アラスカ1994

きっかけは、エイビーロードの片隅にあった一枚の広告。 「6月中ならアンカレジ往復 一泊付き ¥108,000-」
団体チケットを代理店がばら売りすることで格安チケットが成立していた当時、その価格は十分に目を引く程度に安かった。

渡航経験なし。 英語力ペケ。 なぜかパスポートは保有。
仕事はいくつかを平行して進めていたが、土日を挟めば5連休までの取得は可能。 アラスカで3泊できれば、アメリカの最北端まで行けるかもしれない。
かくして、広告を見た10日後の6月30日に私は、シアトルに向かう飛行機の中にあった。(翌日出発だと2万円高!)

初めてのアメリカは英語の洪水だった。(あたりまえだ!) しかし、よく聞いていると、いい加減な発音も多い。
それまでにも私は、仕事で一緒になったアメリカ人の、筆記のスペリングがテキトーなことはよく知っていた。
恐れることなかれ! アメリカ人のアメリカ語!!
私はディパックひとつで旅立ったので、入国は至極簡単。 着陸の20分後には、スタンドでカフェをしていた。

アンカレジ行きの便は、おおむねカナダの西海岸に沿って北に飛ぶ。
飛行機が左に旋回して西日に向かいはじめると、右側の窓際に座っている私の視界にアラスカの大地が飛び込んできた。 白く輝いている!!
そうして私は、日本を発ったのと同じ日の、同じくらいの時刻にアンカレジ空港に降りたった。
1日目(6月30日) 1.初めての日本脱出
成田空港を昼過ぎに離陸した飛行機は、直ぐに夜を迎えて日付変更線を越え、出発日と同日の午前中にシアトル・タコマに到着。
預け荷物もなく、そのまま国内線に乗り継いで、アメリカ合衆国がフランスから金で買い取った49番目の州アラスカを目指す。
右の窓側席に座れていたことから、アラスカの氷河などを眼下に楽しむことができる。

2.アンカレジ
乗り継ぎも良かったので飛行機は、成田を出発した同じ日の同じくらいの時刻に、州都アンカレジの国際空港に到着。
アンカレジは、飛行機の航続距離が短かった時代には、日本からヨーロッパに飛ぶ便の多くが経由していたので、日本でも名が知られている。

アンカレジ空港から市内のホテルまでは、¥108、000円のツアー料金に含まれていた。
迎えに来てくれたお兄さんは、クオーターだったかその半分だったか、日本人の血を継いでいると言っていた。
風光明媚な池などに寄り道しながら、ダウンタウンのホテルに送っていただく。
2日目(7月01日) 1.アンカレジ
翌日は朝からアンカレジをウロチョロ。
アラスカ鉄道のアンカレジステーション、旅行者情報センター、 遙かマッキンレイが望める海辺の公園(近くにはキャプテンクックの像もある)。
昼食は、海辺のレストランで、KING&KINGセット。
メニュー名の由来は、キングサーモン&キングクラブで、要はサケとカニのコンボ。
それなりに旨かった。
アンカレジの地名は、キャプテンクックが錨(アンカー)を下ろしたことに由来する。

2.北に飛ぶ
夕方の国内線に乗るので、アンカレジでも目立つマウントクックホテルの近くでタクシーを拾う。
州都を飛び立った小型機は、フェアバンクス、プルドゥベイを経て、アメリカ合衆国の最北端へと降り立った。
乗客の多くは地元のエスキモー(モンゴロイド系の顔立ち)と、
冒険心の旺盛なアメリカ本土人。

フェアバンクスの手前には北米最高峰のマッキンレーが聳えている。
この山の名前は2015年に、マッキンレーからデナリに改名された。
アラスカの先住民の間では古くからデナリと呼ばれていたので、
改名されたというよりは、戻されたという表現が適切か?
ここには、偉大な探検家[Naomi.Uemura」が眠っている。
バロウの付近は面白い地形をしている。
基本的にはツンドラなのだが、丸い池が数多く点在している。 空から見下ろすと、トテモ独特。 北極海は白く凍てついて輝いていた。
バロウの空港はとても小さく、「辺境の地に来たのだなぁ・・・」と、旅の高揚感を高めてくれる。

3.バロー
アメリカ最北端のバロウでは、「トップ・オブ・ザ・ワールド」という、しょった命名のホテルを予約していた。
この空港にも、ホテルから迎えが来ることになっていたのだが、なぜか私は迎えが来ていないことを予感していた。
歩ける距離だし、来ていないならそれで良いとも思っていたし。。。

少しだけ待ってから空港を出ると、タクシードライバーだという、とびっきり美人の女性が声をかけてきた。
「小さな村だから歩いていくよ。」と断ると、「タダで良いから乗っていけ。」という。

こんな辺境で犯罪もないだろうと思い、「そんじゃ頼むわ」と車に向かうと、なんと車はリムジン。
何だかわからないまま、5分もかからずにホテルに到着。
降り際に名刺を渡されたが、名刺には[Tundra Tour]と書かれていた。バロウに行かれる方はごひいきに!

