雲南省2017

1日目(4月30日) 1.羽田から広州へ
出張を別とすれば、昨年GWのカシュガル以来、一年ぶりの中国旅。
今回目指すは雲南省深南部の西双版納。
拠点空港の広州(去年は上海)までマイルで飛ぶことや、生粋の中国人でも行くことを躊躇する辺境の地に行くことなど去年との共通点が多い。
中国と言うと、政治形態、反日活動や食・大気汚染に対する不安などから毛嫌いする向きも少なくないが、時と場所を選べば、そんなに悪いところではない。
自然の豊かさや多様性は日本の比ではなく、中国がホスピタリティー精神というものを理解すれば、
「観光立国JAPAN」なんて目論見は足元から掬われるのではないかと思うほどの魅力が満載だし、底辺層を除けば、中国人というのは多様性はあるものの
日本人より穏やかな人の方が多い。(中年の声はデカイが)

九十后(ジュウリンホウ)世代が社会の中核となる頃は、欧米人にとって日本並みかそれ以上に居心地の良い旅先になるのではとさえ思う。
今回は京急蒲田に前泊し、羽田空港08:50発のJL087に余裕で搭乗。
定刻到着率世界一JALは12:30JUSTに広州白雲空港に到着。
続けて中国国内線に乗り継ぐのだが、国際線の遅延リスクを見込んで余裕を取っていたために3時間半の時間を持て余す。
MUのカウンターで「昆明行きを一本早い便にしてくれ」と頼んだら、通じた風だったのに、予約のフライトのままの発券。
時間つぶしに空港内で揚州炒飯と水。33元は空港としては安いかも。

今回の中国国内3フライトは、昨年のカシュガル襲撃と同様に、旅悟空殿で手配いただいたが、ここでは中国内の旅行代理店の最安価格と同じ条件で、
日本から中国国内線を予約することができる。

2.昆明へのフライト
昨年秋の出張で、国際線が6時間遅延という暴挙をやらかしてくれたMUは、今回はまったく定刻の1620に広州を飛び立ち、少し早めの18時30分に、
昆明空港に着陸。
「これなら19時ちょうど発の路線バスにぎりぎり乗れるかな?」と、期待したのだが、飛行機はターミナルビルから随分と離れた場所で駐機し、
空港の構造のせいか、バスも大周りをして到着ターミナルに向かったので、同機の乗客の一番で空港を出たのに、目の前で目的のバスが走り去った。

3.雲南省の省都 昆明
昆明は雲南省の省都であり、玄関口の長水空港から都心に向かうことに不便はないのだが、タクシーだと100元もする。
エアポートバスでも25元だが、13元の路線バスも走っている。
しかも、その路線の一つでもある919路b1線は目的ホテルの至近にバス停がある。
これを活用しない手はない。

その19時発を狙っていたのだが、、、手を振ってアピールしたら乗れたのではないかと思うくらいの絶妙なタイミングで、そのバスの後姿を見送った。
気を取り直し、バスチケット売り場に行って、「919路b1線は、まだ(後続が)有るの?」と尋ねたら、「有るよ。」と言うので13元で切符を購入。
切符売り兄ちゃんに聞いたところバス乗り場は、百度地図で見ていた、空港を出て右端ではなく、反対方向の左端だった。
行ってみると919路がズラリと並んでいたが、目的のb1線は居ない。
もう一度、乗車整理のお姉さんに「b1線は、まだある?」と聞いてみたが、ハッキリ「有る」と答えてきたので一安心。
いくつかの路線の発車を見送り、入れ替わりに入ってくるバスの表示を眺めていると、20分強でb1線が現れる。 運転手のチケットチェックを受けて乗車。

昆明は東経100度くらいに位置するので、4月30日の中国標準時19時半だと、西日が差している。
緯度が低いので季節変動は小さいが、太陽は1時間20分ほど遅れて動いていると考えるとしっくりくる。
バスは19時40分に出発し、40分ほどをかけて20時20分にネット予約をしている金泉大酒店に到着。
雲南省の省都の4つ星だというのに英語がほとんど通じない。 去年のカシュガルと同じだ。
改めて考えてみると2~30年前までは北京語(普通話)は使われていなかっただろうから、土地の言葉と普通話だけですでにバイリンガルであることが
要求されるし、おそらくは少数民族の言葉もいくつかは理解する必要があるだろうから、英語まで行き届くのはナカナカに大変なのかもしれない。
日本人はVISAが必要という勘違いはあったがチェックインはスムースで、くつろぎつつ夜景を見下ろす。
2日目(5月 1日) 1.石林(シーリン)へ
雲南省の朝は遅い。
先にも書いたように昆明は東経100度にあるので、中国標準時では5月初旬ですら7時頃に陽が昇るという朝寝坊なのだ。
しかし今日は暑くなる前に石林を撃破しておきたいので、昨日確保のフルーツを朝の餌食として、ホテルを7時に出発。

石林には、昆明の東部バスターミナルから中距離バスに乗るので、まずは、このターミナルに移動しなければならない。
百度地図でホテル付近のバス路線を確認したところ、徒歩3分程度にあるバス停から「60路」という路線が発着する。
バス停に着いて10分で60路が登場。 中国の都市部は本当に便利だなぁ。。。

