南ベトナム2004

1日目(11月20日) 1.日本脱出
寒くなり始めた日本から団を求めて、10時発のベトナム航空で成田を出発。ホーチミンのタンソンニャットまでは6時間。
16時前にはホーチミン中心部に入れるので、ホテルの予約はなくても心配ない。

タンソンニャット空港には、定刻より少し早い14時16分に到着。 ところが、イミグレでやたらと時間を食う!
列がぜんぜん進まない。 私の並んだ列が特にひどかった!
前に並んでいた日本人の女の子が友人に、「こういうのってキット私」と、冗談をこぼしたので、少し笑えて気分がまぎれた。 アリガトウネ!
それでも、15時10分にはやっと入国して、15時15分には税関を通過。ビンボー旅行者には、申告するものなど何一つ無い。

税関を通過してすぐ右手の両替所で換金。
わずか5日間だけの滞在なので、レートが多少悪くても良いと割り切り、10,000JPYを換金。
受け取った現地通貨は1,420,000VND(ベトナムドン) [街中だと1JPY=149VND程度だった]

2.シンカフェ
すぐに、そのすぐ横のタクシーチケット売り場で、市内までの券を購入。
なんと、190,000VNDと窓口の女性に言われる! (地球の歩き方、他による相場は5~60,000VND)
あまりの金額に、何を言っているかが解らず、100,000VND札を差し出すと、「それを二枚」と言われ、あとで10,000VNDが戻ってきた。

しかし、ボッテも私があとで騒げば領収証もあるし、タクシーの運転手にも金額はわかる仕組みになっているようだし、窓口の彼女達が安心して着服できる
システムではないので、とりあえず支払う。
ちなみに最終日にデタム通りからメータータクシーに乗ったが、料金は126,800VND・・・。

行きの車が高級車だったことと、プリペイドチケットである(安心を併せ売っている)ことを考えると、190,000VNDも、べらぼうに高いとは言えず・・・、
これが今の相場なのかもしれない。 それとも私は往復とも激しくぼられたのか???
2004年の秋以降にホーチミンに行った、他の方はどうでしたか??

3.リコンファーム不成立
空港からおよそ30分ほどで、ファングーラオ通りを通過。 思っていた以上に道の渋滞がすごく、時間もかかった。
タクシー運転手には、ブイビエン通りのホテルANANを目指すように頼んでいたが、運ちゃんは自信が無い様子。
私ももちろん、初めてのベトナムで道には不案内であったが、ふと左を見るとキムカフェが現れ、ほどなくシンカフェを通過した。
これは、デタム通りに違いないと思った矢先に、車は右折して運ちゃんがキョロキョロし始める。
 「ここがブイビエン通り??」と聞くと、運転手は「そうだ」と一言。
 「さっき、デタム通りを通った??」との問いにも再び「そうだ」。
これで判明。 運ちゃんはデタムからブイビエンに出た時に、左折すべきを右折してしまったのだ。 ANANは後方である。
 「場所が分かったからここでいいよ」と車を降り、デタムに向かって歩き出す。

と、突如、今日中にリコンファームをせねばと思っていた私の目の前に、ベトナム航空のオフィスが登場。
こんなところにオフィスがあるとは知らなかったが、とりあえず飛び込んだ。
 「ここでリコンファームはできるの??」と私。
 「そりゃ、出来るさ。」と、カウンターのお姉さん。

大ラッキー  と、航空券を取り出して、「よろしくよろしく」と、お願いしたら「ホテルはドコ?」とお姉さん。
ほい来たお決まりの質問だなと思いつつ、「出発前夜はANANだよ。」と、一応の第一候補の名前と電話番号を言う。
普通はこれでリコンファームは完了である。
インドでもシアトルでも、それ以上の突っ込みは無かった。

ところが・・・、「何号室??」と、お姉さん。
 「いや、まだチェックインしていないし・・・、予約すらしていないし・・・、ゴニョゴニョ・・・。」
テキトーに答えたのだと言えない私は、オロオロ・・・。
構わず、ANANに電話をかけ始めるお姉さん。

