ベトナム縦断2010

1日目(5月01日) 1.日本脱出
2010年のゴールデンウィーク突入に少し出遅れたが、とりあえず日本からは脱出することにした。
行き先はベトナムで、目的は陸路全縦。
台湾やベトナムは、あまりに気楽で海外という気負いが持てないのだが、ハノイからホーチミンまでを陸路で縦断するとなると、それなりには気合が入る
というものである。

定刻より20分遅れで成田を離陸して半時間、見事な富士山が見下ろせた。その後に続く南アルプスと北アルプスの遠望も素晴らしい。
機内昼食は二択だったが、「たいめいけんのハヤシライス」。
食後は独立型モニターでアバター。
中国だか台湾だかのオヤジが映画館での観賞中に興奮しすぎて昇天したというヤツである。
私としての満足度は80点くらいだったが、あの”世界観”の完成度は相当なものだと思う。
機会があれば、もう少し大画面で観ても良いかもしれない。

2.シンカフェ
出発遅れと、強い向かい風(偏西風が南下したか?)の影響とやらで、定時運航率世界一のJALだというのに30分遅れでノイバイ空港に到着。
昨年はラオスからの帰路でトランジットのみ利用した空港だが、いまだに建物全体の構造が把握できない。

並んだ列の進みが悪く入国審査も時間を取ったので、空港で少しだけ換金して車に乗り込み、ハノイの中心街に到着した時には、薄暗くなりかけていた。
とりあえずホテルに荷物を投げ込んですぐ、2006年にも活用した「シンカフェ イン ハノイ」に向かったが、どうも様子がおかしい。
軒先や準備しているパンフ、店内の雰囲気が微妙に異なるのだ。

ベトナム全土に、シンカフェの偽物が蔓延していることは承知しているが、4年前の記憶にあるこの界隈では、ここしか営業している事務所がない。
まぁ、偽物であっても普通にツアーが決行され、トラブルも少ないということなので、この店に入ってみた。
感じが良い女の子が一人で店番をしており、店内には日本でチェックをしておいたシンカフェのホームページの、ホアルー・タムコックツアーの案内も有る。
目当てのそれは18.8USDではなく22USDだったが、ホテルにピックアップに来てくれると言うので300円の差額は許容し、その場でキャッシュで申し込んだ。
22USDではなく418,000ベトナムドンでの支払いでOK。
ホテルへの帰路で、英語が通じない路上商のオバチャンからマンゴスチンを購入。 1kg=13個で40,000ドン(約200円)

3.ハノイの夜
ハノイ歩きが少し物足らなかったので、マンゴスチンを部屋に入れた後、もう一度外出した。
暗くなってからの路地歩きは安全ではないので、良い子の皆さんは真似をされませぬ様。
ハノイ駅方面やホテル近辺の路地を探索したが、宿泊したホテルが位置する界隈は食堂街になっているようで、おびただしい数のベトナム人が
家族連れで舌鼓を打っていた。
気後れして、少し離れて人気のない、英語メニューのある店でフライドライスとコーヒー。
合計63,000ドンは日本円で言うと300円少々だが、多分、周りの店では、この半分くらいの値段だろう。

部屋に戻ってマンゴスチン退治。
露天商のオバチャンは山の中から良さそうものを選ぶようにして売ってくれたが、いざ食べ始めてみると13個中の4個が固くて食べられない。
多分、イジワルをされたのではなく、まだシーズン初めなので熟れていないのだろう。
シャワーは、いつまで待っても湯にならなかった。 空港出迎えとセットで50USDもしたというのに、ハズレである。

送迎車も、私を下ろした際に、どっちに行けばホテルかも教えてくれなかったので、そのことも併せて代理店に伝えたが返答は無し。
そんな対応をしているから、のちに、ネットに食われて多くの代理店が消滅することになるのだ。
2日目(5月02日) 1.ハノイの朝
ハノイの朝は何と言ってもホアンキエム湖の湖畔から始まる。 ホテルから徒歩10分強で4年ぶりのホアンキエム湖。
湖のまわりでは相変わらずウォーキングをする人や、
中国風に集団で体操をする人で混雑している。
マレーシアは太極拳風だったが、
ベトナムではもう少しラジオ体操程度の身体の動きである。

