フランス越年2008-2009

前夜祭(12月27日)
1日目(12月28日)
0.前夜祭
今回は旅の相棒と前夜の新宿で集合し、勝田台の隠れ家に移動。
成田空港に9時ころにつけば良かったのだが、年末は電車が止まることが多いので、なるべく近づいておくことにした。

1.日本脱出
成田空港11時発のJAL405便で日本を脱出♪
往路の飛行時間は12時間45分が予定されているので、8時間遅れのパリには15時45分頃に着く事になる。
食事は昼食っぽいのが二回。 一番北に飛ぶのは北緯72度くらいだが、冬季の北極圏突入は初めてなのでちょっと嬉しい。

2.シャルルドゴール空港
シャルルドゴールには、定刻より20分早い15時25分に到着。
席が比較的後方だったので機外に出るまでに5分ほどを要したが、イミグレも混雑しておらず、ターンテーブルから荷物を奪還して、
15時40分にはフランスで自由を獲得する。
すぐに空港内の両替場に向ったが、ここはレートが非常に悪い!
2008年末の状況として、1ユーロ=130円くらいを期待していたのだが手数料も高く、1万円が68ユーロにしかならない。
147円が1ユーロという計算である。 納得がいかないので、ここでは6万円を換金するつもりだったが3万円にとどめた。

換金所から徒歩2分で、エールフランスバスのチケット売り場へ。
今回は国鉄モンパルナス駅近くのホテルを確保しているので、LIGNE4の往復切符をゲットする。
地球の歩き方08-09の情報は違っており、正しい現在料金は片道が15ユーロで往復が24ユーロである。
我々はレールパスを手配していたのでLIGNE2(凱旋門行き)ならタダになったのだが、やはり時間は有効に使いたい。
バス乗り場も近く、16時15分くらいに乗車して17時35分にモンパルナスに到着。

3.モンパルナス
パリは日本最北の宗谷岬よりもさらに緯度が高いので、17時35分時点でどっぷりと日が暮れていた。
同時期の東京でも17時半だと暗いが、パリはロンドンとほぼ同経度なのに標準時から1時間先行しているから16時半で暗くなるという感覚なのだ。
(この時期、朝が明るくなるのは、午前8時過ぎである)
バスの終着からスーツケースをゴロゴロと引きずっても5分とかからない、オテル・ド・パルクに投宿。
ネットで発見&手配をして、グーグルマップのストリートビューで予習をしておいたので、リピーター感覚で到着することが出来た。 便利な時代である。
ホテルにはエレベーターがあるが、3階相当のレセプションまでは螺旋階段を登る必要があるので、スーツケースの女性にはちょっと厳しいお出迎えかも?
我々もその難所を乗り切り、チェックインを済ませた後は、異様に狭いエレベーターで部屋まで行くことになる。
部屋に荷物を投げ込むと、速攻で町に繰り出すことに!

4.モンパルナス駅
まずは、明日から使用する国鉄レールパスのバリデーションへ。
レールパスは、使用開始前に「バリデーション」という洗礼が必要であるが、明朝は9時05分のTGVに乗車するので、今夜中にそれを済ませることとする。
インフォメーションで聞くと、切符売り場で出来ると教えてくれたので、年末の切符を手配する現地人の列に並んで待つこと5分。

パスポートとパスを差し出すと係員がパスポートナンバーを記入して判を押してくれ、それに本人がサインをするという流れである。
相棒のユース用パスにはサイン欄があるのに、私のパスにはなぜかそれがない。
係員に「なんで?」と聞いたが、「さて?」という顔で笑っている。とりあえず私も、テキトーにサインをしておいた。

ゲットしていたレールパスはバリデーションから一ヶ月以内の任意の3日間に、フランス国鉄に乗り放題(座席指定は別)という優れもので、
二回以上長距離列車に乗る計画なら、このパスを手配しておく方が確実にお得である。 価格は26歳以上が167ユーロなのだが、25歳以下だと93ユーロ。
結構な金額差だ。
ユースのみサインが必要なのは、超割安パスなので悪用防止のため?
・・・とも思ったがパスポートナンバーを書き込むし、氏名も刻印されているから、いずれにしても使用者は特定されているし。。。
日々の使い方としては、チケット左下の、1.2.3.の数字の下に、乗車する月日を乗車前に自分自身で書き込んでから列車に乗ること。
車内検札時に、この月日を記入していないと、不正乗車として罰金が科せられる。
あらかじめ乗車する日が決まっていても、事前にまとめて記入しておくのはタブーで、当日の乗車直前に、その日の日付だけを書かなくてはならないらしい。

5.夜のパリに突撃
バリデーションを済ませ、そのままメトロのモンパルナス駅に向う。
15分ほど列に並んで、カルネという10枚組の切符を購入しようと50ユーロ札を窓口に渡すと、オバサンに鬼のような形相で「両替してこい!」と怒鳴られる。
いきなりなんなのだろう?? 料金は11.4ユーロだから、50ユーロ札を出すのは、それほど非常識とは思えないのだが。。。
相棒が10ユーロ札を持っていたので、それに硬貨を足し、きっちり払って事なきを得たが、まさにフランス性悪女の真髄を見たりという気分である。
今日は軽くパリの下見。
コンコルド駅で下車して、白く観覧車が輝くコンコルド広場→オペラ座・ガルニエ経由
→ラファイエット百貨店のイルミネーションを眺めるにとどめ、

20時にモンパルナスに生還した。
ちなみに、この時間帯だとパリの百貨店は閉店している。
ホテルの近くで夕食を済ませ、コンビニ経由→パン屋で朝パンをゲットして部屋に帰還。
チーズやワインはとても安いのだが、その他の普通の食料品は少し高いように感じる。
2日目(12月29日) 1.夜明けのモンパルナス駅
冬のパリの夜明けは遅い。
7時30分くらいに明るくなったら、朝のパトロールをするつもりだったが、結局は8時を過ぎても暗いままであり、上の写真は8時45分くらいである。
パリの経度は日本との時差が9時間でも良い位なので、「高緯度の冬だからこんなものか」と納得する。。。
結局、8時40分にチェックアウトをして、徒歩5分で駅に行き、営業を始めていた売店で、テイクアウエーのコーヒーとパンとサラダをゲットして、
写真を撮る余裕なく列車に駆け込む。

