インド ヒマーチャル・プラデーシュ州2012

JALマイルの恩恵で、三年連続タダで8月のデリーに飛ぶことになった。
一昨年はプレミアムエコノミーで、ジャンムー・カシュミール州と、ウッタル・プラデーシュ州のアグラー(タージ・マハールがある)を襲撃。
昨年はクラスアップされたビジネスで、ネパールとラジャスターン州のジャイプールを撃破。しかしJALのマイルは年を追う毎に敷居値が高くなりf^_^;、今年は妥協してエコノミー席をゲット。

今回は2年振りの一人旅だし、どこに行こうかと思案していたら、ヨーロッパ・台湾・去年のインド&ネパール・今春のニュージーランドを共に転戦した相棒が、
秋に単独で、フランスを代表する狭軌鉄道のコルシカ鉄道をやると言うので、それに対抗し?、カルカ/シムラーの狭軌山岳鉄道を狙うことにした。(笑)

インドで有名な山岳鉄道は、言わずと知れたダージリン・ヒマラヤ鉄道だが、シムラーも「インドの山岳鉄道群」なる世界遺産の仲間に入っているのだ。
(それにダージリンはデリーから遠いし・・・)
シムラーからなら、元々視野に入れていたマクロードガンジも直撃できる。という計算のもと、とある旅行会社の二つのツアープランを強引に合体して、
シムラー/マクロードガンジ間を車で結ぶという、美味しいとこ取り計画を持ち掛けたら、フツーに受け入れてくれた。

シムラー/ダラムシャラー(マクロードガンジの麓)の間は直行バスも走っているが、バスだと12時間くらいの行程が予想されるので、札束を武器に、タクシーも手配いただいた(^o^)
もっとも、札束と言えるのは、ジンバブエ紙幣を使った場合の話だが。

この旅行会社は日系なので、日本円での支払いを受け入れてくれ、両替によるレート目減りの回避と、換金した際の不良紙幣チェックの手間も省くことも両立。
インドの高額紙幣は、破れていたり汚れていたりするとババヌキ状態になるので、最初の換金時は要注意なのだ。
かくして今年のヒマーチャル・プラデーシュ州周遊は、ほとんど手間をかけずして手配が完結した。
インドなら出たとこ勝負も可能だし楽しいが、短期間なら、こんな旅でも良い。 すべてを自力で手配した場合との必要経費の差も、まぁ、、、あれだ。
1日目(8月09日) 1.成田空港
本日は、出勤の会社も少なくないと思い、少し余裕を持って空港へ。
順調に移動が出来た為に、出発の2時間半以上前に空港に到着してしまった。
チェックイン案内は表示されていなかったが、職員に聞いてみると、本日出発分はすべて可能ということなので早々にチェックイン。

2.デリー再び
搭乗客が素早く行動したためか、我らがJAL749便は成田空港を10分早く、12時15分に出発。
ところどころで揺れたが、それでも40分早く、16時50分にインディラガンディー国際空港に到着。
イミグレも空いており、税関チェックはあってなきがごとく(それでも中国よりは少し熱心だが)、税関前の両替も待たずに済ますことが出来た。
今回は、10,000円が6、300INRに。なんだか、来るごとに円が強くなっている。

3.空港からホテルアルカへ
『すべて順調!』と、思いながらメトロ空港線の方向に歩いて行くと、途中からメトロの表示が塗りつぶされている。
昨年の3月に開業したばかりなのに?? と、思いながら、銃を持った怖そうなオジサンに聞いてみると、メンテナンス休業だと言う。
開業から、たったの1年5ヶ月程度で何か有ったか?
仕方がないので、二年前に不愉快な思いをしたプリペイドタクシーへ。
ネットのどこかで、建物から離れたプリペイドタクシーが良質という記述があったのを思い出し、確かに寡黙な運転手で気分良く都心部に入場。

運転手はホテルアルカを知らなかったが、コンノートと言えば大体の場所まで行き、私も3年連続の訪デリーなので、なんなく到着。
18時頃には、アルカの303号室に投宿。

まだ明るいので、荷物を置いて散歩。 コンノートの工事は少しマシになっていて、中心部の公園に初めて入る。
入り口でセキュリティーチェックは有ったが、公園は家族やカップルが集っており、平穏な雰囲気。
数年前はこの公園でも爆弾テロがあったから気は抜けない。