マレーシアでも、ここハノイでも、
早朝に運動している人は全体的には高齢者の方が多い。
時間的な余裕なのか、やはり健康管理に対して真剣味が増してくるからか、、、ベトナムの平均寿命は日本のそれより15年近く短い。
ホアンキエム湖からはホテル方向にハンガイ通りを一直線。 途中からハンボン通りと名前を変えるが、6分少々で見覚えのあるところに出る。
路上では自転車やベトナム名物の天秤竿での物売りが繁盛している。

私は政治に疎いので、理科が困難なのだが、ベトナム戦争では米軍側が敗退したのに、ベトナムでは日本以上に商売が自由に行われているように見える。
国営博物館などの公共施設もブライダル写真の撮影場所として商売していたし、、、その収入は国庫に入るのかもしれないが、
路上のオバチャンや、観光客相手のツアーやオープンバスの発達ぶりをみると、自由経済の成功例のようにも見えてしまうのは誤解だろうか??
(成功例と言っても、独立系企業や株式市場がそれほど発展していないが、それはきっと別問題だろう)

2.シンカフェの迎え
ホテルには8時にツアーの迎えが来ることになっていたので、7時35分に戻って、そのまま一階のロビー兼レストランで朝食を摂ることにした。
ところが、パンと玉子焼きが運ばれてきて、手をつけた途端にカフェの迎えが!
「えぇー、まだ7時40分ジャン!」と思ったが、恐らくは表のバスには他の客が乗車して待っているのだろう。
迎えのお兄ちゃんに「2分だけ待って!」と叫んで、目玉焼きだけを平らげ、パンを半分もいで部屋に駆け戻り、準備をしていたバックを抱えてチャックアウト。
ホテルのお姉さんにも慌ただしい思いをさせてしまった。

バスに行くと、まだ一人も乗客が乗っていない。
『それなら、あんなに急ぐ必要もなかったのに』と思ったが、今となっては仕方がない。

9人乗りくらいのミニバスで路地を回って客を集めたが、まだ準備ができていなかったのか、随分と待たされた揚句に、先に別のホテルを回ったりと、
なんだか手際が良くない。
結局、8時10分くらいに9人全員をかき集めたバスはホアンキエム湖北東側の駐車場へ。

ここで、40人乗りくらいの大型バスに乗り換えると、すでに20人以上が乗車していた。 しかもその半分以上はベトナム人らしい。
日本でも外人相手のはとバスツアーに日本人客が増えてると聞くが、ベトナムでも英語ツアーにベトナム人が参加するケースが増えて来ているのだろうか??

3.ホアルーへ
ともあれ、バスは雨のハノイを出発し、国道1号を南下してニンビンを目指す。
ハノイを出発して20分ほどで、お茶兼、朝食兼、トイレ兼、土産物の店で30分の休憩。
後日にホーチミンで参加した日本人向けツアーでは、出発後1時間のトイレ休憩が待てないで、途中のガソリンスタンドでトイレに駆け込む人がいたから、
この出発後20分で休憩というのは、間抜けなようで適切なのかもしれない。 私もドリンクを仕入れることにした。

25分くらいでバスの周りに乗客が集まり、9時ちょうどくらいに本格的にスタート。
バスは2時間くらいでニンビンから国道を西にそれてホアルーへ。なんだか風景が桂林っぽい。
昨日見たツアー要綱によると、ここで二つの寺院を見学することになっているらしい。
実は、西暦1010年に、ここホアルーからハノイにベトナムの首都が遷され今年でちょうど1000年になる。
このため、このホアルーとハノイでは、遷都1000年を祝う共通の垂れ幕を何度も目にした。

