南インド2003

連休をフルに使ってムンバイを往復できるチケットが手に入ったので、とりあえず旅立つことにした。他は、接続がいいとは言えないインド国内線チケットと、ムンバイに深夜に戻る日の出迎ホテルだけ。
あとは、出たとこ勝負。
9日後には社会人として復帰しないとイケナイので、勝負には常に勝たないといけないのだ・・・?
出国日(8月09日) 1.成田空港へ
出発前夜に、エアチケットのみの手配を依頼した西遊旅行のキャラバンディスクから、出発が3時間ほど遅れる見込みであるという電話を頂いた。
(スミマセンねぇ・・・、格安チケットだけの客にまでキメの細かいケアをいただいて・・・。)
時はおりしも台風10号が迫っている最中で、離陸予定時刻に成田空港に最接近というのが挑戦的である。

空港についてみると、AI(エアインディア)のチェックインは始まっていたが、離陸案内は4時間遅れ。 昨夜の情報からさらに遅れたか。
チェックインをすると、成田空港内のレストランで使える、¥1,500円分の食事券が手渡された。
飛行機が遅れると、このようなサービスがあるのは知らなかったが、機内食が一食減るのかな??
その券を、嬉しそうにヒラヒラとさせながらレストランエリアに行くと、同じような券を持った人がチラホラ。
中には¥2,000円券を持つ人もいたりして、航空会社によって違うのか、ビジネスクラスなのか・・・、誰か知っている人がいたら教えてください。

2.AIのボーディング
15時30分を過ぎてようやく、ムンバイへと向かう飛行機がバンコクから到着した。
狭い待機場所に押し込められていた乗客も、ヤレヤレという感じで飛行機を見ている。
16時30分に出発とアナウンスしているが、これから、到着した人たちの降機と清掃があるのだからして、それは無理だろう。
結局、搭乗開始が16時30分・・・。 出発は、予定から5時間遅れの17時ちょうどと相成った。

3.日本脱出
出発までは手間取った飛行機だったが、離陸後の飛行はゆれも少なく順調。
本来ならバンコクを発ってから迎えるはずの夕暮れを南シナ海上空で堪能し、夜の帳に包まれたバンコクには、21時過ぎに到着した。
ここまで来ると、ようやく、息苦しい日本を脱出したなぁ・・・、と、実感出来るのであった。
1日目(8月10日) 1.ムンバイ空港から国内線でトリバンドラム空港へ
ムンバイ空港への着陸は27時30分。(日本時間だと朝の7時)
予定からおよそ4時間半遅れでの到着だったが、実は私にとっては大ラッキー!
と言うのも、私は翌朝の7時発の国内乗り継ぎ便に移る予定だったので、この遅れのおかげで、安全な機内でぐっすりと眠ることが出来たし、
乗り換え待ちも3時間半に短縮されたのだ。

ムンバイの空港は、国際線と国内線が分かれているが、エアインディアの場合は、国内線も国際空港を使用しているので便利。
ここで入国するほとんどの乗客と分かれて、トランジットの案内に従って進む。
到着ロビーから1階上の待合室はけっこう広く、通常のソファーに加えて半身を横に出来る特大ソファーも備えられていた。
国内線の出発予定は、ほとんどが定刻!!

05時30分頃、セキュリティーチェックが始まる。
この時間帯だとトランジット客ばかりだというのに、相変わらずAI は異常なまでの厳重さ。 しかし心配していた乾電池没収は無かったので一安心。
ボーディングの時にも再度の荷物検査にボディーチェック。 いやはや・・・。

2.トリバンドラム空港から、プリペイドタクシーでトリバンドラム市街へ
トリバンドラムへは、国際線からのトランジット組と、国内移動者が混ざった状態でフライトする。
私はまだ入国審査を受けていないのだが、イミグレでは、どうするのか・・・と、思っていたら、ボーディングパスの記号でしっかりと区別されていた。

空港を出たところで、まずは両替。
日曜日の朝なので銀行が開いているのか心配していたのだが、ムンバイ空港では両替ができず、「トリバンドラムでやれ」と言われていたので、
ここまではUSドルで戦ってきたのだ。
両替したら早速、プリペイドタクシーの申し込み窓口へ行ったが、なぜかガラガラ。 トリバンドラム駅までで165Rs。
金額を書いた紙を受け取って外に出ると、すぐに強面のおっちゃんが近づいてきて、「プリペイドタクシーか?」と一言。
「そうだよ」と答えると、金額を書いた紙を私の手からもぎ取り、別の、タクシー運ちゃんらしき男に渡す。

しかし、これが正規のプリペイドタクシー運ちゃんなのか、最初のおっちゃんが正規の案内者なのかはまったくわからない。
しかもタクシーには、なんだか関係なさそうなおっさんまで乗り込んでくる。
これはますます怪しい。 人気の無いところまで走ったら、二人がかりで襲いかかって来るか??

と、思っているうちに、少しにぎやかな交差点で助手席のおっさんは降車。 よくあるチャッカリ便乗のようだ。
空港からはけっこうな距離がある。 道も複雑で何度も曲がった。
まだかなぁ・・・と、思っていたらトートツに車が止まり、運ちゃんが駅だよと指したのはオンボロ小屋。
えっ?、「ケララ州の州都のメインステーションがこれなの??」と、慄いたが、駅はその向こう側で、立派な建物だった!

3.トリバンドラムでカニャクマリ行きのバスチケットをゲット
さて、カニャクマリへはバスで行こうか? 列車で行こうか? と、考えながら何気に時計を見ると壊れている!
こいつはペルーでもオカシクなったし、どうも本番に弱いタイプらしい。
とりあえず鉄道駅に行ったら、日本人大学生の一人旅がいた。 彼いわく、「この駅は不親切で、よーわからんのです。」と。
そーか、それならバスでいいやと、再び駅前のバスターミナルに戻り、カニャクマリ行きの時刻を調べると12時と15時。

15時発だと、少し遅れるとカニャクマリの夕陽を逃してしまうかもしれない。
そこに二泊もする気持ちも余裕も無かった私は、涙を呑んで、ネイピア博物館はあきらめることにする。
チケットを求めると32Rs=約90円。 おいまて、ここからカニャクマリまでは大体90km! と、すると、1km/1円か??
いくらなんでも安すぎるぞ、インドバス!!

