インドネシア2008

1日目(5月01日) 1.日本脱出
去年同日のマレーシア襲撃とほぼ同じ、午前11時の飛行機に乗って成田を飛び立つ
ただし今回は目的地のジョグジャカルタに向かう直行便はないことから、(私の先入観が強いが)趣味に合わない観光地バリを経由して、
国内線に乗り換えることになる。
ちなみに今回も、成田での10,000Rp=143円という換金所を素通りし、後にバリ島で25,000円を2,150,000Rpに換えてほくそえむ事になる。
(その差は400,000Rpもあり、その価値は中の上のホテル一泊分である。)

国際線の飛行は順調。
成田離陸が30分ほど遅れた影響でバリへの到着も遅れたが、 トランジットタイムは2時間と40分もあったので問題はなく、ちょうど夕暮れ時の綺麗な
ンググライ周辺を空から見下ろすことができて良かったぐらいである。  ンググライ国際空港では、お約束通りに10USDを払ってVISAを買い取る。
(VISA本来の目的は入国審査のはずだが、これは審査の機能を果たしていない、ただの入国税ではないだろうか??)

2.ンググライ空港
文句を言ったところでこれがないと入国させてもらえないから、黙って10ドルを献上する。 払うものを払えば、向こうも黙って入国させてくれるのだ。
VISAを買い、次のカウンターでVISAをパスポートに貼ってもらったら、ようやくイミグレで入国審査を受けるという、三重の手続きを経て、
無事にインドネシアで自由人になれる。

入国して換金したら、再びインドネシアの国内線についてチェックインから始めなければならない。
ガルーダ・インドネシア航空で成田からジャワ島のアディスチプト空港まで、通しの航空券を購入しているのだが、スルーでのチェックインができない。
(同一アライアンスなら国際線から国際線への乗り継ぎは普通だが、国際線+国内線の通しのチェックインは経験がないかもしれない)

ともあれ軽くボディチェック&荷物チェックを受けたら、国内線のチェックインカウンターを襲撃して、国内線のボーディングパスを強奪する。
まずはインドネシアでの初食事。 チェックインカウンターがあるロビーと同一階の奥に、申し訳け程度の土産物屋と食事処がある。
さして空腹感を感じていなかったところから、記念すべき初食事はマレーシアと同様にミーゴレン。
飛行機から降りたばかりのタイミングでガッツリと食べたくはない。 小さな店でミーゴレンに開け難い缶コーラをつけ23,000Rp(=260円くらい)。
それから2階に上がって再びのボディーチェックを受けたら空港使用料の30,000Rpをぶん取られ、その奥に行くと、何もないと思っていた待合所に、
1階よりも充実したレストランと土産物屋が並んでいた。 畜生、、、はめられた!!
(いつも思うのだが、こういった所で行ってみないとわからない場合が多いのはなぜ? 様子を見に行く事ができないのに表示がない。)

ともあれ、再度の食事をする気にもなれず、まだ目的地に着いてもいないのに土産物を買う気もなく、ただし日本で入手できなかったちょうど良い縮尺の
ジョグジャ近辺の地図を77,000Rpでゲットしてボーディングを待つことに。

3.ジョグジャカルタ
ガルーダの国内線は定刻通りの19:35にボーディグが始まり19:55に離陸。 ジャワ島の、アディスチプト空港到着は20:05!
さては10分で着くのか?!と、思いきや、そんな訳はなく、バリとジャワには一時間の時差が存在するので、飛行時間は1h10mというわけである。
このフライトでは、聞いていた通りにしょぼい食事が饗される。
紙のボックスにただの菓子パンとゼリーが付いているだけなのだ。極めつけは、それに添えられるKitKat!!
よく見ると、このKitKatは、Made in INDONESIAであり、これはこれで希少価値があるかも♪♪

到着したアディスチプト空港は、乾季だというのに雨!!
まぁ、熱帯性気候なので、驚くことでもないのだが。。。 とりあえず、リコンファームを手早く済ませてホテルに向かう。
夜の到着なので日本から予約をしていたノボテルジョグジャカルタまでは、空港から車で20分くらい。
このホテルは、私の基準から外れる良いホテルなのだが、日本から手配ができるホテルのグレードはある程度限られてしまう。
(と言っても日本で支払った金額は¥7,800程度であり、現地手配なら¥5,800相当で泊まれるクラスなのだが。。。)

ホテルに着いたのは20時30分くらい。 日本時間では22時30分。
窓から外を見ると、まだ雨が降り続いていたが、隣の高校らしい学校の校庭で、何人かがバスケットゲームに熱中していた。
なかなか元気でよろしい♪♪