結局、ANANのフロントは、ずーっと電話中でつながらなかった(らしい)。
「部屋が決まったら月曜日に電話して」と、電話番号を渡され、リコンファーム不成立。
「おいらは英語が苦手なんだよ~」っと思いながら、トボトボとブイビエン通りを北東に向かうと、デタムとの交差点のあたりからANANが見えた。
思っていたよりも綺麗なホテルである。
フロントの女性の感じもいい。 可愛いし、英語の発音も綺麗だし、日本語すらも少し操る。
部屋は上階のトリプルしか空いていなかったので少し高い($27)が、広いし、眺めも良いし、満足のレベル。
ただし、レストランは無かった。(改装工事中だったものと思われる)

4.シンカフェ
さっそく荷物を置いて、徒歩1分のシンカフェへ。
お目当てはメコンデルタ2泊3日ツアー。
ただし、この時点ではキムカフェやその他とも比較するつもりであったし、公共交通機関を利用して、自力で飛び回るというのも選択肢の一つだった。
ところがところがである。
コース案内を読んでも、写真を見ても、充実しまくりのメコンデルタ2泊3日ツアーが22USD!!
自力で動くと、移動費だけでこれくらいはしそうである。 公共バスですら、ボラレそうなお国柄!(偏見か??)
ホテル代だけでもエアコン部屋ならやはり、朝食付き二泊で22USD程度はする。
チャウドックにも行くし、サム山にも登れるし、カントーからはお約束のカイランボートトリップだってある。
欲深く難を言えば、ミトーに寄らないことが不足な程度であろうか??
17時過ぎ(日本製腹時計では19時過ぎ)で腹も減ってきたので、騙されたと思って、その場で申し込み。

南アフリカでは、前日の午後三時頃に、翌日の日帰りツアーを申し込んだら、インフォメーションセンターの人に、「明日~??」「まぁ、やってみますけど~」
とか言われたが、ここでは「じゃ明日の7:30に、ここに来てネ!」と受け付け完了。
ひっきりなしに観光客が出入りしている。

5.ホーチミンの夜
明日から3日間の行動も決まってしまったのでホテルに戻って、3日後の夜も予約をすると、「リコンファームをやっておきましょうか?」と申し出てくれた。
このANANの女の子は、本当に素晴らしい!

ベンタイン市場の前の道路は、外国人には渡れない この中を、バイクを縫うように横断するのだ。
綺麗に整備された公園がトテモ多く、意外な印象を受けた。
11月下旬は、ホーチミンと言えど18時頃までには暗くなる。 20時頃にはドップリである。
しかし、その頃になっても親子連れは多く、ヨボヨボの婆さんが道端で札束を数えていたりもする。 子供だけで遊んでいる姿も目にした。
未だに金持ちと誤解?されている日本人旅行者として注意すべきことはあるが、登下校すらも危険な馬鹿の多い国よりも、こちらの方がマトモかもしれない。
初日の夕食はなぜかベジカレーにしてしまった。 23,000VND
ミニ知識:ベトナムの通貨単位のDONGの語源は日本語の銅。 江戸期に日本が大量の伽羅を購入し、対価として銅で支払ったことから。
2日目(11月21日) 1.夜明けのホーチミン
朝のホーチミンを散策しようと、6時JUSTにフロントに降りてみたら、入り口がシャッターで閉ざされていた。
レセプションの人らしい男性がソファーに横になっていたが、チェックアウトでなく散歩ごときで起こすのも悪いので、もう一度エレベーターに乗って屋上へ。
(屋上へはレストランがあるはずの11階までエレベータで行って、後は階段で登る)
902号室からよりもさらに眺めがよく、ベンタイン市場を望めたりもする。

6時30分に外出。
デタム通りのカフェでプレーンオムレツ&フランスパン。 これで15,000VND=約100円。
フランスの植民地になった経験を持つ国では、アフリカでもアジアでも、朝は焼きたてのフランスパンが食べられると言う。
ツアー中のバス内食として、露天のお兄ちゃんからバナナを購入。 モンキーバナナが20本弱の房で6,000VND。
安すぎて交渉もしなかったが、ボラレているのか住民価格と差は無いのかまったくわからない。
日本円に直すと40円くらいだから、二倍を取られていても自分にとっては影響がない。 この考え方はイケナイのだが。
7時15分にホテルに戻り、「3日後に再見ネ」(こりゃ中国語ダ)と、言ってチェックアウト。 リコンファームをヨロシク。

2.シンカフェ
言われたシンカフェに7時半に着いたが、まだ、別のツアーのバスが溜まっている。
ツアー要綱(英語とベトナム語と日本語とフランス語の4言語で準備されている)にも、7時45分に出発と書いているのだが。
シンカフェの中と外は、今から様々な方面に出発する旅行者でごった返している。

立って待つのが嫌な方は、隣のSINH Cafe(文字通り喫茶店)でお茶をしながら待つことも出来る。
ただし、一応はバスが出る時に声をかけてくれるが、人だけを当てにしていると置いていかれるかも??

