タイ&ネパール 2008

1日目(8月10日) 1.日本脱出
11時ちょうどに成田空港を発った我がTG641は未練なく日本から脱出した。
機材は777-300で、エコノミー席は個別ディスプレイではなかったために、食事中からスタートしたカンフーパンダとナルニア国物語を強制的に見せられる
ことになる。
2006年の5月に開港したスワナプーム空港には、定刻よりも20分近く前倒しで到着。
バンコクを通りかっかったのは、2003年に南インドを襲撃して以来で、この時はドンムアン空港だったが、今回のスワナプームは巨大で近代的だと評判の
空港である。

座席が後方だったことから、機外に脱出するまでに10分ほどかかったが、イミグレは10名程度しか並んでおらず、15時半を少し過ぎた頃には、
タイで自由の身となった。
まずは両替。 成田空港では、1TB=3.66~3.72JPYであったが、ここでは¥10,000を2997TBに換金することが出来た。
およそ300TBの差。 空港からバンコクの心臓部に乗り込むTAXI料金分くらいの違いである。
両替を終え、ふと、横のベンチを見ると、コロコロと太った財布を発見。 現金やカードで膨れ上がっている感じである。
オヤオヤと私が拾い上げる様子で、近くにいた背広姿のガードマンも異変に気づく。
そのガードマンが、椅子に最後に座っていた白人を目撃しており、その人物が近くの観光案内パンフを漁っていたので、二人で声を掛けて一件落着。
しかし、そのまま紛失していたら、あの白人の運命は、どうなっていたのだろう??

後から思えば、あのガードマンは、私が財布を拾い上げる前から、白人が財布を置き忘れたことに気づいていたのではないだろうか?
もし私が、そのまま財布を持ち去ろうとしたらどうなっていたのだろう?
 
2.タイ活 開始
大勢の出迎えや、怪しげなタクシー売り込みでロビーは混雑している。
私も、「TAXI?」と声を掛けられたが、「バスを使うよ」とかわすと、しつこくは無かった。

飛行機が遅れたり、イミグレで時間を食ったりして、空港をスタートできるのが17時を過ぎていたら、今日はおとなしくバンコクに泊まろうと思っていたのだが、
先に書いたように、順調に入国を果たしたので、ちょっと奮発して、タクシーでダイレクトにアユタヤを目指すことにした。
青色の[Public Taxi]案内に沿って進むと、ターミナルビルを出てすぐのところに青いパラソルが並んでおり、ここにも客の姿は多くない。
「アユタヤに行きたいんだけど・・・。」と言葉で言うと、即座に「1000バーツ」と帰ってきた。
日本円にしておよそ3300円。
換金金額の三分の一だが、明日一日でバンコクから往復する時間や、アユタヤでの充実度を考えると、惜しくは無い金額である。

3.アユタヤ直撃
割り当てられた青いタクシーの運転手は英語が苦手で、かつ地理に疎かった。というかハズレだった。

私のあやふやな地理感覚でも「あれれ??」と思う場所で高速を降り、路肩に止まっていた別のタクシー運ちゃんに道を確認した上で、
もう一度高速に乗りなおしたりもする。
高速料金の30TBは、タクシー料金とは別に乗客が払うことになっているが、このアクシデントでは、新たな料金は発生しなかったから良しとしよう。

しかし、一時間が過ぎ、走行距離(料金表示の下側に出る)が80kmを越えたあたりから運転手が疲れ始める。
その頃に目当てとしている「アユタヤの街中にあるアヨータヤホテル」の名前を伝えたのだが、さっそく道行く人にそのホテルの場所を聞き始めるのだ。
「オイオイ、ホテル名は街中に入ってから持ち出しなよ」と思ったが、当然のごとく誰も知らないので、車はアユタヤ市街を目指す。
その後も色々とあったが、空港から1時間半を経過してアユタヤ中心部に入ったあたりで、運転手が完全にギブアップ状態になってしまった。。。

ここでホテル名を出して人に聞けば良いのにと言ったが、その助言の英語も通じない。
「もういいから、100m先の、あの信号まで行ってよ」と行っても、徐行運転になってしまう。

4.アユタヤ徘徊
まだ明るいし、荷物も多くは無いので徒歩で探そうとタクシーを諦め、空港使用料の50TBを加えて、1050TBを運ちゃんに渡し、アユタヤ放浪をスタートする。
少し歩くと、坊さんが象に乗って通りかかったりして、 「タイって楽しい!」と少しHAPPYな気分になる。

その後、荷を軽くしてから回ろうと思っていた遺跡を、外側から次々と目撃することになる。
30分ほど歩いたあたりで、現在地と目指すホテルとの位置関係がだいたい判ってきたが、せっかくなのでチェックイン前にさらに一時ほど徘徊した。
この甲斐あって、この間に、「歩き方」の一ページの簡単な地図しかもっていなかったアユタヤの街の距離感覚を身体でマスターすることが出来た。

初めての土地だったが「あの交差点を越えて、少し歩けばホテルが見えてくる」と見当がつき、その通りにホテルを発見したので、「着いたー!」という感慨は
味わえず。 チェックインしてシャワーを浴びてから、ホテル内のレストランでグリーンカレーを入国第一弾の血祭りに。
ライスをつけてスプライトとコーラを加えて230TB。食後に、少し外を散歩したが、遺跡の町らしく静かな夜だった。
このホテルは基本料金1350TBを1200TBにしてくれたが、フロントの女の子が「私に感謝なさい」みたいなことを言う。 チップおねだり??
2日目(8月11日) 1.アユタヤの遺跡群1
夜が明けたら朝食前に軽く周辺調査。 アヨータヤホテルの正面は庶民の市場になっており、午前6時過ぎから賑わっている。
値札は無い。 冷やかしで値段を聞くのも気が引けたので、物価はわからなかった。

まずは手始めに、フリーで入れる公園へ。
東アジアっぽいカップルが本格的なカメラで各々に、三脚を立てて撮影に励んでいたが、話している言葉は何語かわからなかった。
次に、アユタヤでのお目当ての一つであるワット・プラ・マハタートへ。

まだまだ開園前の時刻であったが、ちょうど係員っぽいオジサンが来たので、
「入れるの?」と聞くと、入園口の建物にかいている[30B]の文字を指す。
このワットには本日の一番乗りで入園。

うろ覚えの形の木を探すと、彼は居た!!
木に守られて(拘束されて?)穏やかな顔をしている。
アユタヤは14世紀から400年ほど栄えたタイの古都だが、18世紀にビルマ軍によって徹底的に破壊されたとか。
当時のビルマも仏教国だったと思うのだが、どうしてここまで仏像破壊を行ったのか理解に苦しむ。
仏像は、その多くが首を落とされていた。
その頃の住民も、同じ目に遭ったのだろうか??

