トルコ越年2015-2016

出発日(12月28日)
1日目(12月29日)
0.深夜の旅立ち
今回はプライベートでは久しぶりの海外一人旅で、初のトルコ襲撃である。
年内の業務を終えた後は、会社の納会をパスし、速攻で帰宅して、最寄り駅から成田空港に向かう。

途中、どこかの駅で人身事故が有り、成田エクスプレスが遅延している様な情報を目にする。
自分は成田エクスプレスを使わないが、少なからず、この影響を受ける人が生じる事を考えると気にはなる。
決めつけてはいけないが、人身事故の多くは自己の意思による飛びこみか不注意による電車への接触である。
ここで多くは語らないが、私としては、その事故の当事者よりは、事故の影響を受ける多くの方々への心配が先に立つ。
日本語のアナウンスが良く判らない外国人旅行者が、迫ってくる帰国便の時刻にヤキモキしていないだろうか?
今回のフライトを楽しみにしている旅行者が、この事故の影響で出国便に乗り遅れたりはしないだろうか??

ともあれ私自身は順調に移動し、早く着きすぎたので、トルコ航空のチェックインは未だ始まっていなかった。
そこで初めて成田空港のレストラン街を利用。 食事を済ましてからカウンターに戻ると、少し列ができていた。

自分が列に加わると、すぐにチェックインが開始される。
そこそこ長い列だったが、夏のドバイ行きの時とは異なってキチンと進み、30分弱でボーディングパスを手にすることが出来た。
出発ボードを見ると22時25分発の予定が22時に前倒し変更されていたので、すぐに出国手続きを済ませてボーディングゲートに向かう。
ターキッシュエアラインのゲートは、2012年にニュージーランドに飛んだ際のゲートの近くで、出国審査場から結構歩かされる。
やはり、力のないエアラインは遠くに配置されるのだろうか?

1.イスタンブール侵攻
到着に際し、午前2時前に機内灯が点いて朝食が配られ、3時には着陸態勢に入る。 アタチュルク空港には3時25分に到着。
私の都合としては定刻より一時間遅れても良かったくらいなのに、一時間の早着きとなってしまって、メトロが動き出すまでの時間を持て余す。
入国審査まではベンチもないのでそのまま進み、2万円を456トルコリラに変えてから、バゲッジクレームの周りに配置されているベンチで仮眠。
近くのトイレにも行ったが、小便器の位置が高い。 トルコ人って、そんなに足が長かったっけ??
メトロが動き始める午前6時を回ったのでメトロ乗り場に移動。 いったん外に出て地下に潜ると、案内表示も適切なので、すぐにわかる。

さっそくイスタンブールカードを購入しようと思ったが、時間が早いためか有人窓口が開いていない。
自販機が並んでいたが、多くはチャージ用で、新券発券機は左端の一台のようだ。
(他の機械も対応機だったが、ディスプレイに「販売は停止」のような表示があった。)
この新券発券機の調子が悪く、先ほど換金したばかりの10リラ紙幣や20リラ紙幣をことごとく拒絶される。
逆向きに入れたり裏返したりすると一枚の10リラ紙幣を飲み込んでくれたので、緑のボタンを押し、軽くぶん殴って念願のイスタンブールカードをゲットする。
このままでは4リラ分程度しか使えないので、たくさん並んでいるチャージ機で10リラをチャージ。
「14リラ分が使えます」というような意味の表示が出たので一安心。
一回ごとに専用コインを買うと一乗車あたり4リラだが、カードを使用すると一乗車あたり2.15リラで、かなりオトク。 これでメトロやトラムに6回乗れるハズ。

ホームに降りると、ほどなく電車がやってくる。車両はちょい小ぶりで、長さが短く座席も多くない。
連結部分のところは二両づつ通り抜けが出来ないようになっていて、ほどよく荷物が置ける高さの台になっていることから、その一角を占拠して出発を待つ。
走り始めてすぐに地上に出たが、まだ空が暗い。 通勤者っぽい人もいる。

トルコ人にとって、年末年始は大きなイベントではないと聞いたこともあるが、やはりラマダン明けの祝日の方が大切なのかな?
中国人にも春節が重要で、新暦正月は二の次だったが、感覚的には同じようなものか??

もう少しかかると思っていたが、ちょうど30分でアクサレイ駅。
アクサレイ駅は旧市街の観光資源が集中するスルタンアフメット地区に最寄りで、比較的トラムにも乗り換えやすい駅である。
この近くにもホテルは点在するのだが、少々治安が悪い様な事を歩き方には書いている。
ここから徒歩3分で予習していた通りにトラム乗り場があったが、適度に明るくなってきており、しかし写真を撮るには、まだ陽も上っていないので、
そのままアヤソフィアまで歩く。

2.イスタンブール
アヤソフィアは、なかなか存在感のある良い建物だ。
元々はキリスト教、ギリシャ正教の大本山だったらしいのだが、
今は博物館として有料で開放されている。
ここと、少し離れて鎮座しているブルーモスク
(今もイスラム寺院として機能しているスルタンアフメット・ジャーミィ)
との間は公園になっていて、この夜明け前の時間帯でも、チラホラと観光客がいる。
私と同じように、早朝到着便でイスタンブールに着いたばかりの人もいるのかな??
周辺をしばらく歩き回り、ボスポラス海峡から朝日が昇るのを待ってから、今夜のホテルに行って荷物を預かってもらう。
「今夜、こちらを予約しているのだけど、荷物を預かっておいてくれる?」と、頼むと、
「イエッサー!」といった感じでササっと対応してくれたので気持ちが良いが、引換券のようなものはないらしい。

アヤソフィアは9時に開くので、その前に徒歩でガラタ橋まで行ってみる。
イスタンブールの旧市街である歴史地区(スルタンアフメットエリア)とビジネス中心の新市街を連絡する、
この橋の名前は、昔から何となく知っているのだが、なぜだかは思い出せない。