ホテル間近で自称ネパール人にネパリと間違えたフリをして声をかけられる。
なんだか一昨年も同じ事が有ったような気がする。
その時はネパールの帽子を被っていたから、本当に間違われたのかもしれないが、
今回はカンボジア帽子だし、私の顔はラテン風日本人顔でネパリっぽくはないし、意図的にキッカケをつかもうとしているように思える。

4.ホテルアルカの晩餐
19時40分にはホテルに戻って、レストランでタンドリープラッタ+コーヒーを堪能。 夜なので副食のみ。
全部で500ルピー。 街のレストランに比べると高いが、それでも700円でこれが食えるのはお得感が大きい。
明日は朝が早いし、日本時間だと日にちが変わっているので、22時には就寝。
2日目(8月10日) 1.デリー脱出
4時55分にロビーに下りたら、今回の鉄道チケットなどを手配して戴いた現地エージェンシーのIさん(日本人)が待機してくれていた。
タクシーでの移動も出来なくはないが、手配依頼分の代金を払うために、ホテルから駅までの送迎を依頼していたのだ。
運転手付きの車でアルカを5時5分に出発し、ローカルっぽいSarai Rohilla駅に5時20分に到着。(まだ暗い)
駅の前の道は細く、大渋滞しているので途中から歩く。

構内に入り、Iさんが駅員に聞いてくれたら、予定の列車は4番線発。
カルカーは自分で乗り換えだが、シムラー駅に着くと、ホテルまでムニシュさんというドライバーが送ってくれる予定だとIさんが教えてくれる。

陸橋を渡っていると、ちょうどそれらしき列車が入線してきた。席はC1の38で、ちょうど階段を下りた場所の車両。
席につき、朝食を買うチャンスを逃したなぁと思っていると、Iさんがクッキー3個を45ルピーで買ってきてくれる。
5時45分定刻に発車(後ろ向き:ヨーロッパ同様、向きにはこだわらないらしい)。

頻繁に駅に停車し、割と揺れるが動きはスムース。7時15分くらいに到着した駅に長く停車し、それ以降はチャイや朝食などの売り子が多数。
買うことに困難はなさそうだが、衛生上の不安が拭えない。
(インド人が調理物なども子供に与えているから大丈夫なのだろうが…)

インドでは少し移動すると携帯通信圏外。そのつどにネットワークサーチをして通信会社が変わるが、こんな使い方で良いのだろうか?

2.カルカー駅
10時過ぎから雨が降り出してくる。
11時10分定刻にカルカー到着(割と大きな駅&街)。
駅の構造は少し歩けばわかる。駅前から少し歩けばメシ屋くらい有りそうだったが、雨が降っているので探訪せず。
構内のトイレは5ルピー。
入り口で請求されたので大小の差はないのだろう。
駅構内に売店はあるが、レストランは見当たらない。
瓶ラッシー17ルピー。
弁当も80ルピーでゲットしたが、
ダルスープが簡単にこぼれるので厄介。
とてもじゃないが、車内で食えるモノではない。

3.世界遺産「インドの山岳鉄道群」 カルカー/シムラー鉄道のトイトレイン
トイトレインの席はC1の30だったが、二度席を譲ってアメリカ人家族と相席。12時10分ちょうどに出発し、すぐに検札を受ける。

途中、何箇所かに5分程度停まるので、駅に売っているチャイやスナックや軽食を仕入れるチャンスはあるが、この列車の車内には乗り込んで来ない。
眺めは概ね、右側座席の方が良いようだ。
速度は意外と速く、時速3~40キロは出ているが、線路が曲がりくねっているので、地図上の距離は稼げていない。

4.シムラー到着
17時20分シムラーに時間通りに到着。
ホームに迎え。 (ムニシュさんだと思ったが後に違っていたことが判明)
迎えと外に出ると別のドライバー。車のナンバーも案内と異なる。迎えいわく、明後日は別のドライバーが来るとのこと。

5.ホテル イーストボーン
駅から20分でHotel East Bourneの304号室に投宿。花が多く、きれいなホテルだ。 インドっぽくない。。。
明後日8時にドライバーとロビーで待ち合わせる約束。
19時過ぎにシャワー。 ちゃんと熱いお湯が出る。
20時からビュッフェディナー。
21時前にウトウトしていたら、入れたコーヒーも飲まずに寝てしまう。
3日目(8月11日) 1.シムラーの朝
5時前に起床し、6時半くらいから1時間ほど朝散歩。 付近には野生の猿が多い。 7時半に戻って8時過ぎから朝食ビュッフェ。