しかし中国はだだっ広いので、バスターミナルまでは40分を要し、8時前にバスチケット購入窓口の列に並ぶ。
中国ではままあることなのだが、列の目の前が迷惑老人。
自分が買いたい切符も不確実だし、中国では常識の、バス切符に上乗せされる保険料に納得できずに窓口と大喧嘩。
その一行が去るまでに、隣の列は10人くらいが進んでいたように思う。
やっと手に入れた石林行チケットを手にバス乗り場に急ぐと、バスが間もなく出るという風なことをお姉さんが叫んでいる。
大急ぎでチケットチェックを受けてバスに乗り込むと、、、席がない。
最後尾の白人おばさま一行が、荷物を棚に載せて席を空けてくれたが、最後尾シートの真ん中という最悪のポジション。
白人の若い女性3人組が普通の座席に大きな荷物を載せて6席を占拠していたが、こやつらは頼んでも空けてくれなかった。
「石林を観光するのに、なんで全財産を背負っていくのだ?」「ホテルを移るにしてもどこかに預けとけよ!」と思ったが、これについては後に理由が判明する。

さておき、居心地の悪い座席に揺られながら1時間40分で石林バスターミナル。
今一つ案内が不親切で(案内係らしい女性はいたが。。。)どっちに行けばよいのかが今一つ不明だったが、なんとなく人の流れについていくと、
石林のチケット売り場にたどり着く。

2.世界遺産 石林
石林風景区の入場券は、ひとり175元。
が、今日は中国の祝日である五一節(欧米文化圏のメーデー)なので、なんと140元にディスカウント。
観光シーズンに値を下げるというのは、日本の観光地も見習ってほしいものである。
これが社会主義国家の、わずかながらも良い一面なのか?
それとも、他の観光地との観光客の分捕り合いという資本主義っぽい競争原理が働いている一面なのか?

隣の窓口で、ここから観光区まで行く電動カートの往復チケットも購入。こちらは定額の25元のままだった。
電動カートの乗り場はすぐ近く。
中国人も行儀よく並んでいるが、さほど過激な列ではない。列の先端では民族衣装を着た女性が乗車整理をしている。
この付近は少数民族のイ族の居住区だっけ?
しかし、観光地化されて漢民族との接触が多くなると、独自文化も廃れるだろうし、漢民族との結婚も増えて、民族そのものが薄まってしまうのだろうな。
カート10分→徒歩5分→管理エリアに入って徒歩5分で写の、、
有名な「林石」(右から読む)の、石林の石標にたどり着く。

隅の方では少数民族が踊っている。
麗江の四方街でもそうだったが、観光地を盛り立てるために
少数民族が踊りを披露するのが雲南省風なのか??
地方部は雇用も多くないだろうし、雇用があっても漢民族の方が有利だろうから、
少数民族がこういった形で観光産業に参画するのは、良い悪いではなく、
必然なのかもしれない。
保護を受けて酒浸りの一生を終えるオーストラリアのアボリジニーよりは、
よほどマシな選択肢だとも思える。
遠くには、人が密集しているチャイナっぽい観光台が見えるが、あまり行く気がしない。
観光エリアは、遭難するほどではないが、それなりに広く、四方に道が広がっている。とりあえず、中国人が少ない方向に。。。
「剣峰池」という標に沿って進むと、なかなかの別天地。
雲南省まで来ると空も青いし空気もうまい。しかも、さきほどまでワンサカといた中国人が、どこかに消えてしまう。
遠くに、もの静かな様子の家族が一組、ゆったりと過ごしているのが見えるだけで、世界遺産を独り占め状態。
中国の観光地にはありがちなのだが、遊歩道が過剰なまでに整備されている。
おそらくはサービス精神からではなく、雇用対策の一環だろうと推測するが、訪問者にとっては、ありがたい。

腕時計のコンパス機能をONにして、方位を確認しながら奥へと歩を進める。
北緯25度だと、5月初旬の正午(ここでは13時半)になれば、ほとんど影ができないので、晴れた日中でも太陽だけだと方向感覚を見失う。
徒歩30分程度で、大石林景区を南側に横切り、李子園とを区切る環林路(カートが走る)まで来たようだ。
そのまま看板朱色の李子園に突入するが、相変わらず人は少なく、静かに風景を楽しめる。

石林風景区全体の主な観光範囲は東西2km×南北3kmに広がっていて、その中は程度差はあるが、石柱がニョキニョキと生えている。
地中の深い部分に行けるところもある。

こういった観光地は仕方がないのだが、バリアフリーは進んでおらず、歩行困難な方は入り口付近とカート路にしか入り込めない。
三国志を読んでいると、例えば吉川英治の版での「出師の巻」で、劉備玄徳の死後も なお漢の復興を願い、蜀の版図の拡大(基盤の安定)の為に
諸葛亮孔明が、南部を平定すべく遠征する場面が描かれているのだが、孟獲(本拠地は今の昆明よりも南とされている)を七回捕らえて七回放し、
ついに服従させた逸話の舞台となったのは、この辺りではなかったのではないだろうかと推測する。