ガラタ橋はトラム軌道と一般車道が真ん中を走り、両端は歩行者用になっているのだが、歩行者通路には釣り人がたくさんいる。
釣った魚をコップに入れ、値札を貼って売っている人もいるようだが、果たして売れるのかな??
9時半くらいに歴史地区に戻って、アヤソフィア襲撃。
ここでの軍事費は30リラ。

なかなか豪奢な感じで一見の価値はあるが、
中は伽藍洞で博物館と言うほど見て回る物が多くある訳ではない。

中央部が工事中で、いま一つ絵にもなり難い。
年末年始の観光客が多い時期くらいは、工事を中断できなかったのかな??
それから軽く昼食を摂り、歴史地区やトラムM1線の終点などを往復してから国立博物館。ここもメインの建物が工事中で、内部も立ち入りが制限されていた。
イスタンブールの歴史地区はこじんまりとしていて、道もわかりやすく、歩き回るのに便利だが、海から盛り上がった丘の上に街が広がっているので、
付近を歩くと坂が多い。 14時過ぎにホテルに戻ってチェックイン。 が、部屋に行ってみたら、まだ掃除中。

掃除おじさんが、「上にカフェがあるからコーヒーでも飲んできて」と、荷物だけ部屋に入れてくれる。
上階に行くと、朝食会場になっているカフェからの眺めが素晴らしい。
このホテルのネット予約サイトに使っていた写真は、ここから撮った様子だが、手前の建物の屋根を眼下に見下ろし、
ほど近いところにアヤソフィアやブルーモスクが聳え、その向こうにはボスポラス海峡が輝いている。

一休みした後、再び外をフラフラ。こんな休日も良いな。
そのうち暗くなってきて、アヤソフィアなどもライトアップされる。観光地はどこも同じようなことをするのだなぁと感心。

3.トルコ飯
ホテルから徒歩一分のところにキラキラとしたトルコ料理店。
ディナーには、まだ早い時間帯だったが、けっこう席は埋まり、真ん中付近の小さなテーブルしか開いておらず。(一人だから、別に良いが。。。)

近くには日本人っぽい女性が一人で書き物などをしていたが、旅行者風ではなく店員とも懇意の様子。駐在者なのかな??
料理は、カボチャのスープに、トルコの前菜4種、チキンプレートをつけたが、アジア料理の次には中東料理がおいしいかも。
最後にターキッシュコーヒーを頼んだら、銀色に輝く食器が出てきて、左端のカップにはエスプレッソのような濃厚コーヒーが、
真ん中の小さな器には砂糖菓子が、右端のコップには水が入っている。
店員に「どうやって飲むの?」と訊ねたら、「一口コーヒを飲んで菓子を齧り、最後に水を飲む」と教えてくれるので、その通りにしたらナカナカ良かった。
ここでは一人で65リラ(=3000円弱)。 さすがに観光地で、体感物価は東京と変わらない。
2日目(12月30日) 1.カイセリ空港
今日から元日までの三日間は、日本からイスタンブールに拠点を置くツアーエージェンシー殿に手配を依頼している。
トルコは十分に初心者向け観光国なのだが、これから向かうカッパドキアは移動が不便だし、
その後にパムッカレに直行するバスの手配に時間を費やすのも本意ではないので、楽をさせていただいた。

ツアーエージェントからは「4時半にホテルにピックアップに行く」と言われていたので4時25分にチェックアウトをするが、
チェックインの時にホテルマンに断っていたし、珍しい事でも無いらしく普通に手続きが終わる。少し遅刻して4時35分くらいに運転手が登場。

他に手配客はいないらしく、ひとりで車を占有する。
運転手が振り返ってウエルカムドリンク(カップの水)をくれたり、運転席の後ろにぶら下げている飴を指して「自由に食べてください」などと気を使ってくれる。
その割に空港の手前では「国内線か国際線か?」と聞いてきたりするので、「ありゃ、基本的なことは聞いてきていないのね?」と可笑しくなったりもする。

スルタンアフメット地区のホテルから、南側の海岸沿いの真っ暗な道路をすっ飛ばして35分で空港。
空港の建物に入るところで、いきなりX線検査が実施されていて、中国の鉄道駅かと思ってしまう。
ズラリと並んだターキッシュエアラインのテキトーなカウンターで、カイセリ空港行きTK2010便にチェックイン。
もう一度X線検査を通り、朝食代わりのビスケットなんぞを買ってゲートに戻ると、あまり待たされることなくボーディングが始まる。

隣の席にはすでに、太った親父がコチラ側に腹の肉をハミ出させながら座っていたのだが、、、
当方のシートベルトと自分のシートベルトを(金具が合わないためか)グルグル巻にして着用し、自分のベルトは尻に敷いていた。
以前にも同じようなことがあったので、この経験は二回目だが、たとえ初めて飛行機に乗ったのだとしても、やっていてオカシイと思わないものなのだろうか?
「あんたのはコッチで、それは私のベルトだヨ」と言ったら、悪びれもせずグルグル巻きを解いていたが。。。
(その後の乗機マナーは悪くなかったが、彼の腹の肉は、到着までコチラ側にハミ出したままだった。)

7時35分にカイセリ空港に到着。
日本で見ていた天気予報通りだったので驚きはしなかったが、滑走路脇には少なからず雪が積もっていた。
バゲッジクレームを素通りして外に出たら、私の名前を書いた紙を持ったオジさんが待っていた。
が、専属ではなく他にも何名かを待っている様子。

寒い中、しばらく二人で待っていたが、他の客が出てこないので、オジさんが遠くのミニバスを指さし、「あの黒い車に乗っておいて」というようなことを言う。
近づくと自動で扉が開いた。オジさんが操作したのだろうが、ドアキーの電波は遠くまで届くものなんだ。
ナカナカ出発してくれないなぁと思いながら、結局は1時間ほど待ち、おそらくは次の飛行機の乗客も乗せて8時40分にようやく出発。
道路は、けっこうな積雪。

だいたい一時間ほど乗っていたら、今夜の宿と聞いているカッパドキアパレスに着いたので下車。
車から降りたら日本語ガイドが声をかけてきたので、ホテルに荷物を置いてツアーバスに乗り換える。
このミニバスには英語ツアーの客と日本語ツアーの客が同乗しているらしく、日本人は合計5名。