4.タムコック
ホアルーを出発しようとしたら、フランス人母子をはじめとする何組かの家族が、「サイクリングはどうなったの?」と騒ぎ出し、ツアーの集団は分裂して、
2/3がバスに乗ってタムコックのレストランへ、1/3がホワルーに残ってサイクリング。
先発の一行は、せっかくの景色のホアルーを楽しめない猛烈なスピードで疾走するバスでレストランへ。

同席したハンガリー人母子の母が私に、「デジカメの調子が良くないの」とカメラを差し出してきた。
もちろんカメラは日本製。 状況から露出機工のトラブルだとあたりがついたが、修理は出来ない。
暫定対処として、マニュアルで調整調整を試みるも、表示されるガイドがハンガリー語?なので四苦八苦。
なんとか、露光を”-2”にセットして試し撮りをしてみると少しましになったが十分ではない。
レストラン店内の撮影は、少し過露光気味なものの見れるようになってきたが、屋外の明るさだとホワイトアウトしてしまって写真にならない。

そうこうしている内に大量のベトナム料理が運ばれてくる。
どれも美味しかったが、ハンガリー人母子は、フライドポテト(欧米風)がダントツで気に入った様子である。

食後、意味もなく、かなり長い時間、レストランの前で待たされる。
どうやら、サイクリング組が到着し、彼らが食事を終えるまで放置されていたようである。
最初からその説明があればレストランを離れてタムコックの街の探索に出かけたのだが、何の説明もないので結局、一時間くらいは意味が判らないままに、
時折レストランの様子を見に戻りながら半径200m以内くらいを歩くことしかできなかった。
やはり、このツアーは本家シンカフェの企画ではないのだろう。
価格や内容に差異がなくとも、こういった際の気配りに、一流と紛い物の差が出てくるのだ。

ボート乗り場には大量のボートが待機している。
特にボートにとっての待機順位はないように見えるが、稼ぎたい人は積極的に客を引き、そうでもない人はノンビリ構えているのだろうか?
いずれにせよ混乱もなく、チケットを手にした客はテキトーにボートにばらまかれていく。
ここで私は、例の、ホワルーでサイクリングを主張したフランス人母子と同乗。
先ほどのハンガリー人母子といい、お母さんと子供一人の参加が他にも目立った。 お父さんは仕事なのかな??

地球の歩き方によると、”タムコック”とは3つの洞窟を意味するとのことで、確かに途中、3か所くらいの洞窟をくぐりぬけたが、”3”を意味するベトナム語は
「バー」であり、一方、ベトナム語の「タム」は数字の”8”を意味する。
本当は、舟で通らないところも含めて細かく数えると、洞が8個ほどあるのではなかろうか??
とりあえず一時間ほど手こぎ舟は上流(流れが緩いので良く判らないが)に遡り、
物売りボートが待ち構えている流れ溜まりで折り返す。

私は個人的に、こういった場所では絶対にモノは買わないが、
フランス人母子は息子に玩具や駄菓子を買ってあげていた。
風景は気に行った。
ここはベトナムで「陸のハロン湾」と呼ばれているらしい。
しかし、ハロン湾は世界では「海の桂林」と呼ばれている。 と、するとタムコックは言い換えると、「陸の海の桂林」なのか? なんだかややこしい。

当初の案内より一時間ほど遅れて帰路につき、(多分、その影響もあって)渋滞にも巻き込まれ、19時過ぎにハノイのホアンキエム湖に帰還。
ここから外人客はミニバスでホテルまで送ってもらえる。
が、私はそのまま統一鉄道で南下する予定だったので、「駅まででも送ってくれるの?」と訊ねたら、答えは予想に反して「ノー」だった。
「ホテルオンリー」だという。
ハノイ駅のすぐ近くのホテルに宿泊している客もいるのに融通が利かない事である。 やはり、本家シンカフェとは接客姿勢が違うのだ。