三国志は、1800年ほど昔の話であるので、実話に基づいている部分であっても、孔明の南征や西域行が現在のどこまで行ったのか、
ネット上で調べてみても、今一つ確証を持てる情報がない。
いずれにしても、現代人とは比較にならないバイタリティーを持っていたことは確かであるが。。。

石林景区の北東部分まで戻ってくると、人も増えてくる。ベトナムのハロン湾、ギリシャのカランバカや、トルコのカッパドキアなど、岩が林立する風景は、
どこも怪しげで好きだが、ここもユッタリと長居したいロケーションである。

今日のところは3時間ほどの視察で満足し、再び電動カートに乗って石林のバスターミナルに戻る。
電動カートの部分は推定2km程度なので歩いても問題ないのだが、5月の雲南の暑さでは、カートの料金と、歩いた場合に消費するドリンクの代金が
同等になることだろう。
石林のバスターミナルで昆明に戻るチケットを買ったが、ここからダイレクトに長水空港に行くバスも出ているようだ。
荷物預かりも信用できそうな構えで設置されている。
どうやら往路の白人大荷物女は、ここで観光した後は昆明に戻らずに空港に行く作戦のようだ。

3.昆明帰還
復路は快適な席に座って昆明に向かったが、時間帯のせいか、事故でもあったのか、途中で大渋滞。
それでも途中から流れ出して、2時間まではかからずに、なつかしき東部バスターミナルに戻る。
ここで遅めの昼食を摂っても良かったのだが、念のために60路のバスを見に行くと、ちょうど出発するところだったので、そのまま乗車。
このバスも大きな交差点が元凶の大渋滞にはまり、ホテルに帰り着くと17時になっていた。 ハラへったぁ。

ホテルの近くに、半ば快餐店(ファストフード)っぽくはあったが、過橋米線の店があったので、そこで最も高級な米線を食す。38元。
3日目(5月 2日) 1.昆明の老街
昆明も、他の中国の都市と変わらぬ街で、旅行者にとっては面白みに欠けるが、少しだけ古い街並みが残されているというので、朝散歩がてらに行ってみた。
まぁ、悪くはなかったが、老街としては小奇麗すぎるかな。
メトロの交三橋駅を地上に出て、人民路を1kmほど西に行ったところにある。

ホテルに戻って朝食。
部屋代に含まれていなかったので、朝食券を購入したが、このクラスのホテルのビュッフェで48元というのは良心的。
並べられた料理に雲南省らしい特色がなかったのは残念だったが貧相ではなく、中央部が吹き抜けになっていてレセプションなども見下ろせ、
雰囲気は悪くない。

今日は雲南省でも辺境に位置する西双版納に移動するので国内線に乗る必要がある。
フライトは11時半なので、9時半に出発すれば間に合う計算だが、いつものように一時間の余裕を見てチェックアウト。
空港への919路b1線はホテル近くに停まるが本数が少ないので、路線バスに乗って2駅ほど東の新迎路口バス停に移動。
ところが空港線の1台目は(満席だったのか)素通りし、2台目も目の前で満席。(この路線は全員を着座させるらしい)
新迎路口バス停で30分以上待たされ、「これはタクシーも視野に入れるか?」と考え始めたところに3台目現る。
やっとの思いでフライト1時間半前に空港。中国は国内線でもセキュリティーが厳しい場合があるので、早過ぎ感はない。

2.西双版納タイ族自治区の中心地 景洪
今日のフライトはMUではなくCZだったので安心感があったが、期待を裏切られることなく我がCZ3491は、定刻出発定刻到着で12:35.に西双版納空港。
インドの山奥で知り合った御仁がここに来たときは、白タクに誘導されそうになって出発ロビーに逃げたという経験をされていたので私も身構えていたのだが、
空港前に普通に並んでいる普通のタクシーに普通に乗り、ホテル名を告げたら、「はいよ。30元(相場)ね。」と普通の対応だったので、ちょっと肩透かし。

ここでも英語はまったくだが、中国語(普通話)は問題なく通じる。 と、思っていたのだが、なんだかこの運ちゃんは台湾弁。
例えば、「私は日本人」は、中国語だと「ウォ シ リーベンレン」となるのだが、台湾だと「ウォ ス ズーベンレン」と聞こえる。(この通りに読んでも通じないが)
このタクシー運ちゃんは紛れもなく、後者の発音なのだ。
しかし、なんだかイイ奴。 私が乗った時のまま右端に座っていたら「真ん中に寄らないと太陽が照り付けるだろ?」とか、気を使ってくれる。
「もうすぐ到着するでしょ?」と返したら、「もうすぐ着く。」とニコニコ。 印象的なのは、走り出して間もなく30元を要求されたことか。
「50元札しかないんだ」と言ったら「釣銭があるから問題ない」と、さっと20元札を差し出してくれる。
信用できない人ではなく信用しない人なのかもしれない。
およそ15分で、ネット予約をしていたホテル。日本円にすると2000円弱という価格なのだが、すこぶるまとも。
やはり英語は全く通じない。「チェックイン」は通じたが。。。

