ミャンマー2016

出発日(8月10日)
1日目(8月11日)
1.羽田からバンコク
予定していた海外出張を順延したため、日本脱出50回目となるメモリアル渡航は気ままな個人旅とする事が出来た。
しかも、パスポートを更新しての第一回目。 まっさらなパスポートが初々しい??
目的地は、インドシナ半島の踏み残し、軍政国家ミャンマーである。
ミャンマーはヴィザがめんどうだという先入観が有ったのだが、観光目的ならインターネットでサクッと取得する事が出来る。
実際にやってみたところ、USAのエスタよりも簡単だった。

出発前夜、自宅で夕飯を食ってからネットで確認すると、都営浅草線の人身事故が京急線にまで影響しているというので予定より早く家を出る。
まったく、、、電車への飛び込みはやめてくれぃ。
結果としては、乗った電車の空港到着は定刻より3分遅れ程度で、予め予定していた時刻よりも早く羽田空港に着くことになる。

ミャンマー第二の都市マンダレーまでスルーで出来るか確認がてらに有人カウンターでチェックイン。
あっさりとマンダレーまで発券されるが、早速ミャンマーヴィザも確認された。(ヴィザ番号を控えてから発券するというルールらしい。)
チケットを手に入れたらこっちのものなので、とっとと出国し、搭乗口扱いをウロウロしたが、最近の円高で米ドルレートが悪くないことから、
ドル換金31,299円→300USD。
ミャンマーチャットへは円からの換金は難しく、USD新札の高額紙幣からがもっとも有利らしいので、アメリカに飛ぶ場合なら敬遠する100ドル札や
50ドル札を仕込む。
そうこうしている内に日付が変わり、ボーディングが始まる。
我がJL33便は、0040定刻出発。 乗り込んだらすぐに機内サービスを無視して眠る。 飛行時間は6時間も無いくらいなのだ。
が、タイ到着が早まったこともあり、タイ時刻で2時20分に起こされ朝食。
なんでJALは律義に、朝飯サービスなんぞするかなぁ。。。 各乗客にパンとミルクでも配っとけっつうの。
結局、定刻より40分早い4時20分に到着し、イミグレも10分待ち程度。

始発のエアポート・レール・リンクに乗ってパヤタイに移動。
早朝から朝飯を食わされたので腹は減っていない。
モーニングコーヒーも飲んだのでカフェに入りたい訳でもなく、街のカフェはまだ開いているところも少ない。
と、いう訳で、取りあえず未踏だった戦勝記念塔に挨拶をすませる。この付近の平日朝の忙しげな雰囲気は嫌いではない。

どんどんと暑くなる中、チャオプラヤ川まで足を延ばす気にならず、付近をテキトーにグルリと歩いてパヤタイ駅に戻る。
朝のラッシュを避けた感じで空港に帰還。
未出国エリアの3階で海老ヌードルとライムジュースを食す。美味しかったが、これで税込418THBは日本の街中物価。

2.バンコクからマンダレーへ
10時過ぎにタイを出国し、搭乗口付近をウロウロ。
やがて搭乗ゲートが開いたので、羽田で発券したボーディングパスを差し出すとはじかれる。
んっ?と係員を見ると「パスポートを見せて」と言うので差し出す。
パラパラとめくった彼女は「ヴィザ」と一言。

あぁ、と、羽田でもJALカウンターで披露したネット出力のVISAを提示。彼女もJAL職員と同様に、端末にヴィザ番号を入力している。
テッテーしているなぁ(@_@;)
ミャンマーのアライバルヴィザは完全に撤廃したのだっけ?

搭乗する列で、声を掛けられるまで気がつかなかったのだが、隣に日本人女性。
マンダレーに駐在する御父さんに呼ばれて行くとのことで、海外単独トランジットは初体験らしい。
「まさか、こんな路線に日本人の方がいるとは思いませんでしたぁ。」「それで思わず声を掛けてしまいました。」と言われたが、日本人は何処にでもいますよ。
最近は中国人や韓国人の方が多いけど。。。

3.マンダレー市内に移動し、マンダレーシティーホテルに投宿
出発時の遅れをそのまま引きづり、定刻からマンダレーには15分遅れの13時35分に到着。
なんだか念入りなイミグレを通過して、とりあえず200USDを236,800チャットに換金。事前情報通り、USDの高額紙幣の方がレートが良かった。
出国まで使い切らないであろうミャンマーチャットを手に入れてから、シェアタクシーのチケット売り場。
「シェアバス」と表示されていたので、「シェアタクシーだよね?」と聞いたら、「YES。シェアバスです。」と返される。
事前情報と同じ4,000チャットなので、まぁいいかとチケットを購入すると、外のバスに案内される。
タクシーだと3人くらい集まったら出発と聞いていたのだが、客が18人くらい乗れるこのバスには、まだ5人くらいしか先客がいない。

嫌な予感通りそれからロングロングタイム待たされ、空席が3席くらいになってからやっと出発。
携帯電話はミャンマーの電波を拾ったが、時計はタイ時間のまま。時間補正は機能していないのか??
さほど良くも悪くもない道を疾走して、バスは50分弱でマンダレー中心部に突入し、少し混雑に巻き込まれる。
渋滞と言うほどひどい状況でも無い。
碁盤構造になっていて、現在地が把握できる中心部に入ったあたりで、ポツリポツリと客が降りはじめる。
チケット購入時にホテル(目的地)を申請しており、ドライバーと助手が相談してコースを決めて、合理的に回る様にしている様子である。

少し意外なことに、各々の客も現在地を大よそ把握していて、バスが停車すると助手に促されるでもなく荷物を担いで乗降口に向かう。
我がタイ発便だけではなく、飛行機数便分の客をまとめたようなので、バガンやインレーに行っていてマンダレーにカムバックしてきた人もいるのだろうが、
皆が良く理解していたのは、ちょっとした驚き。

かく言う私も初マンダレーでも位置把握は出来ており、私が告げておいたマンダレーシティーホテルを最後の方に廻されて、
大回りをされていることに若干の落胆を覚えていた。

最後から三番目に、私の前席で病的に街中写真を撮りまくっていた独り旅オバサンを高級ホテルで降ろし、王宮をグルッと一周して私のホテル。
入り口は「工事現場か?」と突っ込みたくなるような感じだが、内部はナカナカの高級感。 @35USDですけどね。
エントランス脇の池には象が泳ぎ、カラフルなトカゲが、お出迎えしてくれる。時計を見ると、マンダレー着陸から二時間強が経過していた。

4.マンダレーヒルへ
ロスタイムが大きかった事はさほど嘆くにはあたらず、少し日が傾いて暑さがマシになる頃に、街中に繰り出すタイミングを得る。
16時20分にホテルを出て、王宮の堀を半周し、きっかり一時間でマンダレーヒルの登り口。 ゴミ箱が可愛い。

5.マンダレーヒル
まずは麓のチンテーヂーナッカウンとか言う、何とも発音しにくい二頭のライオンさんに挨拶をし、建物に入ったあたりで靴を預ける。
ライオンは中国ではシーズーと呼ばれ、それが恐らくは沖縄のシーサーに変化したりしているのだが、ビルマではチンテーか?
靴を預けたら早速階段の昇りにかかることになる。
階段は掃除はされており、見た目は綺麗に見えたのだが、屋根もあって快適な環境の為、アチコチで犬や猫がくつろいでおり、
必然的に彼らの落し物も点在している。
と言うことは、いたるところにそれらの粉末が行き渡っていて、そこをハダシで歩く訳だから、衛生的とは言えない環境である。

私自身、この翌日には市内を20km近く足で闊歩し、マメをつぶす事になるので、犬猫に病気が蔓延したらヒトにも感染しそうで気持ちが悪い。
それでなくても熱帯地方は疾病が伝染しやすいのだからして、宗教上の理由とは言え、多くの人がココをハダシで行き来するのは危険な気もする。