5.統一鉄道は深夜に南下を開始する
バスに断られたので、徒歩でハノイ駅へ。
夜道は安全とは言えないが、人通りも多いしハノイの中心部は歩きなれているので問題ない。
15分で駅につき、軽く食事を済ませた後は作戦通りに駅横のホテルマンゴーに殴りこんで「2時間だけ部屋を借りたい」と申し出てみた。

南下する列車だけではなく、4年前に乗車した、中国国境のラオカイに向かう列車も深夜発なので、こういった希望をする人は珍しくないと思うのだが、
ホテルのオバサンはなかなか意図を介せず、列車のチケットを見せてようやく理解を得た。
が、「2時間でベッドは使わずシャワーのみを使用する」といってもまずは一泊料金を提示してくる。
交渉の末、一泊270,000ドンのところが200,000ドン。
私が200,000ドンで了承すると、ホテルオバサンは”やった顔”をしたが、まぁ、ホテルにとっても20時半から22時半まで部屋を使われると、
次の客を受け入れる機会を逃すから、私としても納得である。

ベッドは一切乱さなかったが、シャワーを浴び、ウェルカムドリンクを戴き、下着を廃棄させてもらう。
22時45分にサイゴン行きの列車に乗り込んだが、出発は見事に定刻通りだった。
3日目(5月03日) 1.フエ駅
ハノイを定刻の23時に出発した統一鉄道サイゴン行きは、快調にベトナムを南下していたが、途中駅の通過時刻から見て若干の遅れがあるようだ。
4人ボックスの乗客は、私のほかはベトナム人ばかり。
ハノイからラオカイを往復した際は旅行者ばかりだったのだが、路線の違いなのか、4年の間にベトナム人に富裕層が増えたか。。。

食堂車が連結されているか不明だったので、ハノイで露天商のオバチャンからバナナを一房仕入れていたが、8時くらいに車内販売で粥を売りに来た。
バナナがあるのでいったんは断ったのだが、同コンパートメントのベトナム人夫婦が購入したのが旨そうだったので、思わず前言撤回してオーダー。
10,000ドンくらいかな?と、支払おうとしたら、そのベトナム人夫婦の夫が私の分まで払ってくれてしまったので値段が判らず。
インドでも寝台車の同コンパートメントで同席した警官がコーヒーを御馳走してくれたし、
南アフリカでは、同じコンパートメントに居合わせた南アフリカ人が、駅からホテルまで自分の車で送ってくれた。
各々の国で経済基盤をキチンと築いている人は皆、旅する者に優しい。

列車は約20分遅れの11時ジャストに、ベトナム中部の古都、フエに到着。 駅に着く間際にフォーン川を渡るので車内案内を聞き洩らしても大丈夫だが、
取りあえず私の乗った車両では、車掌がその駅で降りる全乗客に対して降車を促しに来てくれた。
駅前はタクシーとバイクタクシーとホテルの客引きの、客の争奪戦。
私はいつも、それらを冷ややかに見つめながら自分の足でその場を離れることにしている。
声をかけてくるバイクも多いが、「ホテルは近くを予約しているし、自分の足で歩くのが好きだ」と断っているのだ。
予約しているホテルが近いか遠いかは、人によってとり方が違うが、私は4km以内なら「すぐそこ」ということにしている。
実際、列車やバスで新しい街に乗りつけた時は、地図を頭に、まずは歩いてみるのが、街の距離感や空気を推し量るのに最善の手段である。

2.ゴールド2とブンボーフエ
そんなわけで、フエ駅から徒歩15分で、ネット予約をしておいたゴールド2に到着。 けっこう間口の狭いホテルである。
駅からここまで街を歩いている途中、歩道に生えている木の根元50cmくらいが、すべて白く塗られていることが気になった。
この時は「害虫駆除のためかなぁ」と思っていたのだが、後日、夜に自転車や歩行者などが木にぶつかるのを防ぐ為だと聞いた。
ベトナムの夜は暗いのだ。
そんなことも歩いているからこそ発見し、気に留めることが出来る。 最初から最後まで、歩く速度で旅ができたら、どんなに素晴らしいだろう。