かく言う私は、明日のジョグジャ中心地へのパギィージャランジャラン(早朝散歩)に備えて、とっとと横になることにする。
シャワーは24時間、お湯が出そうなホテルなので、夜明けの朝シャンで良しとしよう!!
2日目(5月02日) 1.活動開始
さて、いよいよ、インドネシアの夜が明けた。
午前6時に部屋を出て、まずはジャラン.JEND.Sudirmanを西に向かう。
ホテル前の通りは、ジョグジャ中心部の北部を東西に結ぶ幹線道で、アジストジプト空港の付近から、ジャランSOROへと名前を変え、
プランンバナンを経て古都SOROへと続く道だ。

少し歩くと、マクドナルドやピザハットが登場して、少し興ざめする場面もあるが、おおむねインドネシアらしい田舎道である。
車やオートバイのタイヤやホイール店が軒を連ねた、タイヤ通りのような脇道に興味をそそられながらも、ひたすらに西に向かうと、トゥグの塔に行き当たる。
この塔の歴史的背景は知らないので、先を急ぐことにしよう。
ここで左に曲がると、トゥグ駅を経てジョグジャの目抜き通りであるジャラン.Malioboroへと南下することができる。
トゥグ駅は、ジャカルタやスラバヤに向けて鉄道で移動するときの起点になる。
私も今日、ここからソロに向かうつもりなので、駅の構内を軽く視察したが、
さほど大きな駅ではない。

駅から通りに戻ると、列車が通るのか道路が遮断されていた。
日本の踏み切りのような軟弱なものではなく、バリケードの様に道路を完全に塞いでいる。
これくらい徹底すれば日本でも、不注意による踏切事故は少なくなるのではないだろうか。
踏切を越えるあたりから、自転車タクシーのベチャがが増えてきて、さかんに声をかけてくる。
まだ午前7時前だというのに御苦労様なことであるが、熱帯地方であるこのジャワ島では、早朝が働き時であって、昼過ぎから夕方に、ベチャ漕ぎのような
肉体労働はしたくないのかもしれない。
しかしこちらは、移動を目的としているのではなく、朝のジャランジャラン(散歩)を楽しんでいるので、ベチャに用事はない。

最初は英語で断っていたのだが、そのうちにインドネシア語で断ったほうがしつこくないことに気づいた。
ちなみにインドネシア語で「いらない」は、「ティダ ウサ」となるが、この言葉は、店で店員が物を勧めてきたときに使うような言葉なので、
ベチャを断るときに正しいのかどうかは不明である。

クラトン(王宮)近くの交差点で、独立記念碑を写真に納め、王宮広場まで下ったところで、ホテルに戻って朝食を食らうことにした。
王宮前広場を迂回する道路には簡易商店が軒を連ねていて、ベトナムほどではないが、オートバイも多い。
後に乗ったタクシーの運ちゃんも、「インドネシアには日本がたくさんある」「ホンダ・トヨタ・・・」と真っ先に名を挙げていた。
ホテルへの帰りは道を変えたが、川沿いに
低所得者層と思われる住居が並んでいた。

来る時の橋からも同じ様な風景が望めたが、
雨季にこの川は、氾濫したりはしないのだろうか?
ホテルではバイキング形式のジャワ料理を試してみよう。
まずは受付でルームナンバーを告げて、空いている席に案内してもらい、ついでにコーヒーを注文する。あとは、目に付く料理を皿に盛り、
具からチョイスできるスープを確保し、最後にデザートの果物をゲットするという流れになる。
味は全体的に甘い。私自身は、もう少しスパイシーなパダン料理(スマトラ料理)のほうが好みだが、街に出ればパダン料理の店もたくさんある。
デザートフルーツはパパイヤとパイナップルとスイカがメインで、あまり種類が豊富ではなかったが、サラック?と思われるはじめての果物が興味を誘った。
手で皮をパリパリと剥いてみると、中で三つくらいに分かれていて、おのおのに大きめの種が入っていた。

2.ソロ
エネルギーを充填したら、ザックを担いで突撃である。
ホテルの前でタクシーが声をかけてきたらトゥグ駅まで乗っても良いと思っていたが、声をかけてきたのはベチャだけだったので、自分の足で歩くことにする。
(ベチャと徒歩の速度は変わらない)
目指すは、先ほど調査をしておいた、10:05発ソロ行きの急行PRAMEKSである。 値段は7,000Rpで、ソロまではおよそ70分。