2.タウンセンター探訪
9時半に再出発。

朝散歩で歩いたコースから上の方に上がり、モールと呼ばれる繁華街を目差す。避暑地だけあって、過度に暑くは無く歩くのも楽だ。
ホテルは中心部から3kmほど離れているので、30分ほどを要したが苦にもならない。
坂の傾斜はきついが、地元の人の歩行速度が意外と速い。だいたい、暑い地方の人の歩行速度はノロイと相場が決まっているのだが。

3.モール
ネットで読んだリフトを過ぎ、趣のある商店通りを抜けて、最上部に出ると、眺めも雰囲気も良い快適な広場。
非暴力不服従のマハートマ・ガンディーさんと、血縁関係は無いインディラ・ガンディーさんの像。

一旦下ってバスターミナル&駅を観察。 ちょうど列車が到着したので絵になる。もう一度、最上部まで上がり、少し奥まで行くと公衆トイレ。
土産物屋と生活雑貨屋が入り混じっているが、心惹かれる発見はない。
広場で(予備?)兵士のセレモニー??
女性兵士も多い。
4日後に迫っている独立記念日式典の練習かもしれない。
下って寄り道して13時20分にホテル帰還。

4.ホテルのランチ
部屋に荷物だけ置いて、昼飯に行こうと建物から出たら豪雨。
あと10分、ホテル帰還が遅かったら、ずぶ濡れになっているところだった。ベトナムでもそうだったが、時々ある幸運。

ホテルのレストランでクラブサンドとリンゴジュース。
追加でティーセット。
紅茶はティーバックだったが、サンドイッチ共々、ナカナカに美味しい。

小一時間経っても、雨は降り続いている。
仕方が無いので、14時30分~17時00分は部屋で爆睡。
17時30分から写真散歩。
雨は上がったが、期待していた風景は撮れず。
マンゴージュース28ルピー。

5.ホテルのディナー
19時半にシャワーを浴び、20時半からビュッフェディナー。
今日は一日で15キロくらい歩いたが、あまり空腹感はない。
週末のせいか子供が非常に多く、レストランの内外を走り回っている。中流層以上のインド人は旅行が好きらしい。

林檎ジュースを二杯飲んだのに、請求書には一杯しか入っていないので指摘したら、一杯目はビュッフェフィーに含まれていると説明が有った。
多分、こういった指摘をするのは日本人が多く、それに対する彼等の反応は幾分かの嘲笑を含んでいるにせよ、長い目で見れば良い評判に繋がるだろう。
そしてこういった大なり小なりの出来事が一千万回もあれば、インドも日本人のビザ免除を検討したりは、してくれないものだろうか?

食後にホテルの売店でミネラルウォーター購入。
1リットル60ルピーは高過ぎだろ。 領収書を書き、レセプションで釣りをもらってくるので時間もかかっているし。

部屋でマッタリしていたら22時20分に、明日のドライバーのムニシュ氏が訪ねてくる。
「明日の時間の事で話」というので何かと思ったら「ダラムサラは6時間で着くので8時出発は早い。10時にしよう。」という。
「では9時にしよう。」と妥協案を出しても、「今夜は十分に寝たい。」と頑張るので了承。
諦めていた明日の無料朝食も摂れることになるから、まぁ良いのだが。
4日目(8月12日) 1.シムラー出発
6時過ぎには目覚め、8時10分くらいに朝食ビュッフェ。
昨日とは少しだけ内容が変わっている。
9時25分にレセプションから電話があったが、用件はハッキリ聞き取れない。
とりあえず「下りるよ」と電話を切り、チェックアウトして外に出たらムニシュさんが車で待機。

2.シムラーからNH88を北上し、ダラムシャラーを経てマクロードガンジへ
Hotel East Bourneシムラを9時35分に出発し、NH88を北上。

スコールにも遭うが激しくなく、普通に「降ったり止んだり」といった空模様。13時30分頃にHAMIRPURの街を通過。
14時20分に道沿いの食堂で昼食。2ライス+3料理+ファンタ=155ルピー。当然のようにムニシュさんの分も支払ったが、随分と感謝された。
途中で猿。
「モンキーは日本語でサル」と教えると、「ヒンディー語でサルは兎の意味」と返してくれる。
日本映画の【ラブ・イン・東京】のファンらしい。日本語名は【東京ラブストーリー】
1997年頃に見たと言うから「現在30歳のあなたはジュニアハイスクールの頃じゃないか」と、突っ込んだら笑っていた。
おませなムニシュは、今は5歳の坊やのパパらしい。