3.メコンデルタへ
先行のバスが出発した後に、出発予定時刻を少し過ぎて目的のバスが来た。
綺麗なバスだが、この2泊3日のツアーには、他の日本人客はいないようである。8時10分に25分遅れで出発。

ツアーガイドはベトナム人男性だが、案内はすべて英語。
「このバスは、2泊3日ツアーの客と、明日チャウドックでカンボジアに向かう1泊2日の人が混ざっている」と流暢な英語だ。
しかし、乗客はフランス人、ドイツ人、スイス人、中国人と、英語圏の人は比較的少ない。
私が知った限りでは、30人くらいの客の中にオーストラリア人とイギリス人が一人ずついる程度。
それでもツアー中の公用語はすべて英語だが、賑やかに見知らぬ同士でおしゃべりを楽しんでいる・・・。(汗!!)

出発して50分ほどで、ガソリンスタンドで第一休憩。 出発時にトイレにいけなかった乗客への配慮か??
バスが停車すると、何人かの物売りが近づいてきた。
パイナップルの半切りが2000VND、さくらんぼのようなものも売っていたし、インドに大量生息していたサングラス売りも来た。

道はけっこう整備がされている。 日本で言うと地方の三桁国道程度か??
ホーチミンを後にして20分後には、基本的には農村風景だが、ときおり車窓には、近代的な会社が現れる。
中国資本も結構入っているのか、「帝王責任有限公司」や「前衛責任有限公司」などの名前が笑えてよかった。

4.カイベー
そうこうしている内に、バスはメコンデルタのエリア内に入ったらしい。 ガイドが、メコンデルタには3000万人が暮らしていること等などを話している。
9時45分にミトーの町の入り口を通過。
10時50分にカイベーの町に到着してバスを降り、第一回目のボートトリップ。

ここで、くっついて走っていたもう一台のシンカフェバスがワンデーツアーのもので、
本日の観光は同行することを知らされる。
こちらには、日本人客も4組10人くらいがいた。

ボートでは、ベトナムで有名なライスペーパー作りの工場や、
後にベンタイン市場等でよく目にした菓子を作っている工場を見物。
なんだか、社会見学ツアーの様相。
再びボートに乗ってメコンの支流へ。 少し移動したところの、いかにも観光客向けっぽいレストランでランチを摂る。
このツアーでは、昼食と夕食は自腹のはずだったが、ここのランチはツアーにインクルーズで、飲み物だけを自分で払えばよかった。
フルーツもサービス(と言うかツアー料金内)。
ランチの内容は、チャー・ゾー(揚げ春巻)と豚肉のみそ焼きのようなものにトマトなどの野菜スライス、それにスープがついてなかなか美味しかったが、
同席の日本人カップルは二人とも、ほとんど残していたよ?

5.ヴィンロンからロンスェン、チャウドック
ランチを摂ったあと、14時10分に出発したボートは西へ西へと向かう。 約40分でヴィンロンの町へ。 ここでワンディーツアーの人たちと別れる。
バスは一時間ほど走った後でいったんフェリーに乗船し、ロンスェンに上陸した後は北上してチャウドックを目指す。

途中で、町ごと線香工場の様なところで停車し、見物(と言うより見学)をしたあとは、まっしぐらにチャウドックへ。
秋のベトナムの夜は釣瓶落とし?? 18時頃になると見る見る暗くなってくる。 西側のデルタ地帯に落ちる夕陽が美しい。

道沿いに家は続いているが、道から離れると湿地帯のようである。
どの家も道沿いの扉や窓が開け放していて、家の中が丸見え。 多くの家が一家でテレビを見ていた。
一昔前の日本の光景? 今の日本じゃこんなことをしていたら押し込み強盗が入ってくるか、変質者の餌食になる。

道は概ね2級か3級の国道並みだが、チャウドックの手前で未舗装になってきた。
なんだか大規模な道路の立体化工事をしている様子だが、ホーチミンを離れて初めて渋滞に遭った。 チャウドックに向かう道で線香工場見物
チャウドックには18時40分に到着。