TGVは全席指定なので、切符やパスのほかに指定席券が必要。
ちなみに券には使用者名はないが、出発駅と日時、到着駅と日時、列車番号などのほか、等級[CLASS](CLASSE)と車両番号[COACH](VOITURE)と
座席番号[SEAT NUMBER](PLACE ASSISE)が記載されている。
日本で手配しておいたものは英語表記だが、5日目にリブルヌでゲットすることになる指定席券はフランス語版である。

2.世界最速のTGV
プラットホームのことをフランス語ではVoieと言うが、駅に行けば電光掲示板で案内されているので迷う心配はない。 発車はスムースで、音も静かである。
TGVの座席はファッショナブルで、肘掛も折りたためるなど機能的でテーブルとドリンクホルダーだって独立している。 日本人もチラホラ。

9時05分発のこの列車はレンヌ駅までノンストップだが、通過駅ルマンまでの202kmを1時間弱で駆け抜け、残り165kmは少し速度を落として
1時間強をかけて走る感じか? 多分、ルマンまでがTGV専用線路なのだろう。
列車に乗ってほどなく検札が来た。
我々のパスと指定席券を確認し、深く頷いて「メルシ」と一言。
う~ん、、、フランスだぁ~♪♪
車内から眺める景色は、「農業大国フランス」といった趣きである。パリを離れるとすぐに畑が広がり、牛や羊、ヤギなどが放牧されていて、なんだか楽しい。

3.レンヌ
レンヌには定刻より3分程度はやく到着。
美しい街並みだが、明日の昼前には戻ってくるので、じっくりと眺めたい衝動を抑えてモンサンミシェル行きのバス停を探す。
北口を外に出て、右側のビルがターミナルになっているのですぐに発見できる。
一階のインフォメーションで[切符はここで買えるの?」と聞くと、「バスの中で買って」と言うので、そのままビルを抜けた停車場で待機。

トーマスクック時刻表で発見しておいた11時30分発のバスはニ台出るようで、出発予定時刻の7分くらい前に一台目が登場。
素早くバスの横腹に2人分の荷物を投げ込み、他の乗客に遅れを取ることなく運転手から乗車券を購入。
このバスも25歳以下(ユース)は優遇されており、約2割引で切符が買える。
運転手に英語混じりのフランス語で、「アン アダルト エ アン ユース」と言うと、「ウィ!」と気持ちよく返事が戻ってきて、19.5ユーロで片道分をゲット。

4.モンサンミシェル
レンヌからモンサンミシェルへは90分で到着の予定。
車窓からの眺めは良いが、道の位置が低く、車窓の流れが速いので、意図した写真を撮るのは難しい。
12時47分にモンサンミシェルが見えてきて、少し車内がざわめく。
12時50分には入り口の真ん前に到着して、青空に聳え立つ世界遺産を見上げることが出来た。
まずは予約しているホテル ラ・メール・プラールに殴りこんで、荷物を三階(一階はG階なので、ヨーロッパ式に言えば二階)のバーで預かってもらう。
チェックインは16時と言われるが、これは想定内。 スーツケースを預かってくれるだけで十分である。
本土側に戻ってみたり上の方に登ってみたりと歩く場所には事欠かない。ここでは多くの写真を掲載しませんので、ぜひ御自身の目で見てきてください♪

5.島内の喧騒
1時間半ほど島内探検を楽しんだ後、ホテルの真正面のカフェで休憩。

店内から、いそいそと観光を楽しむ、さまざまな人種の
観光客をながめつつ、マッタリとした時間。
宿泊するホテルも見えるので、なんだか安心感もある。

6.ホテルディナー
16時過ぎにホテルに戻ったが、
「17時まで部屋が準備できない」と言われたので、
再び夕暮れかけた光景の中を散策。

この時間帯の散歩は、か~な~り! お薦めである。
17時前に戻ると部屋準備もOKでチェックイン! 別館になるらしく「バーの階から一旦外に出て云々」と言われたが、行ってみるとすぐに判った。
レストランを予約した18時半ちょうどに行くと、「2分待って」と言われ、それから3分後に席へ。
この時間帯は65ユーロ(か、もっと高額)のコースしかないらく、65ユーロのプランをオーダー。
構成は単純で、オードブル+メイン+デザートのみだが、それぞれがボリュームタップリである。単品でも頼めるが、かえって高くつくことになる。
食事を終えて厨房の前を通ると、
名物のプラールおばさんのフワフワオムレツの
作り方を実演していた。

「どこの国も同じようなことをするのだなぁ、、、」と、
的外れなことに感心。

7.ラ・メール・プラール
本館のレセプションはレストランの一部と近接していて狭苦しいが、別館の入り口はちょっと可愛い♪♪
部屋も綺麗で可愛いし、バスにもタブがついていたが、ベットがとても小さい。 
我々には不自由がなかったが、横にビッグサイズの御仁や、寝相が悪い人は、ちょっと大変かもしれない?
3日目(12月30日) 1.夜明けのモンサンミシェル
パリの夜明けは遅かったが、ここモンサンミシェルの夜明けはさらに遅い。
より北に位置し、より西にあるのだから当然なのだが、8時30分を過ぎてようやく、夜が明け始めたという感触である。
8時に朝散歩に出たが、あたかも未明の街を徘徊している様で、街は寝静まっている。
夜に出たゴミを職員らしい人が集めている。「こんなに暗い時間からご苦労様」という気分になるが、実は普通の時間だ。
全景が一望できる場所まで離れると、私と同じ様にシャッター速度が
上がらない一眼レフを持て余している西洋人と遭遇。

駐車場に据えられた何だか判らない箱を指差し、
「この上にカメラを置けばオモシロイ写真が撮れるよ」と教えてあげる。

8時45分に部屋に戻ってチェックアウト。
申告したミニバーは無カウント♪
ホテル正面のカフェはついに開店しなかったので朝食は諦めたが、徒歩2分でバス停というのは、やはり便利だ。
9時30分発レンヌ行きのバスが我々をさらいにくるまでの時間、どんどんと色が変わっていく”西洋の奇跡”を楽しめた。