しかし、南インドで自分が乗るべきバスを見つけるのは大変。
マリアラム語だかタミル語だかわからないが、あのクニャクニャ丸文字はトテモ解読できたものではない上にバスの台数はトテモ多い。
バスが来る場所を誰に聞いても、はっきりとした返事が戻って来ない。
このターミナルの中ならバスが来ればわかりそうだが、別のターミナル(こういったこともままある)だったら、乗り遅れてしまう。

11時45分に無事にそれらしいバスが登場。 「スーパーファースト」というワリにはけっこうボロイ。
停車したところで、窓の下から運転手にチケットを見せ、「このバスで良いの?」と尋ねると、なんだか自信のなさそうな答え。
チケットを渡したのに、「どこに行くのだ?」と聞いてくるので、「カニャクマリだよ」ともう一度言うと、「それならこのバスだ」とキッパリ。
そうか、運ちゃんは英語が読めないのだ。 このチケットは英語しか書かれていない。

4.トリバンドラムから極安トンデモ運転バスでカニャクマリ
さて、英語の苦手な運転手だが、運転はすさまじく巧い・・、というか、ゴーインである。
バスが、街中の、さほど広くない道の左カーブで、他のバスを追い抜くのである!! それも、けたたましくクラクションを鳴らしながら!
まぁ、広く知られているようにインドでは、クラクションがマナーであり、必要な自己存在主張なのだが、彼らが日本に来て運転したら、
クラクション殺人事件の被害者になるのは必至であろう。

ケララ州のケララとは現地のマリアラム語で椰子の土地という意味だが、タミルナードゥ州に入っても椰子の木が目立つ。
途中、何の変哲も無いフルーツ屋の前で休憩をしたバスは、15時少し前にカニャクマリに無事到着。
いや、無事でもないなぁ・・・。 途中で、自転車の爺さんを轢き殺しかけて急ブレーキだったし・・・。
最南端が近づいてくると、なんだか南国っぽい風景 わりと味のある岩山が見えてきて、最南端気分を盛り上げてくれる。

5.インド亜大陸最南端 カニャクマリ
バスを降りたらまずは海岸へ。 客引きもほとんどいない。
一人だけ声をかけてきたが、「宿は予約している」と、でまかせを言ったら、「あっそう。」という顔でスグに行ってしまった。
日本にもありそうな、みやげ物の軒先を抜けるとスグに海岸に出ることができる。

土産物屋の売込みを軽くかわして海岸に出ると、貝殻売りや写真屋、絵葉書屋が次々と攻め込んでくる。 こちらは手強い。
特に多くて、しつこかったのがサングラス屋で、値段は聞かなかったが何人もが顔を見るたびに売り込んでくるのだ。
ウザイので、胸ポケットに入れてあったレイバンのグラスをかけたのだが、それでもなお、サングラスを売り込んでくるのには辟易した。

ガーンディー記念堂は無料で入れるが、入場者は裸足にならなくてはならず、記念堂の前に50パイサの靴預かりがある。
あいにくと50パイサは持ち合わせていなかったので、1Rsを渡すと、釣りをよこすどころかチップを要求してきた。
「釣りもよこさずに何を言う」と抗議をすると、
靴番のオバサンの横に座り込んで話し相手になっていたオバサン2号を見ながら、「この人の分だ」と悪びれずに言う。
「日本人はカインド」だとも。
「アイム ノーカインド」と言い放って立ち去ると、受けたのか怒ったのか、「アイム ノーカインド」と復唱していた。
記念堂の内部は一貫して右回り。 場所によって回る方向は様々のようである。 上のテラスからの眺めがいい。

海岸沿いのみやげ物屋では、インド人観光客が多い為か、日本人だからといってしつこくされる事は無い。
10Rsショップや、40Rsショップなど、均一料金ショップがたくさんあった。海
岸には、焼豆屋も何人かいるが、これは試してみた。
ソフトクリーム大の新聞紙(円錐形に丸めている)に一杯で5Rs。

特に不味くも美味くも無かったが、間食にはちょうどいい。
もう少し塩味が効いていると、もっと美味しいと思うのだが・・・。

6.ホテル サムードラ
海岸を後にして、宿を確保するために(すぐ近くだが)街に戻る。
宿は、南インドに来るに当たって、鉄道のチケット事情などを教えていただいた、バンコク在住のHF氏が気に入っているサムードラへ。
トリバンドラムのイミグレでも、インド国内のステイ先として、ここの住所を申請しておいたので義理がある。
チェックインが16時頃になったためか、東南角部屋は埋まっていたが、東向きの部屋を確保することが出来た。 眺めは悪くない。

荷物を置いて再び海岸へ。
インド洋に突き出したこの岬は、聖地というよりも観光地の様相が強い。
海に浸かる人も、沐浴なのか海水浴なのか、区別が付かないし、それっぽい格好をしている人も、キャッキャとはしゃいでいる。
家族連れも多い。 あまり黄色人種は見かけないがインド人旅行者は多く、とても裕福そうに見える人もいる。
しかし、巡礼者ではなく観光客としか見えない。

ビーチロード沿いの茶屋で、評判の高い赤バナナを試してみた。 店先にぶら下がっている房から一品を選んでもぎ取るという仕組みで3.5Rs。
ティーが2.5Rsで、コーヒーが3.5Rsなのと比較すると、高いのか安いのか?? 単純なレート換算では10円程度。
確かに甘く美味しいが、日本で食べる美味しいバナナとさほど変わるようには思えない。
やはり日本は、食い物に恵まれているのかもしれない。

夕暮れが迫ると、こころなしか海岸にも人が増えてくる。 少し真剣っぽい沐浴者が、最南端のガートに姿を見せたりもする。
意外と涼しい。 想像していた8月の北緯8度は、灼熱地獄のイメージだったが、その実際は日本の夏よりもよほど快適。
雨季といっても天気は良いし、この北緯8度は避暑に良いかもしれない。

夕陽はなぜか陸地に沈んだ。
海に没する夕陽と、海から上がる朝日を同じ場所で見るために来たのに、これはヒドイではないか!!
北緯8度で、秋分から一ヶ月のずれならば・・・、
夕陽は真西からほんのわずかに北にずれるだけのはずであるが、西側の岬の緯度は、こちらとほとんど同じなのであろうか・・・。
2日目(8月11日) 1.カニャクマリの御来光
午前6時に浜に出た。
ホテルの部屋からでも朝日を見ることは出来たが、せっかくなのでインド人の集団とともにそれを迎えたほうが良い。
夜明けが近づくにつれて、どこからとも無く人が集まり、それを目当てに物売りも集まってくる。
ガートでは、沐浴をする人もいるが、
少し肌寒いのではないだろうか。

そういえば、ホテルの部屋にも蚊が出なかった。
2月頃に、この地を旅した人の話によると、
蚊と暑さに悩まされたそうだが、
8月は意外と良い時期なのかもしれない・・・。

2.カニャクマリレイルウェイステーション
朝飯前に、次なる目的地マドゥライまでのチケットを手に入れておこうと、鉄道駅まで歩いていった。 海岸からは1500mくらいか。
駅の手前でオジサンが、「電車は夕方まで無いよ」と言ったが、バスチケット売りかもしれないので、とりあえず愛想笑いで凌いだ。
さて、駅に行くと確かに夕方まで電車が無い。(曜日によってはある)
仕方が無いので、途中で見かけたバスチケット売り場でバス時刻を調べようと、再び1500mをテクテク戻る。

3.南インドのメシ事情
朝食は、昨夜の夕食を摂って、さほど旨くなかった店の隣に入った。 ここも「HOTEL」と書いているが、見た限りではただの食堂。
夕食はミールスだが、朝昼食はティフィン(TIFIN)となる。
試してみたのはペーパーローストドサイ。
薄く焼いたドサイを丸めていて、好みのルーをつけて食べる。 これは美味しかった。 コーヒーをつけて25Rs
ドサイの全長は80cmくらいだが、非常に薄いので、量としてはあまり多く無い。

4.カニャクマリ脱出
またしても国鉄を使えなかったが、気を取り直してバスチケットをゲット。
チケットを入手したのは、9時30分発のチェンナイ行き高速バスで、旅程は16時間となっていた。
「マドゥライまではどのくらい?」と、聞いたら、無愛想な切符売りは無愛想に「6時間」と答えた。
距離はルートにもよるが、マドゥライまでで250kmくらいか。 これで109Rs=300円くらい。 やはり安い!

