インド・ネパール2011

1日目(8月12日) 1.成田空港
上野の隠れ家で7:30に朝食をかっ食らい、08:20にチェックアウト。
そのまま徒歩2分の京成上野駅に辿りついたら、3分後の 08:26発の特急。 ジャストなタイミングで幸先が良い。
そのままスイカで改札を駆け抜けて乗車。
09:45に定刻通り、空港第2ビルに到着。 さほど混雑しているという感じでもない。
09:55にチェックインを行ったところ、マイルでゲットしていたプレミアムエコノミーが ビジネスにクラスアップされていた。
ビジネスアップはこれで三度目だが、やっぱりちょっと嬉しい。 が、相棒はエコノミーシートのままなので少し席が離れてしまった。
お茶などしながらボーディングを待つ。

2.ビジネスクラスのランチ
我らがJAL749便は 12:30の定刻に出発。
安定飛行に入った後、タイムテーブルよりも30分ほど先行して 17:00にデリーに到着する予定との案内がある。
去年も似たような状況だったが、この時期はジェット気流が弱まるのか北にそれるのか、西行きは順調なのかも。
何にせよ、十分に明るい時間帯に到着すると言うのは、先進国を目指している場合よりもはるかに価値がある。
離陸して1時間半くらいで第一昼食。
ビジネスクラスだとワンプレート盛り切りではなく、個別にサービスをしてくれるのでスタッフが大変そうだ。

なんだか映画は魅力的なのがなく、少し時間を持て余す。
とりあえず「リミットレス」で3時間ほどは費やし、あとは入国書類を書いたり、明日からの作戦を立てたり。。。
ヒマラヤが見えるというアナウンスがあったが、右側窓際の席にいたにもかかわらず、ほとんど見えなかった。

日本時間で19時過ぎ、インド時間で16時前くらいに第二昼食。
20時くらいにインドでガッチリ食べるつもりなので控えたいところだったが、結局、完食してしまった。

せっかく機が予定よりも先行していたのに、デリー近辺の雷雨で滑走路が混雑しているらしく、IGI空港から50kmほど手前で周回待機。
フライトマップによると、高度を14,000、12,000、11,000フィートと段階的に下げながら歩を進めている。
最終的には定刻15分遅れでIGI空港に着陸。
滑走路が混雑をして着陸が遅れたと言うから、イミグレが大混雑をしているものと覚悟していたが、意外なことに入国審査はがらがら。
が、預けていた荷物が他人の荷物と同じバケットに乗せられて回っていたことから発見が遅れ、なかなか自由の身になれず。
空港で両替をしてから、今年の3月に開通したというメトロ空港線の駅に辿り着いた時は18:45になっていた。

3.デリーに新設されたメトロ空港線
メトロは以前から開通していた他の路線と同様に荷物検査や身体検査があったのだが、それでも従来の様にタクシーのウザイ運転手から嫌な目に
遭わされることを考えたら雲泥の差がある。
コンノートプレイス近くのシバジスタジアム駅までは一人60ルピー(110円くらい)。
500円玉よりも二回りほど大きめの磁気コインを通すと改札が開き、到着駅で回収される仕組みになっている。

メトロは清潔で加減速もスムース。 我々が乗った車両は、何だか「ルフトハンザ航空」に広告ジャックされていた。
途中、地上走行部分から、道路が激しく渋滞しているのが見える。
シバジスタジアム駅に着いた時には、あたりが少し薄暗くなりかけていたが、フェスティバルっぽい屋台の中を抜け、徒歩で話しかけてくる
自称ツアーエージェンシーを適当にあしらい、 19:30前に無事にホテルアルカ到着。
昨年、飛び込みで選んだ宿だが印象が悪くなかったので、今回はあらかじめネットで確保しておいた。
なのでチェックインはスムース。。。 だが、インドは宿泊客名簿に色々色々と書かせるので手間がかかる。

4.ニューデリー駅前
とり急ぎ部屋に荷物を置いてデリー駅前を徒歩で往復。
時刻はインド時間で20時を過ぎ、どっぷりと日は暮れていたが活気がある。
日没後のデリーをフラフラ歩くという愚行は、あまり誉められた行為ではないが、我々はこの6日後にピンクなジャイプールから列車で、
23時近くのこのデリーに凱旋してくる予定なので、夜の時間帯の安全度を推し量っておきたくもあったし、、、
インド初体験の相棒にもあらかじめ、夜のデリーの雰囲気を経験してもらっておこうという作戦でもある。

5.ホテルアルカの晩餐
特に夜遊びをすることもなく、 20:30にはホテルに戻り、ホテル内にあり地元でも評判のベガレストランで今回の南アジア晩餐の血祭り第一弾。
食前ドリンクからスープ、デザートまで付くプレートで500円くらいなので、お得感が大きい♪♪
すでに日本時間では日付を超えていたので、食後はまっすぐ部屋に戻って明日に備える。
2日目(8月13日) 1.デリー朝散歩
軽くシャワーを浴び、午前8時にゆったりと、二階のバーで朝食。インディアンな朝である。
食後にコンノート周辺を散歩するが、去年以上にコンノートプレイスは激しく工事をしており、次々とインド人がやってきては、「そっちには行けない」とか、
「ここから先に行くと金をたかられるぞ、ところで私は旅行代理店の者だが、、、」と声をかけて来るので、中心部には近づくことすらできず。
今日は午後一番にフライトなのでホテルに戻って出発準備。

