シルクロード2016

1日目(4月30日) 1.通い慣れた? シャンハイ
上海に飛ぶのが何度目なのかは数えきれないが、成田/浦東は久しぶりだ。
期限切れになりそうなJALマイルを航空券に化けさせねばと気付いた時は、このGW中は成田/上海しか残っておらず、今さらながらの上海に飛ぶことに。

唯一ゲットできたのは9時40分のフライトだったので、今月初めに出張でシカゴに飛んだ時と同じく、京成成田駅前のホテルで前泊。
この便は定刻出発だったし浦東に着陸したのも定刻20分前と飛行は順調だったが、イミグレで時間が掛かり、空港から出られたのは着陸50分後。
速攻で地鉄2号線に乗り込み、虹橋空港第二ターミナル近くの定宿には14時過ぎに到着。
少し早い時刻だったがチェックインが出来たので、地鉄10号線で豫園に向かう。

2.豫園
三連休前の豫園は大混雑で、スリが暗躍しやすい環境のもと、珍しくも澄んだ青空の下で、新旧の上海が覇を競っている。
人が群がる売店では、トリたちが哀れな姿で串に刺さっている。 売店のお姉さんたちに一言断ってカメラを向けたら、思いっきり照れていた。

3.古城公園から外灘へ
豫園から古城公園経由で外灘に行くが、久しぶりに外灘の夜景を撮っておきたくなった。
そこで暗くなるのを待つついでに南京東路駅地下の北海道ラーメンに行ってみたのだが、いつのまにか閉店していた。上海は今も変化が早い。
まぁいっかと、運河沿いに戻って北上し、黄浦公園で暗くなるのを待つ。

今日は平日のハズだが、夕方過ぎから人が増えてきた。
撮影場所の陣取り合戦で中国人に勝利し、マズマズの戦果を収めてから虹橋のホテルに戻って、明日からの西域遠征に備える。
2日目(5月01日) 1.上海脱出 西へ
8時55分の上海出発便に乗機すべく7時20分にホテルから徒歩2分のチェックインカウンターに移動。
第二ターミナルを出発する中国南方航空のカウンターには多くが並んでいたが、私が列に加わった時に、ちょうど窓口が追加で開いて搭乗手続きはスムース。
『スカイチームのマイレッジカードを忘れてきた!』と、思っていたら窓側希望を伝え損なったが、券を受け取る直前に「窓際かな?」と聞くと、「そうよ」と返答。
しかも思いのほか前の方で、ナカナカ幸先が良い。
セキュリティーエリアの店の一つに、WASABI_FOODなる日本料理屋。 機内には定刻30分前に案内されたが、隣のデカイ白人2人はロシア人か?

2.ウルムチへ
上海を何と定刻前に出発した飛行機は順調に西進し、新疆ウイグル自治区の上空に入ったあたりから、下界のタクラマカン砂漠の風景が面白い。
ウルムチ空港着の18分前くらいに、ひときわ高い山が見えてきた。
天山山脈の東側エリアの名峰の博格達峰(別名:天山)だ。

海抜5445m。
極めて急峻な山で長らく人類を遠ざけていたのだが、
1981年に日本隊が初登頂している。

3.ウルムチ空港
ウルムチには14時ちょっと過ぎに着陸。 一時間ほど停留するとアナウンスが有ったので、一旦、機外に出ることにする。
到着口ではなく途中で分岐して搭乗待合室に移動。
新疆自治区らしい土産物屋が並んでいる。「和田玉」という看板がひときわ目を引いているが、「ワダタマ」ではなく「ホータンュイ=He tian yu」と読む。
玉は、玉石混合の玉で、翡翠を表し、和田は新疆自治区にある玉の産地。
新疆の南側の西蔵(チベット)自治区の土産物屋も友情出店している様子。チベットもいつかは。。。

4.カシュガルへ
飛行機はウルムチを再び定刻に離陸し、カシュガルにも定刻に着陸。 空港では客引きタクシーを振り切って空港前のバス停に移動する。
(振り切ったと言っても、中国語で「バスで行く」と言ったら、「だったら空港を出て右だ」と親切に教えてくれたのだ。)
インドでタージマハルに行った時も同じようなことがあったが、彼らは強欲さと誠実さを併せ持っている。

