湘フィル通信
Vol. 14 No. 14(Total 185 外 12)
発行日:2002.6.22 編集: 寺部、青山
2002年6月号
『ドイツ・レクイエム』について 鈴木 敬一 神父 |
「レクイエム」は、カトリック教会において、葬儀や追悼のために捧げられる「死者のためのミサ曲」のことです。そのラテン語のテキストの一番始めの言葉が「レクイエム」
(Requiem=安息を)という単語なので、死者の
ためのミサ曲を、通常「レクイエム」 と呼び慣わしています。 しかし、ブラームスの“ドイツ・レ クイエム”は、レクイエムと名付けられながら、「死者のためのミサ」に用いるために作曲されたのではありません。 “ドイツ・レクイエム”とは、ドイツ語のレクイエムの意味ですが、ラテン語の「死者のためのミサ」をドイツ語に翻訳したものをテキストとしているのではなく、ブラームス自身がドイツ語聖書の中から自分の意思で選んだ箇所を組み合わせて、独自のテキストを編み上げているのです。 とは言え、葬儀や追悼のミサの中で演奏されることを目的としないのにもかかわらず、“ドイツ・レクイエム”は親しい者への哀悼の心情が溢れ出ており、演奏会そのものが追悼の場となることを切に願っている曲である事は、曲を聴けばすぐに納得出来ることと思います。ヴェルディやベルリオーズなどのレクイエムが、ミサで用いられるラテン語の歌詞に作曲されながら、故人に対する哀悼の意を表すことより、どちらかと言うと劇的効果を追求するほうにエネルギーを費やしているのと好対照と言えるかも知れません。 第一曲と第七曲 二つの「幸い」 “ドイツ・レクイエム”の全体を見渡して、まず目につくのは第一曲と最後の第七曲のそれぞれ冒頭に置かれた「幸いです (Seilig sind )」という印象的な言葉です。 第一曲は「幸いです、悲しんでいる人々は」というマタイ福音書の有名なキリストの言葉をテキストとしています。それに対し、第七曲は「幸いです、(主にあって亡くなった)死者は」というヨハネの黙示録の言葉が使われています。 何で幸いなのか、悲しんでいる人は不幸なんじゃないか、人が死ぬことも 不幸じゃないか、という疑問があると思います。 どうして悲しんでいる人々が幸せなのかというと、慰めて下さる方がとても素晴らしい方だから。どうして死者が幸せなのかというと、永遠の命に受け入れて下さる方が限りなく偉大だから。これはキリスト教信仰の真髄で、このことを理解しないと“ドイツ・レクイエム”を歌うことも聴くことも、とても空しいことになってしまいます。 さて、この二つの「幸い」を歌った曲ですが、まず、第一曲の楽器編成に大きな特徴があります。この楽器の使い方、というより、普通どんな曲にも使う楽器を使っていないことは、作曲者自身のこの曲への思い入れの強さを感じさせるものだと思います。黙っている楽器たちは、死者の沈黙を表しているのでしょうか。何も語らなくなってしまった私の大切な人、親しかった者・・・。 どの楽器を使っていないのかは、自分の目で見、耳で確かめてください。それが、コンサートのおもしろさですから。解説者がそこまででしゃばって教えてしまっては、聴く者の喜びを奪ってしまうでしょう? その楽器編成の特徴によって、第一 曲にどんな雰囲気が生まれているのか、また、親しい者を失った人の悲しみと、その人に与えられる慰めの「幸い」がどのように表現されているのかを聴き取ってみてはいかがでしょうか。 曲は、途中に詩篇の言葉を挟み、その部分では悲しみが喜びに変えられる事を表現して、涙から喜びへの転換が 鮮やかに歌われています。 第七曲は、亡くなった者が、死を通り越してその先で味わう至福が歌われ ます。それで、第一曲と同じ拍子、同じ調性でありながら、もはや翳りの無い、伸びやかな明るさ、そして、落ち着きに満ちた幸いが歌われます。第一曲では沈黙していたあの楽器たちも一緒に歌います。そして、逆にあのティンパニが叩かれることはありません。