この顔も、落とされた仏像の首が放置され、時の流れの中で自然に木の根に取り込まれたのだ。
真正面を向き、上下も正確なのが奇跡的でもあると思う。

2.アユタヤの遺跡群2
いったんホテルに戻って、ビュッフェ形式の朝食。
まずはどちらかといえば洋食っぽいアレンジで、オレンジジュースを添えた第一弾。タイにしては香辛料が強くなく、美味しかった。
第二弾は、粥にけんちん汁っぽい煮物をぶっ掛けて盛り付けたのだが、これが素晴らしく美味しかった。 今回のタイのナンバーワンである。
デザートはメロンを無視してランブータン祭り♪
ミルクティーをつけて締めくくったが、ランブータンを格好をつけて食べるのは意外と難しい。
他の客は、、、と見ると、なんとなく富裕層タイ人っぽい人が多く、白人観光客は疎らだった。

食欲を満たした後は再び街へ。
昨夜、放浪した感覚では、アユタヤ島内を巡る限りは徒歩で十分と踏んだ。(ただし酷暑期の日中に歩き回るのは無理だと思います♪)
観光客目当ての像パークや目に付く遺跡を手当たり次第に襲撃しながら
西へ西へと進軍する。

目指すはワット・ロカヤスタ。
バンコクのキンキラキンのワットポーと寝姿が似ている
全長29mの寝石仏である。
下の写真には写っていないが、真正面には供物や焼香をささげる
小さな建物もあり、参拝する信者も後を絶たないようである。
ワット・ロカヤスタから、民家の近くを通ってワット・プラシー・サンペットに向かっていると、小さな川の中に大根のようなものが浮かんでいる。
鰐の様にも見えるが、こんなのが住宅街をウロウロしているのだろうか??

※この8年後、タイの子会社に行った際に、現地駐在員に写真を見せると、「鰐ではなく大トカゲだ」という。
全長は1mを越え、30kgくらいはありそうなのだが、珍しくもないらしい。(なので写真も載せない)
鰐も、いないではないが、街中で見かけることはないとのことで一安心。

3.タイ鉄道
アユタヤ島内を十分に堪能して、11時頃にホテルに戻り、シャワーを浴びてチェックアウト。
ホテルから徒歩5分で案内看板を発見し、路地の奥に進むと船着場がある。
ここでゆっくり写真を撮ろうと思っていたら、料金所のオジサンが「船が出るから急げ」とせっつく。
桟橋に降り、わずか数十秒の船旅。 料金は3TB・・・日本円にして10円くらいか。

対岸は鉄道アユタヤ駅の駅前通りで、大衆食堂が並んでいた。
暖かい湯気の立つ大衆食堂から良い匂いも漂ってきたが、朝食をガッツリ食ってから時間も経っていないので取りあえず駅を目指した。
時刻表を見ると、20分後の12時18分発、ファランポーン14時5分着の普通列車が予定されている。
券売窓口が開いていないので、ホームに入ってインフォメーションで訪ねると「発車時刻の20分前に開く」と軽くあしらわれる。
もう20分前を切っているんですけどぉ・・・と、心の中で突っ込みを入れている間にも、次々と客が訪れてインフォメーションに訪ねたり、
閉じた券売窓口に呼び掛けたりしている。 そうこうしている内に窓口が開き、待合室で待っていた人が長い列をつくる。
開いた時に窓口の近くに居た私は待つことなく、ファランポーン15TBの切符をゲットしたが、客が多いのだから窓口はもっと早く開けば良いのにネ。
地方へと向かう列車を2本見送った後、バンコク行き列車は定刻の12時18分から20分遅れの12時38分に到着。
列車の長さよりも、プラットホームのほうがはるかに短い!!

列車は混んでいて半分くらいの乗客が座れない。 その乗客の合間を縫って検札が、続いて大声のオバサンが様々な物を売りに来る。
ペットボトル飲料から弁当、菓子類や日常品っぽいものなど、いったいどこに置いているのだろうと思うほど手を変え品を変えて出現する。
車窓は、住宅街や草原が繰り返すが、バンコクにも近いのでさほど自然豊かな印象は無い。
雨が降ったりやんだり、、、窓から手を出していると列車を叩くように木の枝が接近したりして気が抜けない。
並行する道路の案内標識に、飛行機の図柄が出てきたと思ったら、ドンムアン空港駅に到着である。

4.バンコク
終点のファランポーン駅には14時30分に到着したが、着いたとたんにスコールが襲ってきたので、現地の人と一緒に商店街の狭い軒先で雨宿り。
少し雨足が弱くなるのを待って、駅近くの京華大旅社に投宿。700TB。

宿で雨が上がるのを見計らって、ワット・ポーに挨拶に向かう。
京華大旅社はクレジットカードが使えなかったので、10000円分しか両替しなかったバーツ現金が心細くなってきたが、
今回の旅はネパールがメインであるので、今宵は追加両替をしないで乗り切ることに決定。
よってタクシーは却下、入場料が250TBと法外なワット・プラオケも断念(時間も興味も限定的であったし。。。)

5.ワットポー
宿からワットポーまで徒歩35分。
アユタヤですっかり足の豆をつぶしてしまったので、歩行速度が非常に落ちてしまったが、それでも現地の人を次々と抜き去って歩く。
全般的に、熱帯地方の人は歩く速度が遅い。

ワットポーの入り口は小さいが、タクシーやトゥクトゥクが待機しているので発見するのは難しくない。
中に入ってすぐの料金所で50TB。
入り口によっては、これを払わずに済ますことも出来るが、金の大寝釈迦仏の大仏殿に入る時にはしっかりチェックされる。
ワットポーの大仏殿は外から見ても勇壮。 この他の、境内に立つ建造物や仏塔も壮麗で美しく、一見の価値はある。
ここから徒歩5分で、エクスプレスボートのN8・ターティアン船着場。
船着場の正面にはチャオプラヤー川を経て、ワットアルンが聳えていた。
この船着場は浮いているので、よく揺れる。

アユタヤ駅で列車を待っていた時と同様に、
反対方向行きを2本見送った後で、
目指す方面の急行オレンジフラッグが到着。
船に乗ってしばらくすると、コインが入った缶をシェイクしながら、すさまじい音を立てて料金徴収のお姉さんがやってくる。
20TB札を渡したけど、2TBコインしか戻ってこなかったのはなぜ?? ラーチャウォンまでだと17TBのハズ・・・(^^)

10分くらい(かな?)の乗船で、中華街に近いラーチャウォンに到着。
中華街では、線香をやたらと売っていたが、なぜかそそられる店がなかったので、先ほど通ったばかりのファランポーン駅のレストラン街に潜入。
一階はタイ語が話せないと注文が難しそうだったので断念して、二階のレストランで「しょうが焼き」をオーダー。
ライスとミックスジュースをつけて130TB。 見下ろす駅の待合所は難民キャンプのようだった♪♪
3日目(8月12日) 1.バンコク脱出
さて、いよいよ今回の旅のメインであるカトマンドゥを襲撃する日が来た。
フライトは10時35分。
南アジアが雨季の今、飛行機からヒマラヤの雄姿が見える可能性は低いが、それでも右窓際の席を確保すべく、7時30分に空港に着くことを目標とする。
そこでホテルには、6時にタクシーを呼んでもらった。
5時55分にロビーに下りると運ちゃんはすでに待っていて、「フライトは何時だ」と聞いてくる。
10時半だというと、「空港には30分で着いてしまうゾ」と笑われた。
それは判っている。 しかし7時にホテルを出発して渋滞に巻き込まれたら、到着が8時を過ぎ、右窓際が売り切れてしまう心配もあるから譲れない。
中間を取って6時30分に出発するという選択肢もあったが、早めに到着して空港をくまなく探検するのも悪くは無い。

