高橋和巳:わが解体(河出文庫)
★★★☆

 今では高橋和巳は忘れられた作家である。しかし、60年代後半、当時学生だったいわゆる全共闘世代にはもっとも読まれた作家の一人だった。

 これは39歳の若さで病に倒れた著者最後の著作である。ここには3編の比較的短い文章が収められているが、いずれも60年代の革命闘争についてのものである。特に書名にもなっている「わが解体」は、京大紛争に文学部助教授として直接関わりながら、その闘争が自分自身にもたらすものについて精察した一文であり、生々しい当時のドキュメントとしても価値のあるものである。

 著者は学園紛争は世界の変革への一道程であると信じていた。そして彼自身文学者としてそれにコミットしていった。しかし、実際には権力の側の抵抗、内ゲバによる中からの瓦解によって、変革への希望は露と消えてしまった。文学者としてコミットしておきながら、紛争を変革へと昇華できなかった自己を、著者はこう省察する。

「私を支えるものは文学であり、その同じ文学が自己を告発する」

 苛烈な覚悟である。文学は例えば政治思想のように力学的なものではなく、一つの場所を動かぬ絶対的な支柱であり、人間の変革の基となるものであると信じていた。しかし、変革は言説のみにては成し得ない。故に著者は行動するが、内なる文学が求めるものと、実社会においてなし得る行動とは一致しない。そのアンビバレンスに著者は苦悩する。

 高橋和巳の著作(評論・小説を問わず)を読むと、彼が文学に対して抱く絶対の信頼に痛ましさの念を抱かずにおれない。彼が生涯を通じて訴えたのは、この世界は変革されるべきものであるという一貫した主張であり、文学とはそのための手段である。ただ活字を消費するような教育しか受けておらぬ身としては、紙背に潜む情念の炎のごときものに、驚き圧倒されるばかりである。

 敗北せざるを得なかった文学者は、それを解体と呼んだ。しかし、それは何も高橋一人の身に及んだことではなく、結果的に世界全体が解体されてしまったのだ。その意味では、彼の遺言は世界を先取りしていたということになろう。

 高橋の思想は強い同時代性を帯び、その意味では忘れられてしまったのも致し方ないことだと思う。しかし、現在は過去からの連関であることに思いを致せば、ほんの40年前には、こうした思考が価値を持つ、あるいはこうした思考をせざるを得なかった時代があったことを知ることは、解体された世界を生きる現代の我々にとって少なからぬ意味を持つと僕は思う。

(07/4/17記)

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