ラオス&カンボジア2009

1日目(4月29日) 1.日本脱出
成田空港は、豚インフルエンザの影響か、4月29日の朝だというのにさほど混んでいない。
しかし、我がベトナムエアのチェックインカウンターは長蛇の列で、チェックインまでに40分程度を要した。
電光掲示板の出発時刻は定刻よりも10分だけ前倒しになっていたが、結局はほぼ定刻の出発。
乗り継ぎ地ホーチミンまでの飛行は順調。

4年半ぶりのタンソンニャットだったが、ベトナムには入国しなかったのでベトナムコーヒーは飲めなかったのが残念。
トランジットはいい加減で、デジカメをポケットに入れたまま金属探知機を通ったので機械が反応したのにチェックをしてもらえず、係員に渡そうと思っていた
ミネラルウオーターも持ったままでスルーだった。 カンボジアに飛ぶVN829便は到着が少し遅れたらしく、およそ10分遅れで出発。

60分程度のフライトだったが、隣にほとんど英語が通じない韓国人夫妻が座り、しかもカンボジア入出国カードの書き方がまったく分らないらしく、
スチュワーデスに頼ろうとするもベトナムスッチーは同じ東アジア人の私に丸投げ。
機内サービスの軽食を食べることもままならず、英語と片言の韓国語で書き方を教えるのに四苦八苦したが、その横で老妻が「我関せず」と一人でくつろいで
いたのが、いかにも韓国であった。

2.カンボジア第二の都市 シェムリアップ
それなりの完成度の入国カードを韓国夫妻の手に残し、「アンニョンヒカセヨ」と別れを告げて、機内一番でシェリムアップ国際空港のイミグレに突撃。
混んでいる可能性を嫌って、高い金を出して日本でヴィザを入手していたのだが、これならアライバルヴィザを20USDで取った方が正解だったとちょっと後悔。
書いておいた関税申告は、受け取ってくれる係員すらおらず、アッサリと入国。
後に後悔することになる、高額100USDをカンボジアリエルに換金し、タクシーを雇って中心街へ。シェムリアップの大動脈,国道6号線を東進して、
ネットで予約しておいた☆☆☆☆アンコールホリディーホテルへ。
タクシー運ちゃんは翌日の仕事にありつこうと、息もつかずあれこれと話しかけてくるので、「私の足はストロングなので、全部の遺跡を歩いて回る」と
言い切ってやったら諦めたようだった。
日本人相手には、もっとスローに売り込んだほうが良いのだよ。君は7USDの売り上げだけで満足しなさい。

3.アンコールホリディーホテル
「地球の歩き方」だと、シングル一泊100USDからとなっているが、ネットで予約すれば3泊でも1万円そこそこで確保できるのだ。
このホテルは国道6号線とシヴォタ通りの交差部に位置しているので、どこに行くにも便利である。

夜はホテルのレストランでマッタリ。
経験的に、アジアで食に失敗することは少ないが、そのジンクスはカンボジアにも通用した。
何気なく選んだシーフードボイルライス(4USD)は絶品だった。

深夜23時50分に来訪者。
カードキーを差し込む気配と、それでもドアが開かないので嘆くような女性の声。
ドアの中から、「Who?」と確認しようとしたが、それに気付かず去っていった気配。
ところが5分ほど間を空けて再度、何度もドア開錠をチャレンジする気配の末に、ドアチャイムを押す音。
チェーン錠をかけたままドアを半開きにして、「一体なんだ?」と英語で聞いたら、日本人っぽい発音の女性がゴメンなさいと英語で謝り、
ホテルマンらしい男性に「ミステイク」と言って去っていった。

同じ状況に、マイアミ国際空港のエアポートホテルで遭った事がある。 ペルーからの帰りで、やはり深夜0時近く。
この時は明らかにホテル側のミスで、同じ部屋のキーカードを二重に発行していたのだが、今回は女性が部屋を間違えたのか、ホテルがミスをしたのかは
確認しなかった。
マイアミの空港ホテルなら、深夜の到着者も理解できるが、シェムリアップに深夜に到着する事情というのは少し解せない。
(女性が荷物を持っていたかは見なかった)
女性が部屋を間違えたのだとしたら、二度も訪ねてきたのが少し解せない。 いずれにせよ、内鍵とチェーン錠は必須である。
2日目(4月30日) 1.アンコールワット
カンボジア最初の朝はバタバタせずに、ホテルのモーニングビュッフェでゆったり。
午前7時前なので、ゆったりというのは正確な表現ではないのだが、日本時間では9時頃だから、気分的にはユッタリである。
7時過ぎに朝食を終えて、ホテルのフロントに、「アンコールワットまでトゥクトゥクで行きたいけど、幾らくらいなの?」と聞いたら、
「一日雇うのか、半日雇うのかどっちだ?」と聞き返してくる。
「いや、アンコールワットで乗り捨てて、その先はまた、そこで探す。」と言ったら、「普通はそんなことはしない」とバッサリ。
素直な私はそうかと思い、
「ならば一日で、アンコールワットとアンコールトムと東バライに行った後、午後はトンレサップにも行く。ロリュオスには行かない。」と
作戦を伝えたら、「トンレサップは遠いので、普通は20USD」と答えが返ってきた。