マンダレーヒル自体は、適度なポイントが点在する中、階段を昇るだけなので、たいした苦労は無い。
テキトーにポコポコ歩いていると、新たな仏さんが姿を現し、ナンマイダと拝みながら次を目指すという仕組みである。
他の旅行記にも書いている様に、
私自身には神や仏を信じる信仰心とやらはかけらもないが、
それを信仰する人の思いを尊重する気持ちはあるし、
その思いが形になって表現されている
寺や仏像を観ること自体は、けして嫌いではない。

このビャーデイベ・パヤーなど、神々しいし御茶目だし、
一見の価値は十二分にあるというものである。
写真を撮りながらゆったりと20分も歩くと、「頂上はコッチ」なる看板が出現する。
矢印が示す方向を見やると、結構な急勾配。この階段を登りきったら頂上と言う訳でも無かったが、5分も歩けばてっぺんに着く。
一生懸命歩けば15分ほどの行程だが、「歩き方」では一時間弱となっている。
頂上へのカメラ持ち込み料が1,000kという情報もあったが、どこで徴収しているのか、ローシーズンだから免除されているのか、私にはわからずじまい。

夕焼けを待つ気になるほどでもなかったが、エーヤワディー川方面の眺望もナカナカである。
いつもそうなのか、今日が恵まれているのか、昇り口と比較して格段に涼しく、吹く風も快適で、一時間くらい過ごしても良い場所かもしれない。

二日後に殴りこむバガンは、ここ以上にビルマビルマした景観が望めるハズではある。
ミャンマーのセンスなのか、意図するものが有るのか、信仰もしくは畏怖の対象である偶像はどれも、なんだかコミカルで可愛らしさが有る。
どことなく、ネパールのセンスに似ているのかもしれない。

鬼なんて、日本人的感覚からすると、笑いを狙っているとしか思えないのだが、たぶんミャンマー人的には大まじめなのだ。
裸足で階段を駆け降りる気にはならなかったが、とりあえず10分強で登り口。
靴を預かってもらった場所には、お布施(と言うか定額手数料)200Kを掲示通りに支払う。
犬もいっぱいくつろいでいたが、猫もスキを見せまくっている。
いきなりフラッシュを浴びせてやったら、「ん~、、、なにぃ~??」と目をこすりながら こちらを見る。
隣の子猫は「もっと警戒心を持ちなよ~」と諫めている様だ。

階段に腰を掛けて靴を履いていると、「タクシー?」と売り込み。
乗るのは構わなかったが、一眼レフカメラを担いでいるので、「バイクタクシーならノーサンキュー。 カータクシーが良い。」と答えたら、
「私はカータクシーだ。」と答えてくる。
「マンダレーシティーホテルは判るかい? そこまでなら、いくら?」
「知っている。 5,000K」
向こうは、こちらが歩き疲れていると踏んで足元を見ているのだろうが、そのワリには良心的な提示である。
一応は「4,000Kにしてよ。」と投げ返してみたが、「5,000Kほしい。」というので、「わかったわかった」と商談成立。 往路は徒歩一時間だったが、復路は10分。
2日目(8月12日) 1.Zay Cho Market
ミャンマーは停電が多いと聞いていたが昨夜は無事だった。 が、今朝は5時半頃に停電が二回。 一度目は数分で二度目は数秒。。。
6時過ぎに朝散歩に出ようと階下に降りたら、5時からやっているらしい朝食会場に ひと気が有ったので、そのまま朝飯。
種類は多くはないが悪くはない。
一旦部屋に戻り、7時少し前に改めてマンダレー探訪出発。 白昼は暑くて観光が出来ないから、朝の時間帯は貴重なのだ。

まずはホテルから西に徒歩3分のZay Cho Marketに向かう。 すぐに時計台が見えて来て初めての土地でも不安にならない。
さっそく交差点のバイク兄ちゃんが、「TAXI?」と仕掛けてくるが、「朝散歩」と返すとしつこくは無い。
「日本人?」
「そう、日本から来た。」
「俺は日本人は好きだ。 中国人は嫌いだが。」
「なんで?」
「まぁ、、、ね。」
彼は多くを語らず、『わかるだろ?』という感じで首をすくめた。
ゼーチョーマーケットは、ビルの中で9時頃から開き始める各種の
店の集合なのだが、観光客的には外の露店の方が面白い。

しかし露店も、さほど早起きと言う訳ではなさそうで、7時時点で、
ぽつぽつと準備を完了した店が商売を開始している程度だった。
マーケットのビルの閉じたシャッターの前では、お姉さんが鳩に餌付けをしている。
ミャンマーは、鳩がカラスなみに我が物顔で振舞っていた。

2.王宮半周
ゼーチョーマーケットを一回りしたら、王宮の敷地の対角に有る寺院群を目指す。
昨日は南通りから東通りに回り込んでマンダレーヒルの麓まで歩いたので、今日は西通りから北通りを経て行くことにする。
こんなヤツに声を掛けられたら乗ってしまいそうなバイクタクシーや、裸足で頑張っている少年僧を目撃しながら西通りを北に。

北通りに回り込むと、少し町の雰囲気が変わってくる。
王宮の西側や南側は区画整理され、整然としているが、北側は雑木林などもあって、良い感じにアバウト。
甕屋さんらしき店が商品を綺麗に並べている。

甕と言えばミャンマーは、通りのアチコチや、寺の中にも、水を入れているらしい甕が置かれていて、熱中症対策が昔から根付いているような印象を受ける。
昨今の日本だったら、「異物混入懸念」が叫ばれ、こんな素晴らしい風習が有ったとしても廃れるだろうな。
日本より数倍も治安が良いミャンマーならではである。

3.Sanda Muni PayaとKuthodaw Pagoda
王宮の北東角付近、マンダレーヒルの麓近くにSanda Muni Payaが有る。
ガイドブックによると1774基の小仏塔が林立しているらしく、なかなかの壮観である。
まだ支払ってはいないが、マンダレーは入域料が徴収されるらしく、それゆえに昨夜のマンダレーヒルもココの様な寺院も、すべて入場料と言うのが無い。
それでも、どこもが(犬猫の糞は残されているが)概ね綺麗に保たれているのは、この国にいまも仏教が深く根付いているからであろう。
入口で靴を脱ぎ、コンビニ袋に入れて中へと進む。この時間なら足に火傷をするほど地面は熱くなっていないので良い。

航空写真で見てみても、几帳面なほどに整然と小仏塔が並んでいるのが判る。
長方形の方が、このSanda Muni Payaであり、正方形の巨大な方が次に回るKuthodaw Pagodaらしい。
Sanda Muni Payaから北東側に回り込むと、すぐにKuthodaw Pagodaの西口が有る。
門構えが立派だったので、こちらがメインかと思ったが、どちらかと言うと南口の方が正門らしく人が多い。
ここでも、安心できる靴預かりが無かったのでコンビニ袋。
ミャンマー観光の際には必携である。
ミャンマー服のミャンマーっ子が自撮りに熱中している。
オレンジ色の子の方は、私が人の写りこまない写真を撮ろうと、
ずっと待っていることに気が付いており、
「もう、いい加減にしなよ。」と諫めていたが、赤い子は聞く耳を持たない。
イイのですよ。 どうせ後ろのオヤジも固まっていたし、
純情ミャンマーっ子が写り込むのは大歓迎です。
ここの境内にも、なんだか立派すぎる土産物売りが店をひろげている。
日本の神社だって、境内に絵馬売り場や御守り・御神籤売り場はフツーにあるが、ミャンマーのはどうも、寺と無関係に商売をしているように思えるのだ。
売っている物も、外部でも売っている物と共通していたりもするし。。。

4.Shwenandaw Kyaungとアトウマシー僧院
そこから南に3分も歩くと、Shwenandaw Kyaungに行きつく。
実は最初に、近くのアトウマシー僧院に行ったのだが、キップ売り場で英語を解さないオバサンが私の入場を拒み、
このシュエナンドー僧院を指差して一言、「イーヤン」と叫んだのだ。
ほへ?、イーヤン??
中国語で「一緒」という意味だ。 どうやらこのオバサンは私を中国人と認識し、
「ここでは入場券を売っていないが、正面のシュエナンドー僧院で、ここと共通の入場券を販売している。」
と伝えようとしたわけである。