ここのバス発着場には、雑貨屋が併設されているが、赤バナナを買ったら、なんと6Rs!
「海岸沿いの店は3.5Rsだったぞ」と抗議をしたが、「ウチのは旨い」と一蹴。 他のインド人も6Rsで買っていた。
味は変わらないが、海岸沿いのよりも丸々と太っていたので許そう。

バスは裕福そうなインド人観光客も、大量の荷物を抱えて待っていた。 高そうな腕時計をしている。
バス待ち客目当ての物乞い(「バクシーシ」と言わず、直接的に「2Rs!」と言う。 もしくは口に手を運んで「マーマー」)とも。
私よりはそちらに力を注いでたかっていた。

5.バス移動
バスは定刻に車庫から出てきて5分遅れで出発。
いったん、バスターミナルまで行き、(誰も乗ってこなかったが)再び舞い戻って、メインロードをトリバンドラム方向にひた走る。
バスは鉄道とは違って、まっすぐに北上すると思っていたのだが、約30分で、来る時にも通ったナガルコイルの巨大ターミナルへ。
「ここでタミル文字の表記の目的のバスを見つけるのは、日本人には難しいだろーなぁー」と思いながら、窓の外の物売りを無視する。

トリバンドラムからカニャクマリに移動したときと同様に、このバスも大音量のクラクションを武器に、歩行者やリクシャーを追い払い、
街中でトラックや、他のバスに追越をかけながら、やたらと飛ばす。 どうして重大事故がおきないのか不思議なくらいである。

ナガルコイルを過ぎて程なく、有名な発電風車群が見えてきた。
写真では巧く取れなかったが、すさまじい量の風車である。 このあたりは一定方向からの強風が安定して吹くのかな??

昼前に、大きな近代的バスターミナルに到着。
トイレに行くと、「×××1Rs、△△△2Rs」と書いた看板の前にトイレ番がいた。 「きっと、大小で値段差があるのだろう」と、
1Rsを払うと、「それじゃぁダメだよ」という風にトイレ番が左右に首をかしげる。
実はこれが、この地の「ドウゾ」というジェスチャーなのだが、日本人はちょっと困惑する、馴染みにくいかもしれない。
あまり空腹感は無かったが、せっかくなのでフルーツ屋でバナナを仕入れる。
その後、乗ってきたバスの写真を撮っていると、そのフルーツ屋の男の子が2Rsを渡しに来た。
「釣銭は確認したハズだがなんだろう・・・。」といぶかしがると、ジェスチャーで、付いて来いと言う。
店に着くと、「写真を撮ってくれ」と・・・。
「そうか、それが2Rsの意味か」と写真を撮ったが、住所を教えてくる風でもない。
ただ単に写真を日本人のカメラに残したいがために、2Rsを払ったのであろうか??
オジサンには英語が通じたので、「写真を送るから住所を教えろ」と手帳を差し出したら、なんだかモタモタしている。
どうやら英語はかけないらしい。(コピーを封筒に貼るから、別にタミル文字でも良かったのだが。)
顔見知りらしい人が、住所を聞きながら、私の手帳に英語で住所を書いた。 
字が汚いので解読できないから、そのままコピーをして封筒に貼って出すつもりだが、無事に着くのかな???
この騒ぎでてこずっていたら、危うくバスに置いていかれるところであった。
場所はバスターミナルだから、次のマドゥライ行きを見つけるのに訳は無いが、そのバスには荷物を残しているのでトテモ焦った。

6.マドゥライ到着
12時半頃に、ドイナカの店で昼食休。
30分ほど停車している間に、次のバスがやってきて、先に去っていったが、その中に日本人らしい男がいた。
こちらには気づかなかった(か無視した)様子。
いかにも、「3ヶ月くらいインドを放浪してまっせ」という風体をしていた。
休憩した店はレストランと茶屋と雑貨屋の合体版みたいな感じで、
離れには有料トイレもあったが、みんな立ション。
マドゥライは、いったん街の東方を通り過ぎてから、少し戻るような感じで、街外れの新バスターミナルに15時半頃に到着。
なるほど、カニャクマリから6時間である。 あの無愛想切符売りは正しかった!!
バスから降りると、リクシャーワーラーが群がってくる。
結局、70Rsで、マドゥライのジャンクションRSまでとなったのだが、少しボラレタかも知れない・・・。

7.チケットが取れない!
駅に到着したら真っ先に、チェンナイ行き夜行寝台の席の確保に走った。
もし今夜の席が確保できれば、大急ぎでミナクーシとマーリアンマンだけを見て回っても良かった。
が、エンクワイリーで調べてもらったところ、今日のチケットはすべて埋まっているという。(ホンマカイナ??)
明日の列車も、22時20分発の6122EXP.しか空いていないらしい。 エアコン2Aクラスだったからか?

今度は窓口に並んで寝台のチケットをゲットしたが、最高級のこのチケットで終点のチェンナイまでだと、全込895Rs. 
ようやく手に入れた、チェンナイまでの寝台券 これ一枚ですべてOK!
チケットを確保したので、急がないことにした。 マドゥライを見る時間は、明日の日中の丸一日。
駅から出ると、リクシャワーラー、タクシードライバーが次々に声をかけてくる。
地理感覚の無い街で、当ても無くクルマに乗るのは抵抗感があったので、
駅から見えるホテルを指して、「あそこを予約している。」と、キッパリ言ったのだが、
それでも一様に、「10Rsでいい」と、たたみかけてくる。

そんな経緯だったので、本当に駅から徒歩5分のスロチャナ・パレスに投宿。
レセプションに行くと、インドらしくなく、ずいぶんと整理された「部屋機能別価格表」が出てきた。 エアコンルームで500Rs。
109号に案内され、部屋を確認したが、ホットシャワーも順調で問題は無い。