ホテルは奮発して,VIPルームというのを予約しておいた。と、言ってもせいぜい3000円台後半程度で、贅沢というレベルのものではない。
が、部屋は広く、バスタブもついていて、写真の様にウエルカムフルーツも充実していた。

マンゴスチンは、ハノイで固くて断念した数と同じ4個。 何かの因縁だろうか??
街の探索をしていた途中、地球の歩き方で紹介されていたブン・ボー・フエに行ってみた。
20000ドン(約100円)で名物料理が堪能できるということだったが、街はずれの荒れた佇まいに食欲が萎え、店内をのぞくこともせずにスルーしてしまった。
もしかしたら貴重な体験の機会を逃してしまったのかもしれないが、やはり食欲に訴えかけるには店構えも貴重な要素である。
それに、そんなに良い店なら適正利益をあげて、気持ち良く食事ができるレベルになるように店舗に投資しても良いではないかとも思う。
もっともそれは、この店の経営者の考え方次第なので、味とは無関係かもしれないが。。。

3.新市街
ブン・ボー・フエでの食事をやめにした私は、
探索の足を新市街の北東部に延ばすことにした。 

橋を越えた先の旧市街にある王宮は食後のお楽しみである。
13時を回ってようやく、ホワイノットという店に落ち着き、
焼きそばとアップルジュースをスキっ腹に収めた。
途中で見かけた、ドリンクすらも買う気がしないような、手入れの行きとどいていない汚い雑貨屋に、「SIM CARD」なんて手書きの看板がある。
普通のことなのかもしれないが、なんだか感激して写真を撮ってしまった。

4.王宮
新市街を踏破し、腹も満たし、ドリンクも仕入れ、
満を持して旧市街に攻め込んだ。

目指すは王宮。
チャンティエン橋とラックティエン橋を徒歩で越え、
城門をくぐってから西進して王宮門の前に立つ。
ベトナムの首都は西暦1010年にホアルーからハノイに遷都されたと書いたが、ベトナム最後の王政のグエン朝の都は1945年までここに置かれている。
ハノイとの政争はフランス支配のスキを産み出すことになり、一旦は日本が関与したことも影響をして、第二次世界大戦後のフランスからの独立運動は
フランスがアメリカに助けを求め、アメリカを泥沼に引きずり込んだベトナム戦争へと時代が流されていくことになる。

「夏草や、兵どもが夢の跡」
権力闘争の愚かさ、儚さは、人類が何度も経験していると言うのに、人類はどうして歴史から学べないのであろう。

釣銭をごまかされた王宮門から 中に入ると予想外に人は少なく、入口近くの建物以外は閑散としている。
修復? 工事をしている人の方が目につくくらいかもしれない。
修復工事をしているが、専門っぽくない学生アルバイトの様な雰囲気の人たちが、雑談をしながら和やかに、普通の刷毛でペンキを塗っているように見える。
庭園は広く、緑が多いので風も涼しく、
気持ちの良い時間が流れている。

5月の今はそれでも暑いが、
乾季に入る3月頃なら、
かなり快適に過ごすことができそうだ。
王宮は周囲が、水を張った堀で囲まれており、水面には蓮が自生している。
ここから南西に550kmほど離れたアンコールワットも、周囲の堀には同じように蓮の花が咲いていたことを思い出す。

ひとしきり王宮を堪能した後は、再びフォーン川を徒歩で越えて新市街に向かう。橋のたもとに、一双の舟。
漁夫がかぶっている独特の笠が、ベトナムらしさを醸し出している。

5.新市街
フエで晩餐を食するに相応しいレストランを求め、新市街の北東部を中心に歩き回ったが、結局のところ、ホテルの近くのカジュアルな店に落ち着いた。
決め手は三つ。
 1)地元の人でにぎわっている  2)英語メニューがある  3)セットメニューがある
結果は大正解であった。
鳥スープ、魚あんかけ、春巻にスチームライスを付けて70,000ドン。ボリューム満点で、どれも美味しかった。

