■戦争と防衛の源泉 2005/05/19
丁寧な回答ありがとうございます。
太平洋戦争のとき、アメリカのハルゼー海軍大将は、"Kill
the Jap, kill the Jap, kill the more Jap"
というスローガンを唱えていたと聞いています。そのころ、日本では、女学生まで、勤労動員さ
れていました。そして、「いざ来い、ニミッツ、マッカーサー」というスローガンでした。ハルゼー
のスローガンは真珠湾攻撃の報復だとは思いますが、不幸にも石原莞爾中佐の最終戦争の予見のよう
に各国民総動員の戦争となりました。
ブッシュ政権の予防的先制攻撃は防衛とは認めにくいものです。最小の攻撃が最小かどうかは申し訳
ない言い方になりますが、相対的なものです。米軍の日本への攻撃は最大のものでした。朝鮮戦争の
とき、原爆を使用することを求めたマッカーサーはトルーマン大統領に解任されました。それは最大
の攻撃ではないことを意味します。
イラクでの戦争は最小ということはできませんので、防衛ではなく戦争ということになります。
為政者はうそをつくのではないかというお言葉の意味がわかりません。主権者は日本の人々であり、
日本の人々は権利としての戦争を放棄しているのが9条です。その為政者を選択しているのは日本の
人々です。
おっしゃるように、私は戦争と防衛をまったく異なる源泉から引き出しています。鎖国していた日本
は防衛に徹していたのでしょう。極東軍事裁判のとき、石原莞爾大佐が戦犯にならなかった理由はペ
リーを呼べと言われても困るということだったという説もあります。
戦後石原莞爾さんは4年ほどして病気でなくなりましたが、その間平和を説いたそうです。
9条は日本が満州攻撃や真珠湾攻撃のような全面戦争になるような攻撃をしないことを規定していま
す。
フランスの英雄ドゴールが大統領だったとき、日本の首相の池田勇人が訪問して、トランジスタラジ
オの説明をした後の記者会見で、一国の首相と会見したとは思えない。トランジスタラジオの商人と
会ったようだと語ったそうです。あなた方は120年前、大砲を載せた軍艦で我国を訪問して通商を
求めた。今私たちはこのトランジスタラジオで通商を求めているのですと誰も言わなくて、残念に思
いました。そのときの新聞の論調は日本を卑下したもので、池田首相の対応を非難し、ドゴールの尊
大さを非難するものはありませんでした。
戦争は有史以来人類の歴史とともにありましたが、国際間の紛争を解決する手段として、日本の鎖国
政策ではじめて防衛という概念が現れたと思います。自由な通商のない鎖国では発達が阻害され、国
内的には圧政のため人々は苦しんだと思います。
憲法9条をいくら読んでも防衛についての言及を見つけられません。防衛は戦争の例外事項とも思え
ず、むしろ戦争が防衛の例外事項のようにも思えます。防衛は憲法に書いてないが当然行う。その例
外事項としての戦争は放棄するということになります。