マレーシア2007

1日目(5月01日) 1.日本脱出
10:30出発のマレーシア航空に乗機すべく8:20に成田空港へ。
マレーシアリンギットは国外持ち出し不可と聞いていたのだが、いくつかの銀行では取り扱っていた。
が、レートはと言うと、1RM(マレーシアリンギット)=¥39.5。
一瞬迷いはしたが、昨年の台湾ドルでも不本意な思いをしていたので、今回は換金せずに飛行機へ。
定刻から少し送れて離陸した飛行機は、フィリピンの島々を見下ろしながらも、その遅れを引きずったままに15分遅れでクアラルンプール国際空港へ。

いつもの様に、同じ機の乗客中一番でイミグレを通過し、ターンテーブルを無視して両替所へ。 ここで¥40,000を差し出すと、1,120RMが戻ってきた。
計算すると、1RM(マレーシアリンギット)=¥35.7
日本で換金していた場合と比べ、107RM多く受け取ることが出来たわけだが、これは首都圏の中の下のクラスのホテルの一泊分の宿泊費に相当する。
(ちなみに市中のレート、¥1000=28.3RMと比べても遜色はない)

2.クアラルンプール進軍
気を良くしてLEVEL1に下ると、そこは唐突にKLエクスプレスのプラットホーム。 ここへはチケット無しで行き着く事ができる。
ホームにある切符売り場でKLセンターまでと告げると、価格は35RM。 地球の歩き方に書いてある通りであった。(あたりまえか。。。)

KLエクスプレスは、成田エキスプレスを少ししょぼくした程度で全席自由席。動き出しはとても滑らかで、その後もゆれは少ない。
概ねは地上を走行し、28分でクアラルンプール中心部の南西端に位置するKLセントラル駅に到着。
この駅は多くの路線が交差し、とても便利なロケーション。
駅構内にマレーシア航空の支店もあるので、テキトーなホテル名を告げて早速のリコンファーム。
ホーチミンのベトナム航空支店のようにルームナンバーを聞いてくることもなく、スムースに完了。

次に、プトラLRTでマスジッ・ジャメまでのチケットを購入すると、1.3RM。 なんとも順調、、、と、いうか手応えがなく、トントンと事が予定通りに進む。
(「地球の歩き方」ではマスジット・ジャメと表現しているが、現地の発音はマスジッ・ジャメ(=Masjid Jamek))
この駅名は、近傍に建つ、市内最古のイスラム寺院名に由来する。

駅から徒歩10分程度のノーブルホテルに投宿。
この付近は、駅近くこそ普通の路店が立ち並ぶが、商店街は異様なほどに生地屋が集結している。
店舗を構えている店もあれば、商店街の真ん中で屋台を据える店も多い。 いずれも店じまいは早く、21時頃には多くの店が営業を終えていた。

3.ペドロナスツインタワー
ノーブルホテルは朝食つきで120.75RM。(ただしデポジットを含み150RMを奪われ、翌日、29.25RMが戻された。)
中途半端だが、これは115RM+5%TAXの様子である。
部屋は広く、居心地は悪くない。
夕暮れには近くのモスクから、アザーン(イスラム礼拝の声)が響いてきた。

部屋に荷物を置いたら、早速、映画エントラップメントの舞台となったKLCC駅のペトロナスツインタワーへ。 (フツーの観光旅行となってしまった>_<)
マスジッ・ジャメ駅のホテルを選んだのは、この駅が、KLセントラルとKLCCを結ぶプトラLRTの通過駅であり、かつ、翌朝に向かうプラザ・ラキャ駅を擁する
スターLRTの駅も隣接しているからである。
ペトロナスツインタワーは1998年に完成し、
2003年に台北101が完成するまでは
世界一の高さを誇っていた高さ452mの超高層ビルである。

ツインタワーではあるが、タワー1は日本の企業が、
タワー2は韓国の企業が建築したというのがユニークである。
このエリアで夕食としたシーフード ミーゴレンは、ミネラルウォーターを追加すると、21RM+10%サービス料+5%TAX=24.15RM。
日本の地方都市並みの物価である。 見た目よりもボリュームもあり、美味くもあったが、ボリ過ぎではありませんか??
2日目(5月02日) 1.活動開始
二日目の朝は、マスジッ・ジャメの朝を散策することから始まる。
ホテルの門番に、「スラマッ・パギッ」(マレー語で「おはよう」)と、挨拶すると、嬉しそうに、「スラマッ・パギィ~」と、返してくれた。
アクセントは、”パギィ~”の”ギ”にあるようだ。

