ポルトガル越年2016-2017

1日目(12月28日) 1.羽田からフランクフルトへ
本日は仕事納めで、会社に居ても大したことは出来ないことから、早めに会社を出て羽田空港に向かう。
出発便は15時過ぎだが、混雑を警戒して13時に空港入り。

もう少し正直に書くと、年末の移動は、飛び込みによる鉄道ストップが恐くて、ついつい余裕を持ち過ぎてしまう。
今回も詳しくは判らなかったが、別路線での異音の影響とやらで電車は少し遅延した。
もっとも本日は、そのおかげ?で乗り換えもスムースに行なえ、ホーム上で寒い思いをすることも無く空港に到着できた。

長蛇の列に見えたルフトハンザのチェックインカウンターも、15分程度で順番が来る。
ルフトハンザで通して飛ぶと、トランジットのフランクフルト空港でのボーディングゲートも表示されるのがすごい。

離陸は概ね定刻で、ほぼ満席。 機内は少し寒い。 私が寒く感じる場合は、凍えている人もいるのではないかと思う。
飛行機は佐渡島上空を抜けてロシアへ。
羽田を飛び立って2時間半後、日本時間で18時、ドイツ時間で午前10時くらいに昼食が出たが、その頃には外は暗くなっていた。
(当地経度ではたぶん17時に相当するくらいで、緯度が随分と上がっているから仕方が無いか。)

右側に大きな街を見下ろしてほどなく降下態勢に入る。とすると、あの夜景はベルリンかな?
予め次のゲートが判っているので、戸惑うことなく空港内移動が出来る。
シェンゲン協定域外から到着したので、まずはパスポートコントロールが有り、シェンゲン域内に乗り継ぐためか再びX線検査。
まっすぐにリスボン行きゲートに向かったが、A23からA22に変更されていた。真向かいなので、何の問題も無い。

2.フランクフルトで血まみれ
先ほどの再X線検査で、日本から持ってきた緑茶を回収されてしまったので、リスボンまでの3時間のフライトの機内飲料として、オランジーナを購入。
ドイツ語版ではあるが、おそらく、中身は日本で売っているのと同じだろう。が、税込みで3.4ユーロ・・・って400円だよ。
近年ではドバイ空港の物価が最悪だったが、フランクフルトもエグイなぁ。

ドリンクも手に入れたので、リスボン行きボーディングゲートのベンチで、携帯の充電などをしつつ、ふと右手を見ると血まみれになっている。
見ると右手親指から出血していて、激しくは無いが止まる様子でもなく床にまで血滴が滴り落ちる。
携帯の充電器を取り出すべく荷物を探っている時に、剥き出しになっていたT字剃刀の刃をつかんだらしい。
空港ポリスの目にでも留まったら、あれやこれやと訊かれる恐れもあるので、タオルで隠しながら止血し、バンドエイドで秘密裏に処理をして事なきを得る。
スパッと切れた様で、ほとんど痛みが無かった。

リスボン行きも定刻出発。 血まみれ事件を別とすると、万事順調に進んでいる。

3.リスボン到着 速攻でリスボンカードをゲット
リスボンには定刻よりもおよそ30分早く、22時半に着陸。深夜到着なので早着はありがたく、ドイツから来たのでココでは入国審査も無い。
なんだかクネクネ曲がって判りづらい経路をたどり、乗客一番乗りで到着ロビーに出る。

到着したら真っ先に行なうべきことが有る。リスボンカードの調達だ。
空港のインフォメーションセンターは、到着ロビーに出た時に、右斜め前方に有る。
さっそくお姉さんに、「リスボンカードが欲しい! 48時間の設定で♪」と頼んだら、「いつから使う?」と、質問。
「今すぐメトロで使うよ。」、「じゃぁここに日付と開始時刻を書いて。11pmね。」
裏面にはサイン欄もある
カード番号は48から始まるが、これは最初に機械を通してから48時間有効の意らしい。分厚い(利用案内の)冊子を渡されて完了。

いったん空港から外に出るとすぐにメトロへのエスカレーターがある。
リスボンには2016年末時点で4路線のメトロが営業しているが、空港には赤路線が乗り入れており、何分後に次の電車が来るか表示されて親切。
今夜は、この路線で20分のアラメダ駅から徒歩一分の所にホテルを確保しているので、何の不安も無い。
駅では通りの反対側に出てしまったが、チェックインもスムースで、23時40分には部屋でくつろげた。
着陸してから一時間強でベッドで横になれるというのは、いいねボタンが有ったらクリックしてあげたいところである。
ネットは遅かったが、部屋でもキチンと接続した。 部屋にはバスタブも付いているし、いいねリスボン。
2日目(12月29日) 1.サンタ・ジュスタのリフト
リスボンの 夜が明けた。
早く街に繰り出したくて、ホテルのモーニングビュッフェが始まる7時半きっかりに地下一階に降りたのだが、オープンしてから準備を始めるらしく、
パンも料理も最低限しか出揃っていなかった。それでも出ているもので満足する事にして、7時40分には出陣。
今日は最寄りのアラメダ駅から、昨夜の赤路線ではなく緑路線で街の中心部のバイシャ地区に向かう。