2.カトマンドゥへ
昨夜の逆経路をたどり、フェスティバルの真っ最中っぽいシバジスタジアム駅からメトロでIGI空港へ。
昨夜は地下通路を通ったが、今度は二階通路を通ってデパーチャーロビーに突撃。
建物に入る手前で、おっかないオジサン達にパスポートとエアチケットをチェックされる。

帰国時の土産の下見をすべく、早々に出国エリアに潜入。去年も実感していたが、この空港には泥臭い土産が少なく、今一つ面白みに欠ける気がする。
ジェットエアウェイズは1時間40分で、南アジアの首都から首都を結び、カトマンドゥに到着。短いフライトでも昼食はしっかりと出る。
3年ぶりのトリブヴァン空港でアライバルヴィザをゲットし、ここでは5000円を換金。

3.いきなりパタン
今回、カトマンドゥでは相棒の友人@ネパール人であり、バクタプル在住のラムさんが案内をしてくれることになっている。
ラムさんの奥さんが間もなく出産だとかで、サポートとしてお兄さんも控えてくれているとか。
いやいや、ネパールは休日ではないのだから、あまりお気遣いなく。
空港を出る時点で売り込みタクシーが押し寄せてきたので、「フレンドが来ている」と軽くいなしたら、「ニューフレンド?」と勘繰られたが、
すぐにラムさん&お兄さんと合流できた。
渋滞するカトマンドゥを避け、準備してくれていた車でまっすぐパタンへ。
3年前に来た時のままなので、街の感覚は残っていたが、
やはりジモティーと一緒だと、リラックス感が違う。

とは言え、インドからネパールに飛ぶと、それでけで、
ギスギス圧力が減って、気を抜けるのだが。。。

4.ネパールの晩餐
暗くなってからタメル地区のバックヤードホテルにチェックイン。
荷物を部屋に置いて、近くのネパール料理店で食事。
ネパール料理は辛いが旨い♪♪
3日目(8月14日) 1.マウンテンフライト断念
今日は空からサルガマータ(エレベスト)を視察する計画である。
4時に起き、5時10分に外に出たところで、ちょうど昨日の車が登場。 そのまま明け方の街を疾走してトリブヴァン空港の国内線ターミナルに向かう。
街は未だ十分には目覚めていないが、道を歩く人は多い。空港はまだ閉まっていたが、我々が到着して15分くらいで開く。

すぐにチケットの航空会社のカウンターで、空港税2×200ルピーを払ってチェックイン。
国際線はチケットに含まれているっぽいので、細かい札を準備しておらずアタフタしてしまった。
結局、1000ルピー札しかなく、スタッフ個人の500ルピー札の釣りを貰って100ルピー多めに支払う。(後に返金)

ロビーで待機するが、他の便のボーディングが進むものの、なかなか我らがAGIS601便の召集がかからない。
そのうちに、あろうことが同社の602便のボーディングが先行(゜_゜>)
係員が「もうしばらく待って」と赤いチケットを持っている人に言って回っているが、結局7時15分頃にフライトキャンセルが伝えられる。
今日のフライトでは山が展望できなかったらしい。
航空券にフライト中止を証明するスタンプを押してもらい、払込済みの空港税を回収して外に出る。

駐車場に行くと、運転手は早いと驚く風でもなく、あっさりと「フライトはキャンセルになってしまいましたか?」という感じで我々を車に導く。
空港からはリングロードを南下し、「日本人が作った」と表現されているアルニコハイウエイを東進してバクタプルへ。
約30分でバクタプルの入り口の一等地にあるラムさんの家に到着。
今回のネパール国内で、最初から最後までお世話になった、ラムさんのお兄さんから、我々も祭りに参加するのだという予定を知らされる。

2.バクタプルの祭り1
マウンテンフライト不成立のおかげで参加できた祭りは、英語では、Cow Festival といい、ネパール語をローマ字表記すると、Gai Jatra という牛追い祭。
ヒンズー教で牛が神聖なものとされていることは良く知られているが、人が死んだときに牛が天国に連れていってくれるということにもなっている。
しかし、死者はしっかりと牛の尻尾にしがみついていないとだめで、もし尻尾を取りそこねて地獄に落ちかけていた時の為にこのCow Festival があるらしい。
そこで、この一年以内に死者が出た家では
牛に扮装して街を練り歩くというのだが、
牛の仮装はあまり見ることが無く、
ラムさん親族や他の集団も、小学校就学前後くらいの子供が、
ヒンズー教の神様
(男の子はシヴァ、女の子はその妻パールヴァティ)
に扮していた。
祭りは凄まじいほどのエネルギーで、道と言う道は人で埋まり、広場も人であふれている。
バクタプルの人口は8万人程度だと聞いていたが、この地域で、これだけの人間が集まること自体が驚きである。
我々は午前いっぱい、二時間少々の練り歩き。 人があまりに多くて疲れるが、日本人としてこんな経験が出来る機会は滅多にないだろう。
感謝すべきは友達の友達と言う、国境を越えた友達の輪である♪♪

3.バクタプルの祭り2
昼前にラムさん一族が所有するビルの最上階で、練り歩きの主役の子供たちと一緒に昼食をご馳走になる。
彼らはネパールの中でも上流階層のネワール族らしく、多分、裕福である。
食後は相棒と二人だけでバクタプル歩き。
やっぱり人が多い。