道は概ねすいており、荒っぽい運転も功を奏して、空港へは確かに30分で到着した。 出発ロビーは、先日の到着ロビーから二つ上の四階にある。
タクシー運ちゃんは私をおろすと一切見向きもせず、50TBがかからない裏わざとしてのタクシーゲットを求めて外に出てきた白人カップルを勧誘していた。

スワンナプーム空港は2階が到着ロビーで4階が出発ロビー。
中間階の三階がレストラン街になっていたが、出国後の土産物街とフロアをシェアしている設計のためか、さほど広くは無い。
マネーチェンジの相場を見ると、今日は10000円が2993TBになっていた。 おかげで4TB得した気分になる。

2.カトゥマンドゥ
スワナプームを10時35分に飛び立った飛行機は、3時間25分後の12時45分にカトマンドゥのトリブヴァンに到着する予定になっている。
つまりタイとの時差は1時間15分。。。
インドの(日本と比べて3時間30分の)時差でも十分に面倒くさいのに、ネパールは、インドに対して15分だけ先んじていて、日本とは3時間15分の時差。
確かに首都カトマンドゥの位置は東経85度くらいだから理解が出来なくも無いが、他国との連携をとる上で混乱は無いのかと心配である。
どうせ、東西にも幅がある国なのだから世界標準時と6時間の時差(=日本とは3時間の時差)にしちまえば良いじゃないかぁ!!

結局、ヒマラヤ山脈も顔を見せてくれなかったが、飛行機は定刻より早い12時30分に到着。 雨季のカトマンドゥだが、そこそこの天気で一安心。
空港はもちろんタラップによる降機である。 後方にもタラップが迎えに来てくれたのがありがたい。

ここで到着ヴィザをゲット。
今回は15日以内の滞在なので25USDで入国を許してくれたが、インドネシアの10USDよりも高い!!
税関申告は、気づかないうちに通り過ぎてしまった。
空港内で10000円を両替したら5600Rsが戻ってきたが、後に街中でのレートが5990Rsであることを知ってガッカリする。
建物の外は、タクシードライバーと宿の客引きで大混乱。
出てすぐにパブリックタクシーの券売所があったので、ここでラニポカリまでと言ってタクシー券を購入。
街中までのタクシーは500Rsだった。 [歩き方]の案内よりはるかに高い。
(これはボラれたわけではなく、今春以降のカトマンドゥはガソリン不足と高騰で混乱している)

3.営業おやじ
タクシーには宿引き兼旅行会社の営業オヤジが同乗してきて、英語と日本語のチャンポンで営業するのでウザい。
インドのちゃっかり便乗の方がナンボかマシである。

「ラニポカリで降りる」と言うと、「あそこは何も無いし、嘘つきがいっぱい居る」と言い、
「ホテルは自分の足で探す」と言っても「ドウヤッテサガセマスカ?」と私が知恵を振り絞った作戦をを否定してくる。
ホテルへの勧誘を諦めると今度は、バクタプルやナガルコットへのツアーを進めてくるので、それらには行くが、路線バスで十分だというと、また何か言う。
そのくせ、マウンテンフライトには関心があると言ったら、「最近、132USDから166USDに騰がったのでアメリカ人しか乗れない」とネガティブ発言。
なおもラニポカリ以外の場所に誘導しようとするので不快感をあらわにしてやると、
タクシーの運転手(営業オヤジとは利害関係が無い)が、『もうやめておけ』という様なことをささやいて、ようやく営業オヤジは静かになる。

ただ、営業の合間にオヤジが言っていた、ツアー料金や各地へのタクシー料金の相場、ホテル代の状況に嘘は無く、悪質勧誘と言うほどでもなさそうである。
ラニポカリで車を降りて営業オヤジから開放されると、迷わずダルバール・マルグ地区に足を向けた。
到着早々、騒がしい親父に出会ったので、騒がしそうなタメル地区を避けることにしたのだ。

4.ダルバール広場
ここで、高級ホテルに属するロイヤル・シンギに投宿。
ロビーで、「今はレイニーシーズンなのに、三泊もしてあげるから安ぅしたってや!」と関西弁英語で交渉すると、相当に安い58USDまで下げてくれた。
ただし、これに10%のサービス料が加算され、さらにネパールでは13%のTAXが付くので、結局は、およそ72USDになってしまう。
「三泊で全込み200USDにしてよ」という私のささやかな提案は、あっけなく却下された。
荷物を置いたら、初カトマンドゥに突撃である。
先ほどのラニポカリを通過して、アサンチョーク通りを南西に、ダルバール広場を目指すことにした。
カトマンドゥは想像(予想?)を超えて混沌としていた。
日本で言う歩行者専用商店街のような狭い通りを大勢の人が歩いていると、
すさまじい警笛を鳴らしながらオートバイが突進してくる。
かと思うと、その後から人力車が追いかけてくるので、
「オイオイ、それは無理だべや!」と呆れていると、正面からはなんと自動車が迫ってきた。
どう見ても行き違えるはずが無いのに、彼らの辞書には前進という言葉しか
無いかのような勢いで、気が付けばお互いの進路を確保している。
歩行者ももちろん、遠慮などしている暇は無い。
カトマンドゥの路地は混雑しているのではなく、カトマンドゥの路地は混乱している!!

5.カーラ・バイラブ
写真の赤い神は、ダルバール広場のカーラ・バイラブという神様の像。
コミカルな顔をしているが、彼の前で嘘をつくと死ぬと信じられているそうである。

ローマの真実の口にも通じるものがあるが、
それらの存在は古今東西を問わず嘘つきが多い
と言う事実を反映している(のだろう)。

6.カトマンドゥな晩餐
ダルバール広場からニューロード、カンティ・パト通りを経て、次にタメル地区を視察する。
時間帯が中途半端だったためか人通りはあまり多くなく、土産物屋やレストランも暇そうにしていた。
ここは沈没する世界各地のバックパッカーが多いことで有名な地区だが、確かに、何でも受け入れてくれそうな、おおらかな空気が流れている。
まだ明るいうちに、ホテルに近いダルバールマルグ地区のJAI HIMAL TREKKINGという旅行会社に顔を出して、マウンテンフライトの状況を尋ねてみた。

ここは、神保町にある西遊旅行の現地連絡事務所でもあることからか、日本語が話せるスタッフが居て楽だった。
彼いわく、「雨季の今でも、飛行機が飛べば必ず山は見えます。」「今朝も2便が飛んだので、明日も大丈夫でしょう。」と力強い。
料金はタクシー便乗営業マンが言っていた通り、一律166USDだった。これに、ホテル~空港の往復送迎をつけて180USD。
それでも、エベレストが見下ろせるのだ。