まずは4日後に宿泊するホテルをチェックし、そこからすぐのサンタ・ジュスタのリフトに乗る。
日中は長蛇の列が出来ると言うウワサだし、景観も綺麗な朝一番に乗っておくことが合理的なのだ。
このリフトも、昨夜ゲットしたリスボンカードで乗れるので、経済的だしチケットを買う手間も省ける。
リスボンの屋根はオレンジが基調なので、朝焼けや夕焼けが最高に映える。

リフトの上部は18世紀半ばの地震で倒壊したカルモ教会と直結しているが、教会は、まだopenしておらず、外観を激写。
同じく上部には、まだクリスマス飾りを片付けてはいないものの、イイ感じのカフェもあったが、やはり開店準備中。
そうこうしている内に、第二陣の人たちがリフトで上がってきたので退散。下界のロシオ広場からも、カルモ教会の上部を見上げることが出来る。

この付近、バイシャ地区は、リスボン最後の夜にも宿泊する予定だし、今夜もこの付近で食事を摂る計画なので、じっくりと見て回ることはせず、
近郊の見どころ、ベレンに行ってみることにした。
ここのジェロニモス修道院も、早い時間帯に行っておかないと、入場待ちだけで時間を浪費してしまう心配が有るのだ。

バイシャ・シアード駅は青路線とも交差しているが、ホテルから来た時と同じ緑路線の終点、カイス・ド・ソドレ駅を目指す。
この駅からポルトガル鉄道のカスカイス線で3駅ほど乗ると、目的のベレンなのだが、この路線もリスボンカードで乗れる。
なんてスグレモノなのだ、リスボンカード。

2.ベレン・ジェロニモス修道院
さて、予想より遥かにスムースにベレンに移動ができたので、ジェロニモス修道院のオープンには早過ぎる。
そこでまずはテージョ川沿いの発見のモニュメントへ。ここは午前中に順光になる東側は工事中で絵に成らなかった。
バスで乗り付けてきた日本人団体さんなどを眺めている内に、ほど良い時間になったので、地下道と公園を横切って修道院へ。
まだオープン15分ほど前だったが、すでに30名ほどが列を作っており、開場を待つには適切なタイミングだ。

内部は10ユーロの入場料金なら惜しくは無いほどに、十分に見応えが有る。
しかし、ここもリスボンカードで無料になった。 ゲットから11時間程度で、すでに31.5ユーロの元を取った感じかもしれない。
ガイドブックによると、1502年に着工して、一世紀程度を掛けて完成したということだから、徳川幕府と同時代の歴史を持つのだろう。
キリスト教系の宗教施設は、どこもそうなのだが、石柱などの彫刻が精巧である。
石造りで有れば仏教施設でも同じだが、労力が神とのつながりを確かなものにすると考えられているのか、嘘のない仕事が残されている。

さほど広い訳でもないので、小一時間程度で満足して外に出る。 見ると入場待ちの大変な行列。
これは、リスボンカードを持っていても、チケットに交換しないといけないので、やはり並ばざるを得ない宿命だ。
リスボンの冬は寒くは無いので、今日の天候であれば並ぶこと自体は苦にならないが、貴重なリスボンの時間を、ただ並ぶことに浪費するのは御免である。
と、いう方は、やはり、オープンの10時少し前に行っておくことをお奨めする。

気がつけば腹が減ってきたので、今度は市電で中心部に戻ることにする。
市電とは、日本で言うと長崎や広島で見られるような路面電車で、自動車と道路を共用している。
リスボンの市電の多くは、一両編成で前乗り後降りのバスのような大きさだが、ベレンに延びている15番は2両編成だし、どのドアからでも乗降できるので、
キセルはやり放題と言う感じだが、他の乗客の目が監視になっているのか、元々正直者が多いのか、妖しい動きをする人は見当たらなかった。
プリペイドで支払うと一回150円程度で、車内の自販機でキップを買って支払うと一乗車350円程度になるから、けして安い訳ではない。
もっとも、リスボンカードなら何回乗っても追加料金は要らない。
リスボンカードの他に、ポルトガル鉄道の路線には乗れず観光地の特典も無い、24時間有効の場合は6ユーロの、ヴィヴァ・ヴィアジェンカードというのもある。

3.サン・ペドロ・デ・アルカンタラ展望台
バイシャ地区のイケてるカフェでツナサンドのドリンクセットを頼んだら17.5ユーロ。
これは予算計画を少々超過していたが、美味しかったし気分も良かったので良しとしよう。

食後は、明日シントラに向かうためのロシオ駅を視察した後、そのままケーブルカーのグロリア線とやらに乗って、サン・ペドロ・デ・アルカンタラ展望台へ。
ここからの眺めは、リスボンの写真集にワンショットは含まれている見事なものだ。本格派チーズの露店もある。
ここからは遠くカテドラルやサン・ジョルジェ城なども望めるので、夕方も気分が良いに違いない。

ここでガイドブックを眺め直すと、ベレンの塔に行き損なっている事に気がついた。
発見のモニュメントやジェロニモス修道院から少し西に外れているから見落としていたらしい。そこで、再びベレンへ。

4.ベレン再び ベレンの塔と発見のモニュメント
午前中に来たばかりのベレンに再突撃。
さほど時間が掛る訳でもないし、乗り降り自由のカードを持っていると判断も自由になる。
ベレンの塔は入場6ユーロ。
クドいようだが、ここもリスボンカードでカバーされる。

内部は3階?まで昇る事が出来て、テージョ川の眺めも良かったが、
階段がせまく、双方向が交代制になっていたので、
人が多くなってくると少し待たされる。
そして再び発見のモニュメント。
西側も下部は工事中だったが、絵になる状態ではあった。
午前中は逆光になっていたが、午後に再来することができたので、ベレンの塔の行き忘れは怪我の功名かも。
ここは地下牢もあるが、入場口レベルのフロアは砲台になっていた。 この大砲が火を噴いた事は有るのかな?

