■義務としての防衛     2005/06/01

お返事いただけないままで、申し訳ありませんが、間違った解釈のために憲法9条が変更されてしま
うかもしれないのは残念に思いますので、追記させていただきます。

日本の江戸時代の人々はすでに権利としての戦争を放棄していました。当時の人々のどのような体験、
どのような深い熟慮により、それが達成されたのかわかりませんが、鎖国政策は国際紛争を解決す
手段および権利としての戦争を放棄して、義務としての防衛を保持しています。

戦争放棄という熟語と「権利としての戦争を放棄する」という文言は異なるものです。戦争放棄は戦

そのものを放棄しているように感じられます。戦争そのものを放棄すれば、残るものは平和ですの

平和主義と思われます。戦争を放棄するとは戦争が所有できるものであることが前提になります。
古代ギリシャでは戦争は人々の意志ではなく神々の意図で発生すると考えられました。戦争は所有
きるものではなく、放棄できればいいが放棄できるものではないと感じられているのでしょう。
9条
は注意深く権利としての戦争を放棄すると規定しています。

戦争は「攻撃は最大の防御である」という命題に従うものであり、防衛は「防御は最小の攻撃である

という命題に従うものです。幕末の尊王攘夷というスローガンは勇ましく聞こえますが、権利とし
ての
戦争を要求していません。義務としての防衛を強く求めたもので、最小の攻撃であり、侵略戦争の
素は感じられません。

「義務としての戦争」、「義務としての防衛」、「権利としての防衛」をどのようにするかという考
察が
必要です。これらについては9条とは関連性がなく、別条にすべきだと思います。

図式としては次のようになります。

権利としての戦争 − 真珠湾攻撃、満州攻撃
義務としての戦争 − 国連平和維持軍に参加(結成された場合)
義務としての防衛 − 江戸時代の鎖国政策
権利としての防衛 − 自然法