この街は、近代化するクアラルンプール中心部にあって、歴史的な建造物を数多く残している。
中でも、「マスジッ・ジャメ」は、その美しさにおいて、他を圧倒しているかもしれない。
マスジッ・ジャメの街中からでも、ペトロナスツインタワーやKLタワーをビルの谷間から望む事ができるが、近代建築物の壮大さと、歴史的建造物の壮麗さを
量りにかけたとき、後者に、より多くの魅力を見い出してしまうのは、私だけだろうか。。。

ホテルに戻ってカフェテリア形式の朝食を済ませ、29.75RMのデポジットを回収してチェックアウトし、スターLRTで一駅のプラザ・ラキャ駅から、
プドゥラヤバスターミナルへ向かった。
プドゥラヤバスターミナルは、外観も大きいターミナルビルだが、この内部に100以上も林立するバスチケット売り場の窓口は、圧巻でもある。
会社別に、また行き先別に窓口が分かれているのだが、少なくとも私には、その規則性は発見できず、自分が行こうとする行き先のチケットの価格や時刻、
条件を比較するのは難しいように思えた。
ただし、多くを望まなければ、自分が目指す方面へのチケットの売り場を探し出すこと自体は、さほど難しいことではない。

2.マラッカへ
プドゥラヤバスターミナルはチケット窓口のほかに、各種売店も同居し、23コのプラットホームへは、休憩所の真ん中から、ホーム別に、下へと降りる階段が
口をあけている。 とりあえず私も、目に付いた窓口でマラッカ行きのバスチケットを9.4RMでゲットし、フルーツショップで大きなマンゴ2個を2.5RMで
手に入れ、12番ホームへと下って9:30出発のバスを待つことにした。

バスは、定刻を7分ほど過ぎて登場し、すぐに乗客を飲み込んで、10分遅れで出発した。
マラッカ行きのバスは36人乗りで新しく、価格のワリには意外なほどに快適であった。 シートも満席である。
が・・・、出発して30分ほど走った高速道路上でバスは突然停車し、運転手が慌しく電話をかけ始めた。 どうやら故障して動かなくなったらしい。

停車して20分ほど過ぎた頃から、3名ほどの乗客がイライラしはじめるが、他の乗客はゆったりと構えている。
さらに15分ほど経って、ウトウトしていると、誰かが「(代わりの)バスが来たぞ」と英語で叫び、乗客が高速道路の側道をゾロゾロと歩く。
最初のバスの運転手は、なぜか私に向かって「こんな事は滅多にないのだが。。。」と弁解してきた。

さて、代わりのバスは、急きょ設えたのであろうが、最初のバスよりもかなり古くてボロっちい。 しかし今度は停まることなく、元気にマレー半島を南下した。
バスは11:40に高速を降り、12:30にマラッカ市街のバスターミナルに到着した。(ロスタイムは30分強なので、順調なら2時間15分くらいか??)
ここもやはり、近代的で多くの窓口が並び、ショップや食事どころも充実していた。
マラッカのバスターミナルで食事をする事も出来たが、さほどの空腹感も感じなかったので、まっすぐ、ローカルタクシーチケットカウンターに向かった。
感覚的に、マラッカの中心部は遠くはないと感じていたのだが、プリペイドタクシーは「歩き方」にあった通りに、ダッチスクエアまで15RMだと告げる。

車に乗る前に、「何分くらいかかるの?」と、聞いたら「15分くらい」という答えが返ってきたし、実際にも大体そのくらいかかったのだが、
それは途中で随分と渋滞したためであって、スムースに流れていれば5分程度で到着する距離感、、、すなわち5km程度の距離だと思う。
だから、15RM(=¥525円)は、少し高いと思うのだが協定価格らしい。。。
2時間15分のバス代が9.4RMで、スムースなら5分で着きそうな距離が15RMと言うのは、誰が聞いてもおかしいと思うだろうに。。。

3.マラッカ海峡
ダッチスクエアで車を降りると、そこは観光地だった。
主にはアジア系の人たちが多いが、
聞こえてくる言葉は英語と中国語。。。

そして恐らくはマレー語だと思われる言葉。
Kota通りに回り込んで階段を上ると、息を切らすまもなくすぐに丘上のセント・ポール教会にたどり着く。
昼頃は土産物売りが、夕刻は絵売りとセント・ポール教会の中で歌う大道芸人が、店をひろげていた。
丘の上からは南側から西側にかけて、マラッカ海峡を望むことも出来る。
対岸のインドネシア・スマトラ島までは、もっとも狭いところで50kmに満たず、大型船舶の可航幅が数kmに過ぎない場所もあるといわれている。

