北ベトナム 2006

1日目(8月14日) 1.日本からハノイのシンカフェ直行
今回は、まずは10:05香港行きのANA機でのフライト。
14日の月曜日だったが、テロの影響で空港も混乱しているのではないかと警戒し、8時前に着くNEX3号で成田に潜入。
案の定、特に北米方面にフライトする客が別扱いされるなど、非常体制がとられていてチェックインに30分ほどを要する。
友人に「エコノミーが満席でビジネスクラスだい!」と、メールをしたところ、「首都圏は大停電でパニックだよ」とタレコミが!
荒川だか墨田川だかで船が、送電線をひっかけたらしい。
もし12時頃のフライトだったらメトロを使って成田に行くので、巻き込まれていたかもしれないとヒヤリ。

相変わらず、頭部測温をしている香港のチェクラップコク空港では、ゆったりとするまもなくハノイ行きにトランジット。
成田-香港も、香港-ハノイも、ほぼ定刻運行で、こちらはリラックスしたフライトにあいなった。
現地時刻15:55に到着したノイバイ国際空港では、二年前のタンソンニャットとは大違いで、イミグレ・税関も一気に駆け抜けて、着陸15分後の16:10には
両替までして、トイレにも行って空港の外へ。

空港内でタクシーチケット売り場が見つからず、外のタクシー乗り場で、乗客整理をしていた女性立会いの下に、タクシー運ちゃんと旧市街まで10USDと
いうことを交渉・確認して乗車。(こんなことをするということは、外国人相手にボッタクリが多いのかな?)
運転手にベトナム語で、「チョ-ドンスァン」と告げたが、「パードン?」と言われてちょっと傷心。
気を取り直し、今度は素直に英語で「ドンスァンマーケット」と言ったら通じたが、「ホテルじゃないの?」みたいな反応。

ドンスァン市場についても、「本当にここでいいの?」という表情の運転手。
10USDを払うと、仕事を終えた!という顔で去っていったが、ここからシンオフィス・イン・ハノイまでは徒歩3分だから、ここで良かったのですよ!!
タクシーを降りたらイキナリ市場の喧騒!!
あぁー、ベトナムに戻ってきたぞーっと、気分が盛り上がってくる。
そう、成田-香港のANAビジネスクラスでは、
「オールウェイズ 三丁目の夕陽」を観たのだが、あの頃の日本と、
目の前にあるベトナムには、共通の何かがあると強く感じた。
こうでなくっちゃ! ベトナム街角!!

2.イキなり夜行列車
と、言いながらも今夜はハノイでゆっくりとはせず、シンオフィスのお姉さんに「明日サパに行きた~い!!」と、交渉し、21時の便の寝台をゲット!!
(こんな無理を聞いてくれたのにはカラクリもあります。)
3日後に戻って来るからと、すぐ近くのヴァンスァンホテルをリザーブ。
引き続き、通りの角にあったベトナム航空支店でリコンファーム。

二年前のホーチミンでは、この時にホテル名はもとよりルームナンバーまで聴かれてタジタジしたため、今回はホテルを(最終日ではないが)キープしてから
行ったというのに、今度はホテル名も聞いてくれなかった。
・・・この差はナンなのだ???  ハノイ旧市街を一回りしてから、20時半にハノイ駅へ。 列車はすでに乗車が始まっていた。
急な手配だったのでファースト寝台(ソフトベット)の確保が出来ず、南アフリカと同じくセカンド寝台(ハードベッド)で妥協。
このため、六人部屋の最上段という無茶狭いスペースがあてがわれた。 窓が汚く風景が楽しめないのはインドと同じ。

しかし爆睡!
ベットは硬いが、エアコン直撃で飛行機内よりも寒いが、、、列車が急ブレーキをかけるとベットから床に落ちる位置だが、、、、、
成田を飛び立って13時間後にはベトナムの夜行列車に乗っている慌しい自分を笑いながら眠りに落ちた。
2日目(8月15日) 1.ラオカイ駅 朝
午前6時少し前に、列車はラオカイ駅に到着。
天気は悪くは無さそうだ。
駅から出たら、シンオフィスで手配をしてもらったバスに乗って、クネクネ道をひた走るバスに乗車。
途中で、前に座っていた中国おじいさんがゲロっていたよ、お大事にネ!
ラオカイから38km、バスで約1時間で到着するサパは高原の街。
ホテルに荷物を置いたら、シャワーを浴びてすぐに街に繰り出した。
特徴的な服装のモン族の女性が目立つ。