この時点で私は、ホテルのフロントと価格交渉に入っていた状況だったのだが、私はホテルに一般的な質問をしていた認識だった。
「そうか、それならそれで良いから、トゥクトゥクをココから呼んでもらえるか?」と聞いたら、「20USDを下さい」と請求を受ける。
呑気な私はこの時点で、ホテル側と価格交渉をしており、言い値で受けてしまっていたのだと気づいた。

ただし大きくぼられたわけでもなく、ホテルが1割ちょっとのコミッションを抜いているとしたら、そんなに酷い金額ではなかったようでもある。
我がトゥクトゥクは、指定の7時30分かっきりに現れた。
ちゃんとナンバージャケットを着用している。 良いやつだったら明日も雇ってあげよう。 ただしホテル抜きで。。。
No.2325はNGEK(ネイ)と名乗った。 まずは遺跡チケットゲット アンコールワットの外堀

走り始めてすぐに、トゥクトゥクは大正解だったと悟った。
タクシーのほうが5割くらい高くても乗り心地はいいかも知れないと思っていたが、風を切って走る感覚がなんとも快適である。
まずはチケットポイントで3日券をゲットする。40USD。
ここでは使いまわし防止のために、(画質は悪いが)本人の写真付きのチケットが発行されるという最新式なのだ。
アンコールワットは、明日も時間をかけて見に来るつもりだが、挨拶程度に一時間の観覧。

確かな存在感があり、インドネシアのボロブドゥールや、
タイのアユタヤの各遺跡よりも注目されることは納得である。
内部も素晴らしい。
単なる遺跡ではなく、今も信仰の対象になっているのが、ここを特別な存在にしているのかもしれない。
私は信仰心を持っている人の敬虔な気持ちは大切にしてあげたいので、祈りを捧げている方の写真は撮れない。
時折見かけるが、祈っている人に向ってフラッシュを光らせている観光客を見ると、少し私は戸惑ってしまう。
しかし私自身には、神仏を信じる心はまったくない。
自分以外の何者かに畏敬の念を持つ気持ちはあるが、それが神であれ仏であれ人であれ、すがったり頼ったりする発想は持ったことが無い。

2.バイヨン
次にネイは、黙っていても私をバイヨンに運んでくれた。 象に載って楽しんでいるのは、白人か中国人が多いように思える。
私は特に乗る気もしない。 敦煌でラクダに乗ったが、動物というのは、それほど乗り心地が良いものでもない。

バイヨンの遺跡は、アンコールワットとは異なった趣があり、やはり世界中から人を集めるだけの力を持っている。
この地に生活基盤をおく人が、これらの遺跡を残した人々の子孫であるかどうか知らないが、
この遺跡なしには、現在の彼らの生活は成り立たないだろう。

高い科学技術と文化を食うための武器として子孫に伝えている日本と、
集客力のある遺跡を土地の後継者に伝えているカンボジア。
どちらも、残す側には子孫のためという意識は大きくなく、受け取る側の心のありようが、
自分自身の人生を決めるのだろう。
クメール遺跡には、大きな顔の彫刻が特徴的だ。
作られた当時は、どのような彩色(装飾)が施されていたのだろう?
シェムリアップはインドシナ半島の内陸部に位置するので、大気汚染が遺跡に影響を与えているという話は聞かないが、
西側に位置するバンコクの工業化が進んだら、酸性雨などの問題が生じるのかも知れない。
ふと下を見ると、それらしい衣装に着飾った一団がいたので、他の観光客に便乗して写真を撮らせていただいた。

3.王宮と象のテラス
バイヨンの次は象のテラスと、その近傍を散策。
子供が寄ってきて、「写真を撮ってくれ」とジェスチャーするので、撮ってあげたら案の定「1ドルくれ」要求。
このケースで代わりにアメをあげる欧米観光客も多く、これが歯磨き習慣の無いカンボジアの子供の歯を蝕んでいるという話もある。
私は、この為に準備しておいた?、小袋の柿ピーをあげた。(たぶんガッカリさせたことだろう)

4.プリア・カン  ニャック・ポアン  クオル・コー
プリア・カン、ニャック・ポアン、クオル・コーと、
酷暑期のカンボジアにおける炎天下の中で進軍が続く。
もしタクシーにしていたら、遺跡見物中もエンジンをかけて、
冷房をつけっぱなしにしていない限りは、
車に戻ったときに大変な熱波が私に襲い掛かってきたことだろう。

しかしトゥクトゥクなら熱気はこもらず、走り出すと即座に心地よい風が身体を冷やしてくれる。
今日は午後からトンレサップに行く予定なので、駆け足でトゥクトゥクは進む。
しかし、ニャック・ポアンの怪しいヴァラーハの像は写真に撮っておきたかった。
写真を撮るために旅をしているわけではないが、このようなビジュアル系ははずせない?