ここは北極圏内にあるので、夏至の前後の一時期は太陽が沈まない。
私がバロウに到着したのは20時過ぎだったはずだが、陽は高く煌々と輝き、白く凍てついた北極海を照らしていた。
ホテルの隣はなぜかメキシコ料理店。
北米大陸の北端で、北米大陸の南端の料理を食べることになろうとは思っていなかったが、結構美味しかった。
なぜかここには日本語メニューがある。
ちょうど食事を終えて出て行くところのアメリカ人客(本土からの観光客風)が、私に向かって「東京からか?」。
一応、日本人だとはわかるらしい。 BARROWには、年間に数十人程度の日本人が訪れるそうだ。

ホテルの部屋は、北向きの窓。
(レセプションで、「オーシャンビューの部屋を準備したよ」と言われたが、ここは全室がそうなのじゃないか?
午前零時に太陽がサンサンと輝く北極海を眺めながら眠りに付いた。
神経質な人は、不眠症になるらしい。
3日目(7月02日) 1.ポイントバロー
翌朝9時、目的のアメリカ合衆国最北端を目指して歩き出す。
ほどなくゲルマン系の顔立ちをしたバックパッカーとすれ違ったが、挨拶だけで別れた。少しくらい情報交換すべきだったか?

西側の海岸道路に沿って歩いていると、エスキモーが運転する車が止まり、「乗っていくかい?」と、声をかけてくれた。
遠くに見えている軍の基地に行くところのようである。
このおじさんの車に乗るのに不安はなかったが、最北端までは歩いていきたかったので笑顔で断り、凍てついた海で遊びながらゆっくりと北を目指した。
廃村を過ぎ、東側の海岸線が見え隠れするまでに岬が細ってくると最北端は近い。
ポイントバロウにまで足を延ばす物好きな日本人は滅多にいないそうだが、地の果てには地の果て独特の物哀しい趣があって実にいい。

やがてたどり着いたアメリカ合衆国最北端ポイントバロウ。。。 そこには何も無い。
日本の宗谷岬のようなにぎわいもなければ、土産物屋が並んでいるわけでもない。 ただそこで、大陸が途絶えている。
その先にあるのは、凍りついた北極海の白い氷原だけ。
浜辺にポツリと、「北極熊に注意」という立て看板・・・。
シロクマと言うとなんだか可愛く聞こえるが、
北極熊というのは地球上でもっとも獰猛な生物なのである。
ガイドブックの「絶対に徒歩で行くな」は、そういうことですかい?

村から数マイルを歩いてきた私は、この瞬間、
一人の人間ではなく、単なるタンパク質のカタマリになった。
あとはひたすら姿勢を低くして引き返すのみ。
文明が生命を保護してくれる彼の地へ。
幸いにも、行きと同じエスキモー車が私を収容し、こうしてホームページをUPできる喜びをかみしめている。
エスキモーいわく、「俺だっていつもショットガンを持っているんだぜ。」 (と、後部座席の細長い荷物に目配せをした。)

しかし、夏場の北極熊は、氷の上を歩いて北極近くまで行っているらしい。
「11月くらいになると餌を追って村に戻ってくるから、とてもデンジャラスだ」と、彼は首をすくめた。
彼は気持ちよく私に接し、左の写真なども撮ってくれたが、
彼も、その後にレストランで出会ったアラスカJKも、
トテモ地方色豊かな英語で、意思疎通に苦労をした。

たしかに私の英語力はひどいものだが、
アンカレジでは、ここまで苦労はしなかったぞ。
Barrowの村外れにあるレストランまで送ってくれたが、
そこで働いている高校生くらいの女の子には、
どうしても[Coffee]が通じなかった。
1989年のマルタ会談で東西冷戦は終結し、その2年後にはソ連も崩壊したが、今でもアラスカ州に米軍基地は多い。
普通の世界地図でも、ベーリング海峡を挟んでアメリカとソ連(今ではロシア)が接近しているのは見て取れるが、地球を北極側から俯瞰してみると、
アメリカ・カナダとソ連(ロシア)は、グリーンランドあたりを巻き込みながら、モロに睨みあっていることが見て取れるだろう。
そういった地政学的な事情で、アラスカ州の米軍基地は、昔も今も、非常に重要な位置づけにある。

2.バローからアンカレジへ
陽が高く輝く夜の飛行機に乗るべく、村をもう一回りしたあとでバロー空港に戻った。 少し腹が減ったので二階の食堂へ。
「ファストフードばかりか・・・」と、MENUを眺めていると、[YAKISOBA]の文字。

わずか三日目で日本食が恋しくなった訳ではないが、興味が湧いたので、目が回りそうに高い13ドルを支払ってGET。
予想してはいたがフォークが付いてきたので、「箸をくれぃ」と言ったら、意外とすぐに出てきた。
箸袋には「木割箸」と書かれてはいたが、同時に[PRODUCT OF INDONESIA]とも・・・。
味は・・・、悪くは無かったが、夜店の屋台の300円クラスだなぁ・・・。

アンカレジには、きちんと暗くなった夜に帰還して、少しばかりの土産をチョイス。
4日目(7月03日) 1.アンカレジ脱出
この日は早朝出発。
前夜のうちにタクシーを頼んでおく。
アンカレジの空港では、アメリカ国内のどこかで飛行機が墜落炎上したニュースをやっていて、白人オバサンが不安そうにTVに見入っている。
空港では、飛行機墜落のニュースなんて延々とタレ流したりしないのが普通だろ?

2.シアトル乗り継ぎ
シアトル・タコマでの乗り継ぎも良く日本行きに搭乗。 なんだか何も印象がない。
帰国日(7月04日) 1.日本帰還
シアトル・タコマからの帰国便は昼過ぎの成田空港に到着し、月曜日の夕刻にたどり着いた新宿駅は、帰宅ラッシュが始まっていた。
アンカレジで仕入れてきた冷凍サーモン(溶けかけていた?)を実家にクール宅急便で送り、人波に紛れ込むように帰宅。

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