4.バクタプルの祭り3
夕方に、お兄さんと合流してもう一度、街に繰り出すが、歩くのは・・・恐ろしいほどの裏道(^_^;)  やはりジモティーは強力である(^_-)-☆
時間の経過とともに、ますます人は増えてきており、
バクタプルのダルバール広場は、大規模な参列隊が集結するとやらで、
写真の様に、とんでもない人口密集地帯になっていく。

カトマンドゥの人やバクタプル出身で近郊の町村に住む人は、
ほとんどが集結するのだろう。

今や日本では希薄になった血族の絆が、
ネパールでは息づいている感じである。


5.ヘリテージホテル
夕食はラムさんの家で御馳走になり、暗くなってから、やはり親族が経営するというホテルへ。
その名をヘリテージホテルと言い、中心部から徒歩8分くらいの、静かでかなり良いホテルだった。
ラムさんやお兄さんも一緒に来て、経営者の伯母さん?も参加し、一階のロビーで話し込むが、アルコールが入った私は、
午前4時から活動を開始していることもあって睡魔に対抗できなくなる。 つもる話もあったろうに、ごめんなさいね。。。

部屋も広く、清潔で可愛い。
ネパールでこのホテルを維持するには、どれくらいの労力を必要とするのだろうか??
こぎれいなホテルを建てるのは何とかなっても、リネンや水回りの機能を維持するには、大変な苦労があるものと推察される。
4日目(8月15日) 1.バクタプルの朝
昨夜は早い時間帯に沈没したので、今日は朝の6時に、めいっぱい元気に起床♪
天気も良く、ホテルの部屋から見渡すバクタプルの街は朝日に輝いている。 外に出てホテルの全体を振り返えると、なかなかカッコいい。
相棒を部屋に残し、早朝のバクタプルに突撃♪
早朝から街は活気づいている。

昨夜まで群衆で埋め尽くされていたダルバール広場は、田舎町らしい静けさを取り戻している。
バクタプルは懐かしさを感じる街だ。
昭和初期の、まだ人々が平等に貧しく、金よりも心を大切にしていた頃の日本に近いかもしれない。
信心深い人々は、人口よりも多いといわれる辻々の神々に向き合い、日々の安寧を祈っている。
ダルバール広場のすぐ近くのトウマディー広場にある、カトマンズ盆地で一番高いニャタポラ寺院も、昨夜の喧騒を忘れたかのように静かに佇んでいる。
この寺院は1702年にプパティンドラ・マッラ王により建立されたとのことだが、ニャタポラというのは、「五重の屋根」という意味だそうだし、法隆寺の五重塔の
弟分と言ったところかもしれない。
法隆寺は 710年建立と言われているので、大体1000年の時間差があるが、日本にしろネパールにしろ、古人は偉大なものである。

先にもふれたが、この町はカトマンドゥからアルニコハイウェイを東に進んだ場所に位置する。 その遥か先にはチベット王国の都、ラサがある。
バクタプルは古の彼方より、チベット、中国、インドの間の交易路として富と文化を築いてきた都である。
ネパール独特の文化として、童女の現人神クマリという制度がある事を御存知の方は多いと思う。
カトマンドゥ盆地には複数人のクマリがあり、バクタプルのローカルクマリも、ある血族の中から厳しい審査を経て選ばれるらしい。 
それは概ね2歳から6歳くらいの頃に選ばれ、初潮を迎えるまでの任期ということである。

余計な計算を一つ。
バクタプルの人口は先述のように、約80,000名。平均寿命が50歳として、年齢構成が均一だと仮定すると、特定年齢の少女は800名。 
クマリの平均任期が6年くらいだとすると、バクタプルに生まれた少女がクマリになれる確率は5000分の1くらいか?
余談だが2007年に、バクタプルのクマリが任期途中で解任されたという事件があった。
そのクマリは、イギリス制作のドキュメンタリー番組を撮影するために、訪米したというのが解任の理由らしい。ネパールの現人神も、なかなか大変である。

朝散歩を継続しよう。 南側の道を通って東の広場に向かうと、千人規模の女性ばかりの列\(◎o◎)/
3年前も隣町のパタンで同じ様な光景に出合ったのだが、この時期の女性の宗教儀礼っぽい。
祈りをささげる人々、見慣れぬ野菜を路上に並べている朝市。。。
これだから、異境の一人歩きはやめられない。
軒先に果実を並べる八百屋、道端で生肉を捌く肉屋、肉屋の棚の上には、ひっくり返った水牛の生首。。。 

バクタプルダルバール広場を経由してホテルに戻ろうとすると、まず運転手と遭遇し、ほどなく兄さんとも遭遇。 寝起きの顔をしている。
ホテルの部屋に戻り、相棒と一緒にチェックアウト。 カード機が動かないとやらでクレジットカードが使用できず、やむを得ず米ドルで支払うが80ドルと格安。
150ドルでも納得できるレベルの部屋であったが、知人割り引きらしい(^_-)-☆

2.スワヤンブナート
再びラムさんの家で朝食を頂き、ラムさん一家全員で、ラムさん奥さんが出産入院をしているパタンの病院に直行。
そこでラムさん達を下ろし、我々とお兄さんは、まずはスワヤンブナートへ。
裏の駐車場に車をつけてくれたので、以前に大汗をかいた400段の階段は登らずに済ます。
スワヤンブナートはカトマンズ中心から西に3kmほど離れた丘の上に建っており、カトマンドゥ盆地最古と言われる寺院の中央には仏塔がそびえている。