改札を抜けて中に入ると、いくつかのJALUR(プラットホーム)があり、もっとも大きなJALUR3とJALUR4にはレストランや売店があって、多くの人が
列車を待っていた。
しかしソロ行き列車が何番線から出発するのか表示がない。(9:55に到着して、10:05に出発ということはわかったのだが)
まぁ、何番線であってもホーム間の移動は簡単なので、列車が入ってくればわかるだろうと駅の中を探検する。
10時発ジャカルタ行き特急が定刻を少し遅れて出発した後、構内に放送が流れると、4番線のベンチで待っていた人も3番線のホームに急ぎ足でやってきた。
観察した限りでの推測だが、地元の人も放送で案内があるまでは、何番線から列車が出るのかわからなかった様子である。

列車の出だしは遅かったが、隣駅のLempuyanganを出た後は、急行の名に恥じず、速度を上げてガンガン走る。
対面式の座席なのに車内販売があるのは興味深かった。車内販売が通過した後は、検察もやってきたが、切符を買わずに乗車した人が何人もいる。

ソロには11時過ぎに到着し、小一時間ほど歩き回ってみたが、ついぞ、そそられる店を発見できなかった。
ノボテルソロの近くでたむろしていたタクシーおじさんに声を掛け、街外れにあるティルトナディ・バスターミナルまで運んでもらう。住宅街を抜けて約12分。
15,000Rpは、ちょっとボラれたかもしれない。暑くて、うっかり、値引くのを忘れてしまったのだ。

バスターミナルは、さほど大きくない。 適当な人に「プランバナンに行きたいダ」と声を掛けると、テキトーに「あっちだ」と教えてくれる。
適当にあっちに行くと、また別のおじさんが「どこに行くのだ」と聞いてくるので、「プランバナン」と答えると、「このバスだ」と、すぐ横のボロっちいバスを指す。
乗ってみると誰も乗車していないので、不安になって一旦降りたら、おじさんが不思議そうな顔をする。

「何分後に出発するの?」と聞くと、「もうすぐだ」とまたまたテキトーなので、「すぐに戻ってくる」と断って近くの店でペットボトル水を補給。
,再び戻ると、2~3人の乗客が乗っていた。
私が乗り込むと、本当に程なく出発した。乗員は3名。
運転手と、前の入り口に立って集金するおじさん(このバスだと言った人)と、後ろの扉から身を乗り出して、バス待ち場付近を通りかかる際に大声で
「ジョグジャッジョグジャ」と叫ぶお兄さん。

3.バス移動
バスターミナルから、(多分)ソロの中心部を経由し、約20名くらいの乗客を詰め込んで大通りに戻ったら、バスは急激にスピードを上げる。
そこでようやく、車内で集金が始まった。
鉄道の急行で、ジョグジャからソロまでが7,000Rpだったので、ソロからバスで、『ジョグジャ手前のプランバナンまでなら4,000Rpくらいかなぁ』と
思っていたのだが、6,000Rpを差し出すまでは許してもらえなかった。

快調に走り出したバスだが、途中途中で通りを外れ、街中で乗客を降ろしたり拾ったりする。
彼らの料金がどのようになっているのかはわからなかったが、集金おじさんのポケットに入れることは可能なシステムである。
4~50分ほど走ったあたりで、道では時々見かけたギター弾きが乗り込んできた。私の真横で軽やかに弾き語りを始める。
下手ではないが感動を呼ぶほどでもなく、無視を決め込んだのだが、最後に結局、ややゴーインにチップを迫られ、500Rp硬貨を渡すことになった。
少し損をした気持ちになったが、日本円に換算すれば7円くらいである。
平均的インドネシア人にとってのその価値は、日本円で考えたときの5~10倍くらいか??
ソロからおよそ70分で、集金おじさんが私に「プランバナンだぞ」と叫ぶ。
私は車道からロロジョグランが見えてくるものだと思っていたのだが、何の変哲もないバス停で下車することになった。
インドでチェンナイ空港に向かった時と同じ様な感じである。 

プランバナンでは、ガルーというホテルに泊まることにしていたので、バス通りをジョグジャ方向に向かって少し歩くと、バイクおじさんが横に停まり、
「どこに行くのだ?」と聞いてくる。
たぶんインドネシア語だったが、なんとなく解ったので「ホテルガルー」と答えると、逆方向だという。
その時には、史跡公園の植え込みが見えていたので、現在位置も自分が逆方向に歩いていることも薄々わかっていたのだが、
とりあえず「テリマカシー(ありがとう)」と礼を言って、大通りを横切り、ガルーへの近道を行こうとすると、先ほどのバイク男が幅寄せしてきて、
今度は英語で、「5000でホテルまで乗せて言ってやる」という。 こちらはザックを背負っているので、バイクの後ろに乗るのは気が進まない。
「ジャランジャランを楽しみたいからいいよ」と断って再び歩き始めたが、インドネシアにしては珍しく、しつこく食いついてくる。
非常に強引でウザッタイので、私も不快感をあらわにして歩く方向を変えたらようやく諦めたが、あまり気分が良いものではない。