明日はホテルを5時30分に出発することになったので、朝食代わりにリンゴを二個だけゲット。
露天で50Rsは絶対にぼられていると思ったが、リンゴを二個だけ買うとこと自体がせこいので、言い値で買ってあげた。

ちなみに1000ccくらいのミネラルウォーターは15Rsか20Rsくらいだが、同じものでも店によって価格が異なるので、値段は良くわからない。
日本人と見てボラれているのか、それがその店の正規価格なのかも不明である。

カンティ・パト通りを越える歩道橋の上からアサンチョーク通りの入り口付近を眺めてみた。
ここを奥に800mほど行くとダルバール広場があり、右斜め方向がタメル地区だ。 左側の柵の中が最初に車を降りた溜池のラニポカリか。
ポカリとは、池の意味だが、なんとなく日本語感覚に似ていて微笑ましい。 ポカリスエットのポカリも、ここからきているのですよねぇ??

一旦、ホテルに戻って、汗だくになったシャツを換えて夕食に再外出。
暗くなってしまったので、ホテル近くのMOTIMAHALで、ネパール料理ならぬインド料理のコースをオーダー。
あれやこれやにデザートをつけて600Rs。
量も多いし、これだけ食べて1000円と言うのは、日本の感覚では安いが、これとは別に飲み物代がかかって、
13%のTAXも追加されるから、現地ネパールの物価ではとんでもない高級晩餐だったのかもしれない。
火曜の夜と言うこともあってか、客は少なかった。
4日目(8月13日) 1.カトマンドゥの朝
カトマンドゥ最初の朝は、午前5時25分に活動をスタートした。
ロビーに下りると、昨日約束した空港までの出迎えがソファーに横たわって待ってくれている。
夜明けの街を空港へと急ぎ、わずか15分後の5時40分には国内線の建物に到着。
この時間帯でもマウンテンフライトだけではなく、ルクラ行きのチェックインが行われていた。
小さなショップも開いていたが、170Rsの空港税を納める銀行のシャッターはまだ閉じており、人によってはチェックインカウンターに現金を払い込んでいた。
私もそうしようかと、チェックインカウンターに並びかけた時に銀行がオープンしたので速攻入金。
そのすぐ後に長蛇の列ができる。
ここで170Rsを払って、引き換えにもらう入金証明と航空予約券をチェックインカウンターに提出し、ボーディングパスを獲得するという流れなのだ。
今日はマウンテンフライトは3便が飛ぶらしい。

2.マウンテンフライト
6時を少し回って、まずはルクラ行きの搭乗が始まり、少し遅れてマウンテンフライトの搭乗が開始。
ネパールでは、ボーディング時にも軽い(いい加減な?)ボディーチェックがあるが、係員がいれば男女別に区別して実施される。
ヒマラヤ山脈へと向かう飛行機。
(これは私が乗ったイエティーエアの30人乗り)

高度9000mまで上昇するというのに、プロペラ機ということにビックリ!!
乗客席は27座が用意されているが、乗客は18名。横3列×縦9席だが、窓側しか割り当てていない。
スチュワーデスは、ネパール人とは思えない白人系の顔立ちの美人で、ニコヤカに飴を配ってくれた。(英語発音も綺麗だったし、ハーフなのかな?)

左右のタンクには、なぜか乗客が乗機してから給油が始まる。
まずは右側から給油され、給油車が左に移ると、右側のプロペラが爆音を立てて試運転を始めた。
やがて左側の給油も終わったらしく、両側のプロペラが起動する。
南米で、リマからイカに飛んだ時より少し大きい程度のプロペラ機だが、今回の方がはるかに綺麗だ。
6時40分前後に飛行機は軽やかに離陸し、ほどなく安定飛行。山はなかなか見えてこない??
と、感じたが、実際には離陸後20分くらいから、左側遠方に白い山が見えてきた。

3.サガルマータ(エベレストのネパール名)(チョモランマは中国名)
機体は徐々にヒマラヤ山脈に近づきながら東北東へと向かう。往路は左座席の乗客が、復路は右座席の乗客がヒマラヤを満喫するという仕組みらしい。
サガルマータが左前方に大きく見えてくると機長が放送でガイドを行い、美人スチュワーデスも各シートを回り、訛りの無い英語で山の名前を説明してくれる。
十分に山が迫ってきたところで、乗客一人々々がコクピットに招待される。
これは嬉しいサービスではないか!!
まずは、まだ景色が楽しめていない右座席の乗客から・・・。
旋回して右座席にヒマラヤが見える時には、左座席の乗客がコクピットに行くという順番になるのだろう。

合理的で良い配慮だが、旋回中にコクピットに居合わせることが出来る乗客は
飛び切りラッキーではないか!
と、考えていたら、その飛び切りラッキーな乗客は私になった。

この写真は、私の順番になり、スチュワーデスに案内されてコクピットに行った際に、
機長が私に「旋回するから、ちょっと待って」と断って、機体を大きく傾けた瞬間である。
天空に白く聳えるこの山に足で登頂する人類ってすごいなぁ~と、改めて感心。
8850mの高みに到達するには、高い身体能力も必要だろうが、より重要なのは
高い知力だろう。

鳥とは違い、重力に拘束される生命体でサガルマータ山頂に到達できる動物は
人間しかいないのだ。
空からのヒマラヤ山脈を満喫した後は、一旦ホテルに戻った。
空港駐車場に向かうと、私のフライトの間、車で待機していてくれた運転手が笑顔で出迎えてくれたのだが、彼もまた会話が成り立つレベルの日本語を操る。
英語の発音も正確だし、すごいなぁとも思うが、仕事で母国語の他に数ヶ国語を必要とするというのは、厳しいことだとも思う。

彼が言うには、昨今はガソリン価格の高騰に歯止めがかからず、それどころか極めて入手しにくくなっているので、高騰した価格の二倍くらいの金額を払って、
ようやく確保しているとのことだ。(それですら、一昨日になってようやく手に入ったとか。。。)
空港から市内へのタクシー料金がガイドブックの1.7倍だったことを告げると、「そうでしょう」と頷く。

今はメーターで走ってくれるタクシーは無く、もしあるとしたら、その車はメーターを改造しているに違いないとも付け加える。
ノーガバメントだと嘆くので、「税金はどうなっているの?」と訊ねると、それはしっかりと取られているらしい。
中心部から各地に行くときのタクシー代の相場を聞いてみたが、概ね、[歩き方08]の2倍程度の金額を言っていた。
([歩き方]は、日本でのガソリン価格が130円くらいの時に刷られている。)
ネパールは今春に王が退位して、今は無政府状態にあるとのことだが、この二日後の8月15日に新大統領が(驚くべき事にマオイストから)選出されたので、
今後、少しはマシになることも期待できる。(のかな?)