2.レンヌ
バスは往路のルートを忠実に逆行し、昨日は素通りをしたレンヌに帰還。
定刻よりもずいぶんと早い10時40分に駅に着いたので、12時23分発のナント行き列車が発車するまでの100分間を、レンヌで過ごすことが出来る。
まずは駅で手荷物預かりを探したが、それらしい看板が見つからなかった。
ならばと、駅前のすぐの場所に興味深いカフェが並んでいたので、石畳の上に荷物の轍を残し、LE SURCOUFに攻撃を仕掛ける。
メニューにフランス風サンドイッチもあるが、どちらかと言うとイタリアン路線。 私はカルボナーラを注文したが、下の写真のようなボリュームで大満足♪♪
相棒のグリーンサラダも、ナカナカの山盛りで、添えられたパンに手が出せない2人であった(^^;
冬なのに半そででチャキチャキした、元気のいいオバサンお姉さん店員(オーナーかも?)が印象的な、好感度ポイントの高い店である♪♪

少し早めに駅に戻って、列車による長旅に備えての買出しを。 まずはコンビニでドリンクとリンゴをゲット♪♪
次に、エキナカのパン屋で、サンドイッチその他を仕込む。 これで備えは万端である!!

3.ナント
レンヌを12時23分に出た列車は、普通のローカル列車だと思っていたのだが、実はレンヌからナントまでノンストップで駆け抜ける一級の特急列車であった。
この列車は指定席を取っていなかったが結構混んでいたし、所要時間は一時間ちょっとの予定だったのでドア近くの簡易席で落ち着く。
と、車掌が別の客にフランス語で、「前の車両なら開いているぞ」という風な仕草をしていたので我々も荷物をゴロゴロと転がし、二つ前の車両で席を確保♪♪
さすが、”フランスの庭”との異名を持つロワール地方を走る路線だけに、車窓に古城が現れては消え、ぶどう園も整備されていて、目を楽しませてくれる。

右側に大きな河の気配がしてほどなく、定刻通りにナントに到着。
ここでの乗り換え時間は30分しかないので、ゆっくりとパトロールをしている時間は取れない。
まとまった時間が取れるのであれば、3kmほど南西にあるジュールヴェルヌ博物館に足を延ばしたいところではあったが、それはまた次の機会にしよう♪
駅に到着して、とりあえず出口を目指そうとするが、
ふと気づくとホームの反対側に停まっている列車は、
この後にボルドーまで我々を運んでくれるTOULOUSE行きだ。

少し戻って、日本から予約をしておいた席に荷物だけを置く。
少し無用心だが、二つのスーツケースをワイヤーキーで結んでおけば、
まず大丈夫だろう♪
プラットホームに犬連れがいるあたりがヨーロッパ。
世界史で習ったきりの地名。。。 「ナントの勅令」によって宗教戦争が一段落してから410年が過ぎたが、人類はそれから進歩したのかなぁ?

4.ボルドーへ
定刻2分遅れの14時11分にTOULOUSE行きが、ナントから南下を開始した。
この列車はTGVではないが、HISの勧めで席を予約しておいた。 我々がキープをしている印として座席窓側上部に黄色い予約票が差し込まれている。
この予約表がなければ、その席は早い者勝ちである。
予約は大正解で、12月30日に大西洋岸を南下する列車は、席を確保できない乗客が発生していた。 HISに感謝である。
この列車に乗っているフランス人たちは、老人に快く席を譲っていた。
私は、日本国内での在来線では席を譲るほうだ(と言う以前に、空いていても立っている)が、新幹線の自由席で座ったら席を譲る発想はない。

ナントから南に下るほど、霧っぽくなってきて遠望が楽しめなくなってきた。
時刻表で確認すると、列車は少しずつ遅れが目立ち始めるが、まぁ10分程度なので気にするほどでもない。
降りるべき駅を乗り越してしまうと大変なことになるが、目的のボルドーサンジャン駅はガロンヌ河の鉄橋を越えてすぐだと判っていたし、かなりの乗客が
乗降するはずなので、大体の到着時刻を押えていれば大丈夫だろう。
しかしフランス。
トーマスクックに載っていない停車駅もあることだし、気を抜いていて知らない間に遅れを取り戻し、早着き早立ちをされては困ったことになってしまう。
到着予定時刻は18時14分なので、到着予想時刻を10分遅れの18時25分プラスマイナス5分と想定し、18時15分くらいになったら警戒しようと考えていた。
が、17時55分くらいから周りがざわつき始め、18時には下車準備の列が出来はじめる。
我々の席の目の前に並んでいるフランス人に、「(あなたが降りようとしているのは)サンジャン駅ですか?」と聞いたら、「ウィ」と返事が返ってくる。
『これは大変』と、あたふたと下車準備を始めたが、結局のところ、列車が到着したのは18時24分であった。
少し前から薄々と感じ始めていたが、もしかするとフランス人は関西人以上にせっかちなのかも知れない。

5.世界遺産 ボルドー
目指すホテルは駅前にある。
私の間抜けで、遠望しながらも一度間違った方向に向ってしまったが、19時前には無事にチェックイン。
やはり日本からネットでキープしておいたのは、ホテル ロイヤルサンジャンで、予想よりもこじんまり。

部屋はあまり広くない中に、小さなベッドが3台設置されていた。 我々の部屋にはバスタブはない。 ともあれ、荷物を部屋に残して、プチお出かけ。
チェックイン前に目をつけておいたフルーツショップでミカンなどを仕入れ、ちょっと怪しげな通りを覗く。
この一帯で最大の人口23万人を擁し、フランスワインの代名詞とも言える地名を冠する中心駅の駅前としては、少し気が抜けるような静けさである。
やはりボルドーの中心地は、ここから2kmほど北にあるカンコンス広場の近辺か??
この地域一帯は、夜明けを待って隈なく制覇することにしよう♪♪
4日目(12月31日) 1.ボルドー駅前の朝
ボルドーの朝も、やはり遅い。
相棒を部屋に残し、駅前からガロンヌ河畔まで、探査の足を広げる。 今日は大晦日。 まだ薄暗い中を駅に向う人々は、どこを目指しているのであろうか??
駅地下のコンビニでボルドーのバス路線図もゲットしたし、トラム乗車券の自動発券機の操作方法も、フランス人の動きを後ろから覗き見てマスターした♪
さぁこいボルドー! もう怖いものはない♪♪