御存知の方も多いと思うが、このマラッカ海峡が、インド洋・中近東から日本に至るための最短距離の要衝で、原油運搬ルートの生命線となっている。
このマラッカ海峡を通らずに、スマトラ島の南部を通過してタンカー級の船舶が日本に向かう場合には、
ロンボク海峡を通ってインド洋から太平洋側に出る航路もあるが、その場合、マラッカ海峡を通過するより、650kmもの遠回りになってしまう上、
やはり小島や岩礁が多い難所を航行することとなる。
狭い海域を通らずに日本を目指すなら、ニューギニア島を回りこむ選択肢もあるが、何日もの遠回りを強いられる事となってしまうので経済的ではない。

そして、ここ近年、このマラッカ海峡では、年間100~200件の海賊事件が発生し、マレーシア政府やインドネシア政府、シンガポール政府など、
沿岸諸国の海軍が警備を強化しているほか、日本からも海賊哨戒にあたる巡視船を派遣しているという事実がある。
(2005年3月に、日本人船員が拘束された事件も記憶に新しい)

4.紳士客桟
さて、今夜のねぐらを確保する為に、一旦、丘を下ってマラッカの中華街に潜入し、HEEREN・INN(紳士客桟)の扉を叩いた。
典型的なババ・ニョニャ風の建築様式であり、独特の間取りが面白いが、その報告は明日にしよう。 ヒーレン・インはツインで78RMであり、
一泊では値切れなかった。
マレーシアでは、主要な町には必ずと言っても良いほどにチャイナタウンが存在するが、ここもその例外ではなく、かつ、中華系移民の仏教寺院と、
マレーシアの国教でもあるイスラム寺院が共存しているのが面白い。
キリスト教会も、先に報告したように同化しているが、宗教衝突の悪い話は聞かないところがマレーシアである。

宿に荷物を置いて、再び観光区に戻ることとしよう。
ダッチ・スクエアからKota通りを進むと、すぐに可愛らしい観光ポリスの交番?が居を構え、ゆったりと4~5分ほど歩くと、14世紀初頭に立てられたという
サンチャゴ砦に行き着くことが出来る。
その先には文献を元に、過去の王(スルタン)の居城を復元したスルタンパレスが鎮座しており、正面は庭園になっている。
サンチャゴ砦からも、丘の上のセント・ポール教会に向かう階段が延びていて、多くの観光客が上り下りしていた。

5.セント・ポール教会
もう一度、宿に向かって夕刻を待ち、マラッカ海峡の浜辺に立つべく海岸線を目指した。
浜は予想よりも近く、ダッチ・スクエアから徒歩10分程度で辿りつく事ができる。
対岸のインドネシアは目視できない。 もちろん、海賊船も現れなかった。
今回の旅の目的の一つは、マラッカ海峡の海賊掃討であったのだが、
私に恐れをなして、地下に(海面下に?)身を潜めた様子である。

海を眺めているうちに18時を過ぎたので、とりあえず、寄せる波に指を浸してひと舐めし、
マラッカ海峡を味わってから、美しいといわれる夕陽を見送る為に再び、
セント・ポール教会を目指すこととした。
遥か東に位置するボルネオ島をも有し、かつ国内に時差を作りたくないのであろうマレーシアの標準時は、人口密集部であるマレー半島西部に不一致で、
例えば東京とクアラルンプールの経度差は30度(時差2時間相当)以上もあるのに、実際の時差は1時間しかない。
しかも同国南部はほぼ赤道直下に当たるため、一年中、昼夜の時間がそれぞれ12時間なので、クアラルンプールとさほどの経度差が無いマラッカでも、
一年を通して7時頃に日の出が、19時頃に日没がある。(米国やヨーロッパのサマータイムの時とイメージが似ている)
教会の少し下の空き地で30分以上も日没を待ったが、予想通り、夕陽は雲の合間に隠れ、
マラッカ海峡に没する落ち日を見ることは叶わなかった。

マラッカの夜は釣る瓶落とし落とし。
一気に暗くなる(時速1667kmで夜がやってくる)熱帯性夕暮れを楽しんだあと、
ディナーは中華街のニョニャ料理で落ち日を見られなかった憂さ晴らし。
昼間に中華街を探索した際に、店は決めていた。
地元でも人気のある、ニョニャ料理のGeographer’s Cafe(=地理学家)である。
タンドリーチキンのニョニャ風とライムジュースで20.5RM。 食後にマラッカコーヒーを付けて+3RM。
昨夜、ペトロナス・ツイン・タワーで食したミーゴレン+ミネラルウォーターと同じくらいの金額だが、今夜の方が満足のいくチョイスである。