4.ボダナート
次はボダナートを襲撃すべく、ホテルで軽装に着替えてから、再びラニポカリの北側にある路線バス乗り場に向かう。
14~5歳の若い車掌がバスの行き先を早口で連呼しているがジャパニーズには聞き取れない。
「ボダナート?」とバスを指差してたずねると、二台目のバスの車掌が「早く乗れ」という風に招き入れる。しかしすぐには発車しない。

 『これ以上は乗れないよ~』とため息が出るくらいに詰まってから、さらに3人くらいを押し込んで出発する。
頻繁に乗降があるので、落ち着かないが気は紛れる。非常に短い区間だけ乗り込んでくる人もいるが、料金に差はつけているのだろうか?
インドだと男女が車内で密着することを嫌う傾向にあったが、ここではそんなことは気にせず(できもせず)、引っ付きもっつきバスに揺られていく。

やがてバスが上り坂にかかり、小さなストゥーパーが見えてきたので私が落ち着かないそぶりを見せると、斜め前のビジネスマン風のオジサンが英語で、
「ボダナートじゃないよ」と教えてくれる。 「ボダナートはもっと大きい」とも。
そこからさらに数分で、今度は車掌が私にボダナートだと告げてくれてバスを降りる。

料金は18Rs? 降りる際に20Rs札を払ったら、価値が良く判らない硬貨が2枚戻ってきた。路線バスには概ね現地人しか乗っていない。
ボダナートの入り口では、入ってすぐのところで外国人は100Rsを支払いチケットを受け取る。
中に入ると真正面にネパール最大の仏教ストゥーパーが鎮座しており、
周囲にはストゥーパーを取り巻く様に小さな町が形成されていて、
店がドーナツ状に軒を連ねている。

ここはチベット仏教の寺なので、五体倒地で回る巡礼者が一人、ストゥーパーに祈る巡礼者が数名。
常に右手にストゥーパーを見ながら時計回りに参拝するのがここの流儀であるので、
それに従って左手の店を順番に冷やかして回る。
店は土産物屋からレストラン、礼拝小物の取扱店などが混在しており、
土産物屋にしても、外国人観光客目当ての一般受けする小物(Tシャツやステッカーなど)の店から、少し手の込んだ手工業製品専門店、
より宗教色の強い参拝記念品を扱う店などが入り混じっている。
私は、ほどほどに手の込んだ工芸品を飾っている店で、片言のネパール語?で銀製品土産をゲットした。
そこそこに値引いたつもりだが、もっと時間をかければ、半額くらいには成るのかもしれない。。。

店に混ざって時折、礼拝が出来る寺が扉を開けており、敬虔なチベット仏教徒や、東洋文化に染まってみたい風の白人が参拝をしている。
(ダライラマの肖像が祭壇の中央に飾られている)
ストゥーパー側も、数段上までは上れるようになっており、1~2ヶ所は参拝できるようになっていて、マニ車も置かれている。
これを一周回せば、お経を一回となえたのと同じ御利益があるというのは、別の機会に耳にした怪しげな知識。

5.カトマンドゥ盆地に徒歩で帰還
小一時間ほどボダナートに染まったので、一旦、カトマンドゥ中心部に戻るべく寺院から脱出。
外に出るとすぐにタクシーが声をかけてきたが、丁重に逸らしてバスを探す。
元来なら、タクシーを逸らす場合はもっと軽く扱うのだが、陰でガソリン入手の戦いをしているのだと思うと、少し丁寧にならざるを得ない。

バスを探すといってもラニポカリで乗車した時の様な始発ではないので、これがナカナカ難しい。
ドアから身を乗り出し、大声で行き先を連呼している車掌に、「カトマンドゥ?」と聞いても、期待する反応が戻ってこない。
多分、もっと細かく通りの名前を言ってあげないといけないのか、カトゥマンドゥ行きはことごとく、すでに満員であり、ドアから人があふれ出しているバスは
私も敬遠していることから、発見できないのかもしれない。 いまさらタクシーに頼るのもしゃくなので、徒歩で中心部に戻る事にする。

盆地の中に下っていくだけだし、距離も4km弱しかないし、地図も傘も持っているので問題は無い。
歩き出してすぐに、赤ん坊を抱いた母親らしき人に英語で、「この子のミルクをスーパーマーケットに買いに行くのだけど、お金が無いの」と呼び止められる。
これはインドでも出会ったし、そしてこの後にも遭遇する。英語がほとんど同じであるし、言っている事に違和感がある。
(お金を持たずにスーパーマーケットに向かって、その途中でたまたま遭遇した外国人に頼ること自体が不自然である)

そりゃ飛行機に乗って他所の国に遊びに来る人は、余分なお金も多少は持っているに違いないが、みさかいなくタカれば良いというものでもない。
私は半年に一度国境なき医師団に、個人レベルでは少し多いくらいの寄付をしているが、その他の街頭募金やバクシーシには滅多なことでは応えない。
今回もスルーした。
と、次に若い男が擦り寄ってきて、「あなたは良い靴を履いている」「私のと交換しないか?」(←主語が良く判らなかったが、おそらくは靴vs靴の交換だろう)と
迫ってくる。 歩くとこんな苦労があるかぁ・・・と思ったが、ボダナートの入り口を少し離れると人通りも減り、気分良く異邦人気分を楽しめた。

途中から雨が降ってきたが、気になるほどでもない。前方を、おばあさんに連れられた女の子が一所懸命に歩いている。
この二人に限らず、雨が降っていても傘を差していない人が多い。貧しくて傘がないというのではなく、濡れることをさほど気にしていない様に見て取れる。
一時間強で王宮跡に生還し、タメル地区を物色して、昼食として4EVERというレストランでモモ(とネパール風カレー)を食する。
ここのモモはチベット風で餃子型だったが、ネワール料理本来のモモはシュウマイ型であるらしい。
店名の4EVERは、もちろんForeverにかけているのだろうが、こういった言葉遊びが流行っているのかな?
別の場所では道案内の看板に、「U.R.HERE」と書かれていた。

6.スワヤンブナート
ここでエネルギーを充填し、タメルから徒歩30分見当のスワヤンブナートに向かう。
スワヤンブナートは、規模はボダナートには敵わないが、カトマンドゥ盆地最古のストゥーパーであるとも聞く。
川を渡って少し歩くと、目の前の丘の上から仏陀の目が見下ろしているのに気付く。
ほどなく東参道の上り口。ここからは延々と階段が続き、上部に行くほど傾斜がきつくなってくる。
「あと10mで頂上だ!」と思ったら、不意に呼び止められる。
先ほどもあった、[押し売り「あなたに幸運を」]かと思って無視したら、なおも強く呼びかける。
振り返ると、そこは外国人の入場料徴収場所になっていた。
山頂の展望台からは、カトマンドゥ盆地が一望できる。
なんだか、高尾山の展望台から八王子市街を眺めるのと
感覚が似ているかもしれない。
乾季だと、ここからもヒマラヤ山脈が遠望できるのだろう。