2.カンコンス広場と、その周辺
9時過ぎにチェックアウトをしたが、「15時まで荷物を預かって」とホテルに頼み、ボルドー征伐に出陣。
まずはトラムの一日乗車券を購入。 この一日券は4.1ユーロで手に入れることが出来、バスにも乗車可能なのでお買い得である♪
乗車したら、扉の近くに標準で二機設置されている機械で、自分で刻印するのがボルドーの流儀のようだ。
多分この行為もバリデーションと呼ぶのだろう??
ただ、一日券は白い面を上に向けて機械に差し込むので、直感的には間違えやすい。
差し込む方向は券に書いているので間違えないのだが、どうしても意匠印刷面を上に向けてしまうので機械が飲み込んでくれず、ジモティおばさんに
手伝ってもらってしまった。

さて、カンコンス広場。
事前情報通り、ジロンド記念碑が聳えている。
足元の噴水のブロンズ像は、勇ましい像があるかと思ったら、苦悩に満ちたお兄さんも水と戯れていて、勝ち組と負け組みが同居している。
広場の近くには、何かの催し物を準備しているような会場があり、年越しイベントでも行うのかと思ったが、どうやらそうでもないらしい。

カンコンス広場のすぐ近くのロータリーに面したワインショップを襲撃。
ワイン通には生唾物のワインもあるのだろうが、粋ではない私にはわからない。この店は輸出手続はとってくれないらしいので、別のショップを目指すことに。
この近くに、仮設ショップあり、メリーゴーランドありの興味深い通りを発見。
この後の予定がなければ、丸一日だって退屈しないで過ごせそうな一角である。

3.CHパプクレマンへ
しかし我々には、ボルドーのワイン醸造所を目指すと言う重大な使命があるので、バスに乗って先を急ぐことにする。
目指すはCHパプ・クレマン。 相棒が日本から襲撃予告を入れている。

CHはフランス語のシャトーの略語で、通常は城を指す言葉であるが、ここボルドーでは敷地内で、「ぶどうの栽培」「ワインの醸造」「瓶詰め」までを行う
製造所を意味する。
実は、ボルドー観光局が主催している二泊三日のホテルつきツアーに申し込むつもりであったのだが、我々の滞在が年をまたがることから観光局の準備が、
整わず、08年12月23日に同局の受け付け体制が整った時にはすでに、セルフ手配を進めていたのだ。
省みれば、自分たちで手配を行ったことに今も満足している。

11時30分に予約したCHパプ・クレマンまでは15分くらいかかる見通しだったので、11時10分にカンコンス広場近くのMusee d Aquitaineバス停から乗車。
この後、辿りつくまでに色々とあったが、ここでは割愛する(笑) 見るに見かねて車に乗せてくれたフランス人老夫妻に感謝の意を表して止まない。
ともあれ一定時間の後に、我々はCHパプ・クレマンの正面口に立ち、綺麗な内部も、本シャトーのぶどう園も楽しんだ上で、ここのロゼワインを購入できた。
このワインはパリで過ごす最後の夜に餌食としたが、日本で手に入れるよりも遥かに安価な買い物だったらしい。

4.月の港 ボルドー
昨日の朝に発ったモンサンミシェルも、これから目指すサンテミリオンも世界遺産だが、このボルドー自体も2007年に世界遺産に登録されている。 
まさに世界遺産尽くしの様相を呈してきている気まま旅である。
このボルドーも、街を歩いていると次々と写真に残したい建造物が現れ、メモリーを強化したデジカメでなければ対処が難しい。
登録名が、「月の港」ということだが、これは三日月型に蛇行するガロンヌ川を挟んで広がったボルドーの通称だと「歩き方」に記載。
私は、ガロンヌ川左岸に最も拓けた一帯が半月型をしているからだと思っていたのだが、真相やいかに??

1.ボルドーからリブルヌへ
約束の15時にホテル ロイヤルサンジャンに戻り、預かってもらっていた荷物を受け取って、ボルドーサンジャン駅からローカル列車でリブルヌ駅を目指した。
今日の国鉄乗車はこの区間だけなので、パスは使わない。
パスを4日間タイプにするよりも、この区間だけ、別途に切符を買ったほうが安く上がるのだ。
切符の購入は駅の窓口で「リブルヌまで二枚」と言えば良いだけなのだが、私は未だに「リブルヌ」だったか「リブヌル」だったか混乱が続いているくらいなので、
3回言い直した。。。 まぁ、、、筆談にも英語にも頼ることなく、無事に購入できたので良しとしよう♪♪

先ほど、”ローカル列車で”と書いたが、この列車はサンジャンの次の停車駅がリブルヌ駅だったし、チケットにも発着時刻が記載されているので、
特急か急行クラスの列車だったかもしれない。 トーマスクックにも掲載されている運行だから、舐めてはいけないかも??

目指すホテルはサンテミリオンに有るのだが、サンテミリオン駅まで行かないで、リブルヌ駅までの鉄道利用としたのは、「地球の歩き方」「個人旅行」などの
ガイドブックに、「サンテミリオン駅はタクシーがないので、リブルヌ駅でタクシーに乗ろう」と勧めているからに他ならない。
ならば、リブルヌで下車すれば難なくタクシーを捕まえることが出来ると考えるのが人情と言うものである。
ところが、駅前に降り立っても、タクシー乗り場らしい場所も、待機しているタクシーも見当たらない!!
当初の作戦では、駅舎から出た我々をサンテミリオンタクシー協会が赤絨毯を敷いて待ちうけ、下にも置かぬ扱いで車に導いてくれるハズだったのだが。。。

我々と同様に、タクシーを当てにしているっぽく見えていたのが、女性3人が一組と男性単独が二組で、すべて西洋人(多分フランス人)。。。
しかし、女性三人組は知り合いらしい車が迎えに来て颯爽と走り去り、男性一人もどこかに行ってしまった。
時刻はまだ16時半くらいだから、あせるほどではないが、何か策を講じたほうが良い。