出発前に百度地図で、カシュガルは空港まで路線バス網が延びていることが確認できていた。
2013年頃から中国領土内はグーグルマップ閲覧が制限され、ストリートビューにいたって全滅状態なのだが、この百度地図を使いこなせば、
グーグルマップやヤフーMAPなどよりも遥かに役立つ。やはり、あなどれないぞ中国。
タクシーだと街中までは30元(500円強)が相場だが、
路線バスなら1元(17円)で街に出られる。

トラブルの心配もほとんどなく、庶民の生活を垣間見ることも出来るし、
やはり海外での移動は公共交通網に限る。
目指すは終点の人民広場停留所。
ところが、バス停の表示で気付いたのだが、百度地図で予習したルートが変更されていた。
元々は人民広場との間を単純往復する路線だったのだが、新しい路線は街の中心部を巡回するルートになっており、人民広場停留所は無くなっていた。
『百度ストリートビューで覗いておいたから、なんとかなるだろう。』と、考えたのだが、予想よりも遥かに楽勝で、目的地に到達できた。
有名な特大首席像を右手に見つつ、次の交差点を右折してバスは停車。 そこから徒歩5分で、予約しておいた天縁国際酒店である。
労働節のまっ只中でも標準間で、2泊520元は割安だが、このホテル、ほとんど英語が通じない。
英語で「今日から二泊、予約してるんだけど~」と言ったら、明らかに狼狽されたし、応援に出てきた英語スタッフも、こちらの中国語に完全に頼ってきた。
「朝食は5階で、北京時間で8時半から」って分かったけど、それくらいは英語で言ってくれぃ。
彼女達はウイグル語と中国語のバイリンガルだから仕方無いのか?

5.エイティガール寺院と、その周辺
四つ星ホテルですらこれだから、街中では英語の通用度は期待しない方が良いだろう。
空港でタクシーを断る時も、バス停の位置を確認する時も、考えてみたら全部中国語だった。

まぁ、どうとでもなるだろうと部屋に荷物を置いて街歩き。
すでに19時近かったが、ローカルタイムでは17時前だし、経度から言うと16時に相当するので陽は高い。
中国最大のイスラム寺院であるエイテガールからカシュガル老城(旧市街区と言うか、ウイグル族居住区)を抜けて人民大道に出てみる。
日曜日であるからかもしれないが、街には活気が満ち溢れ、老城は異国情緒たっぷりで予想以上に楽しい。エイティガールの近くには帽子街があった。
宗派によって異なるのか、様々なタイプのイスラム独特の帽子が売られていたが、
立ち寄っている客は少なく、また特定の帽子を被っている人も多くを見かける事は無い。

各々の店が、キチンと商売できているか疑問。
ちょっとした土産にも適した価格だと思うが、宗教的な意味合いが有る物を、
オモシロ系の土産に使うのも宜しくないので、写真に収めるだけで良しとした。
街ではウイグル族でも新旧で、戒律の守り方が異なるので興味深い。若い女の子は、頭髪は隠しているのだが、脚を出している場合も多く見かける。
漢民族の女性は、居住民か観光客かは判らないが、日本人と同様に、ミニスカートやホットパンツを穿いて街を闊歩している場面も多いので、
戒律が厳しくない社会では、徐々に文化が破壊されていくのだろう。。。 破壊ではなく、変化か??
街は21時頃でも明るかったが、なんだか雲行きが怪しくなってきた。
3日目(5月02日) 1.早朝エイティガールと職人街
朝食を手早く済ませ早朝のエイティガールを襲撃。早朝と言っても9時過ぎなのだが。。。
新疆時間では7時過ぎだし、経度で言えば6時くらいに当たり、太陽は昇ったばかり。あぁ、ややこしい(^.^)
昼は賑やかなエイティガールの周りは誰もいなかったが、鳩が元気に闊歩している。 こいつらは、食われる心配は無いのかな??
空は黄色い。
昨夜21時頃に風が強くなって雨が降りそうだったのだが、
結局のところ降雨は無く、しかし空も地面も少し砂っぽい。

