第15回 「虫よさらば」

※注意!このコラムには暴力シーンやグロテスクな表現が含まれています。
(バイオハザード風)

ぼくは町育ちで10才位からゲームばっかりしてましたが
住んでたところが団地なので、うその自然がたっぷりでした。
春には桜も咲くし、ツツジも植えてあります。
学校であまったひまわりの種をその辺の芝生に捨てたら
夏咲いてたり、秋にはもうしわけ程度にあったススキを
とりにいって、お風呂の時に体中チクチクしましたし
冬には、今にも咲きそうなサザンカのつぼみを
むしったりと、町ッ子なりの自然体験満載です。

当然のごとく虫なんかもたくさんいまして
アリやてんとう虫、セミ・コオロギ・カマキリ・カナブンから
どっかから逃げ出してきたと思われるミヤマクワガタまで
いろいろ捕まえました。
虫達の運命はというと「子供に捕まったらサヨウナラ」です。
子供達、容赦ありません。殺戮のアラシ〜嵐〜、です。

セミは何時間飛び続けられるかをテーマに足を全部むしって
放してみたり、月をみせてやると言ってカナブンを
ロケット花火にくくって飛ばせて、当然のごとく失敗してみたり
潜入!アリの巣24時、などと言いつつ掘ってたら
1m位の深さになってたり、理科で習ったことの応用とばかりに
アリに虫メガネを照射して、こんがりこおばしいにおいがしたり
などなどショッカーも真っ青です。
ときにはカマキリとチョウをいっしょにいれてたら
チョウが羽根だけになってて、カマキリは肉食なんだ
と学習したりもしました。

かなりむちゃくちゃなことをやっていますが
そんな中でうっすらと、ときにははっきりと“死ぬこと”を
“生きている”ということを感じていたような気がします。
まあ、それがエスカレートしてネコ・イヌ・人間にまで
いっちゃう人や、ゲームのやり過ぎで人殺っちゃうヒトも
世の中広いのでひとりやふたり、いても全然不思議じゃないし
かといって“命の尊さ”なんて言われてもいまいちピンときませんが
生き物がいとも簡単に死ぬことや
やっていることの“空しさ”や“儚さ”なんかを
これまたうっすらと、ぼんやりと感じていたのかも。
どちらかというと、ケンカもしないまま大人になって
ちょっと殴ったら死んじゃいました、とかいってるひとや
もしくはそのような体験しないで、ひとも簡単に壊れるということを
しらないまま大人になってるひとが多いのかもしれない
ということのほうが、ちょっと恐ろしいなあ
などと、もうすっかり夏のような陽射しを浴びながら
考えてしました。
夏休みが長いことや、お盆がこれまた夏のクソ暑いときにあるのが
なんとなく納得。
夏は、そういうことを体験する、考える季節なのかもしれません。