とりあえず前方50mくらいに通りがあるので、そこまで歩いて出てみた。 車の通りは少ない。 普段からそうなのか、大晦日だからいつもと違うのか。。。
近くに[EUROPCAR]なるレンタカー事務所があり、中でスリムな女性と小太りの男性が話しているのが見える。
『ここなら英語が通じるだろう・・・』と中に入り、「タクシーを拾うのはどうしたらよいの?」と聞いてみた。
女性が、「駅前にいるでしょ?」と言うので、「10分待っても一台も来ないよ」と答えたら、「明日は祝日だからねぇ・・・」と事態を把握してくれる。
「電話で呼べませんか?」と聞いてみると、「そうね、ちょっと待ってね」と快くダイアル。
が、、、フランス語で話していても様子がわかった。 やはり大晦日の夕方ということで、働いているタクシーが少なく、つかまらないようなのだ。
受話器を置いて「いないみたい」と言う彼女。 すごく困った顔をする私。

心優しきフランス女性は分厚い電話帳を手に、別のタクシー会社を当たってくれる。
(その間に仕事の電話が入ったのに、嫌な顔ひとつしないで親身になってくれる)
少しやり取りが会った後、「一台つかまったから5分後にここに来るよ」と彼女。 大感謝する我々。 パリ初日のメトロ切符売りの女性とは大違いである。
たまたま私のスーツケースに入っていた丑の干支飾り(フランス語での干支の説明付き)を、最大級の謝辞とともに進呈すると、すごく喜んで受け取ってくれた。
きっかり5分後にタクシーが現れ、手を振ってレンタカー屋を後にする。
どなたか、このレンタカー屋を訪れる機会があったら丑が飾られているか見てきて下さい。

タクシーに乗り込んで、「やれやれこれで一安心」と息をついたとたんに、タクシーの運転手の口から爆弾発言!
「明日は祝日だから、ボルドーに戻る列車は走っていないよ。 SNCF(フランス国鉄)に勤めている友達が言ってたから間違いない。」
「えぇ~っ!!」と、驚くも、この期に及んではどうしようもない。
「もいっぺん聞いてみるわ」と運ちゃんが車載電話でどこかに電話。 後部座席からも見える電話モニターに[SNCF]と表示が出ている。
フランス語での会話は理解できなかったが、電話を切ってから運ちゃんは振り返り、「やっぱTGV以外は止まるってさ」とあっさり。
国によっては、『これは明日の仕事を確保するためのタクシー運ちゃんのハッタリか?』と勘繰るところだが、今回は、その可能性はない。

「ホテルで相談してみる」としか言えない私。 「まぁそれが良いな」としか言わない運ちゃん。
とりあえず、このあたりからボルドー駅までタクシーを走らせると、90ユーロくらいかなぁという情報は聞き出しておいた。

2.サンテミリオン CHフランメイヌ
今朝、ボルドーからバスで襲撃したCHパプクレマンと同様、このCHフランメイヌ(CH Franc-Mayne)も、シャトーと銘打たれるワインの醸造所である。 
なおかつここは宿泊客を受け付けているのだ。
ワインの生産地として世界遺産に登録されているサンテミリオンのブドウ畑の真っ只中にあるシャトーで新年を待ち受ける♪♪
21世紀をアフリカ南端の夜行特急の中で迎え撃った時に匹敵する素晴らしい年越作戦である♪♪

このシャトーも、日本からE-Mailで事前に数回のやり取りをしてあったので、チェックインはきわめてスムース。
早速、「明日は国鉄が止まるとタクシー運ちゃんが言っていたけど本当?」と聞いてみたが、はっきりとした情報は持っていない様子。
「調べておくわ」と言ってくれたので、お任せすることにして、部屋とシャトー内を探検。
20時に予約しているレストランの迎えが来るまで、まったりとした時間が楽しめる。
ここはシャトーに最低限度の宿泊設備を増設した程度と思っていたのだが、ナカナカの施設である。
ビリヤードプールや宿泊客共用のリビングがあり、自由にワインが楽しめるようになっていた。
これは通常のホテルの室内ミニバーのように、チェックアウト時に自己申告するらしい。

奥に行くとプライベートガーデンが広がり、少しジャポンティストな庭石なんかもあったりして、長期滞在したくなる気持ちのいい環境である。
部屋の窓からはホテルの門の向こうに広がるぶどう園が展望でき、世界遺産に抱かれて眠る幸福感を視覚的にも高めてくれるのだ♪♪
ハロン湾級の光景かも知れない。
門から入ってまっすぐ手前に来ると宿泊客用の棟につながり、左に行くとレセプションがある。
宿泊棟の入り口は暗証キーが守っているが、番号は定期的に変更するのかな??

3.ニュー イヴ ディナー
CHフランメイヌの予約を確定した後、ディナーの案内を受け取っていた。 曰く
We are pleased to inform you that the restaurant
< Le Vieux Presbytere> (situated only 5 minutes away from the hotel)will be open for New Eve’s dinner.
一人52ユーロとの事なので、メニューを取り寄せた後で申し込んでおいた。
メールではホテルからたった5分と書いているのに、今日は車で10分だと言う。 まぁ構わないのだが、変なところでサバを読まないでもいいのにネ。。。

ともあれ、19時45分に迎えのタクシーがやってきた。
「レストランの名前を知らないのだけど。。。」と言うと、「大丈夫だ」と一言。
後からよく見ると、メールにレストラン名は記載されていた。

ぶどう園の中をタクシーは猛烈な速度で疾走し、サンテミリオンの中心部?を通過して、LE VIEUX PRESBYTEREに10分で到着。
「フランメイヌから予約をした」とか、色々と言わないといけないのかなと思っていたが、名前を告げると、スムースに二階に案内してくれる。
綺麗にセッティングがされている。 我々を含めて4組が予約をしているっぽいが、先客はおらず、Mise en boucheが来る頃までは我々だけだったので、
遠慮なくストロボを発光させて写真を撮らせていただいた♪
写真ページの右下がウエルカムデコレーションだが、テーブルクロスの黒い点々は、金の星である。