一休みして、18時過ぎにミナクーシ寺院に徒歩で向かいかけたが、西門に付いたあたりで雨がポツリ。
傘を持っていなかったので観光を明日に回して、10分ほどでホテルに戻ったが、部屋に入ってまもなく本降り。 さすがに雨季である。
一時間もすると、雨はほぼ上がったので近くのレストランに晩飯を食いに行く。
本当は、スロチャナの中にレストランがあると思っていたのだが、それは近くのスプリームと勘違いしていた。
でも、このホテルも悪くは無い。 出かける時にルームキーとの引換証をくれるので、なんとなく安心である。

ホテルの前の道は、先ほどの雨で水浸し。
未舗装なのに水はけは悪そうである。 とても微妙な匂いが漂っているが、選んだレストランのミールスは旨かった。
腹いっぱい食って82Rs なかなかのお勧めである。
3日目(8月12日) 1.マドゥライ ミナクーシ寺院
チェックアウトの前に、駅とホテルの周辺を歩き回る。
駅に一日10Rsの荷物預かりがあったので、チェックアウト後でも、ここに荷物を預ければ身軽に歩ける。
通りかかるたびに、駅前のタクシー運ちゃんから声がかかるが、「すぐそこ、すぐそこ」ですべてしのいだ。
ミナクーシ寺院は入館無料。 カメラ持ち込み料がかかるようなことが
「歩き方」に書いてあったが、それもなかった。

うっかり入ろうとすると通りすがりの人を含め、複数人から「靴はダメ!」と
大声がかかり、西門前の土産物屋に預ける事に。

2.マドゥライの街角
インドの街ほど、「混沌」という言葉が適したものはないかもしれない。
街には、人と車と動物と、ゴミと死体が共存? している。 ノラ牛が歩く横をリクシャーが通り行き、バスがクラクションであおる。
スピードと停滞・・・ 裕福と貧困・・・ ありとあらゆる不一致が共存する。
細い路地の市場に足を踏み入れたが、臭いがすごい。
魚屋、肉屋、鶏屋、雑貨屋・・・、ころがっている人もいる。
ここで何かを買ってみようかという気はおきなかった。

広い通りで絞りたてのりんごジュースを飲んだが、これは旨かった。
気さくな親父が色々と話しかけてくる。
その後に、腕時計を900Rsで購入(安いものは600Rsくらいから)。
インドのメーカーのTITAN製で、保証書付き。 ところが、15分も歩かないうちに止まっているのに気が付いた。
急いで店に戻って突きつけると、奥でごそごそしている。 5分ほどで再起動したのを持って出てきた。
「どうして止まっていたのだ?」と問い詰めると、「バッテリー切れだ」と事も無げに言う。
「今度は新品のバッテリーを入れたのだろうな?」と問うと「もちろんだ!」。
まったく、油断もすきもあったものではない。

3.マーリアンマン池
ジャンクション駅からオートリクシャーで35Rs。 騙されて別の場所で降ろされながらも、せっかく来たのに水は干上がっていた。
徒歩で中央のパビリオン渡れるが、草の上は牛の落し物に気をつけて歩かないといけない。
中央には、家族連れや昼寝をしている人がゴロゴロとしていた。
浮浪者風の男に、持っていた水を少しくれと言われ、ペットボトルをそのまま渡した。
シーズンによっては、ここが水で満たされる(らしい)。

4.車両はどれじゃ? 席はどこじゃ?
暗くなってきたので駅に戻る。
出発は22時過ぎだから、時間はまだまだある。 荷物は直前まで預けっぱなしにしておいた。
列車の到着予定時刻は、駅内に二箇所ある電光掲示板に、タミル語だけではなく英語でも表示されるので心配は無い。
しかし、電光掲示板のタミル語というのは、トテモ違和感がある。
欧米人が日本の電光掲示板の、漢字やひらがなを見ても同じように違和感を覚えるのであろうか??

夜になっても、人の出入りは激しい。
時刻掲示板によると、中・長距離急行(EXP.であったり、MAILであったりする)は、一日に34本。
しかし、マドゥライ始発や終着、行き先の方向に関係なく、ごっちゃに書かれているので見づらい。
列車番号は基本的に4桁で、この駅を使う列車は、1000番か2000番か6000番台。 しかし、679番と680番の3桁急行もある。
ローカルは300番台か700番台の3桁で26本。

5.合格発表のような乗客表
一旦外に出て、夕食をとってから駅に戻ってきたら、昨日の下見時と同じようにリザベーションシートが貼りだされていた。
紙に、コーチNo.とシートNo.が書かれている。 南アフリカと同じようなシステムだ。
列車別に貼られた紙から自分の名前を探していると、なんだか入試の合格発表を見ているような気になる。

が、自分の名前が見つからない!! すべったか!?(ちがうって!!)
大慌てで、ジェネラルエンクワイリーに行くと、「チケットに書いているからそれでいいのだ」と、一言。
よく見ると、判りにくかったが確かに書いている。
コーチNo.=H1、シートNo.=16
あとは列車を待つのみである。

と、電光掲示板が停止している。
これを見ないと、プラットホームナンバーがわからないではないか! どうしてインドは次から次へと事が起こるのだ・・・。
立って記録を書いていたら隣に男が来て、(夜だっちゅうーに)「今からバックウォーターツアーに行かないか?」と営業。
チェンナイ行きの席を確保して、列車を待っているところだよというと去っていった。

座って手帳に記録を書いていたら隣に男が来て、暗い声でボソボソと何か難しいことを言ってくる。
政治っぽい話だったので、「英語はわからん」と英語で言うと、次に男はブッキングオフィスから戻ってきた男に話しかけて相手にされず、さらに別の、
旅行者風(と言ってもみんなインド人)の男に長く話しかけてコインをもらっていた様子。

6.車両はどれじゃ? 席はどこじゃ?
22時。 電光掲示板が止まったままなので、ジェネラルインフォメーション横のコンピュータ端末で、列車の運行状況を確認する。
乗るべき6122EXP.は、0:3遅れでマドゥライに向かっているとのこと。
一般乗客が端末で、こんな情報を見られるのはスゴイことだが、「0:3」とはナンジャラホイ??
3分遅れなのか、30分遅れなのか、はたまた18分遅れなのかわからない。
22:05に、プラットホームナンバーを聞いて、一番線に入ったが、コーチNo.H1というのがよく判らない。

ホームには列車の編成表や、列車毎のコーチが丁寧に案内されているのだが、6122EXP.のH1(又は2A)という表示だけが無い。
ホームにはレストランや売店が充実していたが、それを楽しむ余裕も無く、人に聞きまくってはホームを走り回った。
偉そうな人に聞いても、「前の方だ」くらいしか言わない。

そうこうしている間に、20分遅れで列車が到着してしまった。 やはり2Aがない。
とりあえず3Aに飛び込んで、中の車掌には見えなかったが係員らしい人に聞くと、一つ前だと言う。
停車時間は10分はあるはずだが、遅れているのでそれも怪しく、大慌てで一つ前に。
そこは車両の表示によるとFIRSTだったのだが、2A=FIRSTだったというわけですね。 判りにくい!!
再び乗務員に聞いて、16番シートも無事に発見。