2.カットカット村
20,000VND(1円=130VNDベトナムドン)で
入場券を買ってハムロンの丘に。
途中の小山からの眺めがいい。
サパは美しい街だ。

サパに行ったら、ぜひ、ハムロンの丘は散策しよう。
二時間弱でひとまわりをしながら、アジアンな時間を楽しめること請負!!
午後は谷間を下ってカットカット村へ。 サパの街中でも多く見かけるモン族の村があり、涼やかな渓谷や田園風景に心和む事ができます。
明るいうちにサパにもどり、
市場で現地ックなフルーツをゲットしてホテルへ。
日本では信じられないくらいの値段で、売られている。

ホテルの部屋からは夕焼けが。
ベトナム最高峰のファン・シ・パン(3143m)も、
その気になれば難しい目標ではないかもしれない。
3日目(8月16日) 1.モン族の市場
6時に起床し、一通り街中をパトロールしてから朝食。
屋台で食べても良かったが、旅行の前半で体調を崩す確率を少しでも押さえるために我慢して、欧米人が好みそうなカフェへ。
世界中、ドコにいっても同じだが、店番の女の子は感じがいい。
その昔、「特に社会主義国家の店員はニコリともしない」と
言われていたが、まったくそんなことはない。
営業笑いかもしれないが、目が合う都度に、
気持ちのいい笑顔を惜しみなくふりまいてくれる。

市場では、モン族女性が普通に買い物をしている。
その傍らで店員は、何事でもないように台の上でブタを捌いていく。

2.トレッキング
9:30.ホテルのレセプションに戻って、ハノイで手配をしてもらったラオチャイ村&タヴァン村への一日トレッキング。
同行するのは、50代のフランス人夫婦と、40代前半のスペイン人女性3人組。 みんな、英語がペラペラ。 (汗!) 

ホテルはチェックアウトし、フロントに荷物を預かってもらって出発。
歩き始めたとたんに、フランス人夫の靴にトラブルが発生し、市場によって接着剤を購入。
街の中心のカウマイ通りを南西に向かい、舗装時々ダートの車道をしばらく歩く。
右眼下の谷間に広がる棚田が美しい。 今から向かう、モン族やザオ族の居住地である。 振り返るとサパの街

今日は明け方に激しいスコールがあったが、日中は雨の心配は要らないかもしれない。
道を歩いていると、小さな女の子が様々な物を売りつけてくる。
欲しいものが無いのと、彼女達は、まずは農業でキッチリと生計を立てていくことが良いのではないかという思いがあり、物は買わないことにして、笑顔で
挨拶だけすることに決めた。
同行するフランス人夫も同じ思いか、やはり物を買うことはなく、ただ、フランスから持ってきたらしいキャンディーを配っている。

途中から車道を外れ、右側の谷間方向を下っていく。
道は普通の、良く整備された山道程度。 モン族たちの生活道でもあるので、草が覆いかぶさることもなく歩きやすいが、少し体重オーバー気味のフランス人
夫妻は、時々苦労している。 別のグループで、ものすごく苦労している女性もいた。
スペイン3人娘(娘ではないなぁ)の中でも一番英語力がある一人(名前を聞いたが忘れた)は、運動神経もあるようで、一番しゃべり、一番写真を撮り、
楽しげに山道を歩いている。 やはり旅は、体力勝負だ。

3.ランチセット
途中で二度の休憩を取り、二度目の休憩で昼食を摂る。
フランス人夫妻はホテルで準備してもらったランチセットを食べ、スペイン3人組は休憩所でランチを準備してもらっていたが、同じような昼食になっていた。
私は、、、と、言えば、今朝、サパの市場で買い込んでいた現地のフルーツを、次々と魔法のようにザックから出すので、スペイン3人組に大いに受けていた。
マンゴ、りんご、モモ(中国の西安でも同じであったが、小さくて硬い。モモは日本の品質がダントツ!)、プラム、やっぱり、トレッキングで食べるのは、
メイドイン現地が一番!!

