4日目( 1月 1日) |
1.越年バス |
20時にネヴシェヒルを出発し、パムッカレへとひた走るバスは、未明に車内灯を点けたと思ったら、
3時15分くらいに再びサービスエリアのようなところでトイレ休憩。
到着予定時刻は6時頃と聞いていたので、この機会に行っておこうと1リラを握りしめてバスを降りたら、地面が凍り付いていて、派手に転んでしまった。
トイレを済ませて戻ると、バスがいない。
ん?と思うと、少し離れて地面が乾いたところに移動している。
私を含め、何人かの乗客が転んだので乗降が安全な場所に動かしたのかな?
そこから50分くらいで再び車内灯が点灯したかと思うと、バススタッフが前方の乗客数名の肩をたたいている。最後に私の肩をたたき「パムッカレ」と告げた。
ほどなくバスが停車して乗降口が開く。スタッフや他の降車客に続いて外に出たが、そこは大通りの途中で周りには何もない。
と、バススタッフが「ここじゃない」というような仕草で、降りた5人に再乗車を促す。
わざわざ起こされ、バスを降ろされた我々としては???である。(いまだに、どうしてこんな手違いが発生したのかは理解できない)
バスは再び走り出し、そこから5分程度のところにあったバスターミナルっぽい建物の地下駐車場で下車。
ここは正しかったのか、他の乗客のスーツケースをバスの横っ腹から取り出し、ネヴシェヒルからのバスは走り去る。
バスのターミナルスタッフらしいお兄さんが我々に、「どこに行く?」と聞くので、各々に「パムッカレ」と答えると、自動扉の内側のベンチに誘導し、
「ここで待って」というようなことを言う。私のほかは、ユルギャップから一緒だった日本人女性二人組と、韓国人女性二人組。
ネヴシェヒルからの乗客は25人くらいいたはずなのだが、地元の人がパムッカレに移動することは少ないのか、明らかに観光客だけだった。
ほどなく、どこからかガハハ系のオジサンが現れ、「パムッカレか?」と聞くので、やはり各々にそうだと答えると、日本人女性一人のスーツケースを奪い取って
通路を転がしながら「こっちだ」とエスカレーターを登り、地上階の車寄せに停めていたミニバスに誘導する。
いきなりスーツケースを奪われた女性がトコトコと追いかけ、その後に他の4人が続いた。
このミニバスに乗ったときに韓国人女性(韓国語で話していた)たちの一人が中国語で、「ハオロン」(すっごく寒い)と言ったのだが、
韓国語でも寒いことを、このように表現することもあるのかな??
ミニバスで一般道を走ったかと思うとほどなく小さな路地に入り込み、ターミナルから10分ほどの旅行会社事務所らしいところで降ろされる。
私に続き日本人女性二人組と韓国人女性二人組が事務所に入ると、事務所に待機していた親父がまず私に、日本人名がアルファベットで書かれている紙を
示し「アナタか?」と聞く。彼に男一人と女一人の名前であるという認識があるのかは怪しい。
「どちらも違うよ」と答えると、ちょっと困惑している様子。
そこで私は自分の名前と、朝までの休憩用に準備されているホテル名を告げると、その親父はドコカにトルコ語で電話をしたのち、
私に向かって「オッケイ」とほほ笑んだ。
次に日本人女性たちに向かって「アナタたちは中国人か? 韓国人か?」と問いかけ、二人が「日本人」と答える。
(これから推測すると旅行客の到着情報があって、バスターミナルに迎えに来ているというわけではなさそうだ)
改めて「お嬢さんたちのホテルは?」などと訊ねるが、どうやら二人は自分たちの予定を把握しておらず、さらには英語が十分に話せる様子でもなく、
日本語で「わからない」と言っている。
事務所の親父は再び、机の上の書類を引っ掻き回し、なんだか要領を得たような感じで日本人女性たちに、
「ホテルに行きます。朝になったら日本語ガイドが来るから大丈夫。」と、日本語で話す。
(すごいじゃん、親父!!)