問題点と言えば、このホテルは宿泊費を払っても飲み物を買っても、一元単位の釣銭がなく、
下一桁はキチンと払う必要があったことか。。。 なぜか10元単位の釣銭は準備していた。

荷物を部屋において町中探訪。
下左から「さらに辺境のタイ族園に向かうためのバスターミナル」「象の公園」「近くの交差点」。なんだか普通に町である。

飛行機には機内食がなかったので、歩いているうちに小腹がすいてきたのだが、食欲をそそる軽食店が見つからない。
しばらく食を求めて街を彷徨った結果、百貨店の入り口に鎮座するZOO COFFEEに落ち着く。
店頭も店内も、動物動物していて、店名に嘘はない。
どうみても高校生バイトにしか見えない店員の女の子に「ラテとフルーツサンドイッチ」と注文すると「できない。」と即答。 ゲッ、はずれか??
「何か食べるもの、、、そう、サンドイッチは有る?」と聞き直すと、「ユイズサンミンチなら」といった反応。
サンミンチはサンドイッチのことだから、どうやら食えるものにはありつけそうだ。 「んじゃ、ラテとそれ」と注文し、シマウマのクッションに腰を沈める。
珈琲はすぐに来たが、それからが長い。
一人だけの他の客のものは出そろっているので、カウンターの奥でゴソゴソしているのはユイズサンミンチ対策のはずである。
そうして、20分ほど待たされて出てきたのが玉子サンド。 そうかそうか、ユイズは玉子か。

腹が減っていたというのもあるが、これがスコブル旨かった。
サンドイッチとサラダは標準的なるも、ドレッシングのサウザンアイランドが手作りなのか市販品に手を加えたものなのか、具がシッカリしていて美味しいのだ。 満足した。

3.曼聴(マンティン)公園
腹も満たされたので、このまま徒歩で曼聴公園に向かう。
この文字をマンティンと発音するのは、中国語(普通話)で読んだままで、意味はタイ語で霊魂を表すらしい。
景洪はラオスへの国際バスが出て、ラオスよりもミャンマーに近接するが、強くタイ文化の影響を受けていて、明日向かうのもタイ族の居住区である。
しかしながら中国とタイは接してはいない。
高山もない陸地で国境が交錯していると、歴史・民族・文化・言葉において複雑な事態になるのだ。島国である日本はシンプルなものなのだろう。
公園に向かう途中にある高級ホテルの入り口も象さんが鎮座している。普通にこれを見たら、大半の方はタイだと思うことだろう。
54元を奉納して曼聴公園に入ると周恩来が出迎えてくれる。
敷地内にある寺は金ぴかで、中国や日本で信仰されている大乗仏教っぽくなく、明らかに東南アジア系の小乗仏教寺院である。
青い仏(鬼?)は、バンコクのスワンナプーム空港の出発ロビーに立っている奴の一族である。
公園内にある白塔への入り口を守るのは5連の白蛇であるが、
これらはカンボジアやラオスで何度も目撃したやつである。

公園からは隣接する総仏寺を行き来することもできるのだが、
こちらは金ぴかではあるものの大乗仏教っぽい雰囲気も混ざっている。
公園自体は熱帯植物が生い茂り、東南アジア各国と中国の雰囲気が程よく融合している。
中国の公園の池なら、亀とか獅子が並んでいるところだが、ここは象さん。白い仏は全体的にはミャンマーっぽいが、足は龍なのかな?
私に宗教的信心は皆無だが、寺や仏像、遺構等の地理的傾向を統計学的に研究したら面白いだろうなとは思う。
細長い曼聴公園を一通り堪能したので撤退。

不満と言えば、ガイドブックも地図も街の道標も、すべてがここを「曼聴公園」と表しているのに、建物の看板(表札?)が「曼聴御花園景区」となっていることだ。
(実は聴も口へんに近の右上だが、これは許される)

見るからに看板が古いので最近、名前を変えた風でもない。
初めて訪れる人が多い場所の看板が、食い違っていると困惑するではないか。
私も念のために数分程度先まで歩いてから戻ってきて、入場料がガイドブックと同じであることでようやく、ここが曼聴公園であることを確証した。

せめて街の道標は、建物の看板と一致させてくれぃ。
ホテル近くに食欲をそそる店がなかったので、夜は美美珈琲の海鮮炒飯。
ガイドブックはカタカナで「メイメイカフェ」となっていたので、妹妹珈琲だと思っていた。味は悪くない。
4日目(5月 3日) 1.熱帯花弁園
暑い地方の心得として、早朝の時間帯に用事を済ませるという知恵がある。それを地方も心得ているのか、例えばこの熱帯花弁園は7時半に開場する。
ここの経度では、6時過ぎの感覚であるが、ニーズがあるから開くのだろう。

開場少し前に着いたがチケットは販売しており、時間と同時にゲートに行くと「ザオマ」と言われた。
「ザオ」はオハヨウだが「早い」という意もあり、「マ」は中国語の疑問形だ。さしずめ、「早いね」といった挨拶か?