みんな、好奇心が豊富なので、寄り道しながら歩いたのだが、15時過ぎにタバンに到着。
ここから、バイクタクシーで各々がホテルに向かう。

4.中国国境
ホテルに戻り、フロントで荷物を返してもらう。
ここで、無料でシャワーを浴びる事ができるのだが、自分から交渉しないと向こうからは何も言ってくれない。
フロントの近くの一角の、普通なら来客用トイレかと思うところが、2人分のシャワールームになっている。
中は広いが暗く、濡れないように着替えや荷物を置ける場所がない。 このあたり、気がきいているようで配慮に欠けている。
さっぱりした後、ホテル内のレストランでコーヒーを飲みながら16:30.のバスを待っているとフランス人夫婦もそれに倣っていた。

ホテル前で乗車した小さなバスは、すぐに大きなバスに乗り換え、17:40.にラオカイ駅に到着。
バスを降りたら、レストランの客引が来ており、バスの乗客の大半がそれに従っていたが、まだ陽も高かったので私は中国国境に向かうことにする。
だいたい、列車が21:15.なのだから、今からメシを食っていたら時間をもてあましてしまうヨ。

10回目くらいに声をかけてきたバイクタクシーに、「チャイナボーダーまでは幾らだ?」と聞くと、「4000VND」と言うので利用。
18時前に国境に着いてしまった。 闇両替が声をかけてくるが、「中国は見に来ただけで入国しない」と一蹴。
(現在は中国とベトナムの関係は良好なので、多分、堂々と撮っても問題ないとは思うが)さりげなく国境を隠し撮りしてリターン。
ラオカイ駅前でデザートしていたフランス人夫妻を発見して、「中国を見てきたよ!」と報告すると、「写真を見せてくれ」と関心。

5.再びの夜行列車でハノイに
再び夜行に乗ってハノイを目指す。
乗車直後に豪雨。 さすがは雨季だが、ものすごい勢いの雨である。

こんな雨で大丈夫なのだろうかと心配になったが、夜行列車は淡々と走っていく。
ハノイについたら、とんでもないことに!!
4日目(8月17日) 1.ハノイ駅水没
夜半過ぎから明け方にかけて、列車の進行を妨げるのではと思われるほど激しく降り続いた雨は、ハノイ駅前を水没させていた。
ここは日本で言うと、東京駅前丸の内である。
平日の朝に、丸の内が水没するなんて、大ニュースである。
しかしベトナムでは動じる様子もなく、淡々と時間が流れていった。

それでも午前10時頃には、すっかりと水もひき、
またたくまに日常の喧騒を取り戻していたのがたくましい。

2.マンゴーホテル
ハノイ駅前が水没してしまったので、駅の真横に建つマンゴーホテルに頼んで夕方まで部屋を借り、シャワーを浴びてから身軽な身体で、
ハノイ新市街から旧市街へ。
地図もロクに見ないで、ホエンキエム湖を目指して歩くが、少し目測を誤って、思っていた以上の12kmを歩くことになる。
ホーチミンでもそうだが、ハノイも、歩いていると30秒おきにバイクタクシーが声をかけてきて本当にウザイ。

ベトナム政府も、彼らのことを真剣に考えたほうが良いかもしれない。
確かに、観光客をバイクに乗せては少し走って日銭を稼ぎ、たまにはボッタクって大銭を稼ぐ方が地道に稼ぐよりも楽なのだろうが、、、
いま、ベトナムは経済改革の中で、土木・建設で人手が幾らあっても足りないくらいだろう。
10代から30代くらいの働き盛りが、街の辻つじで、バイクにまたがって外国人に声をかけているだけでは、あまりに無駄ではないのだろうか?
まぁ、日本に100万人は居るニートよりはナンボかマシかもしれないが・・・。
夕方、足で覚えた最短距離で、マンゴーホテルから、3日前に予約をしておいたヴァンサンホテルに移動。
5日目(8月18日) 1.後半戦
ホテルで眠っていたら、明け方にスゴイ雨の音。昨朝のハノイ駅前の再来かと心配になってホテルの前をチェックしたが、大したことはなかった。
ホテルで朝食を摂り、ハノイからバスでハロンへ。
波止場には大量の観光船が待機している。乗船して隣の船の最後部を見やると、隣の船もランチ付である様子で、船員が調理をしていた。
こちらの船もランチ付き。 この船で一晩過ごす人にはディナーとブレックファーストもついている。 ハノイから通しで手配して33USDとリーズナブルである。