大きさではボダナートの仏塔には敵わないが、ネパール仏教にとっては最も重要な仏塔だそうだ。
仏塔には仏陀の知恵の目が四面に描かれ、この仏塔の周囲には、チベット仏教の特徴を示すマニ車が並んでいる。

3.ボダナート
そしてボダナート。
あいかわらず激しく渋滞する市内を抜けて、チベット仏教寺院としてネパール最大級で、
世界のチベット仏教の中心地とも言われるボダナートを襲撃。

ちょうど昼時になったので、このボダナートを見下ろせる屋上レストランで昼食。
せっかくのチベット世界なので、チベット料理のモモとチョウメンをゲット。
味は、、、観光地クラスだなぁ。。。
相棒が御機嫌なネパールグッズを値引き交渉しているところで急なスコール。
少し雨宿りをしながら、裏の抜け道から待機していた車に駆け込む。

4.パシュパティナート
ほどなく晴れ間を見せ始めた空の下、車はパシュパティナートを目指す。
車を降りて100メートルほど露店が軒を連ねる参道を辿って入口に向かうが、途中から人が爆発的に増加し、結局は混雑に負けてパシュパティナート断念。
ここもバクタプルでの朝と同様、本日は女性の宗教儀礼が行われているようであるが、こちらの列には、男性も時折混ざっているようだ。
パシュパティナートは、ヒンドゥー教の寺院で、破壊の神シヴァを祭っている。

シヴァが滞在したと伝えられ、
1500年以上も昔から巡礼の地となっているこの地は、
インドの聖地バナーラシ(ベナレス)のネパール版という訳だが、
インド大陸四大シヴァ寺院の一つにも数えられ、
ヒンドゥー教が国教であるネパールでは最高の聖なる地である。

5.ダルバール広場
途中、日ネ友好富士山絵画展とやらに寄り道しながら、一昨日に宿泊したタメル地区のバックヤードホテルにチェックイン。
十分な明るさがある間に、急ぎ、アサンチョークやインドラチョークを経由してダルバール広場へ。
ここの雰囲気は、行ってみないと判らない、なんとも独特のものがある。
ダルバール広場は2010年から入場料を徴収するようになっており、またカーラ・バイラブは以前よりも崇拝の度合いが高まっている。
わずか3年の間に、カトマンドゥも変化している。

6.タメルのレストラン
夜、お兄さんがバクタプル仲間(同郷の友?)を召集し、ネパール人軍団と宴会♪
このレストランの店主もその一派で、驚くほど日本語が上手だ。 彼らは日本語をマスターする為にどれほどの労力を掛け、どれほどの利があるのだろう??
このレストランは初日にも来たが、料理が美味しい♪♪
ネパール料理はインドに比べても、より辛いくらいだが、香辛料の配合の加減か、日本人の、、、少なくとも私の舌にはとても合う。

日本(中華?)に「手羽先餃子」というメニューがあって、私は好物だが、この店には「手羽先モモ=chicken momo」というメニューがあった。
モモは有名なチベット料理。

日本では、親指は彼氏で小指は彼女を隠語として示すが、ここネパールでは、親指を立てるとウ○チで小指を立てるとシ○コを意味するとか、
それで誰かが日本に行った時に、居酒屋で日本人の同行者に小指を立て、「(小便に)行ってくる」と断ったら、誤解を受けた」
などといった話で盛り上がりつつ、ネパールの夜は更けて行った。
5日目(8月16日) 1.タメルの朝市
今日も朝一番は相棒を部屋に残し、朝食ゲット朝散歩♪♪

アサンチョークの手前の露店は、野菜の元気がいま一つだったので、
ラニポカリに向かう当たりのアッサン市場の露店まで足を延ばし、
500gくらいのトマトを10ルピーで、4個の梨を5ルピーでゲット。
日本円で言うと、併せて17円くらいである(*^^)v
梨はそれなりだったが、トマトはなかなかおいしい。
ホテルに戻る途中の店で買ったクッキーは150gくらいで35ルピー。日本とはちょっと異なる物価事情の様である。
アサンチョークのあたりは、植木鉢責めの店があったり、ちょっと規模の大きいストゥーパが有ったりして、けっこう楽しい。

2.ネパールな朝メシと再ダルバール広場とタメルのカフェ
ホテルに戻って朝食タイム♪♪
チェックアウト前に再び、ぶらりとダルバール広場襲撃。今日は、入場パス(昨夜、観光局で入場券を3日間のパスにしてもらった)のチェックはされなかった。
それから、商売熱心?orサービス精神に満ちた紅茶店で数通りのお茶っぱを確保。 私にも相棒にも、なかなか満足なネパール土産ゲットだった。
ホテルの手前で普通のカフェ。 タメル地区は欧米人観光客が多いので、ドトールコーヒークラスの喫茶店には困らない。

ホテルに戻ったらお兄さんに電話をする約束をしていたが、11時に帰りついたらすでに待機してくれていた。
これからラムさんが(奥さんの出産間近なので)詰めているパタンの病院の近くで一緒にランチを摂って、それから空港に向かうという作戦を知らされる。
タイミングによっては、赤ん坊に対面が出来る可能性もある。