モニュメントの東側には、4月25日橋が見え、西側には、見落としていた灯台も聳えている。けっこう古そうだが、いつの時代のものだろう?

5.サン・ジョルジェ城
昼食後に、サン・ペドロ・デ・アルカンタラ展望台に行く前に、実はサン・ジョルジェ城に立ち寄っていた。
が、入場券売り場に長蛇の列が出来ていたので、一旦は断念していたのだ。
そこで再チャレンジ。
夕方の方が眺めも良さそうだから絶望視していたのだが、あにはからんや、列が無かったとは言わないが、スムースにチケットを買って入場できる。
ここは、リスボンカードだけでは入場できずに入場料を徴収されたが、キップ売り場のお姉さんは「20%ディスカウント」の様な事を言っていた。
自分で機械にバーコードをかざして入場するのだが、入ってスグのところは、リスボン中心部から4月25日橋方面を見渡せる、気分の良い庭園になっていた。

まずは城址へ。
歴史を遡ると、2600年前くらいには、この丘は軍事上の要衝となり、2200年くらい前(秦の始皇帝の時代?)には最初の要塞ができたらしい。
城を取り巻く城壁は14世紀頃に建設されたらしいのだが、この石垣は、どれほどの興亡を眺めてきたのだろう。
日は西に傾き、リスボンの中心部が、イイ感じに染まってくる。
城壁上で落ち日を見送った後、入場口の前の庭園で、しばしマッタリする。自宅の近所にこんな場所が有ったら、毎週だって来てしまうかもしれない。

冬のヨーロッパと言うのは、観光シーズンのようで、実態としては、日は短いし寒いしでコスパが低いのだが、リスボンは穴場である。
天気がいいとセーターすらも要らないし、仙台と同じ程度の緯度なので、パリやロンドンよりも遥かに観光可能時間が長い。
生きている内に、この街はリピートする事になりそうだ。

6.リスボンな晩餐
とっぷりと陽も暮れたので、三度、街の中心のバイシャ地区に戻ってポルトガル最初の晩餐を物色する。
夜は麦ではなく米が食べたかったので、その希望を満たす店を探したところ、パエリアになってしまった。
日本やバルセロナで食したパエリアよりは水分量が多く、べチャッとした印象を受けた。
この店がそうなのかもしれないが、4日後も別の店でパエリアを選ぶことになった時、やはり同じだった。これがポルトガル的パエリアなのかな??

今夜も、昨夜と同じホテルだが、バイシャから15分足らずで部屋まで辿りつけるので不便は無い。
小さな首都というのは、小さいこと自体が旅行者に親切というものである。
3日目(12月30日) 1.リスボンりすぼん!!
本日は昨日ほどガツガツすることもなく、7時に起床。
ゆったりとシャワーを浴びて身支度を終える頃に、窓の外が明るくなってくる。
緯度と経度や時差などから考えると、少し遅い様な気もする。
今回のホテルは、深夜空港到着時にスムースで、中心部にも出やすい程度の条件でテキトーに決めたのだが、バスタブもあったし、
眺めの良い部屋を割り当ててくれたし、ナカナカの正解だったかもしれない。

開始15分後のモーニングビュッフェに行ったら、昨日より充実して、パンや料理が出揃っている感が有ったが、やはり野菜類が少ない。
これは、この後も同じで、冬のヨーロッパは野菜が潤沢(安価)ではないことを感じさせてくれる。
ビュッフェは徐々に混雑してきて満席になる。 さすが観光シーズンだ。 日本人家族が二組と中国人グループが一組。 あとは白人。
アラメダ駅からバイシャ・シアード駅までは乗りなれたメトロで移動し、
バイシャのド真中に有る停留所から市電に乗車。

昨日は最新型の二両編成とケーブルカーにしか乗らず、
レトロな感じの一両編成に乗るのは今日が初めてなので、
ちょっと嬉しい。

前のドアから乗車し、運転席の後ろに有るセンサーに
リスボンカードをかざすと、「ピッ」と反応音がする。
これは他のプリペイドカードやチケットでも同じ。
降りる時は日本の路線バスにも有る様な降車ボタンを押すと、運転席の上部の「PARAR」という表示が点灯して、「次は停車します」と知らされる仕組み。
比較的広い地域をカバーする28番を東と西の終点地域まで探訪し、12時にコメルシオ広場の近くに有るカフェで昼食。 10ユーロセットでも十分に満足。

2.シントラ
昼食を済ませたらバイシャ地区を徒歩で突っ切って、ポルトガル鉄道シントラ線の起点であるロシオ駅に移動。 歩くのが苦手な人はメトロも利用可能。
このシントラ線に乗ったら、重宝した48時間有効のリスボンカードがお役御免になるのだが、200%ほど元を取っての大活躍という感じだ。
ロシオ駅の改札内でトイレを使用したら50セント。