そこから徒歩10分でガルーにチェックインをし、少し涼しくなるのを待ってから、史跡公園に向かった。
ボロブドゥールは朝が良く、プランバナンは夕方が良いと聞いたので、楽しみにしながら歩いたが、途中の村では稲刈りを行っていた。
別の田んぼは青々としていたし、さすがは3期作の国であり季節感がつかみにくい。

4.プランバナン
ロロジョグランを中心とする、プランバナン寺院は、9世紀にこの一帯がヒンドゥー教のマタラム朝によって統治されていた時代の名残だが、
2006年の地震多くの建造物が被害を受け、今も修復の途中にある。

この一帯の寺院は明日も十分に見て回る時間があったので、ロロジョグランの前でゆっくりしていると、有料の敷地内だというのに土産売りがとても多く、
ひっきりなしに、写真集や木彫りや水を売りつけに来る。

経験的に私は、こういったところでは「高かろう・悪かろう」という物を掴まされる可能性がとても高いという偏見を抱いているので、まったく関心を示さないように
しているのだが、英語で断ってもインドネシア語で断ってもしつこい売り子(おじさんが多い)もいる。
日本語で、「タッタ1000エン」とか、「ミルダケミテヨ」と迫ってくるので遺跡が楽しめない。

そうこうしている内に、ポツリポツリと雨が降り出したので、再び10分歩いてホテルに戻った。
[ガルーはレストラン完備]と地球の歩き方に書いているので、レセプションで「レストランはドコ?」と、頑張ってインドネシア語で聞いてみたら様子がおかしい。
実はこのホテルにはキッチンしかなく、夕食はルームサービスしかないとのことであった。
真っ暗な雨の街で、当てもなくレストランを探す気にもならなかったので、
ルームサービスに甘んじることにする。 メニューは充実しており選択肢は多い。

ジャワ料理を中心に40,000ルピーでメニューを組み立てた成果が右の写真であり、
レセプションでオーダーしてから40分くらいで届けられた。
3日目(5月03日) 1.プランバナン寺院
インドネシア三日目の朝も、早朝散歩から始まる。
時差二時間というのは旅行には都合がいい。
日本で朝7時くらいに起床するリズムを保っていくと、現地では午前5時に起床して、朝の涼しい時間帯を有意義に使うことができる。

午前5時50分に、史跡公園の駐車場ゲートに行くと、まだひと気がないが、入り口周辺に大量にある土産物ショップのいくつかでは店開きの準備を始めていた。
6時に開くはずのエントランスは、まだ閉じているが、掃除人と草刈は仕事を始めている。
きっとこの時間帯なら、土産売りに翻弄されずに、1200年前の遺跡群と対話ができることであろう。
6:08になってようやく開かれたエントランスで10USD(インドネシア人以外はRp不可)を払ってチケットを買い、3m先のゲートで半券が切り離される。

エントランスが開くまで、周辺を探検する。子猫が二匹で、カエルをいたぶっていた他は、平和な熱帯地方の早朝である。
プランナバンはヒンズー教の寺院遺跡であるだけに、ヒンズー教徒の参拝(観光?)も多いのか足洗い場が敷設されていた。
その割に、寺院内では裸足の観光者と会わなかったかもしれないが。。。
そうこうしているうちに定刻を8分過ぎて開門されたので、本日の一番乗りで史跡公園内に乱入。

朝靄の中のロロジョグランを独り占め。
昨日の報告でも書いたが、この一帯は2006年の5月に大きな地震に見舞われ、石積みの寺院の多くは被害を受けた様子である。
ことごとく崩れているエリアもあるが、これらが地震で崩れたのか、もともと崩れていたものを現在修復している途中なのかは不明。
あちらこちらに、建築用の鉄パイプ足場が組まれている風景は痛々しい。

ルンブン寺院  ロロジョグランを堪能したので、歩いて北側に広がる寺院に向かう。もうしばらくしたら、園内を蒸気機関車型のバスが周回するが、
早朝の散歩は気持ちが良いので、この時間帯の見学はお勧めである。
ルンブン寺はおおむね原形を保っていたが、その北にあるブブラー寺は土台部分を残してかなり倒壊していた。

一番北にあるセウ寺院は、ロロジョグランに次ぐ規模の大きさで、
遠くまで歩く必要があるが一見の価値がある。

史跡公園内は、羊や鹿の放牧あり、レストランありで、
半日くらいを観光に掛けても、きっと楽しい。

2.自動車旅
ロロジョグランに別れを告げると、再び10分歩いて、ホテルガルーに戻った。
ホテルに戻ると、早速フロントで朝食のルームサービスを依頼。朝食は、ルームチャージにインクルーズである。
昨夜の夕食はオーダーからデリバリーまで40分程度かかったが、朝食は早かった。 10分以内の新記録達成である。