5.タ・ソムと東メボン
タ・ソムで、木に襲われた門を見た後、東メボンで象の像を眺める。
絵に描いたような観光コースになってしまったが、天気が良いので気分がもりあがる。

6.東バライ近辺
東バライ近辺は、トゥクトゥクで走り抜けてしまったので、掲載できる写真が少ないのだがなんとものどかな、長居をしたい場所だった。
この時点で12時を回っていたし、ネイに「ハングリー?」と聞くと、躊躇無く、腹減ったと言い返してくるので、今回はちょっと駆け足。

7.タ・プロム 下見
タ・プロムは、駆け足で見て回るにはもったいない規模と奥行きを持っている。
個人で回っているのだから、気に入ったところに時間を割く自由度はあるのだが、先ほどからレストランとトンレサップが呼ぶ声が大きくなってきている。
ここでようやく、カンボジアチックな野球帽を入手。ミネラルウォーターをつけて10000R。
カンボジア人の反ベトナム感情は日本人から見る北朝鮮のような一面があるらしいのだが、それを知らずにベトナム国旗のついた野球帽を持ってきて
しまっていたので、今日は朝から隠すように被っていたのだ。(帽子を脱ぐには厳しい日差しだし。。。)

8.昼飯
13時を過ぎて、ようやく昼食にありついた。
ネイに、「旨い店知ってる?」と聞いたら、「もちろん」と案内してくれたのが、いかにも観光客好きしそうなオシャレなレストラン。
「御馳走してあげるから、一緒に食おうぜ」と誘ったが、この店はトゥクトゥクやタクシードライバーと、観光客の食う場所が壁で仕切られていた。
ジャワ島だとアバウトで良かったのだが、店にもよるのかな??

少しでも時間を節約しようと、カレーを頼んだのだが、来るまでに結構な時間がかかった。味はもちろん、かなり良い。
少しタイ風に香草の香りが鼻をついたが、具が色々と入っていて嬉しい。
これで4USDは、やっぱり安いと思うのだが、平均的カンボジア人の経済力から言うと、とんでもなく高いのだろう。
なんせ、10時間近くトゥクトゥクを借り切って、50km以上を走り回っても、(たぶん)値切れば16USDなのだ。
日本でこんなことをしたら30000円は必要だろうから、このカレーは7500円の価値に相当するのかもしれない。

9.シヴォタアベニュー南下
東バライ近辺で昼食を食した後、ホテルの前で国道6号線を横切って、トンレサップ湖に向って南進した。
オールドマーケットを過ぎて、街の中心部から外に出たあたりから道が悪くなってくる。
大体はそれなりに舗装しているか、許容できる程度の未舗装路なのだが、整備中のところは子供の頭大の石をゴロゴロと敷き詰めているので、
ネィが5km/hくらいに速度を落としても、体が宙に浮いてしまう。

トゥクトゥクから降りて、ネイと並んで走ってみる。 この方が座っているより楽かもしれない。
再び舗装路になって快調に走っていると、突然のスコール。 道沿いの雑貨屋でネイが雨合羽を仕入れる。
「運転しづらくないの?少しやり過ごすか?」と聞いたら、「大丈夫! アイムハッピー! ヒャッホー♪」とはしゃいでいる。
よし、君は明日も雇ってあげよう。
トンレサップ湖が近づいてくると、道沿いに建つ家も、
少し離れた低地に建つ家も高床式になって、
雨季(トンレサップ湖拡大期)の水位に対応している。

素っ裸の子供が走っていたりして、
シュムリアップ中心部よりも貧しいような感がある。

10.トンレサップ湖
丘の上に立つプノン・クレロムの上り口を過ぎ、さらにしばらく走るとボート乗り場が見えてくる。
切符売り場もここにあって、「歩き方」の情報と少し異なる。 トンレサップ湖の拡大期と収縮期で変わってくるのだろうか?
ボートはグループごとに割り当てられるらしく、多人数でも個人客でも貸切になる。
そのせいか、15USDではなく20USD取られたが、まったく待たされることも無かった。
が、割り当てられたボートは、ライフジャケットも無くボロッちい。エンジンも不調のようだ。大丈夫かい??

このトレンサップ湖のボートクルーズがどんな感じなのかは、多くのガイドブックに書いてある通りなので説明を割愛する。
とにかく水路を抜けて、沖に点在するボートピープルの家を眺めるという1時間半のお決まりコースのようだ。
ボート乗り場でも「イチジカンハン」と言われた。 ボートピープルは、ベトナム人とカンボジア人の各々がいるらしい。

あっちがベトナミーでこっちがカンボジア人と、船頭のスオが言うが、
「そのベトナム人の国籍は、カンボジアではなくベトナムなの?」という質問は、スオにはうまく伝わらなかった。
このスオ、ボロボートの船長ではあるが、腕はナカナカのものだったのかもしれない。