シントラ線の起点のロシオから終点のシントラまでは、およそ40分。都心部の地下を抜けた後は概ね、ノンビリとした風景が広がる。
郊外を抜けて、乗客が少なくなってきたあたりで検札。 ポルトガルもヨーロッパの一国らしく、キセルのペナルティーは100倍の金額と厳しいらしい。
駅から徒歩2分で、3泊を予約しているシャレーサウダージ。
ここはシントラ駅から近く、旅行者の満足度も非常に高いにもかかわらず宿泊費が手ごろ。
今回も3連泊の条件では有るが、元日をはさむ期間に朝食付きで69ユーロ/泊。
本来なら15時からチェックインなのだが、14時前に到着してしまった。
ここは普通の家の玄関をノックして、中から鍵を開けてもらう仕組みだった。

「今晩から予約しているのだけど、もうチェックインできる?」
「部屋を見てくるから、ここで待ってて。」
・・・およそ10分後・・・
「部屋の準備が出来たよ。パスポート出して。」
といった感じで、気分良くチェックインさせていただいた。 高評価なだけのことはある。

部屋は半地下だった。と言っても裏側が斜面になっているので窓は有る。
普通のICカード式のルームキーのほかに、24時間出入り自由な鍵も渡され、「23時を過ぎたら玄関は閉じるけど、建物脇からはいつでも入れるよ。」とのこと。
部屋に荷物を投げ込んだら、さっそくのシントラ探訪。 シティーセンターはココから(シントラ駅からも)徒歩10分程度。
駅近くの城の様な市庁舎を眺め、そこから谷を迂回する様に大きくくねる道を歩いていると前方から蒸気機関車。
世界中のアチコチで見る様な観光客サービスだなぁ。。。

シントラは芸術の街として売り出しているらしく、道沿いには個人芸術家の作品が展示され、美術館も点在している。

なんだか相模原市緑区の藤野の様な街だ。
以下、ガイドブックからの受け売りになるが、古都シントラの歴史は大航海時代以前にさかのぼることができ、中心部に鎮座する王宮は
14世紀に改築されたと言うから、その歴史はもっと古く、街を見下ろす崖の上には、ムーア人によって7~8世紀に築かれたムーアの城壁が聳えている。
日本だと飛鳥時代から奈良時代にかけての頃ということか。
明日行くペーナ宮殿や、明後日に行くレガレイア宮殿は、その時にくわしく触れることにするが、とにかく凄い街なのだ。

シントラはユーラシア大陸最西端のロカ岬のゲートウエイにもなっていて、リスボンから美味しいとこ取りをした様なツアーで一日で回ることもできるが、
最低でも二泊はしてジックリと見るに値する。

3.シントラの王宮
明日も天気が良さそうなので、今日のところはジャブ程度にシントラをつついてみる程度にとどめておこう。
と、いうことで、王宮に進攻。
通常は入場料が10ユーロだが、冬季は8.5ユーロにディスカウントされるらしい。
変な煙突が聳えている、変な建物だ。
歴史的に何度も増改築されていることから建築様式も混在していて、これまた変な印象を受ける。

と、ここまでに”変”という文字を三回も用いたが、内部はまったく正常で、王宮にふさわしい豪奢な調度品。
ポルトガルというと、今でこそ欧州の中でもけして目立つ存在ではないが、
スペインと共に大航海時代をけん引した、当時の世界の中心的位置づけだった時代もある。
その栄華の一部がここにも展開されているという印象か。

王宮正面のレプブリカ広場には終日、観光客がたむろしているが、物乞いが現れるでもなく、冬のヨーロッパとしては暖かいし、休暇を過ごすには最高だ。
内部の写真を掲載していてはキリが無いので、変なのを混ぜて一部だけ。
ベッドの部屋もそうだが、ポルトガル特有の芸術であるアズレージョをメインに据えた部屋も有る。
さらに、多くの観光客が気付かずに見過ごしてしまう、上部の庭園もナカナカに見事だった。
空は青く、風は心地よく、庭の手入れは行き届いていて、建物は白く、頭上にはムーアの城壁が聳えている。

4.シントラの晩餐
ホテルの付近(=シントラ駅近辺)は、興味深いレストランは多くはなく、年末年始は休んでいる店も多い。
がっちり夜を楽しむなら、徒歩15分のシティーセンターの方が良いかもしれない。

しかしシントラ駅近くのIncomumは年末年始も通して営業しており、雰囲気も味もナカナカだった。
ワインも豊富で、私好みのスパークリングのロゼもグラス提供しており、価格もリーズナブルで申し分が無い。
唯一、AMEXを使えず、VISAカード払いになった事が残念なくらいか。

満足な晩餐を堪能して、サウダージの横っ腹から自分で鍵を開けて帰還。
なんだか、自宅に帰る様な感覚でサイコー。
4日目(12月31日) 1.シントラの朝
リラックスできる部屋で思いっきり爆睡し、8時半から始まるホテル併設のカフェに向かう。
通りのフルーツショップはすでに開店していた。
オレンジが1kgで2ユーロ程度なのはリーズナブルだとして、チェリーが1kgで、およそ15ユーロというのは、標準的なのだろうか?
日本でもブランド物のサクランボなら、もっと高いかな?
などといったことを考えていると、ほどなく朝食会場に到着。