3.チベット料理
16時頃にダラムサラを通過し、16時25分マクロードガンジのHotel Suryaの211号室に投宿。
道路に面した入口のフロアにフロントとレストランがあるが、ここは5階。

割り当てられた2階の部屋にはエレベータを下る。鍵は、外からは近代風ロックで、中からは原始的ロック。
窓の下の露店に、ネパールのバクタプルで常に流れていた音楽がかかっている。
16時50分~18時20分街歩き→大体の構造は把握。

マクロードガンジの道はカトマンズなみに大混乱f^_^;
再び外出してチベット料理店。チキントゥクパ+ヴェジモモ+7UP=165ルピー。

4.マクロードガンジ
19時30分にホテルに帰還。
シャワーと洗濯。 なかなか湯のシャワーが出ない。
諦めて蛇口で湯を出したのが効果的だったのか、湯のシャワーも出始める。
お湯は朝も夜も6時から10時まで。
ベッドが柔らか過ぎて寝づらいが、テキトーに爆睡。
5日目(8月13日) 1.マクロードガンジのキリスト教会
チベット仏教の聖地の様なマクロードガンジにも、キリスト教会がある。 いやはや、宗教というのはたいしたエネルギーだ。
7時から40分ほど朝散歩で足を運んでみた。
ゴミをあさる野良牛や、趣のある水場を越えて、往復で3キロくらい。

戻ってホテルの朝食ビュッフェ。
昨日までのホテルのより、遥かにショボい(+_+)

2.ダル湖
8時30分からダル湖。
今度は道に横たわる飼い牛らしい集団の脇をすり抜け、片道3キロくらいでダル湖。あと1kmくらいのところで、朽ちかけた看板がある。
ダル湖は湖というよりは、ただの池。乾季には水が無くなることもあるらしい。
周囲にはちょっとした商店や、露店の野菜売り、チベット仏教関係らしいモニュメントなどが点在している。

3.ダライラマ14世の公邸
10時半にはマクロードガンジに戻って軽食。 ちょっと西欧風にヴェジサンド&コールドコーヒー+マサラティー=130ルピー。
簡素な店だがWI-FIの表示。 見るからにインド人の家族が食事をしているが、店員とは英語で会話している。

空は雨模様。 遠くまで行くとスコールに遭うかもしれないので、近場を散歩。
メイン通りにはワインショップもあった。 インドも地方まで、飲酒習慣が一般的になってきたらしい。
ダライラマ公邸も、話のタネに覗きに行ってみたが、
途中に子供を抱いた「ミルクを買う金がない」が三名。

私にも慈悲の精神はあるが、こういうのは好きじゃない。
たぶん英語は通じないので、何も言わずに首を振って拒否したが、
なぜあなたは、外国人観光客ばかりに強請るのか、
村の隣人たちは、どう思っているのか、夫は働いているのか、
その子は本当にあなたの子供なのか、僧侶たちは救ってくれないのか、それはなぜなのか。
本当に助けを必要とする人も、中にはいるかもしれないが、違う人も混ざっているようだ。 そのせいで協力したくなくなる。
どこかの国の生活保護と同じ構造。

4.シヴァ寺院とBHAGSU村の滝
空が明るくなったので、11時50分からBhagsu村のシヴァ寺院と滝を往復。

ゆっくり歩き、滝でもゆっくりして13時30分にホテルに帰還。
往復でせいぜい5キロくらいかな?
普通に観光地していた。
部屋でトイレと、リパッキングを済ませて下の土産屋通りでマクロードガンジ土産をゲット。 値切ったが、あまり安くならず。
ラダックのレーでも同じだったが、私はチベット文化の維持に役立つのなら、ちょっとくらいボラれても構わないとは思っている。