ここはタクラマカン砂漠の西端に位置するから、
時折は砂嵐が来るのかもしれない。
エイティガールから職人街に続く道は幅が広くて整然としている。 「千年古街」と言うらしい。
多くの日本人は誤解しているが、ここに限らず中国の道は綺麗に保たれている。
地方政府が雇ったっぽい清掃員が活躍していることもあるが、例外を除き生活者の意識も低くは無い。
日本旅行をした中国人が「日本は道にゴミが一つも落ちていないので感動した。」と述懐していると言う話が多く出回るのは、ちょっとウソ臭い。

職人街と呼ばれている通りを抜けて、ホテルのある大通りを目指してみる。
歩行街になっていて、木工職人や銅器の加工職人が歩道にはみ出して作業しているところを見る事が出来るのだが、何となく観光通りになってしまっている。
麗江でも見かけたようなギターっぽい楽器のほかに、いかにもシルクロードを連想させる形の弦楽器も売られていた。
飛行機で持って帰るのは大変かな??

2.街の偶像
街には様々な銅像が立っていたり、壁絵が描かれたりと、観光客向けと思われる趣向が凝らされている。
イスラム教と言うと、どうしても偶像崇拝を禁じているイメージが強いのだが、崇拝の対象ではない一般の人々の像や絵は、問題がないのだろうか?

街の中心とも言える人民広場の対面で手を掲げている首席像は崇拝対象として設置されているのだが、
カシュガル人口の90%を占めるウイグル族(ほぼイスラム教徒)は、どう感じているだろう?

3.アパク・ホージャ墓(香妃墓)
ホテルの近くから20路のバスに乗ってアパク・ホージャ墓に向かう。
この20路もルート変更があったようで、直近の百度地図でもホージャ墓行きになっているが、ホージャ墓の近くを通過して鉄道駅に行くようになっていた。
しかもバス停名やアナウンスに「アパク」とか「ホージャ」という言葉ではなく「香妃墓」。
発音は「シャングイムゥ」と聞きとれたので、多少の心得が有れば香妃墓と判るが、欧米人には厳しいだろうなぁ。
アパク・ホージャ墓はタージ・マハルにも似ている。
同じ文化が源流だから当然か。
内部には棺桶が並んでいたが撮影禁止。

別の棟にはイスラムの祈りの場所がある。
敷地外には一般墓地が並び、観光ラクダが待機しているなど俗っぽい。
香妃墓には庶民のものと思われる墓地が、併設されていた。

4.鉄道駅とバスターミナル
再び20路に乗って、終点のカシュガル駅を覗きに行くことにする。
本来であれば、カシュガルは今回の様に飛行機で一気に飛んで来るのではなく、ウルムチから鉄道で目指してみたいところである。
もしくは南疆経由のバスで、タクラマカン砂漠を越えてくるような旅にもあこがれてしまったりもする。
もっともバスだとウルムチから24時間を要するので、やはり2時間でサクッと飛んでくる方が楽かもしれない。

ともあれ香妃墓から15分くらいで鉄道駅に到着。
が、駅に近づく手前に身分証かチケットを確認している風なゲートがあったので、駅舎の写真を取るのはやめることにした。
終点の鉄道駅の一つ手前のバス停は、幾つかある長距離バスのターミナルの一つである。
鉄道駅で敵前逃亡したので、せめてこちらくらいはチェックしておこうと徒歩で戻ってみた。
カシュガル汽車客運枢紐駅。公安の車が停まっていたりして、少し警備が物々しく感じたが、それは鉄道駅も同じ。
時々、ウイグルと漢民族で衝突が発生しているから、緊張感が有るのかもしれない。
ここから再びバスに乗って中心部に戻ることにするが、待たされることなく20路便が来る。ヨーロッパだとこうは行かない。
目的のバスに乗るためには時刻表を確認しておかないと30分は待たされるハメになる。
やはり人口が多いと、なにかにつけ便利なシステムを構築しやすいようだ。
しかし、午後になっても空がスッキリしない。 ロケーションから考えても、公害性のPM2.5ではなく、砂嵐の影響と言ったところだと思う。