2.シントラの朝食
駅の通り沿いに、宿泊したシャレーと同名のカフェが有り、昨日の日中は観光客で大混雑していた。
「宿泊客だけど、朝食はもう食べられる?」と入って行くと、ウエルカムな感じで奥に通してもらえる。
どうやらビュッフェではなく固定メニューが提供されるようだ。

パンとハムとチーズに、ヨーグルトたっぷりフルーツを添えオレンジジュースと巨大サイズのコーヒー。
ポルトガルで最もポピュラーなスイーツのナタが添えられる。パンは美味しいが、チーズやハムは日本が上かも知れない。
そしてやはり、野菜類が不足している。
ヨーロッパで健康を維持するのは、日本よりも難しそうだ。

3.ペーナ宮殿
腹を満たしたら、宿に戻らず、そのままシントラ駅そばの循環観光バス乗り場へ。
始発が9時半であることは、昨日の内にチェックをしておいた。
10分前に行くと先客が4名。 白人のアベックと、韓国人の男二人組。
バスを待っていると、警官みたいな恰好をした男性が近づいてきて、ハンドセットでチケットを売ってくれる。
午後にはロカ岬にも行きたいので、5ユーロの巡回パスではなく12ユーロのディリーパスをゲット。
ロカ岬を往復しても7ユーロもしないから、個別に買った方が安上がりなのだが、手間を省いてしまった。

定刻ちょうどくらいにバスが現れるが、この時間なら、その後に増えた人たちも含めて全員が座れる。
シーズンは激混みらしいが、この季節はユッタリしたものだ。

およそ20分でペーナ宮殿へ(その前に通るムーアの城壁は戦略的にスルーした)。
色とりどりで様々な建築様式が折り雑ざっているペーナ宮殿には、オープンの10分前に到着。
バス停すぐの自動券売機で入場券を買うのに苦戦している内に開場。
結局のところ、ここの券売機は壊れていた。

バスが到着するゲートから、メインの建物入口までは5分ほどの坂道を登ることになる。
別途3ユーロで敷地内の循環バスに乗れるが、自然豊かな山道を足で昇るのは気持ちが良いので、身体に不自由が無い人は歩いた方が良いと思うが、
大半の人はバスチケットを買っていた。バスを待っている内に、歩いた方が早く着くのだが。
正門から中庭に入ると、さらに奇抜な配色の建物が迎えてくれる。
西北西方向には東大西洋。
ロカ岬方向は見えない。

気温は12度くらいだろうか?セーターを着て歩くと、少し汗ばむくらいだ。
建物は奇抜でも、やはり中は正統派の王宮。
正面のドームなどはイスラムの影響も受けていると感じたが、
各所にステンドグラスなども配されており、
キリスト教の様式も色濃く盛りこんでいる。
世界でも高名な城を挙げるなら、ドイツのロマンチック街道の南端に有るノイシュバンシュタイン城は外せないところだが、
同城の建築を命じたルートヴィヒ二世の従弟にあたるフェルディナンド二世が、ドイツの技術を使って、この城を完成したらしい。

小一時間ほど見て回り、中庭から北の方角を眺めると、ムーアの城壁が、「そろそろおいで」と誘ってきた。

4.ムーアの城壁
ペーナのゲートからムーア城壁のチケット売り場まで徒歩で5分程度。最初に、意図的にスルーした際に確認しておいたので、不安なく到着。
チケットを買って、チェックの無い狭い入り口を通り抜けると、道は登りではなく下っていた。
やがて少し登って、チケットのチェックを受けると、登り道が別れる。
右が低い方の城壁で、最高所に行くには正面方向に向かう。まずはニセピークの方に行ってみるが、シントラの街の展望がいい。
そこから最高所へ。
ペーナ宮殿からの展望と大差はないが、遠方に東大西洋が広がっており、ロカ岬方向には森が茂っている。
ここから見るとペーナ宮殿は、上方に聳えるという位置関係になる。

5.ロカ岬
ムーアの城壁から乗ったバスは意外と空いていた。
先にペーナに行ってからムーアに戻ったのは、バスが混雑していても、ムーアから乗り込んだら、ペーナで殆どの客が降りて必ず座れると計算したのだが、
冬季の午前中は、心配する必要が無かったらしい。

巡回バスがシントラ駅に戻ると、すぐ近くにロカ岬行きのバスが出発を控えていた。
ロカ岬行きが毎時10分と40分であることは確認していたので、循環バスの中で乗れるかな?と思っていたのだが、3~5分程度の余裕で乗り換えも完了。
ディリーパスを運転手に見せるだけだし、席も空いていて非常にスムース。
45分くらいで岬のライトハウスが正面に見えてくる。

インフォメーションセンターの前にバスが停車すると、乗客は申し合わせたように西を目指す。
「ロカ岬」。 ポルトガル語で「CABO DA ROCA」。
ポルトガルの最西端であるだけでなく、地球上でもっとも広大なユーラシア大陸の西の果てでもある。
端っこ好きの私としては、いつかは来ようと思っていたのだが、実に苦労なく到着してしまった。
大西洋に突きだした岬の碑には有名な、「ここに地果て、海始まる」の言葉が刻まれているが、詩人の言葉としてはダイレクトだなぁ。。。
計画よりは順調過ぎて早く着いてしまったが、2016年最後の夕陽は、ここから見送るというのが本日の作戦である。
岬近くに有る唯一のカフェで、2オーダーで二時間近く粘ったりもしたが、
地球は約束通りに自転して夕暮れの時刻を迎える。