再び写真を撮りながら歩き回り、ホテルの近くで水と見慣れない林檎ジュースを買って帰還。 両方で40ルピー。やはりシムラーのホテルの水は高すぎる。
ホテルで部屋の鍵を依頼すると「その鍵は無くなった」とジョークが飛んでくる。
私は大笑いして流したが、こういった軽口を叩いても大丈夫な奴だと見てもらえるのは、実際のところ嬉しい。
昨夜は切れていた洗面台の電球も、何も言わないのに交換されていたし、案外と良いホテルなのかも知れない。

5.周辺ウロウロ
マクロードガンジは、
モンスーン期に行くような場所ではないトリウンドを除いて、
大方歩き尽くしてしまった。

明日、長ズボンを履いてチベット寺院の内部に入るくらいか。
道の遥か下方にダラムシャラーの街が霞んでいる。 直線距離だと2kmくらいだが、道なりに行くと思いのほか遠いようだ。
18時まで部屋で記録などを書き、湯が出るのを待ってシャワー。やはり湯になるまでは時間がかかる。たれ流す水がもったいない。
着替えて19時に食事に出発。
目当ての店で、ノンベジターリー+マサラティー+フルーツラッシー=200ルピー。
300円足らずで、思いっきり満足できるのだからして、インドは止められない。
20時前にはホテルに帰還。 本日も16キロくらい歩いたが、それを遥かに上回るエネルギー摂取量。
6日目(8月14日) 1.マクロードガンジの朝
夜明け前から連続的な雨。時々遠くから雷鳴も聞こえる。
道が通行止めにならないか少し心配。。。

7時半を待って朝食に下りたが、昨日よりもショボい。
外に出るのも中止。
今日は11時にチェックアウトして、雨宿り兼早目の昼食としてチョーメンを食べに行く程度のつもりだったから、諦めたのはチベット寺院の内部くらい。

ホテルの朝食ビュッフェに韓国人団体。
会話の端から、こちらを中国人と見ているような様子だが、韓国語なので良く判らない。
8時から部屋で時間稼ぎ。外は雨が降り続いているが音は小さくなった。
9時半頃になると、傘を差している人もいるが、手に持って歩いていたり、開いたまま差さないで弄んでいる人もいるので、雨足は弱まった感じだ。
10時40分まで部屋でオリンピックの水泳決勝特集を見て、10時45分にチェックアウト。

しばらく歩いて、一昨日の店でミックスチョウメン+7UP=115ルピー。
先客に韓国人カップル。街でも日本人以上に多く見かけた。 この店の店員も、簡単な韓国語で応じていたから、客として多いのだろう。
日本語のネット上で韓国人を嫌う記載が多く有り、一部には同意できる部分もなくはないが、平均して日本よりも劣る経済力の彼らが、
より多く世界に出て、自分自身の目で世界を見ている。 自分自身の足で歩き、自分自身の手で他国に触れている。
それがすべての基準ではないが、内に篭って、自分の感覚だけでモノを言っている連中の多くは、傾聴に値する意見を持ち得ないだろう。

チョウメンが運ばれて来たので、ためしに箸を頼んでみたら、厨房用とおぼしきモノが出て来た。
食後12時5分だったので、もう一度、教会を往復。 ちょうど広場まで戻ってきたところで、ムニシュさんがホテルに向かうのを目撃。

2.マクロードガンジからNH20を西進してパタンコットへ
すぐに追い掛けてホテルで合流し、すぐに出発。Hotel Suryaマクロードガンジを12時45分に出発。
ダラムシャラーへの下り坂でパンク。 ムニシュさんは激しく遠慮したが、構わず協力して10分でタイヤ交換。
「早かったね。ワールドレコードだよ!」と言ったら、受けていた。
交換時に手の甲をすりむいていたので、バンドエイドを提供し、簡単な手当てをして再出発。

この坂は、ダライラマ14世が世界に出る時も使っている道だと聞いたことがある。
マクロードガンジからヘリを使わず、危険な道を使うことによって庶民と共にあるのだと。。。
さほど危険な道でもなかったが。

ムニシュさんの住む村に立ち寄り、近くの店で軽食を食べ、一昨日のお返しかチャイをおごってもらって15時15分頃にパタンコットの駅に到着。
駅の直前で、ヒマーチャル・プラデーシュ州ボーダーの大きな橋を越え、シーク教徒が多く住むパンジャブー州に入っている。