第二曲等でしつこく叩かれていた、あの死神の足音のようなティンパニが。 ところで、終曲としての盛り上がりのようなものを期待して聴く人にとっては、この曲は盛り上がりに欠けるフィナーレと思われるかも知れません。第六曲でせっかく盛り上がったのに、と言う人もいるでしょう。それでも、ブラームスは何の不安もない解放された自由な喜びをこんな曲想で表現したかったのです。 第一曲では、「慰めを受ける幸い」が表現されていますが、この終曲ではもはや慰めを必要としない幸い」が歌われていると言っても良いのではないかと思います。 確かに、死、特に親しい者との別離 は、互いに愛し合う者を引き離す不幸な現実ですが、ブラームスは、親しい者の死を悲しむ者(ブラームス自身と言っても良いでしょう)と、先に神のもとに旅立った者との間に「祈りの架け橋」を掛けました。第二曲から第六曲までは、死別した者の間を結ぶ祈りと音楽の架け橋だと思います。この架け橋によって、不幸な現実から希望が生まれ、新しい「幸い」が確認されて行きます。 (次号に続く) |
新 入 団 員 紹 介 今期入られた方にアンケートに答えて頂きました。 質問内容は、次の3つです。 @ 湘フィルを何で知ったか? A 湘フィルに入ってよかったと思うこと B 思い出の曲 or 歌ってみたい曲 |
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真木奎子さん (Sop.) @ 再入団。最初は朝日新聞夕刊の音楽情報欄。 A オケで宗教曲が歌える。X'masチャリティーや合宿も楽しみ。レベルアップ目指せる指導者と音楽を愛する仲間。 B 湘フィルで初めて歌った モーツァルト ハ短調ミサ曲「グレイト」 |
神山和子さん (Sop.) @ 新聞の広告を見て A 歌えること。学べること。 B ロッシーニ 「信仰、希望、愛」 モーツァルト「レクイエム」特に8番 |
菅井宗一さん (Ten.) @ 団員に誘われて A 松村氏のていねいな指導を受けら れること。 B 1812年(コーラスと大砲付きで) |
三井偉代さん (Sop.) @ 演奏会を聴いて(第10回ハ短調以来)&団員に誘われて A1.松村先生のていねいな音楽づくり造りに参加出来ること。 2.私の音楽生育地は東京合唱団ですが、故郷に戻れた様な境地です。 (学生時代から演奏会は、混声所属、オケ伴、殆ど宗教曲でした。) 3.指導者は勿論のこと、幹事の方々の感じが良い。 (すぐとけこめました) B ヴェル・レクは何回合唱っても良し。 ベートーヴェン「ミサ・ソレ」、フォーレ「レクイエム」etc.、ヘンデル「メサイア」は40年前?に若くして参加。大人の今、再演してみたい曲です。 |
氏神鈴江さん (Sop.) @ 団員に誘われて A ドイツ・レクイエムが唱える事。 少しでもレベルアップ出来た?事。 B モーツァルト「レクイエム」 |
小平美菜さん (Alt.) @ 団員に誘われて A 普段は20名以下のア・カペラ合唱団で歌っているので、100名以上 でオーケストラ付で歌えるのは違っ た良さがあります。思い切り声を出せるのはとても気持ちイイ! B ラター「レクイエム」 |
森 登紀子さん (Sop.) @ 人数が多い混声合唱団を捜していたら、松村先生の合唱団があると聞き、知り合いに聞いて頂きました。 A 音楽的にレベルが高くてすごく勉強させて頂いています。ボイストレーニングもすぐ忘れるので何回も言われながら自分のものにしたいです。 |
宮下竹子さん (Alt.) @ 団員に誘われて A また、ひとつ扉が開いて、コーラスの世界が広がりました。女声コーラ スでは味わえない混声の深く美しい 響き(もっとうまく表現できたらいいのですが・・・)の中に身を置くことの幸福を感じています。 |
2002年6・7月の練習日程
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