朝食を平らげてシャワーを浴びたら、朝からマッタリしながら迎えの車の時間を待つ。今回は、2005年の中国以来となるが、現地ツアーを手配しているのだ。
9時55分にフロントに出頭し、チェックアウトをしている間にENJE WISATA TOURSの車が到着していた。
日本語が通じないドライバーとの二人旅。ちょっぴりワクワクする。
ジャワに染まりたくて、英語も通じない運転手でOKだと大きく出ていたのだが、やってきた運転手の英語力は、私よりもはるかに上であった。
ともあれ、遺跡三昧をしながらボロブドゥールを目指す。

まず向かうのは、ホテルガルーから程近い、プラオサン寺院である。ここは入場料ではなく、お布施として5,000Rpを支払うことになる。
入場料ではないのでより高額を支払ってもお釣りは出ない。10,000Rp札しかない場合は、10,000Rpのお布施として納めることになるので要注意。
これは、この後に巡るヒンドゥー寺院すべて(ボコの丘はのぞく)について言える事である。
プラオサン寺院を堪能して車に戻ると、少し離れたところにもう一山(ヒンドゥー寺院でもこの単位でいいのかな?)あった。
近所の住人が道路に干している洗濯物を踏まないようにしながら参拝の延長戦。ここでは路上駐車だったのに3,000Rpの駐車料金も追加された。

次に目指すのはボコの丘である。
予想以上に細い農道をひた走り、土産物屋集団を突破して山道を登ると、プラオサンから20分程度でボコの丘のエントランスである。
ここではお布施と違い、10USDの入域料金を支払うのだが、外国人はRp払いは受け付けてくれないらしい。
料金にはワンドリンクが含まれているので、丘に登る前か戻ってきた後でプランナバンの市街を見下ろしながら、汗を拭うことができる。

私の場合はドリンクを後回しにし、ドライバーに20分で帰ってくるねと言い残して、階段を駆け上った。
広い敷地の中に遺跡が点在していたが、園内には道標が充実しているので、インドネシア語が解読できるか、本能が発達していたら迷うことはない。
私は幸い後者だったので、最上部からプランナバンの市街を眺め、最深部の遺跡で営業準備中だった土産物売りと目線を交わした後に、
無事に運転手の待つエントランスに生還して、サービスドリンクを味わいながら汗を拭うことが出来た。

山道を下り、再び土産物屋集団を強行突破して、次はサリ寺院とカラサン寺院を襲撃しながらだんだんとジョグジャに近づく。
ヒンドゥー寺院の最後になるサンビ・サリ寺院はジャランSOROを、アディスチプト空港のすぐ近くまで戻ったところから北に向かう。
ここもヒンドゥー寺院なのだが、約40年前に火山灰の下から掘り出されたそれは、今までの寺院とは少し様相が異なる。ここでついに細かい札がなくなり、
10,000Rpをお布施にして入場することになった。
サンビ・サリ寺院を出たのは12時15分。
ドライバーに「ジャワ料理でも良いけれど今日はパダン料理の気分」と言うと、あっと言う間に空港近くのパダン料理店に私を運んでくれた。

3.ボロブドゥールへ
空港近くのパダン料理の店は、あてがわれた皿に最初にライスを盛ってもらい、20種くらい並べられた大皿から好みの料理を自分の皿に取って、
料金を精算してもらう仕組みになっていた。
串刺しの海老とインドネシアの健康食のテンペ。骨付き鶏肉と魚に見えた鶏肉などなど。
これにコーラをつけ、同じような量を食したドライバーの分とまとめて37,500Rp。 日本円で400円ちょっとである。

味は、私の舌には合っている。まぁ、アジアで食い物に不満を感じることは少ないが、この価格でこの内容なら、十分に及第点であろう。
土曜日の昼下がりとあって、店はインドネシア人客で込んでいた。テーブルにはフォークとスプーンが据えられていたが、多くの人は素手で食べている。
わがドライバーも同じくで、インド人と同様に右手しか使わない。
「左手は使わないんだね」と問うと、「そうだね」とうなずく。私はフォークを使ったが、骨付き鶏肉は素手で掴んでかぶりつかせていただいた。
アジアの食はマナーも楽である。

昔からの疑問。。。 インドとインドネシアは名前が似ているのだが、偶然なのだろうか?理由があるのだろうか??
両国とも属さない中間地点は、インドシナ半島である。 共通する音の”インド”って、何??
どなたか御存知であれば、教えてください。

