谷川流:涼宮ハルヒの憂鬱(角川スニーカー文庫)
★★★★

 ハルヒにはアニメから入った。アニメは世評通り大変レベルが高く、ところどころに巧妙に配置されたマニア心をくすぐるギミックもさることながら、杉田智和さんや平野綾さんを初めとする豪華声優陣の熱演(殊に「ライブアライブ」における平野さんの名演は特筆すべきだろう)などもあり、大変楽しめた。変な言い方かもしれないが、アニメのレベルがあまりにも高いために、原作の小説に対して懐疑的になってしまっており、なかなか手に取る気になれなかった。要は、「原作の方はどうせ大したことないんだろう」という先入観に囚われてしまったのだ。

 それでも、久しぶりにゆっくり本を読む時間ができたとき、あまり密度の高い本ばかり読んでも、と思い、箸休め的な意味合いで本書を買った。一読して、自分の思いこみがいかに浅はかであったかを思い知ることになった。

 まず、技術的にかなり優れている。一人称による饒舌体というのは、書きやすいようでいて破綻を招きやすい。目の前の情景の描写はしやすいが、ストーリーの構築がしにくいからだ。しかし、作者はかなりの手練れと見え、実に巧みに、緻密かつスピーディーにストーリーを展開させている。まず確かな文章力に舌を巻いた。 

 そして、登場人物の造型。ハルヒとキョンに感情移入しないオタクがいるだろうか。二人とも、中学から高校にかけての自分を見ているようである。イヤというほど思考パターンというか、世界に対する拗ね方が当時の自分とそっくりで、苦笑してしまう。この小説は自分の思い描く世界と自分と、現実の世界と自分とのギャップに歯噛みする少年の夢想を具現化したものである。人気が出るはずだ。

 あからさまには書かれていないが、キョンが結局総モテなのも人気の秘訣だろう。中高生は普通はキョンに感情移入して読むだろうから、気持ちがいいはずだ。しかし、我々大人が一歩引いてその他の人間、特に長門や古泉にスポットを当てて読むとちょっと複雑な気持ちになるのを禁じ得ない。彼らの気持ちをキョンは気づこうともしないのだ(ある友人と話をしてから、僕には明確な古キョンフラグが立っている)。

 アメリカ人の思考パターンに則って言えば、人間には二つの種類があって、この本を面白いと思う人間と思わない人間である。面白いと思う人間はオタクないしはオタク的素養があり、共感できない人はそうではない人たちである。ここまで見事にオタク心を抉られると不愉快にすらなるが、それも作者の類い希な才能の証ということだろう。

(07/7/17記)

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