ホテルに戻って餌食としたデザートは、クアラルンプールを発つ際にバスターミナルで、二個2.5RMで入手した、丸々と太ったマンゴ。
店のオバチャンが言っていた通り、とても甘くて美味しかった。 やはり東南アジアは、フルーツを抜きには語れない。
3日目(5月03日) 1.ババ・ニョニャ造り
チェックアウト前に、もう一度、あの丘に登って朝のマラッカを展望した。
(ハノイの夜と同じ様に)夜の間に強い風雨を感じたが、その雨のおかげで空気が澄んでいる。
空き地ごとに、気の合う仲間達が集団を作って体操をしているあたりに、中国文化の影響を感じるものがあった。

朝の風景を堪能した後、部屋に戻って荷物を回収し、宿のオヤジに頼んでタクシーを呼んでもらう。
(多分彼は、マレー語と中国語と英語の三ヶ国語を自在に操るのだろう。。。)
タクシーはバスターミナルからやって来るとのことで、10分ほどフロントで待つことに。
オヤジが、「これからどこに行くんだい?」と聞いてきたので、反射的に「シンガポール」と答えてしまった。
実はその瞬間までは、ジョホールバルに行ってからシンガポールに向かうか、マレーシアから出ずに、ユーラシア大陸最南端のタンジュピアイに向かうかを
決めかねていたのだが、昨日、マラッカのバスターミナルをうろついていた時にシンガポール直行便のチケットの窓口を多く見たのが記憶に残っていたらしい。

せっかくなのでオヤジに、「シンガポールの地図はある?」と聞いたら、「好きなのを持っていけば良い」と、私のすぐ横のテーブルを指差す。
旅行者が置いていったのか、旅行社が置いていったのか、そこには各地の旅行パンフが山積みされていた。
タクシーの到着と同時に、中国語メインのシンガポール地図を発見。

中華街を離れる前に、マラッカの中華街に多く見られるババ・ニョニャ文化特有の建築構造に触れておこう。
このヒーレン・インも、軒先の5フィート通路こそ有していないが、概ねは代表的な構造をしている。
普通の一軒家とも見まごう程の狭い間口。二階建てで、鰻の寝床のように、奥へ奥へと伸びる廊下。中ほどにある吹き抜けの明り取り。再びの長い廊下。
ヒーレン・インの場合は奥に向かって左側、すなわち南東側に客室が並んでいた。

2.マラッカバスターミナル
マラッカのバスターミナルでシンガポール行きのチケットを17RMでゲット。
これは、迎車料金を含む、マラッカ市街→ターミナルのタクシー代と同額である。
それから食堂街で朝食を。
適当に盛られた大皿から好きなものを好きなだけとって、店のおばさんが目分量で精算するという
システムだったが、写真のチョイスにミネラルウォーターを付けて4.8RM。

朝食にしては油っぽいものが多かったが、まぁ、各々に美味しかったのでよしとしよう。
と、気が付いたら、バスの出発5分前。
まだ、シンガポールドルは手に入れていないのだが、まぁ、ここまでの様子なら、到着地のバスターミナルで換金できるだろう。(と、考えたのが、甘かった!)
国境を越えてシンガポールに向かうバスは、新しく綺麗な車両だった。 やはり36人乗りタイプだったが、空席が目立つ。 
往路と異なるコースを辿って高速道路に乗ったが、日本で言うETCの様なシステムも存在する様子で、ゲートに「スマート・タグ」と書かれたレーン。

3.国際バス
高速を1時間ほど南下したところで、一旦休憩。日本の高速道路のサービスエリアのようなイメージだが、自家用車はほとんど見られなかった。
バスの運ちゃんが、「20分くらいのストップです」というので、とりあえずトイレに行ってから、今夜の餌食となるプラムと怪しいジュースらしきものを仕込んだ。
やはり、簡単な食事も出来るようにはなっていたが、人影はまばらだ。
ジョホールバルまで30kmくらいのあたりから、雨が降り出す。
昨夜のテレビの天気予報でもそれらしい予報を報じていたので、取り出しやすい位置に傘を置いてはいたが、バスを降りるまでには止んでいて欲しい。

マラッカのバスターミナルを出てから3時間20分(実質3時間弱)の12:20に、小さなバスターミナルで停車し、運転手が「ラッキン」と告げる。
どうやらここがラーキンバスターミナルのようだ。 ここで8人ほどの乗客が去っていった。
運転手に英語で「ここはジョホールバルか?」と確認してから降りていった若い男性は、発音や風貌から推測すると日本人だったかもしれない。