2.カッパドキア
約一時間でキノコ岩。
英語やトルコ語では「妖精の煙突」なる意味の表現をするそうだが、ここカッパドキアの象徴的な存在である。
なんとも奇妙な風景。
台湾の野柳と似ていなくもないが、規模や生成過程は異なる。
人為的に内部が刳り抜かれていて、上の段に登れるようになっているキノコもある。
細い穴を垂直に上下するので、上りもさることながら下りに苦労している人が多い。

同じツアーグループの30歳くらいの方の下りをサポートしてあげたが、
岩場登山の経験がないと、どうしても岩にしがみついてしまって、
自分の足元が見えなくなるようだ。

3.屋外博物館
キノコ岩の近くで、管理者がいないためかフリーになっている有料トイレで、1リラの代わりに余っていた50円を上納し、用を済ませてから屋外博物館に移動。
ここはキノコと言うよりは、岩山がくり抜かれている感じで、修道院の跡らしい。
男性用と女性用に分かれていたが、非常に近接しており、御法度の色恋沙汰も多々あったらしい。
洋の東西を問わず、よく聞く話だが、欲望に忠実でよろしい。

エリア内には、やはり岩山をくり抜いた教会や修道院が点在しており、居住エリアは倉庫と台所と食堂がセットになり、
教会部分は、場所にもよるが壁画が色つきで残されていた。
追加料金が必要な窟もあって、中には監視人が見張っていたが、観光客の所業よりも、自分のスマホを眺めている時間の方が長いようだ。

屋外博物館の後に昼食ビュッフェ。
スープ・前菜からデザートまでコースを組んだら、少し食べすぎた。食べ物はツアー代金に含まれていて、飲み物のみ自分で支払う。

昼食後はツアーお約束の工芸品工場見学で、本日は陶芸工房。
歩き方にも写真が掲載されている、アインシュタインそっくりの工芸おじさんがいたので握手しておいたが、買い物はしない。
陶芸体験には英語グループに参加していた台湾人一家の長女が挑戦していたが、なかなか器用に立ち向かっていて感心。

その後、降雪が激しくなってきたことから、予定されていたギョレメパノラマの見物などはすっ飛ばし、雪で車輪を滑らせながらもバスは果敢に前進し、
他の参加客のホテルに次々と立ち寄りつつ、16時半頃、一番最後に我が懐かしきカッパドキアパレスに帰還。

チェックイン時にホテルスタッフに聞くと、明朝のバルーンツアーは中止らしい。
気球が飛べる気象条件になっても、発着場までの道が凍結しているだろうから客が集まれないかもしれないし、早々と中止を決定することで正解だろう。

部屋は洞窟風になっていて雰囲気は悪くない。しかし本物の洞窟ではないのだから、せめて隠し窓は欲しいところ。
昨夜もそうだったが、トルコのホテルは歯磨きセットが置いていない。仕方なくターキッシュ航空サービスでもらった歯ブラシを使いまわす。
3日目(12月31日) 1.カイマクルの地下都市
二日連続の午前二時起きで寝不足していたためか、昨夜は『夕食を摂らねば』と思いながら、そのまま落ちてしまったので空腹で目覚める。
7時15分頃にロビーに行って若い兄ちゃんに朝食時刻を聞くが、いまひとつ要領を得ない返事しか返ってこない。
ようやく明るくなった外に出てみたら一面の雪景色。
少し散策してからホテルに戻ると、(ロビーとは建物が独立している)部屋に戻る屋外通路の雪掻きがされていた。
8時きっかりにレストランに行くと朝食が準備されていたが、シンプルでヘルシー。9時半に本日のガイドが来たのでチェックアウト。

今日は日本人は私一人らしい。
イスタンブールからの飛行機が飛ばなかったので、来れなかった人がいるようなことを言っていた。
英語ツアー側の客も、昨日の台湾4人家族と、チャウシン村に泊まっているシンガポール人一人の5人だけで、10時20分にツアースタート。
まずは、カイマクルの地下都市に連行される。
地表は雪が積もっていて、かつ寒いので、そこそこ暖かい地下を探検するというのは、合理的かもしれない。

地底ツアーは地下5層まで下って戻ってくる30分程度の行程。
ガイドがいないと迷いそうな複雑さ(行きと出口方向を色分けした矢印があるので実際には迷わないだろうが)で、地下に延々と防空壕のような穴が
掘り進められ、部屋となる空洞がいくつもある。実際にここで生活していたことはないらしい。
歩いた範囲でも、そこそこ広がりがあったが、現在、公開されているのは全体の約3%とガイドさんが言っていた。

2.オルタヒサル&昼食ビュッフェと、お約束の工房訪問
カイマクルから車で40分くらいで、オルタヒサル。
中央の砦と云う異名に合致した雰囲気で、
カッパドキアの風景の中に雄々しく聳えている。

夏なら上まで登れるそうなのだが
冬場はクローズしていて立ち入り禁止。

下部にカフェらしき建物もあったが人がいない。
昼食に向かう車の中でツアーエージェンシーからガイドの携帯電話に連絡が入り、
「今日は昼のバルーンも飛ばなくなったので、その分の代金は返金します。」とのこと。 御丁寧にありがとうございます。
そこからほど近い、ウチヒサル(尖った砦)の近くのレストランで、鳩の家を眺めながらの昼食ビュッフェ。
(鳩の家とは、肥料として利用する鳩の糞を効率よく集めるために、人為的に作られた岩の穴)

両親と成人した娘二人の台湾人一家は、家族同志でも英語でも会話をしたり、
単独シンガポール人とも流暢な英語で会話をしていたが、聞くと妹はニューヨークで生まれたらしい。
昨日の陶芸工房で、立候補して陶芸体験をした姉はとても美人だし、妹もかわいい。なかなかのセレブ一家。
彼らは私が簡単な中国語を話すので、とても喜んでくれたが、母親も簡単な会話が成り立つ程度に日本語を話す。