そんな訳でシュエナンドー僧院で入場券を買おうとしたら、こちらのオバサンは英語が話せて、「テンサウザン」という。
へ? 10,000K??  ボッタくり???
と、一瞬思ったが、10,000Kと言われたらピンとくる。どうやらここで、マンダレー入域料を支払うことになるのだ。

シュエナンドー僧院は、他のパヤーとは異なり、木工技術の粋を集めたような歴史的建造物っぽい様相だったが、実はWW2で破壊された後、
1990年代半ばに再建されたらしい。
シュエナンドー僧院でゲットした入域券を、ふたたびのアトウマシー僧院のオバサンに提示し、裏面にハンコを貰うと、今度は阻止されずに入場できる。
でもね、私は中国人ではなく日本人なのですよ。

アトウマシー僧院は、建物はやたらと立派だったが、入口になっている二階の奥の方にポツネンと仏像が鎮座しているだけで、
あとはひたすらにだだっ広いだけで何にもなく、階下に降りられそうな階段が有ったので一階を覗いてみると、そこにも何もなく、
なんとなく巨大な駐車場みたいな構造になっているだけだった。
「歩き方」も、「見るべきものはほとんどない」と、バッサリとぶった切っている。

外に出ると、9時半だと言うのに、すでに暑くなってきていたが、とりあえず徒歩で南側市街の方に向かってみる。

5.マンダレー
王宮南通りから南に向かうとマンダレー駅。
マンダレーは北側にもターイゼー駅と言うのが有るが、ヤンゴンに行くなら、このマンダレー駅からだ。
時刻表を発見したが、、、すっ、少ない。
しかも遅くて不正確らしい。
プラットホームには「岐阜(行き)」と表示された電車が停車していたので、最終日は、これに乗って帰国しようかとも考えてしまう。
岐阜まで何時間かかるのかな??

かなり暑くなってきたので、11時過ぎに一旦ホテルに戻ったのだが、未清掃。これだと休憩していても、すぐに掃除に来るかもしれないので再び外出。
朝よりも活気づいたZay Cho Marketを一巡りして、一時間ほどで部屋に戻ったら、今度は掃除が終わっていた。
シャワーで軽く汗を流し、冷房をガンガンに効かせてベッドに転がる。空調の無い家に住んでいる人は、夜まで逃げ場が無いのだろうなぁ。。。

身体が冷えて人心地ついたら、実は腹が減っていたことに気が付く。
暑さで空腹感覚がマヒしてはいたが、朝からタップリ10km以上は歩いたので、腹は減って当然である。
ホテルで貰った周辺地図を見ると、「歩き方」にも載っている「シャン料理」のラーショー・レイが北に10分ほど。

入口に並んでいる料理を指差しで選ぶと小皿に取り分けてくれる。
「自分で運ぶの?」と聞くと、店員が運ぶから、どうぞ席について下さいとジェスチャー。
席に着くと、ボウルに大盛りの飯と、タレ付きブツ切り生野菜とスープが運ばれ、選んだ料理の皿が並べられる。
オレンジジュースを付けて5,300K(480円くらい)。一皿ずつ説明付きの明朗会計。
少しピリ辛だが美味い。
昨夜のタクシー5kmとほぼ同じ金銭価値。

日本人的には、どっちも安い。
シャン料理とは、タイ族の民族料理らしい。
夕飯は要らないくらいに食べ過ぎたので腹ごなしに、
徒歩で大混雑のゼーチョーマーケットを抜け、金ぴかのエインドヤー・パヤーを襲撃。
恐れてはいたのだが、まだ地面が熱くて歩きづらい。

御本尊? の仏像は200年近く前にインドから運ばれてきたものらしいが、
当初は白に少し赤を混ぜたような神秘的な色だったとか。。。
白に少し赤って、、、それピンク色じゃん(@_@;)
今では金箔が貼られて金色。メインパヤーといい、ビルマ民族は本当に金が好きだなぁ。
エインドヤー・パヤーは敷地も広く見ごたえもあったが、地面が熱過ぎるので30分強で退散。
芝生を歩いていたら干からびたミミズを踏みつけた(*_*) ホテルから近いので、マンダレー後半戦で再び来る事にしよう。

帰りに、ホテルの近くにある、見た限りでは唯一のコンビニを視察。
一応、タイで見る程度の雰囲気の店構えだった。 クリームソーダのドリンクとトロピカルなアイスキャンデーをゲット。

レジの高校生くらいの年齢の女の子が、「袋は要りますか?」と、私に聞こうとしたのだが、「袋」の英語が出てこないらしく、手を振り一所懸命に
ジェスチャーをしているのが可愛かった。こちらも2点くらいの買い物で袋を貰おうと思ってはいなかったので、しばらく考えてしまった。
ようやく「bag」という単語が出てきたので意味が通じ、「いいよ、いらないよ」と会話成立。

しかし、ミャンマーのドリンクは当たりが多い。
今日の行動中の、ライチジュース、ココナッツタピオカ入りメロンジュースが旨かったし、今回のクリームソーダも、甘冷たいのが暑い気候に合致した
だけかもしれないが、リピしたくなる美味しさだった。 が、、、多くのドリンクはブランドがAsahi。。。 さすが日本だね(^.^)
再びホテルの部屋で2時間ほど涼み、18時に夕方散歩。王宮の周りで大勢がジョギングや散歩をしている。
何だか王宮の堀の集会歩道には、あちこちに、通販で売っている健康器具を鉄で作ったような器具が点在しており、実際に使っている人も少なくは無い。
ミャンマーも健康ブームらしい。

Hotelに戻って明日、空港まで行くTAXIを依頼。
12000Kというから、そこらで自分で捕まえるのより安いかもしれない。
3日目(8月13日) 1.マンダレー空港
今日はバガンに移動。
6時前にレストランに行ったら先客はいなかったが、すぐに一人やってくる。 マンダレーの朝は早い。
6時20分にチェックアウトをしたらフロント女性が、「もうタクシーが待っている」という様なことをいうので外に出た。
が、来ていない。 ネットでウワサの「ダメなスタッフが混ざっている」の一例か??
まぁたいしたことではない。エントランス脇のベンチに座っていたら3分くらいでタクシーが来た。
タクシー運ちゃに部屋番号を確認された際に見た、ホテルからタクシーへの連絡票には8,000Kと記載。
私が払ったのは12,000Kだったが、電話一本で33%もホテル側が取るのかい(^.^)?

空港はホテルから約45分。
チェックインはまだ。 また余裕を取りすぎた。。。 コンビニ兼土産物屋っぽいのが2店。
7時50分にチェックイン開始の表示が出たので、セキュリティー入ろうとしたら係員に、「準備が出来ていないのであと5分待って」と言われる。
X線検査の後でチェックイン。(イスタンブールもそうだったが、時々このパターンが有る。)
「窓側の席」と言ったら「席は決まっていない」リアクション。 久々に自由席の飛行機かい?
国内線なのにパスポートコントロールが有り、そこから待合室へ。 普通にペット水を持込可。

改めてボーディングパスを見てみるが、自由席なのでSEAT番号はもちろんなく、乗客の氏名も記載されていない。
手書きで便名と乗客識別番号が記載される。なぜか私はNo.1.