レストランの駐車場ボーイに2,000Rpのチップを渡して出発したら、ひたすら車を走らせ、1時間40分後にたどり着くそこは、9世紀の仏教文化圏である。
本丸のボロブドゥールを直撃する前に、まずは観光客も土産物屋も集結するムンドゥッ寺院を襲撃する。
ここで久しぶりに日本語を嫌というほど聞く羽目になるのだが、彼らはきっと、ボロブドゥールからジョグジャに帰る途中のツアー客であろう。
土産物屋まで日本語を使ってくる(笑)

そこからほどないパオン寺院は、一転、観光客も土産物屋もゼロの静かでこじんまりとした寺院である。
二山とも午前の部で見てきたヒンドゥー寺院よりは簡素な佇まいではあるが、同じような色の石で建てられている為か、さほどの文化の違いは感じられない。

ちなみにムンドゥッ寺院とパオン寺院はセットで3,000Rpとなっており、お布施ではなく入場料なので、大きな札しかなくても、釣りを受け取ることが出来る。
パオン寺院から目と鼻の先で、ボロブドゥールの史跡公園の敷地内に位置する、ホテルマノハラに到着する。
ここにチェックインをした時点で、今日の半日の行動を共にしたドライバーは役務完了。
顔見知りらしいホテルのスタッフと少し話した後で、笑顔で去っていった。 スラマッ ジャラン & テリマ カシーである。

4.マノハラ
マノハラはボロブドゥールに出入り自由で、全室バンガロー形式のホテルである。

宿泊証明書はミシン線で区切られたボロブドゥールへの入場券も兼ねていたが、
これが切り離されることはおろか、チェックをされることすらなかった。
もう一つ区切られている翌朝の朝食券も、
切り離されることもチェックを受けることもないので、
(その気になれば)朝食も何度でも自由に食べることが出来る。
このあたり、インドネシアらしくて良いなぁ。。。
部屋に荷物を置いたら、軽くボロブドゥールに御挨拶。
部屋を出たら、「こっちかなぁ??」という方向に歩いていくと、オープンエアのレストランのあたりから、写真で見ていただけのボロブドゥールが姿を現す。
木々が立ちふさがっているかにも見えるが、ホテルの敷地境界に向かって小道が続いているので、緩い坂道を登っていくと・・・、出たぞ世界の土産物売り!
まだホテルの敷地を出ていないというのに、「シャシンシュウアルヨ」ときたもんだ。
プランバナンで発音に磨きを掛けた「ティダッウサー」(要らない)にも、「エハガキモアルヨ」と、商魂たくましい。

私は別に、特攻土産売りを蔑むつもりはない。
経済力がなければ、店舗を構えたり多くの商品を客に提示することも出来ないから、商人としてのスタート位置として、2~3品のみを手にしてやってくる
特攻土産売りというものを否定するわけではない。
しかし先にも書いたが、経験と状況からの推測が一致するように、彼らからは品質が悪い物を高く売りつけられる可能性が高く、
何より、物を買いたい気分でない時に欲しいとも思えない物を一方的に押しつけてくるので、軽くあしらわざるを得ない。
そうこうする内に、
恐らくは正規のエントランスから続いているのであろう
参道のような道に行き当たり、

マノハラの宿泊証明をチェックされることもなく
無人のゲートをくぐって、ボロブドゥールのふもとに立つ。
この遺跡の報告は明日に委ねることにするが、遺跡を上から下まで一回りした後でホテルに戻り、外から史跡公園のエントランスと、その周辺に広がる
土産物村?をパトロールして、今夜着替えるTシャツを一枚だけ仕入れることにした。
4日目(5月04日) 1.ボロブドゥールの夜明け
ホテルにチェックインする際に指定を受けた午前5時にレセプションに行くと、まだ暗い中で10人くらいがうごめいている。
ルームナンバーを告げると、その場で支払うと思っていた早朝入場料金の115,000Rpは徴収されず、ついぞ出番のなかったマノハラ特製懐中電灯と
サンライズツアーのチケットがが支給される。
マノハラの宿泊客ではない様子のツアー客も、各々の宿泊先らしいホテルの車で集まってきていたが、彼らはこの場で集金されたのであろうか??

サンライズツアーのチケットを良く見ると、やはり右端に朝食券(正しくは紅茶・コーヒー&軽食とある)がミシン線でつながっている。
マノハラの宿泊客は、朝食を二回食えるということか??