次にテーブルに韓国人女性二人組を招くので、それを待つのかなぁと見ていたら外に出るように促され、私と日本人女性たちの三名だけが、
先ほどのミニバンに乗せられて出発。 |
2.KORAY OTEL |
パムッカレは小さな街なので、間もなく私のホテルに着いて、私だけが下車。(彼女たちは別のホテルに行くようだ)
と、真っ暗な中、いつの間にか、別の親父が近くに来ていて私に着いてくるように促し、ミニバスは走り去ってしまう。
そのホテル親父はホテルの扉を開けようとするのだが鍵が閉まっている。
(とすると、この親父はホテルから出てきたわけではないんだ。。。)
鍵を開けてロビーに入ると、カウンターの上に人の名前を書いた紙が何枚か散らばっており、その中からホテル親父は一発で私の名前を探し当てて、
「これはオマエか?」と聞いてくる。
「そうだよ」と答えると、ホテル親父はルームキーを手に「こっちだ」と案内してくれる。
パスポートすら確認しない。
部屋はショボく、ベッドはメイキングされているものの壁にはボコボコと穴が開いていて、中の配線が覗いている。
案内親父はトイレ・シャワールームの電灯を点け、蛇口をひねって水を出しながら、「こっちに回すと水。反対に回すと湯。」と言い残して去っていく。
とりあえずベットで仮眠し、外が明るくなるのを待って湯を出そうと試みたが、結局のところ、いつまで待っても水は温かくならなかった。
ここでは英語ツアーが手配されていることになっているのだが、ガイドのピックアップは9:45予定なので、8時過ぎくらいにフロントに行く。
と、従業員控室の中から「こっちだこっちだ」と手招きがあり、入っていくとホテル関係者数名が雑談していて、「ここに座れ」と椅子をすすめられた。
こんな風にフレンドリーなのは、実はあまり得意じゃない。
「朝食を食べたいのだけどドコで食べられるの?」と聞くと、即座に「ない!」と言われ、続けて笑いながら「ある!」と言われる。 やっぱ苦手だなぁ。。。
と、一人が別の従業員に5リラ札を渡してトルコ語で何かを言い、その従業員は何かを言い捨てて出ていく。
「オマエはここに座っていればよい」と言うので、外のレストラン(と、言っても、テーブルが2台並んでいるだけの簡素な場所)を眺めながら、
要領の得ない気持ちで待つ。
「どこから来た?」「気球には乗るか?」といったことをいろいろと聞いてくるが、横のおばさんは英語がわかる様子でもない。
しばらくして、そのおばさんも姿を消し、私は所在なく、トルコ語のテレビに視線を落とす。
と、5リラ札を持って出かけた従業員が、近くの別のホテルから買ってきたのか、簡単な朝食プレートを事務机に置き、タイミングを合わせて、
英語が話せない風おばさんがコーヒーを持ってくる。
私は、なかなか居心地も良くないので、手早く朝食を済ませ、部屋に戻ろうとすると、ホテル親父が「ここに座っていたら良い」。
「いや、準備があるから、一度、部屋に戻る。」と返すと「ガイドは9時半に来る。」と、なんとなく逃げる様な感じで部屋に戻った。
『正確ではないけど、把握してるじゃん』 |
3.ヒエラポリスとパムッカレ |
9時35分くらいに荷物をまとめてロビーに向かうと、ちょうどホテル親父が「ガイドが来たぞ」と客室棟に向かってきていた。
ガイドは早口のおしゃべりタイプで、私としてはやはり苦手な方向性だったが、嫌な感じの人でもない。
『安全だ』と促されてホテルロビーに荷物を置き、身の回り品だけを持ってミニバンに移動。
といっても、ここから観光場所は遠くはない。
今日の同行客は、イギリス人カップルのほかは全員が一人旅で、中国人男性、アメリカ人女性、ドイツ人女性。
ホテルから坂を上って10分くらいでヒエラポリスの南入口。
そこでガイドが一人一人に入場券を手渡してくれて、各自、自分でゲートにバーコードをかざして入場。
まずはパムッカレに向かわず、最初にヒエロポリス遺跡群の「劇場」に向かう。 ここの遺跡の中でも一番の見どころ。
ここで一通り、早口で語数の多い英語での説明があった後、20分間の撮影タイム。
ここに限った話ではないが、どの国からの観光客もみな、日本製のデジカメを持っている。 すごいぞキャノン&ニコン。 |
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劇場の後は、アポロ神殿跡やパムッカレ温泉を一回り。
(温泉自体は小規模だが、本物のローマ遺跡が水没しているのがユニーク)
そこから3分の、パムッカレ石灰棚上部でいったんの解散。