一昨日に、リスボンのサン・ジョルジェ城で日没を迎えたのは17時26分だったが、
今日の日没も5分とは変わるまい。
夕暮れが近づくと、碑の付近に人が増えてくる。
黒人とアラビア人は、やや少なかったが、インド人もいたし、
アジア系は多く、もちろん白人が多数派。
直径2つ分くらいを残して、太陽は雲に隠れてしまう。
再び太陽が現れて水平線に没するのを期待しているのか、余韻を楽しんでいるのか、みんなは動かない。
私はというと、10分後にシントラ行バスが出ることを知っていたので、バス停方向に撤退しながら写真を撮り続けた。
先にバス停で並んでいたのは5名。
バスが来て普通に座れるが、その後に大量の客が押し寄せ、すぐに立乗りで埋まって、乗りきれなかった人も発生。
カスカイス行きなら10分後に来るが、シントラだと30分は待たなければならない。 寒くなってきた中、ちょっと気の毒。
5日目( 1月 1日) 1.レガレイラ宮殿と、その庭園
サウダージにチェックインした際にスタッフが、「レガレイラは元日からオープンしているよ」と教えてくれたので、ここは昨日はスルーしていた。
ガイドブック(元日は休となっている)によると10時オープンだったが、
行ってみると、どうやら9時半から開いていたらしい。
出口の門も既に開いており、昨日と同様、不正入場しないように、
係員が立っていた。

ここはペーナより地味だし、ムーアより歴史も浅く、
私は無知にも軽く見ていたのだが、驚嘆する事になる。
なんだかアニメ映画に出てきそうな監視塔や、中華っぽい庭園も有り、
割と雰囲気良いじゃん程度の認識で中に進んで行く。

他の観光客もわずかで、プライベートな庭園を
散策している気分に浸れる。

エントランスから少し逸れた位置に有る小さな井戸を覗いてみると、
下に下れる事に気がついた。
たまたまペンライトを持っていたので井戸の底を往復する。
この時私は、途中に有った横穴を見落としていた。
井戸を出て、もう少し下方の道を歩いていたら、道端の構造物から奥の方に、横穴が延びているのを発見。
外の光が差し込む範囲にはライトは無かったが、奥の方は足元灯が誘導している。
インディ―ジョーンズ風に考えると、地底世界に餌食を誘い込む罠のようにも見える。
多分ここで何かが有って、叫び声をあげても、元日の今日では助けに来る人も期待できない。

おっかなびっくり奥に進むと唐突に、先ほどの井戸よりも遥かに規模が大きい井戸の底にヒョッコリと出る。
これはビックリだ。入場料金と引き換えに貰ったMAPを見ると、[Initiatic_Well]と書かれている。
ロクに見ていなかったMAPを眺めると、他にも地下世界が広がっている。
最初に入り込んだ穴から左に逸れる横穴が有ることには気づいていたが、その穴も別の地表につながっていた。
この付近は花崗岩質で、確かに穴は掘りやすい方では有るだろうが、地方の王族の別荘にしては怪し過ぎる。

あとでガイドブックを見直すと、「錬金術」とか「テンプル騎士団」など、さらに怪しい単語が並んでいる。
外に出ると、凝ってはいるが、まずまず普通の中世欧州風庭園。
ここだけを舞台しても、一片の短編映画くらいなら撮れそうだが、それはすでに試みられているのだろうか?

などと考えていたら、すぐ近くで大声の中国語。別の道ですれ違った日本人は密やかに小声で話していた。
言葉が聞きとれない欧州人でも区別がつくというのが良く判る。
庭園の下部の平らな辺りには教会も建てられている。 さほどは大きくないが、総石造りというのは見ごたえが有る。
他の世界文化遺産を引き合いに出すまでもなく自明だが、歴史に何かを残すのは、圧倒的不平等の産物であることが多い。

2.シントラ
ポルトガルで最もポピュラーな菓子は、サウダージの朝食にも添えられているパステル・デ・ナタだが、ここシントラでの代表菓子はケイジャーダらしい。
恥ずかしげもなくミーハーに、それを注文してみた。
チーズの焼菓子ということだが、これに使われているチーズは引っ込み思案なのか自己主張が弱い。

シティーセンターのカフェでこれを食べたが、隣のリカーで魚の形をしたチョコレートの缶詰が売っていた。
ガイドブックで見かけて、コレは欲しいと思っていた一品である。
数個を買い求めたが、ナカナカ高かった。
一個(一缶?)7.5ユーロ。 実際のオイルサーディンの缶詰程度の大きさなのだが約900円。
人気が有るので値段が上がったのかな?
これはこの後、リスボンでも空港でも見つからなかったので、ここで仕入れておいたのは正解だった。
他の種類のチョコレートも混ぜて、チョコレートだけで47.5ユーロのお買い上げ。バレンタインデー前の女子中学生か!?
このシントラの街は、歩いていて実に楽しい。
日本のセンスと異なるから、見るモノが珍しいというのも有るが、
実際に綺麗だし、ちょっとしたものも芸術的に優れている。

今回は美術館までは見に行かなかったが、きっと良いだろう。
赤い自転車が、看板代わりか塀の上に立っていた。
自分が似たようなものを真似してみても、きっと郵便配達チャリを
劣化させたような感じでしか仕上がらないダサいものになること請け合いである。
街中で馬車も時々見かけたが、馬の落し物は見当たらなかった。
ギリシャのサントリーニ島では、その落し物が酷かったのだが、ここでは即座に掃除をしているのだろうか?