ここにも土産物屋があったが、目立つのはサルである。
[歩き方]でも、
「ここで物を食べようとすると襲われますよ」と警告しているが、
確かに、こちらの隙を伺っているようでもある。
ここでも小一時間ほどのんびりしたが夕日が望める天気でもないので、登ってきた東参道の階段を下り、タメルの西端のチェトラパティチョークから
ダルバール広場を目指した。
カトマンドゥ盆地の地理はわかりやすく、細い路地にさえ迷い込まなければ、新参者でも地図をチラ見する程度で歩き回ることが出来そうである。
この広場の周りにも、興味深い店が多い。

今日も適当にフルーツを確保してホテルに帰還。
毎日のようにスコールがあるが、最近は日本でも同じ様な気候になってきているので違和感が無い。 日本の気候は着実に熱帯化しつつあると思う。
5日目(8月14日) 1.パタン
さて、昨日ほどではないが本日も早起きをして、チェックアウト前に近郊を回る。
行き先はパタン。ここも徒歩でも路線バスでも行ける圏内であるが、タクシーの相場の堅さを探る上でも、パタンは適当な位置にある。
と、いう訳で、ホテルの前で待機しているタクシーに声をかけられるままに尋ねると、片道だったら300Rsがミニマムチャージだと強気である。
一方当方は、ガソリン価格の高騰と入手のしづらさを知ってしまっているので、ボッタクリとも思えず交渉が弱気になる。

カトマンドゥ盆地には、かつて三つの王国が共存していて、カトマンドゥ(カンティープル?)に隣接する一つが、このパタンである。
(もう一つはバクタプルで、それぞれにダルバール広場を有する。スペインや南米の各都市に、アルマス広場があるのと似ているかも知れない)

パタンまでは渋滞するので車で30分ほどかかるが、実は極めて近い位置関係にあり、バグマティ川を渡ったらすぐである。
よくぞこの距離で異なる王国が共存していたものだと感心してしまうが、本質的にネパール人は好戦的ではないのかもしれない。

パタンのダルバール広場は、カトマンドゥのそれよりも居心地が良く、さらにエキゾチックな空気も強い。
少しマッタリした後、地図を参考に、ゴールデンテンプルに向かう。

雌雄一対の獅子?が入り口を守り、中では祈祷が行われていた。
後に、トリブヴァンからスワンナプームに帰る飛行機の中で、隣り合わせた女性に教えてもらったのだが、このゴールデンテンプルは、
イスラムとヒンドゥーと仏教をすべて祀っているのだという。
インドシナ半島からジャワ島にかけては、この三宗教が共存している場所は珍しくないが、ひとつの寺院で祀るまでに融合されているというのはビックリ。
テンプルを出た後、人波に身を任せて小さな寺院にたどり着くと、そこでは何かの祭礼があるのか、着飾った男女が集まっていた。

ダルバール広場から再び車でホテルに戻り、シャワーを浴びたら荷物をまとめてチェックアウト。
ホテルは三泊という事で宿泊費交渉をしたが、三連泊ではなく二連泊の後は一晩空けて一泊という計画なので、「明日の夜に戻ってくるからね」と
レセプションに念を押してホテルを後にする。

2.バクタプル
本日はあわよくばナガルコットまで足を延ばすという野望があるのだが、まずはバクタプル行きの路線バスを求めてラニポカリの南東にある
バグ・バザールのバス乗り場を目指す。
若い車掌がドアから身を乗り出して行き先を連呼しているが聞き取れないので、適当に「バクタプル?」と尋ねると、二つ目のバスが、乗れという仕草をする。

南部も渋滞のひどさは変わらず、カトマンドゥの市街地を抜け出すのに一苦労である。
頻繁に乗客が入れ替わり、トリブヴァン空港の南側をかすめて、バスはアルニコハイウェイを東進する。
この道はバクタプルを過ぎた後は進路を北に変え、辺境の町コダリからチベットに入域して、遥かラサへと通じるという、旅心をくすぐる街道である。
もちろん、周到に準備を行い、必要なパーミッションを得てからではないとラサは目指せるものではなく、ましてや中国がナーバスになっている現状況では、
ラサへは物理的距離以上に遥かな道のりだ。

途中のバス停で乗ってきた婆さんは、乗ってきたとたんに窓際の若者を押し退け、窓から黄色い液体を嘔吐した。
私の眼前1mでの出来事である。吐しゃ物のしぶきがかかるという被害を受けたが、乗ってきたとたんというのが不自然だし、嘔吐物にも臭いは無かった。
きっと満員バスで座席を確保すべく、乗車直前に黄色いジュースを口に含んだのであろう。
婆さんの目論見は功を奏し、若者は席を譲らざるを得なくなる。

その辺りからバスの速度が上がった(とは言っても40km/h程度)が、早くなったらなったで、バクタプルを通り過ぎてしまわないか不安にもなる。
バンコクで入手した、英語版のカトマンドゥ地図にも、小さな町名は書かれていないので現在地が確認できない。
郊外に出て30分を過ぎた頃に、バスはアルニコハイウェイから北に逸れ、坂を登って下って停車した。
そこがネパールテレコムの前である。日本でネットで見た記憶かどうかは定かではないが、確かバクタクルはテレコムの前で下車するはずだ。
車掌は教えてくれないし、終着点ではないらしく乗客も多くは下車しないが、私はとりあえずバスを降りた。さて、このバスはどこまで行くのだろうか??
バクタプルの入り口のゲートをくぐり、タクシーの運ちゃんが話していた
大きな池を左手に見てから古い街並みを進むと、門番がチケットを見せろという。
これは外国人に課される文化財保護基金のことであろう。

「どこで買えるの?」と聞いたら、すぐ近くの建物を指す。
そこで750Rsで入場券を入手し、先ほどの門番に券を見せて入場。
ここの住民は出入自由である。
門をくぐると、今まで以上に歴史を感じさせる広場になっており、ここがバクタプルのダルバール広場である。
まだ13時にもなっていないし、やはり今日はナガルコットを目指す事にしよう。
ダルバール広場に入ったとたんに、入れ替わり押し寄せてきた売り込みガイドが、その気持ちに後押しをした。
ナガルコットへもバスで一本なので、急ぐこともない。
適当にガイドをスルーしながら、
ニャタポラ寺院前のカフェ・ニャタポラで昼食をとる。

日本語で聞くと、なんともユーモラスな名前だが、
由緒ある名前でもあるらしい。
カフェ・ニャタポラも歴史的な建造物を改造して
レストランにしているのだが、3階からの眺めがいい。
昼食はネパール風ヤキソバを注文し、コーラを付けて364Rs。 この店は外国人観光客向けなので、値段は高い!!
広場に面した土産物店と、それを冷やかす外国人観光客を見下ろしながら、小一時間マッタリ過ごす。

3.ナガルコット
ヒマラヤの展望台と称されるナガルコットに向かうには、この古都を抜けて、北東部にあるカマルポカリのバス発着場に行く必要がある。
なんとも異邦人気分になれる路地を通り、街外れまで来ると手焼きの甕などを天日干しにしていて、またまた一風異なる側面を見せてくれるのが嬉しい。