そこから15分程度で、ジョホールバルのイミグレへ。
荷物は席に残したままでよく、身体だけ出国審査の建物に入って、マレーシア人は一階の、やる気の無さそうなお姉ちゃんがいるゲートを素通りし、
マレーシア人以外は二階に上がって、簡単ではあるけれどもキチンとした出国審査を受ける。
そこで、少しだけ進んできてくれていたバスに再度乗り込み、ジョホール水道をシンガポールへと突入した。

バスでの国境越えは、きっかり10年ぶりなので、ワクワクする。
橋を渡るとシンガポールである。
再び、入国審査のためにバスを降りて建物の中へ。
ここでは、荷物もすべて持ってバスを降りる。 乗客がいない間に、バスも審査を受けていた様子。
二階にあがると、マレーシアの出国審査場とは雰囲気が一変していて、撮影禁止の注意書きもベタベタと貼られており、審査官も厳格な風貌である。
飛行機に乗るときと同じようなX線装置に荷物を通し、ボディチェックも受ける。
当然だが、入国カードの記入も必要であるのだが、ここでもらってあたふたと書くことになった。
バスの中で配ってくれれば良いのにと思う。
入国許可印をもらってバスに再々乗車をすると、乗客は8名程度に減っていた。 なんだか生き残りゲームの様である。

4.シンガポール潜入
13:07にシンガポール中心部に向けて、ナイトサファリで有名なシンガポール動物園の西側を通過し、14時少し前に雨のバスターミナルに到着した。
しかし!!
マレーシアで経験してきたようなバスターミナルではなく、ラーキンよりも簡素な停留所はただの駐車場で建物すらなく、両替所も見当たらなかった。
やはり、マラッカで換金しておくべきだったか。
もう一つ、大きな問題があった。

マラッカのホテルで手に入れた中国語の地図によると、マレーシアから到着するバスは、QUEENストリートとARABストリートが交差する付近に到着する
はずなのだが、近くに見えるのはLAVENDER通りと、HAMILTON通りである。 そしてそれらは地図上で発見できなかった。(後に発見する)

マラッカからここまで連れてきたバスの運ちゃんに、「両替所はどこだ」と聞いても「知らない」と答え、地図を見せても、ここがドコだか判らない。
仕方ないのでタクシーの運ちゃんに、「RMかUSDかJPYしかもっていないが、両替所まで連れて行ってくれるか?」と、相談しようと思ったが、
目の前で最後のタクシーが走り去って行ってしまった。 やむを得ず傘を差して、雨の中をトボトボと歩き出すことになる。

いずれにしても中心部の北の方に到着したハズなので、感覚的に南だと思う方向に歩き出すと、3分も歩かないうちに、マレーシアでも頻繁に目にした
[MAY BANK]が目の前に現れる。
「これはラッキー!」と、銀行に飛び込むと、目の前に外貨とシンガポールドルとのレートを表示した電光掲示板が燦然と輝いていた。
さっそく200RMを取り出して換金を申し込むと、なんと、「ここでは外貨は取り扱っていない」とのたまう。
世界に冠たる金融センター・シンガポールの中心近くの銀行が、隣国の金も、米ドルも扱えないという現実!!
「どこで換金できるのだ?」と聞くと、「スグ前のバス停で○○番の××行きに乗ると、BUGISのショッピングエリアに両替商が集まっている」と言うのだ。

最初、到着すると思っていた場所から目指そうと思っていたのがMRT(地下鉄)のBUGIS駅なので、向かうべき方向に近づいていることはわかったが、
バスに乗る金はない。
バスロードに沿って「歩くか」と、銀行のドアを出たところで、別の窓口にいた爺さんが「換金したいのか?」と聞いてくる。
「んだ」と答えると、「ワシの車に乗りな」と、招いてくれた。

日本から来たと言うと、爺さんはなぜか、地名としての「千葉」を知っていて、信号で止まったところで紙に「千葉」と漢字で書いて見せてきた。
中国語の簡略字なのか、少し「葉」が違っていたので、書き直してあげると可愛く照れ笑いをする。

「小さな町か?」と聞いてくるので、東京に接する大きな県だよと答えると、少し曖昧に頷く。
どうして千葉を知っているのか聞いても答えてくれないので、NARITAインターナショナルエアポートも千葉県にあるんだよと教えてあげる。
相手がもう少し若ければ、ディズニーランドにも登場してもらうところだったが、ちょうどその時に、両替商が並んだ商店街に到着した。