湖に出る水路は水が濁っているのに水深が浅く、何隻かが浅瀬に乗り上げたり、
スクリューを変形させたりしてトラぶっていたが、スオはスイスイと難所を横切っていった。

対向船にしぶきをかけられて怒っている。
一時間半かっきりでクルーズは終了。
乗り場と降り場が200mほど離れており、外に出てもネイが待っていなかったので乗り場に歩いて向う途中でバッタリ会えた。
どうやらネイは、降り場が異なることを知らなかったようだ。
「ではホテルに直行?」とネイが聞いてくるので、「プノン・クロムに駆け上ってきたい。」と言ったら、「もう4時だよぉ」と愚痴。
「20分で戻ってくるから」とネイをなだめて、トレイルランばりに階段と坂道を駆け登る。
丘の上からはトンレサップ湖に続く水路や、ボートピープルの家が意外に岸に近いあたりに密集しているのが良く見えた。
帰り道も駆け下ると、山頂近くで追い抜いたダイエットウォーキングオヤジが負けじとついてくる。
こちらは本気ではなかったので、下り坂では差がつかなかったが、階段で大きく引き離してしまったので、ネイのトゥクトゥクがスタートした後で、
門のところで息を切らしているオヤジを振り返ることになった。

11.ホテル生還
ホテルには、約束の17時かっきりに到着。 着くなりネイが、「明日は??」と聞いてくる。
よしよし、今日は良く頑張ったので明日も雇ってあげることにしよう。
「朝5時に集合。サンライズアンコールワットを見た後バルーンに乗り、それから西バライに回って休憩。
     次に6号線を東進してロリュオスを制覇し、14時にホテルでフィニッシュ。 これで50000R(=12USD)でドウダ?」
と、投げかけたら、価格交渉なしで受けてくる。
『もっと安くても良かったのかな??』

部屋で一息ついてから、昨日目をつけておいたフルーツショップで買い付け。
明日の朝食にと、リンゴを2個とミカンを2個で1USD。
マンゴスチンが1kgで3USD(マレーシアの二倍くらい高いぞ)を、ちょっと値引いて12000R。

夕食後はマンゴスチン祭り♪
日本では、マンゴスチンの一気食いなどという贅沢はちょっと出来ないなぁ♪♪
3日目(5月01日) 1.サンライズアンコールワット
午前5時。 ホテルの前で約束どおりにネイは待っていた。
ちょうどこの時間、パッケージツアーらしい人たちもホテルからバスに乗り込み始める。
ネイは一旦、律儀にチケットチェックポイントを通ってアンコールワット西参道前へ。
ネイに「ネイの朝食だよ」と、昨日仕入れたリンゴとミカンを渡すと大感激していた。

西参道からワットへと向うと、同じように東を目差す集団が黙々と歩いている。
結局、今日の朝焼けはパッとしなかったが、それでもトップの写真のように、それなりの早朝ワットを楽しむことは出来た。
昨日は駆け足だったアンコールワットの回廊などをゆっくりと見て回る。
建設当時、どれほどの経済余力があったのかは分らないが、誠実な仕事振りには目を見張るものがある。
先にも書いたように私には信仰心は無いが、私を納得させる仕事は、信仰心に突き動かされた人が残したものの中にあるのかもしれない。

堀の中にハスの花。世界遺産の中でユッタリと過ごす朝の時間。 この贅沢な時を、一生の内に何度迎えることが出来るだろうか?
今年の年明けを迎え撃ったサンテミリオンの朝にも感じた、一種懐かしいような想いがよぎった。

2.西バライ
アンコールバルーンは、視界不良とやらで運行を停止していたので、そのまま空港前を通過して西バライへ。
遺跡が残る人工島の西メボンには渡らなかったが、人工湖とは思えない大きな貯水池に感動。
2×8=16平方kmの穴を、いったい何年かけて掘ったのだろうか?

3.ロリュオス遺跡群
西メダンから国道6号線に出て、南東に進路を取る。
途中、ラオス航空国内線のリコンファームをするために,ベトナムエアに立ち寄ったが、ガードマンが今日はクローズだという。メーデーだからかな?

仕方が無いのでそのままロリュオスへ。 想像していたよりも遠い。道は良いが、トンレサップ湖以上に遠い道のりだ。まずはバコン。
なかなか雰囲気のある、規模の大きな遺跡である。

次に、先ほど一旦通り過ぎた国道よりのプリア・コー。韓国人の団体さんに圧倒されて、静かには楽しめなかった。
日本人も団体旅行者が多いが、概ね物静かに行動しているか、小集団に分かれて遺跡を鑑賞していることが多い。
東アジア人が大集団で騒いでいるのを見かけたら、まずは韓国人か中国人であろうか。
今日は、プリア・コーのシンボルの牛も、ちょっと驚いていたに違いない。

さて、今日のトゥクトゥク旅のファイナルのロレイ。
ここの入り口近くには普通のお寺もあって、そこの人なのかどうかは分らないが、お布施を求めてきた。
ここの遺跡はリンガが見ものなのだそうだ。

さて、今日のトゥクトゥク旅はこれでファイナルである。
バルーンに乗れなかったこともあって。予定よりもだいぶ早い時刻に戻れそうなので、ネイも心なしか嬉しそうに見える。
6号線を北西に戻ると、途中でかなりの規模の市場を通過する。
ホテルからも2km程度なので、オールドマーケットがつまらなかったら、ここを覗きに来ることにしよう。