案内板に従って、マズは一番奥の熱帯果実園を目指してみることにするが、一番乗りで園に入ったと思っていたのに先客がいる。
少し歩くと太い木に大きな実がブラブラ。 これはジャックフルーツ? なかなか斬新な実り方である。(後に街中でも頻繁に目にすることになる)
大果梅というのは知らない。 中国には梅のジュースがたくさんあるが、その元なのかな?

朝一番に乗り込んだからかもしれないが人も少なく、入園料40元でリラックスさせてくれるなら植物園も悪くはないなと思ったが、午後はどうなのだろう?
昨日の曼聴公園と同じく周恩来が活躍していたが、この公園でビルマ主席と会談したらい。
彼は江蘇省出身ではあるが、青春時代の一時期を日本でも過ごしている。

2.悪路を超えてモンハンへ
熱帯花弁園からいったんホテルに帰還し、明日の夜に戻ってくるからねと言い残して西双版納バスターミナルへ。
ガイドブックでは9元となっているところ、17元を支払ってモンハンに向かう。(モンハンは日本文字がない)
郊外道路は、彫像が多数林立。

3.モンハンのタイ族園
景洪からたっぷり二時間をかけて、バスはモンハンのターミナルに到着。道は工事区間が多く、非常な悪路。
ガイドブックに比べて時間も料金も二倍で、かつ工事中だったことから従来の道路が何らかの理由で崩壊し、道を作り直しているものと推測。

ターミナルから徒歩10分でタイ族園。園と名前はついているが、この中にあるのは5つの村である。
ここは元々、中国に居住するタイ族の集落であったのだが、商業主義のなせる業か、それ以外の理由かはともかく、
一帯を囲って、テーマパークにしてしまったらしい。

ネパールのバクタプルやミャンマーのバガンなど、似たようなことをしている場所は珍しくはないが、日常生活が見世物になるというのは、
気分が良いものなのだろうか?
ここには外国人観光客を宿泊させる施設もあり、私はbooking-comを通して、その一つを予約していた。
しかし、それらしい場所に予約した春薩拝・茶客セン(一部、近い文字を当てた)=Spring Sabine · Tea Inn はなく、
異なる名前の看板がかかっている。
多くの時間をかけて片っ端から住民に訪ね、近くの宿泊施設の親切な人に案内してもらったのが最初に着た場所だった。
敷地内にいた女性は「ここだ」と言うのだが、しかしレセプションの男性は「ここじゃない」「電話をしてやる」のち「電話が通じないが、とにかくココじゃない」と
のたまう。再び村に出て聞き歩き、「10元くれたら案内してやる」という女性に連れてこられたのが、やはり同じ場所。

今度は違うスタッフが「電話予約したか?」と聞くので、「この予約書通り、予約は確定している」と答えたら、「ココだが泊まる場所は違う」
「電話をするので少し待て」と言われて15分放置。さらにヒドイことを言われたので、「他をあたる」と言い捨ててここを後にする。
村にはタイ族特有の高床式住居が立ち並んでおり、そのいくつかには「今日有房」(=今晩、空室あります)の看板が挙げられているのを確認していたので、
予約を反古にしても泊まるところはあると踏んでいた。
しかし中国は、外国人が泊まれる宿と泊まれない宿があるので、そこが心配で理不尽な対応にも忍耐強く待ったという経緯がある。

結果は案ずるより産むが易しで、最初に尋ねた宿で難なく受け入れられたどころか、パスポートの確認すらもなかった。
私の中国語力で外国人と気づかれなかった訳がない。やはり辺境には、中国のルールは行き届いていないらしい。
しかし、このタイムロスで、本日の水かけ祭りイベントを完全に逃してしまった。
booking-comには顛末を伝えているがリアクションはなく、その宿は掲載されているまま。
この地は英語が全く通じないので、中国語が話せない人だと途方に暮れてしまうだろうに。
5日目(5月 4日) 1.タイ族園の朝
昨日は散々な目に遭って、別のホテルに飛び込みで泊ったのだが、一泊80元のワリに快適に眠ることができた。
外出して部屋に戻ったら鍵が壊れて部屋を移ったり、シャワーが温かくならなかったり、洗面所が汚かったり、子供の声や犬や人が騒がしかったりと
色々あったが、22時頃には静かになったし、シーツは清潔で十二分だった。
朝はやはり6時半頃まで暗いのだが、日の出を待って朝散歩。
昨日もチラリと見た漫春満佛寺はちょうど良い雰囲気で陽が当たって輝いている。
やはり小乗仏教と大乗仏教が混ざっている感じかも。
意図してか、たまたまか、カラフルな傘が絵になっている。