5.チャイナタウン
200RMが88.6S$に変身し、晴れてシンガポールでも経済活動に参戦できる身となった。
さらに現在地もわかり、まさに爺さん様様である。
もう一度、興味深いARABストリートに戻っても良かったのだが、雨が降り続いていたので、今回は先に進むことにする。
10分も歩かずにBUGIS駅に到着し、自販機でTANJONG PAGARまでの切符を買うと、0.9S$だと思っていたのに、機械が1.9S$を要求してくる。
1S$は¥80に相当するので、納得できないままに多くを払ったが、出てきた切符を見て納得した。
切符は、ICカード式で課金も出来るタイプのものであり、1S$はデポジットだったのだ。(もちろん、あとで回収できる)
これなら、スイカの¥500円よりもよほど安い。

とりあえずは、MRTで3駅のTANJONG PAGARで下車し、そこから徒歩5分のマレー鉄道シンガポール駅に到着。 ワリと重みのある建築物である。
窓口で翌日の朝のクアラルンプール行きを求めると、スーペリアクラスで34S$だと言う。
地球の歩き方マレーシア編'07-08によると、クアラルンプール→シンガポールが34RMと書かれていたので、15S$くらいだと思っていたのに思惑はずれ。
出発時刻も、8:30から8:40に変わっていた。

気を取り直し、今宵のねぐらを求めて、駅から徒歩10分のチャイナタウンに足を踏み入れる。
昨夜のマラッカでもチャイナタウンであった。
実は翌日のクアラルンプールでもチャイナタウンにあるホテルを目指すのだが、これはチャイナタウンを狙ってではなく、単に、翌日の行動にもっとも便利な
ポイントがチャイナタウンになってしまっただけである。
今回も、マレー鉄道のシンガポール駅に近い場所でかつ、そこそこの安さのホテルがありそうな場所はチャイナタウンなのだ。

ネイルロードからチャイナタウンに入ってすぐに、ほどほどと思われるCOSY81なるホテルが目に付いた。
70S$くらいかなぁと値踏みをしてレセプションに行くと、なんと109S$だと言う。
しかし、それならパスだと背を向けられるものでもない。
先ほども予想の二倍でトレインチケットを買ってしまったし、換金したS$はまったく不足するので、カード払いで泊まることにする。
案内された部屋は、シンガポールらしく綺麗であったが、外観もエレベーターも三階までしかないこのホテルなのに、なぜか4階の部屋で、とても狭かった。
ここはシンガポールなので、よもや違法建築ではないと思うが、部屋は5階にも存在するようであった。
部屋に荷物を置いたらさっそく、完璧なるフツーの観光客になるために
マーライオンに挨拶をすべく、再びのMRTでRAFFLES PLACE駅を目指した。

なんと言ってもシンガポールには18時間しかいないし、
雨も上がっていたので、ゆっくりとしていられないのである。

マーライオン公園の橋脚の下で食した、ちょっと辛めのミーゴレンを遅めの昼食とし、
少し歩くと街中での10kmロードレースが始まるようであった。
今日は平日だというのに、交通規制をして、数千人が走る様子だ。
日本のロードレースは、午前中か正午のスタートが多いが、赤道直下のこの国では、夕方のスタートとなるらしい。
ビジネス街や商店街を闊歩したが、東京の中心地と雰囲気も変わらず、あまり面白みがないので、再びチャイナタウンに戻ることにした。
こちらの方が、異国情緒があるというものである。
チャイナタウンの中ほどで、ナイトマーケットが開かれている。
いずことも変わらず、食べ物屋と服屋が大半だが、
雰囲気は中国や台湾の片田舎のようである。

マレーシアでもそうであったが、
(どう見てもドラヴィタ文化の影響を受けている)ヒンズー教寺院や
イスラム様式が共存するのが、マレー半島の特徴らしい。
4日目(5月04日) 1.シンガポールちょい歩き
シンガポールでの滞在時間は短いので、少し早めにホテルを出て、朝のチャイナタウンを一周した。
ホテルの近くの中華料理屋(と言っても、大衆食堂)が朝から開いていたので、そこで手差しで適当な料理をオーダー。
アイスココア(実はコーヒーだと思って頼んだ)を付けて、4.5S$。
物価について言えば、数字の部分はマレーシアと同じくらい。
ただ200RMを換金して88.6S$を得ているので、実質の物価差は2.2倍程度ということになる。
味は、やはり悪くない。
シンガポールでも、マレーシアでも、台湾でも、チャイナタウンで食事に苦労をすることは、一切ない。
よく言われることだが、海外で食事が口に合わなかったら、チャイナタウンに逃げ込めばよいという言葉は真実である。