ホテルには11時少し前に帰還。
約6時間の労働で、約束の50000R。
今日はちょっと、チップを減らしておいた。

到着すると間髪いれず、「明日は?」と、女学生のように目を輝かせて聞いてくるので、7時集合の新たなプランを提示したら、ネイはとても満足気な顔で
去っていった。

4.オールドマーケットとバーストリート
午後からは徒歩でシヴォタ通りを南下し、まずはバーストリートを目差した。
ベトナムほどひどくは無いが、通りの辻つじでトゥクトゥクかバイクが声をかけてくる。軽くいなすと、食い下がってくるようなことは無いのでまだマシだが、
それでも続けざまだと、ちょっとウザイ。
ちょっとヨーロピアンな町並みの通りや、東南アジアらしいフルーツショップが目を楽しませてくれる。

手ごろな店でランチ。
セットメニューの選択肢が多かったので入ったのだが、席についてから気がつけば、「歩き方」にも掲載されているイタリアンピザ店。
オーダーしたセットは生春巻き・カレーっぽい肉料理・フルーツサラダ。
イタリアンではなく、アジアン無国籍料理というカテゴリのものであった。

食後はオールドマーケットをぶらりぶらり。
とりあえず、少しカンボジアンな土産も見繕うことにするが、明日にはラオスに攻め込む作戦なので身軽でもありたい。
多少は重くても良いが、体積が小さいことが条件。

結局ここでは、超アジアンな箸のセットと、ジャスミンティー&ロータスティーを手に入れることになった。
同じようなものが各々の店にあるが、しっかりと値段を比べてみたほうが良さそうである。

シヴォタ通りをホテルに向って北上しながら、交差点の近くの近代的ショッピングセンター/ラッキーモールに潜入。
一階に、スーパーマーケットがあって興味深いが、入り口のところでカバンを預けることになっている。
品揃えは、缶ジュースや菓子類、パックにされた肉やバーベキューセット、小分けしたフルーツなど、日本のスーパーマーケットと見まごうほどだ。
金額は概ね、日本の2割~3割り位だろうか? 缶ジュースなどは5割くらいかもしれない。
ここで怪しげなパッケージの缶ジュース(結局は豆乳だった)と、パック詰めをされたサラックを入手。
サラックは2年前のマレーシアでお目にかかって以来だろうか?

二階はエスカレーターを上がるなり、ベタ甘そうなスィーツショップとバーガー屋。
どうやら、シェムリアップのメタボの製造拠点のようである。 三階には電気店と貴金属点があったように思うが、あまり印象的ではない。
夜になると強い雨が降り出したので、再びホテルレストランでクメール風のシーフードスープとスチームライス。5USD。
部屋に戻って、冷やしておいたサラック0.5USDと、雨の直前に買い込みに行ったランブータン1USD/0.5kg。
アジアの熱帯地方は、食にもデザートにも困ることが無い♪♪
4日目(5月02日) 1.アンコールバルーン
今日も元気にネイが時間厳守でやってきた。
まずはベトナムエアのオフィスでラオス航空のリコンファーム(もう明日のフライトなのだが。)
昨日はメーデーのためかクローズで、明日は7時にオープンするとガードマンが言っていたので、7時7分に突入。
ところが今日は、7時30分のオープンだという。(地球の歩き方にも、7時30分~と書いてある。)
仕方が無いのでネイを残して6号線沿いを朝ぶらり。
ハングル文字の看板が目立つ。 韓国ではなく、北朝鮮との関係も深い国のようである。

7時30分にオフィスが開いたので、早速リコンファームを申し入れるも、(予感はしていたのだが)「これはラオエアラインのチケットじゃないか」と一蹴される。
そんなことは分っている。 しかし、チケット発券時にもらった紙に、「シェムリアップのベトナム航空オフィスでリコンファームが必要」と書いてあるのだ。
英語の部分を見せて、「ほら、これはこのオフィスの電話番号だろ?」と指し示しても、一顧だにしない。
「ラオス航空に行け」で済まされてしまう。
ラオス航空のオフィスが、ここから200mと離れていない6号線の反対側にあることは、昨日発見していた。
ただ、「歩き方」によると、ここのopenは8時なのだ。

ネイに経緯を話して連れて行ってもらうと、門は開いているが「CLOSE」のカンバンがかかっている。
中に入って、開店前の掃除をしていた女性に頼むと、中から所長らしいオジサンが出てきてリコンファームを受け付けてくれる。
が、インターネットを使ってリコンファームを行うらしく、さらにここのシステムはダイアルアップなのか回線速度が遅いのが見ていても分った。
所長オジサンが、「ネットの調子が悪い」とか言いながら、画面がフリーズしているのを見せてくれる。
結局、リコンファームは完了しなかったが、チケットナンバーを控えてくれて、「後でやっておく」と、約束してくれた。

一抹の不安は残るが、次は昨日は運休していたアンコールバルーンである。近づくとバルーンが空に浮いているのが見えた。 ネイも気づいて指を指す。
8時少し前に到着して、「乗れる?」と訊ねると、「7分待つ」と英語で返答。
どうやら、乗客が集まったら浮かべるのではなく、定時制のようである。 15USD。
私と同着ぐらいで中国人年配カップル。
『これだけで運転かな?』と思っていたら、我々が乗り込むと同時くらいにバスで到着した日本人の団体さんが飛び乗ってきた。