3.シャトー・サウダージ
元日の今日はレガレイラを除く主な見どころがすべてクローズなので、
昼過ぎ(と言っても夕方に差し掛かっていたが)からはサウダージでノートPCを広げながら、記録や写真の整理を行う。

チェックインをした際に、「自由に使っていいよ。」と言われていたエリアが気になっていたのだ。
しかし、目を付けていたテーブルでは、シャレーのスタッフたち?が語学の練習をしていた。
英語ではなく、スペイン語っぽくも無かったが、何語の勉強だったのだろう?

部屋ドアに下げる「(掃除などで私のリラックスの)邪魔をしないでください」の札は、上からフランス語・スペイン語(ポルトガル語?)・英語・ドイツ語、、、
あれ? 一番下は何処だろう??
スペイン語とポルトガル語は方言程度の差なのだろうが、ここから判ることは、英語客は3番目の多さで、スタッフにとっても第三言語以下であるらしいことだ。
勉強の邪魔をしないように私は、フロント前のソファーでPC作業を行ったのだが、電源が取れたので却って良かった。

スタッフに、「この辺りに電源は有る?」と訊ねる時に、一瞬詰まってしまった。
「パワーサプライは有りますか?」と聞いたら一発で通じたが、どうして日本では英語っぽく見せかけて、電源の事をコンセント(集中?)などと言うのだろう?
コンセントが絶対に通じないことは自信を持って言える。

ちょうどPCの充電が100%になる頃に勉強会が終わり、テーブルが空いたので移動したが、ここは電源が得にくかった。
夜は一昨日と同じIncomumへ。 他のめぼしい店がすべて閉まっていたからなのだが、ここは十分にリピートありだ。
本日はニューイヤーメニュー一択のみ。
ワインを付けて一人30ユーロだから、良心的で内容も充実。
6日目( 1月 2日) 1.シントラ最後の朝
シントラで3泊というのは、少し長過ぎると思っていた。
それにもかかわらずそうしたのは、シャレー サウダージを予約した際に、予約可能な日程が固定されていて、そうしなければ予約が出来なかったからなのだ。
それに過去の経験から、元日にバタバタしても想定外もあって面倒なだけだから、それで良いと割切っていた。

しかし、シントラは三泊でも物足りないくらいだった。シャレー サウダージという選択も、大正解だった。やはり、リピ有りかもしれない。
歩き慣れた裏道からシントラ駅に移動したが、駅の斜め向かいには大晦日に食事をした中華料理の大福楼。
ここはまぁ、味は正解ではなかった。
別段酷くも無いが、欧州に長期滞在していて、「アジアンが食べた~い!」となった際に、緊急避難する程度の位置づけというところか。
メニューは豊富で料金は安い。
英語は普通に通じ、若い中国系の女の子には中国語が通じなかった。
先輩格の方のお姉さんには中国語も通じたが彼女たちはポルトガル語も必須だろうし、ただの店員とは言え、なかなか大変だ。

2.リスボン帰還
元日のみ閉まっていた駅構内のインフォメーションセンターは、今日は開いていたので、リスボンカードは有るかと聞いてみたら「有る」と言うのに、
「24時間制限のモノを買いたい」と言ったら、「今日は通信が切れているので売れない」という様な事を言う。
主にはこちらの英語力のせいで要領が得ないが、とにかく今日はここではリスボンカードは買えないらしい。
仕方が無いので、対面に有る駅の切符売り場に移動し、ロシオ駅までの片道切符を買う。

ロシオ行き列車はガラガラ。
しかしリスボンのロシオ駅が近づくにつれ乗客が増えて来て、終点に着く頃は満席。
所望のカードはロシオ駅近くのインフォメーションセンターで手に入れるが、こちらは人が多くて30分待ち。

3.エストレーラ大聖堂
前半戦のリスボン漫遊では、市電が来るタイミングが良過ぎて、エストレーラ大聖堂に立ち寄れなかったことから再訪。
この付近は木が多く、全景が判る写真は撮りにくい。 市電を重ねてみたら、下の写真の様に聖堂を隠してしまって大失敗。
正面のエストレーラ庭園も、広くは無いがくつろげる。
ここから市電25番でカイス・ド・ソドレに向かおうとするが、大聖堂の奥の停留所で待てど暮らせど電車が来ない。
『25番は電車が来ないのか?』と様子を見に行ったら、ちょうど来たところだったので、急いで停留所に戻って乗り込んだ。

しかし、せっかく乗ったこの電車はサントス付近から西向きに曲がって、ベレンの方向に行ってしまう車両だったので下車。
その後、紆余曲折が有り、結局は風の中をベレン停留所から1km以上も坂道を登って、アジュダ宮殿を目指す事になる。
と言うのも、カイス・ド・ソドレ付近では市電18番の停留所が見つからず、時間ロスをした後に諦めてしまったからなのだが。

4.アジュダ宮殿
市電のベレン停留所から、アジュダ通りを北上すると、途中から市電18番の路線が東から合流してきて、この路線が実在する事は判った。
帰りは利用して、停留所を確認する事にしよう。