昼食後は、今日はオニキス加工の工房。
私には日本語が話せる店員が、他の5人には英語が話せる店員が張り付く。
台湾人父に「何か買うつもりなの?」と中国語で話しかけると、「どれも高いねぇ」と笑う。

と、そこに台湾人母が奥の高級品エリアから戻ってきて、私に中国語で「向こうの部屋のネックレスは、4000米ドルもしたわよ」と密告する。
今は中国人観光客も増えてきて、トルコの旅行関係者も中国語を勉強している人が多いらしいから、中国語で内緒話ができるのは今だけかもしれない。
工房近くでギョレメパノラマを楽しんだ後はチャウシン村でちょっとした観光。
夏場は4km程度の徒歩散策がツアーに組み込まれており、この村が終点になるらしいが、降雪時はスリップ事故を警戒して実施されない様子。

その分、チャウシン村で時間が余ったので、台湾人父と私は2人で小高い丘に登る。
他の4人もついて来るかと思ったが下界で雑談をしていた。
岩の上で台湾人父と写真を撮り合ってから下に戻り、この村に宿を取っているシンガポール人と、我が日本語ガイドがここで離脱。

今日は私のパレスホテルに先に行き、(私の怪しい中国語に思いのほか感激してくれた)台湾人一家と握手で別れ、昨夜宿泊した、カッパドキアパレスホテルの
ロビーでパムッカレ行きバスの出発時間を待つことになる。

3.ピデ料理
深夜移動に備え「何か食ってくる」とホテルスタッフに声をかけ、トルコ料理のピデを食いに行く。
ピデはピザに名前も似ているが、感じも味も似ている。ただし丸くなく、細長い船のような形をしている。

すぐ近くに店の親父がいるのに、中学生ぐらいに見える男の子が注文を聞きに来た。彼だけ英語が話せるのかな?
ミックスピデは15リラで、一人では食いきれないほどのボリュームだったが、まずまず美味しかった。

4.大晦日のユルギャップ脱出
ホテルに戻り18時35分にホテルスタッフの案内でユルギャップのバスターミナルに移動。
そこでバウチャーからチケットに交換し、すでに待機していたバスに乗り込んで、チケットに書かれていた30番の席を探そうとすると、
バススタッフのオジサンに「これはシャトルバスだから自由席だよ」と言われる。

このバスはパムッカレまでの直行ではなく、ここから40分程度のネヴシェヒルで次のバスに乗り換えるらしい。
そのくせ切符には、「ネヴシェヒル-パムッカレ 2015年12月31日19:00」と書かれているので気分は落ち着かない。
ネヴシェヒルに19時には絶対に間に合わない位置関係であることは、私にもわかっている。。。

想像通り、バスはユルギャップのバスターミナルを19時に出発。
そこそこの積雪の中を、乾燥路を走るようなハンドリングでバスは走るが、スリップ感はなく、走行は安定している。大型バスは雪に強いようだ。
それでも通常よりは少し減速したのか、19時50分前くらいにネプシェヒルのバスターミナルに到着。
バスが停止したので席を立つと、バススタッフが「どこに行くんだ?」と聞く。
「パムッカレだよ」と答えると、出口を指さして「バスチェンジ」という。
と、言うことは、このバスもこのまま夜行バスに変身し、別の地方に走るのか?

バスを降りると5台くらいの大型バスが止まっていて、仕切り屋っぽい親父がテキパキと仕切っている。
親父に「パムッカレに行く」と言うと、一つ先のバスを指してくれたので覗くと、私の荷物程度なら座席の下に置けるような構造になっている。
そのまま30番の座席の下に荷物を押し込んで、トイレに行くためにバスから降り、ターミナルスタッフらしい兄ちゃんに、「トイレは建物の中か?」と聞くと、
「3分でバスは出発」と私の背中に声を掛ける。

建物中ほどにあるトイレに1リラを上納して用を済ませ、バスに戻ると、バススタッフが既に予約された席のチェックを済ませていたらしく私の顔を見るので、
「No.30」と言うと、ヨシと大きく頷く。それから5分後くらいで出発。
走り始めてほどなく、バススタッフが乗客一人一人に行き先を聞き、記帳して回っている。その割にバスチケットはチェックしない。

そのあと粉末コーヒーのサービスがあったが、なるべく寝ておこうと考えていたので断った。
粉末飲料と言うのは別に構わないのだが、せめてノンカフェ飲料にできないのだろうか?
一般乗客は私の30番が最後らしく、前の方にかたまっていて、私は気兼ねなくリクライニングができる。

それは良かったのだが、左斜め後ろにバス関係者らしい2人が何時までも話し続けていてウザったい。
さほど大きな声ではないのだが、窓側の方の親父は非常によく通る声質であり、かつ、通路側の親父の方向を見ながらしゃべることから、
私の方に顔の正面を向けることからモロなのだ。
一方、通路側の親父は相槌の声も聞こえないくらいに存在感がない。 だから延々と携帯電話で話し続けているような印象を受ける。
22時半くらいになっても話が止まないので、顔をあげて露骨に睨み付けてやったら向こうも気づいたが、声を抑える風ではない。
トルコ人が空気を読むとは期待していないが、夜行バスなのだからして少しは静かにしろよ。

バスは出発から一時間くらいのアクサレイでトイレ休憩を取り、再び積雪道路を走り続ける。 まもなく、ここトルコでも2015年が去って行く。
4日目( 1月 1日) 1.越年バス
20時にネヴシェヒルを出発し、パムッカレへとひた走るバスは、未明に車内灯を点けたと思ったら、
3時15分くらいに再びサービスエリアのようなところでトイレ休憩。

到着予定時刻は6時頃と聞いていたので、この機会に行っておこうと1リラを握りしめてバスを降りたら、地面が凍り付いていて、派手に転んでしまった。
トイレを済ませて戻ると、バスがいない。
ん?と思うと、少し離れて地面が乾いたところに移動している。
私を含め、何人かの乗客が転んだので乗降が安全な場所に動かしたのかな?