5.カシュガル老城
20路バスで街に戻る途中に、老城の裏側の入り口が有ったので途中下車。
それっぽいゲートもあるし、街の看板もあるので、こちらが表玄関なのかもしれない。

ちなみに老城は、城址という意味合いではなく、「古い街並み」と言った意味になる。
中国沿岸部ではもっぱら「老街」と表現しているのだが、ニュアンスは同じ様なものだろう。
私は街並みに対する造詣が深くないので、なんだかアラビア文化の
街並みの様に見えてしまうのだが、各々に違うのかな?
トルコとは少し違うし、ドバイとも異なる気がする。

材料が同じだからか、街の色が統一されているのも
一種独特な印象を受ける。
甕や鉢を扱っている店などは、商品までもが同じ色合いだ。
老城を外から眺めてみると、内部に居る時には気付かなかったが、チャッカリと中華風の塔を立てている。
城壁っぽい壁は最近になってから工事をした様に見える。

6.街の食
街には食べ物が溢れているが、良く見るとバリエーションは多くは無い。
まず目につくのが「ナン」と呼ばれるパンだが、インドのナンとは別物の様だ。
果物も売っている。 瓜系のほかは桃(日本のとは違う)やリンゴなどが多いかもしれない。

イキナリ出くわすと、ギョッとするのが「羊の吊るし切り」である。
さらには、路地に不用意に踏み入れた際に、地べたで喉首をかっ切られ、
内臓を摘出されている最中の羊を見た時は、異文化を痛感した。

7.マーケット
ほとんど丸一日、歩き続けたので、16時過ぎに一旦ホテルに戻る。
部屋に入ろうとしたらカードが反応せず、それを見ていた掃除のお姉さんが掃除用の全室対応型カードで開けてくれたが、問題は根本的に解決していない。

カメラを一眼レフからコンパクトに持ち替えて一階に降り、ルームカードをフロントで再設定してもらうが、もう英語でコミュニケーションを取るのは諦めた。
ついでに昨夜は貰えなかった明日の朝の分の朝食券をもらったが、こういう仕組みなのだろうか??
(ルームキーを毎日再設定する必要があり、その際に翌朝の朝食券を渡すのが基本?)
これだって、最低限の中国語を話せないと要求できなかったわけだから、
中国辺境の旅はナカナカに厳しいが、それでも数十年前よりは
遥かに遥かに楽になっているのだろう。
徒歩10分なので三度エイティガールに足を運び、三度目の正直で入場。
(一度目は早朝で開いておらず、二度目は祈りの時間とぶつかったらしく、続々と教徒が入場していたので遠慮した。)
45元もする癖に中はショボい。
チケットには「老城維持」が目的と明記されており、かつ老城の入域費も含まれていて三日間有効となっているので、私の行動に噛み合っていて納得である。

夕刻が近づいてきたので、またまた居住民と一緒に揺られながら、路線バスで市場に向かう。
(一回一元なので、本当に気軽に使える。)(しかも待たされることなくすぐに来る。)
バス停名は「両亜市場」(これらの文字は、日本の文字とはほとんど異なる)。

ここは日曜バザーの会場にもなっていて、昨夜は大混雑しているであろうことから来なかったが、月曜日の夕方もナカナカの活況であった。
イスタンブールのグランバザールの様相で面白い。
が、何かを買いたいと思う程そそられるものは無く、『土産も空港で良いや』と思ってしまう。 どうも私は物欲がなく、購買意欲も乏しいのが欠点である。
夕食後に人民公園を散策してからホテルに帰還。
21時前後でも太陽は18時くらいの位置だから、空は明るく、公園の池では子供たちが水遊びをしている。
4日目(5月03日) 1.もうひとつの老城
カシュガル最終日も、開始直後の8時半にホテルで朝食を摂り、9時前には街に進撃。
太陽の位置としては6時前なので、夜が明けたばかりだが、そのためと言うよりも(推定)砂嵐の影響で空が暗い。
ホテルの前の大通り人民東路を東に5分ほど歩くと、街を見下ろす観覧車。(摩天輪と呼ぶらしいが、歩き方'16-17の地図は通りがずれている)
到着日の一昨日は判らないが、この観覧車は昨日も今日も動いていない。空気が淀んでいるからか。