乾杯のシャンパンはGossetで、その後に相棒がチョイスした白ワインはCH TURCAUDの2007年ものらしい。。
無粋な私の人生の中に、こんなワンシーンがあるとは想定外
だったが、持つべきものは相棒である♪♪

4.撃沈
ディナーは満足がいく内容だった。 部屋の雰囲気もよく、店員の振る舞いも上品だった。
フランス料理の本格的なコースを堪能できたし、52ユーロという価格は安いくらいかもしれない。
しかし我々は小さな失敗をしていた。
ホテルで予約時刻を決める際に、20時から21時の選択肢の中から20時を選んだのだが、これはニューイヴズディナーなのだ。
途中で気がついたが、フィニッシュタイムを深夜0時に設定しているので、20時から始まった我々の食事は、30分に一品が運ばれてくるというスローペースだ。
他の客は20時半過ぎに一組が、21時くらいに二組が到着したが、だんだんと料理が我々に追いついてくるのがわかった。
一階も22時くらいから賑やかになってくる。

我々はすきっ腹にシャンパンを流し込んだし、ポツリポツリとしか料理が運ばれてこないこともあって、食事中は睡魔と闘い続けた。
と言うより実際に寝てしまっていた。
店員はなんと思っていただろうか??
それを見かねたのか、私が精算を申し出たからか、我々は23時55分にディナーを完了して迎えのタクシーに乗り込んだ。
来た時は客がまばらだった階下(多分、コースではない客が食事をしている)も、ほぼ満席になっていたが、5分後にはキスの嵐になっていたのだろうか??
タクシーは再び世界遺産の中を疾走し、1月1日の午前0時10分に、CHフランメイヌに生還した。
5日目( 1月01日) 1.2009年の初食事は、シャトーの特別室で豪勢に♪♪
まずは、昨日の国鉄運休疑惑の続報から。
確かタクシー運ちゃんは、「TGV以外は止まるってさ」と、言っていた。

そこで、部屋に入ってトーマスクックを確認し直すと、
リブルヌ駅にも本数は少ないがTGVは停車する。
ボルドーに向うのもあれば、パリに戻れる列車もあるではないか。
レセプションの確認結果をディナーに行く前に聞いたのだが、やはりその通りで、ボルドー行きの10時47分発と13時58分発TGVは運行されるとのこと。
ホテルの方は列車の運休を「スト」と表現していたが、フランス人が使う「スト]と、日本人がイメージする「スト」は、少しニュアンスが違うかもしれない。

本当は、今日はサンテミリオンの村を堪能して午後一番くらいにボルドーに戻るつもりだったのだが、TGVの座席ゲットが思うようにいかない可能性を案じ、
若干不本意ながら10時47分に乗ることにして、レセプションにそれを告げた。
そこから、指定席確保時間、駅までのタクシー時間を逆算して、今日は9時55分にチェックアウトをする必要があることが一意的に決まってしまった。。。
朝食開始時刻も、8時から10時の間で選択できたが、当然のごとく8時を依頼。

8時きっかりにヒト気のない朝食室に行くと、テーブルにはすでに11人分のセットが整っていたが先客はない。 まだ他の客は寝入っているのだろう。。。
貸切の環境の中、心ゆくまでスペシャルな2009年の初食事を楽しむことが出来た♪♪

2.世界遺産サンテミリオンの夜明け
朝食を済ませると荷造りを済ませて、世界遺産の中に繰り出した。
収穫期には大いに賑わっているだろうと推測されるブドウ畑にも
今は静かに時が流れ、ところどころに立ち佇むシャトーも
深い眠りについている。
一つ一つのシャトーが世界中の愛好家に向け、妥協のないワインを
提供し続けている誇りある村の、ひと時の休息。

3.CHフランメイヌの貯蔵室
我らがCHフランメイヌも良質のワインを産み出すシャトーである。
奥の方に、ローマ時代から残されていると言われている、自然の岩盤の貯蔵庫を有している。 手押し車は収穫した葡萄を運ぶためのものなのかな??

4.リブルヌ駅を経由してボルドーへ
約束の10時2分前に、昨夜、レストランを往復してくれたタクシー運ちゃんが登場する。
ホテルからやはり10分でリブルヌ駅に生還。
昨日は国鉄運休騒ぎに翻弄されて私は景色を楽しめなかったのだが、今日は道中に林立する歴史ありげな建造物を目撃する。

タクシーは駅前の、昨日我々が途方にくれていたあたりに停車。 ここで昨夜のレストラン往復時の代金と併せて支払う。
この時点で、我々は現金を100ユーロ程度しか持っていなかったので、金額を言われるまでドキドキだった。
予定していた換金が出来ず、ホテルやレストランはカードが常識なものの、タクシーにはカードリーダーが見当たらなかった。。。
請求された金額は60ユーロ。 レストラン往復が40ユーロで、リブルヌ駅までの復路が20ユーロとのこと。
距離や時間からすると、日本の感覚では少し高い様だが、昨日の往路も20ユーロだったし、年末の深夜と元日だからリーズナブルかもしれない。

さて、駅の窓口でレールパスは持っていることを告げ、ここからボルドーまでと、ボルドーからモンパルナスまでの席の確保を依頼する。
リブルヌからボルドーまでの10時47分発は問題なく確定。 予約料金は一人あたり1.5ユーロだった。
ただ今までの情報と違い、TGV以外の列車も運行板に表示されていた。
我々には判らないフランス語で「運休」と表示されていたかもしれないが、そんな雰囲気でもない。

ここで第五の危機に直面する。 (第一は迷子、第二はタクシーなし、第三は国鉄運休、第四は換金出来ないでユーロ貧乏)
ボルドーからパリに戻るTGVが満席だと言うのだ!
元日に都心に戻る列車は、日本でも混みがちだから、私も第三希望まで示しておいたのだが、どれも無理だと言う。
もっとも早い時間帯で席が確保できたのが、ボルドーを19時51分に発ってモンパルナスに23時20分に到着する8583便であった。
こちらの予約料金は一人あたり3ユーロ。