そこから50分くらいで再び車内灯が点灯したかと思うと、バススタッフが前方の乗客数名の肩をたたいている。最後に私の肩をたたき「パムッカレ」と告げた。
ほどなくバスが停車して乗降口が開く。スタッフや他の降車客に続いて外に出たが、そこは大通りの途中で周りには何もない。
と、バススタッフが「ここじゃない」というような仕草で、降りた5人に再乗車を促す。
わざわざ起こされ、バスを降ろされた我々としては???である。(いまだに、どうしてこんな手違いが発生したのかは理解できない)

バスは再び走り出し、そこから5分程度のところにあったバスターミナルっぽい建物の地下駐車場で下車。
ここは正しかったのか、他の乗客のスーツケースをバスの横っ腹から取り出し、ネヴシェヒルからのバスは走り去る。
バスのターミナルスタッフらしいお兄さんが我々に、「どこに行く?」と聞くので、各々に「パムッカレ」と答えると、自動扉の内側のベンチに誘導し、
「ここで待って」というようなことを言う。私のほかは、ユルギャップから一緒だった日本人女性二人組と、韓国人女性二人組。

ネヴシェヒルからの乗客は25人くらいいたはずなのだが、地元の人がパムッカレに移動することは少ないのか、明らかに観光客だけだった。
ほどなく、どこからかガハハ系のオジサンが現れ、「パムッカレか?」と聞くので、やはり各々にそうだと答えると、日本人女性一人のスーツケースを奪い取って
通路を転がしながら「こっちだ」とエスカレーターを登り、地上階の車寄せに停めていたミニバスに誘導する。
いきなりスーツケースを奪われた女性がトコトコと追いかけ、その後に他の4人が続いた。

このミニバスに乗ったときに韓国人女性(韓国語で話していた)たちの一人が中国語で、「ハオロン」(すっごく寒い)と言ったのだが、
韓国語でも寒いことを、このように表現することもあるのかな??
ミニバスで一般道を走ったかと思うとほどなく小さな路地に入り込み、ターミナルから10分ほどの旅行会社事務所らしいところで降ろされる。

私に続き日本人女性二人組と韓国人女性二人組が事務所に入ると、事務所に待機していた親父がまず私に、日本人名がアルファベットで書かれている紙を
示し「アナタか?」と聞く。彼に男一人と女一人の名前であるという認識があるのかは怪しい。
「どちらも違うよ」と答えると、ちょっと困惑している様子。
そこで私は自分の名前と、朝までの休憩用に準備されているホテル名を告げると、その親父はドコカにトルコ語で電話をしたのち、
私に向かって「オッケイ」とほほ笑んだ。

次に日本人女性たちに向かって「アナタたちは中国人か? 韓国人か?」と問いかけ、二人が「日本人」と答える。
(これから推測すると旅行客の到着情報があって、バスターミナルに迎えに来ているというわけではなさそうだ)

改めて「お嬢さんたちのホテルは?」などと訊ねるが、どうやら二人は自分たちの予定を把握しておらず、さらには英語が十分に話せる様子でもなく、
日本語で「わからない」と言っている。
事務所の親父は再び、机の上の書類を引っ掻き回し、なんだか要領を得たような感じで日本人女性たちに、
「ホテルに行きます。朝になったら日本語ガイドが来るから大丈夫。」と、日本語で話す。
(すごいじゃん、親父!!)

次にテーブルに韓国人女性二人組を招くので、それを待つのかなぁと見ていたら外に出るように促され、私と日本人女性たちの三名だけが、
先ほどのミニバンに乗せられて出発。

2.KORAY OTEL
パムッカレは小さな街なので、間もなく私のホテルに着いて、私だけが下車。(彼女たちは別のホテルに行くようだ)
と、真っ暗な中、いつの間にか、別の親父が近くに来ていて私に着いてくるように促し、ミニバスは走り去ってしまう。

そのホテル親父はホテルの扉を開けようとするのだが鍵が閉まっている。
(とすると、この親父はホテルから出てきたわけではないんだ。。。)
鍵を開けてロビーに入ると、カウンターの上に人の名前を書いた紙が何枚か散らばっており、その中からホテル親父は一発で私の名前を探し当てて、
「これはオマエか?」と聞いてくる。
「そうだよ」と答えると、ホテル親父はルームキーを手に「こっちだ」と案内してくれる。
パスポートすら確認しない。

部屋はショボく、ベッドはメイキングされているものの壁にはボコボコと穴が開いていて、中の配線が覗いている。
案内親父はトイレ・シャワールームの電灯を点け、蛇口をひねって水を出しながら、「こっちに回すと水。反対に回すと湯。」と言い残して去っていく。
とりあえずベットで仮眠し、外が明るくなるのを待って湯を出そうと試みたが、結局のところ、いつまで待っても水は温かくならなかった。

ここでは英語ツアーが手配されていることになっているのだが、ガイドのピックアップは9:45予定なので、8時過ぎくらいにフロントに行く。
と、従業員控室の中から「こっちだこっちだ」と手招きがあり、入っていくとホテル関係者数名が雑談していて、「ここに座れ」と椅子をすすめられた。

こんな風にフレンドリーなのは、実はあまり得意じゃない。
「朝食を食べたいのだけどドコで食べられるの?」と聞くと、即座に「ない!」と言われ、続けて笑いながら「ある!」と言われる。 やっぱ苦手だなぁ。。。
と、一人が別の従業員に5リラ札を渡してトルコ語で何かを言い、その従業員は何かを言い捨てて出ていく。
「オマエはここに座っていればよい」と言うので、外のレストラン(と、言っても、テーブルが2台並んでいるだけの簡素な場所)を眺めながら、
要領の得ない気持ちで待つ。
「どこから来た?」「気球には乗るか?」といったことをいろいろと聞いてくるが、横のおばさんは英語がわかる様子でもない。
しばらくして、そのおばさんも姿を消し、私は所在なく、トルコ語のテレビに視線を落とす。
と、5リラ札を持って出かけた従業員が、近くの別のホテルから買ってきたのか、簡単な朝食プレートを事務机に置き、タイミングを合わせて、
英語が話せない風おばさんがコーヒーを持ってくる。
私は、なかなか居心地も良くないので、手早く朝食を済ませ、部屋に戻ろうとすると、ホテル親父が「ここに座っていたら良い」。
「いや、準備があるから、一度、部屋に戻る。」と返すと「ガイドは9時半に来る。」と、なんとなく逃げる様な感じで部屋に戻った。
『正確ではないけど、把握してるじゃん』

