第16回 「ほんものを見る」

今から4年位前、山口でレオ・レオニの原画展があっていたので
福岡のぼくはちょっと足をのばして見に行くことにしました。

普段ぼくたちは、絵本を印刷された作品として見ているんですが
この日は、絵本の原画一枚一枚を、ひとつの絵として
見ることが出来る、と電車の中でとてもワクワクしてました。

会場で出会った原画達は、さすがに年月を重ねてきたせいか
少々疲れた御様子。でも、その絵の汚れや修正のあと、筆遣い
ほんとに貴重なものを見た思いでした。
だって、作家が作品を作るまでの過程が見れるんですもの。
こんなに素敵なことはありません。
「ええもん見たのう」なんて思いながら会場をあるいていると
そこにはなんとも不思議なオブジェや絵がならんでます。
それはレオニが“芸術家”や“デザイナー”として活動してる時の
作品達でした。

「なんじゃこりゃ!?」そう思いつつもぼくは夢中で
作品を見て回ります。
絵本で語られてたメッセージが、より純粋なかたちで並んでいます。
それは衝撃的で感動的でした。

ぼくはこのとき「ほんものをみる」ということを意識したと思います。
いいかわるいか、すきかきらいか
は、できるだけほんものをみたほうがいい、と思うようになりました。
それからは、好きだったクレーをスイスまで見にいって
ますます好きになったり、教科書の絵やゴッホにまつわるエピソードで
あまりいい印象をもってなかったゴーギャンのあまりのすごさに
いたく感動したり、モナリザにたいして感動しなかったり…
などなど見てまわり、感じてまわりました。
そして気が付くと表現することへの恐れや遠慮、気恥ずかしさなんかが
なくなってました、不思議なことに。
たくさんのものを見る、いろいろと触れてみる、そして感じ、考える。
それってとても大切なことだな、と思いました。
見る、っていうのも才能だな、なんてこと生意気にも思っちゃいました。

<おまけ>
絵本の原画も素敵ですが、絵本はやっぱり印刷されて
本の形になってるものが完成形なんだなあ、と思いました。
本って身近で気軽にほんものに触れられる貴重なもののようです。