5.ガロンヌ河
さてボルドー。 昨日は歩き足りなかった感があるので、リベンジである。
1月1日の11時11分にリブルヌからサンジャン駅に戻り、再びトラムの一日乗車券を購入して、カンコンス広場のインフォメーションセンターを目指した。
用件は三つある。
まず、円をユーロに換金できる場所を緊急に知る必要があった。
リブヌルでタクシー料金とTGVの座席予約料金を支払った現在、手持ちは40ユーロくらいに減っていたのだ!
次に、今日はモンパルナスのホテルへの帰還が23時半になってしまうので、一報する必要があった。
(無断で21時を過ぎると予約を取り消されて満室になってしまう心配もある)
さらに、夕方まで身軽にボルドーを闊歩するために、荷物を預かってもらうという思惑もあった。

「個人旅行」によると、駅のinfoは祝休だが、カンコンス広場近くのそれは無休になっていたので、駅での確認もそこそこにカンコンスに急行したのだ。
ところが、昼過ぎに到着したカンコンスのインフォメーションセンターはシャッターが閉じられ、人が居る気配がなかった。
(「歩き方」で再確認すると、1/1は休になっていた)
隣にある、日本にシッピングできるワイン屋も、今日は店を休んでいる。
せめてユーロ現金を手に入れておこうと、近くの三ツ星ホテルに換金を申し入れたが、ここでは出来ないと断られる。
宿泊客ではないからではなく、そのサービスがないらしい。
それならそれで仕方がないと、あっさり諦め、
ボルドーを育てたガロンヌ河の川岸に出て、
元日のまったり感を楽しむことにする。

まぁ、なんとかなるだろう♪

6.ボルドーの歴史的建造物
荷物をゴロゴロと引きづりながら、サンジャン駅を目指すついでに、ボルドーの歴史的建造物を見て回る。
サンジャンまでの途中からトラムに乗り、一昨日に宿泊した駅前のホテル ロイヤルサンジャンを再訪。
「昨日まで泊まっていたんだけどぉ」と、客面を前面に出し、換金とパリのホテルへの電話を依頼する。
 ここでも換金は出来なかったが、モンパルナスのホテルへの深夜到着になる旨の電話は請け負ってくれた。
TGVでの距離で570kmもあるので、岡山付近から東京への長距離電話を好意で行ってくれたというわけである。

これで、パリに着いたら予約が取り消されていて眠るところがない心配はなくなった。
ユーロ現金を手に入れることも諦めたが、フランスのカフェは数ユーロ程度の支払いでもカード払いOKなので、お茶や軽食を節約しなくてはならない惨めな
正月を過ごさなくても良いし、気楽に夜のTGVを待つことにした。

7.パリに帰還
19時51分 モンパルナス行きのTGVに乗車。
やっと確保できた列車だし、我々も隣り合った席が取れなかったことからも予想していたが、ほぼ満席だった。
TGVは一時期の”のぞみ”のように全席指定なので、立っている人は居ない。
東京行きの新幹線と異なるのは、パリまで満席というわけではなく、途中でどんどんと席が空いていくことだ。
この体験からも、フランスに比して日本の首都圏の一極集中が手ひどいことが実感できる。
6日目( 1月02日) 1.凱旋門とルーヴル美術館
今回のフランス旅行では、まったくと言ってよいほど、パリを体験できなかった。
到着日に2時間ほど夜遊びしただけである。 今日も正午には、シャルルドゴール行きのバスに乗らなくてはならない。
まずはモンパルナス駅で換金を。。。 もうほとんど現金を使う機会はなさそうだが、とりあえず手持ちの60USDを換金した。
レートは、60USD→37.93ユーロ→手数料を差し引いて→32.56ユーロ。
今回の旅では、モンサンミッシェルでの2万円→143.59ユーロがベターだった。

ちなみにカードで支払った分は1ユーロが130円程度か、それよりも良いレートで換算されているので、現金不足でカードを多用したのは
結果オーライだったかも♪♪

そこで、明るくなる8時30分きっかりに部屋を出て、まずはメトロで凱旋門に攻め込むこととした。
窓の外を見ると雪♪♪
この冬の初雪をパリで迎えるとは、何かいいことがありそうな2009年である♪♪

初日と同様にメトロ12号線に乗り、コンコルドで1号線に乗り換えて凱旋門。
 『この出口で良いのかなぁ・・・』と地上に出ると、すぐ脇に彼は聳え立っていた!!
すぐ近くのカフェで、今回のフランス旅行では最後のPETIT DEJEUNERを味わう。
カフェを出て、相棒はラファイエットへ、私はルーヴルへ。

ルーブル美術館は、「歩き方」で穴場の入り口と紹介されている、
カルーゼル・デュ・ルーヴルからの地下連絡口にも長蛇の列が出来ていた。

ガラスのピラミッドから入る入り口は言うに及ばず、幾重にも行列が重なっている有様。

2.コンコルド広場へ
今回最後のパリ散歩として、ルーヴルからコンコルド広場までのチュイルリー公園800mを縦断。
雪景色の中、左斜め前方にエッフェル塔がけぶっている。
帰国後の情報によると、この後もヨーロッパは寒気が居座り、凍結スリップの危険があるので、1月5日からはエッフェル塔の入場制限が実施されたらしい。
チュイルリー公園の池は凍りつき、小鳥が寒そうに群れている。 一番元気なのは人間で、ジョガーも目立つ。
観覧車は運転されているのかされていないのか、動いたり止まったりしていて、営業中だったのかが今でも謎である。

3.パリ脱出
11時30分にホテルに凱旋し、帰国用にパッキングを詰め直してホテルを後にする。
12時少し前に、シャルル・ド・ゴール行きのバス乗り場へ。 12時発と思われるバスはすでに停車していて、何名かの乗客が近くで待機していた。

係員らしい黒人がバスの横っ腹を開け、我々の前に立っていた韓国人単独行女性に「ターミナル?」と質問。
韓国女性は、「空港まで行くのか、途中下車をするのか?」を質問されたものと勘違いしたらしく、「ウィ ターミナル」と答えていた。
その前の日本人カップルの男性も同様に「ターミナル」と返答。
英語が得意ではないらしいオジサンの顔に微妙な困惑が現れるが、もっと露骨に困った顔をすれば良いのにと哀れになる。