搭乗前の最後のチェックで、乗客一覧と照合するルールになっており、復路では国籍を尋ねられた。
国内線の待合室にも外より充実した土産売場がある。20USDくらいが多いが国際線はどうかな?
定刻を過ぎてもボーディングが始まらないのは別に構わないのだが、表示は11番ゲートから12番ゲートに変わっているし、GATE-CLOSEと出ているし、
どうなっているんだ?。結局、エアカンポーザは30分遅れの9時40分に出発。 無事に窓際に座れるも、窓が汚い。

2.ニャウンウー
我がK7-230便はインレー湖最寄りのへーホー空港を経由したが、バガンに行く我々は席に座ったまま待機。
結局20分遅れの11時かっきりにNyaung U Airportに到着。
さっそくバガン入域料金25000Kを上納して、乗客一番乗りでTAXIに乗る。
ズフリィティーというホテル名を告げると一発で通じたが、「明日はどうするの?」「今日はこれからどこに行くの?」などと営業がウザい。
ホテルまで10分だが、協定料金とやらで5,000K。 観光地はちょっと強気。

午前中の到着にもかかわらず、ズフリティーホテルはすぐに部屋に通してくれる。
奮発してデラックスルームにしておいたからか、対応も良い。
ホテル全体の雰囲気もナカナカで、オープンエアなロビーではカバさんが大アクビ。 それとも吠えているのか??
朝飯会場は、スタンダードルーム棟のルーフトップらしい。ルーフトップの朝食会場は、ギリシャやトルコでもそうだったが、ちょっと嬉しい。

部屋で涼んでから、2km先のレストランの昼飯を食らうべく外出。
少し大回りをしてバガンはニャウンウーの道を探訪すると、ホテル近くに木工細工の店。
土産物屋にしては大物がメインだったが、ズフリティーのカバさんも、ここで造られたのか?

道を歩いていると、馬車やバイクタクシーが頻繁に声を掛けてくるが、オールドバガンは明日のツアーで回るから被るのも嫌だし。
ニャウンウー村内だと、彼らだって嬉しくないだろう。
それに私は、初めての土地に来た時は足で歩き、土地の距離感を肌で感じる事を是としているのだ。

3.クイーンレストラン
と、いうわけで、炎天下の元、徒歩でミャンマーカレーセットが評判のクイーンレストラン。
プラウンカレーにライチジュース2本を付けて9,500K。
これだけのクオリティーで850円と言うのは、日本人的には超お得感が有るが、現地の食費としては相当の金額なのだろう。

帰りはバイクタクシーを使っても良いと思っていたのだが、こういう時に限って声を掛けてこない。
再びホテルまでタラタラ歩いて30分。 バガンは寄り道したくなる遺跡が点在しているので、ウォーキングは時速6kmを維持できない。

4.シュエズィーゴォン・パヤー
昼食のクイーンレストランとの中間点くらいに、シュエズィーゴォン・パヤーの入口が有った。メインロードから屋根付きの参道も設置されている。
参道内は、パヤーに近づくと店が並んでいた。

シュエズィーゴォン・パヤーのメインの塔は、神々しい金色のドームを期待していたのに、メンテナンス中で灰色(^_^)
写真を撮りながら歩いていると、オバサンが「ラッキーブッダ」と言って手招きする。
どうやら、手近な仏像に貼りつける金箔を売りつけようとしているらしい。 手に2センチメートル四方くらいの金箔を持っていた。 本物かな??

5.ウェザー・スプーンズのミャンマーカレーと、ティリピサヤ4通り
暗くなってきたので、別のミャンマーカレーを味わうべく、先客で混雑しているウェザー・スプーンズに突撃。
チキンカレーにココナッツジュースを付けて6,600K。
チキンは、これでもか!っと言うくらいに入っているし、先に出てきたサラダもピリ辛で美味しく丁寧に作っていた。
ココナッツジュースは、判っていたが良いものではない。

ライスは大盛りで食べ切れないくらいに見えるが、長粒米はパサパサで隙間が多いためか、意外と食える。
カレーにも良く馴染むし、土地には土地の食ありである。 ホテルも近いし、日本よりも治安が良いと評判のミャンマーなので、晩飯後の散策。
他にヨサゲなレストランも多く、伝統土産の傘屋も遅くまで頑張っている。
4日目(8月14日) 1.バガンツアー
バガンは雨の心配もほとんどないので、早朝からシュエジィーゴン・パヤー方向に朝散歩。ローカルパヤーの掃除などをしている人もいる。
7時前にホテルに戻って朝食。
ルーフトップの朝食会場は気分が良いが、この構造だと雨が降った際に、食事は屋根の下で摂れるとしても、宿泊棟からは雨の中を歩くことに
なるのではないか?

バガンでテキトーに馬車やタクシーをアレンジして、行きたい場所を巡るのは、片言の英語で十分に可能だが、たまには楽をするのもいい。
ということで今日一日は、ニューバガンに店舗を構えるサラトラベル殿にお任せしている。
9時スタートと言うことで15分前からロビーで待機。
ガイドさんは9時きっかりに現れた。日本語ガイドも手配可能だったが、今回は申し込み遅れで英語ガイド。

展望の良い時間帯にタウン・カラッに昇りたかったので、午前と午後のどっちの天気が良いか尋ねたら、「さぁ?」という感じだったので、
午前中にタウン・カラッに行くことに。
こういったツアーでは有りがちなのだが、出発して30分も経つか経たないかのうちに休憩。
出発前にバタバタして、トイレに行き損ねた人に対する配慮なのかな?? ベトナムの現地ツアーなども、必ずそんな休憩があった。
ここにたくさん生えている木は、幹も葉も実も余すところなく使えて「ベリーユースフル」とミャンマー人のガイドさんが強調する。
椰子の木の内陸版みたいなものか??

ミャンマーでは、茶を飲む以外に食べる習慣が有る。
ラペッ・ソーといい、蒸した茶葉と揚げたニンニク、マメ、ゴマなどを自分の皿の上で混ぜ合わせて食する。 口当たりも良く、悪くない間食。
15分くらいの滞在のあと、再出発をしたが、道沿いで多くの人が通過する車に向かって、「お金を下さい」といった感じで手を差し出している。
ガイドさんが特に説明しないので、バガン人として、あえて言いたいほどの状況ではないのだろうと質問もしなかったが、
後にマンダレーで聞いたところによると、やはり「御恵み」だった。
バガンは特に貧しい土地ではないのだが、この一画は土地も痩せていて農産物が育ちにくく、畜産にも適さないので、現金収入をドネーションに
求めているらしい。
しかし、歩行者相手ならともかく、走行する自動車がわざわざ停車して、お金を恵んでくれる確率は、どんなものなのだろう??

休憩場所から30分くらいでタウン・カラッが見え始める。 ミャンマー版の奇跡の修道院だね、こりゃ。
タウン・カラッは、ポッパ山と表現されるが、
本来のポッパ山は背後に聳える死火山の事で、その山麓の一画にある岩稜=小ポッパ山や、山頂の寺院の事をタウン・カラッと呼ぶ。
それが良く望める写真ポイントで小休止。
ミャンマーはじめ東南アジアは日本で言う小乗仏教が広く信仰されているのだが、ここでは土着宗教のナッ神信仰も共存している。
ビルマ語は促音(小さいツ)で終わる固有名詞が多いなぁ。

2.タウン・カラッ
タウン・カラッ昇り口の象さんに挨拶をして参拝。 と、思ったら、イキナリ神々の部屋へ。。。
中央に鎮座ましますは、、、アレッ? ガネーシャ??
ヒンドゥー教の高位神じゃん。

ビルマも象好きなので、象さんつながりなのかもしれないが、やはりインドシナ半島の国々は、半島名通り、インドとシナ(中国)文化の影響を強く受けている。
まぁ、古代人類にとっての象は、その巨大さゆえに、信仰にも似た畏怖の気持ちを持っただろうから、理解が出来ない訳ではない。
そこから少し上ったところで、裸足になって参拝開始。
有名な話だが、ここタウン・カラッは猿が多い。 マンダレーヒルの犬と闘わせたら、どちらの信仰心が強いだろう??
それなりに掃除がされている参道の階段も、猿の糞が転がっている。
一昨日、マンダレーの街を歩き過ぎてマメをつぶした足から、妙な雑菌が侵入しないかと、少し不安になる。
ガッチリとバンドエイドでカバーはしておいたが。。。