3.ヒエラポリスとパムッカレ
9時35分くらいに荷物をまとめてロビーに向かうと、ちょうどホテル親父が「ガイドが来たぞ」と客室棟に向かってきていた。
ガイドは早口のおしゃべりタイプで、私としてはやはり苦手な方向性だったが、嫌な感じの人でもない。
『安全だ』と促されてホテルロビーに荷物を置き、身の回り品だけを持ってミニバンに移動。
といっても、ここから観光場所は遠くはない。

今日の同行客は、イギリス人カップルのほかは全員が一人旅で、中国人男性、アメリカ人女性、ドイツ人女性。
ホテルから坂を上って10分くらいでヒエラポリスの南入口。
そこでガイドが一人一人に入場券を手渡してくれて、各自、自分でゲートにバーコードをかざして入場。
まずはパムッカレに向かわず、最初にヒエロポリス遺跡群の「劇場」に向かう。 ここの遺跡の中でも一番の見どころ。
ここで一通り、早口で語数の多い英語での説明があった後、20分間の撮影タイム。
ここに限った話ではないが、どの国からの観光客もみな、日本製のデジカメを持っている。 すごいぞキャノン&ニコン。
劇場の後は、アポロ神殿跡やパムッカレ温泉を一回り。
(温泉自体は小規模だが、本物のローマ遺跡が水没しているのがユニーク)

そこから3分の、パムッカレ石灰棚上部でいったんの解散。
温泉の入り口に二時間後に集合となっている。
パムッカレは有名な奇観だが、雪のように見える石灰が棚状になっていて面白い。
しかし冬場は水が少ないらしく、イメージしていたほどの景観ではなかったし、写真から想像していたよりは、こじんまりしていた。
なんとなく東尋坊を思い出しながら、靴を脱いでパムッカレの中に踏みこむ。

裸足で歩くと、岩は堅いうえに風紋のような形の細かい突起があって足裏が痛い。
しかも冷え冷えで、ところどころ凍っている。なかなか拷問のような散歩道だ。
踏み入れて良い場所とダメな場所の境目として、先ほどの温泉と源泉を共通する湯が流れているので、凍った岩に腰を下ろし、足を流水に浸して暖を取る。

流れている湯に石灰質が豊富に含まれていて、長い年月を経て、この真っ白な段々が形成されているそうだ。
ガイドブックの写真のパムッカレは、もっと満々と水をたくわえていて、プールの様に浸っている人もいるので、イメージ通りの風景を見るには、
季節を選ぶ必要が有るのかもしれない。

4.ヒエラポリス博物館
ここの風景を十分に堪能しても、まだまだ集合までには時間がある。
とりあえず、すぐ近くのヒエロポリス博物館に5リラを上納して入ってみるが、客は誰もいない。
たしかに規模は小さいが、5リラだし、覗くだけの価値は有ったよ。

5.ヒエラポリス再び
ヒエラポリス遺跡群を北門付近まで往復し、戻ってくると適度な時間になっていて5分前に集合場所。
気が合ったらしいドイツ女性とアメリカ女性が2人して時間ギリギリだったが、遅刻者なく集合。

ゆっくりとした徒歩で、入ってきた南門に戻ってバンに乗車し、ビュッフェで昼食。
ここの支払いもツアー代金に含まれていて、飲み物だけを各自が支払うという、カッパドキアと同じシステム。

中国人男性に「料理は悪くはないけど、どれも冷たいね」「一般的な中国人は、温かい料理を好むのにね」と話しかけると、
「まあね。仕方ないよ。」と苦笑い。
昼食後は、やはりこのツアーにも含まれていたかの工房訪問。 カッパドキアの2日目と同じオニキス工房だ。
入ってすぐに見せられるデモンストレーションも全く同じだったが、こっちのほうが明らかに手抜き。
あまり売れることもないのか形式的にやっている感じがありあり。次に販売品のエリアに連れ込まれるが、値札を見ると、さほど高くはない。
『良心的なのかな?』と、思っていたら、横に来た中国人が「単位はユーロだよ」と教えてくれる。
工房出口付近の休憩室でガイドが待機。
このガイドも買い物を促す風でもなく、全員が何も買わないで出口付近に来たのを気にする風でもなく、「行こう、行こう」とツアー客を車に促す。

そこはパムッカレを下部から望める場所の近くだったので、写真くらい撮らせてほしかったが、そんな時間もなく、とっとと車に押し込まれて、
各自のホテルに向けて出発。
パムッカレの上から俯瞰して、街の距離感はつかんでいたのだが、荷物を残しているホテルからこの付近までは遠くないことがわかっていたので、
あとでもう一度来ることにする。15時少し前にホテルで解散。

中国人男性は旅行会社の事務所に行くと言い、アメリカ女性はここで少し休むと言っていたが、私は荷物をロビーに残したまま、再び出かける。
徒歩でパムッカレ下部まで5分少々。
予想以上に真っすぐに着く。

下から見上げるパムッカレは、段々構造が良くは判らないため、上から見るほどにはユニークではない。
とは言え、下から見上げると、(晴れていればだが)空の青さとの対比が鮮明だし、上部では経験できない、石灰斜面登りもできるので、
中央部に小島のある、洞爺湖もどきの様な池にも、機会が有れば行って見られる事をお奨めできる。
デニズリ空港に向かう車は16時に出ると言われていたので、15時40分くらいにホテルに帰還。