6.チャウドックの夜
全工程で22USDのツアーに、2泊付いているホテルがどんなものか興味深々だったが、けして悪くない。
壁にはイモリが這っているが、バスマットはとても汚いが、窓は廊下に面しているが、シャワーの湯は温かく、エアコンの効きは寒いくらいである。
ホテルはTHANH TRAで、地球の歩き方によるとエアコン部屋は120,000VND(=8USD)くらいらしい。

荷物を置いて街中に。
危険な雰囲気はまったくないが、一分おきにシクロが声をかけてきてウザイ。
小さな公園の周りに屋台がいっぱい出ていて、地元の人がフォーを食っていた。
美味そうな屋台もあったが、言葉の問題で注文に手間取りそうだったことと、腹を下すと翌日からのツアーが辛くなるので、
レストランがあると、ガイドが紹介していた方向に向かう。

いくつかの店が営業をしていたが、中華系のラムフンキー(林興記)で腹を満たす。 美味しかった。
世界のどこに行っても、中華料理で大失敗をすることはないと誰かが言っていたが、まぁ、そんなところかもしれない。
隣で、ジモティーらしき集団がパーティーをやっていた。 雰囲気は、友人同士ではなく親戚一同の様子。

後に中国語を使えるようになってから分かったが、林興記をラムフンキーと発音するのは広東語。普通話(標準中国語)ならリンシンジーとなる。
3日目(11月22日) 1.アオザイの謎
昨夜の解散前にガイドから、「朝食は6時半に準備される」と案内があったので、6時過ぎに街に出た。
ここのホテルは一晩中出入り自由のようだ。

市場には物が溢れている。 ものの本によると香港などからも物資が流入し、ホーチミンから買い付けに来る人もいるとのこと。
情報の真偽のほどはともかくとして、食材や日常雑貨が極めて豊富なのは確かであり、問題は庶民の購買力がいかほどかダ。
まぁ、これだけ数が並んでいるからには、そこそこには売れているのだろう。
月曜の早朝だが、朝から人が遊んでいる。
国民的ブームなのかホーチミンでも、後にカントーでも見かけることになる足ケリ羽子板をしている人が多い。
日本の羽子板の羽を、よく飛ぶような形にしたものを、皆で地面に落とさないように蹴りあっている。 とても器用にトスが続いていた。
ある時刻を過ぎた頃から、アオザイの女学生が増えてきた。
トテモ綺麗な、真っ白なアオザイを着ている。
しかし今でも謎なのだが、あのアオザイは汚れないのだろうか??
じろじろとは見ていないが、みんな真っ白で裾まで綺麗である。
ベトナムの小道は未舗装路も多く、雨でぬかるむこともあるはず。
あれほど真っ白になるまで洗うのも大変そうだし、絹のような光沢を保っているのもすごいことである。

2.メコン川へ
6時30分過ぎにホテルに戻って宿泊にセットされた朝食を摂る。 当然のようにフランスパン。
ここのフロント前はシンカフェの受付にもなっていて、チャウドックからカンボジアに水路で国境越えをする旅行者を受け付けている。
朝食の後、7時30分にバスで出発して、5分走ってボートに乗る。 バスに乗った距離は、歩いた方が早かったのではないかと思える程度である。
ここで、客は3人ずつに分かれて小船に乗る。
メコン川に浮かぶ家を眺めながら、カンボジアボーダーに向かうのだ。
ボートは少し川を遡って水上の養魚場に立ち寄った。
やはり、社会見学ツアーの様相を帯びている。
生簀では魚に餌をやっていたが、魚が喜んで跳ねまくっている。
養魚場から再び小船に乗り込んで遡上し、今度は少数民族の村に。
12歳くらいの女の子が機織りに勤しんでいるのを見学し、少し歩いてモスクも見物。このあたりの民族はイスラム教徒が多いらしい。
ここまで同じバスに乗り込んでいた、カンボジアに向かう旅行者とここで別れる。