登りだしたとたんにガイドさんがバテる。 いや、、、まだ二階に行くほどにも登っていないって(^.^)
まぁ私としては、彼女を置き去りにするのも気が進まないが、少し先行して登って、写真を撮りながら待つというスタイルで問題は無いので良いのだが。
途中、ここだけは、メガネや帽子は(猿に盗られるので)はずして下さいという30mほど?の区間が有った。
要注意地点は、なぜかその一角だけで、そこを過ぎるとメガネも帽子も心配ないとのこと。
どうして、このようなポイントが発生するのか不明。
性悪猿が居るとしても、移動もするだろうし、特別に天井から襲いやすいという構造でも無かったのだが。

ガイドさんを待ちつつ、テキトーに写真を撮りながら登ったが、あっけないほどすぐに山頂に着く。
結局は山頂まで30分くらいを要したが、真面目に登ったら10分くらいだろう。マンダレーヒルよりも楽チンではないかと思う。

山頂には寺院。
曇ってはいたが、比較的遠くまで遠望でき、登り甲斐は十分にあったと言う感じである。
山頂付近だけ上下道が別だが、すぐに同じ階段に戻って下山。たぶんミャンマー人が多いのだろうが、次から次から、多くの人が登ってくる。
特にサルに襲われているような悲鳴や混乱は無かったので、ここの猿は警戒されながらも、案外は大人しいのかもしれない。

登り口の正面では露店のフルーツショップ。
この付近は靴を履いても良いのだが、裸足のままの人も多くいた。 自動車も走る道を裸足で歩くのは、不衛生と言うより、危険なのではないのかな??
そこから車で少し標高を上げて昼食。
ここのチキンカレーはいま一つだった。
昨夜もチキンカレーだったので、、、飽きたと言うよりは、比べてしまう。

食事の前にチョロンとマウンテンリゾートに眺めを見るために行ったが、
左の写真はその時のモノ。
やはり眺めは、少しでも標高を稼いだ方が良い。
食後は、ポッパの市場で買い出し。と、いうか、ガイドさんが私に、ドラゴンフルーツをプレゼントしてくれた。
羽田で買ったジャパンチックな財布を、痛くお気に召してくれたらしい。
ドライバーさんにも「TOKYO」と大書きされたキーホルダーを贈ったが、特に、このガイドさんは英語ガイドなので日本人に接する事はマレで、
日本土産などには馴染みが無いのだろう。
ツアーの別れ際にも、「この財布に、お金をいっぱいためるね。」と、土産を気に入っている事を協調してくれたのが印象的。

3.オールドバガン
タウン・カラッの次はオールドバガンの遺跡を巡るべく、ポッパの市場からノンストップでニャウンウーに戻り、一時間強でホテルの近くを通過。
ガイドさんに「行きたいところは有りますか?」と訊ねられたが、「予備知識が無いのでお任せします」。
といった経緯で、まずはティーローミィンロー寺院。
1215年建立というから、日本で言うなら鎌倉幕府の頃か。鎌倉の、現在の長谷の金銅仏は、まだ建造を開始されていない頃かな。

内部は結構広く、ここだけでも丁寧に見ていたら小一時間は要しそうである。一部には壁画も残されていたが、少し退色しているか。
一階部分だけでも4体の仏像が納められていたが、あるものはビルマ型であり、あるものはインド型とガイドさんが説明してくれる。
鼻の形や髪の表現方法が明らかに異なり、人種の違う仏である事が良く判る。
その区別で言うと、長谷大仏などの髪の粒粒表現はインド型。
でも、顔立ちや表情などは東アジア型。
ティーローミィンロー寺院を出てすぐのところに、小さなパヤーが沢山並んでいるところが有り、ガイドさんが「見て行きますか?」と聞いてきたので
立ち寄ってもらうことに。
中には傾いた塔もあったが、一つ一つに建てた人の思いが籠められているのだろうな。
私には神仏に対する信心が一切ないが、信者の思いというのは凄いものだと素直に敬服する。

しかし、、、信心って何だろう??
人知を越えた存在に対する畏怖の観念?? それとも他力本願な幸福欲求なのか??
私としては神仏に、「幸せにして下さい。」と祈るよりは、黙って努力する方が自立した生き方だと思うが、現世ではどうにもならないという諦めの心が
信仰を生むのだろうか?
苛酷な土地ほど宗教が発展すると言うのが、私の宗教観でもある。

お次はアーナンダ寺院。
昨日のシュエズィーゴォンに引き続き、こちらも塔部が工事中(*_*)
「観光シーズンは工事を避けようよ」と思ったが、ミャンマー的には今が観光のローシーズンなのだった(^.^)

ここの色は好きだなぁ。塗装らしいが、素材の色の様になじんでいる。
1975年の地震で被害を受けたらしく、当時の写真なども展示されていたが、バガンは、このレポの10日後の8月24日に再びの地震に見舞われている。
私が去って10日後に何かが起こる。
2003年のムンバイのインド門の爆弾テロ、2016年のイスタンブールの爆弾テロ、ついには自然災害も私の影響を受ける様になってしもうた。
バガンの皆さま、ゴメンナサイ。

休憩を入れず、タラバー門からオールドバガンの域内に入る。
日本人の8割くらいが、心の中で突っ込みを入れそうな名前の門だが、何か名前に云われは有るのかな??
日本には城郭都市がほとんどないので、城市域内に入る門というのはピンと来ないが、ヨーロッパや中国では今も普通に残存する。
日本だと、城門がそれに相当するのだろうが、城を守る門と、都市を守る門というのは、文化背景がまったく異なるように感じる。

なんとなく私は、フランスはアルルのガヴァルリ門を思い出しながらこの写真を撮ったのだが、あちらはもう少し時代を遡る。
それゆえか、状態はタラバー門の方が良かった。
門をくぐったらまず、ティーローミィンローでガイドさんが、「バガンで一番高い」を強調していたタビィニュ寺院に突入。
ここの仏像は金箔の厚みが有るのか、金の塊感が強かった。

白人観光客もガイドブック等で、「過度な肌の露出は避けましょう」という注意は見ているだろうに、アチコチで短パン・タンクトップ女性を多く見かけた。
イスラムのブルカのような服の強要もどうかとは思うが、他宗教の戒律は尊重してあげようよ。
靴を脱ぐように注意を受けている人を見る事は無かったので、基本的な留意事項は勉強してきている気配は有る。

次にシュエグーヂー寺院。
ここでは、狭い階段を上って2階部分のテラスに出る事ができ、16時を回っていることもあって、裸足でも我慢のできる屋上を歩きまわる事が出来る。
晴れた日の14時頃なら、ここを観光するのは無理だろうなぁ。
ミャンマーは8月は雨季だが、バガンはほとんど雨が降らず、しかし緑は萌えるので、グリーンシーズンと呼ばれる事もある。
その通り、緑緑した中に点在する茶色のパヤーは配色も良く、ナカナカの眺めかもしれない。

その次は、遠くから眺めてちょっと気になっていたマハーボディー・パヤー。
インド文化の影響が色濃いヒンズー風でティーローミィンロー寺院と同時代の建立。
外観はいわゆるドラヴィタ文化風で、南インドはマドゥライのミナクーシ寺院そのまま。
仏像も、ティーローミィンロー寺院で教わった分類によると明らかにインド型。

しかし、ミャンマーの仏像は、顔や雰囲気、色合いが変わっても、坐像の場合は皆、同じポーズをしているのだなぁ。。。(立像は、手の位置や形が色々だった)
そろそろ、バガンの夕日を意識する時間帯に差し掛かってきたが、次は遠くからピラミッド型と呼んでいた巨大なダマヤンヂー寺院。
なんだかガイドさんが中に入りたくない風だったので、外をぐるっと回ったが、存在感のある寺院ではある。
ちなみに寺院とパヤー(パゴダ)の違いは、中に入れるのが寺院で、外を登るのがパゴダなのだそうだ。
あとで「歩き方」を読むと、この寺院には幽霊出没疑惑が有るらしいのだが、それでガイドさんは入りたくなかったのかな??
窓から盗撮した仏像さんは、艶やかな赤い衣をまとっている。
しかしポーズは同じ。
北東の空を見ると、雨も降っていないのに虹。
最後はシュエサンドー・パヤーでお約束の夕日。
日没の一時間以上も前に来たのだが、すでに最上段は人が多く、
南西側の面は最前列は埋まっている。