ミニバス(というかバン)は16時5分にホテルを出発し、デニズリの街中で一家族をピックアップしてデニズリ空港に向かう。
およそ1時間20分で空港。
イスタンブール行きは、まだチェックインが始まっていない。
待合室の片隅のカフェで、ハンバーガーなどに食らいつきながらチェックインが始まるのを待った。

19時ちょうどにチェックインは開始されたが、出発時刻は19時50分から、いきなり22時にディレイ。 飛行機も来ていない。

6.イスタンブールの空は大混乱
22時に出発したとして、ホテル帰還は24時くらいか?
などと考えている内に、予想出発時刻はズルズルと遅くなって行き、本日中のイスタンブール空港生還が危うくなってくる。
メトロが無くなる時間だ。
が、今日までの三日間はツアーの中に組み込まれているので、空港からホテルまでの足も確保されている。
チェックインする際にも「なるべく前の方の席にして♪」と頼んでおいたら、すごく前方の席になったし、飛行機さえ飛べば何とでもなるので
個人的には気楽なものだ。
取りあえず、ツアーエージェンシーに「アタチュルク空港到着が24時を過ぎそうです。」と電話を入れたが、今回の遅延はイスタンブールを中心とする
降雪に拠るものらしく、空の便は全面的にガタガタになっている事を知らされた。
(カッパドキアに飛んだ2日前は、イスタンブールが晴れで中部アナトリアが降雪だったから誤解していた。)

結局、離陸は23時45分になった。
「前の方にして」と依頼してチェックインした成果か、座席はビジネス席。隣の席は、パムッカレ観光で一緒になった中国人男性。
彼は、「この後すぐの、深夜1時30分発の国際線で深セン(中国南部で香港の近く)に帰る」と言い、乗り継ぎが間に合うかヤキモキしていた。
スムースに乗り継げるように、席も航空会社と交渉して、後方からビジネス席に変更してもらったと言っていた。

彼は日本語は話せなかったが英語力が高く、私の怪しい中国語も良く理解したので、飛行中に色々な話をする。
少し前にイタリアのベネチアで、会社の会議をしたと言っていたから、かなりの規模の会社で、そこそこのポジションにいるのだろう。

離陸時点では、アタチュルク空港には24時40分到着予定だったが、空港混雑のためか3ターンくらい大きく旋回し、揚句にターミナルから遠いところに
降機してバス移動したので、ターミナルビルに到着したのは25時半くらいになっていた。 ちょうど中国人の出発する時刻だ。
彼は私の助言に沿って、預けた荷物は見捨てて、すぐに国際線のチェックインカウンターに走ったが、はたして無事に乗り継げたのだろうか??
私はと言えば、順調にピックアッパーと合流し、他の送迎車を少し待たされたものの、何の苦労も無くホテルに帰還。

私を迎えに来ていたトルコ人の友人が、デニズリ空港で少し話した日本語が上手な韓国人を迎えに来ていた。
彼もスルタンアフメット地区のホテルなので、「同じ車かなぁ」と話していたのだが、一緒に駐車場まで行ったものの別の自動車だった。
『では、私はなぜ待たされたのか?』と思ったが、少し異なる場所で中国人女性をピックアップする。

彼女が中国語で、「あなたは中国人ですか?」と話しかけてきたので、とりあえず中国語で「私は日本人です」と返したら、イキナリ流暢な日本語で話が始まる。
現在はウルムチ(新疆ウイグル自治区の中心都市)在住だが、東京芸大の教員として日本に住んでいた事もあると言う。
カッパドキアで会った台湾人一家の母親も簡単な日本語会話が成り立ったし、同じツアーのシンガポール人もアニメ好きで日本語を勉強していたし、
日本語の通用度は結構高い。

そんなこんなで26時15分くらいに、3日前に宿泊したホテルに到着したが、ふつ~にチェックインが出来た。
5日目( 1月 2日) 1.イスタンブールの朝
昨夜の就寝は27時頃だったが、朝は日本での生活と同様、5時55分に自然に目覚めてシャワー。
時差が有るのに、ナチュラルな起床時間は日本での習慣通り。私の体内時計のメカニズムは、どうなっているのだろう??
午前8時に最上階レストランに朝食を摂りにいくが、外側のテラスからの眺めが素晴らしい。
ボスポラス海峡の上空が朝焼けに染まるのを眺めながらトルコな朝食を堪能する。 昨夜、多くの人を混乱に陥れた雪も、この絶景に花を添えている感じだ。
パン状のものは、ギリシャのクルーリにも似ている。やはり隣国は共通・類似が多い。

2.トプカプ宮殿
イスタンブールでも人気のスポットと言えばトプカプ宮殿の名が一番に上がるかもしれない。
そこで、軽くアヤソフィアに挨拶した後、開門の9時半かっきりに襲撃。
何だかいかめしい城壁と城門が迎えてくれる。

内部の装飾や展示物は素晴らしいが、ボスポラス大橋やイェニー・ジャーミィー方面の眺めの素晴らしさも特筆すべきものが有る。
やはり、時の権力者は、すべての物事において貪欲である。
それが、後に広く万民に共有される財産にもなっていくのだから、富と権力の集中は、あながち否定ばかりしなくても良いのかもしれない。

3.スルタンアフメット地区
トプカプ宮殿を出たら、ほど良い時間になっていたので、ホテルの近くの、観光客向け割高レストラン街で昼食。
まもなく日本中で食される、恵方巻きの様なケバブを餌食とする。

が、ガブリとやろうとしたら唇に激痛が。
連日の低温と乾燥で、唇がひび割れてしまったのだ。
テーブルティッシュで唇を拭いながら、取りあえず完食するが、テーブルには血まみれのティッシュが残る。
子供の頃は冬になるたびに唇を荒らしていたが、ここ数年、十数年、こんな事は無かったのだが。。。