徒歩15分でカマル停留所に着くと、それらしいバスが二台停まっていて各々に人を満載している。
混み具合がマシな方のバスの運ちゃんに「ナガルコット?」と尋ねると、「あっちだよ」と、屋根まで人を満載したバスを指す。
予感通りの展開でワクワクしてくる。いっその事、屋根に登ってやろうかとも思ったが、荷物があるのでそれは断念し、客室の奥にザックを引き連れて突撃した。
他の乗客に比べて荷物が大きいというほどでもない。 遠慮する必要も気おくれする義理も無いのだ。

ネパールのバスはことごとく、速度計とドアが壊れている。特にドアは、わざと壊しているのかもしれない。
ナガルコットまでは登り一方で15km程度だが、予定時間は1時間半ほど。平均時速は10km/hである。
立っていると外の風景が見にくいが、農村の中を、尾根に沿って道が延びているっぽい。

あと5kmくらいかな?と、思っていると、不意にバスが停まり、車掌を中心に慌しくなる。 最初は、無賃乗車客が逃げた騒ぎかと思ったがそうではない。
次にパンクかと思わせる雰囲気になったが、それも違った。
結局、良くは判らなかったが駆動系の故障らしく、運転席付近の床を開けて工具を持ち出し、バスの分解に取り掛かる。
乗客も慣れた様子でゆったりと構えているが、こんな山中でバスが故障すると不安ならないのだろうか?
車掌と運ちゃんの20分強に及ぶ戦いが勝利を収めたらしく、屋根から下りて来ていた人がワラワラと戻り、バスは再びエンジン音を山中に響かせる。
そこから20分ほどでナガルコット。

車掌は私に、宿泊所が点在しはじめる付近で「どこで降りるんだ?」と聞いてくれたが、「終点のバザールで降りるよ」と答えたら安心したようであった。
終点で下車したら、数名の客引きがやってきた。
いずれも展望台とは別の方向の尾根の先端付近の宿だったので、「ホテルは予約している」と嘘をついたりしていたのだが、
その間に屋根に乗っていた人たちは、あらかた降りてしまったようである。
バスの屋根に鈴なりになってたであろう乗客の写真を撮ろうと思っていたのに、計算が狂ってしまった。

バザール付近の宿の客引きがいたら引かれていっても良かったのだが、それがなかったので辺境の☆☆☆☆☆ホテルである
「クラブヒマラヤ・ナガルコットリゾート」を目指した。
今回の旅では私らしくなく贅沢をしている。と言っても、そんなに高いわけではない。
レセプションで宿泊料を聞くと、基本で70USDだというので、カトマンドゥのロイヤルシンギの場合と同様に、「今はローシーズンだから安くしたってや」と
交渉すると、20%の減額で応じてきた。
朝食付き56USDである。その申し出を受け入れたが、これに10%のサービス料と、13%のTAXを乗せると、結局は、ほぼ70USDになる。

シャワーでバスの埃を落とし、散歩に出ようとしたとたんに雨。ヒマラヤ方面の展望も望めないどころか、近くの尾根までガスにけぶってしまう。
ここは標高が2000m以上はあるので、明け方にガスが下がる事に期待して、早めに就寝。宿泊客も多くは居なさそうで、静かな夜である。
6日目(8月15日) 1.雨の朝
チェックインをしたときに、「明日の日の出は5時20分」と教えてくれていたので、5時には起床して、息を殺して(笑)夜明けを待ったが、
東に面するテラスには、陽光が降り注ぐ代わりに雨が降り注がれている。
もともと、この程度の天気であることは承知していたが、仕方が無いのでホテル内を探訪した。
客室は4階と5階に配置され、それぞれの部屋には山の名前がつけられていた。
日本の山小屋風でもある。 我が4階の部屋には7000m級の山の名前が割り当てられていたが、5階の部屋は8000m級の山々なのだろうか??
各部屋にはヒマラヤ展望バルコニー、屋上には360度テラス、3階にはレセプションとレストランがあり、その階下にはプールも備わっている。
「山奥なのにプールとは・・・」とも思うが、付近は緑も豊かだし、少し水を汲み上げれば、簡単に水が確保できるのかもしれない。

2.ビューポイント
朝食を済ませ、外が明るくなって雨があがるのを見計らって、[歩き方]でいうところのビューポイントに向かう。
現地では、そうは呼ばず、単にTOWERと案内されている。
ガスが薄くなったり濃くなったり、、、遠望に期待はできないが、トレッキングとも呼べない程度の散歩コースとしては手頃である。

少し歩くとネパール軍の基地?があり、それとは別だと思うが軍学校もある。
ホテルから10分ほどで軍のチェックポイントがあり、ゲートを入ってすぐの二股を左に進む。
たぶん、まっすぐ行くと基地に入り込んでしまうのだろう。急な坂を登るとヤギが寝そべっていたり、可憐な花が密かに咲いていたりして、なんだか楽しい。

程なく、人陰のある小高い丘が見えてきたので、ずいぶん近いなぁと思ったら、そこは軍の敷地内であった。
もうしばらく歩くと、「TOWER 1KM」という道標が現れる。
この道標は、何度か登場するが、ネパール語のみで書かれていたり、バクタプルからの距離が記されていたりと統一性に欠けるかも。

ホテルから40分程度で、道が終点っぽくなる。
露店がジュースなどを売っているが商売っ気は感じられない。
店の間を左に抜け、階段を登ると危なっかしいTOWERがそびえている。 ここの風景はどこか、ベトナム・カンボジア国境のサム山の中腹に似ているかも。

TOWERに登らなくても展望は良いが、火の見櫓の様なハシゴを上るとなお一層の絶景である。
乾季に来れば、北にはヒマラヤ山脈が展開し、南にはタライ平原が横たわっているのが望めるはずだ。
今回は、バクタプルやカトマンドゥ盆地が垣間見えただけでも良しとしよう。

3.バクタプル再び
ホテルに戻ってザックを回収し、バザールの先にある昨日のバス停に行くと、すでにバスが待機していた。それどころか、すでに席も埋まっていた。
仕方が無いので、運転席後ろの空間を場所取りする。
すぐに出発する雰囲気ではないので外をウロウロしていると、「TAXI?」と聞かれるが、「バスを使うよ」と応えるとしつこくない。

やがてバスが快調に走り始め、「下りは順調♪」と思っていたら、やはりバクタプルから3kmほど手前でバスが故障。
車掌と運ちゃんが本格的にバスをいじり始め、20分ほどでシャフトを取り出した。
交換部品を持っていたのか不明だが、間も無くバスが動き始めたので、無事に修理が終わったのだろう。路線バスは日常的に壊れている様子である。
そこから10分ほどでバクタプル。

50Rsを払ってもすぐに釣銭が戻ってこないので、
車掌の顔を見て、「オイラは値段を知ってるよ」という顔で
ニヤッと笑ってやると、20Rsが帰ってきた。
往路では車内で40Rsを払って6Rsを受け取ったので、本当は幾らなのか判らない。。。