3.パタンでネパール最終ランチ
カトマンドゥの渋滞を抜け、30分でパタンのレストラン。
我々だけを残してお兄さんは、病院にラムさんを迎えに行く。
私は今回のネパール最後の食事にトゥクパを選んでしまった。 これも定番のチベット料理である。
ほどなくラムさんが兄さんと一緒に登場し、しばらくは食事と雑談を楽しんでいたのだが、急な電話で病院に呼び戻される。 差し迫ってきたらしい。
ささっと料理をやっつけて我々も病院へ!
20~30人が待機する待合室で、ラムさん一族が慌ただしくなっている。 そして、我々が待てる限界の5分前に、ラムさん二世が誕生!! 
待合室と病室棟を仕切る扉は女性しか通れないので、私は最終的に赤ん坊に対面できなかったが、相棒は、父親であるラムさんに先駆けて
赤ん坊と20cmまで接近。滅多にできない体験が多かった今回のネパールだ。

4.ネパール脱出
ラムさんが無事に父親になるのを見届けた我々は、慌ただしくトリブヴァン空港に向かう。
目指すデリーは、国際線だし、特にインド行きはセキュリティーチェックが厳しいので、2時間前には空港入りしておくことが望ましい。
チェックインはスムースで、やはりこちらの飛行機の空港税はチケットに含まれていた。
出国審査後の売店で、残したネパールルピーをバラマキ土産系の紅茶等などに変身させる。
あまり時間の余裕なく、もう一度セキュリティーチェックを受けて出発ゲートへ。 ゲートについて5分後にボーディングが始まる。
危うかったという訳ではないが、本当に時間的猶予が無かったなぁ・・・(^_^;)

飛行機に搭乗するのはタラップだが、小雨の降る中、タラップ手前の雨が当たる位置に旅客が並ばされて、ダメ押しのボディーチェック。
パキスタンほどではないが、ネパールもインドの反政府組織の拠点になっているので、一般旅行客の感覚からすると異様な厳戒態勢である。
堪忍袋の緒がプッツンしたのか、一人の旅客(ヨーロッパ系?)が途中で怒り出し、搭乗拒否を宣言した。
彼はインドに陸路で帰るのか、インドを経由せずに目的国へ行くのかな?
 
5.デリーは雨だった
飛行機は概ね定刻にデリー到着。
この飛行機は、ほぼ真西に飛ぶのだが、ほんの一瞬だけ右側にヒマラヤ山脈らしい山影が見え、左側の彼方にはガンジス河が流れていた。
今度は手荷物の回収も早く、順調に地下鉄に乗ってシバジスタジアム駅に到着。 が、、、地上に出たら大雨。
歩ける距離ではあるが、仕方がないのでオートリクシャーを拾ってアルカホテルへ。 相棒はオートリクシャー初体験を楽しんでいる。
シバジスタジアム駅から、コンノートプレイスのホテルまで50ルピー。 雨の割にはリーズナブルな言い値なので、値切らずに即決。
6日目(8月17日) 1.デリー早朝脱出
本日のジャイプール行きフライトは午前6時30分。 デリー中心から30分ほどかかる空港に午前4時半に着いている必要がある。
昨夜、ホテルに「4時にタクシーを呼んでほしい」と頼んでおいたのだが、時間になっても電話が来ない。
仕方がないのでロビーに降りたらタクシーを呼んでおらず、早朝にチェックアウトをするとの伝言も伝わっていなかった。
昨日チェックインをした時の兄ちゃんは、ちょっとハズレっぽかった。

早朝4時に急きょタクシーを呼んでもらい、チェックアウトをし、明晩の夜には戻ってくる旨を伝えて荷物を少し預かってもらった。
なんとか4時10分にタクシーが現れ、少し遅刻しながらも空港に辿りつく。 未明のデリーは渋滞していないので助かった。
タクシー運ちゃんにもチップを少々。
空港のトイレは、国内線・国際線とも男女を写真で表現している。 各トイレに美男美女の巨大な写真があるのだが、同じ顔は無かったと思う。
出遅れたこともあってチェックインカウンターは長蛇の列だったが、手荷物が無い我々は係員に呼ばれて列から離れ、
新規導入の?自動機でチェックインをさせてもらい、ゆっくりと朝食を摂る時間が確保できた。
ジャイプール行きはセキュリティーチェックも厳しくなく、横4列の小型プロペラ機に余裕でボーディング。
8年前のムンバイ発トリバンドラム行きAIは、昨日のトリブヴァンとおなじくらいに厳しかったが、少し状況が変わったのかな?

2.ジャイプール
ルピーの手持ちが少なくなっていたが、空港で換金できず。
街に出れば何とでもなるだろうし、気にせずプリペイドタクシーで320ルピーの、ピンクシティー城壁近くのホテルを目指す。
このタクシードライバー。 あくの強い顔はしていたが、デリーのタクシードライバーに比べると紳士的で丁重であった。

という人物鑑定の甘さが、後のお定まりの事態を招いてしまう。1500ルピーでジャイプール一日観光を請け負うと言うのだ。
普段の私なら、もう少し慎重なのだが、今回はゆったりしたネパールから戻ったばかりだし、今朝も4時出発で、朝から気が抜けていたので、
車をいったん停めさせて内容交渉をすることなく、お任せにしてしまった。

空港から意外に早くアルバートホールに到着。
運転手が気を利かせて車を停め撮影タイムを設けてくれる。鳩が多い。そこからまもなくアジメーリーゲート。

3.ジャイプール郊外
車はハワマハルの前で一旦停止したが、そのままピンクシティーを突っ切って水の宮殿へ。 観光用ラクダが暇そうにしている。
さらに観光用の像とジープが待機するあたりを過ぎて、これまたウッカリ承諾してしまった追加料金500ルピーを呑んで、アンベール城を目指す。