漫作佛寺の近くでようやく朝飯にありつけた。昨夜は果物だけで済ませたので、
温かい麺が嬉しい。
さほど綺麗ではないオープンエアな店で、親父に「米線は有る?」と訊ねたら、
あらかじめ麺が盛られている器を指さされて「全部そうだ」と笑われた。
それに汁を掛けてもらって、自分で具を入れて完成する仕組みで6元。
親父の「去年はインドネシアに行ったが、今度はアメリカに行こうと思う。」という与太話を聞きながら小腹を満たす。
そこから徒歩5分で漫聴佛寺。
景洪の公園と同じ名前だから、タイ語で「霊魂の寺」という意味なのだろうが、「ワットシェントーンまんまじゃん」と心の中で突っ込んでしまった。
ちなみにワットシェントーンはラオスのルアンパバーンにある名刹である。
チベット文化でもポピュラーな羊のどくろの飾り付けを眺めつつ、宿に帰還。左の建物がそれである。高床式の建物自体は新しい。

2.水かけ祭り
昼前に宿をチェックアウト(と、言っても鍵を返すだけ)して、テキトーにブラブラしながら、13時半から始まる水掛け祭りイベントを待つ。
水掛け祭りとは、タイの新年(4月13日頃)のソンクランの別名でもあり、名前の通り、皆で水を掛け合って新年を祝うしきたりだが、
ラオスやミャンマーの一部地域でも行なわれている。
ここ(西双版納のタイ族園)のそれは、イベント化していて毎日執り行われているようだが、地域の女性の大半が動員されているようにも見える。

中央が噴水の池になっている円形の公園の西入口から、赤い服の女性たちが登場。
顔だちは漢族ではなくタイ族系である。
少しタイミングをずらして、公園の東入口からピンク色の服の女性軍団。
こちらは赤い服の方と比べて、少々御高齢であるようだが、年齢で分けているのか、未婚・既婚で分けているのかは不明。
この女性たちは中央に噴水のある丸く浅い池を取り囲む様に広がっていく。

と、赤服女性の後方から、白い服の3人組が登場。
客観的観察結果から推測するに、この村でも選りすぐりの美女軍団か?
さしずめ「ミス・タイ族園」といった方たちかもしれない。
しかし、妙齢の美女たちがビジュアルな衣装をまとって歩く手に、タライを持っているというのは、絵的にいかがなものだろうか(笑)

さらに西入口から怪しい一団が登場。

タイの風俗に詳しい方なら、水かけ祭りとの関係を
解説いただけるかもしれないが、
あいにくと私は造詣に深くない。
白服女性と怪しい彼らが池を半周して、池の東側に到達すると、別途、東側から輿に乗って登場していた皇子?
 や、別の白服美女と合流し、儀式っぽい感じで池に水を注ぐ。(いつタライに水を入れたのだろう?)
それを合図に屋外スピーカーの案内の声が一段と高くなり、観光客も参入して仁義なき水掛け祭りが華やかに繰り広げられる。

3.景洪への帰還
その顛末を見届けたのちに徒歩でモンハンのバスターミナルに移動し、景洪までのチケットを入手。
ここの景洪行きバスの料金表示は、ボードの上に紙を貼って訂正していた。
訂正された金額は、来た時と同じ17元。たぶん紙で隠されている金額は、ガイドブックに案内されている9元なのだろう。
組織ぐるみでボッているというのではない。
昨日も記載したが、9元/一時間で往来できる道が崩壊し、現在、あちこちで工事をしている悪路は二時間近くかかるので、
バス料金も暫定的に17元に跳ね上がっているのだろう。

復路もやはり、小さな村で降りる人もいれば乗ってくる人もいる。
途中の村で乗る人は、炎天下の下でバスが現れるのを、息を殺して待っているのだろうか?
左の写真のバスの右上が「モンハン」の漢字である。 ちなみに景洪は「ジンホン」と発音する。

4.パイナップル炊き込みご飯
無事に生還できた景洪では(宿の付近は今一つなので)一昨日も夕食を摂った美美珈琲へ再遠征。
パパイヤレモンジュースに洋風っぽいスープ、パイナップル炊き込み飯で観光客価格の66元。

パイナップル炊き込みご飯は、パイナップルを刳り抜いて、パイナップル汁で雑穀米を炊き込んでいるのだが、その意外性に笑ってしまうほど美味しい。

以前に海南島の三亜で、椰子の実を割って、そこにココナッツミルクで炊いた飯を盛りつけた、海南椰子飯というのを食して美味しかったこともあるが、
やはり侮れないのが中国飯なのである。
6日目(5月 5日) 1.景洪撤収
西双版納の最後の朝も7時過ぎから朝散歩。
日本は子供の日だが中国では普通の金曜日なので、学校の近くに小学生がいっぱいいる。 一人で歩いている子供も多い。
誘拐事件の多い中国からの観光客はおろか欧米人ですら、一人で歩いたり電車に乗ったりする日本の小学生を見て、ビックリしたり心配したりする
と聞くが、ここの小学生たちは日本と同じ様に子供同士や一人で歩いたり、店で朝飯を買い食いしたりしている。
(中華文化圏だと、朝食は外食というのは珍しくない)
子供が巻き込まれる事件・事故が、日本並みに少ないということだろう。

私は、一昨日の朝食はそれなりのレベルのパン屋で買い食いしたが、今日は空港で食そうと早めに移動。 空港でも雲南過橋米線を食す。
店によって具材が異なるし、スープの味も違うので面白い。