バガンで高い位置に登る事が許されているパヤーや寺院は限られるので、
どうしても一部のポイントに人が集中してしまい、その筆頭がココなのだ。
私は、ここに来ないなら二番人気のブルディーでツアーフィニッシュに
してもらうつもりだった。
結局、日没の20分くらい前に、西側の雲に太陽が覆われ、我的観天望気によると復活劇の期待は出来なかったので、
降りる際の人の集中のリスクと、もう少し光の変化を楽しむメリットを天秤に掛け、18時20分くらいに下界に降りた。
見上げると、ペーシェントな人たちが、まだ上部に多く踏ん張っている。

そこから約10分で、ホテルでツアーフィニッシュ。
戻る途中でガイドさんが、「ここがブルディだよ。」と教えてくれた仏塔を見ると、ここにもそれなりの人だかりが有った。
高さや周囲の状況から眺めを推測すると、やはり先に登ったシュエサンドーがピカイチだろうと思われる。

ホテルの部屋では顔だけ洗って再びウエザースプーン。
別の人気のミャンマー料理店も気になったのだが、ここで評判のハンバーガーを味わっておく気になったのだ。
20分ほど待たされて、そいつは運ばれてきた。
まぁ、フツ-のビーフバーガーだったが、それなりに美味しく頂けた。
しかし、ミャンマーで見る牛はどこでも、小さくて痩せているのだが、このバーガーの肉はミャンマー牛なのかな??
5日目(8月15日) 1.バガンの朝とズフィリティーホテル
昨日の余韻を引きずりながらアノータヤ通りを南西に1kmほど朝散歩。
ここを3kmほど、オールドバガン方向に歩けばブルディーに行きつくはずだが、今日はそんな気は無い。
この道も、1kmも歩けば、左右にパヤーが出現する。
バガンの街は歴史と共に生きているのだ。 と、そう言えば、空港で購入させられたバガン入域券は、一度もチェックされなかったなぁ。

いったん7時にホテルに戻って朝食。
下左が、ルーフトップの朝食会場だ。 眺めが良いというロケーションではないが、気分は良い。
しかし、写真を撮った場所からテーブルに行くことになるので、雨が降っていたら、ここは濡れて歩くことになる。
プールも眺めておいた。
私の行動パターンだと、あまり使う事は無い。 ギリシャのサントリーニ島ではプールサイドでマッタリしたか。。。

8時頃から再び30分ほど街中に出た、レストランストリートの土産物屋はOPEN前。
シュエジィー近くの漆器屋はOPENしており、冷やかしに幾つかの値段を聞いたが、綺麗なコップで8USD。
これくらいならマンダレーで手に入りそうだ。

2.ニャウンウー空港からマンダレーに帰還
なかなか居心地の良い街だったが、9時半前にチェックアウトをして空港に向かう。
ホテル前のタクシーは、行きは5000kで戻りは7000KがNormalRateだと主張するが、「あなたは良い人だからフレンドを大切にする」と言い負かして
5000Kに下げさせる。
マンダレーが40km/45分で12000Kに対し、バガンが6km/10分で7000Kだと、いくらなんでもバランスが悪すぎる。

空港の敷地に入ると、チャージが発生するのか、縄張りが有るのか、タクシーは空港ゲートの入り口までだった。
それだと帰りは必ず空車になって不合理だろうに。。。

出口と区分された入口から入るとエアカンポーザのカウンターは目の前。気のいいお兄ちゃんがてきぱき働いていて、チェックインはスムース。
ボーディングパスをくれる時は日本語で「じゆうせき♪」と嬉しそう。

すぐ脇の土産物屋は街中より高い。
マンダレー空港並みの価格だったら考えたのだが、ここはパス。
出発40分前にX線を受けて待合室に通されるが、ここは水はダメらしい。チケットチェックの際に国籍を聞かれ、パスにスタンプが押される。
控えの紙には国籍を手書きしている様子。待合室はトイレとテレビが有るだけで店が無く、機内用の水が買えない。

マンダレーに戻るK7 231便は双発のプロペラ機で定刻出発定刻到着。
国内線で到着した乗客はバスで運ばれ、イミグレの無い入り口から、空港ビルに入る。後は前回と同じ。
ドリンクを仕入れてシェアバスのチケットを購入。
ここのドリンクは、街中標準が400Kくらいのモノが1000Kだよ。
前回は乗客が集まるのを長らく待ったシェアバスだが、今回は驚いたことに乗客が集まるのを待たず三名の客で出発。
それだと、ガソリン代の回収がやっとくらいだろうに。

おかげで前回の様に多くの乗客のホテル巡りをすることも無く、スムースに2度目のMandalay City Hotel到着。
昼食を求めて歩き回ったのだが、結局はホテルの近くのMANNで落ち着く。
ここはポーク麺が1500Kと十分に安かったが、客もほとんどいないのに30分以上待たされる。
別の白人客もかなりイライラしている。 この店は二度と無いな。

3.マハムニ・パヤー
今日も16時半まで部屋で涼んでから、金ぴか仏陀で有名なマハムニ・パヤーを目指して出発。
ホテルからは3.5kmほどあるが、時速6kmで高速移動。
正面を見据えてシャキシャキ歩くと、バイクタクシーが声を掛けるタイミングをつかみづらいらしく、心静かに進軍できる。

計算通り、35分でそれっぽい場所に到達する。
何とも南国の寺院っぽい。

ここは今まで歩いたどこよりも豪奢な雰囲気で、御本尊は金色に輝いている。
参道の店も、他の場所よりも輝いているし、何だか活気が有る。ここで友人用を含め、いくつかの土産を購入。
この旅も終盤戦に差し掛かってきた。
金箔を買えば外国人でも本尊に触れられるようだが、私にそんな気は無いし仏教徒であると言えるかどうかすら怪しい。
(一応は、何かの宗派に属しているそうなのだが本人自体がそれを知らない。)

中庭に出てみたが、ここも金色の世界。ミャンマーの富の10%くらいは寺院に集中しているのではないだろうか?
って、日本も富の多くが寺院に集まっている時期もあったのだっけ?
もともと、宗教というのは、(意図してか、せずかは言及しないが)、富と権力が集中する為の機能を有しているように思える。
そして戒律と階層構造。

そう意味では先進国の経済原理も、概ね宗教としての本質を備えている。
エコノミック教。
きっと、世界で最も信者が多い宗教だろう。

小一時間ほどで外に出ると案の定、バイクタクシーが声を掛けてくる。 「カータクシーなら乗るよ」と言ったら、バイク兄ちゃんが、OKと手招き。
通りの反対側の仲間の車に声を掛ける。 マンダレーシティーホテルと伝えたら、最初の兄ちゃんが「6000K」と一言。
「30分で歩ける距離に6000Kは高すぎる」と返したら、「そんな早く歩ける訳ないだろう」と言いながらも5000Kにディスカウントしてくれる。
でも本当に、歩くことに集中したら、30分で行きつく自信はあるよ。
ホテル前の道路で、ここで良いよと車から降ろしてもらい、ホテルの敷地には入らずに逆方向に向かって、三日前に昼飯を食べたラーショレイを目指す。

途中でゴミ収集車を見かけてズッコケル。
ボディーに「中野区清掃局」と書いたままなのは良いとして、後方の電光掲示板も「作業中」とランプが点灯。
一般的ミャンマー人には読めないだろう。
ラーショレイは、夕食時なので満席になっているのが心配だったが、思いのほか空いていた。今日は昼食も遅かったので二品だけ。
会計は3800K(≒340円)と、満足度に釣り合わない安さ。
いつものコンビニでビルマのアイスキャンディーと菓子を買ってホテルに帰り、バガンで貰ったドラゴンフルーツと併せて夜食もばっちり。
6日目(8月16日) 1.セッチャーヂー・パヤー
本日の朝散歩は、ホテル近傍の行き残しのセッチャーヂー・パヤー。
近年、菩提樹の幹から仏陀の化身のような瘤が出てきたと噂の寺院である。

普通の居住区の中に有る様なので、私は行くまでは軽く見ていたのだが、ここも大規模な寺院である。
境内の大きな木の回りは、あまさず修業の場が展開されている。
日本でも神木という概念は有るが、仏教文化圏では菩提樹でなくとも大木を神格化する感覚が有るようだ。
そう言えば北欧神話にも、宇宙トネリコ(=ユグドラシル?)という名前の、世界樹の概念が有るから、これは宗教を問わずのセンスか??