なにはともあれ、アンベール城は一見の価値がある。
ガイドブックや、このHPに掲載している写真よりも、実物はクタビレ感や薄汚れ感はあるが、規模は大きく奥深く、彫刻は細かく、
アーグラーのアーグラー城よりも豪奢かもしれない。
途中、掃除をしていた兄ちゃんが、「○○の間は観たか?」という様なことを聞いてくるので、「これから回る。」と答えると、「こっちだ着いて来い。」と手招きする。
どうせ後でたかる気だろうと思いながらついて行くと、それらしい場所に案内される。
そこを一通り見ると、「次はこっちだ。」と言うので、「案内は要らない。自分のペースで回る。」と答えると、「ここまでのガイド料をくれ。」と言う。
それ見たことか、インド人。 「こっちが案内を頼んだ訳じゃない!」とピシャリと言うと、しぶしぶ諦めた様子。
有料区域から出る手前で換金。 レートは失念したが、観光地にしては悪くはなかった。

次に車は、映画のロケ地になったという庭園の隣の寺に向かう。 水の宮殿の湖もすぐ近くだ。
タクシー運ちゃんは、「庭園に入るには有料だが、こっち(寺)は無料で、なおかつ中に入るよりも庭園全体が良く見える。」と強調。
まぁ、言っていることに間違いはなさそうである。

そこを過ぎると、再びピンクシティー内へ突入。
運ちゃんは朝から何度も、「ピンクシティーには7つの門が有って、、、一つはニューゲート、一つはアジメーリーゲート、、、」と、ガイドをするが、
7つを言えた事は無い。
予測をしていなかった訳ではないが、トートツに木版染の店に連れて行かれる。
少し手前で、「日本人がドーノコーノ」と、ヒンディー語で話していたので、いかにもである。
店頭で、ちょっとした染め方の実演を見せられ、商品が並ぶ店内へ誘われる。
店内は広く明るく、他の客もいるので、不安な感じではないが、私も相棒も、そこまでは間抜けではないので、思いっきり興味が無いことを露骨に表現し、
タクシー運ちゃんを招いて早々に外に出る。 
車に戻ってから相棒と、モーレツな勢いで運ちゃんに「ショップは行かなくて良い」と抗議をすると、
「ショップではなく工房を見学するだけだ。買わなくていい。」と、返してくる。
「時間の無駄だ。工房も興味が無い。」と返しておいたが、その後も宝石工房に行こうと言ってくるので断固拒否した。

4.ピンクなジャイプール
ショップを完璧に拒絶した上で、シティーパレスとジャンタル・マンタルへ向かうことを運ちゃんに注文。
最初からこうして、行き先を完全に指示しておけば良いのだが、先出の、庭園の隣の寺など、知らないスポットに行けるメリットを考えると、
あまりガチガチに指示をしたくないという気持ちも働く。
まだ完全に運転手を信用した訳ではないので、一時間以上も車を離れる前に、相棒の協力を得てタクシー運ちゃんの写真を撮影しておいた。
これで滅多な事は無いだろう。

シティーパレスはピンクシティーの中でもメインスポットだろう。
近づくとアラも目立つが、300ルピーの価値は十分にある。 ただしターバンを巻いた男たちと一緒に写真を撮る際は御注意を♪
隣にあるジャンタル・マンタルは元天文台らしい。 こちらも300ルピー。 占い用観測儀が12星座分あって楽しい♪♪

5.Niros
なんとなく運ちゃんが胡散臭いので、早く解放されようと言うことにし、一日ツアーの約束をしていたが、昼過ぎにホテルに向かってもらうことにした。 
ホテルは迷わずにたどり着いたし、そうレベルの低い運ちゃんではなさそうだ。
が、料金を払う段になって、「金額は一人当たりだ」と言いだした。 インドの常套手段だ。 再交渉し1.5人分で決着。
ホテルで洗濯タイムを取った後、徒歩3分のnirosで遅めのランチ。
インドの物価で二人で 2,700円相当だったので、ランチとしては超豪勢だったかもしれない。 きちんと美味しかった♪♪

6.ウォールストリートホテル
ジャイプールの宿は、ピンクシティー徒歩圏内のウォールストリートホテルを確保しておいた。
地球の歩き方には載っていないが、従業員の教育が行き届いた、なかなかに正解のホテルだ。

昼食&徒歩によるピンクシティー再襲撃から戻ったら、教育が行き届いている従業員が部屋にやって来て、
「御案内する部屋を間違えていました」と言う。
「スゥィートを御予約頂いていたのに、通常のお部屋に御通ししてしまいました。」と、インド訛の少ない聞き取りやすい英語で詫びられた。
そう言えばそうだった。
ただ、スゥィートと言っても、ツインに毛を生やした程度の価格だったから忘れていた。
しかし、新しい部屋は寝室もリビングも広く、最初の部屋とは価格差以上のクォリティーの違い。
昼食が遅かったので、街でゲットしたバナナとオレンジとザクロで晩飯を済ます。
7日目(8月18日) 1.ウォールストリートなビュッフェ
朝はホテルのビュッフェでバイキング方式のモーニング♪♪
全景写真を撮り損ねたが、インドな食材が並んでいた。