2.羊城通CARD
昆明に向かう中国国内線も、定刻出発で昆明に飛ぶ。
私は、このまま同じ飛行機で広州に向かうと思っていたのだが、キャビンアテンダントに聞くと、
「広州行きはフライト番号は同じだが、機材が変わるので昆明で乗り換えるのだ」と言う。

15時少し前に、ここまで戻ってきたら帰国したような錯覚に陥ってしまう広州白雲空港に到着。
中国に預けている元を少し下ろそうと思ったのだが、この空港には中国銀行のATMが無い?
インフォメーションに聞いても迷いなく「没有」とのたまうので仕方がない。

地下に降りて羊城通カードを50元で仕入れ、メトロ3号線35分で16時きっかりに広州東駅。
ちなみにこの、広州地鉄3号線は時速120kmと、中国メトロの中で最速である。

3.広州 全季酒店
広州では、広州東駅至近の全季酒店を予約していたのだが、なんたることか、ここも英語が通じない。
しかもアメックスも使えない。 大都市広州のど真ん中にある4つ星ホテルだというのにイヤハヤだ。
しかし、地鉄1号線と共用しているF出口から20mほどの位置で、雨が降っていても傘が不要だし、価格も安いし、
内部もブティックホテルを目指しているのかと思うほどシンプルに洗練されているし、部屋も快適なのでリピするかもである。
ウエルカムフルーツはなかったが部屋には茶器が準備されていて、高級品ではないが中国茶も二種類がサービスされるなど、
ホスピタリティーの概念はあるようだ。

空港でお金が下せなかったので、勝手知ったる(中国銀行の場所を知っている)石牌橋まで行って金を下ろす。
そのまま体育西路の近くの百貨店で食事127元。
なぜか広東料理ではなく四川料理にしてしまったが、都会の店は日本人的には快適だし美味しい。 ただし価格も日本の外食と変わらない。
7日目(5月 6日) 1.広州の朝飯
広州の朝飯は駅の近くで過橋米線セット45元を食す。
特に、ハマってしまったという訳ではない。(米線は雲南省名物であり、ここは広東省)
7時半からやっている小奇麗な店が、マクドナルドかケンタッキーか、ここしかないとなると、選択肢は一つである。

しかし、45元のこのセットも大正解である。
麺は腰のないウドンのような感じだが、15本くらい怪しい串が付いている。味もマズマズ。 たぶん明日の朝食も、ココに来ることになるだろう(笑)

そのまま地鉄1号線で広州の果ての西朗まで行き広佛線に乗り換える。昨日ゲットの羊城通カードが共通なので便利。
当初の計画では日帰りで15年ぶりの香港を襲撃しようとも考えていたのだが、手続きは楽勝で面白みもないワリに無駄に時間がかかりそうだし、
数時間のために換金するのも面倒になってきたので、香港は次の機会ということにした。

2.仏山 祖廟
そういった経緯でまずは仏山の祖廟まで来てみた。広佛線祖廟駅から徒歩三分。
この祖廟は文化大革命における破壊を免れたらしく、14世紀の建物が現存している。

日本もその傾向にあるが、古い建造物は、現代では不可能と思えるほどに手間をかけている形跡がある。
ピラミッド状の狛犬も、なんだか可愛い。
後で紹介する陳氏書院もそうだが、屋根の上の彫像が見事。
池には蛇を背に乗せる亀が泳いでいる。池の底や蛇の脇が汚く見えるが、ゴミのように見えるのはお金。
生きたカメも入れられているのは御愛嬌か? 生きた蛇は、見当たらなかった。

3.梁園
せっかく佛山まで来たので、祖廟から徒歩で梁園に足を延ばす。こちらは築200年ほどと、さほど古くはない。
今日はなぜだが無料になっていたが、入場にはIC身分証を機械で読み取って、ゲートを開けている。
(戸籍のある中国人はIC身分証を持っている。)

パスポートを見せて苦笑いをすると入門係員は、自分の身分証を機械にかざしてゲートを開けてくれた。
園内には大量の、チャイナドレスオバサンと小学生。

4.陳氏書院
昼頃に広州に帰還。
まずは、一度来たことのある陳氏書院。 別名は陳家祠で、地鉄1号線の最寄り駅名は、こちらに合わせている。
この建物は科挙を受験する者を同族(陳一族?)で支えるための書院(学校というよりは図書室的な位置づけか?)として建てられたらしいが、
屋根など半端なく凝っている。

5.越秀公園とイスラムモスク
広州は、別名「羊城」と呼ばれるが、それは、
「羊に乗った5人の仙人が稲穂をもたらした」とい故事によるらしい。中国で「城」は、建物よりも町を意味する場合に使われる場合が多い。
もちろん昨日紹介の羊城通カードも、それにちなんでいるわけだが、カードのデザインに使われているのが、越秀公園の五羊石造なのだ。
取り合えず丘の天辺にある羊に挨拶。

丘を下った次は、以前に広州に来た際に見逃していた懐聖寺。
中国最古?のイスラムモスクは、教徒以外は中に入れないらしい。聖は聖人ムハンマドを意味し、「聖人を懐古する寺」という意味か?
羊もイスラムを想起する動物だが、広州とイスラムは縁が深いのかな?