3.パタンコット駅
パタンコット駅の屋根は迷彩色。駅舎の中は、独特の熱気。
駅は相変わらず、どのホームのどのあたりに目当ての車両が停まるのか、肝心なことが判らない。
ここから乗車する人の情報は、学校の合格発表よろしく掲示し、御丁寧に、座席・性別・年齢・下車駅まで披露していると言うのに。
ターバンを巻いた駅員に聞いても、「このあたりに居れば大丈夫」程度の事しか聞き出せない。

4.寝台急行JAT MURI ROU EX. 18110
列車は到着が16時25分予定のところ、15分くらい遅れているらしい。
こういった情報は電光掲示されていて良く判った。
実際に16時40分に到着。

車両はすぐに判ったが、中は真っ暗で、自分のベッドがなかなか見つからない。
教えてもらった場所には夫婦がいて、彼らに頼まれて場所を交換する。
(この二人のせいで迷ってしまったのだが、ベッドの条件は若干良くなった)
17時過ぎに動きはじめたが、来た方向に戻っている。
出発してすぐに車内が明るくなった。 こういったタイミングの悪さはインド品質。

間もなく検札。 これまたターバンの車掌。
やはりパンジャブー州との経路はシーク教徒が多い。
私はすぐに横になって、ひたすら眠る。

トイレにも行かず、水もほとんど飲まず、少しだけビスケットを食べるにとどめた。
18時過ぎにディナーの予約を取りに来た。
トイレの回数が増えるのも面倒なので断ったが、その他の車内販売も多いし、食には困らない仕組み。
夜半に来た係員に、デリーまで行くことを確認された上で、シーツをあてがわれる。
7日目(8月15日) 1.早朝のデリー駅事情
4時ちょうどに同じ寝台のインド人家続の目覚ましが二度鳴り響く。 なんと4時30分キッカリにデリーに到着。
(インドも中国も、列車の時刻が凄まじく正確になってきている)
降りようとしているインド人に、ここがデリーであること、しかし列車のラストストップではないことを確認して下車。 巨大な駅だがプラットホームがガッタガタ。
とりあえずホームのベンチで、昨夜食べ残したビスケットと大ボトルの水をやっつける。

表示にしたがってチャンドニーチョーク側に出ると、二年前に確認したオールドデリー駅で間違いがない。
まだ外が暗いので、駅近くにザックを下ろして腰掛けていると、必ず警官が笛を吹きながらやって来て、付近の人共々追い払われる。
少し離れると無用心だしハエが多い。

6時過ぎに付近を探索すると、駅前のComesumというカフェがオープンしていた。
カプチーノを31ルピーで買ってテーブルについたが、しばらくすると先客の白人カップルが店を出た。
彼らが陣取っていたテーブルをふと見ると、すぐ後ろの扇風機用の壁コンが空いている。
さっそく席を移動して、バッテリー残量が心細くなってきていた携帯電話を充電。
隣の席に座っていた賢明そうな東アジア顔の一人旅女性も、私に倣って充電を始め、テーブルで何やら熱心に書き物をしている。

7時20分頃、彼女が荷物をまとめたかと思ったら、私のところにやって来て「ウォッシュルームに行きたいのでバッグを見ていてほしい。」と依頼。
いや、感激した。。。
何を感激したのかと言うと、ここインドに来てからは、非常に聞き取りづらい、インド人のイングリッシュ、、、ならぬインドリッシュに苦戦していたのだが、
彼女の英語は、非常に綺麗なクイーンズイングリッシュ。 たぶん、キチンとした英語教育を受けているのだろう。

ところが、、、それからしばらく戻って来ない!
近くに使える場所が無く、探しているのだろうとは思ったが、それでも心配になってきた。
何かトラブルか? と、思ったまさにその時、彼女がカプチーノを二つ買って戻ってくる。
少し話した後、なんとなく一緒に行動することになった。 私が今夜の便で日本に帰ると言ったら反応が良い。 彼女も今夜の深夜便で北京に帰るらしい。
(たぶん学生の)彼女は初めての海外旅行で、一人でインドを一ヶ月、放浪したとのこと。
(正確に書くと、その内の多くの時間を孤児院っぽいところでのNGO活動に費やしたらしい)