案内に沿って小型バスに乗り、ボロブドゥールを遠巻きに四分の一周ほどしたら、早朝限定?の入り口である。
ここではさすがにチケットをチェックされた。
バスを降りるころには足元も十分に見えるようになってきており、インドネシア製懐中電灯は、その性能を試される機会がなかった。
遺跡を登るにしたがって、朝もやの中に広がるジャワ島の原生林が遠くまで姿を見せる。
森の中からは怪しげな野生動物の声なども聞こえて熱帯っぽい。

思うのだが、この遺跡は単なる建造物ではなく、ピラミッドではないのだろうか??
中心部は自然の丘を利用している様だから、ピラミッドとは呼べないのかな? テオティワカンのピラミッドはどうだっけ??
そんなことを考えているうちに、サンライズ撮影最適ポイントは中国隊やスペイン隊に占拠され、どこから御来光があるのかわからないままテキトーに、
明るい空が見えるあたりに陣を構える。
結局は、東に聳える標高2900m強のムラピ山の
山頂近くから太陽が顔を出したので、
これはさすがに御来光とは呼べないだろう。

多分、冬至の前後くらいに行けば、
もう少し低い目線からの日の出が望めるに違いない。
ボロブドゥールは、ガッカリ遺跡にランキングされていることが多いが、日本からは比較的行きやすいロケーションにあるので、
ここに朝日を眺めに行くというのも、そう悪い旅行プランではない。

2.朝飯二人前
日も高く、温度も高くなってきたので、寺を下って、日本のODAも寄与した史跡公園を回りながら朝食を目指す。
ちなみに、ボロブドゥールの建造物エリアには、しつこくない売り込みガイドを除いては、特攻土産物屋の姿はない。
下に降りれば話は変わる。
椰子の木を見上げていても、MUSEUMの写真を撮っていても、木々の間から垣間見えるボロブドゥールを振り返っていても、彼らはやってくる。
先にも書いたように、私は彼らを否定するものでもないが、彼らから買う物も無い。

敷地境界付近に陣を置く最後の土産物売りを振り切ったら、部屋には戻らず、遺跡が望めるレストランで朝食をむさぼった。
先述のように朝食券を(朝食権?)を二倍得たので、まずはジャワ風朝食を食した後に、アメリカンスタイルでブレックファーストも遠慮なく頂戴する。
少し冷めたコーヒーも飲めるが、すべてセルフサービスで、スタッフらしき姿は見えない。
敷地境界の土産物売りだって、こっそりと腹を満たすことが出来そうである。

部屋でシャワーを浴びたら、昨日の朝もそうしたように下着類を袋に詰めてゴミ箱に押し込む。
これで着替えはなくなり、ザックはほぼ空になって、ようやく土産物が購入できる体制が整った。
もったいなくはない。私はこのために日常生活では服を捨てず、穴の開き掛けた靴下や黄ばんだシャツを手にして、日本を旅立っているのだ。
レセプションで昨夜の夕食や、今朝のサンライズツアーの代金を精算したら、軽いザックを担いで、ボロブドゥールのバス停に向かった。

3.ジョグジャ徘徊
ホテルから徒歩5分でバス停付近に着いたが、先を急ぐこともないので、少し市場をブラブラとする。
食材の多様性という観点からは、あまり豊かな地域ではなさそうだ。
昨年同時期のマレーシアと比べると、
フルーツショップが少ないせいか、
熱帯果実に縁がない今回の旅である。

町の特産なのか、
ところどころで瓜がならべているのを目にした。
これは干しているのかな??
市場から道を挟んだすぐ南側に、町の規模に対しては大きめのバスターミナルがあるのでわかりやすい。
一応は確認をした方が良いが、多くのバスはジョグジャ行きだろう。
この時は緊張感もなかったので、いつ、いくらを支払ったかを覚えていないのだが、多分10,000Rpくらいでジョグジャに戻ることが出来る。

1時間30分くらいで、ジョグジャ南東部のギワガンバスターミナル。
ジョグジャの中心部で現在位置がわかったら、途中下車をしてやろうと、ンググライで入手した地図とにらめっこをしていたのだが、それが叶わぬままに、
この不便なターミナルまで来てしまった。
多分、この路線はジョグジャ西側を大きく迂回するため、トゥグ駅などの中心部への徒歩圏内を通過することはなかったように思える。

ギワガンでバスを降りたら、さっそくタクシードライバーが声を掛けてきた。
南クラトンまでの料金を聞くと、協定料金で中心部は一律35,000Rpだと料金表を見せられ、カウンターに連れて行かれて、そこに座るお姉さんから
タクシーチケットを買うことになる。
客の名前までチケットに書き込まれて、なんとなくもっともらしいのだが、ベトナムタンソンニャット(ホーチミン)の場合と同様に、
もう少し何とかしようがあったのではないだろうかと、今もすっきりしない。

チケットを買うと、タクシー運ちゃんが「ここで待っていてくれ」と、言い残し、駐車場から自分の車を回してくるのだが、これが見事に一般車である。
ボロくはないが、タクシーとは呼べない。
まぁ騙されている訳でもなさそうなので車に乗り込むと、この運ちゃんが良くしゃべる。 インドネシア訛りの英語はペルー訛りの英語並みに難易度が高い。