昼食後は、すぐ近くにある地下宮殿に行こうとしたのだが、入口に行列が出来ていたので断念。
夕方にもう一度、立ち寄ることにしよう。

4.ブルーモスク
地下宮殿をパスしてブルーモスクに直行。
正しい名前は「スルタンアフメット・ジャーミィ」。

ここは現在もイスラム寺院として使われていて、
礼拝の時間は異教徒は退場する事が望ましい。

私は、アヤソフィアよりもブルーモスクの方が、
形としては好きだ。

5.ガラタ塔
ブルーモスクの凍結路で盛大に転倒した後、イスタンブールカードに5リラを追加チャージし、トラムに乗ってガラタ塔を目指す。
ガラタ橋を超えてすぐの停留所から坂道を上るとすぐに着いたが、雪が酷くなって来た上に大行列ができていたので、外観だけ見て良しとする。
イスタンブールに雪が、こんなに降るとはイメージと違う。
滑っている車もあるが、トラムも含め、昨夜の空路を覗いて交通網は大きくは混乱していないので、これくらいの雪は珍しくないのだろう。
東京や大阪だったら、これくらい雪が降ったら坂道を登れなくなった車が渋滞を招いたり、電車が遅れて駅の付近に人だかりができている。

ガラタ塔からトラム駅に戻り、歴史地区の方向を眺めると、相変わらず釣り人が釣り糸を垂れている。
この寒い中、御苦労様な事だ。
たぶん、世の中で一番忍耐強いのは、冬の釣り人だろう。。。
歴史地区に戻って、もう一度地下宮殿の入り口を確認してみたが、雪が降り続いているのに、ますます観光客の列が延びている。
冬の釣り人並みに、冬の観光客も忍耐強いかも知れない。
と、軟弱な観光客は、スゴスゴと撤退。
ここはホテルから近いから、明朝の開門直後に望みを託そう。

いったんホテルに戻って、一眼レフを置いて出直す。
イメージだが、これから潜入するグランバザールは、一眼レフなど担いでいくと、ロクなことが無い様な気がする。

6.グランバザール
日本では、パルコなどがよく、季節のバーゲンセールを「グランバザール」と称して盛り上げているが、ここイスタンブールのグランバザールが本家である。
ちなみにグランバザールという発音はフランス語で、英語だとグランドバザールになる。
トルコ語では、ここは「カパルチャルシュ」と発音し、「屋根のある市場」という意味なのだが、実際にここは、屋根のある市場以外の何物でもない。
内部は、市場の人間と買い物客と観光客が入り乱れ、ごった返している。
イスタンブールを歩いていると、一方的に日本語で話しかけてくるトルコ人がいっぱいいるが、
その一人が、「グランバザールは偽物が多いから買わない方がいい」と言っていた。
海外で不要なものを買い込むことをよしとしていない私なので、
もともと何かを買うつもりもないのだが。
歩いていると、一人の女性が私の足元を指差して、
日本語で「落ちた!」と叫ぶ。

このやり口は聞いた事が有ったので私は、
視線を前方から僅かながらも変化をさせず、
「落ちない!」と言い返して通り過ぎてやった。
我が懐かしき友人(女性)は、ん年前のイスタンブールでトルコ人男性に(日本語で)「何か落ちました!」と言われ、
振り返ったら、「僕のハートが落ちました」と言われたとか、、、
やはり10年くらい前に妹もイスタンブールで同じ様な事を言われ、
なんと反応したら良いかわからなかったので、無視して通り過ぎたとか、、、この街も変わらないなぁ。。。
二回りくらいパトロールして、やはり何も買わずに外に出たら、まだ雪が降り続いていた。
6日目( 1月 3日)
帰国日( 1月 4日)
1.最後の朝
イスタンブールの朝は、今日もやっぱり凍りついていた。
と言ってもせいぜい氷点下7度くらいらしいし、ほとんど風も吹かないから、震えるほどではなかった。
アヤソフィアとブルーモスクの間に有る池は、スケートが出来そうなほどに厚く氷っていたが、悪乗りして乗り込む観光客はいなかった。

この付近が9日後にテロの標的になろうとは、想像が出来ない、ノンビリとした時間が流れていた。
理由のいかんを問わずテロというものは、ただの蛮行だ。
どうして人類は、いつまでもバカなままなのだろう?
後日報はエージェンシー殿のブログにも記されているが、テロは哀しみ以外の何物も生み出すことはない。

2.地下宮殿
今日はようやく、地下宮殿に乗り込めた。
宮殿と言っても地下貯水池の名残らしいが、
内部にはメドゥーサの首なども転がっている。
やはりトルコとギリシャは同じ文化圏だ。

3.イスタンブール脱出
本日は14時半の帰国便に乗る予定なので、12時半に空港に着けば良かったのだが、元日の混乱が長引いていたら空港は大混雑になっているかもと思い、
10時半にはホテルをチェックアウトしてトラムに乗り込んだ。
帰りはアクサレイからではなく、ゼイティンブルヌでトラムからメトロに乗り換える。
到着した時に、メトロ(この付近は地上を走っていた)から外を眺め、アクサレイよりもゼイティンブルヌの方が楽に乗り継げそうに見えたのだ。
そこから15分でアタチュルク空港地下のハワリマヌ駅に到着。

結局のところスルタンアフメット地区からかかる時間は、アクサレイ乗り換えと同じくらいかな?
空港は、エリア内に入るところに有るX線チェックで大行列。

内部も予想通り、人がごった返していた。
チェックインカウンターではなく航空券購入カウンターにも多くの人が並んでいたから、やはり新たに航空券を買い直す人が多かったのだろう。

チェックインも30分ほど並ばされる。
ボーディングパスを見ると、なんと離陸一時間前にボーディングゲートに来いと書いているし思いのほか慌ただしい。
土産物屋を覗いてみたら価格はユーロ表示。 リラも使えるがユーロが幅を利かせている。

ボーディングは本当に早く始まったが、比較的小さなバスが何往復もするので効率が悪い。
出発は少し遅れた程度で、15時ちょうどに雪のイスタンブールを見下ろしながら離陸。
だいたいトルコの海岸線に沿って黒海上空を東に進み、ジョージアあたりでトルコを離脱。

帰還
飛行機は定刻より早く成田空港に着陸し、20分後の京成特急に飛び乗ってミッション終了。

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