2.デリーの休日 第一章
「まずどこに行く?」と聞くと、「レッドフォート(ラールキラー)に行きたい!」と言うので、
「今日は独立記念日だからクローズかも知れないよ。」と伝えた上で、駅前でサイクルリキシャーを雇って、20+20=40ルピーで向かう。
ラールキラーはやっぱりクローズ。
インドの独立記念日は、思うようにいかない。 北半球的にはバカンスシーズンなのだから配慮してほしいが、安全には代えられないのだろう。
それが判明したあたりで、歩行者が多く容易に進めなくなったリクシャーを下り、シーク寺院、ジャイナ寺院なんぞの写真を撮りながら歩く。
レッドフォートも外壁だけ写真に収め、ゲート前で別のサイクルリクシャーを拾った。

3.デリーの休日 第二章
次に目指すはジャマーマスジット。
去年は祈りの時間にぶつかって中に入れなかったが、今年は中に入れた。中庭の光景が美しい。
階段を上ったところで裸足になり、300INRの入場料を払うと、半そでシャツの彼女は、暑いのにハンテンをまとわされる。
『女性は大変だぁ』と思っていたら、
七分ズボンの私も、腰に布を巻き付けられた。

なんだか彼女がはしゃいでいる。
遠くには、入れなかったラールキラーのゲートの上部が見えた。
しばらく有意義な時間を過ごした後、彼女がコンノートプレースで買い物をしたいと言うので、ジャマーマスジットの正面で、
爺さんのサイクルリキシャーを雇い、ヨタヨタと向かう。
線路をくぐる坂道が見えたあたりでサイクル爺さんが音をあげたので、途中から歩くことになったが、ゆっくり歩いても、
ほどなくコンノート中心部のCブロックの辺りに到達。

「すぐ近くに食事が出来るホテルがあるけど行くかい?」と誘ってみたら、「行く!」と言うので、そのまま徒歩でホテルアルカに向かう。
と、脇にオートリクシャーが停まり、「Pブロックのアルカだったら10INRで行ってやるから乗りな。」と言うので言葉に甘えた。
そのリクシャーワーラー、「今日はインディペンデンスディーだから、コンノートの店はすべてクローズ。」と爆弾発言。
どうやら事実らしいので、ショッピングを楽しみにしていた彼女はガッカリ。

まだ時間帯が早いので、アルカのメインレストランはオープンしていなかったが、朝食エリアで、それなりの食事を楽しむことが出来る。
食事にラッシーを添えて満足し、ホテルのスタッフから近郊地図をもらって、今日の空港までの漫遊計画を立てる。
ホテルでタクシーアレンジしようかとも思ったが、「ここで頼むと多分高い。」と言うと学生旅行の彼女は嬉しくなさそうだったので、外で探すことに。

4.デリーの休日 第三章
去年も世話になったアルカの爺さんと外でタクシー確保の話をしていると、男が寄ってきて政府観光局でアレンジ出来るという話になった。
ここは怪しんでも良いところだが、直感的に大丈夫だと感じたし、結果としても変な人物ではなかった。
すぐ近くの、政府関係の建物の中でプランを話すと、今日は祝日なので3500ルピーは必要だと言われたが、非常にハードなネゴシエーションをした結果、
2200ルピーまで下がる。
ところが、料金を支払って車に乗った途端に、運転手に別のチャージが必要だと言われ、我々もキレる。
もう一度観光局に戻ってイロイロあった結果、2200ルピーを取り戻して喧嘩別れ。

彼女が私に「どうしよっか?」と聞くので、
「徒歩10分のニューデリー駅前のタクシースタンドに行き、そこでドライバーと直接交渉しよう。」と、答えた途端に、オートリクシャーが通り掛かる。
そこで彼女に「オートリクシャーでも良いか?」と聞いたら、「もちろん!」と答えてくれたので、そのリクシャーワーラーと交渉。
まずは、近くに今日でも買い物が出来る土産物屋があると言うので向かったが、彼女の気に入る物が無く、何も買わずに撤退。

外に出て、もう一度リクシャーワーラーと、その次の予定を話すと、行ける場所が最初の話と食い違ってきた。
「じゃあここで下りるから、ここまでで幾らだ?」と聞いたら、非常に意外なことに、金は要らないと言う。(いったい何事だろう?? インドなのに!!)

そこにフラフラとやってきた別のオートリクシャーを捕まえ、我々のプランを話して交渉。
結果、遠くの二カ所は断念することになったが、空港までの経路から遠くないインド門、大統領官邸、国会議事堂、フマユーントンブなどの4ヶ所を回って、
空港でエンドという条件で600ルピーで決着。(これも彼女の交渉の成果!!)