安心して荷物を片付けていると、すぐに列車が動き出し(危なかった!!)、ほどなく検札も来た。
4人のコンパートメント(扉は無く、カーテンで通路から仕切られているだけ)の他に乗客はいなかったので、車掌に聞いてみたが、
他にも乗客は乗ってくるようなことを言う。
(でないと、昨日から数えて8台目のこの列車しか、予約が取れなかった理由がわからない)
次の駅に着く前に、その客はやってきて、すぐに電気を消すように求めてきた。 寝台は快適で、あっという間に寝落ち。
4日目(8月13日) 1.チェンナイ エグモア駅
午前6時前に目が覚めたが、外はまだ暗い。 下の寝台の乗客は、まだ眠っている様子である。
窓が小さく汚いので、車窓の風景を楽しむことも出来なかった。
7時前に下段の乗客も目覚めたようだったので、「そっちに行ってもいい??」と、寝台の上段から声をかけたら、愛想のいい声が戻ってきた。
昨夜、入ってきて自分の準備が出来たとたんに「電気を消してくれ」と言った時の印象とはずいぶん違った。

チェンナイの警官らしい。 朝になってやってきた車内販売から、コーヒーを御馳走してくれた。
その時の、車内販売とのやり取りを、「あれはタミル語なの?」と聞いてみたら、「そうだ。」と言う。
「ヒンディー語も話せるの?」と聞いてみたら、「さっぱり判らん。」と一言。
やはり、インドの標準語は英語である。

「どこに行くんだ?」と聞くので、計画が無かった私はでまかせに、「コヤム・ベトゥー・バススタンドから、マハーバリプラムに向かおうと思っている。」と答えたら、
「俺のジープでバススタンドまで送ってやるよ。」と言ってくれた。
その親切には感謝したが、その前にエアインディアのオフィスに行って、リコンファームをしないといけなかったので、丁重に辞退した。
8時10分に駅に到着。 警官とは握手で別れ、改札を出る。 出口では、おでこのヒンドゥーマーク(何て言うのかな?)の無料サービスも行っていた。

朝食は、駅前の食堂で。
マトンサンドイッチを頼んだのにいつまでたっても出てこない。
準備が出来ていないという風なことを言ったつもりらしいが、私には通じていなかった。 そこで朝っぱらからマトンカレーを、ナン付きで頼んだ。
さらにコーヒーにバタートーストを付けて57Rs。

駅からオートリクシャーでエアインディアのオフィスへ。 交渉したが30Rsから値引けなかった。
9時25分に、オフィスに到着。
オフィス前には強面の門番がいたが、リコンファームだと言えばあっさりと通れる。
しかし、9時30分の開始前なので、オフィス側の席には誰もいない。
すでに5人ほどが待っていた。

2.マハーバリプラムへ
リコンファームでは、前夜に泊まるホテルの住所が必要だった。
そういや、確かにそうだ。
日本に戻る国際線に乗る前のムンバイのホテルは決めていたが、今夜の宿泊については、宿どころか街も決めていない。
仕方が無いので、列車の中で警官に話したマハーバリプラムのホテルの中から、良さそうなところを指し示した。
受付のおねぇちゃんは、日本語の本を興味深げに眺めていた。(ホテル名と住所は英語で書かれている。)
こうなれば、もう行くしかない。

エアインディアの前で待機していたオートリクシャーに、「コヤム・ベトゥー・バススタンド」と言ったら、値引きが聞かず「100Rsがミニマムチャージだ」と強気。
結局こちらが折れて乗ったが確かに遠い。 30分近くかかった。
運転もうまく、道にも詳しく、上手に裏道も活用していたので、スタンドに着いた時に「グッドドライバー」と言って105Rsを払った。
バススタンドは、やはり近代的で清潔な印象。
バスチケット売り場は見当たらず、どうやらバスの中で買うのが普通らしい。
見ると、マハーバリプラムに行くはずの188Aが動き始めていた。 表示はタミル語なのでよく判らない。
乗り口の車掌に、「マハーバリプラム行きか?」と確認すると、そうだと言うので飛び乗った。
マハーバリプラムは、現在はママラープラムという名前に変わっていて、道路の行き先表示などはママラーになっているが、マハーバリの方が通りがいい。
車内で集金に来た。
15Rsだと思っていたのだが、20Rsを払っても釣りが来ない。
「なんで?」と言う顔をしていると、「道の通行料が別にある」様なことを言っていた。 実際に15Rs以外の(数字を描いていない)紙片ももらっていた。
しばらく走ると左の車窓にベンガル湾が見えてきた!

3.マハーバリプラム
バススタンドから1時間40分でマハーバリプラム。
これだけバスに乗り続けて60円というのは、やはり異常に安いと言うべきであろう。
バススタンドに着いたら、客引きが来たが、ここはエアインディアに教えておいたバワン・アネックスに向かうしかない。

バワン・アネックスは手入れの行き届いた中庭を持つ瀟洒なホテルだ。 エアコンルームで、税込み660Rs。 ちなみにエアコン無しだと440Rs。
さほど暑くは無いので、エアコン無しでも快適に過ごせるかもしれない。
 
4.岩山の遺跡群
荷物を部屋に置くと、早速、クリシュナのバターボールに向かった。
こっちは照り返しも強くて暑い!! 少し部屋で涼んできたほうが良かったかもしれない。 その為に、220Rsを余分に払ったのだに。
バターボールは確かに不安定に見える。
後方に写っている人間を見ると、この岩がどれくらい巨大であるかが一目瞭然である。
岩の左下に写っているのは、避暑に来たらしい野良犬である。

この岩山はバターボール以外にも、岩を掘り込んだ遺跡が多く、あちこちに点在している。
ついでに書くと、ジモティらしいアベックもあちこちに点在していた。
適当な木陰が多いせいだか知らないが、とても目立つ。
どうやら、デートコースになっているらしい。
「アルジュナの苦行」と呼ばれる巨大な壁画を見ていると、押し売りガイドの爺さんがやってきて、「歴史を話そう」と言い出した。
「自分は英語が苦手なので、どうせ半分も理解できないから結構だ。」「それについて述べた本も持っている。」と断ったが、「ゆっくりしゃべるから大丈夫だ。」
「おまえはきっと理解できる。」と食い下がる。
結局は拒否を通してその場を離れたのだが・・・、困ったことにその爺さんの英語は、とても良く理解が出来た。
言っていることが完璧に判ったのだ。
なんだろう??? 私が英語を得意としないことは真実なのだが・・・。
この遺跡(岩山)には野生の動物も多い。 食料が豊富そうには見えなかったが、餌をやっているのかな??