その近くから、街の北東側のカシュガル老城を望めるのだが、すでにボンヤリしている。 一見、廃墟のようにも見えるが、実態はどうなのだろう??
ということで、潜入。
北西側の老城と比べると明らかに荒廃しているのだが、まったくひと気が無い、という訳でもない。歩いている人もいたし、ボール遊びをしている子供もいた。
壁に穴だけ開けたような売店で帽子とドリンクを売っているのが見える。
そろそろ飲み物を補充したかったが、ここのはいつの物か不安だったので敬遠し、下の通りに降りてから見慣れないジュースを一本購入。
ウイグル族の爺さんが、「ヌークヮイ」と言うので、ウークヮイ(5元)を渡すと、彼はもう一度、「ヌークヮイ」と言う。
『そうか、リュークヮイ(6元)か、済まない爺さん』と、1元札を追加した。
きっとこの爺さんからは、私は漢民族に見えているのだろうな。。。

2.カシュガル脱出
10時過ぎにホテルに戻って荷造りをして、10時半頃にチェックアウト。
飛行機は13時半だったのだが、「チェックアウトに時間がかかるかもしれない」「バスがナカナカ来なかったらヤキモキするかも」と余裕を見た。
いつものパターンなのだが、余裕の取り過ぎ。

「トゥエファン(退房)」の一言で速やかにチェックアウト手続き(中国では、ほぼ必ず部屋をチェック)が開始され、3分で完了。
チェックアウトのお姉さんが「6元持っているか?」と聞いてきたので、『何か引かれるのか?』と訝しながら「有るよ」と渡すと、なぜか250元が戻ってきた。
一昨日に渡したデポジットは200元。 今しがた渡した控にも明記しているので手違いでバックし過ぎた訳でも無さそう。
この+44元は何なのだろう?? 未だに謎である。 (ちなみに、このお姉さんは明瞭に「リュークヮイ」であり「ヌークヮイ」ではなかった。)

徒歩5分で空港行き2路が来るバス停に行くと、これまたすぐに空港行のバスが来て、スムース過ぎるカシュガル脱出となってしまった。

3.カシュガル空港
バスも、来た時よりも明らかに早く、わずか20分で空港に到着してしまった。
来た時は街の中心部を大回りしたし、日曜夕方で道が混んでいたかもしれないが、あまりにスムース過ぎる。ただし、やはり中国。
空港の終点バス停は、空港を通り過ぎて100mほど行き過ぎたところ。
空港入り口が通りの反対側になるのは仕方がないが、せめて、もっと近くで停めてくれても良いだろうに。。。(そうするにあたって、何の障害も見当たらない。)

空港に着いたのは11時を回ったところだったが、前の便の手続きを完了してカウンターを閉じかけているお姉さんに、「上海行きのチェックインは出来る?」と、
聞いてみたら、「荷物はあるの?」と聞き返してくる。
「無いよ。」と答えたら、「じゃあ出来る。」と手続きを行なってくれる。

たぶん、コンピューターが動くから好意で行なってくれたのであって、正式には1時間後が手続き時間だろう。
今度は忘れずに窓側希望を伝えたが、席は少し後ろの方になっていしまった。
(窓側で前の方と伝えるのも可能ではあるが、ちょっと注文が多過ぎる様で気が引けてしまう私は日本人)

ここでもそそられる土産は無かったが、少しばかり散財。
出発ロビーは二階で、意外と広かった。

4.ウルムチを経由して上海へ
飛行機は、やはり定刻に離陸し、ウルムチ空港にも定刻より少し早く到着。 沿岸の都市部よりは空域が空いているのだろうが、本当にここは中国なのか?
ウルムチは新疆ウイグル自治区の省都なのだが、実は私は昔から、この地名を知っていた。

「到達不能極」という言葉が有るのだが、「行けない」でなく「行くのが困難」、転じて海から最も遠い内陸とか、陸から最も遠い海という意味で使われている。
そして、このウルムチは、ユーラシア大陸の、つまりは地球上でも最も海から遠い地点に近い、海から最も離れた都市なのである。
到達不能極に、こんなにも順調に到達して良いのかい??

