■権利としての戦争の放棄    2005/05/18

最近、憲法9条を何度も読んでみたのですが、権利としての戦争を王位継承権を放棄するように放棄
していることに気がつきました。戦争放棄を4文字熟語で感じていた内容と違っていて、防衛につい
は何の記載もなく、単に好戦的な権利としての戦争を放棄しています。60年前には日本の人々は
地球上で最も好戦的な人々と世界の人たちに感じられていたのでしょうか。

日本の歴史を見ると、
真珠湾攻撃の理由は
7ヶ月後に石油備蓄が消滅し
全艦隊が碇泊港で錆付くまでの制限時間だった。

満州攻撃の理由は
東洋と西洋の最終戦争を予見し
その戦争が各国民総動員の凄惨なものになることを歴史の必然性として予感し、科学技術の発達がも
たらす恐怖の決戦戦争の中で、自国が生き延びるための必要最低限の資源確保だった。

これらの攻撃の立案者にとっては
生き延びるために必要な最低限の攻撃であった。
死に物狂いで戦った人々のために涙が流れ、とても好戦的な人々とは思えません。しかし、9条は
のような攻撃をする権利としての戦争を放棄したのでしょう。

戦争は「攻撃は最大の防御である。」という命題に従うものであり、防衛は「防御は最小の攻撃であ
る。」という命題に従うものです。

その意味で憲法9条は防衛については何の規定もしていません。
自衛権や自衛隊の防衛について規定が必要であれば、9条とは別条で規定する方がいいと思います。