バルーンは熱気球ではなくガス式で、回転はしない。鎖でひきづり降ろしたり宙に浮かべたりを調整している。
200m上空からワットやプノン・クロムが良く見えて満足。

ネイには昨日から予告しておいたが、今日は一昨日に行きそびれたタ・ケウと、駆け足になったタ・プロムのリベンジである。
道沿いの、カンボジア民家を眺めながら、アンコールトムの脇をスルーしてタ・ケウに向う。一日目にも通った道路は、団体さんの人数が増えていた。
そう、中国も長期休暇に入ったのだ。

2.遺跡ファイナル
タ・ケウは小さな遺跡だが、急な階段が特徴的。 観光客の転落事故は無いのだろうか?
この遺跡には子供の物売りが多く、最上部まで登ってきていた。
今日はホテルの荷物に「柿ピー」を入れてきてしまったので気づかない振りをしてやり過ごした。
1000Rをケチりたいのではなく、「子供は商売の戦力にならないから学校に行かそう。」という風潮になってほしいのだ。
さて、ファイナルのタ・プロム アゲイン。

先日は南門からのアプローチだったが、今日は西門に連れてこられた。
この一帯で、一番味のある遺跡かもしれない。
僧が、遺跡の壁面を撫でている。
彼らは、修行中なのだろうか? 観光中なのだろうか??

3.シェムリアップ国際空港
待たせていたネイのトゥクトゥクに飛び乗ると、まずはホテルに急行。 荷物をまとめてチェックアウト。
そして一路、三日前に降り立ったシェムリアップ国際空港へ。

出国はスムースだったが、ボディーチェックで番号式のチェーン錠を没収されてしまった。 
何がイケナイのだ??
ボーディング待機場所の中は近代的。 土産物屋や軽食レストランもある。
ここでシーフードヌードルを頼んだら、肉入りヌードルが出てきた。 指摘すると詫びながら、小皿にシーフードの具を入れてサービスしてくれた。
肉入りシーフードヌードルという新開発のメニューである。
「日本で宣伝しておくね」とお兄さんに言っておいたので。ここでその約束を果たすものである。

ここからルアンバパーンに飛ぶベトナム航空機は、青ベースではなく白ベースの機体だった。ラオスの古都まで一時間半足らずのフライト。 
今回三回目の国境越えであり、コースの半分は今回は訪問しないタイの上空を飛ぶことになる。
見下ろすと、比較的整備された畑地が広がっている。
150kmほど東側を飛べば、タイ・カンボジア・ラオスの三国国境、、、いわゆるゴールデントライアングルと呼ばれている、麻薬の一大生産地を見下ろすことに
なるのだろう。
この付近の地上にはタイとカンボジアが領有権を争って、時に銃撃戦を交えているプリア・ヴィヘア遺跡が存在している。
以前からカンボジア領にあったものの、タイ側からの道路の方が整備が早く進められていたという経緯を持ち、お互いに所有権を譲れない遺跡であったのだが、
2008年の夏に世界遺産に登録されて以来、両国の火種になっている。 タイの方が大国だし、領地でもないのだから折れるべきだと思うのだが。。。

1.ルアンバパーン(ルアンプラバン)
予定より20分ほど早い着陸。
さらに入国審査も簡素でスムースであり、14時にはタクシーに乗って、サッカリン通りのブティックホテル-チャーンインに向っていた。
ラオスはニ十年くらい前までは旅行者に対して閉じており、バックパッカーの間で幻の国になっていたのだが、いつの間にか広く門戸を開いていた。
きっと、ここ十数年でこうしたホテルやメコン川クルーズなどのビジネスが急増したのだろう。

部屋は可愛く、女の子受けすること間違いない。ウェルカムフルーツも待っていた。
特に気に入ったことに、この部屋にはテレビが無い。
ラオスの、北部山岳地帯までやってきて、世界中の情報を目にするのはゴメンである。
玄関のところで靴を脱いでからチェックインをし、部屋の中にはスリッパが準備されている。
こじんまりとしたロビーも、趣味のいいインテリアでまとめられている。

2.ワットシェントーン
まずはワットシェントーンに御挨拶。
タイでもカンボジアでもここラオスでも、寺はワットであるが、英語で書くとWATであったりVATであったりする。
もちろん、土地の文字で書くと、まったく読めたものではない。
メインのワットの写真を撮ろうとしたら、中から女性が出てきて靴を履くのに手間取っている。
それを見ながら待っていたら、「見つめられている」と勘違いしたのか、
こちらを意識的に無視しているのが手に取るように伝わってくる。

その程度ならもちろん許容するが、あろうことか入り口の階段に腰掛けて休み始めた。
確かになかなかの美人であったが、ここでは建造物のほうが美しい。
しばらく待ったが動く気配がないので、傷つけないように気を使った英語で、「寺の階段で休まないでくれ」と頼んだら、少し驚いたように立ち去った。
撮影の邪魔になっていたことを悟ったか、不敬を咎められたと思ったのだろうか?