まず空港から一番遠いフマユーンに行くかと思ったらインド門。
私も今まで、100mくらいの距離までしか近づかなかったが、今日は真下まで行った。
と、二人の男が近づいてきて、私と一緒に写真を撮りたいと言う。

去年もラールキラーの近くで同じ様なことがあったのだが、彼らは私の相棒と一緒に写真を撮りたいだけだった。
『今回もそんなとこだろう』と思っていたら案の定、「彼女も一緒に」とインド男。。。思った通りの展開だ。
その次には、インド人親子にナンパされた。
一緒に撮った写真は、さながら外人部隊の様相。
右後ろの白人も、そして恐らくは左端のインド人女性も、
同じ様に誘われたのだろう。

私も、この写真を撮った後、しっかりと、
この中に組み込まれた。
次に大統領官邸を遠くから眺め、議事堂も「今日は停車できない」と、横を通り過ぎただけで、あれあれと思う内に、そのまま空港に向かおうとする。
二人して強く抗議をすると、どうやらこのワーラーはフマユーントンブを知らないらしい。

我々の剣幕に押され、大慌てで他のリクシャーワーラーに尋ねたり、我々の地図を見たりして、ようやく13時30分にフマユーンに到着。
「5分か?」と、聞いてくるので、「今度は中に入るから1時間かかる。」と言ったら彼の眉が曇ったが、構わず「1時間待て」で押し通す。
今日は去年よりも天気が良く、その為に蒸し暑さが無かったので、満足の行く観光が出来る。
やはりデリーは熱帯である。
もっとも、冬には雪が降ることもあるらしいが。。。

それから空港に向かうが、最後の最後でリクシャーが、この車では空港に入れないといって、フリーチャージの循環バス停に連れていかれる。
まぁしゃあないかと思ったが、彼女が怒っているのでチップは無く、キッカリ600ルピーを渡す。
そこから空港までは、確かに無料で5分そこそこ。
ただし到着フロアに連れていかれる。

斜路のエスカレーターを2ターン上り、3階の出発エリアに入ろうとすると、彼女は紙でEチケットを持っておらず、持っていたとしても、
彼女の深夜便では19時まで中に入れないことが判明。
一番端にあるゲスト用入口から空調エリアには入れたが、19時まで入れないのは止む無いとしても、Eチケットを紙で持っていないことで、
英語が堪能な彼女が非常に苦労している。

私のEチケットも参考動員して、およそ45分かかって北京行きのEチケットをゲット!
二人で、ひと安心してウエイティングルームに入ったが、ここにあるドリンクバーがショボい。 マンゴージュースを50ルピーで買って一息。

入り口で「このエリアにはトイレもレストランもない」と、言われたが、エレベーターを使うと行けそうな表示もあった。
ベンチに並んで座って、各々に記録などを書く。

5.インド脱出
私のフライトの2時間半前である17時に、まだ出発エリアには入れない彼女と別れ、チェックイン・出国&順番が逆だと思われるセキュリティーチェック。
土産エリアに入ったら、さっそくトイレで着替えてスッキリ。 幾許かの土産でルピーを概ね使い切って、後は携帯チャージをしながらボーディング待ち。
機材は初めて乗る787。 新しいので綺麗で良かったし、窓の透過度が5段階で調整できるのが便利だ。
しかし個人ディスプレイには、いつも見ているマップを表示してくれなかった。
定刻前に機が動き始め、今年も暑く、熱かったインドを脱出。
帰国日(8月16日) 成田空港帰還
飛行機は定刻より30分早く成田空港に到着。
イミグレも混雑しておらず、ターンテーブルは無視し、税関も軽やかにスルーする。やはり、旅の荷物は小さくなくてはならない。
おかげで成田空港を7時37分に脱出し、無事に帰宅の途に着くことが出来た。

今回は、先にも書いたように現地エージェンシーに依頼し、
同社が企画している、「デリーから行くシムラー」と、「デリーから行くダラムシャラー(マクロードガンジ)」の二つのツアーを私が勝手にアレンジして、
シムラーからマクロードガンジまでをタクシーで連結する(安く上げたければバスで結ぶと言う手もある)という欲張り行程を実現したのだが、
ナカナカに正解だった。
帰宅して3日ぶりにシャワーを浴び、午後からは出勤。

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