朝食後に徒歩でハワマハルを往復。 ホテルからゆっくり歩いて20分強。
ジャイプールは駅からピンクシティーの間の広い範囲にホテルが点在しているが、ヨサゲなホテルの中で最もピンクシティー寄りのココは大正解だった♪♪

2.ジャイプール街歩き
なんだか懐かしい雰囲気なのにちょっと違うポストや、なんだか懐かしい雰囲気なのに見知らぬ食材が並ぶ路上マーケット。
やっぱりインドだ。
野良牛?、野良豚が裏道で残飯をあさっていたり、生ごみを含む膨大なゴミが道に放置されていたりもするが、ジャイプールはインドの街としては小奇麗な方
かもしれない。 臭いも南インドの街角に比べると強烈ではない。 正午になったので、部屋に戻ってパッキングをし、チェックアウト。

3.タイガーフォート
チェックアウトはしたもののジャイプールは夕方の列車で脱出する作戦なので、フロントで荷物を預かってもらい、ホテル手配のプライベートタクシーで
ナルガール要塞とガルタを襲撃。 3時間くらいで600ルピー。 昨日の強欲タクシーの半分の時間や距離で料金は二割。
昨日も作戦では今日と同様に、チェックイン前にホテルに荷物を預けて車を手配してもらうつもりだったのだが、やはり初志貫徹すべきだったと反省(・。・;

ナルガール要塞は別名タイガーフォート。 ジャイプールを見下ろす丘の上に建つが、そこに行くには片道14kmの道を辿ることになる。
眺めは良く建物も趣があったが、ここの雰囲気を伝えられる写真を撮る場所に乏しい。
「地球の歩き方10-11」にも写真は無いなぁ。

4.ガルタ
次にガルタを目指す。
今日の運ちゃんも「宝石ショップに寄るか?」と言ってきたが、これはコミッションを狙ってと言うより、我々に気を配っての様な感じだった。
もちろん返事は「no need」

ガルタは暑かったので入口から少し登ったところまでだけで済ませたが、中世ヨーロッパの様な独特の雰囲気。
上まで登ればジャイプールの街が見下ろせるはずだ。
ジャイプールの街に戻るが、昼食を摂りたかったので、運ちゃんにホテルの少し手前でツアーフィニッシュを申し入れたが、運転手はホテルまで行くと主張。
支払いをホテルにすることになるのならば仕方ないかと思ってそれに従ったのだが、、、
結局はホテル正面で運ちゃんに、フロントとの約束通りの600ルピーを支払う。そんなこんなでチップ払い忘れ。
ホテルの中には戻らずに、そのまま徒歩4分のモーティ・マハルに行って昼食。 昨日のnirosよりも、もう一段goodかも。
この店はデリーに本店があると言うことだが、私は3年前にネパールのカトマンドゥでも、「モーティ・マハル」で食事をしている。 そこも支店なのかなぁ??
日本でも、「モティー」という名前のインド料理店はあちらこちらにあるが、これらはこことは無関係なのだろう。

5.ジャイプール駅へ
食後にホテルで荷物を受け取り、ホテル近くでオートリクシャーを拾ってジャイプール駅。
言い値は60ルピー。 これまた交渉せずに即決。
駅舎に入るところでは荷物チェックをしているが、かたちだけ。 待合室もゆったりしており、プラットホームも簡単に判った。

6.シャダプティーエクスプレス
電車の時刻まで1時間くらいあるので駅前を探訪。ギブミーマネーがチラホラ。デリーまでは夕食時間を挟んで5時間くらいあるのでバナナとリンゴをゲット。
列車到着前にプラットホームに出るが、指定席を取っている車両の停車位置も列車到着前に電光表示されるので不安は無かった。 列車も定刻前に到着。
8年前に南インドを放浪した時と比べて何と言う落差だろうか?? あちらは今でも、当時のままかな??
席も問題なく発見。 スペインよりもしっかりしている(笑)
 しかし、サービスなのか冷房が効き過ぎている上に、頭上の扇風機がグルグルと回り、あまりに寒くて凍え死にそうになる。
車掌や旅客サービスに扇風機を止めるように懇願したが、なかなか止まらない。
寒さに強いはずの私が車両連結部に身体を温めに行く羽目になってしまった。

この列車、日本で支払った金額はファーストクラスで一人5000円だったが、実質は1000~1500ルピー程度だと思われる。
しかし、次から次へと食事が運ばれてきて、サービスが半端ではなく、ジャイプール駅前で仕込んだバナナとリンゴの出番がない。
最初にドリンクとおやつが来て、次に温かいスープが登場。 次に夕食が来て、遅めの昼食を食ったばかりの我々を苦しめる。
ベジタリアンもノンベジも茶色っぽくて同じ様に見えるが、メインディッシュは中身がまったく異なる。
その次にデザートのリンゴで我々はお持ち帰り(^_^;)
とどめに第二デザートのアイス。 こいつは美味しく頂いたが、ジャイプール駅でアイスを買い食いした相棒は半食に留める。

定刻よりわずかに遅れてニューデリー駅に到着。 いったん逆側出口に向かってしまうが、月が出ている方向が変なので気付き、駅舎内でUターン。
改札は無いが、駅舎を出るまでに二回ほど変な奴が日本語で話しかけてきた。 気付かないふりをして無視。 こんな時刻に他人に用事は無い。
23時の駅前の雰囲気を心配していたのだが、さほど物騒な感じではないので徒歩でホテルに向かう。
一応は軽く警戒しながら後方も確認するが不穏な要素は無い。徒歩10分で無事にホテルに到着し、チェックインをしてから預けていた荷物を受け取る。