ここの座仏像は高さ5mで、マンダレー市内でも最大級との話も耳にしたが、ガラスの中に鎮座していたのがそれなのかな??
なんにしても早朝なので、人がいないのが気持ちがいい。
もっとも、人が沢山いるとしたら彼らは敬虔な信者であり、こちらは信心のかけらもないタダの観光客だから、邪魔者は紛れもなくこちらなのだが。。。
寺院内の階段にしても一見の価値が有る。

そこから、一旦ホテルに戻って朝食。このお気楽旅生活も今日までかと思ったら、やはり物足りない。

2.旧王宮
なるべく暑くならないうちに行ける所は回っておこうと、今日も7時半に観光開始。
初日と同様に王宮の南通りから回って行くと、栗鼠がチョロチョロと行動中。
昔はそんなイメージではなかったのだが、栗鼠ってハトやカラスと同じくらいに何処にでもいる気がする。
本日も雨季らしからぬ爽やかな空が広がっている。
王宮東側の堀の彼方、2km先のマンダレーヒルもクッキリと見えて気分は最高潮。

掘りの南東の角からちょうど1kmで、旧王宮に外国人が入場可能な唯一の東門。
門に近づくと衛兵が、そこでチケットを購入しろと目くばせする。
チケットというのは3日前にShwenandaw Kyaungで購入したアレである。そこで、チケット売り場で券を差し出し、印を貰って入場。
そこから旧王宮までは西に1km歩かねばならない。
ココは王宮跡地なのだが、勝手に住みついている人も多い様子。

まずは王宮横に有る、螺旋階段の監視塔に登ってみた。 展望はとても良いのだが、マンダレーヒルが本宮の影に隠れてしまう位置関係。
観光用や宗教行事用に建てられたものではないから、そう言った事は気にしないで場所を選んでいるのだろう。
螺旋階段からの眺めは良い。
観光客はやはりミャンマー人が多いが、
ここでは他の場所よりも中国語がたくさん聞こえてきた。

庭のモニュメントなども、像の顔立ちはビルマ族っぽかったが、
明らかに中国文化の影響を受けた造りだ。

3.チャウットーヂー・パヤー
再び、王宮東口まで1km歩き、そこから堀端を1km北上して、マンダレー前半戦で行き洩らしたチャウットヂー・パヤー。
マンダレーの寺院巡りなんて、すぐに腹いっぱいになってしまうかと思っていたが、各々に特徴が有ってオモシロイ。
ここの本尊さんは白い。
建造物の外観も白いし、内装も白と金が基調である。
私の知識のレベルでは、世界大戦以前のビルマは、アユタヤ王朝に致命的な打撃を与えて滅亡に追い込んだ以外には、
世界史上で大きな役割を果たしたという認識は無いのだが、ナカナカどうして、大した文明である。
だから、宗教心は無くても、様々な文明・文化の宗教施設を見て回るのはオモシロイ。

4.ダイヤモンドプラザ
寺院から外に出ると、入る前に一方的に「後でね」と約束した気になっていたバイクタクシーが「待ってたよ」と迫ってくる。
「カメラを担いでいるから、バイクタクシーはノーサンキュー。」と断ったら、やはり、「カータクシーもあるよ。」と手招き。
彼らは競合しているというよりも、共存している感じなのかもしれない。

「ダイヤモンドセンターまでだと幾ら?」と聞いたら、「7000K」とタクシー運ちゃん。
『ふっかけてるなぁ…』と、プイッと踵を返して、じゃあねバイバイと手を振ると、ヤバイっと思ったのか「幾らだ?」と叫んでくる。
「たったの4kmだよ。4000K。」と振り返りもせず、指を4本立てて答えたら、「5000にしてくれ。」と降りてくる。
初日といい、昨日といい、5000Kはカータクシーの一応のミニマムチャージなのかもしれない。
粘れば4000Kまで下がるかもしれないが、過度に振っかけられなければこちらとして拘る金額ではないので商談成立。
もともとそのつもりで、昨夜の内にホテルで両替をして5000K札を財布に仕込んでおいたのだし。

「歩き方」ではダイヤモンドセンターになっているが、タクシー運ちゃんの英語も、建物の表記もダイヤモンドプラザ。
隣に新館っぽいのも増設されていたが、普通に近代的なショッピングセンターというだけで、地元の人にはオシャレスポットかもしれないが、
観光客的には面白い場所ではない。そこからは、再びマンダレー駅を抜けて、徒歩でホテルに帰還。

5.Too Too Restaurant
ホテルには、ちょうど11時に帰りついたが、今日は掃除も終わっていたので、軽くシャワーを浴びてベッドにゴロリ。
夏のミャンマー歩きは、このパターンに限る。15時頃に、相当の音量でスコールが降ってくる。 今回のミャンマーで唯一のスコール体験。
それもすぐに止んで、再び外には熱気が満ちている様子。

今日も早めの夕食を摂ることにして、16時にホテルを出て海老カレーが美味しいと評判のToo Too Restaurantを目指す。
予想外の外観だったので少し見つけあぐね、16時半に店を発見。客がおらず、店員の感じも良いとは言えない。
カレーはまずまず美味しかったが量は少ない。ただし、その他についてくるものも辛いので、食事をするには十分。
春雨みたいなのが入っているスープは、多くは飲めないが美味しい。入っている野菜はニガウリとキャベツのぶつ切りに葉っぱ。
サンキストオレンジ缶とあわせて5800K。
この店は5%の税金がかかるらしい。近くを通り掛かったら食事する価値は有るが、往復4kmも歩いて通うほどではないかもしれない。
本命のカレーはトテモ量が少ない。ブツ切り野菜はキャベツとゴーヤで、付け出しは、美味しいのと、そうでないのが混在。
Too Too Restaurantを探している途中でピンクの法衣の子供の尼僧集団に遭遇。

6.エーヤワディー川岸
時間的に、まだまだ明るいので、腹ごなしにエーヤワディー川まで歩くことにする。
ここからホテルまで2kmくらいで、そこからさらに西に2km。 40分程度の距離である。

途中で、車の荷台で踊るカラフルな象さんを目撃しながらも、計算通りに40分で河岸に到着。
しかし川岸はスラム街が続いており、途切れた場所には変な廃墟かレストラン、もしくは古い船が放置?されていて、700m歩いても夕景を望める場所が無い。
このあたりセンスが鈍い。 これが中国だったら有料になるかもしれないが、こういった景色は大切にする。
しかし川岸近くにはCityParkとやらが建設中であり、観覧車も設置されていたから将来は期待できるかもしれない。
(観覧車が完成しているのか、建設中なのかは確認できなかった。。。)
再び20分歩いて、コンビニに寄ってからホテルに帰還。
昨日食べ損ねたポッパのドラゴンフルーツが冷蔵庫でキンキンに冷えている。

ドラゴンフルーツを退治してから階下のレセプションに行き、明日の空港タクシーを予約。
まずはアマラプラに行き、そこで運ちゃんに一時間の待機をしてもらったのちに、空港に行くという作戦を伝えた。
何だかずいぶんと見積もりに時間がかかったが、15分ほど待たされた後に、20,000Kとの報酬を求められる。
空港までは先日と同じ12,000Kで一時間待機のタイムチャージ分が8,000Kとの説明つき。
一応、『高いなぁ。。。』という顔はしておいたが、まったく想定通りの金額だったので驚いた。
7日目(8月17日)
帰国日(8月18日)
1.エインドヤー・パヤー
本日はミャンマー最終日。
なかなか良い印象の国だったが、二度と来ることがない可能性も低くは無い。未練たらしく最後の朝散歩。
マンダレー前半戦の中日に来たものの、地面が熱くて早々に退散したエインドヤーパヤーを再度襲撃。
6時きっかりにホテルを出発し、ゼーヂョーを抜けて歩く。 今日は先日よりも早くから商売している。少年僧たちも買い出しに来ているようだ。
往路15分、エインドヤー15分、復路15分。 今日は落ち着いてパヤーと対峙できたのだが空が青ければもっと良しだった。
朝食後に、気になっていた近くのナイロンコールドドリンクで、パパイヤミルクシェイク。
暑くて死にそうな時に、これを飲んだら最高だろうな。

