ってムンク博物館。
オスロパスではメトロも自在に乗れるが、観光客には、ほぼ利用価値はない。
ほとんどの見どころは市電の方が便利だから、市電が行っていないムンク博物館くらいしか、メトロが必要な場所は思いつかない。

ムンク博物館は、少々期待外れだった。
小さなカバンも持ち込ませてくれなかったが、すぐに見終えてしまったし、印象も薄い。
メトロTΦyen駅が最寄りで案内板無し。
再びメトロに乗って歴史博物館を経由し、人形の家で有名なイプセンの博物館。イプセンがアニメ顔で看板になっている。
正直なところ戯曲には造詣がなく、イプセンは名前くらいしか知らないので感銘もなかったが、厳格な顔の爺ちゃんがアニメ風のイラストにされて
しまったのを知ると、本人としては喜ぶかな?
ここは王宮から楽に歩いて行ける。

4.Norsk Folkemuseum ~ノルウェー民族博物館~
最初に来た際に行った民族博物館で、見足りない感が残ったので、駅に戻ってバスに乗り換え、民俗博物館を再訪。
今度は時間を合わせてフォークダンス
(民族舞踊の意)を鑑賞。
魅せる上での工夫も凝らしていたし、
きちんと練習もしているようでプロ意識を感じさせてくれた。

この後、海洋博物館にも立寄りながら、
やはりフェリーでシティーセンター。
初オスロの日と同じようなルートを辿ってしまった。

5.melaフェスティバル
ホテルに戻って、小さなカバンも置き、完全に手ぶらになってmelaフェス。
いかにもインド全開な屋台でカバブとチャイ。105NOK。

フェスは思いのほか盛り上がっていた。
昨日のパキスタンなトラックもやはり、このフェスの関係のようだ。
プログラムによると、フェスは明後日まで続き、金曜日の今夜は27時まで。
北欧の夏は貴重だから深夜まで遊ぶのだろう。
8日目(8月19日)
帰国日(8月20日)
1.ラスト オスロ
昨夜に引き続き、今朝も雨が降っていたらしい。今日はまだ降り続いている。
本日の9時半までオスロパスが有効なので、市電18番で海の方の終点まで。ココの終点はユニーク。

普通なら電車の終点は波止場のように折り返し式になっているものだが、ここはループになっている。
ループの手前で客を下ろしたら、クルッと回って始発電車として入線する。
18番の海方面は、オスロ湾が眼下に見下ろせて、ぶらり途中下車の旅をしたくもなるが、先を急ごう。

オスロ駅に戻って、次は12番の終点(ヴィラーゲン公園に行った時のマヨルストゥーエン駅)。
そのまま11番でセントラルに戻ろうと思ったのだが、どこかで周回したらしく振り出しに戻り、オスロパスリミットの0930直前にメトロで帰還。
夜行便に備え、ホテルでシャワーを浴び直して、サッパリして出発。

2.オスロ脱出
通いなれたオスロセントラル駅で、今度はぬかりなく93NOKの切符をゲット。
NSBの紅白の券売機が目印だが、93NOKの方は2階で180NOKの方は1階だと覚えておけばOK。
番線表示に従って未来に通じていそうなトンネルを抜けると、ひとつ前の電車が出発するところだった。
予定した電車も時間キッカリに発着し、オスロ空港には、やはり23分で到着。
とりあえずチェックインだけを済ませて昼食を摂るが、やはり選択肢はバーガー程度。もっとノルウェー料理を前面に出せば良いのになぁ。。。

早めに中に入って土産物などを物色しようと思ったが、X線検査場が混んでいたので左奥に回る。ボーディングのFゲートとは反対側だが、ちょっとマシだった。
外もイマイチだったが検査場の中もたいした店はない。
その先にパスポートコントロールがあり、欧州人と非欧州人に分かれているが、やはりどちらも混んでいる。
最後にバタバタするのも不本意なのでパスポートコントロールの中に入ったら、ここにはまったく土産物屋が無い。
なんということだ。
コンビニ程度の店に辛うじて売っていた小さなトロルの像とドリンクとナッツを買って、クローネを処分する。

バンコク行が出発するF20ゲートの待合室に入るところで再びのパスポート&チケットのチェック。飛行機はすでに待機している。
この待合室は2階にあるのだが、すぐ外を通るエスカレーターが故障している様子で歩いて登っている人がいる。どこに通じているのだろう??
しかも、多くの人が途切れなく1階から3階に歩いて登っていくのが謎。

3.バンコクを経て成田に帰還、ミッション終了

優先搭乗の句切が曖昧なままボーディングを済ませ機内に入ったらド真ん中席。
チェックインの際に、窓側を頼んでいたのに、一言もなくど真ん中にするとは使えないオヤジ係員だ。

しかし、飛行機は混んでいるのに、なぜか三席独占。横になって眠れるかも。
結局は、前列中央のタイ人女性がキャビンクルーを通し、「あなたの隣に座りたい」と申し入れてきたので、シェアする事になったが。
バンコクへのフライトも、バンコクから成田へも順調で、初の北欧征伐は無事に完了したが、ここまで物価高を痛感した旅は初めてだったかもしれない。

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