さて、本日のメインイベント。 マレー鉄道での国境越えと半島北上を楽しむために、出発の30分前に駅に入った。
とりあえず、キオスクでドリンクとクッキーを仕入れ、食事は車内販売に期待をかける。
出発側のプラットホームに向かうと、8:20時点で既に改札は開いており、列車も来ているようである。
ホームに入る手前でイミグレがあったが、
これはシンガポールの出国手続きではなく、
マレーシアの入国手続きであった。

まだ、シンガポールを出国していないので、
パスポートにマレーシアの入国印は押されず、
無記入のマレーシア入出国カードの出国カード側に、
シンガポールイミグレのスタンプを押した紙が渡される。

2.マレー鉄道 国境越え
シンガポール発クアラルンプール行きは定刻を10分ほど過ぎて静かに動き出し、シンガポールの裏通りのようなところをユックリとジョホール水道へと向かう。
周りが鉄条線の柵で囲まれた、シンガポールにしては物々しい建物に列車が入ると、英語でアナウンスが流れ、乗客はパスポートを持って駅舎に向かう。
ここでシンガポールの出国手続きが行われるのだが、先ほどのマレーシアの入出国カードは必要がない。(当然といえば当然だが。。。)

普通にパスポートチェックが行われて、シンガポールの出国スタンプが押され、建物の別の扉の前でしばらく待たされる。
やがて係員が現れて、プラットホームへの扉が開かれたが、仰々しい雰囲気のワリには、チェックも何もなかった。 列車は9:45に再出発。
列車はほどなく、ジョホール水道を越えてマレーシア側に上陸し、ジョホールバル駅に到着する。
ここで2分ほど停車し、新たな乗客が乗ってくるのだが、マレーシアの入国手続きは何も行われない。
結局、このままマレーシア入国となるので、今も私のパスポートに、この時のマレーシア入国の形跡は残されていない。

マレーシア側に入った列車は、ゴム畑を抜け、ビルの廃屋を眺め、草原の中を疾走しながら、時々、小さな町の駅に止まるのだが、
ホームで息が抜けるほどの滞在時間もなく、車内販売が現れる気配もない。
定刻30分遅れの13時過ぎに東海岸線との分岐となるGEMAS駅を過ぎ、マラッカの最寄り駅であるTAMPIN駅を14時頃に通過するが、
やはり駅弁は登場しない。 8:40に出発して16時前まで走り続ける国際急行だというのに、車内販売というものが存在しないのだ。

やがて、車窓の建物が徐々に大きくなりはじめ、遠くにペトロナス・ツイン・タワーが姿を見せ始める。
結局、最大で45分ほどまで広がった遅れを取り戻しきれずに、定刻を20分ほど超過した16時ちょうどに、KLセントラルに到着した。
ここで食事も出来るのだが、勝手知ったるプトラLRTにすぐに乗り換え、チャイナタウンを擁するPASAR SENI駅に向かった。
3日続けてのチャイナタウンとなるわけだが、特に私がチャイナタウンフェチだというわけでは無い。
KLセントラルから一駅のPASAR SENIは、地球の歩き方では「パサール スニ」とカタカナ表記されているが、構内アナウンスの発音を聞く限りでは、
「パーサー セニ」としか聞こえず、こちらの方がスペルにも合致する。

3.KLCC
パーサー セニ駅を降りてSULTAN通りをまっすぐに東に向かうと、左側からチャイナの気配が漂ってくる。
5分ほど歩いて、リコンファームの際に、マレーシア航空に出発前夜の宿泊先だと告げておいたスイスインに到着。 一泊155RMはリーズナブルである。

部屋に荷物を置くと、今回のマレーシア最後の夕食へと繰り出した。
その前に、お土産漁り。
チャイナタウンの屋台はまがい物っぽいものが多いし、惹かれるものがなかったので、知る人ぞ知るPeter Hoe Evolution + Beyondへ。
アジアンチックな、趣味の良い小物が置いているのだが、興味をそそられて手にとって見ると、「メイドイン インドネシア」とか書いているので気が抜けない。

店に入った時には、日本人女性(女の子というには抵抗感がある年頃)の団体さんがいて、日本語が渦巻いていた。
ここで適当に戦利品を手に入れてから、プトラジャでナシゴレンアヤを食して、マレー料理行脚の締めとした。
暗くなってから再びKLCCへ。
こういった、高級ブランドショップには興味は無いのだが、後学のために4階から地下までの6フロアのすべてのショップを冷やかして回る。
伊勢丹には、数多くの日本食や惣菜、パックの握り寿司などが販売されていたが、
それらは、日本で入手する価格と同じ程度のように思われた。
それは、マレーシアの物価から考えると非常に高級食材ということになるのだが、
それなりに売れている様であった。