ここを再出発して上海に戻る便も、やはり定刻に飛び立ったのだが、、、映画が始まって仰天した。
なんと前田敦子のイニシエーションラブ!!
しかも、日本語で観る事が出来る。
いやはや、こんなところで(元)AKBに出会おうとは。。。

5.上海
来た時とは逆に、東へと飛行機は飛ぶので、陽が暮れるのは異様に早い。
ウルムチ出発は北京時間16時過ぎなので、太陽は、午後2時感覚だったのだが、それから3時間後(同 19時過ぎ)には翼が朱に染まっている。
この20分後には、どっぷりと日が暮れた。 こんな光景が見られるから、窓側は希望から外せない。

中国国内線は個人ディスプレイが無く、フライトマップがないので、どこをどんな風に飛んでいるのかは今ひとつ不明なのだが、
普通に考えたら、ウルムチを出発した後は、ほぼ東に進み、モンゴル国境付近から徐々に南寄りに進路を取って、
内モンゴル上空から山西省、河北省、山東省を抜け、沿岸部の江蘇省を経て上海には北西側からアプローチするのが自然だろう。

暗くなってからも右下にはナカナカ大きな街が現れない。雲は割と切れているし、比較的小さな町は見えるから、たぶん都市の無い領域の上空を飛んでいる。
などと考えていたら、上海虹橋空港に着陸する30分前くらいに、かなりの規模の都市が見え、少し開けて連続する光の洪水が地上に展開した。
たぶん最初の大きな街が楊州で、その後は常州、無錫、蘇州から上海に連なる長江南岸(江南)の都市圏なのだろう。

上海には20時半に着陸したが、なんとバス移動。 それでもスムースにターミナルビルに移動し21時にはホテルにチェックイン完了!
5日目(5月04日) 1.上海横断
とりあえず2.5日間は新疆時間で生活をしたが、時差を感じるほどではない。
(実際にも公式な時差はないのだが、カシュガルでは8時半まで朝食にありつけないから、生活は二時間遅れる)

昨夜の内に買っておいたブレッドトークの日本レベルのパンを食し朝シャワーを浴びて、8時JUSTに爽やかに出発。
この空港ホテルはもちろん、チェックインは極めて迅速スムース。

エレベーターで地下一階に降りたら、そこはもう地鉄2号線のターミナル2駅。
ホテルを出て10分後には地下鉄に揺られていると言う寸法であるが、虹橋から浦東へは上海を横断する事になる。
中国はすでに労働節の連休が終わっているので、途中から通勤客で混雑してくる。が、京急や小田急ほどではない。

約50分でロンヤンルー駅。
中心部を突っ切って、ここまで来ると少し空いてくるのだが、最近は虹橋ばかりで浦東は使っていなかったから、1年2ヶ月ぶりにリニアモーターカーに乗る。
(上海カードを使えば40元)(航空券を見せても40元)
列車によって頑張るタイプと、時速300kmまでしか頑張らないヤツがいるのだが、9時15分発のこいつは432km/hまで頑張ってくれた。

2.日本生還
帰路のJAL便も当然のように定刻にボーディングが開始され、時間きっかりにキャビンが閉じられたが、ここ浦東は、ここから離陸順番待ちが始まる。
離陸は約30分後。
だいたい、時刻表に折り込んでいる範囲だ。

復路で選んだエンタは、007スペクター。 まずまず新しい方か。。。148分あるので、アナウンスでプツプツ切れることを承知の上で滑走前からスタート。
最後まで見る事が出来たが、JALはなぜ着陸態勢に入ったらモニターを停止するのだ?

ジェームズボンドが窮地に陥っていた頃、右下を見ると、なんと阿蘇山の真上を飛行中。カルデラがクッキリと見える。
このたびは、大変でしたね。 お見舞い申し上げます。

成田には定刻かっきりに着陸。
機内ほぼ一番でイミグレ、税関を通過し、スカイライナーに乗り込みミッション完了。

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