花組トップスター 安寿ミラさんの想い出

 祖母も母も宝塚のファンである僕は、母親のお腹の中にいるころから宝塚の世界に触れていました。ぼんやりとしか憶えてはいませんが、物心つく前にも日比谷の劇場に連れられて、母親の膝の上で舞台を観ていました。

 初めてちゃんと宝塚を観たのは、ヤンさんの花組でした。僕が高一(まだ中三だったかも)の時です。演目は「心の旅路/ファンシータッチ」。お芝居の方はさほど印象的ではなかった記憶があるのですが、とにかくショーでのダンスに引き込まれました。男役としては小柄な身体が舞台全体を躍動し、視線はヤンさんに釘付け。宝塚の世界の魅力にめざめた瞬間でありました。

 とにかく他の人たちと身体の動きのシャープさ、迫力が違う。ヤンさんが踊り始めると舞台の空気が変わり、自然とヤンさんのいる位置に眼が吸い寄せられていく。振りの一つ一つから熱いエネルギーが放射されるのが感じられました。

 ダンスだけでこれほど観る者を魅了してしまう人を僕は他に知りません。ヤンさんのおかげで僕はダンスの素晴らしさを知り、以降ダンスに注目して宝塚を観ることになります(宝塚の醍醐味はスーツや燕尾服でのダンスだと思っています)。

 特に印象深いのは、サヨナラ公演の「メガ・ヴィジョン」で見せた3分ほどのダンスソロ。あれはもうすごいとかいうものではなく、壮絶でした。物理的限界に挑戦しているのではないかというほどの激しい振りで、とても2時間半の長丁場の合間に入れるべきものではないような代物でした。しかし、観ている者にとってはまさに鳥肌物で、思わず眼を丸くして身を乗り出したのを憶えています。踊りきったときには満場割れんばかりの拍手でした。

 頬に影の差す独特の二枚目ぶりも、僕は好きでした。華やかさはないものの、精悍な面立ちはダンスの迫力と相まって魅力的でした。ただ、一度だけ女の子の恰好をして出てきたことがありましたが(「イッツ・ア・ラブストーリー」)、ただの女装にしか見えなかったのはご愛嬌でしょうか。

 二番手だった真矢みきさんとの掛け合いも素敵でした。タイプが全く違う分、お互いが引き立ち合うという幸運な関係でした。当時の花組は下の世代にも将来のスター候補がひしめいていて、組全体の総合力が非常に高く、舞台のクオリティが高いレベルにあったと思います。

 「宝塚のスターの中で誰が一番好きか」と訊かれれば、今でもヤンさんと答えます。思い入れもありますが、あれほど素敵なダンスには未だ出逢っていないですし、これから出逢うことも難しいでしょう。彼女の舞台を観ることができて、本当に良かったと思っています。

(07/5/12記)

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