3.シーサワンウォン通りと、ワットビスンナラート
次にサッカリン通りからシーサワンウォン通りへと、比較的静かな街を闊歩する。
ルアンプラバンは1995年に、特定の寺院が登録されている京都や奈良とは異なり、町ぐるみで世界遺産に登録されている。
カトマンドゥの谷の登録と、形式が似ているのかもしれない。
学校や国立博物館を右手に眺めながら歩くとキサラート通りとの交差点に行き着く。
ここで一旦右に折れ、メコン川に突き当たるまで前進メコン川を眺めた後は、キサラート通りを直進してからナムカーン川に向かい、丸っこい塔が特徴的な
ワットビスンナラートを襲撃。 ここも、日本で言うと戦国時代くらいの年代に建立されているものらしい。

この寺は、境内に入るのは無料だが、仏像を拝むには20000K(250円くらい)が徴収される。
夕暮れは高さ150mの丘の頂上に建つワットプーシーで眺めることにする。
ルアンパバーン空港に着陸する手前で、飛行機からも見下ろすことが出来た、眺望の良さそうな寺である。

4.モン・マーケット
シーサワンウォン通りとキサラート通りの交差点に、モン族のマーケットが常設されている。
モン族というと、ベトナム北部山岳地帯のサパで多く見かけた民族である。ラオスのモン族は、制服のような民族衣装は身に着けていないようだ。

フレッシュジュースを5000Kでゲット。 
様々なフルーツが入っているパックを選んで女性に渡すと、電動ジューサーでジュースにしてくれるというシステムである。
とても美味しく、これで60円程度とは、旅行者にはたまらない。ただし、シロップをタップリと入れているようなので、さほどヘルシーではないのかも入れない。
18時くらいになると道路をうめて一大マーケットが展開されている。

5.ワットプーシーからの夕景
国立博物館の正面から山に向ってまっすぐに階段が延びている。
汗を拭きながら、標高差150mほど登ると山頂にあるワットプーシーにたどり着く。
途中に拝観料の支払い所があるので、勢いづいて通り過ぎないように注意を要する。

この山頂は夕日と御来光の名所にもなっている。この日も、18時が近づくとたくさんの観光客とジモティー?が集まってきて、
山頂がごった返す。
結果から言えば、あまり綺麗な夕日に恵まれなかったが、それでも西に位置するメコン川の川面に反射する光が、
なかなかの情景を醸し出していた。
良い写真を撮りたい方は、17時くらいから場所取りをしておく必要があるかもしれない。

6.ラオスの伝統料理
夜はヴィエンチャンでも有名な高級ラオス料理店、タムナックラーオに突入。100,000Kで三品のコースが食せて、デザートとコーヒーが付いてくる。
スープはちょっと辛すぎたが、皿の二品は日本人の口にもあってとても美味しかった。
食後は、ここから徒歩1分30秒のチャーンインに帰還して朝まで爆睡!
5日目(5月03日) 1.メコンの国の朝
ルアンプラバンの朝は6時40分から行動開始。しかし、この町の名物の托鉢には出会わなかった。 日曜日だからだろうか?
フランスとの友好を示す石碑が建っている。さらに歩いていて発見した、寺院入り口の狛犬の赤い唇がお茶目である。

ナムカーン側の対岸に渡る細い橋があり、そこには一軒の農家が畑を擁していた。
ホテルに戻って、裏庭で朝食。アジアン、アメリカン、コンチネンタルの選択肢なら、誰だってアジアンを選ぶに違いない。
特に憧れはしないが、こんな自ままな生活も悪くないかもしれない。 冬がない国だから、時間がのんびり流れていきそうである。
先進国にはない、シンプルな食事。

2.神々が息づく街
朝食を済ませた後は、今日のフライト前の半日という時間的制約の中でルアンパバーンの街中を探検。
カンボジアの蛇の神ナーガを80倍くらい狂暴にした感じの番蛇が寺を守っている。
町の南西側のはずれに位置する市民の市場、タラートポーシーの少し手前にはベトナム風寺院のワットパバートタイがある。
ここは黄金の寝仏でも有名だが、ちょうど外から戻ってきた僧の列に出会って満足したので、中には入らなかった。

ワットタートルアンの番蛇?は黄金である。 門から入ると、犬と一緒に昼寝をしていた女の子が入場券を求めてきた。
裏には僧院らしい小さな建物があったが、寺の中は仏殿も境内も、この女の子以外には誰もいなかった。

3.街の日常
11時過ぎにホテルに戻って、荷物をまとめてチェックアウト。
いつも私は、着倒した下着をホテルに廃棄し、その地での土産物を入れるスペースをバッグに確保していくのだが、今回のような小さなホテルでは
それをしにくかったので、ルアンパバーンでは戦利品なしである。
11時40分に声をかけてきたトゥクトゥクの言い値50000Kを40000Kまで値切り(35000Kには至らなかった)、12時ちょうどにルアンパバーン空港へ。
この空港は滑走路一本の小さな空港だが、バンコクやハノイに国際便も飛んでいる。
1.ヴィエンチャン
ルアンバパーンからは今回の旅で唯一、リコンファームが必要だったラオス航空でのフライト。
カンボジアでのリコンファームに若干の不安が残っていたが、チェックインはスムース。