12時過ぎに乗船して、少し待機して海上に出たら、すぐに昼食が供される。 食べ終わる頃には、特徴的なハロン湾の光景。
振り返ると乗船したハロンのバイチャイ側と、東側のホンガイ側をつなぐ建設中の橋が見えている。
小雨模様で視界は良好ではない。

内湾にあるためか船はまったく揺れない。 船酔いする方もここなら平気だろう。
フランス人4人家族や、韓国二人組(家族を韓国において、ベトナムに単身赴任中らしい)、オランダ3人男と何組かの欧米カップルを乗せたクルーズ船は、
小一時間ほどで、(多分)スンソット洞見物。 さほど大きな洞ではなく、ユックリと一周して30分程度。

2.ハロンの食材
船は再びハロンチックな海に乗り出す。 16時頃に、カットバ島のホテルに泊まる何組かの乗客を降ろして、船は再び海上へ。
そこから一時間強ほどクルーズして、船はひとつのボートピープルの海上村へ。
そこは生簀のようになっていて、好みの魚を網ですくって購入できるシステムになっているのだが、
覗いてみると「なんじゃコイツは!?」と叫びたくなる様な怪しい甲殻類が泳いでいる。
ところがっ、我らがボートの船員は他でもないそいつを買っているのである。
カブトガニの一種に見えるが、見た目も動きも本当に気持ちが悪い。

船が仕入れた以上は、今夜のディナーにはこいつが振舞われるのだろう。
楽しみである。 横に立っているオランダ兄ちゃんもワクワクしている。
ここまで来たらナンだって消化してやろうじゃないか!!

ボートが仕入れてから二時間後に供せられたディナーでは、そいつはから揚げになっていた。
味は、悪くない。 と、いうか、美味しい。
ワニのから揚げもナカナカではあるが、侮れないぞカブトガニ!
そこからすぐ近くでボートは停泊し、アンカーを下ろした。 どうやら今夜はここで夜を迎え撃つらしい。
既にその一帯には何隻かの同型船が停泊しており、さらに、次々と集結してきてはアンカーを下ろしている。そういう場所の様だ。
船が固定されると、同乗している一組のカップルが水着に着替えて海に飛び込んだ。 他の船の近くでも水しぶきが上がっている。
かと思うと、手漕ぎ舟に乗って地元のお姉さん達が菓子類を売りつけに来る。
私も話の種に「Tantan」という豆菓子を買ったが、30,000VNDはボラレタと、思う。たくましく、手ごわい、手漕ぎ商店 世界遺産の中で迎える夜

ボートの中でのオーバーナイトは、カットバ島のホテルに泊まる場合よりも6USDを多く要した。
あてがわれた寝室は少し狭いものの普通のツインで、水しか出なかったがシャワーもついている。ベットの下のライフジャケットが特徴的。
6日目(8月19日) 1.世界遺産の真っただ中で迎える夜明け
浜辺にはコテージが、山頂には展望台がある島が目を引く。 その浜辺で夜を過ごすのも良いかも知れない。
カットバ島に戻って、昨夜を島のホテルで過ごした乗客を回収し、船はハロンの港を目指す。
ホテルに泊まった韓国男二人組みに、「オレガンマニムニダ!」(よ、久しぶり!)と挨拶したら、
嬉しそうに挨拶を返してくる。
世界を旅行していると、日本語や中国語を少し知っている人に出会うことは多いが、
韓国語はマイナーな言語である。
アンニョンハセヨは知られていても、カムサハムニダは認識度が低い。
しかし今回のベトナムでも、今春の台湾でも、日本人よりも韓国人を多く見かけた。 韓国も、経済力が増して、世界を旅する韓国人が増えつつある。
一昔前なら、東アジア顔=ジャパニーズだったが、これからは皆、迷うのだろうなぁ・・・。

ともあれ、海上ハウスを眺めながら、ハロン湾を後にした。
今度は、海上ハウスで泊まる手段も考えなければ・・・。

2.ハノイ帰還
ランチは船中ではなく、波止場のレストハウスで食するようだ。
席は準備されていた。 ベトナム料理というよりもチャイニーズレストランだったが、魚型の皿に入っている魚料理やポテトは、船内で食べた昨日のランチや
ディナー、今日のブレックファーストと同じである。 少し変化球も投げてほしい。 でも、どれも美味しかったよ。