3.サム山
10時少し前にチャウドックに戻って、バスでサム山に向かう。 カンボジア隊がいなくなったのでバスの中が広々とした。
道すがらには、中国風の寺院が散見される。
15分程度でサム山の登り口に到着。 5分歩いてガイドが簡単な説明。ここで一時間の自由時間。
「上に行くほど眺めがいい」と言いながら、ガイドは登山する気は無さそうである。
私はとりあえず山頂に向かったが、途中では眺めの良いところがあったものの、
山頂は四方に木が茂っていて眺めが悪い。
頂上が近づくと、売店が4~5軒。
ビールが冷えているよと声をかけてきたが、のどが渇くほどの登山でもない。
山頂には土産売りの露天商と女の子が三人。
なぜか猿が飼われていた。 食用か??ペットか??
登山道は山の北東側から北西側を回り込む様につけられていた(と思われる)ので、
中腹から眺める彼方はカンボジアである。 
山頂にいた物売りの女の子達は、ホーチミンの人とは少しばかり、顔も服も雰囲気も違うように感じた。

4.カエル料理
11時半にバスは最出発し、40分ほど南下した池の上のレストランで昼食。
池には魚が多いのか、頻繁に飛び跳ねていた。 ここではドイツ人OL二人組みと同席。
その内の一人が、「蛙に挑戦」と、言うことで、蛙の炒め物を注文して盛り上がっていた。
「自分も日本で食ったことがあるよ」「でっかいヤツ」と言うと、「リアリィ??」なんて驚いていた。謎の東洋人は何でも食うのだよ。

5.ワニ園
さて、次にワニ園に行った経緯がおかしい。 ツアー要綱では、バードサンクチュアリに行くとなっている。
バスが機嫌よく走っていると、ガイドとアシスタントが運転手に何かを叫び、バスはUターン。
結構戻ってから再びUターンして、外国人観光客がたむろしていたこの園に到着。
バスから降りたガイドが、「ここはすごく広いので1時間の自由時間」と言った(様に聞き取れた)のだが、入ってみると中は狭い。
様々なサイズのワニが退屈そうに日向ぼっこをしているだけ。 10分も歩くと飽きてしまった。
ワニの檻の通路を歩いていると、先ほどの蛙OLがやってきたので、ワニを指して「アイツも日本で食った」と、言ってやったら、「美味しいの??」と関心。
「すーーーごく、グッドだよ!」と強調したら、トテモ受けていた様子。
結局、ここでの休憩は30分となり、バスが出発してからガイドが、ビッグミスティークをしてしまったと詫びていた。

6.カントー到着
その影響もあってか、バスはまだ明るい16時20分にカントーに到着。
ホテルはハウジャン。
地球の歩き方だと、エアコン部屋は18USD以上となっているのだが・・・、22USDのツアーでなぜに???
18USDが団体価格で14USDになったとして、ツインだと一人7USD・・・、ツアー料金の三分の一を占める計算。
部屋はワリと綺麗だし、外に向けての南向きの窓もある。
荷物を置いたらすぐに街中探検。

ホーおじさんの像のある公園近くを歩いていたら、
ガイドブックに書いているように、
「ボートトリップしないか」とおじさんとおばさんが声をかけてきた。
明日のツアー行程に組み込まれているので当然パス。
市場は物が豊富。 このテントの下では肉と野菜と魚の店がほとんどだったが、他に独立店舗や露天がひしめいていて、電化製品商店街まである。
まったくの自由経済である。 『どこが社会主義国家なのだろう? 米軍は何の為に泥沼の中で戦ったのだろう??』と、なんだか考えてしまった。

7.レストラン メコン
夕食は、少し早めにレストラン メコンで。
スチームチキン&グリーンベジタブルは写真の様に綺麗に盛り付けられていて、ライス付きで35,000VND。 やはり美味しい!
ホーおじさんの、ほぼ正面である 
食後に再び市場に行って、マンゴー二個をゲット。 よく熟れたのが二つで4000VND。
売り手のおじさんは、「写真を撮ってもイイヨ」と言ったくせに、シャッターを押すと引きつり顔。

公園で落花生も買ったのだが、これはいくら言っても5,000VNDから値引いてくれなかった。
この地区で売られているミネラルウォーターの名前は「MIZU」。
日本語から命名しているのは間違いないと思うのだが、メコンのミネラルウォーターが「MIZU」というのは、ちょっとしたトリビア。 
4日目(11月23日) 1.メコン女性のランニングウェア事情
昨夜のテレビでは、韓国ドラマが放映されていた。(カントーでは1chしか映らなかった)
ベトナムにも韓流ブームは押し寄せているのか?? (ちなみにホーチミンでは中国ドラマが一つのチャンネルを占拠していた)

そんなこんなで寝不足気味でもあったが、夜明け前の街に飛び出した。
街の東部をメコンがゆったりと流れ、そこで生活を営む人々と、そこに生活の糧を求める人にも新しい朝がおとずれていた。
ベトナム人・・・とりわけ女性は、首から上以外の肌を露出しないが、朝のニンキエウ公園では、短パン・ランシャツという日本人女性のトレーニング姿と
変わらぬいでたちで走ったり、ストレッチをしている姿が多く見られた。 健康ブーム?