そして、ついにやられてしまった。 押し付け売りの高額ボラレである。
遺跡から降りてきたときに男が、石の玉(野球ボールと同じ大きさ)に精巧な彫り物をした物を持ってきて、「800Rsで買ってくれ」という。
「自分で彫り上げたのだ」とも・・・。
一旦は振り切ったのだが、もう一度、偶然に会ったら、また言い寄ってきた。 確かによく出来ているが、言い値は危険だ。
「そんなの10USDがいいところだよ」と言ったら、「10USDは厳しいが11USDなら」と食い下がる。
つい日本の感覚で、これが1300円ならいい土産になるかと買ったのだが、後に店を構えた土産物屋で、275Rsで発見してしまった。
やはり、こういうものは買わないに越したことは無い。
そう考えたのがよくなかったのか、実はこのボールは最後に私を呪ったのである。

5.海岸寺院 世界遺産1984
岩山の遺跡を後にすると、そのまま海岸に出てベンガル湾を眺めに行った。
タクシーに乗って慌しく、パンチャ・ラタに行っても良かったのだが、のんびりするためにインドに来たので、あれこれ回るのはやめることにしたのだ。
海岸に出る手前には、多くの石細工店が軒を並べていた。 大規模な有料公衆トイレもあった。
ベンガル湾は波が高い。 沐浴だか海水浴だかわからない遊泳者も何人かいたが、きっと泳ぎに来たのだろう。
その脇の、海岸寺院は有名な世界遺産であるが、私が行ったときには修復工事を行っていて、残念ながら絵にならなかった。
やはり、1300年の風雨は、厳しいのかもしれない。
海岸寺院の海側の岩浜を回ってホテルに戻ろうとした時、民家の脇から男が近づいてきて、「グッドヘロインがあるよ」と一言。
「いらねぇ」と振り切ったが、こんなのどかな村でも、観光地はやはりこうなのか・・・。

6.再び岩山へ
いったんホテルで暑さをしのいで、夕方を待ち、再び岩山に登った。 昼よりも物売りが増えてきている。
バターボールは相変わらず、不思議な不安定を保っている。 まぁ、誰の人生も、あの程度には不安定なものかもしれない。
一番高いところに登ると、西側に農家が見えた。 牛が草を食んでいる。
緑に囲まれた萱葺き(かな?)の家を眺めていると、やっぱりアジアなんだなぁ・・・と妙に納得してしまう。
途中でガスが湧き出したために、夕陽は今ひとつ冴えなかった。

日没を待っていると、先ほどしつこかった物売りが、フランス女を案内しながらやってきた。
私のすぐ近くで大声を出したので何かと思ったら、少し離れたところに、フランス女の友人2人が歩いてきていて、ガイドと一緒にいた女の子が、
「そっちじゃない」と道を教えたのだ。
道を教えられた2人は、「別の道から行くからいい」と言うようなことをフランス語らしき言葉で答えていたが、先に来ていた女の子は不服そうであった。
冴えない夕陽を見送った後、ホテルに向かって道を戻ると、さっきの物売りが息を切らして「2人のフランス女性を見なかったか?」と聞いてくる。
「さっき、近くにいたじゃん。」と答えると、「その2人がどこかに行ってしまったんだ。」と困惑しているのだ。

それで判った。
私は物売りには何も言わずに離れたが、女の子2人はとっととホテルにでも戻ったのだろう。
誰だって、観光地の押し売り物売り男をガイドに仕立てて、案内をさせたら、普通の感覚なら呆れるだろう。
2人の賢明なフランス女性は、一人の友人を見放して自分達の時間を楽しんだのだ。

7.ホテルの横の土産物屋
ホテルにチェックインをする前に、隣の土産物屋の男の子が「ちょっと覗いて行ってよ。」と声をかけてきていた。
興味深い置物屋だったので「後で行くヨ。」と答えておいたことから、夕食後に約束を果たしに行くことにした。
店に行くと、14~5歳に見える その男の子が一人で店番をしていた。

店の前に陳列している石細工などを眺めていると、「奥に入ってよ」と、嬉しそうに招き入れてくれた。
インドの神の像や、このあたりでよく見かける石の彫り物が所狭しと陳列してあったが、石彫りの象の中に石彫りの象があって、またその中に石彫りの象が
入っている物が気になった。(もちろん、普通の石から掘り込んで行ったのだ。)

価格は高くは無かったが、日本に持って帰るまでに割れそうだったので、買うのは諦めた。
なんやかんやと、1275Rs分の物を選んで、「900Rsで買おう。」と言ったら、「1050Rs」と言ってくる。
さすがは子供。わかりやすい交渉だ。 「おっしゃ、1000Rsちょうどだ。」で商談成立。

交渉の後「HAPPYか?」と聞いてくるので、「HAPPYだ。君は?」と聞くと、少年は嬉しそうな顔で声を潜めた。
「実は・・・、あなたが僕の始めてのカスタマーなんだ。」。
嬉しくなった私は、「オメデトウ」と何度も言った。
すると彼は、「これはビジネスではないのだけれど・・・、」と言葉をついで、「僕の家に泊まりに来ないか?」と。
これは丁重に辞退したが、嬉しいエピソード。
5日目(8月14日) 1.ささやかなウソ
マハーバリプラムでの食事はすべて、宿泊したバワン・アネックスのレストランで摂った。
ここは木を基調にした、落ち着いた雰囲気のあるレストランである。
盛り付けにもインドらしからず気を使っている。 朝食のフルーツサラダも、グリーンサラダも色合いが良く食欲を刺激する。
料理の写真を撮ったりして、少し気恥ずかしかったのだが、店内の写真も撮っておきたくなったので、店員に声をかけてみた。
「実は私は、日本のマガジンライターなのだが、店内の写真を撮ってもいいかい?」
反応は、アフリカで試した時と同じであった。

「もちろんだとも!」「おっと、こちらからのアングルも悪くは無いぞ!」
左の写真は、そうやってリクエストをされたものである。
右上の、神々の肖像画を写し込むようにと、注意深く指示まで受けた。

私はマガジンライターではないが、こうして不特定多数に情報と写真を提供しているので、
許される範囲の、ささやかなウソだと笑って済ませる事にしよう。

2.ベンガル湾な ひと時
チェックアウトをする前に、もう一度だけベンガル湾を眺めに行った。 50人くらいは浜でくつろいでいた。
夜中にかなりの雨が降った様子で、道はぬかるんでいた。 午前8時過ぎだと、ほとんどの店は閉まっていた。
しばらく、朝の浜辺のまったりとした時間を楽しんだ後、ホテルに戻って8時40分にチェックアウトした。
空港行きのバスは9時。 ところが、ふと気が付くと、待合所から少し北よりの空き地にすでに来ている。 そして満席近い。
出発はなんと5分前。 遅れるのも困りものだが、早く出るのもどうなんだろう??