とりあえず南クラトン近くだというところで車を降り、現在地が良くわからないままに北を目指すと、トゥグ駅の近くでトートツに知っている場所に出た。
どうやらマリオポロ通りの東に並行する道を北上していたらしい。
露天や店舗を冷やかしながらマリオポロを南下し、少しばかりの土産物をザックに詰め込んで、クラトンに辿りついたら日曜日ゆえに閉館時間の直前だった。

さほど思い入れのなかったクラトンはとっとと諦め、再びマリオポロを北上。
当地の名物料理のグドックなどを味わいながら、途中でタクシーを拾って、ちょっと早い時間にアディスチプトに着いてしまう。

この空港もインドのチェンナイ空港と同じく、チェックインタイムが近づかないと、建物に入れてくれない。
暑いし、暇だし、なんだか5年前と同じような目に遭っている様な気がする。空港のすぐ外には線路が通っており、空港から徒歩2分の位置に駅まである。
なのにこの空港から街中に出るのはタクシーかバスに頼ることになる。
列車の本数が少ないためにそうなるのだが、ふた駅先のトゥグまでなら需要が多いことは間違いない。
タクシーの権益を守るためにあえてそうしているのか、旅客列車運行専門会社の商売っ気が少ないのか、他の要素があるのかはわからないが、
空港前の踏切が閉じることは多いのに、駅に向かう空港利用者はいないというのが不思議である。

4.ジョグジャ脱出
ジャカルタに向かう飛行機は、予約したときから25分、時刻が変わって20時発となっていた。
リコンファームをした時に打ち出された紙もそうなっていたので、やはりそうかという程度の印象だが、これだとスカルノハッタに着くのが21時を回ってしまう。
帰国国際便は23時45分なので乗り継ぎに不安はないが、スカルノハッタの土産物屋が閉店しているのではないかと心配になる。
そこでアディスチプトで怪しげな菓子をゲット。
一つ前のライオンエアのフライトは一時間ほど遅延していたが、
我がガルーダ機は定刻どおりに飛び立ちそうなので心強い。

国内線では相変わらず、菓子パンとKitkatチョコレートが饗されたが、
インドネシアンなパンは、初日の国内線のゼリーよりも少しうれしい。
ほぼ定刻に到着したスカルノハッタでは、普通ならトランジット表示にしたがってゲートを目指せばよいのだろうが、先にも書いたようにインドネシアでは
通してのチェックインを行ってくれないことから、ここで国際線のチェックインカウンターを探しに外周通路に出る。
タクシードライバーが声を掛けてきたので、愛想程度に「国際線のチェックインカウンターはどっちだ?」と、聞いてみると、御丁寧にも一緒にエレベーターに
乗ってカウンターの前まで案内してくれた。

エレベータに乗る前に、ここで良いよと断っても「いいからいいから」といった感じである。
そして案の定、チップの要求。別に5000Rpほど渡しても良かったが、恩の押し売りに礼をするのも癪だったので、ポケットを探って500Rp硬貨を取り出し、
すごく残念そうな顔をして、「インドネシアのお金はこれしか残っていない」と言うと、あっさりと去っていった。
とりあえず、5,000Rpを空港内の寄付BOXに入れておくことでよしとしよう。

時間も時間なので、とっととチェックインをして出国審査を受けてしまう。内部の店舗状況だが、21時30分現在でレストランは閉じていた。
何かを食べたいなら軽食があるコーヒーショップかインスタントヌードルショップくらいだろうか?
お湯もテーブルもあるようなので、食べる分には問題はない。土産物屋は、大きいところが何店舗か開いている。
帰国日(5月05日) 帰国
スカルノハッタ23時45分発のGA880便は、夜食が饗されることもなく速攻でオネンネタイムに突入する。
飛び立ってから約5時間後・・・日本時間で午前7時くらいに朝食が配られ、着陸予定の10分くらい前に九十九里の海岸線が見えてきた。

さて、昨年、私が激怒した、成田空港検疫所の間抜けな健康異変申告システムはどうなっているのかと興味津々入国してみると、
チェックボックスはそのままであったが、その手前に健康異変を感じた人が申告書を記入するカウンターが新設されており、
申告がない人は従来通りに0.5秒で通過できる状況に戻っていた。

去年、成田空港検疫所のメアドが判らなかったので、空港総務部に苦情のメールを書き、「検疫所に伝えます」という返信を話半分に聞いていたのだが、
総務部の方はきちんと仕事をしてくれた様子である。
おかげ様で、飛行機が地面に着いた30分後に、日常生活に私を引き戻す列車に乗り込むことが出来ました。

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