食後、再びバスに乗ってハノイにリターン。
今回も、あっという間の一週間だったなぁ。。。と、早くも回顧モード。
とは言え、15時過ぎに旧市街に戻ってきたので、最後のハノイを楽しまない手はない。
二日前のホテルに再びチェックインして、シャワーを浴びたら街中へ。

まずはホアンキエム湖を一周。 湖東には金色に鈍く光るリー・タイトー像が鎮座している。
猛然と迫り来るバイクの大群を掻き分け、今度は湖の中に突き出た玉山寺へ。
3000VND。 玉山寺には巨大な亀の剥製が飾られている。
暗くなるのを待ってベトナム2006の最後の晩餐。
ルオンゴッククイン通りの小洒落たレストランで今回のベトナム初のフレッシュ・スプリングロールを堪能する。
味、価格は、ホーチミンのそれと大差はなかった。
食事を終えて店から出る時に、ハロンで同じ船に居たアメリカ人夫婦とニアミス。
ほとんど話しをしなかった二人だが、こんな場所で再会すると、お互いに微笑みあう。ちょっとした連帯感。

3.Ms.Hue
食後の散歩として、歩きなれたディンリエット通りの土産物屋を冷やかしたり、ドンスァン市場の催し物を覗き見たり。
本日は土曜日なので人出は半端ではなかった。
二日前に冷やかしておいた、LACQUER SHOPの前を通りかかると20歳くらいの店長のMs.Hueもこちらを覚えていて、最上級の笑顔を投げかけてくれる。

二日前に展示品を見ていたら「メイ・アイ・ヘルプユー?」と彼女が声をかけてきたのだが、私が答えないでいると、「キャンユー・スピーク・イングリッシュ?」と、
怪訝な顔をされたので印象深い。
えぇ、そうですよ、Ms.Hue。 アイキャノット・スピーク・イングリッシュでございます。
ただ、あなたが最初に声をかけてくれた言葉は、どう聞いても、「May I have you?」だったのですよ・・・。

ともあれ、ここで値切って買ったあれこれは、翌日のノイバイ国際空港のタックスフリーショップよりも安かった。
二年前のホーチミンでは、チョーベンタインで買った価格よりも、タンソンニャット国際空港での同等品の方が幾ばくかは安かったのでがっかりしたのだが、
今回は勝利である。
皆さんも、May I have you?のMs.Hue。を御ひいきに。 二つの店を掛け持っている、メガネの女性が彼女である。
7日目(8月20日) 1.ハノイ朝散歩後に脱出
11時のフライトなので、8時にハノイを出発することに。
アサメシ前にホアンキエム湖からドンスァン市場に駆けての一帯を最後のパトロール。
フランスに統治された過去を持つ国では、焼きたての朝パンが食え、あちこちから良い香りが漂ってくる。

ハノイ旧市街からノイバイ国際空港までは30km程度の距離があるが、概ね40分ぐらいで到着。
空港二階の国際線のチェックインカウンターは一ヶ所(5~6カウンター?)で、極端に人が多いわけでもないのだが小一時間ほど並ぶことになった。

2.ノイバイ空港でひと騒動
もうすぐ私の順番だというところで、目の前で50代後半くらいの一人旅の白人女性がカウンターのおネェさんともめている。
「手荷物が重量オーバーなので超過料金が必要」という英語をなかなか理解せず、理解しても承服せず、
私の目の前でスーツケースを全開にして、規定重量以内になるまで荷物を引っ張り出し「機内持込にする」と主張して大騒ぎ。

一段落した後、おネェさんが空港税(ノイバイのインターナショナル利用の場合は14USD)の説明をすると、空港税という英語を理解せず、「何の料金だ?」と
ふたたびの大騒ぎ。
次の順番を待っている私まで出動して、「空港税だよ、T・A・X!」「すべての旅行者が払うお金だよ!」と空港のおネェさんを援護射撃。
同じ旅行者の私も14ドルが必要だと言っていることで納得したのか、ようやくのことで、おネェさんに指し示された空港税支払いカウンターへと去っていった。

そんなこんなで、おネェさんと超連帯感。
「お疲れですねぇ。」と労うと、にっこり笑って和やかな雰囲気。
私の荷物が小さな機内持込一つというのも、コトの後だったので好意満面。
ただ、ハノイ-香港と香港-成田を通してチェックインして欲しいという私の希望は、チャレンジしてくれたものの叶えられなかった。
「ゴメンナサイ、あとは香港でチェックインして。」と、お互いに手を振ってバイバイ。

