秋月こう:富士見二丁目交響楽団シリーズ第1部(角川ルビー文庫)
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 オリジナルのBL小説を書くにあたり、その真髄を体得すべく、草分け的存在であり根強い人気を誇る本シリーズの第1部と銘打たれた4作(『寒冷前線コンダクター』『さまよえるバイオリニスト』『マンハッタン・ソナタ』『リサイタル狂騒曲』)を読んでみたのだが、実に期待はずれだった。

 まず圭がゲイであるという設定が気に入らない。男があえて男を愛するようになる、その壁を乗り越えるドラマがやおい小説のキモであると僕は信じている。それを端からゲイであるということで済ませてしまっては、一番美味しいところを端折ってしまっていることになる。

 それに、その気のない男がいきなりバックを犯されて感じるわけがない。エロが売りのお馬鹿な作品ならそれも許されるが、曲がりなりにも本格的な恋愛を描こうとするならば、それはあまりにも安易なご都合主義だと言わざるを得ない。

 またこの強姦シーンが最悪だ。どうもやおい小説史に残る名シーンらしいが、全く理解できない。音楽への冒瀆である。セックスシーンのBGMにクラシックなんてケシカラン、なんて頭の堅いことは言わない。ただその使い方が問題なのだ。

 なぜワーグナーの『タンホイザー』なのだろうか。そもそも『タンホイザー』に組曲などなく、序曲の誤りだろう。ここからして不愉快だが、まあそれはおいておくとしても、この選曲はミスチョイスだと思う。強姦するシーンのBGMとして、エロスからアガペーへの昇華を崇高に歌い上げた音楽はどう考えても合わない。作者が聴いているのが誰の演奏家は分からないが、少なくともフルトヴェングラーがVPOを振った名盤からはそういう発想は生まれないと思う。

 例えばショスタコーヴィチの交響曲第12番「1917年」の第一楽章「革命のペトログラード」なんかは強姦シーンに最適だと思う。ロシア革命を描写した音楽だが、高圧的な金管の強奏や、突撃的な打楽器の連打など、いかにも「犯して」いる様を彷彿とさせる。

 ワーグナー、という言葉を小道具にそれっぽさを演出することが作者の狙いであることは分かるし、大多数の読者にとってクラシック音楽なんてそんなに身近ではなく、この程度で十分な効果は得られるのだろう。とは言え、作者の音楽への無理解は明らかであり、安易との誹りは免れないと思う。

 悠季の性格描写もいただけない。メトロノームのように定期的にワンパターンの躁鬱を繰り返すばかりで、鬱陶しいことこの上ない。進歩がなくてイライラするばかりだ。何らの魅力も感じないし、感情移入もできない。

 何でこんな作品に人気があるのか、さっぱり分からない。そしてこの内容でよく第6部までもたせるものだと思う。そこには素直に感心する。

(07/7/15)

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