死から愛へ
愛と死は最大のテーマであり
生と憎しみは日常茶飯事なのか
生の数と死の数は完全に同じなのか
空間を捨て、時間軸のみで見れば、生死は同数
しかし、時間を捨て、空間の中で過去のすべての
死の数を数えれば、死の数は生の数の数十億倍
そして、時間軸のみで見れば、愛憎は同数
空間軸のみで見れば、憎しみの数は愛の数の数十億倍
つまり、愛の数掛ける死の数は
生の数掛ける憎しみの数に等しい
生をつなぐ食欲は
他の命を奪うという憎しみの中でのみ満たされ
愛をつなぐ性欲は
他の希望を挫くという争奪の中でしか実現されない
その大いなる憎しみと絶望は
愛と希望という飾りで隠さなければ、耐えられない
死と憎しみの地獄を見て、その門の上で『考える人』が
この地獄をも愛さなければならないのかと苦悩する
しかし、その考える人は知性に偏重しているとして
弥勒菩薩の心身一如の瞑想が、医療に役立つという人がいる
考える人は時間を捨象した死と憎しみの極限状態を表現し
弥勒菩薩は空間を捨象して生死愛憎から離れた状態を
表現しているだけなのに
最初に死があり、その矛盾対応を超えて愛が生じ
その相似対応で生が現れ、そしてその生を支えるのに
矛盾対応である憎しみが必須となり、その憎しみが増大して
相似対応である死に回帰する
そして再び、死から愛へ!
生 生・死、愛・憎 : 反対対応(対極を示し、同時には存在できない)
/ ¥ 死・愛、生・憎 : 矛盾対応(前者の前提の中で後者が同時に存在する)
憎 愛 愛・生、憎・死 : 相似対応(変移を示し、同時には存在できない)
¥ /
死
1998年 11月15日 陽平