@             A            B

@記念館前の道路には灯籠が並んでいます。
AB灯籠の一つ一つに特攻隊員の姿をした地蔵菩薩が彫られています。これだけでじんわり涙ぐんでしまいます。

C             D

C出撃前の隊員が出撃前の数日を過ごした三角壕の再現。和気藹々と食事をする写真などが展示されていましたが、その屈託のない笑顔に胸が打たれます。
D中には太平洋から引き上げられた突撃機の尾翼などが展示されていました。

E            F

E航空自衛隊で実際に使われていた訓練機。ごく最近まで使われていたようです。昨今の航空自衛隊に関する報道を見ている限りでは、太平洋に散った若人たちの遺志が受け継がれているとは残念ながらとても言えないのが、淋しいかぎりです。
F映画の撮影のために東映が復元した戦闘機「隼」が展示されています。この狭い操縦席の中で、豪雨のごとき一斉砲火を浴びる心持ちはいかばかりか、その恐怖は想像に余りあります。

 館内の展示の大部分を占めるのは、隊員の顔写真と、遺書や絶筆。とても涙なしには見られません。これまで育ててくれた両親への真摯な感謝を切々と綴ったもの、遺される妻や幼い子供への未来を託すメッセージ、一言突撃への覚悟のみを力強く記したもの、死に行く己の身を洒落のめしたもの、様々でした。
 印象的なのは、国と家族を愛する心の強さ。その愛国心のあり方には是非があるでしょうが、日本という国を、そしてその国の国民であることを誇りに思っている、その精神は、今我々が失ってしまっており、かつ取り戻さなければならないものだと思います。
 親への無条件と言ってもいい敬意と感謝と愛情にも心打たれるものがあります。親への敬意や感謝、などというと家父長制と結びつけて過敏に反応される向きもあろうかと思いますが、産み育ててくれた親に対してはアプリオリにそうした感情を持っていて然るべきだと思います。そうでなければ、親は子を育て、子は親に育てられるという前提が成立しません。旧来の価値観を前にすると、それに「縛られる」と身構えて拒絶反応を示してしまうのが昨今の風潮ですが、野生動物が大自然の摂理に従って生きているのと同様に、我々人間にも社会を維持するための「自然律」が必要です。彼らの死を前にした短い言葉の中に、その美しい発露を見ることができます。
 無論、徒に特攻隊を称揚することは誤りです。彼らの覚悟はやはり蛮勇に過ぎませんし、特攻によって命を失うこととなった米兵にも、親や家族がいるのです。その行為自体は、大いに批判されるべきものです。しかし、彼ら一人一人の胸にあった想いは、今の我々が失ってしまったこの国の美しい部分であったのではないかと僕は思うのです。

 この界隈はお茶どころでもあるらしく、隣接してある売店のそばにこんな物が立っていました。何とも脱力を誘う代物ですが、これこそが謳歌すべき平和なんだろうな、としばし感慨に耽ってしまいました。

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