6.沙面
脂っこい料理を続けざまに食った後は、サッパリしたものが食べたくなるのと同じ感覚で、中国文化満載の地域から沙面へ。
19世紀半ば(日本の江戸末期)にアヘン戦争の決着として英仏の租界となったことが始まりで、
珠江から船で直接的に広州に乗り込める沙面が整備されたらしい。日本で言うと、長崎の出島といったところか。
中国でも西洋文明に対する憧れはあり、アメリカを前面に出したトラックが撮影の的になっていた。
沙面自体は幅が広く、緑あふれる遊歩道の両側に洋館が立ち並び、なかなか気分の良いロケーション。
騒がしい元気あふれる中国語さえ聞こえてこなければ、横浜の一角かと勘違いしてしまいそうな雰囲気もある。

7.広州塔
広州に来た以上は、広州塔に挨拶をしないわけにはいかないと思い、晩飯がてらに謁見。 ここは何度も昇っているので、今日は下から見上げるだけ。
建物の高さは454mだが、先端のアンテナ部分を入れると、ちょうど600m。
中国内では最も高い建造物であり、のちに東京スカイツリー等に抜かれたが、竣工時(2009年)はドバイのバージュ・ハリファに次ぐ
世界第二位の高さを誇っていた。

アトラクションをつけず、ただ展望台に行くだけなら、一番高いゾーンまで入れるチケットで150元(約2400円)
高さ当たり価格としては良心的な方だと思うが、大気汚染のために展望はあまりよろしくない。 今日だったら夜景がきれいに見えるかな??
中国語名は広州塔なのに、英語名がCanton_towerというのが気分的にスッキリしない。 広州ならGuangzhouだしCantonなら広東だろうに。。。
広州塔の根元から、珠江沿いの運河道路を横切って遊歩道から夜景を堪能。
今日は土曜の夜なので、中国人も多数出没しているが、こんな場所があることを知らない人が多いのか、
塔の根元の賑わいと比べると静かな方かもしれない。

夜景は、一見の価値はある。上海の外灘に匹敵するくらいか??

この後、晩飯を食うのに苦労することになる。
今回の最後の夕食なので、百貨店レベルの店に入りたかったのだが、どこも満員で列をなしているのだ。
体育西路周辺をあきらめて石碑橋まで足を延ばしたが結果は同じ。
満席で列ができているのは、一人当たり単価が100元を軽く超える店ばかりである。
中国バブルは既に弾けているとか、経済指標は創作などと言われているが、本当にそうか??
8日目(5月 7日) 1.過橋米線ダメ押し
昨日の日記の予告通り(笑)、今日も朝飯は広州東駅の米線に。

朝飯としては割高だと思うが、内容は充実しているし、オーダーしやすいし、(カウンターで頼むとポケベルが渡され、それが鳴ったら引き換えに取りに行く)
味も駅前ファストフードとしては悪くない。

2.広東省博物館
今日は昨日の行き残しを網羅しようともくろんでいたが、朝から雨が降っているので、屋内で観光できる広東省博物館へ。
中国は、博物館は無料のところが多いが、ここもそう。
チケット売り場があったので「有料なの?」と聞いたら、お姉さんが「フージャオ」と一言。せめて「PASSPORT」と言ってくれぃ。

ここは自然館の評判が高いようだが、それは上野の国立科学博物館も充実しているので、やはり中華文明フロアを中心に回る。
台北の故宮博物院を見た後で北京の紫禁城に行った際は、「中華3000年のお宝は、蒋介石によって台湾に持ち出されてしまったなぁ」と
思ったが、上海博物館や湖北省博物館、この広東省博物館を見て一安心した。

3.広州白雲空港グルメ
広州白雲空港の2階のレストランエリアを試しておこうと思い、早めに空港に移動。
ボーディングパスだけゲットしてから目的の2階に行ってみたが、ナカナカの充実で目移りする。
広東料理と同列の港式(香港料理)で、蜂蜜で焼いた豚肉と迷いつつ広州式焼鴨セットというのを頼んでみたが、感涙物のおいしさ。
やはり、「食は広州に在り」は健在である。

4.ミッション終了
日本に帰るJAL088便は定刻ボーディングだったが、『ナカナカ動かないなぁ』と思っていたら、「空域混雑のために90分の待機が命じられた」とアナウンス。
やれやれと諦めていたらほどなく、「話が変わって今から出発」と案内があって、30分遅れ位で離陸。
中国路線は、30分くらいの待機は計算に折り込んでいるのか、羽田には定刻に到着。

年始のフランクフルト線(ANA)に引き続き、今回もプレミアムエコノミーにクラスアップ。
この時も今回もマイルサービスでタダ乗りしているのに、幸運なのか、それともマイル乗客の方が優遇されるのか??
時期的にエコノミーが埋まりやすいから、UPが発生するのは疑問ではないが。

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