温泉の入り口に二時間後に集合となっている。 |
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パムッカレは有名な奇観だが、雪のように見える石灰が棚状になっていて面白い。
しかし冬場は水が少ないらしく、イメージしていたほどの景観ではなかったし、写真から想像していたよりは、こじんまりしていた。
なんとなく東尋坊を思い出しながら、靴を脱いでパムッカレの中に踏みこむ。
裸足で歩くと、岩は堅いうえに風紋のような形の細かい突起があって足裏が痛い。
しかも冷え冷えで、ところどころ凍っている。なかなか拷問のような散歩道だ。
踏み入れて良い場所とダメな場所の境目として、先ほどの温泉と源泉を共通する湯が流れているので、凍った岩に腰を下ろし、足を流水に浸して暖を取る。
流れている湯に石灰質が豊富に含まれていて、長い年月を経て、この真っ白な段々が形成されているそうだ。
ガイドブックの写真のパムッカレは、もっと満々と水をたくわえていて、プールの様に浸っている人もいるので、イメージ通りの風景を見るには、
季節を選ぶ必要が有るのかもしれない。 |
4.ヒエラポリス博物館 |
ここの風景を十分に堪能しても、まだまだ集合までには時間がある。
とりあえず、すぐ近くのヒエロポリス博物館に5リラを上納して入ってみるが、客は誰もいない。
たしかに規模は小さいが、5リラだし、覗くだけの価値は有ったよ。 |
5.ヒエラポリス再び |
ヒエラポリス遺跡群を北門付近まで往復し、戻ってくると適度な時間になっていて5分前に集合場所。
気が合ったらしいドイツ女性とアメリカ女性が2人して時間ギリギリだったが、遅刻者なく集合。
ゆっくりとした徒歩で、入ってきた南門に戻ってバンに乗車し、ビュッフェで昼食。
ここの支払いもツアー代金に含まれていて、飲み物だけを各自が支払うという、カッパドキアと同じシステム。
中国人男性に「料理は悪くはないけど、どれも冷たいね」「一般的な中国人は、温かい料理を好むのにね」と話しかけると、
「まあね。仕方ないよ。」と苦笑い。
昼食後は、やはりこのツアーにも含まれていたかの工房訪問。 カッパドキアの2日目と同じオニキス工房だ。
入ってすぐに見せられるデモンストレーションも全く同じだったが、こっちのほうが明らかに手抜き。
あまり売れることもないのか形式的にやっている感じがありあり。次に販売品のエリアに連れ込まれるが、値札を見ると、さほど高くはない。
『良心的なのかな?』と、思っていたら、横に来た中国人が「単位はユーロだよ」と教えてくれる。
工房出口付近の休憩室でガイドが待機。
このガイドも買い物を促す風でもなく、全員が何も買わないで出口付近に来たのを気にする風でもなく、「行こう、行こう」とツアー客を車に促す。
そこはパムッカレを下部から望める場所の近くだったので、写真くらい撮らせてほしかったが、そんな時間もなく、とっとと車に押し込まれて、
各自のホテルに向けて出発。
パムッカレの上から俯瞰して、街の距離感はつかんでいたのだが、荷物を残しているホテルからこの付近までは遠くないことがわかっていたので、
あとでもう一度来ることにする。15時少し前にホテルで解散。
中国人男性は旅行会社の事務所に行くと言い、アメリカ女性はここで少し休むと言っていたが、私は荷物をロビーに残したまま、再び出かける。
徒歩でパムッカレ下部まで5分少々。
予想以上に真っすぐに着く。
下から見上げるパムッカレは、段々構造が良くは判らないため、上から見るほどにはユニークではない。
とは言え、下から見上げると、(晴れていればだが)空の青さとの対比が鮮明だし、上部では経験できない、石灰斜面登りもできるので、
中央部に小島のある、洞爺湖もどきの様な池にも、機会が有れば行って見られる事をお奨めできる。
デニズリ空港に向かう車は16時に出ると言われていたので、15時40分くらいにホテルに帰還。
ミニバス(というかバン)は16時5分にホテルを出発し、デニズリの街中で一家族をピックアップしてデニズリ空港に向かう。
およそ1時間20分で空港。
イスタンブール行きは、まだチェックインが始まっていない。
待合室の片隅のカフェで、ハンバーガーなどに食らいつきながらチェックインが始まるのを待った。
19時ちょうどにチェックインは開始されたが、出発時刻は19時50分から、いきなり22時にディレイ。 飛行機も来ていない。 |
6.イスタンブールの空は大混乱 |
22時に出発したとして、ホテル帰還は24時くらいか?