フルーツの女王マンゴスチン1kg(20個くらい)を4RMでゲットしてホテルに戻る。
日本ではとても手に入らない値段で味わうそれは、飽きの来ない優美なものである。
帰国日(5月05日) 1.クアラルンプール脱出
マレーシア&シンガポールの5日間は、あっけなく過ぎてしまった。
しかし、マレーシアも既に先進国予備軍であり、移動をするにも、食事を摂るにも、すべて予定通り(やりたい通り)に事が運び、何の苦労もなかった。
(最大のピンチが、シンガポール入国時の換金遅れと現在地不明程度?)
ある意味では楽だが、ある視点では手応えが無いとも言える。

WAWASAN2020(マハテールが提唱した、2020年までには先進国の仲間入りをするぞ宣言)の
キャッチコピーを目にしたのは、ジョホールバル近くの高速道路上での一回のみであったが、
この国は確実に先進国への道のりを歩み続けている。

2.街中チェックイン
KLセントラルで朝食を摂り、駅構内のマレーシア航空カウンターでチェックインを行ってみた。
同じサービスは香港でも行っているが、チェックイン後にエクスプレスが停まったら、果たして飛行機は待ってくれるのだろうか??
もちろん、そんな心配をする必要もなく、列車は、かっきり28分でKLセントラルからKLIAに到着し、街中では考えられない14.5RMという高額で
フルーツボウルを味わってから、日本へと戻る飛行機に乗り込んだ。

3.成田空港の暴走
さて、最後に成田で憤慨した。
飛行機の中で、見慣れた黄色い紙=健康状態に関する申告書が配られ、成田空港の検疫所に提出するように案内があった。
到着した成田空港では入国審査のパスポートコントロールの手前にもう一つ、今までに見た事がなかったチェックボックスが設置されていて、
そこで職員に申告書を提出する仕組みになっていた。(かつては歩きながら係員に手渡していた)
言うまでもなく、こうしたチェック機能があるのは大切なことである。

検疫所の仕事はとても大切なものであり、日本に熱帯性の伝染病が侵入する危険性への重要な防波堤になっていることには感謝してやまない。
しかし8列くらいに列が形成されるチェックボックスのところで、健康状態の異変を申告する人がいると、後方に並ぶ人たちを待機させて、
延々と、当該者への質問が始まるのである。
横の列はスムースに流れているのに、たまたま列の前方に健康不安を感じた人がいると、帰路を急ぐ人たちが何分も待たされるのだ。
たまたま自分の前に2~3人の申告者がいたら、30分毎の特急を一本逃すことになるわけである。

当然のことだが、健康不安を申告した人が悪いわけでは無い。
健康状態に異変を感じた人が、正直に申告することは、何にも増して大切なことである。
しかし、こんな馬鹿げた方法を取っていたら、健康異変の無い9割以上の人は0.5秒で通過できるところを進むのに何分もかかるし、
正直に申告をした人は、いたたまれない気分になる。
検疫所の、今のやり方を疑問なく履行している職員たちは、こんな簡単な事がわからないのであろうか??

まったく、(思いついた)システムありきで、利用者のことなど、何一つ考えていない身勝手さには呆れるばかりである。
「自分の仕事は国民のためだから、旅行者の個人個人がどんなに迷惑を受けても知ったことでは無い。」とでも考えているのであろうか?
その後にあるターンテーブルのことを言い訳にするのであれば、私に限らず荷物を預けない乗客も多いことを特記しよう。

ある側面では、個人の被害を省みないくらいの気概をもって仕事をしてもらうのも良いことではあるが、しかし、彼らは重要なことを見落としている。
私などは自分の身体の異変よりも、他人様に迷惑をかけないことの方が大切なので、自分のために後ろの帰路を急ぐ人が待たされるような経験をしたら、
次回は、どんなに健康異変を感じていても、このチェックボックスでは、何も申告できなくなってしまう。(健康体を装い、何事も無い顔で通り過ぎる)
他の、心ある多くの人も、そんな風に考えることであろう。
検疫所が考え無しのシステムを運用しているがために、本人の正直な申告を引き出すという、もっとも根幹的なところを台無しにしている。
こういった問題点が組織内会議で提起されないのだろうか? 本当に馬鹿の集団である。

成田空港検疫所に苦情を伝えようと考えたが、今のところ、メールで意見を述べる窓口は見つからない。
手紙を郵送する気にはなれないし、電話をする意思も今のところは無い。
次に熱帯旅行から帰ってきた時に、同じシステムが生き延びていたら、責任者を呼びつけて一喝するしかないかもしれない。

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