食堂の立て看板に「COM」という文字が目立っているが、これがベトナム語で「ご飯」を意味する。
[COM]という表記は、ベトナム人の目には「メシ!」と、いう風に見えているのだろう。
4日目(5月04日) 1.ゴールド2の朝食
ホテルゴールド2は、部屋もスタッフも良かったが、朝食も充実していた。
レセプションに行って、「朝飯はドコ?」と聞いたら、チェックイン時にも対応してくれた小柄な女性(最初は子供かと思ったが、どうやら二十歳は過ぎている)が、
「6階です。あ、でもエレベーターは5階までだから、もう一階は階段で上がってね」という風に、丁寧に教えてくれる。

その通りに6階に上がったら、果せるかな、朝の光に包まれた感じの良いレストランが待ち受けていた。
まだ7時前だったからか先客はおらず、スタッフ二名が対応。
最初にオレンジジュースが運ばれ、続いてパンと春巻の皿、そしてフランスパンと目玉焼きの皿が登場し。
「けっこうボリュームがあるなぁ」と思ったら、駄目押しに、フルーツの皿。(パッションフルーツ・バナナ・マンゴー・ミカン)
実はホテル朝食はキャンセルして、近所で6時からやっているという安食堂にコム・ヘンを食べに行くことも考えていたのだが、ここで正解。

2.旧市街
食欲を満たしたら再び、旧市街に突撃である。
チャンティエン橋を渡り、歴史革命博物館の戦車群を眺めながら、フエ宮廷美術博物館を目指した。
 ところが、なんだかそれらしい表示&建物が見つからない。
場末の幼稚園の様な門と庭はあるのだが、奥に控えているのはブルーシートを被った体育館風建屋の廃屋だけなのだ。

しばらく近辺を徘徊した結果、ここしかあり得ないと、先ほどの門をくぐると、写真の石像や大砲が鎮座していて、やはりそうだった。
しかし博物館は見当たらない!
敷地内の、プレハブの事務所の様な所にいた男性に声をかけたが英語が通じず、二人ほどたらい回しわされた後に、賢明そうな女性が登場。

どうやら現在、建て替え中らしい。
「地図は持っているか?」と聞いてくるので日本語の地図を差し出したら、”フエ大教会”の文字を指差して、「これはチャーチか?」と噛み合った応答。
「うん、日本語で教会と書いているよ」と答えたら、「その近くに仮展示場がある」とのこと。
時間の都合で、そこには寄れなかったが、なかなか親切な対応に感謝。

その後にホーチミン博物館の付近を散策し、宿に戻って本日2回目のシャワー。
この後、列車で18時間を費やしてサイゴンに入場し、そのままバスツアーに突撃する作戦なので、汗臭くならないように、ベストを尽くしておく必要があるのだ。

チェックアウトをしようとしたら、例のレセプションの女性が、研修中という20歳前くらいの女の子を紹介してくれる。
日本語を勉強中とやらで、比較的流暢な日本語でホテルから送り出していただいた。

3.列車はさらに南下する
フエ駅は、到着時と同じく快晴。
駅前には、多くの飲食店がならんでいる。
下車した建物の方ではなく、ブッキングオフイスを覗いてみると、こちらが乗車待機所になっていた。
チケット売り場もOPEN。 私はすでに入手済みだったが、ここで目的地までのチケットを購入するのは難しくはなさそうである。

10時20分くらいに、「SE3待合」と表示された、別室への扉が開かれ、
チケットを見せて入場。 改札も兼ねて、空調の利いた部屋に乗客を案内しているようである。
中に入ると、プラットホームの方向に向かってベンチが並んでいる。
統一鉄道最速のSE3に乗ろうとする乗客は、やはり気合が入った旅行者っぽい姿が多かったが、少しだけ移動する風のベトナム人の姿もないではない。
次の停車駅は、2時間20分先の、リゾート地ダナンである。