3.チェンナイ国際空港へ
観光地から国際空港行きのバスなので、それらしい雰囲気かと思っていたらとんでもない。 完璧な「地元の足」であった。
外国人なんて私一人。(まぁ、珍しがられる風でもなかったが・・・。)
中学生くらいの年代の通学生と勤め人風がほとんどだった。
バスは(入り口に人がぶら下がったままで走るような)超満員になったり、
駅で大量に人をおろして、車内を歩く余裕が出来たら車掌が切符を売りにきたりしながら、途中から大通りを走るようになる。
11時頃にタンブランムの街を通過。 夜行列車で、チェンナイ・エグモアの前に停まった最後の駅だ。

そこで、「もうそろそろかなぁ・・・」と、思っていたら、イキナリ車掌が私に向かって、「空港だぞ」と叫ぶ。
二つのことで驚いた。
一つ目は、空港が終点だと思っていたのに、私以外には乗降が無く、何の変哲も無いバス停であること。
二つ目は、空港らしい建物も表示もまったく見えないこと。

「ここがそうなの??」と念を押しても、「そうだ」と言うので降りるしかない。
降りたとたんにリクシャーが声をかけてくる。 「どこまでだい? 空港なら20Rsだよ!」と・・・。
ここまでの経験上、南インドではあまりボラナイのだが、それでも念のために、「空港はすぐじゃないか」と知ったかぶりをしたのだが、
「いや、けっこう遠い!」と、道が大回りしているようなジェスチャーまでつける。

土地勘がないことは不利である。 「そうなのか・・・」と、つい乗ってしまった。
結論は、木立ちで建物が見えなかっただけで、空港は実に近かった。 5分もかからなかったはずである。 余裕で歩ける距離だ。
いっそうのこと、10Rsを投げつけて去ろうかとも思ったが、30円のことでもめるのも大人げ(日本人げ)無いので、20Rsを突き出し、
「やはり近いじゃないか」「10Rsでも十分だ」「ふざけやがって」と、思いっきり毒づいてワーラーを睨み付けておいた。

4.運命のアップルジュース
一息ついたら、タンブラの街に出ようかとも思っていたのだが、暑いし、かったるくなったので空港で時間をつぶすことにした。
AI は、やはりここでも、国内線もインターナショナルターミナルにカウンターを構えている。
あきれたことにこの空港は、チェックインが始まらないと、建物の中に入れない。
国内線ターミナルは20Rs、国際線は50Rsで入場券を買えば、入ることは出来るのであるが、券を買っている人はいなかった。

なんとなく外をウロチョロとした。 リタイヤリングルームもある。
遅めの夕食は、国際線ターミナル側の、AIオフィス横のエアコンレストランで、ミニミールスを試した。
特に美味くも不味くも無かったが、勘定が合わないので理由をたずねたら、表示価格は非エアコンエリアで食べた場合で、
エアコンエリアで食べた場合は、明確な表示は無かったが、約3割高になっていた。

再び、外の待合ベンチに座ったが、ここの空港周辺はハエが異常に多く不快だった。
暑いので、二度ほど国内線ターミナル側の売店で、アップルジュースを飲んだ。 空港ビルにへばりつくように立っている屋台である。
このジュース、すごく冷えていて実に美味かった! 何杯でも飲みたい美味さだった。
しかしこれはお薦めしない。 10時間後のあれは、きっとこいつが原因だから・・・。

空港の建物から外に出る手前には、プリペイドタクシーのチケット売り場が見えた。 外に出てすぐの左手ではHOTEL予約センターも営業をしている。
この体制なら、チェンナイ空港に夜遅く到着する場合でも安心出来そうである。 ただし、のどが渇いていても、アップルジュースは飲まない方がいい。

5.ムンバイへ
エアインディアのチェックの厳しさは、国内線と言えど変わりはない。
チェックインをした後に二度のボディーチェックを受け、最後の待合室はトイレしかない部屋だった。 せめてコーヒーくらいは飲ませろや。
マハーバリプラムで土産に買った石の彫り物は、どれもX線では大きな影になって写っているので、私の目で見ても怪しく、
荷物(私の場合はすべてが機内持込)は、徹底的に調べられてしまった。
搭乗の直前に、搭乗口がGATE3からGATE4に変更になって、早く来た者から順にGATE3近くに陣取っていたために混乱した。
フライトは少し遅れたものの、概ねスケジュール通り。

6.深夜の水鉄砲
ムンバイへは、ほぼ定刻に到着した。
ムンバイへは、夜遅くに到着する予定だったことから、日本で空港までの出迎えと、一泊だけのホテルを予約しておいたので安心感がある。
日本から予約できる限りで、出来るだけ安価なホテルヘリティジ。

その出迎えとは空港を出て程なく合流でき、深夜でも込む道を1時間弱ほど走って、目的のホテルには22時30分に到着。
ホテルはインターネットで写真を見ていた通りの外観だが、内装は少しくたびれ気味だったかもしれない。
朝食付きで一泊1950Rs。 ここまでに南インドで三泊した合計よりも高く、日本のビジネスホテルと大差が無い。
翌日はインドの独立記念日なので、大荷物を抱えてウロウロしたくも無く、当初の予定通り、チェックインをした時に連泊を申し込む。

夜23時30分。 そろそろ寝ようと何気なくトイレに行って、念のために座るほうの便器と対決したら、思いがけず水鉄砲だった。
腹痛は無い。 吐き気も無い。 特に下痢の症状らしいものもまったくなかった。 ただ、出そうとしたら水だったという訳である。
思い当たるのは10時間前に飲んだ、あのチェンナイ空港の、2杯のアップルジュースしかない・・・。
6日目(8月15日) 1.一日ベット
朝も変わらず水鉄砲。
今までインド、アフリカ大陸や南米をずいぶんと歩き回っては、警戒も無く色々なものを飲み食いしてきたが、これが初めての経験。
ただし、やはり腹痛も無く吐き気も無く、どうしようもない便意があるわけでもない。 我慢しようと思ったらいくらでも出来そうである。

しかし、今日は丸一日を部屋で過ごすことにした。
もともとムンバイは好きな街ではないし、インド門くらいには行くつもりだが、独立記念日に人ごみに行くのは避けるつもりだったので、あっさりと決めた。
余談だが、この10日後の8月25日に、ここムンバイのインド門で大きな爆弾テロがあり、もう一ヶ所と含めて40数名が死亡したので、この警戒はけして
的外れではなかったことになる。
ホテルの近くでは、暴動が起きたのかと思うような大音響の記念祝典が繰り広げられていた様子。
夕方になって、一度、外に出ようと思ったが、外を見るとバケツをひっくり返したような雨。 ムンバイの8月は、東京の6倍の降雨量がある。

一泊1950Rs(朝食つき)のこの部屋で、テレビを見てすごした。
クリフハンガーと懐かしきナイトライダーが放映されていて少し楽しめたが、多くのチャンネルは今時インド風の男女のクニャクニャ踊りで、
楽しめるチャンネルは、さほど多くはない。