今回唯一の国内線のフライトは、ラオス北部の半分を45分でひとっ飛び。
当初は、ルアンパバーンからヴィエンチャンまではバスで移動をしようと目論んでいたのだが、それだとラオス国内の限られた日中の時間のほとんどを
移動で費やしてしまうので、急きょ空路に変更した。
まぁ、このバス路線も楽しそうだがトラブルも多いと聞くし、これで正解だったのだろう。
ヴィエンチャンでは町の南西部に位置するインターシティーホテルに投宿。
スタッフはフレンドリーで良かったが、外観は写真の通り、ちょっとくたびれている。

2.メコン川
ホテルの正面はメコン川。 見えている対岸はタイの領土。 昼過ぎから夜にかけて、川沿いには屋台が並ぶ。

3.メコンフィッシュフライドライス
夕食はフルムーンカフェでメコンフィッシュフライドライス。
「淡水魚の焼き飯はドウかなぁ? シュリンプにしておけば良かったかなぁ?」と思ったりもしたのだが、味は抜群でボリュームもタップリだった。
37000K(390円)
6日目(5月04日) 1.ヴィエンチャンの朝
ヴィエンチャンの巨大市場タラートサオから外に出ると、意外と近くにパトゥーサイが聳えているのが見えた。
とにかく、ヴィエンチャンの街はこじんまりとしていて、大半の場所を歩いて回ることが出来る。
さて、パトゥ-サイ。 1960年代から建設が始まったにもかかわらず、色々とあってまだ未完成のようだが、3000Kを払えば上まで登ることが出来る。
一国の首都なのに、広々としていて高い建物が少ないのが良く分る。

1階部分で入場料を払い、4階部分まで階段を登ると広くなって土産物屋がある。5階部分も同様に土産物屋になっており、6階部分が屋上の展望台である。
真ん中の部分にはさらに土産物屋があるが、客はほとんど見当たらない。

2.ラオス国立博物館
見事に閑散としていた。
入り口で10000Kを支払い、自分でロッカーに荷物を入れて観覧を開始する。
一階と二階の展示場所を、概ね年代順に見て回ることになるのだが
、二階の大半は近代であり、博物館というよりは戦争資料館という様相でもあった。
特に撮影禁止の指示がなかったので、
一枚だけコンパクトデジカメで写真を撮らせてもらったのが
右の写真だが、これは今回、時間不足で訪問を断念したジャール平原の謎のツボである。
ラオス北部のジャール平原には、この壷が大小取り混ぜて、300~400個程度も点在しているらしい。

3.ラオス脱出
ラオス最後の食事は、オープンエアなサバーイディレストランで、はまってしまったフライドライス。
比較的、観光客が多かったが、ジモティーっぽい人も出入りしていたように見えた。
ラオスは過激には暑くないので、このように空調なしの場所での食事も快適に行える。
ただし、ハエが多い。
ここは平気だったが、昨夜のフルムーンカフェは、一旦は外で食事をしようとしたものの、途中で店内の空調エリアに避難させていただいたくらいである。

町の中心部のナンプ広場に最後の挨拶をして、トゥクトゥクの言い値50000K(6USD)を4USDまで叩いて、空港まで移動。
今にも停まりそうな危なかしいオートバイのトゥクトゥクだったが、およそ15分で無事に私をワッタイ国際空港まで送り届けてくれた。

空港について10分くらいでハノイ行きのチェックインが開始。なぜかまったく同時刻にホーチミン行きも運行されており、ゲートナンバーも同一であった。
便ナンバーも一番違い。どうしてこのような、考えなしのことが出来るのかが不思議である。
最初はホーチミン行きの人と列が混ざっていたのだが、目の前からスペイン語が聞こえてきたのが、その3人組のパスポートは、話題のメキシコだった♪

4.ハノイ トランジット
ヴィエンチャンからハノイへも一時間足らずのフライト。 東南アジアの域内の飛行は、いつか高速鉄道に取って代わられる日が来るかもしれない。
ハノイでは5時間のトランジット待ちだが、14USDの出国税を払うために、空港付近だけに出ても仕方がないので、入国は差し控えた。
と、そう言えば、ラオスの出国時の空港使用税(10USDと聞いている)を支払っていないぞ?

ハノイで空港ビルに入ったら、トランジット客も健康調査票を記入させられた。一応は豚インフルエンザを警戒しているらしい。
が、英語と格闘して一所懸命書いたのに、係員は一瞥もせず「何もないね?」の一言で済ませられてボーディング待合室へ。
この時に渡された紙はベトナム航空からの夕食券だったのだが、健康調査と同時に渡されたので、てっきりトランジット許可証だと思っており、
まずは自腹で二階のカフェでフォーを食べてしまった。
その後に食事券に気づき、3階のレストランで無理にサンドイッチを食べて満腹。

ノイバイ国際空港のボーディング待合室は、土産物屋は充実していて良いのだが、ゲート案内の集中表示が無いので、特にトランジットで利用する場合は、
どのゲートに行けばよいのかが分らないのが不便である。
帰国日(5月05日) 帰国
成田空港には、ほぼ定刻の午前7時に帰還。 5時間のフライトなので寝足りない。
空港は豚インフルエンザ警戒が物々しくなされているのかなぁと心配していたが、一応、健康調査票は全員が提出させられたものの、
アジアからの便ということもあって特に普段と変わることはなかった。

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