10時30分くらいに、再度の改札を受けてホームに入ったが、10時39分に到着予定の列車はなかなかやって来ない。 特に案内の放送もない。
昨日到着した時も、20分の遅延があったので、大体そんなものかも知れない。
駅舎側にずらりと並んだ売店で
ミネラルウォーターを一本仕入れ、ゆるりと待っていると、
50mほど彼方の遮断機なし警報機が鳴り始める。

10時55分に、サイゴン行きSE3が登場。
本日の車両は9号車。
降車客は昨日に比べてはるかに少なく、私のベッドは、ここまでは使われていなかった様子である。 しかしシーツは、、、昨日と同様に、ちと臭う。

一等(4人用コンパートメント)車両の構造は、海側通路の車両と、山側通路の車両が交互になっているようであるが、今回の日中は通路の窓から
海の風景を眺めるのを楽しみにしているので、この9号車の山側通路は希望通りである。
コンパートメントは昨夜の車両と異なり、デザインは様々な様である。 今回はすぐに検札が来た。
走り出して間もなくゲットした昼弁25,000ドン。
今度は自分で買ったので、値段がわかる(笑)

写真の通りのシンプルなものだが、
たまにはこんなベトメシも悪くはない。
5日目(5月05日) 1.サイゴン
比較的正確な運行をしていると言われる統一鉄道だが、フエを出る時点で20分近く遅れていた列車は、徐々に遅れが拡大し、定刻より一時間遅れの、
午前5時30分過ぎにサイゴン駅に到着。
定刻に着いたとしても薄暗いだろうし、街が動き始めるまでの時間を持て余すだけだったので、この遅延はまったくオッケーである。
駅のベンチでは寝ている人も何人かいたが、ロッテリアは元気に営業していた。
駅前にはなぜか蒸気機関車の雄姿。 こいつが南北間を走り抜けていた時代も有ったのだろうか?

2.ホーチミンシティー始動
さて、5年半ぶりのホーチミンだが、サイゴン駅からデタム通りを目指す程度なら、道に迷うほどでもない。
取りあえずは、スリも多いという愛しきベンタイン市場を目指し、そこからファングーラオ通りに抜けるとすぐである。
そこで朝食としてフォーガー。 観光客仕様で豪勢だが、価格も70,000ドンとディナー並み!

3.メコンデルタ
フエで、サイゴンにも支店があるTNKトラベルに、日帰りメコンデルタツアーを申し込んでおいた。
現地で日本語ツアーに参加するのは初めてだったが、書籍「週末海外」の著者が、ホーチミンでそれに参加したと書いていたのを読んだ記憶が作用したの
かもしれない。
指定の7時40分に集合し、8時過ぎにデタム通りを出発。 参加者はすべて日本人で35名の大所帯。
ベトナムで愛用しているシンカフェツアーだと、英語圏以外の様々な国の人が集まってくるが、やはり日本語だと日本人しかいないのかと感心してしまう。
ガイドのデュクさんはベトナム人だが、日本語は流暢である。
バスは一時間後に休憩をはさみ、
メコンデルタの玄関口のミトーへ。

写真は、ミト―を少し過ぎて、
川を越える橋の上から写したものであるが、
夏の空をしている。
バスを降りたら小舟でメコンを体感し、フルーツ試食場所へ。
2004年のシンカフェのツアーと同じような雰囲気で、どちらかと言うと前回の方がメコンに踏み込んでいった感があるが、今回はホーチミンからも近く、
日帰りでもあるので、ほんのちょっとだけメコンを体験したい向きには、手軽で良いかもしれない。
ココナッツミルクキャンディーの製造は、
1)ココナッツミルクを煮込んで固くし、
2)四角く整形して、
3)ライスペーパーで包んだ後に包装していく