2.バイキューラステーション
ホテルの近くにバイキューラ駅があり、
周辺には市場がひろがっている。

夕方に少しだけ散策。
ここもフルーツは豊富である。
しかし南インドから回ってくると、
購買意欲がなくなる価格。
市場の臭いは、いずこも同じ。(匂いではなく、臭いという漢字を当てているのは意図的である。)
雨の後は、道はぬかるんでいるが、泥に触れながら売られている食い物もある。 それは、私は個人的には十分に許容範囲内だが。
鶏を大刀で、バッサバッサと捌いている肉屋が豪快でよかった
7日目(8月16日) 1.インド門(節食制限は続く)
ホテルの近くのバイキューラ駅から、セカンドクラス5Rsで、CSTに出た。
CSTというのはインド南部からの多くの列車の終着駅であり、ムンバイ2大ターミナルの一つ。
駅の近くに待機していたタクシーにインド門までの値段を聞くと、
20Rsだと言うので、値引きもせずに直行した。
左の写真が、8月25日に爆弾テロに遭ったインド門の8月16日の姿である。

インド門は海に面して立っている。
アラビア海を眺めるのはトリバンドラム以来。
こういう観光地にはやはり、次から次へと、「2ルピーくれ」が登場する。
いい服を着ている人間も珍しくない。
南インドではテキトーに与えてきたが、ムンバイでは一切を無視することにした。
通りの向こう側には、豪奢なタージマハルホテルが聳えている。
結構離れているのだが、25日のテロでは、このホテルの窓も壊れたというから、かなりの破壊力の爆破であったことがうかがい知れる。

インド門からの帰りは、セントラル地区を歩き回ったが、特に収穫は無かった。
土曜日の午前中だったためか、閉まっている店も多くて、目ぼしい土産物屋も見つからず。
知識として知ってはいたが、ムンバイ中心部にはオートリクシャーはまったくいない。
タクシーはごまんといたが、やはりインドの街角にオートリクシャーがいないというのは物足りない印象である。
大通りではさほどでもないが、一歩わき道に入るとインドの臭いが戻ってくる。
昼前に、CSTに戻り、バイキューラまでの切符を買ったが、今度はなぜか10Rs。 うっかり払って後から気が付いたが、ナゼだ!?インド!!

ホテルに戻るとまもなく大雨。そしてチェックアウトの12時には晴れ上がっていた。
今回の旅では何度もスコールに遭ったが、間一髪で傘は使わずにすんでいる。
この間もこの後も、水以外は何も口にしなかった。 体調はすこぶる良いが、飛行機で頻繁にトイレに行くのは面倒だし・・・。

2.空港へ
チェックアウトをするとレセプションが、「空港までならタクシーを呼びましょうか?」と言ったが、ホテル前で列を成しているタクシーに乗った方がよほど早い。
「危ないの?」と聞いてみたら、「問題ない」と答えるし。

ドアボーイ(と言っても中年男だが)は、頭にターバンを巻いて髭を生やした典型的なシーク教徒。
今までのすべての分として、10Rsを渡してホテルを後にした。
タクシーは向こうから声をかけてくる。 空港まで300Rsは、セントラルからならともかくバイキューラからなので、少し気前が良すぎたかもしれない。

車に乗るとまた、チャッカリ便乗男が登場。 気さくに話しかけてくるが、いったいナンなのだ??
この男は10分ほど走った交差点で降りていったが、今回のインドで初めてのタクシーと最後のタクシーにチャッカリ便乗。
空港に近づくと、6年前と同じくスラムっぽい家が増えてくるが、かなりマシになってきたようにも感じた。
しかし路上生活者は多く、素っ裸で大通りに大便をしている子供が目を楽しませて、否、驚かせてくれた。
およそ50分でインターナショナル空港。 外観は6年前と変わっていなかったが、内装は少し綺麗になったような気がする。

荷物検査は相変わらず厳しい。
マハーバリプラムで購入した石の彫り物の一つ、押し付けボラレタ、ボール型の土産は、手投げ弾に似ているという理由で(ぜんぜん違うぞ!)、
危うく没収されるところであった。
「冗談じゃない! 500Rsも出してボラレタのだ!」「ただの石っころだよ。」と、モーレツに抗議をしたら、成田で返されることになった。
「成田に着いたら職員に聞け」と言う。

3.日本へ
成田行き308便のチェックインの時刻が近づくと、どこからともなくワラワラと日本人が増えてきた。
ほとんど全員が団体ツアー客で、個人旅行者は極めて少ない。 インドは独り旅だろう。。。
ムンバイをほぼ定刻に離陸し、デリーで多くのインド人を降ろして、それよりも多くの日本人を追加した。
かなり大規模なツアー客の声が大きい。 ラダックに行ってきたらしい。

余談だが、6年前に私は、(ケニアからインドに向かう便での話だが)エアインディアの機内食の美味さに感激したことがある。
しかし今回の往路の国際線では、およそ美味しいという感想がもてなかった。
私の味覚が変わったのか、味が落ちたのか、アフリカ路線とアジア路線の差なのかは不明だが、この帰国便では(ムンバイ出発後とデリー出発後の)
二度の夕食を、両方とも断ってしまった。 帰国してから、思いっきり食ってやるのだと心に誓って・・・。
帰国日(8月17日)  1.成田空港から自宅へ
成田空港は、出発した日と同じく、雨だった。 (どうやらずっと、天気には恵まれない夏だったらしい)
飛行機はほぼ定刻に到着。
普段なら、あっという間もなく入国審査と税関を駆け抜け、着陸30分後にはJRのプラットホームにいるのだが、
今回は、あの500Rsボールを回収しなくてはならない。

実直そうな中年職員に経緯を話すと、「そういったケースでは、ターンテーブルから他の荷物と一緒に出てまいります。」と丁寧に答えてくれる。
それから30分・・・、目を凝らして待ったが最後まで出てこない。
近くにいた不真面目そうな若いアンちゃん職員に、再び経緯を話すと、「そりゃ、あのカウンターだ。」と即座に、ぶっきらぼうに言われた。

言われたカウンターを訪ねたら、果たしてその通りであった。
態度や姿勢と、優秀さは別なのね・・・。

結局、何もなかった場合と比べて40分も遅くに、JRのチケット売り場に行くと、NEXが出る1分前で、「もう無理でしょう」と言われた。
京成やリムジンバスも考えたが、考えている内に30分後の次のNEX発車も迫って来たので、結局30分後のNEXに乗った。
都合70分の予定超過はボールの呪いか。
NEXは清潔で無臭。 それは困る。
今回、インドではこまめに洗濯をしたが、一張羅のGパンにはインドの街角の臭いがこびりついているので、自分が臭う!!

NEXの上り便は、様々な国から十何時間も飛行機に乗ってくる乗客が、そのまま乗り込んでくるのだから、
香でも、その他の何でも構わないので、臭いをごまかす工夫を考えて欲しい。
マジだよ! JR!!
新宿では再び、乗るべき電車を目の前で逃した。 このボールは最後まで祟りやがった!!
今も、これを書いている私の目の前で、無表情に転がっているのだが・・・。

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