仕方がないので、周りにも聞こえるような大声でオジサンに、「デュ エフ」と答えてあげると、『助かったぁ!』という顔で、「デュ エフ メルシ」と礼を言われる。
そう、、、このバスで途中下車をする客が居るはずがなく、オジサンは何箇所かあるターミナルの場所を聞いたのだ。
きっと荷物の入れ場をターミナル別にするのだろう。
この路線の回答としては、
アン(ターミナル1) デュアー・デュベー(ターミナル2A・B) デュセー・デュデー(ターミナル2C・D) デュウー・デュエフ(ターミナル2E・F)の4通りがある。

それを聞いた他の乗客はあたふたと出発案内などを引っ張り出して、搭乗便のターミナルを確認している。 おいおい、どこで下車するつもりだったのだ?
こうした経緯のため、我々の荷物が真っ先にバスに積まれ、結果として、空港で取り出すときは最後になってしまった。
バスは5分遅れで出発し、往路とは逆にリヨン駅で追加の客を拾って、12時50分くらいには終着地であるシャルル・ド・ゴールの2Fに到着。
思いのほか早くて、ちょっと安心。

4.シャルルドゴールからアムステルダムを経由して帰国便へ
我々はシャルル・ド・ゴールから成田に直行する便がゲットできず、ヨーロッパ域内便で、まずはオランダのスキポール空港に飛ぶことになっている。
2Fターミナルは(も)、ヨーロッパ域内と日本などのヨーロッパ域外に飛ぶ飛行機の搭乗口が二分されており、我々が向うF33ゲートまでは
パスポートコントロールがない。
最初、私の間抜けで、ヨーロッパ域外用のチェックインカウンターへの列に並んでしまって15分のタイムロス。
正しい列に並び直すと、列を整理する係員に「自動チェックイン機で」と案内を受け、『フランス語なんて読めねーぜ』と機械に向えば、
日本語を含む6言語が選択できる。
『楽勝ジャン♪』と自動機を操作したが、機械に、「あなたのチケットは発券出来ません」と断られる。
これには驚かなかった。
アムステルダムまでがエールフランスで、そこから成田がJALとイベリアの共同運航便だったから、なんとなく出来ないような予感がしていたし。
ハノイから香港経由で成田に飛んだ時は、ベトナム航空のカウンターでは香港-成田のANA線のチェックインそのものが出来なかったし。。。

再び、列を整理する係員のところに行き、「自動機に『出来ない』と言われた」と申告すると、今度は有人の端末に案内してくれた。
ここで、「成田までスルーでのチェックインが出来るよね?」と訪ねると、端末操作員の女性に快く「普通は出来るよ」と返事をもらう。
ところがところが、なんだか手間取っている。
相棒のチェックインは、二区間ともスムースに出来たのに、私の方は、アムステルダム-成田のチェックインが出来ない様子なのだ。
それが出来ないのは操作員にも意外なことらしく、別の係員に聞いてみたり、入力をやり直してみたりと四苦八苦している。
結局、「あなたはアムステルダムでチェックインをして」と言われ、2人で3枚のボーディングパスを受け取ることに。
同時に同条件で予約をしたのに、どうしてなのだ?

次に手荷物を預けるカウンターへ。
恐る恐る、「自分だけアムステルダムの先はチェックインが出来なかったのだけど、手荷物も一旦受け取る必要があるの?」と聞いてみたら、
「成田までスルーだよ」と力強い言葉が返ってくる。
しかもしかも、ここでは手荷物を預けるだけだと思っていたのに、私の残るボーディングパスも発券してくれた。
出発前にインターネットで押えておいたシート番号が打たれているので、臨時発券ではなく、コンピューターが正常に反応してくれたようだ。
メルシーボクゥである。

さらに私だけに悲劇は続く。
先述のように、こちらの搭乗口からの乗機では、パスポートコントロールはないが、ボディチェックは当然のごとくにある。
そこで、私の機内持ち込み荷物になんらかの疑義が生じたらしく、20人に1人以下くらいの確率で、荷物検査を受けることに。
小さなかばんの中には大した物は入れていないのに、いったい何が疑惑を呼んだのであろうか??
で、、、私のカバンの中を隅々まで見た結果、疑わしくないと判断した黒人女性係員は、それを私に返しながら、ニッコリ笑って「グラシャス」とひと言。

ん?、、、「メルシー」でも「サンキュー」でもなく、どうして「グラシャス」なのだ??
確かに私の顔は、少しラテン系である。 しかしベースは見まごうこともなくアジア系であって、アジア顔としてはラテン風なだけなのだ。
ヨーロッパでラテン顔と見られたとなると、ちょっと心の傷が大きいかも。。。

そんなこんなで、シャルル・ド・ゴールのデューティーフリーでは、買い物をしている余裕がなかった。
ボーディング直前に、意地でカフェだけは決行したのだが、ここでの飲食代は異様に高い!!

飛行機を乗り継いだアムステルダムのスキポールは、予想以上に巨大だった。(空港POLICEはセグウェイで移動♪)
ここでのトランジットの途中で、フランス出国時に省略されていたパスポートコントロールを受ける。
帰国日( 1月03日) 帰国
成田に向うJAL便はアムステルダム空港を40分遅れで出発した。
乗客の荷物の積み込みに時間がかかっているとアナウンスがあったが、それだけの理由では遅れが大きすぎるような気もする。
この機に乗り継ぐ乗客を乗せた、いずこかからの便が遅れたのかな?

復路は発券時には座席決定が出来なかったが、日本出発前にインターネットで右窓側の席を押えることが出来ていた。
この機は、もっとも高緯度を通過する頃、その付近の時刻で深夜となるので、左側なら北極光を見ることが出来たのだろうか?

出発は遅れたが、成田到着は7分程度の遅れ。
着陸前に海上を旋回するような感じだったので、滑走路が空いていれば定時到着だったかもしれない。
ともあれ148時間ぶりに日本に入国し、ボルドー(サンテミリオン)で2009年を迎え撃つ作戦は、成功裏に幕を閉じた。

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