カトマンドゥもパタンも良かったが、バクタプルは最高に異国情緒が漂っている。
昨日に続いてカフェ・ニャタポラで昼食を摂り、それから20USDを1340Rsに換金して怪しげな土産をゲットする。
一つ150Rsの物を二つ手に取り、「カティ(いくら)?」と尋ねると「250Rs」と答えるので、「150Rsで売ってよ」というと、トンデモナイという表情で首を振る。
「180Rsではドウダ?」と聞くと、それでも渋い顔をしているので、「また後で来るね」と言い残して、別の店を覗いて回る。

再び、先ほどの店に戻り、例の物を二つ手にとって、「150Rsだったよね?」と聞くと笑っている。
「わかったわかった、180Rs出すよ」と畳み掛けると、相手も承諾顔になって商談成立である。

4.カトマンドゥ帰還
そこから再び満員バスで、カトマンドゥに戻り、16時前にロイヤルシンギに生還した。
部屋はオールインクルーズで80USDだと言うので、「先日は72USDにしてくれたじゃん。今夜はその延長だよ。」と申し立てると、あっさりと72USDになった。
このとき初めて、72USDには朝食が含まれていることを知った。
とは言え一泊目はヒマラヤフライトの早朝出発だったので、どのみち朝食を摂る時間が無かったから損失は昨日の朝だけだが。

今回あてがわれた506号室は、前回と同じフロアではあるが眺めはいい。
夕立が上がるのを待ってタメルに出動し、一昨日に目をつけておいた店で写真の紅茶をゲットした。
ネパールのヒマラヤティーは、インドのダージリンに近い品質で評判もいい。
明日の昼前にはカトマンドゥを離れなくてはならないので、気分的には、お土産モードに入ってきた。
7日目(8月16日)
帰国日(8月17日)
1.商談
カトマンドゥ最終日。ホテルの一番乗りで朝食を平らげ、ダルバール広場とタメル地区に、最後のパトロールに出かける。
まずはダルバール広場でランニングシューズの処分。
走りつぶしたランニングシューズは、気分的にゴミとしては捨てがたいので、溜まっていた一足を日本から持ってきていたのだ。

ダルバール広場で何かと交換をするというのが目標である。 まずはディパックに靴をしのばせ、興味深い売り物を物色する。
大きなお面には魅力的なものがあったが機内持ち込みが難しいので断念し、そこそこの大きさのものを見て回ると、手頃な怪しい壷が転がっている。
「カティ?」と尋ねると、2個セットで4000Rsと応えてくる。
『これは吹っかけてきたなぁ』と苦笑しながら、「カバンが小さいので一個しか持って帰れない」と言うと、「一個で2000Rsでも良い」と一歩前進。
手応えはありそうである。そこで、とびっきり悲しそうな顔をして、「ネパールのお金は、ほとんど使い果たしてしまったのだ」と言ってから、
「良い事を思いついた!」と明るい表情に戻って、
「昨日までトレッキングで使っていた日本製の上等な靴を持っているから交換しないか?」とザックを指差したら、「見せてみろ」と関心を示してくる。

『しめしめ』とほくそ笑みながら靴を取り出し「壷と交換はドウダ?」と持ちかけると、「この中古靴では交換は無理だ。」「1000Rsをつけろ。」と半額に。
「この壷の彫刻は全て手作業なのだ.。」と言うので、「この靴だって新品だと120USDはする(これは本当)。」と切り返し、
さらに畳み掛けるように日本から持ってきたパイナップルドロップを上乗せした。 これも予定通りの作戦である。
お兄さんの心が動いた。
間髪いれず、「500Rsだけなら持っている」と財布から有り金をはたいた様に見せかけると、「仕方ないなぁ」という顔になったので商談成立である。
こちらは日本のスーパーマーケットの袋に靴をくるんであげたが、先方は壷を裸で寄越した。まぁそんな些細なことは気にしない。
たぶん先方も満足だろうが、こちらも納得の買い物&不用品処分である。

2.カトマンドゥ脱出
それから一時間ほど広場でゆっくりとして、再びタメルに突撃した。
と、言っても私はそんなに土産を買い漁る事はしない。

会社への土産は菓子と決めているので、ネパールではなく
トランジットのタイで買うものを選んでおいたし、
よほど心を惹かれたものしか買う気はなかった。
10時過ぎにホテルに戻ると、すでに掃除されていたが、こちらも今夜は機内泊なので遠慮せず、もう一度シャワーを浴び、チェックアウトをして空港に向かう。
タクシーは、やはり400Rsから妥協してくれなかった。
[歩き方]の値段は、ホテル代や食事代については参考になるが、バス代は少し騰がっており、TAXI代は1.5倍から2倍は見ないといけないというのが、
2008年夏の物価であった。

3.ロマンチストな旅人
渋滞を乗り越えて空港に着くと、国際線の建物の前は人が溢れていて、なかなか中に入れない。日本人団体が何組かいる。
建物に入る時にセキュリティーチェックがあり、身体チェックはアラームが鳴っても鳴らなくても、同じような感じでボディチェックがなされる。
その後すぐに、国際線の使用料+観光サービス税として1695Rsを銀行に払い込んで4枚の領収書を受け取り、航空券にそれを添えてチェックインをする
というのは、国内線と同じ手順。

97時間に及んだカトマンドゥ・プチ沈没もタイムリミットを迎え、出国手続きを経て辿り着く待合室でネパールルピーを使い果たす。
市街地ではあまり見かけなかったが、日本人も少なからず居るようだ。
このフライトでタイで即日乗り継ぐと、成田行きでも関空行きでも17日(日曜日)の早朝に帰国できるので、日本人率が高いのは当然でもある。

ほぼ定刻どおりにボーディング。
再びウッカリと座席希望を伝え忘れていたので、私には後方の通路側シートがあてがわれてしまったが、ヒマラヤフライトを満喫したので窓外の景色にも
未練は無く、ゆったりとシートに身を委ねた。

空席を一つ空けて窓際に、やはりカトマンドゥ単独潜入を決行してきた日本人女性が座っていた。
私のちょっとしたドジがきっかけとなってオシャベリに花が咲き、スワナプームまでの3時間半のフライトが15分の体感時間になった。
旅の話をしていると、地球に対する思いがお互いに止めども無く溢れ出てくる。
南米、ワイナピチュでも感じたことだが、やはり旅する者は一様にロマンチストだ。

5日ぶりのスワナプームでは、今度は出国せずに4時間でトランジット。
ドライランブータンの箱詰めやドリアンの練り物など、日本ではお目にかかれない逸品を確保し、タイバーツも使い果たして22時の帰国便に身を沈めた。
後は、眠っていれば日本である。

4.日本生還
成田空港には定刻よりも早く到着。
後部座席というハンデはあったが、いつものように速攻で再入国審査を受け、ターンテーブルを無視して、乗客ほぼ一番乗りで税関を突破!
着陸16分後の京成特急に乗り込んだのは新記録かもしれない。

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