部屋で落ち着いてから、インド最後の夜に乾杯すべくルームサービスのワインを頼んだが、1047ルピーのところを1470ルピーと聞き間違えて、
1500ルピーを支払い、「釣銭は不要」と言ってしまった。 
こちらは30ルピー(=55円くらい)のチップのつもりだったのだが、実際は453ルピー(=800円以上)のチップ。
ルームサービスのおじさんも、日本人のキップの良さに痛く感激していた様子。 いや、こちらの勘違いに気付いていたかな?
8日目(8月19日) 1.ラールキラー
インド最後の朝はホテルでユッタリと朝寝。
ブランチを食した後でチェックアウトし、昨日と同じ作戦で、ホテルにプライベートタクシーの手配を頼む。
 デリー近郊の見どころを回って6時間後に空港エンドという作戦の対価は、予想より高かったが値切り損ねた。
なんだか今回の私はボーっとしている。 やはり穏やかなネパールから戻ると、警戒感が薄れるか??
ホテルを出発しようとするとモーレツなスコール(*_*;

しかしメゲズに行動開始。 まずはラールキラー(別名レッドフォート)から。 去年はクローズしていたが、今回は中まで突撃。
思いのほか広く、全体を見るのは大変かも知れない。

2.ジャマーマスジット
車に戻ることなくレッドフォートから徒歩5分でイスラムのジャマーマスジット。
ジャマーマスジットの正門に続く参道は露店の門前市になっている。
マスジットに近づくほど人が増えるので、スリ・かっぱらいへの警戒は必要かもしれない。
我々が到着する頃から音楽が鳴り響き、イスラム教徒が続々と集結していた。
ちょうど13時だし、お祈りの時間かなぁと思っていたが、案の定、10mほど離れた場所に立っていたオジサンが私に向かって、しばらくここで待っていろと
テレパシーを送ってきた。 特に執着は無いので、入り口までで良しとする。

3.デリーのジャンタルマンタル
「ジャマーマスジットは祈りの時間で中に入れなかったよ」と運ちゃんに告げ、再び中心部に戻ってジャンタル・マンタルへ。 
ジャイプールのそれと同じく、天文台だったらしい。 半端なく暑いので相棒がつらそう。

4.大統領官邸とインド門
特にリクエストはしなかったが、運ちゃんのお奨めで大統領官邸に。去年は猛暑の中を延々歩いたのだが、今日は車で楽チンである。
インド門も今日はオープン。やはりインドを訪れるのなら、建国記念日が終わってからが良い。
しかし、門に向かおうとすると再びスコール。 さほど激しくも長くもなかったが、道路を挟んで写真を撮っただけで満足した。

インド門は、第一次世界大戦で戦死したインド人兵士の慰霊碑として、1931年に建立されているから、今年でちょうど80年だ。
と、うっかりしていたが、インドの首都がコルカタからデリーに移されたのは1911年だった様な気がする。 とすると、今年でちょうど100年である。
ネットで調べてみたが1912年だったのかはっきりしない。

5.フマーユーン廟
そしてフマーユーン廟。 日本で言うと戦国時代頃に建立され、1993年に世界遺産に登録されている。
アーグラーのタージマハルの弟分のような存在だが、こちらはこちらで、味があってなかなか良い。

6.インド脱出
インド最後のランチは、運ちゃんお薦めの店へ。 ルピー現金の手持ちが少ないので、空港でUSドルで食べると言ったのだが、
「カードを持っていれば問題ない」と、若干強力に誘われた感がある。
が、地元民も観光客も多く繁盛した、アタリのレストランで、コミッション目当てに無理に連れて来られたと言う様子ではない。

食後は速やかにインディラ・ガンディー国際空港へ。
十分な時間があるので、まずはトイレで帰国用の服に着替え、相棒と別行動を取って土産物屋を見て回る。
と、言っても、私は土産を買い漁る方ではないし、先にも書いたがこの空港には泥臭い土産が無いので、あまり買い込む物もない。
軽くバラマキ系の土産を入手し、相棒と合流してカフェでインドルピー現金を使い果たす。

と、ここで問題発生。表示料金は外税の本体価格で、ほぼかっきりルピーを使い果たしたのに、あと32ルピーが必要だと言うのだ。
今回は1USドルで穴埋めをしたが、こんなロケーションの店の場合は、支払うべき価格そのままを表示してほしい。
消費税導入時の日本の混乱を思い出してしまったではないか(^^ゞ

日本への帰国便は、ボーディングも動き始めるのもほぼ定刻通り。帰りはビジネスアップは無く、確保しておいた通りのプレミアムエコノミーだった。
どちらかと言えば、往路(日中便)はプレエコのままで良いから、夜行便の復路でビジネスに座りたかったなぁ・・・(^v^)
帰国日(8月20日) 日本
成田到着も、ほぼ定刻通り。 さすがは定時到着率世界一のJALである。
出発1分前にプラットホームに駆け下り、最速京成に乗車。
こうして今回のインド・ネパール襲撃作戦も成功裏に終わったが、やはり旅の9日間と言うのは短いものだなぁ(^_^)
日本も昨日までは暑かったが、今日からは少し、天気が崩れる様子である。

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