2.朝の市場
市場は早朝から熱気に包まれている。
ゴミ収集車が活躍していたのはイメージ外だったが、市場はキレイだったので当然か?
ゴミ収集作業員はヘルメットを着用しているのが先進国っぽい。
ノーヘルでバイクに一家で4人乗りすることが当然という風潮に代表される安全意識と対照的で面白い。
今日のボートトリップの為に、市場の向かいの店で、若い兄ちゃん店員から葡萄をゲット。
実のそろった一房を取り上げて値段を聞くと、13,000VNDだと言うので、
10,000VNDに値切ったのだが・・・、これはどうやら1kgあたりの価格だった様で、
支払いは3,500VND。 日本円で25円くらい・・・。

美味しかったが、皮が剥きにくいのでホテルで水洗いして丸呑みした。
(種は出したが) もう、枯葉剤は大丈夫なのかいね??
朝食を食べるためにホテルに戻る。
ホテルの近くでは、ホーチミンでもよく見かけた中国資本のチェーン店っぽい(テイクアウト)焼肉屋と焼き立てパン屋が客を集めていた。
中国とフランスという、中華思想を持つ二つの大国に影響を受けてきた歴史が、こんな地方都市の食生活にも浸透している。
今日の朝食は、卵料理ではなくチーズをパンにつけた。 柔らかくて美味しいチーズだったよ。 

3.カイラン水上マーケット
そして、おまちかねのカイラン水上マーケット見物である。
てっきり、カントーの船着場からボートに乗ると思っていたのだが、ホテルの前でバスに乗り込むことになった。
聞けば、カイランまでバスで行くという。 バスは、今日から合流する1泊2日のツアー客が乗り込んできてトテモ狭くなった。
合理的である。 経済戦略的である。 まったく立派な市場経済を具現した資本主義国家の一企業である。
カントーからカイランまではバスで15分程度。
7時45分に15人乗り程度のボート3台に分乗して、
このツアー3回目のボートトリップ。
1泊2日のツアー客にも日本人はいなかったが、
中国系アメリカ人が数名。
ボートに乗るとすぐに水上マーケットの真っ只中に突入。
ここの水上マーケットは日本でも有名なので、詳しい説明は割愛するが、
写真にある様に、船首の竿にぶら下げられているのが、その舟で売っている商品である。
(野菜や果物に限らず、日用雑貨も多く目にした)多くの商品を取り扱う船同士でも取引をしている。

カイランを抜けた後、我々の乗ったボートはメコン川の支流に入って、色々な村を周遊した。
(自力移動だと、ここまでは出来ないだろうなぁ・・・。)
途中、フルーツ園で休憩。
ジュースを買っただけでフルーツをサービスしてくれたが、商売っ気は無さそうな感じ。
ハンモックに揺られてうとうとし、陰干しバナナを眺めていたらひとかけら食わせてくれた。

4.カフェ
昼前にボートトリップを完了し、バスで10分ほどホーチミン方向に戻って、ツアー最後のランチ。
我らが2泊3日部隊と、今日から合流した1泊2日部隊の合同チームなので大所帯だが、大きなレストランの二階を占領して落ち着いた。
ここでも食後にコーヒーを頼んだが、相変わらずなかなか通じない。
アフリカとインドでは、難なくコーヒーにありつく事ができたし、韓国では「コピ」で十分だ。 しかし、アラスカ北端や今回のベトナムでは苦戦している。
同席した中国系アメリカ人が、「ベトナムはフランスの影響が強いから『カフェ』と言ったほうが通じるよ」と教えてくれ、たしかにその後も一番よく通用した。
私の発音を無理やりカタカナにすると、「カフィ」っぽくした「コフィ」である。

しかし、通じないといつも思うのだが、例えば日本の喫茶店で外国人がウェイトレスに、明らかにオーダーするシチュエーションで「ミニュクコヘ」と言った場合、
それがミルクコーヒーを指すことが解らない店員がいるだろうか??
ましてや、この店のドリンクメニューは豊富ではなく、私は料理を注文した後で、ドリンクメニューのページを開いて「ミルクコフィ」と言ったのだ。
解ってくれよ、ベトナムウェイトレス!!
今回は何度も、欧米人と一緒にベトナム料理を食ったが、彼らの多くは、ワリと上手に箸を扱っていた。
今時の躾がなっていない握りバシ日本人よりもマシなくらいかもしれない・・・。

