これぞ至芸!ヴァント最後の来日公演、シューベルト「未完成」・ブルックナー9番

 平凡な人生を送っているので人に自慢できるようなことはあまりないが、数少ない自慢の一つが、2000年のヴァント最後の来日公演を聴けたことである。

 ヴァントのすごさは、その前にリリースされていたベルリンフィルを振ったブルックナーの数々で耳にしており、一度生で聴いてみたいものだと思ってはいた。しかし、高齢ゆえ来日することはあるまいし、まあ無理だろうと思っていたところに舞い込んできた来日の報であった。

 それを知ったのはある演奏会で配布されたチラシでだったのだが、前売り開始は僕がそれを知った前日からで、慌てて電話をかけたのだが、当然3日間のチケットは全て売り切れ。しかし、この機を逃したら絶対に後悔すると思い、生まれて初めてヤフオクを使うことにした。幸運にも3割ほどのプレミアムで済む即決の出品があったので、一も二もなくそれを落札した。前から3番目か4番目だったが、贅沢は言っていられないオクでの白熱ぶりだった。

 会場の初台のホールは、開場前から異様な雰囲気だった。チケットを求める人がホールの外にあふれ、チケットを手にすることができた幸運な人たちも、自分を含め興奮状態にあって、ホール全体が静かな熱気に包まれていた。

 いよいよ開演、オーケストラのチューニングが終わり、指揮者登場直前というタイミングになって、ホール内の空気が完全に静止した。2000人を超える人が入っているホールの中が、まるで無人であるかのような完全な静寂に包まれた。これは初めての経験であり、以後もこんなことは経験していない。それだけ、今や神憑り的な存在となった巨匠を待ち望む期待が高かったということである。

 足を悪くしている巨匠の足取りは覚束なかった。正直、大丈夫かな、と思った。しかし、「未完成」の冒頭、バスの斉奏が始まった時点で、そんな馬鹿げた懸念は一発で吹き飛んだ。

 初めて触れる、ドイツ音楽の神髄だった。渋く、深く、しかし堅苦しいのとは違って、豊かでじんわりと胸にしみこんでくる。そんな音楽だった。

 オケは必ずしも万全な状態ではなかったようだが、日本のオケの音とは全く違った。特に弦と木管の実力が段違いだ。アンサンブルという点でもそうだし、音の出し方でも、全く力んでいないのに芯の通った勁い音を響かせる。オケの実力という点では、僕が今まで聴いた中では文句なく最高である。

 「未完成」はいぶし銀の世界。僕は正直この曲の良さを十全に理解しているとは言い難いのだが、ロマンチックな演奏よりは構成ががっちりした雄々しい演奏の方が好ましい。美しい弦の音に感動したが、個人的にはアペタイザーである。メインは何といってもブルックナー。

 迫力、という点では恐らく朝比奈を凌ぐと言っていいだろう。それは強奏時に限らない。冒頭のホルンからして、迫りくる巨大なものの存在を予感させた。最初のフォルテッシモは、まさに仰ぎ見るばかりにそびえ立つ音の伽藍であった。実に厳しい。それでいて、胸をわくわくとさせる音楽の悦びに満ちている。次はどんな響きがやってくるのだろうと息を殺して待ち受ける時間が続いた。

 白眉は第一楽章のコーダ。あのトゥッティの迫力は、一生耳から離れないだろう。神の警告のごときトランペットの乾坤一擲のクレッシェンド。全身に鳥肌が立ったのを憶えている。最後の一音が消えて、指揮者が棒を下ろしても、しばらく呼吸ができなかった。

 アダージョの美しさも特筆すべきものだった。殊更に繊細さとか、色彩の鮮やかさを狙ったものではない。かといって枯淡の境地、というのとも違う。やはりそれは自然の息吹、というべきものだった。朝日の降りそそぐ雪原のごとき清冽な空気を、客席にいるものはみな感じたはずだ。

 曲の終わりが近づくにつれて、言いようのない寂しさが込み上げてきた。この素晴らしい音楽が終わってしまう。もっともっとこの美しい響きの中に身を置いていたい。しかし、もちろんそれは叶わぬ願いである。

 終演後の熱狂は凄まじいものだった。鳴りやまぬ拍手と、怒号のごとき「ブラボー」の声。老巨匠ははにかみながら幾たびも我々の歓声に応え、舞台上にその姿を見せてくれた。ヴァントは本当の意味で最後の巨匠だと思うが、その姿を目の当たりにできたということ自体が、僕の人生における大きな幸運であったと思っている。

 この日の演奏はDVD化されているのだが、終演後の映像をよく見ると僕の姿が映っている。公の映像に映ることなど今後ないであろうから、そういう意味でも一つの忘れがたい想い出である。

(07/6/21記)

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