大通り側からは、このアジュダ宮殿の入口はみすぼらしく、いったん通り過ぎてしまう。
気付かなかったという程ショボくも無かったが、普通の建物の入り口程度だった。
中に入ると、それなりに立派な中庭が有って、その先にメインの広場が覗いている。
正面ゲートの右側から建物に入るのだが、この扉も閉じていると見過ごしてしまいそうだ。少し案内表示が乏しいように思う。

扉から中に入ると、先ほどまで通り過ごしてしまうほどヒト気が無かったのに、団体客で大賑わい。
(たぶんスペイン語圏の)団体客がチケット売り場を占拠していて、ナカナカ進めなかった。
説明を聞いている3団体ほどを追いぬいて先に進むと、再び気が抜けるほどに、ヒト気が無くなり、静かな環境で、在りし日の栄華を空想した。

ガイドブックによると、この建物は100年ほど前に役割を終え、その後は荒れ放題になっていたが、現在は迎賓館として利用されているとある。
確かに左(北側?)の建物には入れなかったが、そちらが迎賓館なのだろうか?
ここの展示では、日本とのつながりを彷彿させるものは見当たらなかった。
代わりにと言っては何だが、チャイニーズの間があって、いかにもチャイナな陶磁器類が並んでいる。
別の部屋でも中国とのつながりを印象付ける展示は多く17~18世紀(清の時代)の、ポルトガルと中国との交流が盛んであったことがうかがえた。

謁見の間や宴の間、その他もろもろ、国民は貧しい暮らしだったであろう時代に、いかに贅沢をしていたか忍ばれる栄華の世界が次々と展開されていた。
私の眼には派手なものしか映らないが、おそらくは展示されている磁器や木工製品も、価値の高いものなのだろう。

外は雨が続いていたが、市電18番には無事に乗れる。
しかしこの市電はアルカンタラ・テッラ付近で終点となり、市電15番でカイス・ド・ソドレに戻るしかない。
なかなか判りにくい。

5.バイシャ地区
リスボン最後の夜は、バイシャ地区のド真中に宿泊し、
現在では小国ながらも首都の活況を満喫する。

夜は雨も上がり、街には多くの人が繰り出していた。
イルミネーションはギラギラし過ぎず品が有る。
晩飯は色々と物色したが、色々と経緯が有って
パエリアになってしまった。
7日目( 1月 3日)
帰国日( 1月 4日)
1.リスボンメトロ
リスボン最後の朝は、7時半開始の朝食を摂ったら即行でフィゲイラ広場に行き、市電28番を大回りしてくる。
リスボンは何処も良いが、この28番のアルファマ地区が一番好きかも知れない。
しかし、ここで自動車を運転するには、かなりの注意力と忍耐力が必要だろうな。

フライトは12時なので、ホテルを9時半にチェックアウト。
バイシャ駅から緑路線に乗り、初日のホテルのあるアラメダ駅で赤路線に乗り換えて、きっかり10時に空港駅に到着。
赤路線に乗るのは初日以来だ。
青路線と緑路線の南部には何度もお世話になったが、黄路線はついぞ利用しなかった。
市電は一部区間なら全路線に乗ったと思うが、ケーブルカーは一本しか乗っていない。やっぱリピだな。

2.リスボン空港
リスボン空港は、二階に上がったらすぐにルフトハンザのチェックインカウンター。
一見、チェックイン待ちの列はとんでもなく大人数に見えたが、実はそれほどでも無く、カウンターの効率も良かったためか15分くらいでボーディングパスを
入手できる。

やはり、フランクフルトから羽田に行く便のボーディングゲートも表示されている。(往路は微妙な変更が有ったが、復路は表示通りだった。)
ここからドイツに飛ぶ場合は、やはりパスポートコントロールは無い。
それは便利で良いのだが、パスポートにポルトガルを示すスタンプが残らないのは少しさびしい。

出発ロビーにはボーディングパスのバーコードを自分で機械にかざして入るが、来た時と同様、タックスフリーショップが広がっている。
その割に酒と煙草と化粧品ばかりで、面白味のある店は多くは無い。

3.フランクフルト トランジット
リスボン上空で旋回した飛行機は北上してイベリア半島を抜け、東に旋回してフランスに入る。
フランスの海岸線に差し掛かったところで、ドイツ人機長が、左側が綺麗だよと案内してくれた。
定刻着のフランクフルトではパスポートコントロールを受けるが、復路はX線検査が無かった。

ボーディングゲートの近くでドイツのハムと水を仕入れる。
ゲート付近が騒がしいと思ったら、オーバーブッキングが発生したらしく、明日の同便に振り替えてくれる乗客を募っている。
謝礼は600ユーロの金券+ホテルらしい。
聞くところでは、大抵の場合は立候補者が現れて、すぐに収束するらしい。
その関係か、私がボーディングパスを機械にかざすと、カタカタと音がして予想外のレシートが排出される。
見ると、左側の窓側から右側の窓側に換わっていて、少し前方になっていた。 行ってみると、プレミアムエコノミーにクラスアップ。
マイレッジサービスで、無料で乗っているというのに、ありがたいことである。
(もっとも、以前にインド行きで無料チケットがビジネスクラスになったこともあるが。)
おかげで、見逃していた「君の名は。」も、少し大きめの画面で楽しみながら羽田空港に帰還する事が出来る。

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