2.ウ・ベイン橋
10時に車を呼んでいるので10分前にチェックアウト。
ホテルスタッフも、それを把握しているらしく、ロビーのソファーを指して、「そこで待っていて下さい。」と言ってくれる。
ルームチェックが完了したのかまだなのかを言ってくれないのは相変わらずだが、ミニバーを使わない私としては関心も無い。

ところが、10時を10分回ってもタクシーは来ず、レセプションスタッフも気にしている風ではない。
12分を経過した頃に、「ちょっと電話してみてよ」と頼んだら応じてくれたが、『それは私たちの問題ではない』という顔をしていた。
確かにそうではある。 日本的に、包括的な感情移入をホテルスタッフに求める気はこちらにも無い。
しかし、先日もそうだったが今回もホテル側は、車の手配だけで1/3くらい、今回なら6500-7000Kの利益を得ているだろうし、
代金の内の8000Kは一時間分のタイムチャージなのだから、15分も遅刻したら2000Kを返金するのですかという話になる。
(最終的には空港に向かうのだから、フィニッシュタイムは決まっている。)

結局、15分を経過した頃に車は来たが、謝罪の言葉が有る訳でもなくドライバーの印象も悪い。(その印象は後に改善される。)
市街地で少し混雑したこともあり、ホテルからキッカリ30分でアマラプラの駐車場っぽい所に到着。
あまり英語は得意らしくないドライバーが、露店が並ぶ辺りを指差して「ウ・ベイン」と一言。
ウ・ベイン橋はタウンタマン湖の対岸へと1,200mほど延びているが、
雨季の今、湖の水位は高い。

グーグルアースの写真は乾季のものらしく中ほどは陸地の様だが、
今回は対岸まで湖の上だった。 湖は船で渡ることもできる。

3.チャウットヂー・パヤー
ウ・ベイン橋の対岸に、怪しげな門番が鎮座しているチャウットヂー・パヤーが建っている。
マンダレーの同名のパヤーとは無関係なのか白っぽい以外は共通点が少ない。 バガンで行ったアーナンダがモデルらしい。
しかし、アーナンダには、こんな門番はいなかったぞ。
名前をヌマーティアといい、上半身が女性で下半身がライオンらしい。 スフィンクスのミャンマー版か??
もう靴を脱いで中に入る気分は無くなっていたので、周囲をグルッと歩いて橋の方向に戻る。

来る時には気付かなかったのだが、橋のチャウットヂー側のたもと近くで蟹が売られていた。
こいつ、どこかで会った事が有るぞ。
そうだ、夏の杭州だ。
少し蟹の種類は違うが、色合いとか微かに漂ってくる香りとかは似たモノを感じる。

帰りも船には乗らず、ウ・ベインを歩いてアマラプラ方向に引き返す。財布の中の1000K未満の札は、橋の上で手を差し出す老人にドネーション。
橋を渡った露店で、良く冷えたライムジュースを2本買って駐車場に引き返す。
驚くことに、どこかで見ていたのか、絶妙のタイミングで車が私を迎えに来る。
ここに来るまでの言葉少なな対応と、今回の気遣いで、15分の遅刻は免罪としてあげよう。
運ちゃんにライムジュースの一本を差し出し、「待っててくれてありがとう」と渡すと、とても喜んでくれた。
来た道をそのまま少し戻り、ここからもキッカリ30分でマンダレー空港に到着。

4.ミャンマー脱出
空港ビルに入ると、チェックインカウンターに進むためのX線検査はすでに始まっていて、中国人の列が出来ていた。
我がバンコク行きと同時刻に昆明行きがあるらしい。
前の人が係員と気になる会話を交わしていたので、一応、その係員を捕まえて「バンコク行きもこの列でいいんだよね?」と訊ねたら、
なぜか30人くらいすっ飛ばして、同じ列の一番前に割り込ませてくれる。
飛行機の出発時刻は同じだし時間的にも十分な余裕が有るのに、なぜだったのだろう?? 今も謎である。

マンダレーでも羽田までスルーチェックインが出来る。
「窓側ね」と頼んだのだが、バンコクまでは7Dだから通路側っぽい。 しかし羽田行きは24Aとナカナカのポジショニング。
待合室で使うらしい喫茶券をくれる。

手元に残っているチャットは62,500K。 6,000円弱の価値。 初日に迷ったのだが、250USDではなく200USDの換金に留めて正解だった。
ニャウンウー空港や、ここマンダレーの国内線よりは、それっぽい土産物屋が有ったので、チャットを使い果たすべく突撃。
少し高いかな、という印象もあったが、さほどひどい訳でもなく、合計66,000Kの2点を選んで店員に、
「チャットはこれだけしか余ってないからサービスして。」と迫ったが、愛想良く、「あと3USD」と妥協の無い一言を浴びせられる。

さっきもらった喫茶券を手に、紙に書いている名前の喫茶室(と、言ってもひとつしかない)に行くと、入口で券を回収されて中に通してくれる。
狭苦しくは有るがホテルのロビーの様な雰囲気で、これまたホテルの朝食会場の様に、セルフサービス形式でドリンクや軽食が並んでいる。
これは良いサービス。
飛行機に乗ったら、どうせ昼食が饗されるので軽食には手を出さなかったが、フレッシュジュースとポップコーンを口にしながら旅行記録を整理。
ボーディング時刻が近づいてきたので、再度のX線を受けてゲート別の待合室に入るが、ちょうどバンコク行きの飛行機が到着した。
この様子なら定刻出発だろう。
ところが、この待合室にはトイレが無いので、外に出て用を済まし、再びX線を受けることになる。

バンコク行きは安定飛行に入ったら直ぐに食事。隣の人と前の人は親族っぽいが特別食らしい。
服装からは普通の人に見えるのだが、ハラル食なのかな??
タイに再入国をするかは決めかねていたが、一応、入国カードをもらう。
ばいばいミャンマー。

5.スワンナプーム空港
今回の乗り継ぎも、待ち時間が5時間半(実質は4時間ほど)なので、空港三階のフードフロアで時間をつぶすことにする。
45THBで再びパヤタイに出ても良かったが、午後の時間帯だと暑いばかりだし、
かと言って、入国せずにトランジット通路を通って出国済みエリアに行くのも物足りない。我ながら中途半端な選択。

一旦、地下に行って、レートが良いとネットに書かれていた換金所に行くが他の場所と同じ0.3174THB/JPYだった。
先日より少し円が強くなっている。 18円損した。
三階に行ってマンゴスムージー132THB。同じクオリティーなら、日本の半額、タイの街中での倍。 ミャンマーの4倍額。
18時半に軽い晩飯としてトムヤムクンスープ麺とパインジュースを503THBで食べてから出国。

バンコク時刻21時半、すなわち日本時刻23時半くらいに、帰国するJL034-機内に入ったら直ぐに眠るように努めた。
東南アジアの夜行便は、距離が中途半端で寝る時間が取れないのだ。
しかしJALはいつもの通り、日本時間の午前1時くらいに普通の食事を配り始めた。 どうかしている。
配る方もどうかと思うが、与えられた餌のように食らう方もどうかしている。
そのまま寝たかったのでパスしたが、消化の良い軽食を袋にでも入れて飲みモノと一緒に配る程度で良いだろうにと切に思う。

明け方の羽田空港に帰還し、雨が本降りになる直前に帰宅

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