5.ホーチミン生還
バスは再び、メコン川(後江)をフェリーで越えてヴィンロンに。
ヴィンロンの市場で30分の買い物休憩があったが、買いたいものは何も見当たらなかった。
ほどなく、オーストラリア資本で2000年に架けられたというミートゥアン橋を超えて、ボンサイガーデンで最後の休憩。
冬瓜の缶ジュースに興味をそそられて買ってしまったが、ベタ甘かった。

ボンサイガーデンから一時間半でホーチミンのシンカフェ事務所に帰着。
18時20分に帰り着いた時には、真っ暗になっていたのだが、それでもホーチミンはバイクの洪水である。
この日、高齢日本人女性がハノイでバイクにはねられて死亡したとニュースで報じられていたが、若い人でもこの中を歩き回るのは機敏さが要求される。

ツアーはバスを降りて流れ解散。
私はどちらかと言うとアンチツアー派だが、英語がほとんど通じない南米や、公共交通機関の乗り場が市街地から離れているベトナムなどでは、
限られた時間で多くを見るためには役立つものだと見直した。
特に今回のツアーは、コストパフォーマンスがあまりに優れていたので利用価値は高い。
18時30分にホテルANANに戻ると、あのフロントガールが最高の笑顔とカタコト日本語で、「おかえりなさい」と迎えてくれた。
5日目(11月24日) 1.サイゴンの朝
最終日はANANの屋上で夜明けを迎えた。
とりあえず、チェックアウト前に朝のホーチミンを歩き倒してみる。
通勤するバイクの群れ。アオザイ女学生の自転車の集団。
インドの様な「混沌」という印象は薄く、「熱気」という言葉の方がしっくりとする。
ベンタイン市場前の道路は、外国人にはなかなか横断できない。 現地人は迫り来るバイクに臆することなく、道路を横切っていく。

2.カフェでブランチ
デタム通りのカフェでブランチ
生春巻きを食べていると、フランス語訛英語の女の子がメニューを持ってやってきて、「それはドレ?」と、聞いてきた。
彼女のメニューのページを開いて、「このフレッシュスプリングロールだよ。」と教えてあげると、10分後の彼女達のテーブルに、それが運ばれていった。
ボリュームがあって美味しくて良いが、27,000VNDと、メインのフォーの倍以上の価格。
日本人だからこそ、スプリングロールで春巻きと解するが、基礎知識がないと英語がわかっても無理だよね?

朝食を摂った後、ホテルに戻ってシャワーを浴びてからチェックアウト。
帰国便は深夜なので、夕方までフロントで荷物を預かってもらおうと思い、なんと言って頼もうかと思案しながらチェックアウトをしていたら、
フロントの女の子が「荷物を夕方まで置いておきますか?」と、言い出してくれた。
まったく気が利くスタッフである。 今までに泊まったどのホテルよりも気に入った。

荷物を預けて夕方まで身軽なまま、ホーチミン市博物館に向かった。 やはり1分おきにバイクかシクロから声がかかる。
博物館では、現地人が本格的な写真屋を雇って、あちこちで婚礼写真を撮っていた。
どうもこれが流行のようであり、館内の博物館案内を見ても、この為の博物館利用をビジネス化していた。
どこが社会主義じゃ?? 日本の公立博物館では規制が多くてこんなことは出来まいに・・・。

3.チョロン往復
博物館を出てから公営百貨店を冷やかし、少し歩いてメータータクシーを拾った。 チョロン地区の天后宮まで38,600VND。
40,000VNDを出して、「釣りはいらない」と言ってしまったが、ベトナムに来て500VND以下の貨幣には出会っていなかったので、
400VNDがどんな釣りになるのかは少し興味が残った。

そこからはあてずっぽうに徒歩でデタムを目指す。
路上市場を冷やかしたり、電気屋で価格を確認したり・・・、異邦人するのも気楽で楽しい。 が、買いたいものは何も無い。
途中で壮大な行列に出会ったが、祭りなのか葬式なのか、デモなのか不明。 たぶん、2~300人くらいが隊列を組んで練り歩いていた。