などと考えている内に、予想出発時刻はズルズルと遅くなって行き、本日中のイスタンブール空港生還が危うくなってくる。
メトロが無くなる時間だ。
が、今日までの三日間はツアーの中に組み込まれているので、空港からホテルまでの足も確保されている。
チェックインする際にも「なるべく前の方の席にして♪」と頼んでおいたら、すごく前方の席になったし、飛行機さえ飛べば何とでもなるので
個人的には気楽なものだ。
取りあえず、ツアーエージェンシーに「アタチュルク空港到着が24時を過ぎそうです。」と電話を入れたが、今回の遅延はイスタンブールを中心とする
降雪に拠るものらしく、空の便は全面的にガタガタになっている事を知らされた。
(カッパドキアに飛んだ2日前は、イスタンブールが晴れで中部アナトリアが降雪だったから誤解していた。)
結局、離陸は23時45分になった。
「前の方にして」と依頼してチェックインした成果か、座席はビジネス席。隣の席は、パムッカレ観光で一緒になった中国人男性。
彼は、「この後すぐの、深夜1時30分発の国際線で深セン(中国南部で香港の近く)に帰る」と言い、乗り継ぎが間に合うかヤキモキしていた。
スムースに乗り継げるように、席も航空会社と交渉して、後方からビジネス席に変更してもらったと言っていた。
彼は日本語は話せなかったが英語力が高く、私の怪しい中国語も良く理解したので、飛行中に色々な話をする。
少し前にイタリアのベネチアで、会社の会議をしたと言っていたから、かなりの規模の会社で、そこそこのポジションにいるのだろう。
離陸時点では、アタチュルク空港には24時40分到着予定だったが、空港混雑のためか3ターンくらい大きく旋回し、揚句にターミナルから遠いところに
降機してバス移動したので、ターミナルビルに到着したのは25時半くらいになっていた。 ちょうど中国人の出発する時刻だ。
彼は私の助言に沿って、預けた荷物は見捨てて、すぐに国際線のチェックインカウンターに走ったが、はたして無事に乗り継げたのだろうか??
私はと言えば、順調にピックアッパーと合流し、他の送迎車を少し待たされたものの、何の苦労も無くホテルに帰還。
私を迎えに来ていたトルコ人の友人が、デニズリ空港で少し話した日本語が上手な韓国人を迎えに来ていた。
彼もスルタンアフメット地区のホテルなので、「同じ車かなぁ」と話していたのだが、一緒に駐車場まで行ったものの別の自動車だった。
『では、私はなぜ待たされたのか?』と思ったが、少し異なる場所で中国人女性をピックアップする。
彼女が中国語で、「あなたは中国人ですか?」と話しかけてきたので、とりあえず中国語で「私は日本人です」と返したら、イキナリ流暢な日本語で話が始まる。
現在はウルムチ(新疆ウイグル自治区の中心都市)在住だが、東京芸大の教員として日本に住んでいた事もあると言う。
カッパドキアで会った台湾人一家の母親も簡単な日本語会話が成り立ったし、同じツアーのシンガポール人もアニメ好きで日本語を勉強していたし、
日本語の通用度は結構高い。
そんなこんなで26時15分くらいに、3日前に宿泊したホテルに到着したが、ふつ~にチェックインが出来た。 |