3.新築空港は綺麗だが店もない
出国イミグレと税関もあっけなく、液体も持ち込みフリーという、ヒースローテロ未遂の衝撃を微塵も感じさせない、いい加減さがベトナムである。
出発ロビー内は狭いが、一応のタックスフリーショップは並んでいる。
誰も上がろうとしない三階へのエスカレーターを上がると、店員しかいない土産物屋が二店と超高いレストラン。 日本語で「うどん」の看板も。
カツ丼は7USDだったかな?
ノイバイ国際空港の三階は、少し店があるが、ほとんどガランドウ 二階の土産物屋。 メジャーなものは揃うし、べらぼうに高いわけでもない。

4.香港に着かない
25分の遅延で出発したベトナム航空は、去年の北京到着時と同様に、定刻を遥かに過ぎてエンジン音は変われど、チェクラップコク空港に到着しない。
曇っているのでハッキリしないが、同じところを旋回している様でもある。
ただでさえトランジット時間が1時間15分しかなかったというのに、成田行きの出発時間がどんどん迫ってくる。
結局、地面にたどり着いたのは次の出発時刻の25分前。

去年の夏は当日中の乗り継ぎが出来ず、航空会社と戦ってホテルと翌日の便を獲得したが、それで一件落着だったのは土曜日帰国が日曜日になっただけ
だからである。
今日は、日曜日なので、なんとしても本日中には帰国して、16時間後には社会復帰しないとならないのだ。
「しかたがない、恥をさらそう。」
そう思った私は窓の外も見ず、飛行機の停止と同時にベトナムスッチーに向かって叫んでいた。
 「乗り換え時間がないだで、なんとかしてくれろ!」
中国東方航空のスッチーと同様、ベトナム航空スッチーも誠意を示してくれた。
「早く荷物を持って、前に来て! あっ、ちょっとそこのお客さんは彼を先に通してあげて」

私は感謝し、チェクラップコク空港のトランジットエリアへと、駆け出そうとした!  と、ところが、飛行機は空港ビルに接岸?しておらず、バスでの移動!!
一番最初に飛行機から降りたからといって、何になるというのだ???
この便は、ベトナム航空とキャセイパシフィック航空の共同運航便なのである。
「キャセイの飛行機が、なんだってホームターミナルでバス移動なのだ!?」と、叫んでみたところで何にもなりはしない。

成田行き出発20分前にバスが動き出し、2分で空港ビルに到着。 バスの乗客のトップスリーで空港ビルに駆け込んだ!
と、私の名前を書いた紙を持っている女性スタッフが待っている。
同じ便でハノイから香港に飛び、成田に向かう同じ便に乗り継がなくてはならない同志が、私を含めて5人いるようだ。
待機している女性スタッフは日本人っぽく見えたのだが、日本語はカトコトしか通じない。

同便から乗り継ぐ全員が日本人名だったので、私も、次々とバスから降りてくる乗客に向かって日本語で、「成田行きNH910便に乗り継ぐ方ぁ!!」と叫ぶ。
さきほど、英語で叫んだことに比べれば、遥かに恥は少ない。
そんな努力の甲斐あって、ほどなく全員が揃った。

4.日本生還
この時点では、NH910成田行きに特別ルートで案内されるのか、ホテルに案内されるのかがわからない。
案内人に「成田行きに乗れるの?」と尋ねても明言しない。
しかし、どんどん早足になり、最後には小走りになってきたので、飛行機を目指しているのだと確信できた。
5人が揃った時点で、全員の名前を電話でどこかに伝えていたのもチェックインっぽい。

果たせるかな、飛行機出発予定時刻かっきりに、ボーディングカウンターでボーディングパスを受け取り、待機していた飛行機に乗り込んで、ヤレヤレである。
ベトナム航空の中ではスッチーに「カームオン!」とベトナム語で、今回の案内嬢には広東語で「多謝!」とお礼を言った自分が、律儀で可愛いと感じた。

さて、間に合ってみれば勝手なもので、「チェクラップコク空港では香港茶を買っていくつもりだったのに!」と、無念さがこみ上げた。
この機も香港出発&成田到着が少し遅れたがMI3も楽しめたし、社会復帰せねばならい日に日付が変わった頃に帰宅し、慌しい一週間の旅を完結。

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