第23回 「ピーピー鳴くテレビ」

仕事柄、表現の自由ってやつと自主規制ってやつにぶちあたります。
雑誌にしてもテレビにしても自主規制の嵐です。
これはしょうがない部分もありますが。
とくにテレビなんかは情報の無差別爆撃というかかなり無神経で
暴力的な メディアだったりもして、そんな中で自己防衛のために
やらざるを得ない部分もあるんですけど。
それがテレビを面白くなくしている最大の原因でもあるんですけど。
昔の映画やドラマなんかね、かなりきわどい表現も多いですが
(実際にいまテレビで見るにはカット&音消しの嵐です)
その分ずっしりくる重みもあって見る方も引き込まれますね。

で、絵本の世界はどうなのよ?なんて思うんですが
やはり例にもれず、といったところか。詳しくはわかりませんけど。
売り込みにいった友達の話なんか聞いてるとなんかね。
たしかにあるなあ、児童文学フォーマットみたいなものがあるなあ、と。
それはそれでいいんでしょうけどね。
そんなんじゃあ、エドワード・ゴーリーは出てこないなあ、なんてね。

と、思ってたんだけどぼくは、ゴーリーに出会えました。
で、これからも続々出るらしい。ひょっとして売れてるのか!?
まあ、売れたもん勝ちって側面もメディアにはありますかな。

にしてもこの問題は難しい。毎日のようにぶちあたる。
本やテレビに限らず、ぼくの大好きなゲームなんかでもそう。
ほとんどの表現につきまとう。こまったこまった。
ぼくとしては、“見る方も賢くなれ”と思ったりもするんですけど。
意見や立場の違いってのがある以上どうしようもないんですが
見る方も、もちょっと送り手の本気度とか想いとかを見抜く眼を
持ってないといかんなあとね、思います。
その上で冷やかし半分なやつや軽っちょろいやつなんかは
粉砕してもらっても全然構わないんだけど。
このまんまじゃ作る方がどんどん窮屈になってしまうような気がして。
自主規制ってのは、それは見なかったことにって
いってるようなもんだから解決にはなっとらんだろ、と思うのです。
衝突してもいいと思うんだけどね、本気なら。
そのほうが面白いもんが出来そうな気がするんだけど。
そっちのほうがいいよなあ。いろいろ見たいモんなあ。