4.スコール
あちこち大回りしたので、チョロンから3時間をかけて、14時30分にデタムに帰還。
まだ入っていなかったキムカフェに入ったら、席に座って3分もしないうちにイキナリのスコール。
歩いている間も、少しパラパラと小雨が降ってスーパーに入ったりはしたが、この土砂降りには驚くしかなかった。

南インドのマドゥライでも同じようなことがあったが、今回は乾季のサイゴンということで雨具すらも持っていなかったし、カフェで雨が上がるのを待つことに。
以下が待機中に私の胃袋に収まったメニュー。
マンゴシェーク:10,000D ミックスシェーク:7,000D クロックマダム:19,000D ミルクコーヒー:5,000D ミネラルウォータ:5,000D

それでも小一時間ほどですっかりと雨は上がり、再びベンタイン市場で土産を漁った。
ここで働く女の子達に、日本語が使える子は多い。 若いほど話せるようである。
ベトナム語に、英語に、フランス語に日本語を使いこなしている。 勘定の暗算も早く、価格交渉にも長けていた。

あたりがすっかりと暗くなったので、ホテルで荷物を回収し、ファングーラオからメータータクシーを拾って空港に。
到着時の事があったので、どの程度の金額になるのか興味深くメータを眺めていた。
メーターの上がるスピードは、百貨店からチョロンに向かったときよりも早くは感じられたが異常なほどではない。
大都市らしく盛り場が続く渋滞道を抜けて、空港まではやはり30分程度を要し、代金は126,800VND。
地球の歩き方04にある5~60,000VNDとは、やはり二倍の開きがある。

5.タンソンニャット空港
空港では暇をもてあました。
深夜の出発便が多いのだから、もう少し店を出しても儲かるだろうに・・・。
空港のレストランはゲームセンターにもなっていて、子供達がテレビゲームに興じていた。
ベトナムでの最後の食事に、ここでシーフードヌードルをオーダー。
あまり感じのいい店ではなかったが、これは美味しかった。 35,000VND=250円くらい。

隣の席では日本人女性が「入国時にもらった税関証明をなくした」と話していた。 よくあることらしい。
このレストランのミルクコーヒーは25,000VND!! 街中では4~6000VNDであることを考えると異常である!
ドンを使い果たし、ドルでそれを飲んだ私の支払額は2USD。
日本の感覚で考えると、それでも安いくらいだが、こちらの物価では6倍の価格!!
楽しみにしていたベトナム式(コンデンスミルクの上にポタポタ落ちるやつ)ではなく、カップの底にコンデンスミルクが溜まっているという、面白味の無いヤツ。

到着便が着いた時に、例のプリペイドタクシーを使う人がいるのかどうか眺めてみた。
乗車前に190,000VNDを承諾しないと乗り場に向かわないはずだろうから、どんな人が乗るのか興味津々。
艶やかなアオザイの美人がタクシー乗り場に案内するので、見ていればわかる。
結果は、一組を発見しただけで、その乗客は、どこからどう見てもアラブの富豪。 少なくともバックパックは担いでいなかった・・・。

二時間前に館内に入って、ちょっと嫌な思いをしながらチェックイン。
二階に上がって、空港税の12USDを納め、出国して免税店エリアに侵攻。 ベンタイン市場よりも、ことごとく値段が安くてがっかり。
土産を買う場合、普通に売っていそうなものであればここで購入するほうが良い。
帰国日(11月25日) ベトナム出国
旅行は充実していたし楽しかった!
メコンデルタに沈む夕日は美しかったし、原野で迎えた朝は爽快だった。
だが最後にイヤな事があった。
空港でチェックインする時に、前に並んでいたオヤジの連れ(2名)が、「一緒におらんと席がバラバラになるやろぅ」とか言いながら、私が後退りしないと
いけないほどに強引に割り込んで来た。
極めて穏やかに、「一言『入るよ』くらい言って下さいね」と注意したら、割り込んで来た方のオヤジが「ゴチャゴチャ抜かしやがって」と凄んできた。

きわめて教養の無い顔、きわめて品の無い話し方・・・。
私は腹立つことも無かった。
その人格には、その人格に見合った人生しか与えられない。 下劣な人格の最大の被害者は、隣人ではなく本人である。
こんな程度のやつらが旅行をしているのも、日本人に限ったことではないし、日本の恥とも思わない。
ただ、気分良くベトナムを離れることだけは出来なかった。

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