椰子の実だけを食べて生活していた
ヤシ教団の寺院(跡地?)を過ぎたあたりで、
椰子を満載したボートが通り過ぎていく
一人で参加しているオジサンが、ベトナムに着いた初日に数十万円を盗まれたが、ホテルや移動、ツアー等は日本で予約していたので、
予定の行程は守れて良かった様な事を、半ば武勇伝のように話していた。
正直なところ、感情移入ができない。
行動に必要なすべてを予約しているのに数十万円(平均的なベトナム人の年収の数倍)を現金で持ち歩く理由が判らないし、
すられたのではなく、何かを買った時に出した札束を鷲掴みにして逃げられたらしいが、そんな大金を群衆の中で外に出すこと自体が間抜けだし、、、
気の毒に思う気持よりも、こんな人がいるから、旅行者が犯罪者につけ狙われてしまうのだと、逆に怒りの方がわいてくる。
海外を渡り歩いていると犯罪被害に遭う確率も低くはないが、常識的な警戒もしないのは他の旅行者の安全にも影響する事を忘れないでいただきたい。

4.ホーチミンシティー
ツアーが順調だったのか、予定よりも早く、まだ陽も高い16時半に、ホーチミンシティーに帰還した。
本日23時40分のフライトなので、デタムを20時くらいにタクシーで出発すれば十分である。

とりあえず、以前にも行った国営百貨店に行ったが、特にそそられるものはなく、手ぶらでデタムに帰還。
テキトーに店を冷やかしながら、結局は織物のSAPAと工芸品のRed Dragon Flyで土産漁り。
工芸品の方は、店名通り、赤とんぼをモチーフにした小物入れ等が可愛く、安価に入手できる。

今回のベトナム最後の晩餐はココナッツジュースにフライドライス。 やはりベトナム食は美味しい。
締めくくりに、代表的なベトナムコーヒー!
コンデンスミルクが溜まったコップに、上からコーヒーをポタポタと抽出し、かき混ぜて飲むと、やたら甘いが癖になる味わいの例のヤツである。

暗くなってきた公園で、屋外に置かれた自動販売機を発見。
日本では当たり前のように目にする自動販売機だが、海外で、しかも発展途上国で、さらには屋外に設置されているものは非常に珍しい。
各ドリンクの下の青い帯部分には、日本語で「つめた~い」と書かれている。
日本だと冬場は、この表示が「あたたか~い」に変わったりもするが、ここホーチミンでは、その機会はないだろう。

いよいよ真っ暗になってきたので、デタムとファングーラオが交わる付近でタクシーをゲット。
と、若い運ちゃんに、「Air Port」と言ったら、まったく通じない!
英語の通用度の高いベトナムで、しかも外人観光客がベトナム人よりも多いのではないかと思われる地域で客待ちしているタクシーに、
「エアポート」が通じないというのは、蕎麦屋で「そば湯を下さい」と言ったら、「何それ?」と返されたくらいの衝撃である。
大急ぎで、もう用済みだと思ってしまい込んだばかりの「旅の指さし会話帳」をバックから引っ張り出し、「san bay」と言ったら通じたが、
サンバイだと空港の意味だけなので、国内線に連れていかれたら嫌だなぁと心配になる。

と、運ちゃんも、まだ不安があったのか、20mほど走ったところで交通整理をしていた人を呼びとめ、何かを言っている。
と、その人が窓から首を突っ込んできて私の顔を見るので、「行き先は空港だよ。インターナショナルの出発ターミナル」と言ったら、すぐに運ちゃんに通訳を
してくれて、ようやく車は空港を目指して順調に走り始める。
夕方から雲霞のように湧いてくるバイクをかき分け、40分ほどで空港へ。 料金はほとんどかっきり100,000ドン。

空港のトイレの個室で、ぬれタオルで全身をふき、着衣のすべてを帰国用の服に着替えて、フエから36時間身に着けていた衣服は空港のゴミ箱へ。
そうして小さなバックにスペースを作り、タックスフリーで怪しげな菓子を買い込んで詰め、ベトナムドンの処分も完了した。
帰国日(5月06日) 帰国
ほぼ定刻に成田に到着。 自宅のシャワーでベトナムの汗を流し、午後から社会復帰。

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